迷宮絶望譚(ダンジョンディストピア) 作:ゴリラズダンジョン
「はぁ、はぁ……」
ベルは逃げていた。
何時も何かから逃げ続けている少年だが、今はただ一人。明確な『敵』から逃げていた。
夏にしては肌寒い夜。事の始まりは、ベルが【ロキ・ファミリア】の
狐の少女、桜から『祝福』を授かって更なる速さに適応した白髪の少年は、見張りに有無を言わさない速度で黄昏の館に侵入した。
最初に事態に気付いて駆け付けて来たのは、アマゾネスの双子。ただ難なくベルはその間を駆け抜けていった。
高そうなツボや地下のショーケースに保存されてあるワイングラス、片っ端から物を壊すのは勿論だが、途中途中火を放った。
消火作業に追われる【ロキ・ファミリア】を他所目に、更に被害を拡大させていく。
折を見て、さっさとベルは逃げ出そうとした。【
適当な部屋に入って、窓から迷宮都市の夜闇に姿を消そうとしたが――、
「……えっ?」
部屋にはエルフが居た。
山吹色の長髪の整った顔立ち、まだ幼さが残る、ベルとそう変わらない年齢の少女だ。
まさかこの騒動の中で、今まで眠りこけていたのか。彼女は咄嗟に傍にあった杖を掲げて、乙女の部屋に無断で侵入して来た不審人物に反撃の意を示す。
ベルとしても、無駄な戦いはしたくない。
見るからに近接戦闘タイプではないし、魔導士なら詠唱をさせる暇もなく逃げ出す事が出来るだろう。
ただどこまでも、ベルは臆病だ。もし万が一、彼女が凄腕の魔導士であった場合、窓から逃げた少年の背を魔法で穿つ可能性がある。
だから彼女が杖をしっかり握るよりも速く、ベルは言い放った。
「ファイア・ボルト」
「っ~~~~~~!?」
至近距離で放たれた炎雷は、強い衝撃となってベルの体を窓の外に放り出す。その勢いで、夜の迷宮都市に姿を消す予定だった。
だが背後、今しがたベルが出て来た部屋に立ち込める黒煙の中、光柱が閃く。
「――狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢――アルクス・レイ!!!」
気付いた頃にはもう遅い。
屋根を走っていたベルの体は次の瞬間、狙撃されてしまった。確かに葬った感触はなかったが、まさかあの距離で速攻魔法を防いだのか。
第一級冒険者ならまだしも、さっきの少女はそこまでの器ではない。才能……いや、経験。
よほど優れた魔導士との対人経験があるに違いない。
しかも運が悪い事に、背後からの魔法が穿ったのはベルの右腿。
あの距離からそれすらも狙ったというのなら、賞賛するしかないだろう。ベルはボロ屑みたいに屋根を転がって、やがて路地裏に背中から落ちる。
「いてて……」
明確な失敗は久々だ。だからこそ、速く起き上がってそのミスをカバーしないといけない。
黄昏の館との距離は十分にあるが、冒険者の脚力なら直ぐに追い付いて来る。桜の
ポーションを呷って、布をおざなりに抉れた右腿に巻き付けて――
「追い付いた。良くもレフィーヤを……許さない」
暗い路地裏に差し込む街灯の光、唯一の出入り口に影が立ちはだかる。
凡人なら溶けてしまう闇夜で、しかし彼女の容姿は輝いていた。金髪金眼、一度見たら忘れはしない人形の少女。
普段は無表情な彼女は、今仲間を傷付けられた怒りに柳眉を曲げて剣を握りしめる。
「……僕を、覚えていますか?」
退路の無い状況で、ベルが最初にしたのは質問だった。命乞いでも化かし合いでもない、ただ純粋な問い。
だが彼女――剣姫は迷うことなく首を傾げた、
「知らない」
「……そうですか、そうですよね。僕は、貴方を忘れてないのに」
あの日、ベルにとって『転機』となったのは間違いなく彼女だ。彼女が白髪の少年に気付くことなく、素通りしていったからこそ今の自分がある。
そうだ、これは八つ当たりだ。
ベルが弱かったからそうなった。別に彼女も、それを望んでやったわけではない。
実際あの後、【ロキ・ファミリア】から謝罪もあった。それに事を公にしなくていいと言ったのは、ベル自身の意志だ。
「やっぱり、私は貴方を知らない」
「それでいいです。貴方は別に、僕を知らなくていい。――だから僕は勝手に、貴方を恨ませて貰う」
深紅に瞋恚を宿して、もはや数字で比べるには馬鹿馬鹿しい程、レベルが離れている剣姫に対峙する。
彼女がベルを追って来たのは、
「貴方は、ここで倒しておかなくちゃならない」
銀閃が舞い、狭い路地裏でベルを襲う。
痛む足を引きずってそれをどうにか避けて、掻い潜る。狭い空間での駆け引きなら"あの時"、ミノタウロスと飽きるほどやった。
隙を突いて路地裏から逃げ出して、夜の迷宮都市を追いかけっこ。
ベルが怪我をしているのもあるが、剣姫は思った以上に速い。だがそれでも追い付かれないのは、一重に都市の構造に関する知識だ。
冒険者としてのモンスターの知識以上に、ベルはこの都市に関して
こういった日が来るだろうと思って、ありとあらゆる場所まで探索済みだ。ただそれでも剣姫を引き剥がす事は出来ない。
着実に時は過ぎて行って――気付けば陽が東から昇り始めていた。
「やっと、追い詰めた……」
本来は封鎖されている市壁内部の出入り口を経由して、ベルは都市北西の市壁上部に出る。ただそこは想定していた逃げ場所の一つではない。
なぜだろうか、無意識に足が向いたのだ。
そして一度は突き放したはずの剣姫も又、この場所に辿り着いた。
朝焼けに照らされる市壁上部は逢瀬には持って来いだが、生憎と紅と金の双眸は交わるのではなく、火花を散らして敵対する。
正義と悪、人間と怪物、あるいは勇者と魔王か。互いに決して相容れる事はなく、差し伸べるのではな手ではなく無機質な『剣』だ。
「剣姫、アイズ・ヴァレンシュタイン」
ベルを助けてくれなかった彼女が今、自分を追い詰めている。その状況に、新たな『シナリオ』を今思い付いた。
その名を初めて口にしてはベルは、大きく腕を広げる。口角を不気味に上げ、まるで道化の如く朝焼けを一身に浴びた。
「僕はこれから、都市を滅ぼす『悪』になる。僕と貴方がこうして出会ったのはきっと運命だ、だから貴方に見届けさせてあげます」
「見届ける……?貴方は一体何を言っているの?」
「理解しなくていい、僕の名前はベル・クラネル。この名を忘れないで下さい、そして絶対何時か――」
困惑に支配される金髪金眼の少女に、ベルはその意味を語らない。そして最後にトンと軽くステップを踏む。
市壁から落ちていく白髪の少年は、風にその言葉を乗せた。
「何時か絶対、僕を殺しに来てください」
「ッ!待って――!!!」
意味の分からない事を言って体を空に預けた少年。アイズは咄嗟に市壁に乗り出すが、しかしその姿は何処にもない。
ステータスで強化されている視力のおかげで、地面を目視する事は容易い。ただどこにも彼が落ちた形跡はなかった。
「ベル・クラネル……」
あの少年は、ただ好奇に任せただけの狂人とは異なる。
アイズが知っている赤髪の
彼が誰でどんな人だとか、全く分からない。だがその名は確かに、アイズの中に刻まれるのだった。
ベルが助力しなかったせいで、18階層のアンダーリゾートは壊滅してます。よってモルドもボールスも……。
あと春姫が魂を失っている所から分かると思いますが、ベルが介入しないせいで【イシュタル・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】との抗争は行われています。
レベルブーストや精霊を使っても強すぎる後者には勝てなる訳もなく……。ただフレイヤ側も少なからず損害を負って、特に子供が傷付けられる事にブチギレ。今後間違っても自分の眷属に手を出す者が現れないよう見せしめとして【イシュタル・ファミリア】を徹底的に掃討して、その時にアイシャも……。
この物語では基本的に殆どのキャラが想定し得る悪い方向に進むのであしからず。あ、【アポロン・ファミリア】はベルに手を出さなかったおかげで存続してますね、やったー!