プルルルル……
「……」
詩季はスマホの着信音で目を覚ました。体を起こし、電話に出る。
「はい、もしもし夜神です」
『……』
返事がない。イタ電か、と詩季は早々に電話を切り時計を確認した。時刻は七時を回ったあたりだ。そろそろ店を開ける準備をしても良い頃合いだろう。詩季はベッドから降りると、隣の部屋に迷わず向かいノックもせずドアを開けた。
「おい、ポンコツ。起きろ」
「ボクはポンコツなんて名前じゃありません!」
詩季が声をかけると、ベッドですやすや眠っていた癖っ毛気味の少年が勢い良く体を起こした。詩季のポンコツ呼ばわりに無意識に反応したようだ。自身の声で目が覚めたらしい少年は、周囲をきょろきょろ見回してから詩季に焦点を合わせた。
「し、詩季さん?」
「よぉ。ずいぶんぐっすりだったなクリス」
「お、おはようございます。どうかされましたか?」
「手伝え。店開く準備すんぞ」
「え、もうそんな時間!?」
少年――クリスが慌ただしくベッドから降りたのを見て、詩季は無言でクリスの部屋から出た。それから自身も身支度を整え、到底パティシエには見えない制服に着替えると、住居部分である二階から降りて店を構えている一階に向かう。
厨房に入り手際良くスイーツの材料と器具を用意していれば、バタバタ足音をたててクリスも降りてきた。彼の制服の方が詩季の物に比べるとよっぽどパティシエらしかった。
「おはようござ――」
「厨房に走って入ってくんじゃねぇ埃が立つだろうが」
「すみません!」
注意しながらクリス目がけてボウルを投げる詩季。ボウルはクリスの顔に思い切りぶつかり、鈍い音を立てて床に落ちた。
「ううう……朝からそんなに目くじら立てなくても……」
「オレが何回も言ってることちゃんと守ればオレだってこんなキレねぇよ」
「そして相変わらず口が悪い……。そんなんだから近所の子どもたちに"パティシエヤンキー"って呼ばれるんですよ」
「そう言うオマエはポンコツって呼ばれてたな」
「詩季さんのせいですよねぇ!?」
「テメェがポンコツなのが悪い」
クリスと話している間も詩季は手を止めない。気温計や湿度計に目を配ると、粗暴な振る舞いとは裏腹に慎重にスイーツ作りに取り掛かり始めた。
「ボクは何をすれば良いですか?」
「表に出すウェルカムボード描き替えとけ。良いか、今日のオススメはフルーツタルトだからな。絶対間違えんなよ」
「は、はい!」
「それが終わり次第スーパーに行ってこい。買う物のリストは後で渡す」
「?スーパーですか?浪漫堂じゃなく?」
「あぁ。今日はチョコレートボンボンの気分だ」
「……何かあったんですか?」
チョコレートボンボンの単語だけで目ざとく反応を変えたクリスに、詩季はこいつも慣れてきたな、と息を吐いた。
詩季は浪漫堂という、ここ凪里町にあるお菓子屋を気に入っている。そこの和栗のモンブランが特にお気に入りで、事あるごとにクリスに買いに行かせるのだが。チョコレートボンボンだけは決まった時にしか食べないのだ。
その決まった時というのは、詩季の勘が働いた時だ。それも彼女の頭を悩ませるようなことが起きるという勘。この勘は当たりやすいため、鈍感なクリスでもさすがに詩季が何かを感じ取ったと気づいたらしい。
「今朝、無言電話が来た」
「イタズラでしょうか?」
「だと良いがな。オレには受話口の遠くから聞こえたんだよ、『ビンゴね』と呟く女の声がな」
「つまり、詩季さんを狙って電話をかけたと……?」
「そう考えんのが妥当だろうな。こんなんどう考えても面倒事のタネだろ。わかればさっさと働けポンコツ」
「クリスですっ!!」
いつものやりとりを終え、クリスがウェルカムボードに向かい始めたのを見てから詩季はまたスイーツ作りに戻った。
※
「ありがとうございましたー」
接客業に従事する者とは到底思えないほど気だるく客を見送った詩季は、タバコに火をつけた。
「詩季さん、ここお店の中なんですけど……」
「換気扇なら回してる。問題ねぇだろ」
「営業時間中ですよ」
「このタバコは匂いも強くねぇし問題ねぇよ」
「そういうことじゃなくてぇぇぇ」
「んなこと気にしてる暇あったらウェルカムボード描き直してこい。オマエまたオススメ描き間違えてんぞ」
「え!?」
詩季がそう指摘すると、クリスは慌てた様子で外に飛び出した。これでしばらくは戻ってこないだろう。安心してタバコも吸える、と詩季が煙を吐くと。
バターンッ!!
「失礼するわ!」
幼い容姿の少女が勢い良く店の扉を開けた。どれくらい勢いが良いかと言うと、普段であればチリンチリンと鳴るドアベルが、ヂリンヂリン!!と濁点が付きそうな勢いで鳴っていた。ここまでの勢いで入ってきた客は初めて見たため、詩季も一瞬呆気にとられたがすぐにいつもの調子を取り戻した。
「いらっしゃいませ。ご注文は?今日のオススメは……あー、あのポンコツなんて描いてたかな。表のやつは間違いで――」
「あなたが
「……そうですが」
詩季はすぐにピンと来た。この少女こそが今朝イタズラ電話をかけてきた女だと。だとすれば、警戒するに越したことはない。詩季はタバコを持つ手と反対の手で強盗撃退用のカラーボールを手に取った。少女相手に手荒な真似に出るわけにはいかないので、あくまで怯ませる用に、だ。
「アンタは?」
「わたしは
「……」
詩季は手に持っていたカラーボールを元の場所に置いた。
「アンタ……おっさんとどういう関係だ?」
「おっさん?」
「
「も、ということはあなたも父さまのことを知っているのね。なら、あなたの知っているかぎりのことを話してもらうわ」
「……」
詩季はわざとらしく大きなため息を吐くと、カウンターの向こうから出て美鈴に大きな歩幅で近づき、彼女の首根っこを掴んだ。
「ちょっ、何するのよ!?」
「残念だが、オレはおっさんのことを何も知らねぇ。で、テメェも何も知らねぇなら生産性のある会話ができるとは思えねぇ。さっさと帰った方が身のためだと思うぜ」
「な、何も知らないということは無いでしょう!?あなたが教えてくれるまで、わたしは帰らないわ!!」
「
「ガキじゃないわ!!わたしはこれでも十六歳よ!立派なレディーなのよ!」
「マジかよ見えねー」
「失礼ね!!」
美鈴の首根っこを掴んだまま店の外に出た詩季。テキトーなところに放り投げよう、と辺りをキョロキョロ見回していると。クリスが駆け寄ってきた。
「し、詩季さん!!」
「どうしたクリス」
「げ、幻獣が……!出ました!」
その単語を聞いた瞬間、詩季の瞳が細められる。美鈴の首根っこから手を離し彼女を解放すると、クリスに改めて向き直った。
「場所は」
「近くの公園です!」
「人払いは」
「すでに終わってます!」
「でかした。すぐに向かう」
「ま、待ちなさい!わたしにもわかるように――」
「テメェは来んな、ガキ。足手まとい以外の何物でもねぇ」
「なっ……!」
冷たく言い放ち、詩季はクリスとともに近所の公園に向かった。
誰もいない公園。その中央に、それは立っていた。見てくれは醜い小鬼のような姿のそれは、口をだらしなく開けボタボタとよだれを垂らしている。
「……なるほどな」
「あれってもしかして……」
「あぁ、
詩季は人差し指と中指をピタリと合わせ、二本の指で空を裂いた。すると空間が割れ、裂け目からベルトのような物が降りてくる。ベルトを掴んだ詩季は、迷わず自身の腰にベルトを当てた。ベルトの中央に配置され、斜め上を向いている針のような部分に手をかけ、弾くように下げるとメトロノームのように上下に動き、清らかな旋律を奏で始める。
「オマエに送るレクイエム、奏でてやるよ。――変身」
もう一度指で針を弾くと、今度は五線譜のような光の線がベルトから現れ、詩季の体を包んでいく。全身を光の五線譜で包まれると、詩季の姿は一瞬で変わっていた。
頭部は金色の線で縁取られた装飾が特徴的な仮面に変化し。体は指揮者の纏う燕尾服のような上着を、白くワイシャツのように見えなくもない鎧の上に纏っている。頑丈そうなヒールでカン!と地面を打ち付け音を鳴らした仮面の指揮者を、美鈴は唖然とした顔で見ていた。
「な、何なのあれ……」
「あ、さっきの子!なんでここにいるんですか!?」
「つ、ついて来るなと言われたら気になるでしょ!?それより何なのあの姿!元は夜神詩季よね?」
「あれは、仮面ライダータクトです」
「仮面ライダー……?」
「見ていてください。――ボクたちの世界を守る、たった一人のヒーローの戦う姿を」
パチン、とタクトが指を鳴らせば空間を裂いて愛用の武器であるコンダクトレイピアが現れる。警棒に似たフォルムだが指揮棒のように先端が尖っているそれを手に取ったタクトは、左右に振るとクイクイ、と小鬼を挑発した。
「来いよ」
「ガァァァァ!!」
小鬼はよだれを撒き散らしながらタクトに襲いかかる。鋭い牙を尖らせ跳びかかってきた小鬼の口をコンダクトレイピアで封じたタクトは、小鬼の顎に鋭い蹴りを入れた。
「ギャッ!!」
小鬼は怯み、タクトから距離をとる。
「ちょっ……!武器取られてるじゃない!!」
コンダクトレイピアは未だ小鬼の口を封じたままだ。距離をとられた以上、タクトの手から武器が離れてしまったわけだが、タクトは至極冷静だった。フリーになった手を、それこそ指揮者がオーケストラに指示を出すかのように動かす。
「
タクトがそう宣言し、手を動かし始めた瞬間コンダクトレイピアが一人でに動く。タクトの指示に合わせ、激しく小鬼の周りを動き回り、小鬼を攻撃していく。
「
タクトがギュッと拳を握りしめると、コンダクトレイピアの動きがさらに速さを増し、小鬼の体を突き刺した。
「ギャアッ!!」
コンダクトレイピアにより串刺しにされ、身動きをとれなくなった小鬼の目の前に立つタクト。
「ね、ねぇ……この後どうするの?」
「どう、と言われても……」
言葉を濁したクリスに、美鈴は目を見開いた。
「まさか……あれって、元は人じゃないでしょうね?」
「……その通りです。とは言っても、ボクたちとは違う世界の人間。おまけに自我と元の姿を戻す方法を、ボクたちは知りません。なら、過ちを犯す前に目を覚まさせてあげるのがせめてもの救いじゃありませんか……」
「……っ!」
美鈴は走り出し、タクトと小鬼の間に体を滑り込ませた。
「……何してる、ガキ」
「わ、わたしなら元に戻せるわ!父さまから教えてもらったのよ」
「……どうやって」
「見ていなさい!……待っててね、今戻してあげるから」
美鈴は手が小鬼のよだれで汚れるのもいとわず、小鬼の頬を撫でた。そして目を閉じ、静かに歌い出した。
「Ou Codalk,glace knoir feal ieen ret.Glace,Codalk deen maia quol (あぁコーダルクよ、どうかわたしたちにあなたの心を見せてください。どうかこの哀れな魂に救済を)……」
優しく、そして澄み切った歌声が静かな公園に響く。聴いた者の心を包むかのような歌声は、当初は刺し貫かれた痛みで悶え苦しんでいた小鬼の表情をも次第に溶かしていき――小鬼の姿は、人間に変わっていた。
「や……やった!成功したわ!」
一人喜ぶ美鈴を横目に、タクトとクリスは顔を見合わせた。タクトは元小鬼である人間のすぐ側に跪き、コンダクトレイピアを拾いながら観察する。
「たしかに人間だ。……おい、美鈴」
「何かしら?」
「オマエ、何をした?」
「何も?ただ父さまから教えてもらった詩を詠っただけよ」
「……」
タクトは変身を解き、元の詩季の姿に戻った。
「クリス」
「は、はい!」
「気が変わった。コイツ手元に置くぞ」
「あら?わたしと生産性のある会話はできないって言ってたわよね?」
「さっきのオレの戦い見てたならわかんだろ。オレとオマエじゃおっさんの知識が違いすぎるってな。わかったらさっさとついて来い。情報交換といくぞ」
詩季は未だ眠り続ける人間の体を抱えあげると、クリスと美鈴に背を向けて歩き出した。
「ま、待ってください詩季さん!」
「〜〜〜〜っ、本当に勝手な人ね!」
クリスは迷わず詩季の背中を追いかけ、美鈴もまたそれに続いた。