迷宮絶望譚(ダンジョンディストピア) 作:ゴリラズダンジョン
「ベルさん、これお弁当です」
まだ日が昇り切っていない早朝、ダンジョンに向かうベルを呼び止めたのは薄紅色の髪を揺らす娘だ。
シル・フローヴァ、『豊饒の女主人』で店員をやっている冒険者でもない只の少女。
ベルは必要以上、人と関わらない事を心掛けている。ただ彼女は何かと意味もなく、ベルに声を掛けて来るのだ。
誰にでも愛想を振りまく性格なのは勿論あるだろうが、それにしても毎朝お弁当まで持たせてくれるのは、明らかな『過度』。
ただ今の所、何かをしてくる気配がない。強いて言うなら、彼女の背後で何時も眼光の鋭いエルフがにらみを利かせてきている位だが……ベル自身、シルに何かをする気はないので、無視を貫いている。
「あっ、待って下さい。昨日のお弁当、美味しかったですか?」
「昨日の……はい、美味しかったと思います」
シルが作るお弁当は、色とりどりで栄養バランスもしっかりとしている。
「実は昨日のお弁当、砂糖と塩を間違っちゃって……。残り物を食べたアーニャが、それはもう顔を青くしてにゃーにゃーって転げ回ってました」
「あ、そうだったんですね」
「もしかして、食べなかったんですか?」
「いや、しっかり食べましたよ」
砂糖と塩を間違ったのに美味しかったなど、お世辞にしては下手糞すぎる。それとも、ベルの舌がよほどイカレてしまっているのか。
そのどちらも正解とは言い難いが、後者の方が近いだろう。"きっとおいしい"、そうやってまるで他人事の如くシルの料理の腕を評価したのには理由がある。
確かにベルは頻繁にシルの手作り弁当を食べている。米一粒残すことなく平らげているし、捨てるなど勿体ない事はしていない。
単純な話だ。ベルにとって、食事は『補給』だということ。
「ベルさん。最後に『味』を感じたのは、一体何時ですか?」
「……神様の元でジャガ丸君を食べたのが最後だと思います」
逃げる事を決めた日から、徐々に『味』は失われていった。今ではもう、"しょっぱい"といった感覚しか残っていない。
その点、シルの料理は何かと塩分が多めなので、高級レストランと比べてもよっぽどマシだ。
「私の弁当、実は美味しくないって評判なんです。頑張って作ってるつもりなんですけど、一向に上達しなくって……だからベルさんが味を取り戻すまでに必ず上達して、泣きながら"美味しい"って言わせてあげます」
グッと拳を握って、曇りなき眼でシルはベルを真っすぐ見る。
その後、娘はいじらしく笑った。
今のベルには眩し過ぎる存在だ。
「どうして、そうも僕を気に掛けるんですか?」
関わりたくないなら、下手な質問はしない方がいい。だが彼女は聡く、娘としては過剰な観察眼を持ちながらも、どうしてベルに目を掛けるのかどうしても気になった。
シルは唇に人差し指を当て、少し思考を挟む。
「私、特別誰かを嫌ったりする事はないんです。すっごく悪い人でも、駄目だよーって叱る位で。でもベルさんを見ていると何だか腹が立ちます」
「えーっと、それは……?」
「大っ嫌いって事ですね!」
花のような笑みで、シルは言い放った。誰かに嫌われる生き方を決めた筈なのに、そこまで真っすぐに言われると少し心が痛むベルだ。
「ぐっ、失った筈の心が……。でも可笑しくないですか?嫌いだから話しかけるって、何だか矛盾してる」
「今絶賛矛盾しているベルさんがそれを指摘しますか。簡単な話、嫌いであってもそれが『唯一無二』だから」
誰かを嫌わない娘の、心を初めて搔き乱した相手。それは嫌悪であると同時、興味の対象とも成り得ると言う訳か。
「貴方がこれからどうなっていくのか、興味があります。捕まえて食べてやろーとか、そんなことする気はないです。ただその物語に少し関与させて欲しいなーとか思ったりして」
「何だか、"あの神"みたいな事言いますね。もしかしてシルさん、実は神様だったり?」
「どうでしょうか?でも仮に神だったとしても、今のベルさんにはどうしようもない問題です。どう足掻いても、貴方は
シルはどこか遠い目をした。
その視線の先、彼女の望む未来にベルはいない。
これ以上、彼女と話す事はなくなった。今日も"やる事"は沢山あるので、陽が昇る方角へとベルは走り出す。
「あ」
少し距離が離れた後、シルは思い出したように喉を震わせる。
振り向くと、彼女は朝風で揺れる薄紅色の髪を抑えながら言った。
「いってらっしゃい、ベルさん」
「……いってきます」
手を振り返して、行路を走る。ただ向かう先は光路ではない。
深い闇、先がない深淵へと。
「シル、大丈夫ですか?」
ベルが去ったあと、何処からともなくシルの前に現れたのは薄緑色のエルフだ。
「もう、リューは過保護が過ぎるよ」
「あのヒューマンは危険だ。手段を選ばない、私が知っているあの頃の私の眼に似ている」
「言われると、確かにそうかも。じゃあ尚更、誰かが手を差し伸べてあげないと」
「私の場合、『目的』が尽きたのが幸いだった。あのヒューマンは違う、きっと走り続けるだろう。シルに危害が及ぶ可能性は十分にあり得る」
「うーん、それはないと思うな。ベルさん、結構優しいよ?」
数々の悪をその目で見て来たリューの瞳には、あの白髪の少年はそれこそ悪魔に映った。目的の為ならどんな手段で合っても厭わない、そんな度し難い悪が有する暗い眼光。
だが彼女以上に、シルの瞳とは優れている。
「その優しさも隠してるだけって、きっとそう思う。それを思い出せば、きっと――」
「きっと、どうなるのですか?」
「私にも分からない。でも私には、私達にはきっと見る事しか出来ない。既に賽は投げられてしまったから――」
毎回短くてごめんなさい!