君のワガママは全部聞いてあげたい   作:三月ウーナン

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エリエリ恋バナ回


或いは未だ愛に至らぬ話

 雨が降っている。

 夜も騒がしいこの町の喧騒をかき消すほどの大粒の雨に、私は事務所に向かうことを諦めて近くのカフェに入る。夜にも開いている店が多いのはこういう時便利だ。とはいえ、急な雨に同じことを考えた者は多いようで、店内に空いたテーブルは少ない。暴力的に甘いフラペチーノを抱えて周囲を見渡す。窓際のカウンターの端にひとつ空席を見つけて、そこに座った。

 隣は若い女性で何やら本を読んでいる。それを横目に確認しつつ、スマホで天気を調べてみる。どうやらこの雨はもう少し降り続くらしい。溜息をついて、ロナルドさんとお兄様にRINEを入れておく。いつになったら事務所にたどり着くことやら。せめて傘を持っていればよかったのだが。

 窓を打つ雨粒を手持ち無沙汰に数えていると、後ろを通り過ぎようとしたひとが隣の席の椅子の足に躓いた。その拍子に隣の女性が読んでいた本が私の足元に落ちてくる。女性と不注意なそのひとが謝りあっているうちに、私は本を拾い上げる。雨の日の足元に落ちたため、書店の名前が印字された紙のブックカバーが少し汚れてしまっていた。

 

「落としましたよ」

 

 話し終わったタイミングを見て女性に声を掛ける。彼女は私が差し出した本を受け取って、軽く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

「はい、どういたしまして」

 

 私が微笑んでみせると、彼女も気持ちばかり口角を上げて答えた。

 汚れに気付いたのかブックカバーを剥がしているのを何とはなしに目で追う。すると、その下から現れたのは私もよく知る赤い退治人の表紙だった。

 

「あら、ロナ戦!」

 

 思いがけず目にしたロナルドさんに私はつい声を上げる。

 

「あなたもご存知なんですね」

 

 彼女はそれに律儀に反応する。手元はカバー下の本の様子を気に掛けているようだ。

 

「はい、私も読みました。楽しめましたよ」

「そうなんですか?それは良かった。まだ読み始めたばかりですけど、期待できそうです」

 

 偶然隣に座っただけの私に愛想良く話してくれるので、私はすっかり気を良くして、味を占めた。

 申し訳なさそうに取り繕ってみせて、暇潰しを図々しくも強請ってみせる。

 

「あの、読書中なのは承知なんですけれど、私とお喋りしませんか?もっとお話してみたくなりました」

「構いませんよ、私も迎えが来るまでの雨宿りですから。本はもっと落ち着いて読みたいところですし」

 

 彼女は本を手放して、体を少しこちらに向ける。本格的に私の暇潰しに付き合ってくれるらしい。私はますます気を良くして、話題選びに取り掛かる。私が願い出たのだから、私から始めるべきだろう。

 

「そうですね、それじゃあどうしてその本を手に取ったんですか?」

 

 最近発売されたわけでも無い本だ。何をきっかけに手に取ったのか、それに興味を持った。

 私の知らない彼の話が聞けるかもしれないという下心もある。なにせここは新横浜なので、実際に関わりを持ったという理由だって十分に有り得る。

 

「これですか?実は以前、ロナルドさんにお世話になったことがありまして」

「そうなんですか!」

 

 本当にそうだった。世間は思っているより狭い。

 

「とはいっても、そう最近のことではないんです」

「では、どうして今その本を?」

「本ってなかなかのお値段してしまうでしょう?興味はあったんですけれど正直なところ自分でお金を出すほどではないかなと」

 

 彼女は手元の本を撫でながらそう言った。

 その指に光るリングや服、靴だってそう安いものには見えない。世の中にはオシャレに命を懸けているようなひとだっているから、一概には言えないが。

 

「お金に困ってるようには見えないですか?」

 

 私の困惑を察したようだった。

 

「はい」

 

 素直に頷くと、彼女はなんと切り出すか少し迷ったようだった。

 

「私、当時はコンビニのアルバイトをしていて。ロナルドさんに助けていただいたのもそこでなんです」

 

 事の経緯をなぞる形で話すことにしたらしい。

 

「それはまた、なんというか見違えましたね」

 

 今の彼女は、なんというか、身なりとしては私と生活レベルがそう変わらなそうなのだ。高級品で身を固めて主張せんばかりという感じではないが、気後れして服に着られているような風でもない。

 

「ちょうどそのすぐあとに結婚しまして」

 

 薬指のリングはやはり結婚指輪だったようだ。

 

「結婚!いいですね、羨ましい」

 

 恋する者のひとりとして、細かいところはともかく概ね今の暮らしに馴染んでいる様子の彼女を見て、私は心底そう思った。他意なく言うと彼女は少し驚いたように私を見て、意外だとばかりにパチパチと瞬いた。

 

「もうお分かりだとは思うんですけど、夫が結構な資産家なんです。歳も離れていて。こういう結婚ってどうしても邪推されるじゃないですか」

 

 彼女はもどかしげにそう零す。実際、私が素直に結婚そのものを羨ましがってみせたのを驚いた程度には、色々なことを言われてきたのだろう。

 

「そうですね」

 

 話の続きを促すつもりで肯定する。

 

「確かに、夫のお金持ちなところを好きになった部分はあります。けれど、お金を好きになったわけではないんですよ。本当なんです。……何言ってるんでしょうね、私。初対面の方に」

 

 我に返って苦笑する彼女に私は何か言いたくて、しかし具体的に掛けられる言葉を持ち合わせなかった。こうして話して感じた人柄に、彼女がお金だけを見ているわけではないと思う。けれど、信じると言うには彼女を知らないし、無責任に励ますのは彼女の苦悩を否定するようでしたくない。

 

「私、今付き合っている方に本当は仕事辞めてほしいと思っているんです。内緒ですよ?」

 

 自分の悩みを打ち明けて、その心だけでも肯定したいと、共感を示そうと思った。甘いだけではいられないこの心を、幸せに垂れる苦しみを、同じではないまでも知ってると伝えたくなった。

 私の言葉が思わぬものだったらしく、彼女は目を丸くする。

 

「最初は、自分の傷より私の服の汚れを気にするような、そういうところを好きになったんだと思います。我ながら酷いですよね」

 

 初めて会ったあの時、私はとても利己的な気持ちでロナルドさんに惹かれた。当時は気付いていなかったけれど、思い返すと、きっとこの恋の始まりにあるのはあまりに自分本位な私の願いだ。

 

「このひとなら私のこと何より大切にしてくれるんじゃないかって、思っちゃったんですよね……。付き合ってみると、ぜんぜんそんなひとじゃなかったんですけど」

 

 ロナルドさんが私を大切にしてくれているのは確かだ。ただ、何をおいても私が優先されるわけではない。それが本当は少し悲しい。

 

「あのひと、自分より周りが大切なだけなんですよ、きっと。だから今は見ず知らずの人のために体を張るような仕事、辞めちゃえって思ってます」

 

 本人にはなかなか言えないけれど、誰かのためにロナルドさんが損なわれるような今の状況とそれを良しとしている彼が、私には腹立たしかった。

 蟠りと揺れることない好意を飲み込んで、私が悪戯っぽく笑うと、彼女もクスクスと笑った。

 

「あなたはその彼のこと、それでも好きなんですか?思ったひととは違ったんですよね?」

 

 私の答えに確信している様子で彼女は問う。

 

「大好きなんです、困ったことに。あなたは旦那さんのこと、お金持ちじゃなくなっても好きですか?」

 

 ままならなさを笑いながら、私も同じように彼女に問うた。

 

「分からないから、困っちゃうんですよね。でも、好きだといいなと思います」

 

 綺麗なところだけでは出来ていない私たちの恋心に、どちらともなく微笑み合う。

 

「なかなか上手くいかないものですね」

「本当に」

 

 不意に彼女の鞄から電子音が鳴った。

 

「ちょっとすいません」

 

 彼女が一言断って取り出したスマホを見る。

 

「もうすぐ迎えに来てくれるみたいです」

 

 顔を上げてこちらを見るその表情が少し緩んでいるから、迎えはきっと件のひとなのだろう。

 

「あら、久しぶりに恋バナできて楽しかったのに。お開きですね」

 

 私は心から残念に思って、しかしどこかまだ愉快な気持ちを引きずったまま言う。

 

「そうですね、私も楽しかったです。あの、良かったら連絡先、教えて頂けませんか?」

 

 手の中のスマホを彼女が掲げた。

 

「ええ、もちろん!またこうしてゆっくりお話したいですから」

 

 私も応じてスマホを取り出す。

 

「RINEでいいですか?」

「はい」

 

 互いに慣れた手付きで連絡先を交換して、その登録名をみる。そこで今まで名乗ってすらいなかったことに気付きながら、もっと気になる文字列をなぞる。

 

「お名前、エリさんと仰るんですか?」

「あなたも?」

 

 丸くした目を合わせて、頷き合う。それがおかしくって、クスクスと笑い声が零れた。

 

「奇遇ですね」

「本当に!」

 

 

 

 その後、高級車に乗って去っていく彼女を見送っていると、見慣れたひとが傘をさしているのを見つけた。

 

「ロナルドさん!」

「エリさん!こんなとこにいたのか。連絡入れたのに」

「えっ、すいません気付きませんでした」

「傘持ってきたぜ」

「ありがとうございます」

 

 私は差し出された傘を受け取って、しかし刺さずにロナルドさんの腕を取った。

 

「折角ですから、相合傘で行きましょ」

「は、はい……」

 

 私は遠ざかっていく高級車をちらりと見て、機嫌を良くしながらロナルドさんとの距離をさらに詰めた。

 

「ほら、肩濡れてますよ。もっと寄って下さい」

「ヒェッ」

「もー!そんな風にしたって私は一歩も引きませんからね!?」

 

 手に力を込めて語気を荒げながらも、私は笑う。

 

「やけに機嫌いいな……なにか良いことでもあったのか?」

 

 逃げ腰のまま訝しげな彼を捕まえつつ、なんと答えようか考える。しかし、今日のことを話してしまうのは無粋な裏切りのような気がして私はただ微笑んだ。

 

「うーんとそうですね、内緒です!」

 




【エリー】最近、大好きな彼氏となんだか自分の想像していたお付き合いが出来ないことに気付いた。仕事と私どっちが大事なのって言い出す一歩手前。

【金久祖エリ】最近、あまりにも金目当ての結婚だと後ろ指を指され過ぎてフラストレーションが溜まっている。お金そのものよりは、お金持ちであるからこその余裕とか穏やかさとかに惹かれた。
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