無愛想監督生とツイステッドワンダーランド   作:秋元琶耶

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普段物静かな人がキレると怖いやつ


無愛想監督生は容赦しない

『アズール・アーシェングロットは監督生がお気に入りである』

 

そんな噂が広まるのに時間はかからなかった。

10月の終わりごろからオクタヴィネル寮内のモストロ・ラウンジでアルバイトを始めた監督生が、夜はアズールに送られて帰宅しているという目撃情報が多発したのだ。

あの自分に利益がなければ学園長の命令でも動かない、守銭奴でがめつくて性格捻じ曲がりすぎていっそ工芸品みたいになっているアズールが、何のメリットもないのに誰かを部屋まで送り届けるなんてただごとではない。

そういえばあの監督生、普段は信じられないくらい無愛想で無表情だけれど、ラウンジでのアルバイト中は完璧な営業スマイルを浮かべていたような。あれは営業スマイルだとわかっていてもときめきを禁じ得ないほど魅力的だ。

もしやアズール、あの笑顔に陥落したのだろうか。

否、そうに違いない。

だって監督生、男とは思えないくらい可愛いし。

 

将来は金と結婚してそうだと囁かれていたあのアズールが人を好きになるなんて、と感動し、彼らの今後を見守りたいと一部の生徒が後援会の発足をリーチ兄弟に持ち掛けるも、すでに自分たちが立ち上げ済みだと胸を張られ、面白おかしいことには常に全力な彼らに全力で乗っかろうとする者は多かった。寮生活で碌に娯楽もないから手近なところで娯楽を見出そうというのがメインだけれど、彼らを見守りたい気持ちに嘘はない。出来れば面白おかしく青春してほしい。

恋愛対象が多様化している世の中だからもちろん学園内には同性同士、異種間の恋人同士もいるけれど、だからといって誰も彼もが簡単に恋人を見つけられるわけではなかった。恋愛自由度が高い分、マッチングの難易度もあがっているのだ。

なので正直なところ、相手が同性といえどちゃっかり青春に片足を突っ込んでいるアズールに嫉妬しないでもないのだが、それ以上に『アズールの恋』が面白い。

そんなわけで、噂が真実かどうかは置いといて、アズールと監督生は大勢に行く末を見守られることになったのである。

 

ところが、それを面白く思わない生徒もいた。

過去にアズールと契約し、契約不履行の代償に何かを差し出したり、強制労働をさせられた経験のある生徒たちだ。つまり、アズールに逆恨みしている層の話である。

そんな彼らは考えた。

あの監督生は使える、と。

何せアズールに直接報復してやろうにも返り討ちにされたし、再度報復を試みても常に彼の傍らにいるウツボの双子が恐ろしい。

その点、監督生は魔法も使えず碌な使い魔も連れていない上に、特定の友人とつるむこともなく一人で行動していることが多い。

もし本当に監督生がアズールのお気に入りなのであれば、そのお気に入りをどうにかしてやればアズールの鼻を明かしてやれるのではないかと思ったのだ。

実に小物的な考え方だが、ある意味それは正しく的を射ている。

 

あんな女みたいにひょろひょろで魔法も使えないやつ、数人で囲んでしまえばどうとでも出来る。

そうしてボロボロになった監督生をアズールの前に引きずり出して笑ってやるのだ。

ざまぁみろ、アズール・アーシェングロット!

俺たちを虚仮にした報いを受けろ!!

 

――と、そうなると思っていた。

 

「……はぇ、あっ!?」

「…………」

 

主犯の男の目の前には、信じられない光景が広がっていた。

昼休みの大食堂で、人前で恥をかかせてやろうと監督生につっかかったのはつい数分前のこと。

力の差を見せつけてやるために、この日のためにアズールに恨みを持つ筋骨隆々の力自慢を集めた。きっとあの監督生は、何人もの筋肉だるまに囲まれたら恐ろしくて泣いてしまうだろうと思ったのだ。

その澄ました綺麗な顔が涙に濡れるのはさぞかし見物だろう、泣いて許しを請うのであれば勘弁してやっても構わない。そうだ、なんなら自分のものにしてやってもいい。本当は侍らせるなら女のほうがいいけれど、あの顔なら女とそう変わらない。あんな性根の腐った男のもとにいるよりも、自分の傍にいる方がきっと監督生は幸せだ。そうだ、そうしよう。

 

なんて考えていたら、男の横を何かが吹っ飛んでいった。

すごい風圧だった。

何事かと思って振り返ると、男が連れてきた獣人族の男が壁にぶつかって伸びていた。さっき吹っ飛んでいったのはその男だったらしい。

人って飛ぶんだろうか。いや飛ぶな、箒とか魔法でなら。あれ、だけどここは食堂だから誰も箒なんて持っていないし、魔法使ってまで壁に向かって飛ぶやついるか?

いまいち状況が把握できずに頭の上にハテナを飛ばしまくりながら固まっていると、小さなため息とともに静かな声が聞こえた。

 

「あとはあなただけですか」

「は、はぁッ!?」

「あら、言葉を忘れてしまいましたか? 怖い思いをさせてしまったようで申し訳ありません」

 

飛び上がって驚かなくてよかった。しかし体は正直なようで、イヌ科の動物の獣人である彼の耳はピンと立っている。残念ながら、彼はそのことに気付けていないようだけれど。

 

なんだ。

一体何が起こった?

何故連れてきた筋肉だるまたちが残らず床に伸びていて、一際大きなゴリラの獣人が吹っ飛んで、何故あの監督生は涼しげな顔で立っているのだろう。

そうして何故監督生がこちらに向かってくるのかさっぱりわからない。

更に、何故あの細くて風が吹けば飛びそうなほどか弱く見える、魔法も使えない無能人間相手に、自分がこんなに恐怖しているのかが一番謎だ。

だってたかが人間なのに。

種族としても、魔法が使えることを踏まえても、単純な力でも、絶対に自分のほうが強いのに。

 

男は動けない。

今すぐこの場から逃げ出すべきだと頭ではわかっているのに、足が竦んで動かないのだ。

こんなことは生まれて初めての経験だった。

寮で喧嘩をして寮長であるレオナに怒られた時も怖かったけれど、あの時の恐怖とは全く別物の恐怖。言葉にするのが難しくてもどかしい。

ただ云えるのは、あの監督生の冷たい視線に射抜かれた心臓がうまく作動していないような錯覚と、同時に視線だけで心臓を鷲掴みにされているような、そんな恐怖感が身体中駆け巡っているということだった。

 

監督生の手が男に伸びる。

いつも通りの無表情――ではなかった。

いつも以上に、無。

そこに感情の色は一遍も見えない。

だけど、わかる。

監督生は怒っているのだ。

心の底から腹を立てていて、それ故に怒りを通り越した無表情になっている。

 

例えばフロイド・リーチ。

彼はとても気まぐれな気分屋で、きゃっきゃと機嫌が良さそうなときはともかく、機嫌が悪いととにかく手が付けられない。手も足も出るし口も達者で、さらに普段は比較的へらりとした緩い笑顔を浮かべていることが多いので、キレているときとの表情があまりに恐ろしい。

 

例えばジェイド・リーチ。

常に紳士的な笑顔で物腰も柔らかく、オクタヴィネル三人衆の中では一番まともだと思われがちな彼は、実はもっともヤバイと知っている人は少なくない。なまじ丁寧で慇懃だからこそ、あの優し気な笑顔から繰り出される冷たい言葉と、比例しない暴力は心底恐怖の対象だ。

 

例えばレオナ・キングスカラー。

彼のようにわかりやすい恐怖を与えてくれるのがどんなに素晴らしいかと思う。彼はとても怖いけれど理不尽ではない。多少我が儘ではあっても、それは常人の理解の範疇のことだった。

 

けれど、監督生は誰とも違う。

フロイドを前にしたときとも、ジェイドを前にしたときとも、レオナを前にしたときとも。

追加で激怒したクルーウェルもとても恐ろしいけれど、今なら喜んで彼の靴でも何でも舐めて犬にしてもらって匿ってほしい。

誰と対峙したときとも違う恐怖が、男を襲う。

 

ゆっくりと伸びてきた手は、まるで死の宣告のようだった。

きっと、この手が自分に触れたら死ぬ。

男は逃げることも目を逸らすことも出来ず、ただただ自分に向かって伸ばされる白魚のような美しい手に怯えて震えた。

もちろん、誰も助けてなんてくれない。

男が自業自得なのはわかりきっていることだからだ。

 

彼らは知らないが、ナイトレイブンカレッジで監督生を毛嫌いしている生徒はそう多くない。

無愛想だけれど無礼ではなく、魔法が使えないなら他の知識で穴埋めしようとひたむきな努力が出来て、知らないことを知ろうとする向上心と素直さが監督生にはある。

捻くれ者が多いナイトレイブンカレッジだけれど、性根が腐っているわけではなかった。

何せ優秀な彼らは将来国を背負って立つ可能性すらあるわけで、素晴らしいものは素晴らしいと受け入れられる懐の広さを持っているのだ。

そんな彼らが、監督生を嫌うはずがない。

もちろん一定数、男のような生徒もいるけれど、それは圧倒的に少数派。仮に本当は監督生を疎ましく思っていても、それを表に出さず波風立てない生徒もいる。その方が賢い生き方だからだ。

味方の多い監督生を無駄に敵視しても、リターンがないなら意味はない。むしろ自分にとってマイナスになる可能性があるのなら、表向きには友好的に過ごした方がずっといいとわかっているのだ。

 

男は馬鹿だから、そういう判断が出来なかった。

馬鹿だから、自分の復讐に監督生を巻き込んだ。

馬鹿だから、失敗したことに今さら気付いて絶望していた。

 

その結果が、今だ。

こんなはずじゃなかったのに、と思ってももう後の祭り。

ああ、どうして――と、男がいっそ生まれてきたことを嘆き始めたときだった。

 

「――監督生さん、どうしました?」

 

静かな大食堂に声が響く。

弾かれるように声の方向を見ると、アズールと、ウツボの双子がそこにいた。

声の主はアズールだ。いつもならば憎々しくて声も聞きたくなければ顔だって見たくない相手なのに、今は神の使いのように輝いて見える。

彼らに対しこんなことを思う日が来るとは思わなかったが、男は半泣きになりながら『助かった』と思った。

だってこの得体の知れない監督生よりも、オクタヴィネルの悪徳三人衆のほうがずっとマシだ。

思わず男は安心のあまり泣き出しそうになって、しかしすぐに世の中そう甘くはないことを思い知る羽目になる。

 

「あ~、小エビちゃんまた投げてんの? オレまた見たいからもっかいやってよぉ」

「いいですよ、フロイド先輩。最後の一人が残っているので、どうぞ特等席でご覧ください」

 

助かってなかった。

男は絶望した。

 

屈強な男たちが倒れ伏す中にしゃんと背を伸ばして佇む監督生を見、アズールは彼には非常に珍しいことに頭が混乱した。

状況から考えて、これは監督生がやったことだろう。

え?

これを?

あんな華奢な身体で?

いや、そんなまさか。

確か監督生はクルーウェルに防衛魔具を持たされていたはずだから、きっとそれが発動したのではないか。

そう思いつつも念のため確認してしまうのがアズールの性格だった。床に転がる残骸を指さして、口を開く。

 

「……これを監督生さんが?」

「ええ、まぁ」

 

あっさりと肯定されて唖然とした。

信じられない、とアズールの顔にありありと書いてある。

どうやら純粋に驚いているようだ。もしかしてこれはあまり見られない珍しい表情なんじゃないだろうか、と監督生はぼんやり思いながら、ジェイドとフロイドを見た。

 

「先日のこと、アーシェングロット先輩には話していないんですね」

「ええ。あれは口で説明するよりも実際に見たほうがいいかと思いまして」

「ああ、なるほど」

「な~な~アズール、小エビちゃんマジすげーから見てて。ひょいってやってスッてなってポーンだから」

「なんだその頭の悪い表現は!?」

 

すでに監督生のこの芸当を目の当たりにしたことがあったリーチ兄弟は、楽しそうにしている。追いつけないのは意外と常識人なアズールだけである。

確かに、何も知らなければ自分がひ弱に見える自覚のある監督生は、フロイドの抽象的な表現に憤慨しているアズールの気持が少しわかって同情した。けれど残念なことに、これは間違いなく監督生のしでかしたことなのだ。ちなみに、手を出してきたのは向こうなので、悪いことをしたとは微塵も思っていない。

 

理解も納得もしてほしいとは思わないけれど、現実として受け止めてもらえたらいいなぁ、くらいに軽く考えている監督生の後ろで、やっと身体を動かせる程度には回復した男はハッとした。

逃げるなら今か。

今だ。

でも、ここで逃げてもきっとリーチ兄弟は自分を逃がさないだろう。適当な人気のない場所に追い込まれて捕まって、『お話し』コースになる未来が見えた。

だったらせめて、せめて一発かましてやらないと気が済まない。

 

「く、くそ!! 馬鹿にしやがって、この野郎!!」

「自分の無能を人のせいにしないでください」

 

もうどっちみちこの状況では自分に未来にはないとやけくそになった男は、ヤケになりながら最後の足掻きで監督生に襲い掛かった。

監督生のことはまだ怖いけれど、せめて一矢報いてやらないと、すでに倒れた仲間たちに申し訳が立たないし、何よりあまりにも格好悪すぎる。

魔法の使えないひ弱な人間に対して大人数で挑んでいるというすでに格好悪いことをしているのだが、男にとってそちらは些末なことだった。

しかし残念なことに、男はあまりにもお粗末な脳みそしか持っていなかった。

今しがた自分の目の前で起きたことを、ちゃんと見ていたくせに脳が理解できていなかったらしい。

 

つまり何が起きたかというと、破れかぶれで監督生に伸ばした手を逆手に取られ、あっという間に投げ飛ばされた。

なんとも情けなく、男の意地は終了した。

 

男は知らないことだが、監督生が体得しているのは護身術だ。自分から仕掛けるよりも、受けるほうが有利になるものだった。監督生は空手、柔道、剣道に合気道と有名どころは一通り習得しているので自分から仕掛けることも可能だけれど、やはり力と体格差はどうしようもない部分がある。なので、得意なのは受けるほう。

だから、一生懸命襲い掛かるというのは男にとって一番の悪手だったのだ。

もしも男がよく監督生を観察していれば気付けただろうに、最初から監督生を取るに足らないものだと見下していたのがそもそもの敗因だった。

まぁ、碌な受け身も取れずに背中と頭をしたたかに叩きつけられて伸びた男は、きっと一生そのことに気付けないのだろうが。

 

「もしも」

 

大食堂には大勢の生徒がいるはずなのに、誰も彼もが言葉を失っているので異様なほどに静かだった。

そこに、監督生のよく通る声が響く。

たった今、自分の一回りも大きい男を投げ飛ばしたとは思えないほどに落ち着いた、いっそ穏やかともとれる声で続けた。

 

「もしも、この人たちと同じようなことを企んでいる方がいらっしゃったら、もう面倒なので今この場でかかってきてください」

 

それはつまり、まとめて相手をしてやる、という意味で。

 

アズールたちに対して恨みを持っている生徒は多い。例えそれが逆恨みでも正当な理由があっても、片手で足りる人数でないことは確かだ。

また、特別扱いで入学してきた監督生を面白くないと思っている生徒も、以前ほど目に見えて嫌がらせをする生徒こそ減ったけれど、どうしたってゼロになったわけではない。

そんな彼らにとって、これはチャンスであるはずだった。

だって、監督生が自分からかかってこいと云ったのだ。もしこのあと教師にごちゃごちゃと云われても、監督生が挑発したからだとか何とか云って責任を押し付けることだってできる。

 

さっき監督生がどうやってあの屈強な男たちを投げ飛ばしたのかは知らないけれど、タネはあるはず。なんなら馬鹿正直に向かって行かないで魔法を使えば監督生はなすすべもないはず。

うまくやればいいのだ。

魔法が使える自分たちと、使えない監督生。自分たちにまける要素など何一つ、何、一つ、ない。

 

――それなのに、監督生に勝てる未来が予想できない。

 

ここで誰か一人でも飛び出していれば、もっと違う状況になっていたのかもしれないけれど、残念ながらそんな勇気を持った生徒はこの場にいなかった。

何故魔法も使えない人間相手にこんなプレッシャーを感じるのかさっぱりわからないが、とにかく監督生からの威圧感に打ち勝てる生徒はいなかったのだ。

マジフトのディスクより重いものなんて持ったことがなさそうなほど細い腕と、見るからに華奢な身体。どう見ても男なのだけれど、うっかりときめいてしまいそうなその容姿。

困ったように眉を下げ、赤みの入った特徴的な茶色の瞳をスッと細める。同時に弧を描いた唇を軽く手で押さえながら浮かべた笑みはあまりに美しく、その場にいた全員が監督生に魅入った。当然、アズールやジェイド、フロイドまでも。

そうしてそのきれいな笑顔のまま、監督生は云った。

 

「馬鹿の相手をいちいち出来るほど、私、暇ではないので」

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

結局、監督生に挑む生徒はいなかった。

期待をしていたわけでもないし、大人数相手にこれ以上の大立ち回りを続けても得はしないので、騒ぎになったことを軽く詫びた監督生はさっさと大食堂をあとにした。もしかしたら騒ぎを聞きつけた後から教師が何事かとやってくるかもしれないけれど、その時はその時だ。

 

お昼を食べ損ねたのでそのまま購買部に直行してサンドイッチとペットボトルのお茶を購入し、中庭のベンチでもそもそと食べていると、突然背後から抱きしめられた。

誰何の必要はない。自分にこんなことをするのは、フロイドだけだ。

「小エビちゃん、さいこ~~~!!」

予想通りそれはフロイドで、上機嫌に頭も撫でられる。フロイドに頭を撫でられると鳥の巣みたいになるのでやめてほしいのだけれど、何度云ってもやめないのでもう監督生は諦めている。代わりに、持ち運びできるコームを買ってもらい、それを携帯するようにした。

フロイドにされるがままにしていると、クスクスと楽しそうな笑い声が聞こえた。これも確認するまでもなく、ジェイドだと監督生は知っている。

 

「素晴らしかったです、監督生さん。その手の性癖を持っている人の心を土足でぶち抜いていそうな貫禄のある発言でした」

「ジェイド先輩は褒めていませんよね」

 

大はしゃぎでご機嫌なフロイドに死ぬほど頭を撫でられながら、小さな拍手をするジェイドを軽く睨み付ける。おや怖い、などと零して困った顔のこの男が怖がっていないのは百も承知だけれど、つくづく腹が立つと思いなが監督生は大きく息を吐き出した。

 

そこで、ふと思う。

この流れだったらアズールもいるはずだ。そして先ほどの出来事についてごちゃごちゃ云われるのだろうと身構えていたのに、彼は未だ黙ったまま。

フロイドの撫で攻撃をなんとか受け流しながら首を回してみれば、やはりアズールはいた。にこにこ笑顔のジェイドの隣に立っている。

が、その顔は何故か神妙だった。

引かれたのだろうか、と監督生は思う。一応女のくせに、こんな暴力的な奴だとは思わなかった、という顔だろうか。

男たちを問答無用でぶん投げたのは事実だし、実は暴力がすべてを解決するというのはあながち間違いではないと思ってるところもあるけれど、日頃ギャングみたいなことをしている人に引かれるのは心外だな、とぼんやり考えていると、アズールと目が合った。

何故か戸惑うように息を飲んだアズールは、ややあってぽつりと零す。

 

「……お強いんですね」

「いえ、最低限自分の身は守れる程度にしただけですから。純粋な筋力は大したことありませんよ」

 

食べ終わったサンドイッチの包みをゴミ箱に入れながらケロリと云う監督生に、アズールは珍しく悔しげな顔をして頭を下げた。

突然のことに驚いた監督生が何かを云う前に、素早く謝罪する。

 

「僕のせいです。すみませんでした」

「……何故先輩が謝るんです」

「あいつらは僕に恨みを持っていました。大方、直接僕には勝てないからあなたに矛先が向いたんでしょう。もう少し気を配るべきでした」

 

下げた頭を上げる様子のないアズールに困惑して後ろのリーチ兄弟を見ると、二人は軽く肩を上げただけで何も云わない。助け船は期待できない。

 

監督生は考える。

今回の件、仮に全面的にアズールのとばっちりだったのだとしても、特に気にしていない。

けれどそれを伝えても、きっと彼は納得しないだろう。

結果はどうあれ、自分のせいで女性を危険な目に合わせたということには変わりないと思っているに違いない。

確かにそれはそうなのだけれど、監督生自身は本当に何とも思っていないのだ。

それをわかってもらうための言葉を監督生は持っていない。

考える。

気にしないでほしい、なんて安っぽい言葉ではなく、アズールが納得する言葉をひねり出さなければ。

聡明な頭をフル回転させた監督生は、ややあって小さく息を吐き、云った。

 

「では、次は先輩がなんとかしてください」

 

少し笑いを含んだ、優しい声だった。

アズールが顔を上げると、監督生はいつもの無表情にほんの少しだけ笑顔を浮かべていた。

何故。

自分のせいで監督生が襲われる羽目になったと負い目のあるアズールは、呆然として呟く。

 

「怒っていないんですか」

「怒るほどのことではないでしょう。実質被害はなかったわけですから」

 

肩を竦めて云う監督生に、アズールは戸惑う。

確かに不快ではあったけれど、殴られたり何かされたわけではない。むしろ、自分に喧嘩を売るならそれなりの報復は覚悟しろよというメッセージを発信できたのである意味ラッキーだとすら監督生は思っていた。

なまじ魔法があるおかげで、こちらには体術的な護身術のようなものが浸透していないんだろう。まぁ、魔法さえ使えればそんなもの必要ないのかもしれないが、魔法がない世界で生きていた監督生には護身術は必要なものだった。自分の身は自分で守らなければ、兄にまで迷惑がかかる。

まさかこちらでもその護身術が役に立つとは思わなかったが、結果的には丸く収まったのでホッとしているのだ。アズールが申し訳なく思う必要なんてどこにもない、というのが監督生の考えである。

 

だから、アズールは気にしなくていい。少なくとも、今は。

そうして、もしまた自分が逆恨みで襲われることがあって、自分ではどうしようもない相手だったらその時は、アズールが助けてくれたらいい。

今後また何かがあったら、その時に考えればいいだけの話なのだ。

まだ起きていないことについて考えすぎるのは意味のないことだと監督生は知っている。

 

「……可笑しな人ですね、あなたは」

「何故怒らないだけでそんなことを云われないといけないんです」

 

不満に思ってジトっとアズールをを睨み付けると、堪えきれないといったように噴出した。重ねて失礼な人だと思う。ウツボ二人も楽しそうに笑っているし、やっぱり人魚は笑いのツボも違うんだろうか。

折角ラウンジでの仕事が楽しいと思い始めてきたところだったのに、こんなところで種族の差を思い知らされるとは。

 

後日、新たな噂がナイトレイブンカレッジを駆け巡ることになった。

曰く、

 

『監督生は、物理的な力でオクタヴィネルを従えている』

 

これを知ったアズールたちは爆笑しすぎて腹筋と顔を筋肉痛にし、監督生は噂の出所を探すためにイデアに魔具を作ってもらいに走った。

当然アズールがこんな面白い噂を撤回することはなく、ほとぼりが冷めるまでの間、監督生は一部の生徒から『極妻』などと呼ばれることになったのである。

 

 

 

 

 




監督生

勉強も嫌いじゃないだけで基本的には脳筋。投げて回して転がせばだいたい解決すると思っているけど、理性と常識があるので普段は安易に力に走らない。ただ向かってくるやつは投げるし回すし転がす
というかこの世界にも極妻なんて言葉あるんですね


アズール

初めて見る監督生の一面に震えた。最高。最ッ高。でも僕より先にジェイドとフロイドが知ってたのが許せない。今度ヤンキー狩りに行きませんか?
自分のせいで監督生が狙われたことを素直に反省している。今後はもっとべったりして襲う隙もなくすけど、その前によからぬことを考えている奴らは全員消そうと決意した
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