迷宮絶望譚(ダンジョンディストピア) 作:ゴリラズダンジョン
「良く、あの状態で意識を持ち直しましたね」
ミノタウロスが灰に成った後、ベルは落ちて来た穴を登った。元居た階層に戻ると安堵で直ぐに気を失ってしまったが、通りかかった冒険者が地上まで運んでくれたのが事の顛末。
ベルの包帯を巻き直している銀髪の聖女、アミッドの言う通りそれはもう酷い体の状態だったらしい。骨ガタガタ、内臓滅茶苦茶、一週間も眠りっぱなしだったとか。
「体は何とか治癒しました。ですが、その右腕は……」
「大丈夫です。本当なら、あのまま死ぬ筈でしたから。腕の一本、安い位です」
「――そうですか」
ベルの気丈な振る舞いに、アミッドは少し面食らった様子で返した。
「体の一部を失った事を、そう受け入れられる人は多くないです。駆け出し冒険者ともなると、取り乱す場合も多いので。よほど、過酷な冒険をなさったのですね」
「冒険、ですか」
ベルは瞳を曇らせた。
それは外傷だけに関わらず、精神的な面での患者を見て来た聖女が気が付かないほどの一瞬。
冒険?笑わせる。
ベルが一か月、ダンジョンで繰り広げたのは『逃げ』だ。
走って、駆けて、逃げて。だから気丈に振舞っているのは、腕が無くなった事を受け入れた訳ではなく、まだ逃げているから。
今のベルには、逃げ続ける事こそが現実への向き合い方だった。
「ともかく、無事に話せるようで何よりです。病み上がりの貴方に
「……?誰に、ですか?」
「貴方が眠っている間、ずっと手を握っていた方ですよ」
ベルは残っている左腕に視線を下ろす。だがどれだけ経っても、その温もりを思い出す事はなかった。
「お帰り、ベル君」
この都市で、ベルを想ってくれる
何時も何かとスキンシップの多い彼女ではあるが、今は慈母の如き暖かさで多くは語らない。
思い出させない為か、何があったのかとも一切聞いてこなかった。ただ少し高そうなお茶と、暖かいジャガ丸君をベルの前に置いた。
ダンジョンに居た一か月は非常食で繋いでいて、地上に戻ってからも栄養食を食べていた為、真面な味のある食事は久しぶりだ。
ただ涙は出なかった。むしろ二口目からは、胃が拒否し始めてしまった。
きっと逃げた自分には、あの出来事を辛かったと思う事も出来ないのだろう。
「――ベル君、これからどうしたい?」
手を止めたベルに、ヘスティアはそう問いかけた。その瞳は何時になく真剣、それこそまだベルが眷属ではなかったあの出会いを思い出す。
「片腕の冒険者、ボクはカッコいいって思うけど現実的には厳しいと思う。ただ言いたいのは、仮に冒険者を辞めてもボクは責めないってこと。むしろボク的には、一緒に田舎でほのぼのと暮らしたいなぁーとか思ったりして……まぁ兎に角、重要なのは君の『想い』だ」
「僕の想い…………」
逃げたい、全てから逃げてしまいたい。
だがその臆病の中、確かに。英雄に成りたい、そんな馬鹿げた願望は枯れずに眠っている。
「……神様。僕、強くなりたいです」
その想いを告げて、しかしベルの意見を尊重すると言ったヘスティアは難しい顔をした。
「ごめんねベル君。さっき言った事、訂正するよ。今の君を、冒険者として送り出す事はボクには出来ない」
「どうしてですか?」
「君の眼、とても危うい。ボクが知ってる一途なそれじゃなくて、矛盾に苛まれて混沌してしまっている。――今のままだと、きっと近い内に擦り切れてしまう。一度、ボクと一緒に都市から離れないかい?心を癒してからでも――」
「無理です、僕はもう逃げてしまった。今更戻ろうと思うっても、きっと英雄にはなれない。このまま逃げて、逃げ続ける事しか方法がないって、きっとそう思います」
何かを断言できる程、ベルは長い人生を生きていない。だが賢くないから、まだ少年だからこそ、英雄に成る為にはそうするしかないと思った。
一か月ミノタウロスから逃げ続けた少年の魂には、『逃げ』こそ最高の手段であると刻まれてしまっているのだ
「……分かった」
それが一種の人の子が抱く『想い』だと、ヘスティアは認めた。だがその表情は納得していない事を隠し切れていない。
「ベル君……いや、ベル・クラネル。君を【ヘスティア・ファミリア】から追放する。ボクは、その理想に加担できない」
●●
【ファミリア】からの追放。
それは恩恵を授かった眷属ではなくなることを意味する。
そしてこの神時代では、神の恩恵なくして『英雄』は有り得ない。
ヘスティアの決断は、きっと彼女なりの抵抗だったのだろう。駆け出しでヘマをして右腕を失って、しかもあの処女神の一柱である女神から追放された冒険者など、どこの神が眷属として欲するか。
実際、ヘスティアと袂を別ってから一週間、新しい【ファミリア】が見付かる兆しはなかった。
あの時倒したミノタウロスのドロップ品で暫く食い扶持を繋げるだろうが、速めに見付けないと生活の面でも危ない。
長袖と棒切れで無くなった腕を上手く偽装して、変に絡まれないよう神を探していると、
「おっ、久しぶり!」
そうやって、如何にも胡散臭い男が話しかけて来た。
顔を白塗りした長身のピエロ、赤と青のオッドアイが良い味を出している。
「どうした、呆気にとられた顔して俺だよ俺。いや、まさかこの世界ではまだ俺さんと君さんは出会ってない……?」
軽い口調に、意味の分からない事を言う、正に見た目通りの道化染みた男だ。
「あの……貴方は一体?」
「見ての通り、通りすがりの神だが?」
「カミサマ、ですか?」
「おいおい信じてないな?まぁ無理もないな、俺さんって覇気ないし。てか全部の神が神々しさを漂わせてると思うなよ?天界にも人間と同じで、序列だってある。いやむしろ酷い位さ、辺境の神は名すらも持っていない事があるし……ま、俺さんもその一人って事。いやぁ、自分で言ってて悲しくなるね」
この面倒な感じ。
うん、確かに神だ。今までベルが出会ってきた中で、断トツで神らしさは皆無だけど。
「それで、僕に何か用ですか?」
「勿論、用があるから話しかけた訳さ。いや俺って神らしくはないと言っても、一応神な訳で。特殊能力っつうの?まぁ色々と分かる訳。それで君さんを見て確信したのさ。ここで今出会ったのは必然だってな。――俺さんの【ファミリア】に入れ」
左右非対称な双眸を悠然と輝かせて。初めて道化はベルの瞳に神っぽく映った。
ベルは現状、【ファミリア】を選択する立場にない。
明らかに怪しく、何か裏がある気がしてならないが逆に都合が良い。道を誤った今のベルには、使い捨てが出来るような神の方が勝手が効く。
「契約成立だな。そうだな……俺さんの事は、サタンとでも呼びな。それでお前さんは?」
「ベル・クラネルです」
「そうか、やっぱりお前はベル・クラネルだよな」
そんな意味の分からない事を言って、名無しの神――サタンはからからと笑った。
「その右腕、何かと不便だろう。近々義手でも用意してやる。ベルは俺さんに、未来を見せるだけでいい」
「その結末がどうなろうとも、ですか?」
「ああ、勿論。喜劇も悲劇も、惨劇すらもこの俺さんが『祝福』してやる」
この出会いが、ベル・クラネルの未来を大きく左右する起点となるだろう。一度ズレた歯車は止まることなく、更に本来の形とは乖離していくのだ。
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