迷宮絶望譚(ダンジョンディストピア)   作:ゴリラズダンジョン

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狐人の抜け殻

「えーっと、あのぉ……」

 

 ベルは困惑していた。

 

 自分でふらふらと訪れておいて言うのもあれだが、現状の『意味』が分からなかった。

 

 もしこれが運命の導きなら、神様は巡り合わせを間違ってしまっている。だってベルの前に居る金髪の少女は、何も喋らない。

 

 それどころか、こちらを見ようともしない。

 

 言葉も視線も交わさない物語の始まりなどあってたまるか。

 

 どれだけ距離を詰めても耳をぴくぴくとする事はないし、言い方は悪いが、狐人(ルナール)の彼女はまるで人形だった。

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインも、その表情の少なさからそう揶揄される事が多いが、目の前の彼女に関しては本当に無表情。

 

 生きてはいる。キモノの下で、その豊満な胸は確かに躍動しているし。

 

 目もぱっちり開いている。ただ焦点が合っておらず、虚空を見て……いや『虚構』に支配されてしまっていた。冒険者で脳に多大なダメージを受けてしまった、所謂『植物状態』になる人は多くいると聞いた事がある。

 

 彼女も同様に、心だけを体に置いて去ってしまったのか。

 

 ベルが今居る歓楽街では最近、【イシュタル・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】のいざこざがあったが何か関係あるのかも知れない。

 

 しかし、体ではなく魂の欠陥となると【戦場の聖女(デア・セイント)】でもお手上げだ。

 

 だが今日この日、この場所に導かれたが『偶然』とは考えられない。

 

 だからベルは、何かが起きるまでその場で待った。

 

 暫くすると、狐の少女は初めて動きを見せた。視線は相変わらず上の空だが、何かを探すように畳に両腕を這わせている。

 

「……本?いや、英雄譚?」

 

 彼女が手を伸ばした先にあったのは、一冊の英雄譚だった。そのタイトルは、ベルも良く知っている。

 

 ただ狐の少女は手に取ったはいいが、それを開く事は出来なかった。本をどう開くかも、今の彼女には闇の中。

 

 やがて折角取ったのに、細い手から滑り落ちてしまう。

 

「ぁ……ぁぁ――」

 

「これ、読みたいんですか?」

 

 ベルが質問すると、彼女は小さく首を振った。

 

 だが仮に本を開いても、読める訳もなく。だからベルがその英雄譚を手に取って、そして読み聞かせてあげた。

 

 お爺ちゃんがやってくれたように朗々と、そして敬意を忘れずに。

 

 すっかり自分は変わってしまったと思っていたベルだが、未だに英雄に対する想いは色褪せない。気付けば自分も没頭してしまっていた始末だ。

 

 吟遊詩人と比べても劣らない熱量で紡いだ後、「はっ」と気付いて謝ろうとしたが――、

 

「笑ってる?」

 

 確かにさっきまで無表情だった狐の少女は、微かにだが口端を綻ばせている。

 

 それは残滓。魂を失った彼女の体に刻まれている、強い想い出への反応。

 

 本来の姿ではない人形の彼女に言うのも失礼な話かも知れないが、ベルは彼女がとても美しいと思った。

 

 動かない女の体を陵辱するなど、そんな事をしたい訳ではないが、無意識にベルはその手を握った。

 

 その瞬間、何もなかった筈の少女は白髪の少年にとっての『何者か』になる。

 

「これは……?」

 

 常に何かから逃げて、追い立てられている。その生活は、Lv1のベルを値以上に鋭敏にしている。

 

 細い指を通じて、流れて来る赤。熱い、鬱陶しい暑さとは違う。

 

 血流を早めて、知覚できない体の奥底を奮い立たせて来るそれは紛れもない『力』。

 

 ランクアップ、と言っていいのだろうか。Lv1のベルはしたことがないし、これからできる予定もないが、確かにベル・クラネルという器が昇華する感覚。

 狐人(ルナール)が希少種族なのは知っているが、まさかこれは強制的にレベルをブーストする力?

 

 魂という根幹を失ってなお、色褪せる事のない彼女の才能(ギフト)

 

 そうやって長考していると、間もなく体に巡っていた力は光粒となって霧散した。

 

 もう一度狐の少女に触れるが、同様の現象は起きない。それに伴ってか、象っていた表情も元に戻ってしまっている。

 

 現時点で立てられる仮説はこうだ。

 

 狐の少女は何らかの特殊なスキルを持っていて、それは彼女の体に残滓として残っている。彼女の想い出を刺激する事で、その『力』も自ずと発現される。

 

 試しにベルの記憶に保存されてある他の英雄譚を読み聞かせた後、手を握ると同様の『高まり』が起きた。

 

 それに先ほどと比べて僅かだが、上昇幅が大きくなっている気がする。

 

「……えい、ゆう……?」

 

 少しだけ。気のせいかもしれないが、一瞬だけその虚構の双眸に色が宿って見えた。

 

 ただもしそれが眠っている本当の彼女がベルを見て思った感想なら、とんだポンコツ狐だ。

 

「僕は貴方の英雄には成れません。僕に出来るのは貴方に『物語』を聞かせる事だけだ」

 

 彼女の名前も性格も、辿って来た全ての軌跡をベルは知らない。それを取り戻そうとも、今の自分は思わない。

 

 だが狐の少女は、半妖精(ハーフエルフ)の受付嬢、に小人族《パルゥム》、そして道化と同様にベル・クラネルが逃げ続ける為に『必要』だ。

 

 僕は彼女を救わない、救う事が出来ない。

 

 その代わり、もし英雄譚が聞きたいなら謡おう。そして望むなら、ベル・クラネルの物語(この英雄譚)を特等席で。

 

 この日、ベルは狐を拾った。

 

 

「却下です」

 

 彼女と一緒に本拠地(ホーム)に戻ると、リリルカは納得いかない様子で頬を膨らませた。

 

「そもそも、どうして手を繋いでいるのですか。新米の癖に生意気です、ベル様のヒロインはリリしか有り得ないですぅ!」

 

「こうやって手を繋がないと、直ぐに迷っちゃうから……」

 

 そう言って初めて、リリルカは狐の少女の欠陥に気付いた。そしてため息の後、「又厄介事を……」と。

 

「ベル様が連れて来た以上、その方はきっと役に立つのでしょう。ですが自分の意思で動けない以上、お世話は一体誰が?」

 

「えーっと……ほら、それは僕も手伝うから」

 

「却下です!あれがああなってあんなことやこんな事になる未来がありありと浮かびます!」

 

 これほど喚くリリルカの姿も珍しい。

 

 それを微笑ましく見るベルだが、意外と本拠地(ホーム)ではこんな感じだ。ここならまだ何かに怯える事もないし、平穏な時間が流れる事もある。

 

 だが結局、狐の少女を含めてこの場所にいる全員は『欠陥』だ。

 

 もしその金の毛並みが裏返って使い物にならなくなったら、きっとリリルカはベルの為にとあっさりと切り捨てる。

 そしてそんなサポーターの行動を、ベルは肯定するだろう。

 

 だからまだ歯車が嚙み合っている時くらい、ファミリアらしく。

 

「あ、そうだ。この人の事、何て呼ぶか決めないと」

 

「確かに"狐の少女"だと不便ですね。名付けとなると、サタン様にでも頼んだ方が良さそうですが……」

 

 普通の神々も偶にはちゃめちゃな冒険者の『二つ名』を付ける事があるのに、あの(ひと)がやるともっと悲惨な事になるに違いない。

 リリルカはベルの意見を最大限に尊重する姿勢である以上、名付け親は白髪の少年以外にあり得なかった。

 

「……桜、とかどうでしょうか?」

 

「サクラ……極東の春に咲く美しい花ですね。どうせ妖艶で目を惹いて、どこか儚い容姿が春みたいだなーとか思って付けたんでしょうけど、いい名前だとは思います」

 

「ぐっ、全部暴かれてる……」

 

 流石に単調過ぎたとも思ったが、不意に狐の少女――桜の口端は綻ぶのだった。




 本編では各予定がない、ベルが闇落ちしてしまった事による本来の物語への影響を、この話から『後書き』に書いて行こうと思います。

 命や桜火、千草の【タケミカヅチ・ファミリア】に関してですが、本来は怪物進呈をベル達に押し付ける形で逃れる筈がそれは起きる事無く、代わりに千草が犠牲になる形で二人は生き延びました。
 命と桜花は武神に顔向け出来る訳もなく、二人共、極東に帰って鍛錬に明け暮れます。

 なので彼女とベルが出会う事はないです。
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