ハリーポッターと願いの本   作:aly

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誰も知らない物語

 その日、かこは学校が終わるとまっすぐに駅へ向かった。いつもは実家の本屋を手伝いに戻っているところを、母にお願いをして寄り道を許してもらったのだ。

 パスケースからICカードをかざして改札を抜けると、そこはいくつかの制服の学生で入り乱れていた。金曜日の放課後ともなれば、遊びに出かけたくなるものなのだろう。趣味と手伝いを兼ねて店にいることの多いかこには、少し新鮮な風景に見えた。

 改札からホームへと移動すると、学生の群れはいなくなっていた。彼ら彼女らが待っているのは栄区という繁華街に向かう路線だった。対してかこがいるのは自宅のある新西区への路線だ。今日は途中で乗り換えて寄り道をするつもりだ。

 空いている列車の空席に浅く腰掛け、かこは期待に胸を躍らせながらスマートフォンを取り出した。

 

『今日はかこはお休みだけど、何かあったらすぐ呼びなさい』

『荷物持ちが必要になったら呼んでよね』

『祈願幸運』

 

 授業中に送られてきたSNSのグループチャットを見て、少し心が落ち着いた。仲のいいグループには今日の用事を告げてあったから、その返事だった。

 

「まもなく水名城、水名城。参京、栄方面はお乗り換えです」

 

 あっ、と声をあげて席を立つ。しかし列車はまだ駅から遠く、かこは顔を伏せて出入り口付近で縮こまった。

 

 

 

 乗り換えを一回こなして到着したのは、町の中でもいっとう古い神社だった。名を水名神社という。水名区というのは城下町なので、ここに城があったころには建立されていたのだろう。

 かこが鳥居をくぐると境内にはいくつものテントが並んでいる異様な光景が広がっていた。テント屋根の下にはテーブルが並べられていて、籠や棚によって数多の本がディスプレイされている。

 

「わぁ……」

 

 かこの表情が綻ぶ。そして一番近いテントへ、ふらふらと吸い寄せられるように歩き出した。「いらっしゃい」という店主の声に首を縦に振るが、目は本に釘付けだった。

 

「ああっ、これは……!」

 

 さっと表紙を眺めるや否や、巻末から本の素性を読み取り、かこはほうと息をついた。稀少なものらしい。うっとりと眼を潤ませた彼女は、店主の告げた数字に途端に現実に戻った。

 

「どうしよう。この一冊しか買えなくなっちゃう」

 

 おろおろしだしたものの、店主の助言を聞いてかこは冷静さを取り戻した。境内をゆっくり眺めてみれば、あまり客がいない。古本市のイベント初日は例年このような具合なのだそうだ。そこでかこは店主に礼を言い、次のテントへと向かった。

 その後も五つのテントを巡り、かこは頭の中に巨大な天秤をこしらえていた。片方には白い朝顔を模したチャームがアクセントのライムグリーンの財布がある。もう一方にはここまで見てきた中で、特に興味をそそられた古本が積まれていて、天秤は見事に本に傾いていた。予算不足だ。

 頭の中で、本を乗せては下ろしてバランスを整える。しかし一向に財布の側が低くならないのはかこの本への執着がいかに大きいかが窺える。

 そうこうしているうちに、かこはついに最後のテントにやってきてしまっていた。本棚からひょいと奥を覗くと、少女が寝息をたてている。くるくると無造作に生えた髪をアラビア風のスカーフで隠している。おまけに黒一色のワンピースの胸元には木や骨のような何かでできたネックレスが過剰なほどにぶらさがっている。テーブルに投げ出された腕には複雑な刺青がいくつも刻まれている。おそるおそる覗いてみると、ありがちな蝶やハート、人物画などではなく、象徴記号が入り乱れていた。たとえばウロボロス、天秤、フラスコ……。

 珍しい光景に驚いたかこは、棚から顔を引っ込めて、古本探しに戻ることにした。そしてかこの天秤にはさらに一冊の本が追加された。

 

「……どうしましょう」 

 

 バザー会場から少し離れて、ベンチでお茶を飲む。天秤は相変わらす忙しなく動いている。

 稀少本はお店の財産になるので買っておいたほうがいい。しかし最近流行りの漫画の初版本も捨てがたい。いや、そもそもかこが最も気に入ったのは、初めて見る作家のファンタジー小説だ。洋書だけど辞書を片手に読めば何とかなるだろう。

 父からは市を見ることは勉強になると聞いたが、買い物は自分のお小遣いでやりくりするのだ。趣味に走っても良いはずだ。

 かこは最後のテントに戻った。店番の少女はまだ微睡みの中にいた。

 

「あの……」  

 

 かこの細い声で問いかけると少女は勢いよく瞼を開き、かこの顔をまじまじと見つめた。

 

「あなた、お客さん?」

「はい。その、こちらの本が欲しくて」

 

 かこの指差した本を見て、店番の少女はニヤリと笑った。

 

「こいつはシリーズもんさ。運良く第一巻。『泣き妖怪バンシーのなんとか』」

「続きを入荷される予定はないんでしょうか?」

「ないない! 少なくともアタシにはね。でもまぁ、それじゃちょっと不親切だから……これも付けてあげよう」

 

 かこの両の手のてのひらの上に、ハードカバーの小説が放り投げられた。『ハリー・ポッターと秘密の部屋』という知らない本で、さらさらと中身を確認すれば小説であることが分かった。著者の名前も聞き覚えがない。

 

「実はそれもシリーズものだ。ま、おまけだから別にいいだろう? さ、他に買うものもなければお会計。ちょうど二千でいいよ。他にもめぼしい本があるんだろう?」

 

 それは、この日かこにとって一番ハッピーな言葉だった。稀少本を一冊買い増ししたかこは、電車に揺られて幸福に浸っていた。

 まずは何から読もう。ファンタジーな冒険小説は英語本だから時間がかかる。ここはおまけでもらった小説をさらっと読んでしまおう。もしかしたら、バザーの期間中にもう一度立ち寄れるかもしれないし、面白ければ詳しい話を聞いてみよう。

 かこの乗る電車は、三京区へ向かう。やがて二階の自室の窓に明かりが灯り、それは朝まで消えることがなかった。

 

 

 

 

 微睡みの中で感じたのは、規則的な甲高い音と尻を突き上げる振動だった。意識が少しずつ覚醒してくると、背中を柔らかいクッションが包んでいることにかこは気づいた。座ったまま眠っていたのだ。

 

「はふ……」

 

 可愛らしい欠伸がこぼれる。かこは身体をぐいと伸ばしながら、陽の光を感じて読書をしながら眠ってしまったのだと気づいた。まだ早い時間ならベッドで寝直そう。手探りで卓上時計を探して、違和感を覚えた。机がない。

 

「……あれ? ええっ!?」

 

 机がないどころではなかった。かこの眼前には列車の座席と思われるふかふかのクッションがあって、横を見れば陽の光は大きな窓から降り注いでいた。時折橋の鉄柱が視界を横切り、水面に反射した陽光が爽やかな朝を運んでいる。

 意識がはっきりして、かこは自らの異変にも気づいた。眠る前に着ていたパジャマは消え去り白いシャツを着ている。隣に真っ黒な布が綺麗に折り畳まれていて、その上に本が一冊置かれている。『泣き妖怪バンシーとのナウな休日』のタイトルは昨日購入したものに間違いないが、その英語が不思議なことに違和感なく読めてしまえた。

 窓の反対側には扉があり、その向こうには廊下がある。かこが様子を窺っている間にも何人かの子供が往来していて、彼らはなんと黒いローブを纏っていた!

 

「明晰夢だ……。私、ホグワーツ特急にいるんだ

 

 低い振動音が天井の上から聞こえる。それはかこの後ろのほうから徐々に近づいてくる。かこは慌てて窓を開いて空を見上げた。空飛ぶ車がいる! それは間違いなく主人公ハリー・ポッターとその親友ロナルド・ウィーズリーが乗っているものに間違いない。

 かこの鼻を澄んだ朝の空気がくすぐった。現実より冷たい。イギリスの九月は日本よりも寒いようだ。かこは窓を少しだけ開いたままにして椅子に身体を戻した。

 途中で例の車内販売のお婆さんがやってきたので、かこは蛙チョコを一つ買ってみた。お金はいつのまにか首から提げていた巾着にあった。苦労して食べたチョコレートのあとには、奇人ウリックという老人が残り、なぜかクラゲを画面の外から取り出して被り始めてしまった。

 かこはどこまで夢を見られるのか楽しみになってきた。列車は次第に学生たちで騒がしくなる。まもなくホグワーツ城なんだ。かこは隣に畳んでいたロープを身にまとい、廊下に顔を出した。大勢の生徒であふれかえっている。流されるようにホームに吐き出されて、かこは遠目に見える城を見つけた。もうすぐあそこに行ける! ハグリットに連れられて湖から眺める景色を想像しているうちに、気づけば気味の悪い馬のような生物の引く馬車に押し込められていることに気づいた。

 

「あの……? 湖をボートで行くのでは?」

 

 向かいに座っている女生徒は呆れたように答えた。

 

「なに言ってるのよ。あれは新入生だけよ。あなたレイブンクローの二年生でしょう?」

 

 少女の指差す先にはかこの青色のネクタイがある。はっとしてローブの裏側を見れば、海のように輝く青色があった。

 明晰夢というなら一年生から体験できたらいいのに、と思ったけど、かこ読んだ小説の主人公は二年生だった。

 かこは大広間の長テーブルにつくまでに美しい天井に見とれ、宙に浮いた照明に驚き、前方に座る立派な髭をたくわえたいかにもな魔法使いに感心した(かこの周囲の魔法使いは少女しかいない)。

 アジア系という共通点のあるパドマ・パチルやチョウ・チャンという少女と会話をしているうちに料理が現れて、かこは飛び上がるほど驚いてからかわれた。料理は少しかこにはヘビーだった。

 そしてチョウらに連れられて談話室に連れられ、その美しさに息を飲んで、ルームメイトに自室に誘われて眠りにつく。夢の中で眠るとは奇妙な感覚だ。かこは複雑な気持ちで夢に別れを告げた。

 

 そして朝になる。

 夏目かこは天蓋つきの立派なベッドで目を覚ました。

 

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