無愛想監督生とツイステッドワンダーランド   作:秋元琶耶

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無愛想監督生と秘密の共有

クルーウェル先生に相談した結果、再度トレイン先生たちも交えて話し合いをして、オクタヴィネルの例の三人には私の性別を明かすことになった。

というのも、理由はわからなけれどすでにあの三人は私が女だと確信している以上、今更下手に誤魔化す方が面倒なことになると先生方は判断したのだ。

魔法薬を使って一時的に忘れさせたとしても後々問題になりそうだし、だったらもういっそバラしてしまえ、ということらしい。

その考え方には私も賛成だったので、翌日クルーウェル先生の研究室に三人を呼び出してもらい、早速事の顛末を説明することにした。

 

私はクルーウェル先生の後ろに立ち、黙って三人の反応を眺めた。

思いのほか静かに話を聞いていた彼らは、先生がすっかり話し終えると呆れたように云った。

 

「完全に学園側の不手際じゃないですか」

「思ったより大問題でしたねぇ」

「小エビちゃんちょ~被害者じゃん、かーわいそぉ」

 

まぁ、概ねそれぞれ予想通りの反応だ。

幸いなのは、これ見よがしな同情をされなかったこと。

フロイド先輩は私を可哀想だと云ったけれど、それが心からのものでないことくらいわかる。普通に考えて、こんなとんでもない事故に巻き込まれたこと自体が可哀想なのだ。私のことを可哀想だと感じた上での発言ではない。ジェイド先輩に至っては気の毒そうなのは顔だけで、腹の中では爆笑しているのが手に取るように分かる。彼は案外クソ野郎だ。

アーシェングロット先輩の呆れ顔は本気だろうが、そこにあるのは学園に対しての呆れであって、私個人に対してどう考えているのかはいまいちわからない。ただ、まぁ、リーチ兄弟よりは、多少は、私を気遣ってくれているような気がする。当社比だしほぼ誤差みたいなものだろうが。

ちなみに、私が異世界から来た、ということに関しては、妙なことだけれど言及はなかった。

根掘り葉掘り訊かれることも覚悟していたので、これは嬉しい拍子抜けだ。――のちに、VIPルームに軟禁されて彼らの知識欲が満足するまで質疑応答に付き合わされたということは未来の私から明記しておきたい。

 

ともあれ私の置かれた状況について、彼らはあっさりと納得してくれた。

まぁ、元々私を女だと疑ってあれやこれやしていたのだから今さら納得もクソもないだろうが、少なくとも『何故女がナイトレイブンカレッジに?』という最大級の疑問は解決出来ただろう。

あとはこのことを口外しないようクルーウェル先生から云いつけてもらって終わり、だと思っていたのだけれど。

 

「そう、これは学園側の不手際だ。仔犬に非は一切ない。よって今後、少なくとも学園在学中は仔犬の責任はこちらで持つことになった。保障も手厚くする」

「なるほど」

 

ごもっとも、としたり顔で頷くアーシェングロット先輩は、一体どこの立場の人なんだろう。なんでこの人、私の保護者面してるのかさっぱりわからない。

そんな私の表情がスンッとなったことに気付いたかどうかは知らないけれど、クルーウェル先生は一つ、大きくわざとらしい咳をした。

 

「で、だ」

 

組んだ手を顔の前に持ってきて、膝に肘を乗せて。

怖いポーズだった。

完全に怖い人の怖いポーズだった。

もしこれが自分に向けられていたら恐怖で動けなかったかもしれない。が、幸いなことにこれは私ではなく、あの三人に向けられている。

クルーウェル先生は、凄みのある笑顔を浮かべて云った。

 

「お前たち、最近仔犬に付きまとっていたらしいな?」

 

先輩たちに事情を説明することしか事前に打ち合わせしていなかったから、一体先生は何を云うのかと身構えていた私は少しホッとした。なるほど、その件も今まとめて話すのか。それならそうと事前に云ってほしかった。心臓に悪い。

 

付きまとう、というのは語弊のある云い方のように思えるけれど、あながち間違いでもない。

私を女だとわかった上での行動であれば、それが褒められたことではないと彼らも多少は思うところがあったらしい。あからさまに視線を逸らしたり顔を逸らしたりしている様子に、私がジト目になっても仕方ないと思う。

そうしてふと気付く。いくら彼らが普段飄々としていても、誰だって先生に怒られるのは嫌なのだ。ならば私が今取るべき行動は一つだった。

 

「クルーウェル先生、私、先輩たちに追いかけられてとっても怖かったです」

「あっこら監督生さん!?」

「ステイ、仔犬に近付くな駄犬ども」

 

しくしくと泣き真似で先生に縋ると、ズルい、と云わんばかりにアーシェングロット先輩が声を上げる。ズルいのはそっちだ。好きなだけ男三人でか弱い女を追い回したのだから、精々怒られればいい。字面が酷い、本当に酷い。

案の定、クルーウェル先生は嘘泣きを見破っているだろうに、まるで幼女を労わるような優しい目で私を匿い、親の仇でも見るような鋭い目で先輩たちを制した。本当に頼れる先生で嬉しい。

 

「お前たちに仔犬の事情を話したのは、信用したからではない。無用な追究を止めさせるためだ」

 

つまり、こういうことだ。

私が諸々の事情を抱えた状態で性別を詐称したまま学園に在籍することは、もはや学園としての決定事項。

彼らがその事実を知ったところで私にも学園にも些末なことであり、もしもこのことで私や学園を脅そうものならば覚悟しろよ、と。

いくら先輩たちが優秀であっても、所詮はまだ学生だ。本職の魔法士や本気を出した教員を敵に回して無事に済むわけがない。

ちょっかいをかけたいのはわかったから、今後も続けるのなら相応の代償がつくぞ、ということだった。

 

このとき私は心から感動していた。

学園長が頼りにならない上に胡散臭いのはこの数か月で嫌というほどわかっていたが、代わりに他の先生方が頼りになりすぎる。

クルーウェル先生が私の担任であることを加味しても、ものすごく大事にされているのではないだろうか。うっかりすると感動で泣きそうだった。涙なんて出ないのだけれど。

 

私が女だとわかったとき、先生たちは明らかに動揺していた。

けれどすぐに親身になってくれた。

恐らくこれまで数か月間何も気付かず放っておいたことへの罪悪感なのだろうが、それでも私は嬉しかった。

ここが人でなし集団の巣窟ではなく、限りなくそれに近いものはあったとしても腐っても教育機関で彼らが教育者であることに感謝した。

絶対に面倒だし、大変だと思う。

それくらい私の存在と云うのはイレギュラーだ。誰より私がそう思っている。

でも、守ってくれると約束してくれた。

追い出さないとはっきり云ってくれた。

それはとても心強くて、ありがたくて、感謝してもしきれないものだった。

胸の奥がじん割と熱くなって、私は自然と頭を下げていた。

ありがとうございます、という言葉は、もしかしたらかすれていたかもしれない。頭に乗ったクルーウェル先生の手が、肩を叩くトレイン先生の手が、背中を撫でるバルガス先生の手が、温かくて優しかったことをきっと私は忘れないだろう。

と、私が感動を思い出して噛みしめていると、すみません、とアーシェングロット先輩が挙手をした。

 

「誤解があるようですので弁明させてください」

「許そう」

 

鷹揚に頷いたクルーウェル先生に、慇懃に一礼したアーシェングロット先輩は続けた。

 

「まず僕たちは彼女に危害を与えるつもりはありません。単純な話、どうして男子校に女性がいるのか気になったんです」

 

単純、というところには些か引っかかったけれど、嘘ではなさそうだった。しかしそれがすべてではなく、その原因がわかってからは『どうやってこいつを利用してやろう』と目論んでいたのは明白だ。弱味を握っていいように使ってやろうという魂胆は見え見えだった。

もちろんそんなことを考えていたとは億尾にも出さない紳士の表情で弁明するアーシェングロット先輩に、教師・クルーウェルは鋭く云った。

 

「そもそも何故お前たちは仔犬が女性だと気付いた? 誤認魔法がかかっていただろう」

 

教員たちですら誤認させる強力な魔法がね。

とはさすがに云わない。いくら私でもそこまで無神経ではないつもりだ。

が、私の気遣いを簡単に飛び越える無神経が、一人いたことを失念していた。

 

「あ、それねぇ、オレの勘」

 

アハッと笑い、フロイド先輩が云う。

たっぷり5秒ほど沈黙してから、クルーウェル先生は静かに首を傾げた。

 

「……勘?」

「ええ、フロイドの勘は頼りになるので」

 

追い打ちのようなアーシェングロット先輩の言葉で、クルーウェル先生が頭を抱えたのも無理はないと思う。

この学園の教師が、あの学園長室での会話まで微塵も私が女である可能性に気付きもしなかったというのに、このウツボは勘で真実を見抜き、そして彼らは全員がそれを真実と確信したというのか。

教師ですら、異例の監督生に魔法が掛けられている事実に気付かなかったというのに。

あまりにも気の毒すぎて、ここで私が気遣う声をかけたら余計に傷つけるような気がしたのでグッと堪える。今度、レーズンバターサンドを作って差し入れよう。

 

前にも云ったけれど、真実を知った上で学園に在籍することを先生たちが容認してくれただけで私は十分恵まれているのだから、本当に気にしなくていいと思っていた。

一癖も二癖もあるし、お世辞にも誠実とは云えない人たちだけれど、彼らは本当に優しい人たちだ。

魔法も使えず魔力もない、小さな存在である私を守ろうとしてくれている先生と、下手くそな優しさを与えてくれた先輩たち。

私は、黙っているわけにはいかなかった。

 

「先生、私も一つだけ」

 

のろのろと顔を上げてた先生の促すような視線を受け、口を開く。先輩たちが多少身構えたのが視界の端に見えたけれど、構わずに。

 

「確かに先輩たちはしつこかったし面倒だったし圧がすごかったですけど」

「ちょっと」

 

抗議のために声を上げようとしたアーシェングロット先輩を片手で遮って、私は続けた。

 

「彼らは、本当に嫌なことは一つもしてきませんでした」

 

なんなら、あれは彼らなりの優しさだったのではないかと今は思う。

私は魔法が使えず、魔力もない。その上女のくせに男の振りをして、他の生徒と同じように生活しなければならない。

三人のうちの誰かが同じ授業を取っていたら、何かと理由をつけて傍にいてくれたしペアを組んでくれた。トラッポラもスペードもハウルもグリムとも一緒にいられないときや、学園内でも人気のない場所に行かなければならないときは、どこからか情報を得てくっついてきてくれた。

思えば、彼らに付きまとわれるようになって以降、私は学園内でほとんど一人になったことがない。寮や図書室では別だけど、移動の間もなんだかんだと誰かが傍にいてくれたから。

だからだろう、それまでは当たり前のように浴びせられていた陰口がぴたりと止んだ。

こそこそひそひそ、時にはわざと聞こえるように嫌味を云っていた人たちの姿を見ることも減っていったのは、今考えれば先輩たちが何か手を回してくれたのだろう。何をしたのかは怖いので考えないようにする。聞いてもどうせ教えてくれなさそうだし。

そうしていたと、彼らが認めることはないだろう。

恩を売りたいのならばそうするのが一番なのに、変なところでこの人たちは律儀だ。それとも、女相手にそんなことは出来ない、とでもいうのだろうか。そのあたりはちょっとわからない。

でも、だから私も面と向かってお礼なんて云わないし、云う必要もなかった。

でも、だからこそ、私は今口を開く。

 

「そこだけは、評価していただいてよろしいかと」

 

営業スマイルでも、上辺だけでもない笑顔を浮かべる。

本心だ。

しつこかったし面倒だったし圧がすごかったのも全部本当のことだけれど、私は結局のところ彼らを本気で拒絶する気にはなれなかった。

守られている、と気付いたのは、多分彼らがあまりにも丁重に私を扱ったから。

気に入らないものは誰であろうと絞めるウツボが、笑顔の下で凶悪な言葉のナイフを操るウツボが、親切と慈悲を笠に着た胡散臭い支配人が、だけど私にだけはそっと寄り添ってくれていたことに気付けないほど、私は鈍感ではいられない。

例え裏があったのだとしても、それは優しさをなかったことにするほどのものではないだろう。

そう、私は確かに、彼らに守られていた。

 

しばらく私の顔をじっと見つめていたクルーウェル先生は、ややあって大きく息を吐き出した。

それから、まるで聞き分けの悪い子供を見るような、けれどとびきり優しい目で私を見て、云う。

 

「お前がそう云うのなら、評価しよう」

「ありがとうございます」

 

ありったけの誠意をもって笑顔を浮かべ、先生に頭を下げる。

それから静かに三人を見て、更に笑顔。

私を見た先輩たちは、アーシェングロット先輩は嫌そうに、ジェイド先輩は困ったように(困ってないくせに!)、フロイド先輩はおかしそうにそれぞれ表情を歪めた。

彼らは私の笑顔の意味を正確に読み取ったのだ。

 

『これで貸し一つですね』

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

扉を開けたらそこには、イケメンパラダイス。

 

「…………。」

「何無言で閉めようとしてるんですか」

 

残念ながら閉め切る前にアーシェングロット先輩の手によって阻まれてしまった。余計なことを。

 

オクタヴィネル三人衆に私の秘密を共有させてから数日後のことである。

何故か私は、ラウンジの仕事に行ったはずなのに鏡の間に向かわされていた。遠回しにクビなのかと思ってジェイド先輩に訊ねると、『あなたには別の仕事が待っています』と綺麗な笑顔で宣われた。面倒事の予感はこの時点であった。が、悲しいかな、グリムの明るい食事のために働く必要のある私には拒否権なんてない。

しぶしぶ云われた通りに鏡の間に向かい、無駄に重苦しいドアを開けたら中に威圧感たっぷりの人たちが集まっていて、その視線を独り占めしてしまった私の気持ちを誰かにわかってもらいたかった。普通にびっくりするし、怖いに決まっている。

 

残念ながら扉を閉めて見なかったことにすることは出来なかったので、諦めて一礼して私も鏡の間に足を踏み入れた。

これは、あれだろう。噂に聞く寮長会議。一般生徒なんてお呼びでない場所。

何故こんなところに私が呼び出されたのかさっぱりわからず、大人しくアーシェングロット先輩の後ろに控えながら小声で問い詰めた。

 

「どういうことです」

「今日、寮長たちに情報共有します」

「はい?」

「あなたについてですよ」

 

当然のように云われて唖然とする。それだけで何の話かくらい想像がつく。

 

「……必要ですか?」

「有事の際は素早く対応してもらうためです。全校生徒に知らせる必要はないですが、一部が知っている方が何かと便利ですから」

 

有事とは。

便利とは。

疑問は尽きないが、さすがにこれがアーシェングロット先輩の独断ではないことくらいわかる。学園長の思惑は知ったことではないけれど、クルーウェル先生は私のことを考えた上で情報共有の許可を出したに違いない。腑に落ちないところはあるけれど、まぁ、それが先生方の判断ならば私は従うまでだ。

おそらくアーシェングロット先輩が主導権を握って話してくれるのだろうし、私は大人しくしていよう。

 

というわけで会議が始まるまでこの微妙な空気に耐えねばならないことに憂鬱な気分になっていたら、ふと視線を感じた。顔を上げると、そこには見知った顔。

 

「やぁ、監督生。元気かい?」

「こんにちは、ローズハート先輩。おかげさまで」

「何か困ったことがあったらいつでもボクに云うといい。力になるよ」

「ありがとうございます、心強いです」

 

柔らかい笑顔を向けられ、私も自然と笑顔を浮かべる。ほっこり。

オクタヴィネルの三人と一緒にいるときとは終ぞ感じたことのない癒しを感じ、私は今とても心が穏やかになった。

やっぱりローズハート先輩は、笑顔が似合う。ストレスは良くない。可愛い人はいつだって可愛い表情でいるべきだ。ハートの女王の法律で決めてほしい。

 

「あなた、リドルさんには随分素直なんですね」

 

すると野暮な横やりを入れられた。もちろんアーシェングロット先輩である。

 

「人徳の差です」

「今誰と比べました?」

「心当たりがおありで?」

 

きょとんと首を傾げると、先輩はグッと息を飲んで顔を逸らした。弱い。

しかし最近、なんだかんだで一緒にいる時間が長くなってからは、こういうところを含めてアーシェングロット先輩なんだなぁと思うと、だんだん受け入れられるようになってきたから不思議だ。多分、慣れ。

 

「ハッ、相変わらずふてぶてしい草食動物だ」

 

聞き覚えのある声に、思わず私は目を眇める。そんな私を見てしまったローズハート先輩がビクッとしていたのは気のせいだろう。

舌打ちは堪えることに成功し、つまらなさそうに机に頬杖をついてこちらを見ていたキングスカラー先輩を振り返った。

 

「あなたは相変わらず偉そうですね。ついでに何度私は草食動物でないと云ったらわかりますか? その頭に付いた立派な耳はお飾りですか?」

「ああ? もっぺん云ってみろガキ」

「あなたに比べたらそりゃあ私たちはガキでしょう。ご自分の年齢ちゃんとわかってます? ああ、もしかして数も数えられませんか?」

「ちょっ、えっ、監督生さん?」

 

慌てた様子のアーシェングロット先輩が私を引っ張ってキングスカラー先輩から距離を取らせる。あっちはあっちでシェーンハイト先輩に頭を引っぱたかれていた。ははは、ざまぁみろ。舌を出したい気分は我慢して、思いっきり馬鹿にしたような顔を向けたところ、中指を立てられた。王族のくせにそんなことをしてもいいんだろうか。というかそのジェスチャー、こっちの世界にもあるのか。

 

で、何故こんなにアーシェングロット先輩は慌てているのかと考えて、そういえばこの人、キングスカラー先輩がオーバーブロットしたときの現場にはいなかったことに気が付いた。

あのとき私はキングスカラー先輩の発言のいちいちに腹が立って、最終的に顔面に右ストレートをお見舞いしてしまった。ぐちぐち自暴自棄で鬱陶しいことを云っていたせいでイラつきがマックスだったため、手加減なんて出来なかった。まぁ、全然後悔とか悪いとかは思っていないのだけれど。

そういうことがあったので、私とキングスカラー先輩は普通に仲が悪い。悪いというか、少なくとも私は彼に関わりたくない。だというのに向こうがちょっかいをかけてくるから受けて立っただけなのに、先輩は慌てすぎじゃないだろうか。

 

「ちょ、ちょっと落ち着いてください。彼を知らないわけではないでしょう?」

「夕焼けの草原の我が儘放蕩王子様」

「わかりました、学園長が来るまでお茶を淹れてください」

 

云うや否や先輩は魔法でティーセットを用意した。一体何がわかったんだろう。

支配人命令とあれば仕方なくお茶の準備を始めると、視界の端になにやらふよふよと浮かぶものが見えて思わず顔を上げる。

それはタブレット端末だった。もはやこの魔法の世界で虫やら鳥やら以外の無機物浮遊物があることには驚きはしないけれど、何故今この場にタブレット端末が、という疑問は残る。

すると。

 

『アズール氏、なんで今日はその子連れてきたの?』

 

しゃべった。

タブレットがしゃべった。

しかしこの場でこのことに驚いているのは私だけなので、彼らにとってはこれは日常的なことなのだろう。魔法の世界、すごい。いや、あれは魔法なのか、工学のほうなのか。気になる。そういえば魔導工学なる学問があることを耳にしたことがあったので、もしかするとそっちなのかもしれない。

内心タブレット端末のことが気になりつつも、お茶を入れる手を止めずに聞き耳を立てた。

 

「みなさんに少しお話があるからですよ」

「ざわざわ寮長を集めて、大した話じゃなかったらわかってるんでしょうね」

「まぁまぁヴィル、いいじゃねーか! 宴だと思えばさ!」

「宴ではないですね」

 

なんというか、寮長たちって個性的だ。

アーシェングロット先輩たちもなかなかだと思っていたけれど、この人たちはそれ以上な気がする。だって、アーシェングロット先輩がまともな人に見えてきたし。

 

カップに紅茶を注ぎながら、ふと思う。

この学園にある寮は全部で七つ。私が住む寮は抜いている。

しかしここに用意されているカップは六つだけだった。

そういえば鏡の間に入ったときは気が動転していて、この部屋に誰がいるのか確認できていなかったことを思い出した。なので改めて、顔を上げて部屋を見渡す。

ハーツラビュル寮のローズハート先輩、サバナクロー寮のキングスカラー先輩、オクタヴィネル寮のアーシェングロット先輩、スカラビア寮のアジーム先輩、ポムフィオーレ寮のシェーンハイト先輩。おそらくタブレット端末から聞こえてくる声がイグニハイド寮のシュラウド先輩だろう。となるとディアソムニア寮のドラコニア先輩の姿が見えない。存在感がなさ過ぎて気付かなかったということではなく、この部屋のどこにもいなさそうだ。呼ばれていないのだろうか。いじめだろうか。

この場に生身でいる、つまりお茶を飲めるのは5人で、しかしカップの数が六つということは、後から誰かがくるのかもしれない。

シュラウド先輩がタブレット参加なのはいつものことらしいので、もしかしたらドラコニア先輩が遅れてくるのか、と納得してひとまず五つ分だけ淹れて運んだ。

最後にアーシェングロット先輩に、最後の一つについて訊こうと傍に寄った瞬間、ソレはやってきた。

 

「すみません、遅れました!! あ、もう監督生さんが実は女性だって話終わっちゃいましたか!?」

 

「――――は……?」

 

時間が止まる、という経験はそうそう出来ないだろう。

しかしこのとき、確実に、この部屋の時間は止まっていた。

 

耳が痛くなるほどの静寂の後、私はそっと息を吐く。

 

「……アーシェングロット先輩」

「僕は何も見ないし、聞こえません」

 

最高だった。

未だ固まったままの寮長たちを置き去りに、私は静かに学園長に向かって歩く。

はっきり云おう。

 

私は怒っていた。

 

「えっ、あれ? どうしましたか監督生さん、なんで無言でこっちに来イッタ、えッ!? 待ってくださいなんで私の腕捻りあげてるんですかもげちゃう取れちゃうイタタタタタだ、誰か!! 助け待って待って関節はそっちには曲がらなイタイイタイ人体が出しちゃいけない音出してるんですけどアーシェングロットくん監督生さんを止めてくだギャアアアアアアアアアア!?!?!?」

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

「――というわけです」

 

使い物にならない学園長の代わりに、アーシェングロット先輩がすべて説明をしてくれた。さすが人前で話すのが慣れているようで、過不足なく私の事情を説明してくれる姿に思わず拍手を送りたくなった。本当、役立たずの学園長とは大違いだ。

その学園長は今自分の身体を抱き締めながらさめざめと涙を流して床と同衾している。二度と起きなければいいのに、という意味を込めて見下ろすと、パッと身体を起こして私から一番遠い席に移動した。一瞬だったから、きっと魔法だろう。あんな男でも優秀な魔法士だというのだから、この世はやっぱり不条理だ。

 

「……大変だったのだね」

「正直あの男……失礼、学園長がいなければもっと気楽でした」

「監督生さん、抑えて」

 

ローズハート先輩の気遣わし気な言葉に答えると、アーシェングロット先輩にどうどうと窘められ、思わず一つ舌打ちを零す。先輩方に対してではない。当然学園長に向けてである。

本当に余計なことしかしない役立たず。魔法士としては優秀なのかもしれないけれど、現在進行形でこの男のせいで私のストレスがマッハなのは事実だ。

頼むからもう二度と口を開かないでさっさと私が帰る方法を探して来い。

ちなみにさっきの件はあとでちゃんと先生方に報告するつもりなので、みっちり怒られればいいと思う。どうせ私の冷たい視線なんてなんとも思っていないくせに、怯えたように震える様子に死ぬほど腹が立つ。

 

「アンタは納得してるのね?」

 

そう云ったのはシェーンハイト先輩だった。

いっそ恐ろしいまでに整った女王様のような気品溢れる、美しい人。

会話するのはこれが初めてだけれど、彼の言葉には不思議と信用できる響きがあった。きっと彼は、私を案じてくれていると、そう思えた。

だからなるべく丁寧に答えを返す。

 

「はい。ここを出ても私に居場所はありませんから。だったら多少居心地が悪くとも、帰る方法を見つけるまではここに居座ってやろうと思っています」

「図太い精神で結構だわ」

 

褒められていると思っておこう。彼が浮かべた笑みは壮絶なものだったけれど、私に対する悪意は感じられなかった。

 

ひとまず寮長たちの反応は一人を除いて上々と云えるだろう。難しい顔はしていても、それは私に対する悪意ではなく、まさか由緒正しいナイトレイブンカレッジでこんな大事件が発生していたことに対する懸念だろう。むしろ、妙に気遣われるよりもシェーンハイト先輩のようにあっさりとした対応をしてくれたほうが私にはありがたい。

ちなみに、あからさまに不機嫌になっていた一人というのは、もちろんキングスカラー先輩である。

あの顔はきっと、女なんか面倒な存在さっさと追い出せ、と云いたいのだろう。残念ながら学園公認なのでそんなことはありえないので、せいぜい嫌がればいい。あの人の個人的な感情など私には関係ないのだから。

 

「先生方が調べたところ、監督生さんにかかった誤認魔法は相当強力なものらしく、並大抵のことでは解けることもないそうです」

「だったらわざわざ俺たちに教える必要なかったんじゃねえか? 俺たち獣人の鼻も誤魔化すほどのものなんだろう?」

「そのご意見はごもっともですが、万が一ということもあります」

 

そう、例えば先生たちも見破れなかった誤認魔法を勘だけで暴いた彼らのように、私が女であることに気付く生徒がいないとは云い切れない。

それこそ万が一の心配ではあっても、保険を掛けるには越したことがない、というのが学園側の意見だった。ちょっと過保護すぎる気もするけれど、守られている側の私からそんな文句は云えない。

 

「少なくとも寮長という立場であれば、例え他寮の生徒であっても保護するのはある程度の義務。今後もし監督生さんに何かあれば、それなりの対処をお願いします。……と本来であれば学園長の口から伝えて頂くはずだったんですがねぇ」

 

云って、アーシェングロット先輩は冷たい視線を学園長に送った。私もそれに倣う。すると学園長は、用事が出来たとか何とか云ってまたパッと姿を消してしまった。逃げたのだ。

 

個人的にはあの男には寝る間も惜しんで元の世界に帰る方法を探して欲しいのでいなくなってもらって構わないけれど、この場はどうやって終わるのだろう。

というか私、もう退出してもいいのではないだろうか。話すことは全部アーシェングロット先輩が話してくれたし、私が出来ることなどないのだから、ラウンジに戻ったほうがいくらかましだ。

が、それをアーシェングロット先輩に進言しようとしたまさにその瞬間。

 

「なぁ、だったら少し話そうぜ!」

「は」

「オレ、ほとんどお前と話したことなかったしさ。いい機会じゃん! あ、オレはカリムな。カリム・アルアジーム。カリムでいいぜ!」

 

圧倒的太陽の笑顔に目がくらむ。

咄嗟に助けを求めてアーシェングロット先輩を振り返ったが、先輩は諦めろと云わんばかりに首を横に振って肩を竦めていた。慈悲深い海の魔女の精神はどこに行ったのだ。薄情者め。

顔を前に戻すと、アジーム先輩は難しそうに眉間にしわを寄せて腕を組んで唸るように云った。

 

「いきなりお前がいなくなっちゃってさ、父ちゃんと母ちゃん、心配してるよなぁ」

 

まるで自分のことのように悲しそうな顔をした。ああ、まぁ、そういうことか。

が、その点については何も問題がない。

何故なら。

 

「いえ、両親は幼いころに事故で亡くしていますから、心配されるようなことはありませんよ」

 

ケロリと云うと、アジーム先輩だけでなくこの場にいる全員が驚いたようにこちらを見た。いや、だから、種類は違えど迫力のある顔面で一斉にこっち見られるといくらなんでも迫力がすごいんだけど。

 

「ご、ごめん……」

「もうほとんど覚えていませんから、お気になさらず」

「じゃあさ、他の家族とか友達とか、いるだろ?」

 

めげない人だ。

なんとか話題を作ろうと気を遣ってくれているのだと思う。なんというかこの人は、そういう人なのだろう。

決して空気が読めているわけではないけれど、人とのつながりを大事にしようと無条件で手を差し伸べてしまう、そういう人。このひねくれものばかりのナイトレイブンカレッジにあって稀有な存在な気がする。

私は彼のことをよく知らないし、知る必要も正直ないと思っているけれど、この穢れを知らなそうな輝かんばかりの笑顔を向けられては敵わない。

あまり自分のことを話したい気分ではないのも本音だけど、観念して私は小さく息を吐いた。

 

「兄が、一人」

 

思い出す。

目を閉じれば、私に笑顔を向けてくれる兄の姿が、今でも浮かぶ。

大切なたった一人の家族。

ああ、会いたい。

懐かしさに鼻の奥がツンとしたけれど、やっぱり涙が出る気配はなかった。私の涙は枯れてしまったんだろうか。

 

私が会話を切り捨てなかったことが嬉しかったのか、パッと太陽みたいに顔を輝かせたアジーム先輩はにっこにこ笑顔で云った。

 

「そっかぁ、兄ちゃんがいるのかぁ! オレもたくさん弟妹いるけどさ、やっぱ下の子は可愛がっちゃうんだよなぁ!」

「ええ。とても優しい兄です。きっと……私を心配しているでしょうね」

 

今までも、考えないではなかった。

私は、あちらではどういう扱いになっているのか、と。

少なくともあの日、私はいつも通りにベッドに入って眠ったはずだった。

だけど気付けばあの棺に収まっていたから、いつの間にか部屋から消えてしまったことになる。

貴重品など何も持たず、数時間前に兄におやすみと言葉を交わして、それっきり。

悩みはあっても年相応なものばかりだったと思うし、少なくとも失踪や自殺を仄めかす言動はしてこなかったはずだ。

何の前触れもなく、私は忽然とあの世界から切り離された。

 

「だから私は、早く帰らなければ」

 

帰って、ごめんなさいと伝えなければならない。

これ以上、兄の負担になるわけにはいかない。

そう改めて考えていると、嘲るような笑い声が上がった。

 

「ハッ、どうだか」

 

キングスカラー先輩の声だった。

面白がるその声に眉をひそめて、しかし、次に吐き出された言葉に、私は息を飲んだ。

 

「案外、お前がいなくなって清々してるかもな」

 

――ガツン、と。

 

『うっわぁレオナ氏……ないわぁ』

「ちょっと、レオナ先輩なんてことを!」

「本当にあんたって顔以外最悪ね。監督生、気にするんじゃないわよ」

「大丈夫だぞ監督生、お前の兄ちゃん、絶対そんなこと思ってないからな!」

 

頭を金槌で横殴りにされたような衝撃は、キングスカラー先輩の言葉が直接の原因ではなかった。

固まる私にかけられる気遣いの言葉は全部耳をすり抜けていった。

肩に触れたアーシェングロット先輩の手の温かさ、今は痛かった。

 

だって、そんなこと、云われなくてもわかってる。

だって、そんなの、その可能性があることに、誰でもなく私自身が一番最初に気付いていたのだから。

 

兄は私がいたから苦労した。

例え両親を事故で亡くしても、兄一人であれば然程苦労はなかっただろう。何せ両親が死んだとき兄はすでに義務教育は終わって自立した生活をしていた。兄だけであれば、そのままの生活を送れたはずだ。

だけど、私がいたから。

当時私はまだ5歳で、とてもじゃないが一人では生きていけない小さな子供だった。誰かの庇護がなければ、生きられなかった。

兄は、そんな私を見捨てず、ずっと優しく守って育ててくれた。

自分だって悲しくて苦しいのに、私が泣くから兄さんは泣けなかった。

私がいたから、兄さんはずっとずっと大変だった。

 

そんなの知ってる。

私が一番よく知ってる。

 

私が、兄の足枷なんだって、わかってた。

 

「――っはは、そう、その通りかもしれない」

 

零れ落ちたのは涙ではなく、笑いだった。

笑う。

嗤う。

これは自嘲だ。

きっとここで涙の一つも零せていれば可愛げもあっただろうに、泣き方なんて忘れて久しい私は、乾いた笑いを浮かべることしかできない。

予想外の反応に目を丸くするキングスカラー先輩と、ぎょっとしたように固まった先輩方を尻目に、私は続けた。

 

「私というお荷物がいなくなって、兄さんは自分のことだけ考えて生きていけるようになって、きっとその方が幸せに違いないわ。すごいですねキングスカラー先輩。きっとあなたは、私よりもずっと兄さんのことがよくわかっているんだわ」

「監督生さん、それは」

「でもね」

 

アーシェングロット先輩の手を振り払い、言葉を切る。

立ち上がり、キングスカラー先輩をまっすぐに見つめてはっきりと続けた。

 

「それは、私が勝手にいなくなって兄に迷惑をかけていい理由にはならない」

 

この世界のことは知らないけれど、少なくとも元の世界で女子高生が行方不明になるのはそこそこの事件だ。

なまじ、兄の仕事にも関連するからニュースなんかにも取りざたされる可能性もある。いくら不可抗力とはいえ、実の妹が行方不明だなんて外聞も悪い。

私は、いなくなっただけでも迷惑になるのだ。

 

「帰らなければいけない。兄さんにこれ以上迷惑をかけないために」

 

帰りたいから帰る、というのはある意味で間違いだ。

もしも、もしも。

もし、キングスカラー先輩の云うように、私がいなくなることで兄が幸せに暮らせるのなら、私は元の世界に帰らなくたっていいとすら思う。

だけど、ならばせめて、その旨は伝えなければ。

私は私の意思で兄のもとを去るのだと、探す必要も、心配も、何もないのだと伝えてから姿を消すのが、兄に対して出来る唯一のことだと私は思う。

 

「失礼します。これ以上私がここにいてもお邪魔でしょうから、退散しますよ」

 

引き留める声はなかった。

みんな石を飲み込んだみたいな顔で黙りこくって、お化けでも出たみたいに青い顔をしていた。ゴーストなんて、この世界じゃそこら中にいるのにね。

何だかんだでこの人たちはお人好しなのだな、と場違いに思いながら、私はさっさと鏡の間をあとにした。

時間と確認すると、まだラウンジが開いている時間だった。

いつもだったら混み合ってくるころだし、一応今日はラウンジ勤務の予定だったから、応援のために私はラウンジに足を向けた。確か今日はフロイド先輩がキッチンにいたはずだから、賄いは期待できるだろう。

 

そう。

私は、帰る。

帰らなければならない。

けれどそれは、今すぐに叶うことではないから。

帰った時、兄に再会したとき、胸を張っていられるように、私は今、自分に出来ることをする。

それだけが、私が今頑張れる理由だから。

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