空を舞う赤色の弓兵【アーマードコアfa×fate】   作:迷走人間

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古びた平屋の武家屋敷。家主たる衛宮 士郎がここを留守にして長いが、手入れは行き届いていた。

かつて、在りし日の衛宮父子が別れの一時を過ごした縁側には、淡い月明かりが差し込んでいる。

床板を青白く染め上げる光の中に、黒い陰が一つ落ちていた。

陰は人の形をしていた。

――間桐 桜。

衛宮 士郎の大切な妹分にして、遠坂 凜の実の妹。家主の居なくなった衛宮邸が今尚在りし日の姿を保ち続けているのは、なかば日課のようにここに通っている彼女の努力の賜物であった。

月を見上げる彼女の、紫水晶色の透き通るような長髪が、月明かりを照り返し艶やかに輝いている。翳りを落とした表情は僅かに憂いを帯びて見え、それがどことなく儚げな印象を与えていた。

遠坂 凜が澄み渡る蒼天に煌々と輝く太陽ならば、彼女は闇に消え行きそうな儚さで、古来より人を魅了してきた月のよう。

凜の渾身の一撃から何とか復活を果たし、部屋を出た士郎はその姿を視界におさめ、立ち止まった。

空を見上げ、こちらに背を向けていた桜が不意に振り向く。

「どうしたんですか?ぼーっとしちゃって」

「っ!――何でもない!」

士郎は、自分が見惚れていたことに気づいて僅かに赤面し、顔を逸らした。幸い、淡い月明かりしか光源の無い今、それに気付かれることはなかった。

「寒くないか、こんなところで」

誤魔化すように言ってから、桜の隣にあぐらをかく。

季節は晩秋。頃は真夜中。少し肌寒さを感じる。

「大丈夫ですよ。心配性ですね、先輩は」

「む、そうか」

それだけの短いやり取り。その後は、二人とも暫くの間無言だった。

何処からか聞こえる虫の音と、雲間から覗く満月が風情を醸す。

「ねぇ、先輩」

その沈黙を先に破ったのは意外にも桜だった。

「何で一人で居なくなったりしたんですか?」

「......」

ーー何で、か。

その問いに士郎はすぐに答えることが出来なかった。答えが無いというよりは、士郎自身、複雑に絡みあった自分の感情を解きほぐす時間を必要としていたのである。

目を閉じ、瞑想するように考え込んだ士郎の姿を横目に、桜は更に続ける。

「あの頃の先輩は、姉さんを守るためなら自分の理想さえかなぐり捨てそうな位、姉さんに入れ込んでいたのに」

若干、咎めるような響きがあった。

自分の意思で姉さんを選んだくせに、何でですか、と。

「姉さんは、泣いてました」

何で姉さんを泣かせているのですか、とも。

士郎は何も答えず、申し訳なさそうに、少し表情を歪めた。

桜は遠坂 凜に対して、必ずしも親愛の情のみを抱いている訳ではない。

実の姉であり、憧れの先輩であり、恋敵でもあった。

間桐の家で『魔術の鍛練』と称して与えられた凌辱を知らぬままに、当たり前のように姉として接してくれたことは、涙が出る程嬉しくもあったが、時に自分と同じ苦しみを与えてやりたいと思う程憎らしくもあった。

それでも、やはり、自分も彼女と同様に苦しめられた彼の朴念仁には、どうしようもない苛立ちが湧く。この感情は、どちらも同じ男に恋した女である故に抱く、共感のようなものだ。

――桜......士郎が...士郎が居なくなった

かように複雑な感情を抱く相手だが、二年前、突然に自身の目の前に現れて泣き出した時には本当に驚愕した。

なにせ彼女は桜にとって、姉としても、先輩としても、一人の女性としても、強くて優雅で美しく、女である自分ですら淡い恋心めいた憧憬を抱く程の女傑であったのだ。

それがただの男一人のことで他人にすがるほどに弱々しく泣き出したのだから、桜は自分の中の偶像と現実との致命的な差異に暫し懊悩したのであった。

「先輩は...」

「確かに俺は、遠坂のことが大事で、遠坂を守るためなら、この理想だって捨ててやるって思ってた。」

再び口を開いた桜を、士郎の独白が制した。

「けどそれは、優先順位が変化したってだけだったんだ。

結局、俺は誰かが助けを求めている限り、止まることが出来なかった。理性とか感情とか抜きにして、俺はそういう『存在(モノ)』だったから」

ゆっくりと、しかし、淀み無い語り口で話されるそれは、決して多くを語らない彼の偽らざる本心だった。

「だからかな...遠坂が無茶した俺を庇って死にかけた時、思ったんだ。

俺がこの幸せを望んで、彼女の傍にいる限り...きっと...また遠坂が傷付くことになるから、俺は一人で居るのが正しいんだ...って」

士郎はいつの間にか目を開いていて、頑強な決意を宿した瞳で桜を見つめていた。

「でも...今は違う。

俺はアイツと居たい。」

鋼の意思がくすみのない輝きを放つ。

「これがエゴだってのは分かってる。でも、例えそのせいで遠坂が傷付くことになっても、例え遠坂が駄目だと言っても...俺は遠坂と一緒に居たい」

――ああ、やっぱり

それを見て桜は悟った。

彼はまた行ってしまうのだ。違うのは、彼の隣に彼女がいることだ。自分はまた取り残される。

「だから俺は――」

「もういいです」

桜はうつむいて、士郎の言葉を震える声で遮った。

これ以上は聞きたくなかった。

 

――例えアイツが来るなって言っても、わたしは絶対着いていく

 

彼女もよく似たことを言っていた。

 

――わたしはアイツのためなら何一つ惜しいものなんて無い

 

彼女もあんな目をしていた。

 

――だから、桜お願い、わたしに協力して。わたしはこの計画に、わたしの全てを賭ける

 

それは、尋常ならざる覚悟の証だった。

「えっ、あっ、さ、桜?」

涙が落ちる。

自分は最後まで選ばれることはなかった。

それは当たり前のことだ、と桜は理解している。自分は最後まで何もしなかったのだから。

暗闇の中に一歩を踏み出すことを恐れ、ただ眺めて居ただけの弱虫な自分。現実を突きつけられ、その過去を顧みて歯噛みする。いまさら後悔しても、余りに、遅いーー

桜はぐっと奥歯を噛みしめ、溢れる涙を堪える。泣いても何も変わらない。今だけが、自分に残された最後のチャンスなのだ、と自身を叱咤する。

手の甲で目尻に溜まった涙を拭い、毅然として士郎を見る。その瞳には、小さな決意の火が燃えていた。

士郎や凜には及ぶべくもない、少し風が吹けば容易くかき消えてしまいそうな小さな灯。だが、今までの桜が持っていなかったモノだ。

自分は姉のように強くはないし、優雅でもない。けれどーーかなわないと分かっていても、今だけは恐れない。

何も出来ずにただ失う方が、ずっと恐ろしい、と桜は思ったから。

潤んだ瞳で見つめられ、頬を掻きながら目を虚空に泳がせて当惑する士郎を、桜は真正面から見返す。

「わたしは先輩を愛しています」

「え?」

余りに唐突な告白に、士郎は右手の人差し指を頬に着けたまま、ぴたり、と硬直した。

「ずっと......ずっと、愛しています。全てに絶望していたわたしに、生きる希望を与えてくれた...先輩のことを」

今まで一度として他人に吐露したことの無かった心中の思いを、初めて表層化させる。桜に迷いは無かった。迷っていたら、また手遅れになるから。

「出来ることなら、わたしが先輩の傍に居たかった」

「桜、俺は...」

「でも、いいんです。悔しいですけど先輩を幸せに出来るのは...きっと姉さんだけですから」

困ったように呻いた士郎の言葉を遮り、

「...だから、一つだけ。......一つだけ約束してください」

隠し切れない声の震えを必死で押し殺し続ける。

「必ず......姉さんと幸せになってください」

最後くらいは、一人の女性として対等に並べるように。遠坂 凜からこの地を託された者として、無様な姿を見せてなるものか。

桜は涙をこらえ、あくまで気丈に振る舞う。

言うならば、これは桜の意地だ。

「でないと...許しませんから」

余裕を持って優雅たれ。

 

――わたしは間桐 桜。遠坂 凜の妹だから

 

誇り高き遠坂の家訓を胸に秘め、揺るぎない声音で告げたその言葉は、間桐 桜が遠坂 桜として衛宮 士郎に贈る別れの言葉だった。

 

 

「ああ。分かった、約束する。アイツが俺と居て良かった、って言えるように」

 

力強い答えだった。

 

 

ーーーーーーー

 

 

「桜」

「見てたんですね、姉さん」

桜は士郎がそこを離れた後も、ずっと座って夜空を見上げていたが、襖の陰から出てきた姉の姿を認めて、険のある声で咎めた。

凜はその言葉には取り合わず、さっきまで士郎が居た場所、桜の隣に腰掛けた。

「いいじゃない、そんなの――それよりも、強くなったわね、桜」

しみじみと呟く凜。後ろを付いてくるだけだった筈の妹が、いつの間にか自分の隣に居る。

凜の胸中には、郷愁の思いにも似た感慨深さがあった。

「先輩や姉さんには敵いませんよ。それに、もう何もかもが遅すぎました」

対して桜の声は切なげだ。

「そんなこと無いわよ。あんたは頑張った。今のあんたになら、安心してわたしの後を任せられる」

――だから、胸を張りなさい

凜は桜の躯を抱いて、耳元に囁いた。

桜の目尻から、つう、と一滴の涙が流れ落ちる。

――姉さんに認められた

それは、歓喜の涙だった。

そして、別れの涙だった。

 

「やっぱり、行ってしまうんですね」

いつの間にか立ち上がって、背を向けていた姉に問う。

「ええ、でないと...アイツがまた一人になっちゃうから」

「怖くは...ないんですか」

自分を包んでいた体温。それが失われることを想像して、桜は呻いた。

凜と桜が二年前に立てた計画。それは、限定的な第二魔法の再現による世界移動だった。

しかし、そこには一つ問題があった。

そも、遠坂 凜が宝石剣を用いても、平行世界の境界線にそれこそ針の穴ほどの孔を開けるので精一杯である。とても人が通れるようなものではなかったのだ。

なら、どうするのか。

凜が考えた方法は、大聖杯の機構を流用して収集した極大の魔力を流し込み、その圧によって一時的に孔を人の通れるサイズまで拡張する、というものだった。

強引と言うよりは、無謀と呼ぶべき類である。

仮に上手くいったとしても、上手く別の世界に漂着すること自体、可能性は限りなく低い。言うなれば、大荒れの海に身を投げて、何処かの浜辺に打ち上げられることを望むようなものだ。その趣は投身自殺にも近しい。

転移でも移動でもなく、正に漂流というのが相応しくあった。

「怖くない訳じゃないけど...魔術師っていうのは、元々そういうモノよ」

振り返って諭すように囁く凜。

只一つの結果のみを追って過去へと逆行する異端の存在。目的のためなら、命さえも例外なく、自身の持つあらゆる全てを捨て去ることを厭わない。

それが魔術師。

「わたしには、理解出来ません」

一言、反発する言葉を吐き出して、桜はうつむいて黙り込んだ。

――しょうがないわね

凜は微笑むように苦笑し、押し黙った桜の前に膝をつくと、垂れた頭をくしゃりと一撫でして、

「そんな様子じゃあ、あなたの方が心配じゃない 。

わたしは大丈夫だから、心配しないで。遠坂 凜がそんなことで、しくじる訳ないでしょ? 」

何の根拠も無い言葉だ。むしろ衛宮 士郎などから言わせるなら、こういう時ほど『うっかり』をしでかすのが遠坂 凜である。しかし、別れ際の励ましの言葉としてこれ以上は無い。

その無根拠の自信に溢れた声を聞いていると、何となくその通りであるような気がしてくることが、桜は不思議でならなかった。

「あんたも大変でしょうけど、わたしの後は任せたわ。信じてるから、上手くやんなさい」

愛おしそうに髪を梳いていた手が、桜の頭から離れる。

――さよなら、桜。今までありがとう

最後に、それだけ告げて、立ち上がる気配。

桜は顔を上げてそちらを見る。見慣れた背中が遠ざかって行く。

「あっ」

無意識に伸ばされた手が、視界の隅でひらりひらりと虚空に踊る。

追いかけたい、と思う。

けれど、先輩も姉もそれはきっと本意でないだろう。

無理矢理、世界に孔を開けることが如何なる事態を引き起こすか分からない。故に桜は凜に、付いてくるな、ときつく厳命されていた。

しかし、それでいいのか。

幾度となく繰り返した自問。答えは出ない。それとも、恐れているのか。

逡巡している内に、幼い頃から憧れ続けた背中は見えなくなった。

「ああ、やっぱりわたしは弱虫です。また...言えませんでした」

自嘲気味に呟く。

行かないで、と言えなかった。

連れていって、とも言えなかった。

あるいは、わたしも行く、と言えなかった。

頬を一粒、雫が伝う。

今日、何度目のことだろう。

ただ、後から後から溢れてくるそれを、今度は堪えることが出来なかった。

 

 

ーーーーーーー

 

 

そこは時間の経過を感じさせる衛宮邸においても、特に古めかしい一角であった。

白く塗られた土壁の蔵が、青白い月明かりの中で奇妙な圧迫感をもってせまって来るような錯覚を覚える。

衛宮 士郎は、かけられたまま放置されていた南京錠を取り外し、白い土扉を押し開いた。

開け放たれた入り口から月明かりが差し込んで、真っ暗だった蔵の内部を少し照らす。

中に踏み込むと、多量の埃が舞う空気が鼻に付く。一度、ちらと蔵の中を見渡す。予想通りの散らかり具合であった。

埃の舞う蔵の内部は薄暗く、雑多なガラクタが散乱、奥の方には堆積しており、とても手入れが行き届いているとは言えない。そもそも、ここ何年かは人が立ち入ることもなく、屋敷の裏手にあるこの建物は今の今まで放置されていたのだから、それも道理である。

士郎はそれらを無視して奥へと進むと、採光窓の下の不自然に焼け焦げたような、線状のシミの前で立ち止まった。

それは、いくつもの円を組み合わせ、怪奇で、そして精緻な紋様を描いていた。

士郎は描かれた紋様の意味を理解することは出来なくとも、それが何であるかは知っている。

聖杯戦争におけるサーヴァントの召還陣だ。

目を閉じる。

月下の邂逅。その記憶は今も磨耗することなく脳裡に焼き付いている。

 

必中の槍。あるいは必殺の槍。

あの時自分は、伝説にある宝具とその担い手を前に、何も出来ぬままに殺される筈であった。

しかし、士郎は生きた。生き残った。

背後で突然吹き荒れた旋風。今以上に未熟だったその時の自分さえも気付く、常識外れのエーテルの奔流。

その内より翔び出でた彼女が、両手に握った不可視の剣を振り抜く。剣圧だけで生み出した暴風で槍の英霊を打ち払うと、

 

――問おう。貴方が私のマスターか?

 

月光を背に、彼女は問い掛けたのだった。

 

足音を聞いて振り向く。扉の陰からこちらを覗いているのは凜だ。

どうやら、桜との別れは済んだようである。

少し感傷に浸り過ぎたか、と士郎は思う。

「桜と話は出来たのか?」

「何よ、あんたも気付いてたわけ?」

半眼で睨む凜に、士郎は曖昧な苦笑を返す。

「まあいいわ。もう準備は済んでる?」

凜としては、士郎に気を遣われたことがちょっぴり悔しかったりしたのだが、明瞭な答えは返ってきそうにないので、仕方なく私的制裁は保留することにした。

あくまで保留である。

――後で、覚悟しときなさいよ

心中で凜は呟く。

「あ、ああ、大丈夫だ」

士郎は、言外に語られるその意図に気付いたのか、額には冷や汗が浮かび、頬はひきつっていた。

「そう――じゃあ、行きましょ」

それを見て少しは溜飲が下がったのか、急に凜は、少し声を和らげて促すと、地面に置かれていたボストンバックをよいしょと持ち上げ歩き出した。

足音が遠ざかる。

入り口から覗く地面に映った人影が見えなくなり、そこでやっと士郎は我に返った。

すぐさま外に駆け出すと、入り口の脇に立て掛けてあったリュックサックを乱暴にひっ掴み、そのままそこを立ち去ろうとする。しかし、はっと何かを思い出したようにして士郎は立ち止まり、土蔵の方を振り向いて噛み締めるように言った。

「行ってきます。セイバー」

万感の思いが籠った言葉だった。

それから、今度こそ士郎は凜が向かった方へと月明かりを背に走り出した。

士郎は、今度は振り返らなかった。

 

そうして、衛宮 士郎と遠坂 凜はこの世界から消えた。

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