”結束バンド”が解散した世界線。
大学生になった虹夏ちゃんは音楽も辞めて男となぁなぁに過ごしていました。
そんな中、かつてのバンドメンバーに会ってしまったのでした。
「気持ちよかったかい?」
キッチンで煙草を吸っている男性がそう言った。
私はベッドの上で愛想笑いを浮かべた。
「……気持ちよかったです」
「やっぱ俺たち、身体の相性いいね」
「あははー……そうですね」
男性は笑顔で煙草の煙を吐いた。
私が何度も「そこで吸わないでください」と言っても、やめてくれない。
この男性——私の彼氏はそういう人だった。
先ほどの話をすると、私はこの男性とセックスをした。
もちろん、全然気持ちよくなんかなかった。荒いし臭いし、痛いし暑いし、疲れるだけ。こんな行為が気持ちよいわけがない。だけど男側はそうではないらしい。彼は満足そうに煙草を吸っている。
スマートフォンに触れる。光る。23時42分。彼の終電の時間が近づいている。
「次はいつ会える? 今週はどう? 大学の講義終わりとか空いてるでしょ?」
キッチンから早口で投げかけられる言葉。
「あー……今週はゼミの研究で忙しいので」
「そっか。でもずっと研究してるわけじゃないよね?」
「そうですけど……」
「どっか合間を探して会おうよ。ってか俺が会いたい」
ベッドの上で、私は愛想笑いを浮かべた。
「あははー……がんばります」
いったいどうして、こうなったんだろう?
大学に行っても、私は軽音部に入ってバンドを続けた。
結束バンドのメンバーは誰一人いない。リョウも喜多ちゃんもぼっちちゃんも、誰もいない。私ひとりだけだった。
高校生の頃は大好きだったバンド活動。
でも大学の軽音部は、全然楽しくなかった。レベルが低かった。
しかしそれだけではなかった。
コピーバンドだけでオリジナルをしない。売れてる曲だけを延々とコピーする。知らないアーティストのコピーをすると団体から浮く。周りの顔色をうかがって、みんなが知ってそうな曲を演奏する。ウェーイと両手を挙げる。興味のないメンバーになると教室から出ていって廊下で喋っている。結局は人気のある人間が持ち上げられる。楽器が上手い人は下手な人を見下している。
この人たちはなんのためにバンドをしているのだろう? 友達と合うため? 恋人を見つけるため?
「伊地知さんって、必死すぎない?」
「なんかすごく睨んでくるんだよねー」
「ほっとけば勝手に浮くでしょ。あ、今度合コン行こー」
「飲み会行くやつ集合―」
「ミーティングだるいからサボろうぜ」
「彼女とのデートで楽器買う金ねぇわ〜」
「このアーティスト、エモくな〜い? 今度コピーしようよ〜」
「この間あいつとヤッてさぁ……マジエロかったわ」
この人たちはいったい、“何のためにバンドをしているの?”
「キミかわいいね。一緒に飲まない?」
大学1年生の秋、別の軽音部の人に声をかけられた。
飲み会にも参加したことなかったし、音楽へのモチベーションも下がっていた頃だった。
「伊地知さんって、高校で軽音やってたの?」
「はい。結束バンドってバンド組んでました」
「面白い名前だね。今もやってるの?」
「いえ……解散しちゃいました」
「そうなんだ。残念だったね」
話を聞いてくれるのは嬉しかった。
私をわかってくれる、たったひとりの理解者。
そう錯覚してしまった。
「もっと飲みなよ。伊地知ちゃんの話、いっぱい聞かせてほしいな」
そうして、私の“初めて”はここで失くした。
昔組んでいたバンド”結束バンド”のことは、今でも後悔している。
「よーし、念願のフルアルバムを作ろーっ!」
高校3年生の卒業間近のこと。
結束バンドの思い出づくりも兼ねて、アルバムを作ることにした。
今までライブでやってきた曲を新規で撮り、更に新曲もこのアルバムのために作った。
「曲作るのめんどう……」
「ほらそこー。サボってないでさっさと曲を作る!」
「うえ〜」
「ぼっちちゃん、歌詞はできそう?」
「あっ、えっと……はい、できそうです」
「頼りにしてるよ。我がバンドの作詞担当!」
「伊地知先輩! CDのジャケットのイメージ絵、これでどうですか?」
「お〜よくできてるね。さすが喜多ちゃん!」
「任せてください!」
そんなこんなで、初めてのCDが完成した。
私達はそのCDをライブの物販に出したり、YouTubeやbandcampやSoundCloudに投稿したり、レコード会社に持ち込みをしたりした。
正直、最高の出来栄えだったと思う。お姉ちゃんにライブで「下手」と言われてから数年、ライブで磨いてきた腕だ。録音にズレもなく、全てがピタッとハマった演奏になっていた。
しかし——返ってきた反応は散々だった。
「これを売ることはできない」
「バンドとしての目新しさがない」
「ガールズバンドは狭き門」
「演奏は整っているけど、粗が目立つ」
「ちょっと顔が可愛いだけ」
「しょせんは学生バンド」
その反応は、「下手」という言葉よりも深く私に刺さった。
がんばって作ったものが売れない——なんてことはよく聞く話だったけど。
まさかそれが実話で、しかもよりによって私たちに降りかかるとは思ってもいなかったのだ。
「……まぁ、うまくいかないもんだね! 次、がんばろ!」
スターリーで沈んでいたメンバーに、私はそう声をかけた。
「さーて、次のアルバムはもっと売れるように路線を変えて——」
「虹夏、ちょっといい?」
手を上げたのは、リョウだった。
「なぁに? さては今回の結果でビビったとか言うんじゃないのー?」
「私、このバンドを抜ける」
淡々と言うリョウに、私は言葉を失った。
「な、なに急に……?」
「次がんばろうと言うのはわかるよ。でもそれで次にうまくいくとは思えない」
「そ、そりゃそうでしょー。次売れる保証なんてどこにもないけどさぁ。次作らなきゃ何も売れないでしょ!」
「売れることが大事だと私は思わないから」
「ちょ、ちょっとリョウ!」
引き止める前にリョウは階段を登って出ていった。
ただでさえ暗かった雰囲気は、更に悪化した。
私は「あはは」と無理やり笑ってみせた。
「まったくリョウって奴は。これからがんばろーって時に、薄情モンだよねぇ?」
「伊地知先輩……」
そう言って遮ったのは喜多ちゃん。
「私、曲も歌詞もできないですし……それに、リョウ先輩が抜けるのなら、私も抜けます」
「ちょ、ちょっと待ってよ!喜多ちゃんまで……」
「ごめんなさいっ!」
バッと頭を下げると、喜多ちゃんは走って出ていった。
残されたのは……ピンクジャージのぼっちちゃんだけ。
「虹夏ちゃん……」
「あははー……ぼっちちゃんも、抜ける?」
暗い顔をしていたぼっちちゃんは、ぷるぷると首を振った。
「わ、私は抜けるつもりないです……このバンドが好きですし、にっ、虹夏ちゃんが好きだから……」
「……ありがと、ぼっちちゃん」
そうして私とぼっちちゃんのふたりで、“結束バンド”を続けた。
しかし、抜けたふたりの穴はあまりにも大きかった。
新しいベーシストとギターボーカルを見つけた。
でも、そのふたりとぼっちちゃんは相性がよくなかった。ライブでは音もズレるし、グルーヴも外す。ぼっちちゃんのコミュ障が発動してしまい、まともに話もできなかった。
私はぼっちちゃんを何度もフォローした。今までそうやって彼女を助けてきたように。
だけどそれを新しいふたりはよく思わなかった。
「その子がお気に入りなら、ふたりでやってればいいじゃん」
「なんであたしたち誘ったの。意味わかんない」
「私達なんてどうでもいいんでしょ」
「入らなきゃよかった。こんなバンド」
そうしてふたりが抜けた。
その頃から私は大学受験で忙しくなり、バンド活動のモチベーションも低下していった。気付けばぼっちちゃんとも連絡を取らなくなっていたし、いつの間にかドラムスティックも握らなくなっていた。
そうして結束バンドは自然と消滅し、私は大学生になった。
大学4年生になるまでの記憶が、まるでなかった。
いったい今まで、なにをして過ごしていたんだっけ?
この3年間をムダにしたことだけは確かだ。ろくに音楽もやらず、友達も作らず、なにかに熱中することもなく。惰性でコンビニやライブハウスでバイトをして、どこかの男となぁなぁに付き合ってセックスをする日々を送っていた。何もなさず、なにも成せず、無為にすごした、そんなムダな日々。
【就活エントリーシート】
その事実を、就活シートを書く際にまざまざと感じたのだ。
「私、今までなにしてんだろ」
ぽつりとつぶやく。
就活シートに目を落とした。
どうやら今は公務員の採用を目指しているらしい。自分のことなのに、まるで他人事だ。
【あなたが大学で熱心に取り組んだことはなんですか?】
そんなこと、あるわけないじゃん。
だから今こうして悩んでるんでしょ?
【苦労を乗り越えたことは?】
そんなのもないよ。
苦労を乗り越えてすらいないから。
【あなたの長所は?】
なんだろうね。
惨めなこと?
【大切にしてきたことは?】
うるさい。
【その結果は具体的にどうだった?】
黙れ……。
【その結果を出すためにどのような努力・工夫をしてきた?】
「うるさい!!!」
シートをビリビリに破き、ゴミ箱に投げ捨てた。
それでもイライラは収まらない。
部屋のぬいぐるみを投げた。
クッションを殴った。
それでも収まらなかった。
壁を殴った。
穴が開いた。
テーブルをひっくり返した。
カーペットにコーヒーがこぼれた。
それでも、それでも……。
「はぁーっ……はぁー……ッ!」
私はその場に崩れ落ちて、頭を抱えた。
「嫌だ……こんなの、夢だよね……悪夢を見てるだけ……」
わかっている。
これは現実だ。
どうしようもなく悪夢に近い現実。
【覚めない悪夢はね、現実って言うんだよ】
私の中で誰かがそう言った。
あの子の声だった。ぼっちちゃんの妹の「ふたり」ちゃん。なんでふたりちゃんがいきなり出てきたんだろう?
ぴころん、とスマートフォンが鳴った。
ロインを見る。彼氏からメッセージが来ていた。
[今から行くわ 身体洗って待ってて♡]
窓の外は明るみはじめていた。朝がやってくる。
「…………」
私は衝動的に家を飛び出した。
行く宛なんてない。
この場所から逃げ出したいだけ。
もう、なにもかも嫌だった。
これが現実とは、とても思えなかった。
「あー……久しぶりだね、リョウ」
本当に偶然だった。
街中でかつてのバンドメンバー、山田リョウに会ったのだ。
「うん。久しぶり、虹夏」
私達は近くのカフェに入った。
大学4年生のリョウはおしゃれだった。元々高校時代からおしゃれだったけど、さらに磨きをかけていた。着ている古着はヴィンテ―ジもの。高校時代にリョウがさんざん言っていた「いつかヴィンテージを着たい」——今はあの頃の未来らしい。
「リョウはさ……音楽してる?」
コーヒーカップから唇を離したリョウ。
「してる」
「そっか。どんな音楽やってるの?」
「いろいろ。ロックもやってるけど、メタルもやる」
「そっかー……」
聞く限りでは、大学ではリョウは評判がいいらしい。まぁそうだろう。高校時代から尖っていたし、喜多ちゃんみたいな同性にもモテていたのだから。大学で人気なのもうなずける。それに高校からバンドしている人は大学でヒーローになれる。そういうものだ。
「虹夏は?」
私はコーヒーカップから口を離して、にへらと笑った。
「それがなにもしてないんだ」
「ドラムは?」
「途中でやめちゃった」
「そう」
そうして会話が途切れた。
店内でJ−POPのカバー曲が流れていた。今年で一番売れている曲だったはずだ。高校時代ならリョウは眉をしかめてこう言うはずだ。「そんな曲よりもLo-Fi流したほうが落ち着くのに」と。私は呆れながら「一般の人はLo-Fiなんて知らないでしょ」と言う。
今のリョウは、店内の音楽にも気に留めず、ぼんやりと向こうを向いていた。
言葉が見つからない。
したい話も、するべき話も、なにもない。
この4年間で、私とリョウの関係は途切れてしまっていた。
幼馴染という繋がりも薄くなって、もはや他人に近くなっている。
このまま行けば、真っ赤な他人になるのだろう。
「おまたせしました。新作のケーキです」
ケーキがふたつ置かれた。
リョウはスマホを取り出して写真を取った。手慣れている。
「私、ケーキなんて頼んでないけど……」
「うん。私が頼んだ」
「……まさか、奢らせるんじゃないの〜?」
冗談交じりにそういった私に、リョウは静かに首を振った。
「私からの奢り。今までお金借りてばかりだったから」
私は絶句した。
そして泣きたくなった。
あの頃のリョウは、もうここにはいない。
リョウは変わってしまったのだ。
音楽も、ファッションも、センスも、何もかも。
「あははー……そっか。うん、ありがと。いただきます」
私は何も言えなくなった。
本当は「また一緒にバンドやろう」と言おうとした。
失われた4年間を取り戻そう。そう言おうとした。
幼馴染に戻ろう。そう言いたかった。
でも、その気持ちは急激にしぼんで、消えた。
きっと私が「一緒にやろう」と言っても、リョウは“一瞬だけ”冷たい顔をするだろう。もしリョウが「いいよ」と言っても、その一瞬の“冷たい顔”が私の胸の内に残り続けるのだ。そしてバンド仲間に戻っても、幼馴染に戻っても、その冷たい顔が忘れられず、私はリョウとの距離を感じることになるだろう。
しかしそんな被害妄想すら——現実にはならないのだ。
「じゃあ私、バンド練あるから。また」
「あ、うん……」
ケーキを食べ終えたリョウはお金を置くと、ベースを担いで店を出ていった。引き止めることはできなかった。リョウが振り返ることはなかった。
テーブルのお金を見る。千円札が2枚。つまりは2000円。会計は1820円。お釣りは180円。
リョウと私の関係は、2000―1820で。私は180円の価値で。
そんな頭の悪い感情計算が思い浮かんだ。
「バカだなぁ、私」
私はテーブルに突っ伏した。
カランと、リョウのグラスの氷が鳴った。
ゼミの先生からの頼まれごとで、別の大学を訪れた。
私のゼミはロクな学生がいないので、私が頼られることが多い。大学生は自分勝手だ。
教授の仕事を終え、帰ろうとした時だった。
大学入口の掲示板に大きなポスターが貼られていた。
10人ぐらいの女の子が笑っている。どうやらアイドルらしい。しかも学内アイドルだ。
彼女たちは全員キラキラしている。ちゃんときれいでかわいい。さすがアイドル——。
「え?」
センターに立つ女の子に、見覚えがあった。
赤い髪に赤い目。大人びていているが、ちょっぴり甘い顔をしていて。
「喜多ちゃんだ……」
大学生の喜多ちゃんは、高校時代からかなりきれいになっていた。
なんというかやっぱり、と言った感じで。化粧をした喜多ちゃんは絶世の美女だった。
「こんなきれいな子とバンド組んでたのか、私……」
「あれっ? 伊地知先輩!?」
「おわっ!?」
あまりにも突然かつ偶然すぎて、飛び退いてしまった。
声をかけてきたのは、本物の喜多ちゃんだった。
ポスターからそのまま飛び出してきたかのようにキラキラしている。
「お久しぶりです、先輩! 今講義が終わったばっかりなんですよ」
「ひ、久しぶり。喜多ちゃん」
私がちらりとポスターを見る。
その視線を喜多ちゃんが逃すはずがない。
「ああ、そうなんです。私たちのアイドルグループ、メジャーデビューするんですよ! みんな可愛くて、曲もいいし、ダンスも上手ですよ!」
「喜多ちゃん、アイドルになってたんだね。バンドはしてないの?」
「はい……もうやめちゃいました」
申し訳無さそうに言う喜多ちゃんに、私は「そっかー」と愛想笑いをした。
やっぱり、喜多ちゃんは私と住む世界が違ったのだ。
陰キャならロックをやれというけれど、じゃあ陽キャは何をするのだろう?
その答えとして、喜多ちゃんは「アイドル」になったのだろう。
彼女にもうロックは必要ない。
陽キャとして、陽キャの場所に行くだけだ。
「あ、先輩イソスタやってます? もしよろしければ、相互フォローしません?」
住んでいる世界が違うということは。
つまりこれから先、私と交わることもないということだ。
「あははー……ごめん、やってないや」
そうですか、と喜多ちゃんはしゅんとした顔をした。
この大げさな表情も、アイドル仕込みなのだろう。高校時代から上手だったけど、もっと上手になっていた。
やっぱりみんな、大学生になって変わったんだ。
リョウもそうだし、喜多ちゃんもそう。
変わってないのは、私だけ。
「いけない! これからレッスンだった! 伊地知先輩、またロインしますね!」
「あ、うん……がんばってね」
「ありがとうございます!」
喜多ちゃんは手を振って門を出ていった。
わかっているのは、多分これから会うこともないだろうということ。
この4年間に会わなかったのなら、そういうことだ。
リョウに、喜多ちゃん。
こんな奇跡的に元バンドメンバーに会えたのなら、やっぱり”あの子”にも会いたくなった。
彼女は最後まで結束バンドにいてくれたから。
今回は私から会いに行くことにした。
そうでもしないと彼女には会えないだろうし。
ロインを送ろうとしたけど、4年ぶりに送る勇気は出なかったので、彼女の実家に行くことにした。
「ぼっちちゃんは、なにをしてるんだろ」
大学生になったのかな。でも学校嫌だって言ってたし、引きこもりだったりして。
そんな疑問を胸に、電車に乗った。
電車に乗るのもいつぶりだろう?
神奈川県横浜市——君の家まで。
ぼうっとしていたから、目的地まであっという間にたどり着いた。ぼっちちゃんの家の場所は覚えていた。それぐらい私にとって印象深かったのだろう。懐かしい高校時代。そして、ぼっちちゃんの家も、高校時代のままだった。変わらないことに安堵する。
家の前でチャイムを押そうとする。
指が震えた。いくらぼっちちゃんでも、久しぶりに会うのは怖かった。
でもここまで来たんだ。勇気を出して、ぐっボタンと押した。
「はーい、どなた?……って、あれ!」
出てきたのは、ぼっちちゃんのお母さんだった。あの頃と変わらずきれいなお母さんだ。
私はペコリと頭を下げた。
「虹夏ちゃんじゃない! 久しぶりね〜元気にしてた?」
「あ、はい。おかげさまで……」
と、そこでドタバタと足音がした。
お母さんの後ろからひょっこりとお父さんが出てきた。
「お! 久しぶりだね、虹夏ちゃん!」
「はい、お久しぶりです」
「あー! 虹夏ちゃんだ!!」
「アウアウッ!」
さらにひょっこり出てきた、ぼっちちゃんの妹のふたりちゃんと、犬のジミヘン。
まさかひとりの来客に家族が集合するとは。
「本当にに久しぶりね。4年ぶりくらいかしら?」
「はい。そのぐらいだと思います」
「大学行ったって聞いたよ。毎日大変でしょ?」
「まぁ、そうですね」
「虹夏ちゃん一緒に遊ぼーよ!」
「アウ〜ッ!」
「久しぶりだね。ふたりちゃん、ジミヘン」
わいわいと話しかけてくれる後藤家に、なんだか涙が出そうになる。
「そういえば、ぼっちちゃ……ひとりちゃんはどうしてますか?」
「あぁ多分、上で寝てると思うわ」
寝てるってことは、引きこもりなのかな。
あんまり聞くに聞けない内容だ。
と思っていると、ご両親はニヤニヤとした顔を浮かべていた。
「じつはね……ひとりが今すごいのよ!」
「え?」
「そうそう。なんとね……!」
「おねーちゃん、ゆーちゅーばーなんだよ〜」
「アウ〜ン!」
え!?
驚きのあまり、心の中で叫んでしまった。
というかぼっちちゃんがYouTuberって、喋れるようになったのかな?
「ギターヒーロー名義でずっとやってきたんだけど、ついにバズっちゃってさ!広告収入はすごいし、企業案件もこなしてるんだ。スーパースターなんだよ!」
「お父さんの年収も超えちゃったし、ウチ一番の稼ぎ頭なの」
「グサッ! ひどいよお母さん!」
「ね〜虹夏ちゃん遊ぼうよ〜ゲームしよ〜!」
気が遠くなるのを感じた。血の気が引いていく。
今ここにいる現実が、後藤一家との距離が、果てしなく遠く感じた。玄関で話しているのに、遥か彼方にいるようだった。
ここは、この人たちは——私が関わっていい世界ではない。
「やっぱり、ひとりちゃん起こしてこよっか?」
「あははー……また今度にします。ひとりちゃんにも申し訳ないですし」
「でも、4年ぶりなんでしょ? そんな長い期間、いったいどうして——」
私はばっと頭を下げた。
「すいません失礼します!」
逃げるように、後藤家を後にした。
私がぐずぐずしている間に、ぼっちちゃんはギターで大成して、人気になった。そんなキラキラしたぼっちちゃんに、今の私が会ってはいけない。こんな私が会ってしまったら、ぼっちちゃんを汚してしまう。
「ぼっちちゃんも、遠いところに行っちゃったんだなぁ」
ぼっちちゃんの明るい人生に、私の汚い人生はいらない。
ごとんごとん、と電車が揺れる。
平日の夕方、満員電車だった。ぎゅっと誰かに押された。くしゃみが首筋にかかった。男二人が卑猥な話をしていた。尻を触られた。息遣いの荒い男が後ろに立っていた。目の前で女性が化粧をしていた。赤ちゃんの鳴き声。鳴り続ける着信音。
ぼーっと窓の外を見る。茜色の夕日がビルの頂上に乗っていた。まばたきをするたびに夕日はどんどん沈んでいった。時間が経つのは早い。本当に早い……。
何も考えずに乗っていた電車は、いつの間にか降りていた。
そして私は実家にたどり着いていた。
帰巣本能とでも言おうか。無意識に足が向かっていたらしい。
ライブハウス『スターリー』。
お姉ちゃんが作ったライブハウス。人気バンドのフロントマンだったのに、それを辞めてまで作ったライブハウス。それは私のためだということは知っていた。お姉ちゃんはそう言ってないけど、そうだとわかる。私がバンドを始める!と言った同じタイミングでライブハウスができたのだから。
でも、私は逃げてしまった。
お姉ちゃんが作ってくれたライブハウスに行かないで、クソみたいな大学生活を送っている。結束バンドを解散し、バンドもろくにやらず、大学のくだらない男と寝ている。
スターリーには行かずに階段を登った。三階まで行く。玄関は鍵が閉まっていたけれど、鍵の場所はわかる。飾られたサボテンの植木鉢の下。お姉ちゃんは鍵を持ち歩かないタイプだ。
玄関を開ける。誰もいない。4年ぶりの実家。下からライブの音漏れが聞こえる。お姉ちゃんは仕事中らしい。4年間も会っていない。いまさら合わせる顔もない。
部屋には何もなかった。お姉ちゃんはライブハウスに入り浸っていたし、私の物は一人暮らしのアパートに移した。かつてあったリョウの私物は、高校卒業の時に彼女が全部持ち出した。だからほぼ空のような家だった。
なにもない自分の部屋で、ごろんと寝転がった。
茜色の光が窓から差し込んでいた。背中に重低音の振動を感じる。あ、ドラムがちょっともたついている。でもベースは安定してる。ボーカルは女の子の声だ。ギターはちょっと聴こえないけどどうだろう。
いったいどんなバンドなのかな。どんな人が演奏してるのかな。どんな——。
「なんで、ほんのちょっとの違和感を大きくしたんだろ」
急に込み上げてきたのは、結束バンドへの後悔だった。
バンド活動でメンバー同士の行き違いなんて、いくらでも起こる。有名なバンドだってモチベーションの違いで解散・活動休止するんだ。誰だってそうなる可能性がある。
でもじゃあ、私達は解散するほどだったのか? なんとかすれば解散せずに済んだのかもしれない。私が“ほんのちょっとの違和感”を大きくしなければ。ちょっとだけ感じたメンバーへの違和感を増幅させなければ。もしかしたら、解散しなかったかもしれない。
でも、こうも考えられる。
『結束バンドは、解散する運命だったのだ』と。
あの時に解散を回避しても、結局は後々同じような異変が生じて、結局同じような行き違いをして、解散する。もしもタイムスリップかタイムリープしてあの頃に戻ったとしても、運命は変えられずに、結束バンドは“必ず”解散する。
いや、こんな結果論は心の慰めをしたいだけだ。そうでもしないと私の心が壊れてしまうから。「本当は私のせいなのではないか?」と思いたくないから。
私は悪くないと思いたいだけ。
虹夏は悪くないと言われたいだけ。
悪いのは”運命”なんだ。
そうやって”なにか”のせいにしたいだけ。
「最低だね、私って」
今の私には、何もない。
音楽も、友達も、居場所も、なにもかも失った。
じゃあ、私が生きる意味って?
そんなもの、何もないんじゃないの?
「なにもないなら……」
気付けば窓を開けていた。
窓の下、3階下には薄暗い路地裏が伸びている。
子どもの頃は怖くて通りたくなかった場所だ。
下を見ていると、吸い込まれる感覚になる。
「飛んじゃおう」
窓の縁に足を掛ける。
そうだ。すべてを終わりにしてしまおう。
失うものがないのなら、最期は命を失えばいい。
だって、私の人生は、もう。
(私+期待―不安)×音楽=0 だから。
「なんてさ……そんな度胸あるわけないじゃん」
飛べない魚。
私は窓を閉めた。そして床に寝た。
もうなにもかもどうでもよかった。考えるのも疲れた。
音漏れする拙い演奏を子守唄に、目を閉じた。
『このバンドは、どんなバンドですか?』
夢の中では、結束バンドがデビューしていた。
“音ステ”で4人が並んで。
演奏前に司会者とトークして。
喜多ちゃんが笑顔で受け答えして。
リョウが無表情で。
ぼっちちゃんがセリフを噛んで。
それで、リーダーの私がこう質問されるのだ。
『このバンドは、どんなバンドですか?』
事前に用意されていない、急な質問だった。
しかし私は迷わずにこう言うのだ。
「最高のバンドです!!」
こんな未来があったら、よかったのになぁ。
いつの間にか部屋は真っ暗になっていた。
スマートフォンをタップし、明るすぎる光に目を細める。
時間は12時を過ぎていた。終電はもうなくなっている。
「家に帰らないと……」
身体を起こす。目元がじっとりと濡れていた。夢の中でも泣いていたのだろうか。不思議と心はすっきりしていた。泣ききったからだろう。涙なんてここのところ全然流してなかったから。涙を流すと気持ちがよい——そういうことだ。
「家に帰らないと」
持つものはなにもない。そのまま元の居場所に帰るだけだ。クソみたいな大学生活に。
楽器を捨てて、夢を捨てて、友達を捨てて、私の彼氏や大学生たちのいる掃き溜めの場所へ。
帰らなきゃ。私の汚い場所へ——。
ピンポーン。
「……え?」
鳴った。
インターホンが? こんな夜中に?
お姉ちゃんの知り合いだろうか。
音漏れは聴こえなくなっているし、この時間はスターリーも閉まっているから、上に来たのだろう。
ピンポン、ピンポン、ピンポーン。
鳴り止まないどころか、連打されている。
まるで中に人がいることを確信しているように。
なんなんだろう。お姉ちゃんの知り合いではないのか?
ピンポーン。
じゃあ、この人はいったい何をしに来たのだろう?
この人は、誰なのだろう?
「………」
出るか迷った。
私には関係のない人だろうし、お姉ちゃんの知り合いに会って話をするのも面倒だ。「あら妹さん? 星歌さんの妹でしょ? バンドしてるんじゃないの? 大学生?」そんな質問に「すいません、クズ大学生なんです」なんて言わなきゃいけないなんて、嫌だ。
ピンポーン。
でも、インターホンは鳴り続けている。
まるで私“伊地知虹夏”がここにいるとわかっているように。
「…………」
さんざん迷った末に、出ることにした。
別に誰だっていいじゃないか。
適当にあしらえばいい。今までそうしてきたように。作り笑顔を浮かべて。
「はいはーい、どちらさまですかー?」
扉を開けると、玄関の向こうには3人立っていた。
そう、きっちり3人なのだ。2人でも4人でもない。”3人”。
色にするなら——赤、ピンク、青。
「なんで」
私は凍りついた。そして、震える声で言った。
「なんでここにいるの……?」
そこには、結束バンドの3人——喜多ちゃん、ぼっちちゃん、リョウがいたのだ。
まるで夢のような光景だった。集まるはずがない、解散したはずのバンドメンバーが全員、目の前にいた。
「なんでって、今日は伊地知先輩の誕生日ですから」
昨日は5月28日。今日は日付が変わって5月29日。つまり私の誕生日。
言っていることは理解できる。
でも、だからといって。
「4年も会ってなかったじゃん。なんで突然?」
「久しぶりに会ったでしょ。せっかくだから集まろうって」
「ぼっちちゃんには会ってないし」
「お、お母さんが虹夏ちゃんが来たって……寝ていたので、急いで追いかけたんですけど」
「そしたら街で偶然ぼっちと再会して、しかも郁代も来たんだ」
「本当に偶然だったんです。だから、これはなにかの運命じゃないかって」
運命。
そんな言葉が私の中に反響する。
「あ、あははー……運命だなんて、そんなのあるわけないじゃん」
「また結束バンドが集まる、運命の日だって——」
「やめてッ!!」
私は叫んだ。
そして全身の血液がゆっくりと冷めていくのを感じた。
「来てくれたのは嬉しいよ……4年ぶりに集まれたのは、ほんとに嬉しい」
「伊地知先輩」
「でも、みんなにはみんなの人生があるでしょ。みんなは結束バンドがなくても、キラキラした人生を送ってるじゃん」
「虹夏」
「もうみんなに、結束バンドはいらないでしょッ!!」
私はうつむいた。こぼれてきた涙を見られないために。
視界にみんなの靴が映った。茶色の革靴はリョウで、赤いスニーカーは喜多ちゃん。ぼっちちゃんはローファー。
ここだけは、あの頃のまんまだった。
「だから……ごめん。来てくれてありがと……さよなら」
興奮で混乱した頭のまま、私は強引にドアノブを引いた。
この扉が閉まったら——もう扉を開けない。
インターホンが鳴っても、扉を叩かれても、外で叫ばれても、絶対に開けない。
心に堅く鍵をかけて、私はひとりで生きるのだ。
誰にも頼らず、誰も信用せず、ひとりで。
「あっ、あっ……虹夏ちゃんっ!!」
バン、と扉が閉まった時だった。
「い、痛っ!!」
扉の隙間から、誰かの指が飛び出していた。
聞こえてきたのは、ぼっちちゃんの悲鳴だった。
「だ、だいじょうぶっ!? ぼっちちゃん!?」
私は反射的に扉を開けた。
その隙をリョウは逃さなかった。ぐっと扉の間に靴を入れた。
「あっ……」
私は逃げられなかった。
リョウと喜多ちゃんの視線は、ぼっちちゃんに向けられた。
「わ、わたしっ……に、虹夏ちゃんに、救われたんです」
挟まれた指を押さえながら、ぼっちちゃんは言った。
「バンドをしたかった私を誘ってくれて……虹夏ちゃんと会ってなかったら、私……今ギター弾いてないです」
「ぼっちちゃん」
「それにまだ、恩返しできてないから……」
私は首を振った。
「ぼっちちゃん。今はYouTubeでギター弾いて稼いでるんでしょ? 売れてるんだからさ、そっちのほうを大切にしたほうが絶対にいいと思うよ」
「だって……結束バンドを最高のバンドにするために、最高のギタリストを目指してたんです」
「だからってさ、全く稼げないバンドなんかしなくても」
「私はっ! 結束バンドが、好きだからっ!!」
私は口を閉ざした。
ぼっちちゃんは……結束バンドが解散しても、結束バンドのことを思って、ずっとギターを弾き続けていたのだ。4年も会っていないのに。ずっと、ひとりで。
「私もバンドしたいです」
喜多ちゃんが言う。
「やっぱり楽器を弾くのも楽しいなぁって思いますし……それに、結束バンドのみんなと一緒にいるの、好きでしたから」
「喜多ちゃん……」
「それは、ここに来る前に3人で言ってたことです」
「そういうこと」
リョウが言う。
「正直、売れるためにやってた時は苦しかった。またあの頃のような閉塞感があって、つらかったんだ」
高校1年生の頃に、リョウが前のバンドを抜けたことがあった。
彼女は「もう音楽なんてしない」とまで言うほどだった。
そんな彼女を私は無理やり引き戻した。遠い昔の話。
「でも、結束バンドを辞めた後に気付いた。なんだか物足りないって。それは楽しく好きなように、みんなとバンドができてたからなんだって」
「……リョウはいつも自由だったよね」
「うん。虹夏はそれを許してくれてた。そうでしょ?」
3人が私を見る。後は虹夏だけだ、と言われているようだった。
解散した結束バンド。それが今、再結成しようとしている。
私がどう言うか——それが全てだった。
「私は……結束バンドを解散してから、悪夢のような日々だったよ」
ぽつぽつと、独り言のように続けた。
「大学生になって、結束バンドの代わりができるかなと思ったけど、全くそんなことなかったし。みんな適当に音楽やってるだけだし。気の合う友達もできなかった。どんどん音楽が嫌になって、ドラムもやめた」
4年間溜め込んできた後悔と本音。
誰にも話さなかったことが、すんなりと言葉に出てくる。
「あの頃は焦ってたんだ。売れようと必死になりすぎてた……大事なことは売れることなんかじゃなかったんだ。みんなのいない4年間が、すごくつらかった。みんなとバンドできなくて、つらかった」
私は笑ってみせた。
そのつもりだったのに、頬は涙で濡れていた。しずくを手の甲で拭う。
「ごめんね、みんな。私の勝手に付き合ってくれてさ。だから……」
私は頭を下げた。
「また一緒に、バンドしてください」
静寂が訪れる。
その沈黙が怖かった。
冷たい顔をされていたらと思うと、顔を上げられなかった。
でも勇気を出して、顔を上げた。
3人の顔を見て……私は驚いた。
「やりましょう!」
「やろう」
「や、やります!」
急に近づいてきて、ぎゅっと抱きしめられた。
こんなこと、今までやったことなかったじゃん。
でも久しぶりに——こんな温かい手に触れたような気がした。
「ありがとう、みんな」
結束バンドは再結成した。
一度は解けたバンドだけど……また結べばいい。
これからまた途切れても、また。
「そうと決まれば! 新たな門出に、伊地知先輩の誕生日祝わないと!」
「ぼっち、クラッカーの準備して」
「あ、はいっ! バイブス上げていきましょーっ!」
これが現実とは、とても思えなかった。
私は久しぶりに大声を出して笑った。
「あはは! みんな、張り切りすぎだよ!」
絶対、忘れてやらないよ。
いつか死ぬまで、何回だって。
こんなこともあったって——笑ってやんのさ。