空を舞う赤色の弓兵【アーマードコアfa×fate】 作:迷走人間
「.....ぉき...さぃ......ぅ...」
声を聞いたような気がした。懐かしい彼『女』の声のようだった。
もう二度と聞くことはないと思っていたし、事実そうである筈だった。そうでなければならなかった。
――有り得ない。幻だ。
――もしかしたら。彼女は、今傍に。
夢見心地の意識はくるくると低回するばかりで、相反する二つの予測の間で延々と振り子のように揺れている。それはまるで、わたがしのようにふわふわとして現実感の無い夢のようだった。
「いい加減に起きなさいよぅ!もうっ!」
今度ははっきりと聞こえた。幻聴ではないと確信に至る。何処か泣きそうな声だった。
曖昧模糊とした意識が少しだけ明瞭さを取り戻し、記憶がフラッシュバックする。
炎に包まれる戦場。赤黒い鮮血の路、その途上。
鮮やかで鮮烈な真紅の外套。凛として響く死刑宣告。
『封印指定の魔術使い、エミヤシロウを殺しにきたのよ。』
寂寥すら感じさせる再開の一場面。
――あれはやはり幻だったのか。
――そもそも何故自分は生きているのか。
――自分はあの戦場で果てた筈ではないのか。
――実は自分は既に死んでいるのではないのか。
――ならこの感覚は何なのか。
尽きぬ疑問に再び意識が混迷の途を辿る。
支離滅裂とした思考の中で、しかし、力強く胎動する心臓の感触だけはいやに鮮烈に感じられた。
――生きている。
確たる事実を認識して、わき上がる疑問のいくつかが払拭される。そして、また新たな疑問。
未だ混乱覚めやらぬ中、自らの肉体へ意識を向ける。鼓動する心臓に合わせて流れる熱い血潮を感じる。
――俺は生きている。
認識したその事実を中心に思考が統制される。戦場で培われた危機管理意識は、朦朧とした思考の中に在りながら極めて俯瞰的に自らの現状を把握していた。
――魔術回路も、正常。
未だ完全な覚醒に至らぬ意識の中で、それだけが自らの自意識とは別物のように思考を続け、イメージの内のみに存在する撃鉄を引き起こす。
――同調、(トレース、)
更に、何百、何千回と唱えてきたその言葉をなかば条件反射的に心中で紡ぎ、
――開始(オン)。
引き金を引くように撃鉄を叩き落とす。
神経に癒着した魔術回路に魔力がみなぎる。自らの肉体、つむじからつま先、手足の爪一枚に至る隅々にまで薄い魔力が行き渡り、出来損ないの魔術師たる衛宮 士郎でも扱える簡易的な走査魔術が発動する。
まどろむ意識のままで行った一連の作業は、魔術使いエミヤシロウが戦場で生き延びる為に、自らの無意識に刻み付けた現状認識の自動ルーチンとでも言うべきものだった。
結果に異常は認知されず、全くの健康体であるようだった。あれ程の重い傷が跡形も無い。
同時に体全体を魔力が廻り、意識が長いまどろみから浮上する。無尽の疑問は泡沫の夢のように弾けて消え、思考が遂に覚醒に至る。
そして、衛宮 士郎は重い瞼を持ち上げ、その目の前、一寸あるかないかの距離に二つの碧の宝玉を認識した。
そこで思考の全てが停止した。
衛宮 士郎が愛し、愛するが故に決別した彼女の顔がそこにあった。それも、士郎のほんの目と鼻の先、遠坂凛はネジの切れたゼンマイ仕掛けの人形のように固まっていた。
白磁の陶器のような光沢の白い肌は朱に染まり、唇は唾液によってか僅かに湿り気を帯びててらてらと艶やかに輝いている。
何より目を引くのは澄みきった碧眼。それはまるで、美しく研磨されたエメラルドの宝玉のよう。曇りの無い宝玉を収めた目蓋は僅かに涙をたたえ、驚愕に大きく見開かれている。
「あっ...うぅ...こっ、これは違うのよ士郎!」
熟れたリンゴのように真っ赤になって、見るからに狼狽する凛。
一体何が違うのか、何も言っていないのに弁明する凛の様子は明らかに挙動不審だった。同時に、追及する者にガンドの雨が降ることも明らかだ。
「とお、さ、か?」
幸いにして衛宮 士郎のフリーズした思考回路では彼女の名を呼ぶだけで精一杯であり、偶然にも彼はそれを回避することになった。それ以上何を言えばいいか分からず、酸欠の金魚のようにぱくぱくと開閉を繰り返す唇が、酷く滑稽だった。
停止した思考は何も考えていないのに、何らかの本能に導かれるようにして両手がその美しく整った造形に伸びる。
何処か慈しむように頬をなぞる固く無骨な褐色の指先に、凛は、はっと我に返って弾かれたように一歩後退り、そのまま、ぺたり、と力無く床に尻を着けた。
記憶の中の彼女とは似ても似つかぬ弱々しい姿に、士郎は怪訝な思いを抱く。
「遠坂?」
ほんの少しだけ冷静さを取り戻した士郎は、上半身をゆっくりと起こすと、大丈夫か、という質問の意を添えて再びその名を呼んだ。捉えようによっては咎めるような響きにも聞こえた。
「な、なによぅ!私が起きなさいって言ったんだから、もっと早く起きなさいよ!」
酷く高飛車なその言葉は、やはり、記憶の中に在るような力強さを欠いていた。それどころか、その声音には僅かに震えすら混じる。
キッとこちらを睨み付けるその目尻に浮かぶ涙は、今にもこぼれ落ちてその頬を濡らすだろう。女座りでへたりこんだその姿が弱々しさを一層助長している。
ドキリ、と不意に胸が高鳴り、気付く。
今、目の前に居るのは『魔術師』ではない。
遠坂 凛という、『女』だ。
――何故?
故に聞いた。聞かなければならなかった。
「どうなってるんだ。俺は、遠坂に殺されたんじゃないのか?」
美しい碧眼が再び驚愕に見開かれ、雫が、つう、と頬を流れた。
刹那の静寂。
凛は悲しげに目を伏せると、静かに訥々と、同時に、やはり弱々しい声音で語り出した。
「ええ、わたしは......エミヤシロウを......殺した」
苦し気に話す姿は悲哀に満ちていた。
何かを堪えるようにして、爪が掌に食い込む程固く握りしめられた拳が、わなわなと震える。柔らかい掌に血が滲みそうで、士郎は少し心配になった。
「へっぽこのあんたには分かんないでしょうけど、その体は人形よ」
彼女は、魔術について話しているのに、その姿は『魔術師』ではなかった。
「っ!?」
士郎の驚愕の表情を目にして、凛の頬をまたいくつかの雫が伝う。
本当にどうなっているのか。あの惚れ惚れするくらい強くて、呆れる程に完璧だった『魔術師』は何処へ行ってしまったのか。
自分が人形というワードに驚いたのか、それとも彼女の変わりように驚いたのか、士郎は判別がつかなかった。
「死んだあんたの体から魂だけを抜き出して新しい形代に埋め込んだの。分かる?あんたは確かにわたしに殺されたの」
それでも魔術師『遠坂 凛』としての意地故にか、その声に乗った隠し切れない韻律の震えを、押し殺すようにしながら言葉を続けている。俯くように伏せていた瞳を上げ、毅然と見返す様子がかつての姿に重なる。お尻を床につけ両足を外に開いたその姿が、少々締まらない印象を与えてはいるが。
一瞬、可愛い、と思ってしまった。
士郎は、不謹慎にも他所へと逸れた思考を元に戻そうと、自分で自分の頬を打つ。
「死体は魔術協会に送ったわ。あんたはもう死『ぱんっ』」
乾いた音が響いた。湿っぽい空間が一転。空気が凍る。
「......話を聞く気はあるのかしら、衛宮君?」
一瞬呆けたように固まって、しかしすぐに、花の咲くような笑顔。見惚れる程に美しい笑顔なのに、その眼はちっとも笑っていなかった。
それは二年ぶりに士郎が見る、凛の怒りの表情だった。
ゆらりと立ち上がる。
服の上からでも分かる程に左腕の魔術刻印が禍々しい光を放ち、男のそれとくらべれば酷く細く華奢な指のその先に、不吉な黒い光が球状に収束する。下手な言葉が命取りになる。
かくして、仁王立ちする凜を前に悟るのだった。何年経とうが、魔術師として弱くなろうが、女の『遠坂 凛』だろうが、あくまはあくまで、結局自分は彼女には敵わないのだ、と。
ーーーーーーー
その後士郎は、静かに、あくまでも表面上は涼やかに怒りを爆発させんとする凛を誉めて、宥めて、謝って、要するに口八丁で丸め込み、なんとかガンドのガトリング掃射による風穴を回避したのだった。
しかし士郎は、本当のことを言うならばこの程度で収まるとは思っていなかった。故に、少しばかり拍子抜けした感じを受けた。
同時に確信したこともある。
やはり彼女は二年前と比べて弱くなった。それでも、自分が彼女に勝てないことは既に世界の物理法則のように覆しようの無いことであり、つまり、遠坂 凛が弱くなったという事実は、士郎にとって些末な事柄であって、然るに、余談。
「じゃあ、話の続きを始めるわよ」
士郎が目覚めた直後に見せた弱々しさは既に微塵も感じられず、その姿は世界でも屈指の実力を誇る『魔術師』に似つかわしい堂々たる姿だった。それがただの強がりだなんて、士郎には考えもつかなかった。
「ああ、頼む」
士郎は精悍な顔立ちを引き締め、静かに答える。その眼には相変わらず、折れることの無いしなやかな鋼のような意思の光が爛々と輝いていた。
凛は、少しだけそれに見惚れた。
彼は、『遠坂 凛』を『強い』と言う。しかしそれは、魔術師になる覚悟を持ったその時から、ずっとそう在らんと心掛けてきたからだ。何年もかけて分厚くした魔術師という殻で自身を覆い、守っていただけで、本質は彼の言う通りに普通の女の子でしかなかった。
だが、彼の、衛宮 士郎の瞳に宿るそれは、彼自身の本質的な、もっと言うならばより根源的な強さに因るものだ。
凛には、彼自身がまるで鍛え上げられた一本の剣のように見えた。それは決して、切れ味鋭い名剣でもなければ、美しく装飾された礼剣でもない。
ただ頑丈なだけの無骨な剣だった。
しかし、......いや、だからこそか。
遠坂 凛が被っている、ひび割れて今にも壊れてしまいそうな『魔術師』の仮面とは違う。
何があっても、今まで一度としてその剣が折れることは無かったのだ。
「あんたの死体は魔術協会に送ったわ。この意味は当然、分かるでしょ?」
「つまり、...俺はもう死んだ人間ってわけか」
「そういうこと」
声を荒らげることも無く、淡々と行われるやり取り。自らの存在の『死』を告げられても、士郎に動揺は無かった。
当然だ。彼は元々死ぬことに躊躇いなど無かった。そもそも今は、それより重要なことがあるのだから。
「遠坂」
「何よ」
明確に咎める響きを持った声音で士郎はその名を呼んだ。喉の奥から絞り出すような声。苦渋が滲んでいた。
「何故そんなことを。どういうつもりでそんなことをした?下手すればお前まで――」
止めどなく湧き上がる激情を、押し殺したようなその声は、静かに凛を威圧した。
一瞬、びくりと身を震わせた凛だが、その程度で退くわけもない。
その程度で畏縮するような脆弱な覚悟なら、そもそも魔術協会を出し抜こうなど考えてはいない。ここで折れてしまえばそれこそ全てが水泡に帰す。そうなってしまえば、もう二度と彼を救うチャンスは無い。
凛は士郎を魔術協会に追われる身から解放するために、二年にも渡る入念な準備を積み重ねてきたのだ。蒼崎製の人形を購入し、妹の桜には、肉体からの魂の分離と依代への定着の魔術の研究を頼んだ。
それに、実は計画が成功しようとしまいと、最終的に遠坂 凛という『魔術師』は、積み上げてきた名声も称号も業績も全てを失うことになる。それでも、正に文字通り『決死』の思いでこれを実行に移した彼女に躊躇いはない。
凛は手を腰に当て、仁王立ちで士郎を見下ろす。
「それが何?」
清々しい程に言い切ったその言葉に、士郎は一瞬呆気に取られ、ぽかんと間抜け面を晒して固まる。
一瞬の思考の停滞。すぐに我に返り、
「それが何、じゃないだろ!協会に追われるってことは世界中の魔術師を敵に回すってことだぞ!分かってるのか!
時計塔からは追い出されるし、研究成果も徴収される。セカンドオーナーのお前が追われることになれば、場合によっては冬木もアイツらにとられちまうんだぞ!」
矢継ぎ早に叫ぶ。先程までの威圧的な静かさは掻き消え、喧しく怒鳴り散らす。目覚めてから始めての、激しい感情の発露だった。
「死にたいのか、この馬鹿っ」
そして士郎は最後に、苦々しい顔で吐き捨てるようにそう付け足した。しかし、
「だから、それが何?」
今度こそ士郎は唖然とした。
本当に下らないことのように凛はそう言ったのだ。
「ああそれと、冬木市については心配いらないわ。既にセカンドオーナーとしての仕事も権限も、桜に全部譲っちゃったし」
「どう..し...て..そんな...俺が何のために...」
切れ切れの掠れた声で士郎が呻く。
「やっぱり分からないのね。この朴念仁は」
はあ、と凛は心底呆れたように溜め息をつく。それには、少なくない苛立ちの念も籠っていた。
「士郎、あんたがあの時何を考えてそうしたのか、わたしも分からない訳じゃない」
「ならっ!なんで――」
――そんなことをしたんだ、とは続かなかった。こちらを蔑むかのような冷ややかな声が割り込んだのだ。
「あんた、それがほんとにわたしのためになると思ってたの?」
それには突き放すような響きさえあった。士郎はその言葉に、まるで雷に打たれたかのように固まった。
「そんなことをされて、わたしが喜ぶとでも思ったの?」
責めるように礼利な声音で続けられた言葉には、隠し切れない悲壮感が滲んでいた。
「それで――」
碧の瞳が揺れる。
「――あんたは幸せになれるの?」
息を呑む。
「それは...」
無様にも口ごもる士郎は、それ以上言葉が続かなかった。
そんな姿を傲然と見下ろしたまま、なおも凛は言葉を続ける。弱くて泣き出しそうな自分を封殺し、必死になって強がって、衛宮 士郎の中に在る、強気で優雅な『遠坂 凛』を擬態する。それでも、声は僅かに震える。
「まだ分からないみたいだから、なんでわたしがあんたを助けたか、馬鹿で間抜けで朴念仁の士郎でも分かるように教えてあげるわ」
そこで彼女は一度言葉を切った。
もうそろそろ格好つけるのも限界だな、と思いながら再び話し出す。
「分かってるだろうけど、わたしはね、快楽主義者なの。本質的には他人の幸せになんて興味無い」
それは嘘だ。
凛は心の片隅で思う。
衛宮 士郎が救われないセカイに価値なんか無い、と。そんなセカイなら壊してしまえ、とも。
でも今は、この愛すべき大馬鹿にずっと自分の傍に居て欲しいから、凛は強がりみたいな嘘をついた。
士郎は未だ呆然と凛の方を見上げるだけで、身じろぎ一つしない。
「でもね、あんたを幸せにしないと、わたしは幸せになれない」
そんな士郎に近づき、そのしなやかで引き締まった、傷だらけの体躯を抱き締める。ほとんど、しがみついていると言っても差し支えはない。それくらい必死だった。
「だから......だからお願い――」
――わたしの傍から居なくならないで。
続くそれは言葉にならず、代わりに小さな嗚咽が男の胸の中に落ちた。
彫像のように固まったままだった士郎はそこでようやく我に返り、おろおろと情けなく狼狽してから、折れそうな程強くその痩躯を抱き締めた。ただそれだけが、嗚咽に混じった切実な懇願に対して士郎が出来た精一杯の答えだった。
「あんたが居なくなって......わたしが......わたしがどれだけ......」
器に満ち満ちて、それ以上入り切らなくなった滴が溢れるように、ぽつり、ぽつりと洩れる言葉。
元来鈍感な上に不器用な士郎は、ごめん、とただそれだけしか言葉にできなかった。その代わり、より一層強く、儚い程に華奢なその躯を抱き締めた。
「ごめん」
再び士郎の口からついて出た言葉。
凛の強がりもそこで限界だった。
今まで溜めに溜め込まれてきた感情が、ダムが決壊するように濁流となって溢れ出し、士郎のたくましい胸に顔を埋め、ぽろぽろと涙を流して泣いた。
嬉しくて泣いているのか、悲しくて泣いているのか、自分の感情の行方さえ見失ったように止めどなく泣いた。ばか、ばか、とそれこそ馬鹿みたいに繰返して、握った拳で彼の胸を叩く。
みっともない、と思っても、凛はもうこれ以上耐えることなんかできなかった。
「ごめんな。もう、一人にはしないから」
それはまるで、自身への誓いのようだった。
凛は僅かに身じろぎし、士郎の胸の中で小さく頷いたのだった。
ーーーーーーー
その少し後のことである。
「そう言えば...遠坂。俺が目を覚ました時、あんな目の前で何しようとしてたんだ?」
凜があらかじめ決めていた今後の方針について、士郎にあらかた話し終え、人心地ついた頃のことである。
「へっ?」
不意に思い出したように発せられた、士郎の何気ない問い掛けに、何故か凜の顔は真っ赤に茹で上がった。
「な、なななに急に言ってんのよ......!」
「いや、なんかキスしようとしてたようにーー」
士郎の言葉はそれ以上続かなかった。
「そういうことはっ!気付いてもっ!言わないもんでしょうがーーー!」
がーっと吠える凜の、恥ずかしさとか照れとか怒りとか、色々籠ったボディーブローが士郎の脇腹に突き刺さったからだ。
言える訳が無かった。士郎がなかなか起きないから、キスすれば起きるかなー、なんて考えてたなんて。
恥ずかしさを紛らわそうと歩き出した凜の後ろで士郎は暫しうずくまり、ぱたんと軽い音を立てて閉まった引き扉を見て呻いた。
「なんでさ......」
これから士郎は、戦場で居るより生傷が増えることになる(かもしれない)。