パドックの関係者のみが立ち入れる場所で、萩谷は苦い顔をしながら新聞を読んでいた。新聞には'マカナ楽勝V!三宅「3冠もある」'という煽り文句がデカデカと謳われている。いままさにパドック周回中のメインレース、東スポは萩谷も勝つ自信は当然ある。それどころかむしろどう勝つかの方が気になっているが、3冠発言は流石に言い過ぎではないだろうか。
短期の頃から三宅を見ている萩谷は三宅がやたらと吹きがちなのは知っていた。だが、流石にここまで吹かれるのは想定外。この発言が飛び出した時に萩谷も隣にいたが、その場では耳を疑った。冗談だと思っていたが、そうではなかったらしい。
萩谷厩舎が管理している2歳馬もまだ未走馬が半分以上だし、他の厩舎の未走馬の中にG1級の素質を持った馬も当然いるだろう。そのことを三宅がわかっていないわけでもあるまい。フェルテマカナがG1級の素質を持っていて、クラシックを期待できるレベルの馬なのは同意見だが、2歳秋の時点で言い切れるほどの自信と度胸は萩谷にはない。過去にこの時期の重賞を勝った時に当時のトップ騎手をして「ダービーを予約」とまで言わしめたがその後散々な戦績に終わってしまった馬だっている。
以前あんまりにも三宅が吹きまくるので注意したのだが、吹く時はだいたい勝つ上に負けても負けたなりに格好はつけるので何も言えなくなってしまった。
おもむろに頭部に手をやれば、ずいぶんとさみしい感触。10年前に開業した時はまだ栄えていたのに、10年ですっかり寂れてしまった。素質馬を預かるようになって心労が増えたのが原因だろうか。おそらくそれも原因なのだろうが、他の原因が主だと萩谷は思う。視線の先には騎乗準備をしている三宅。
あいつのせいだ。
短期時代の受け入れ厩舎ということもあって、三宅は積極的に萩谷厩舎の馬に乗ってくれている。これは他所の厩舎からしてみれば羨ましいことこの上ない。まだ20代の勝率2割5分ジョッキーなんて世界のどこを探しても見当たらない。騎乗数を絞っているとか人気馬にしか乗らないとかでなく、純粋な勝率2割5分。三宅の騎乗の腕は別格だ。萩谷が乗せる騎手で困ったことは三宅が通年をとって以降半年で一度もない。
極端な話、有力馬は全部三宅を乗せておけばいい。力のある馬に適条件のレースで乗せれば三宅は必ず結果を出して戻ってくる。そこは信頼している。三宅はいい騎手だ。
ただ、吹き癖だけは本当に勘弁して欲しい。
周回停止の合図が出たのを確認してマカナへと歩き出す。既に三宅は到着していて騎乗扶助待ち。足を持ってタイミングよく押し上げる。
「あんま仕上げてない感じですかねこれ」
「叩き仕様と言え。最低限は仕上げてある」
この男は乗っただけでどのくらい仕上がっているかなんとなくわかるらしい。
別に勝つ分には問題なく仕上げているが、三宅は不満顔。
「んー、いやちょっとやりたいことあったんですけどね。まぁ仕方ないか」
「何やる気だったんだ」
「まぁ色々と」
「何やろうとしてたのか知らんが、まぁお前の事だ。乗ってる時に変なことはせんだろ」
「そこの信頼はあるのに自信あるって言ったら怒るのはなんでなんですか」
「2戦目で3冠発言する馬鹿がどこにいる。自信があるとかそういう次元じゃないだろ」
「えー。実際いけるのに」
「俺の心労を考えろ馬鹿者。ここ数年で一気にキてるんだぞ」
「歳的にハゲてもおかしくないでしょ」
背中にグーパン。戻ってきたら引っ叩く。
1番から徐々に馬たちが地下馬道へと向かいだす。マカナは7番。ここからは三宅の仕事だ。
「萩谷さん」
「なんだ」
「見た目と数字どっちがいいですか?」
「なんの話だ」
「いいからいいから」
「……数字」
「あいよ」
ニッと三宅が笑う。
前の馬が歩き出して、厩務員に引かれながらマカナと三宅も地下馬道へと向かって行った。
「あいつ何するつもりだ…?」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
秋晴れの東京のターフに姿を現したフェルテマカナ。漆黒の馬体は西陽を浴びて照り輝いている。
「人気エグいな〜。まぁ勝つしいいけど」
メインビジョンが示すフェルテマカナの単勝人気は1.1倍。2歳戦、1戦1勝馬が背負うには余りに過ぎたオッズだ。
「数字って言われちゃったからな〜。馬体仕上がってないしいけるかな〜」
先ほど萩谷に聞いた質問で見た目と返ってきたら着差、数字ならタイムを可能な限り良くすると三宅は決めていた。タイムはもっと正確に言えばレコード勝ちである。ただ、このレースは13頭しか出走していない。2歳戦の小頭数はどうあがいてもスローペースになりがちだ。脚力でタイムを縮めるのにも限界がある。どうにかハイペースを作らなければならない。
作戦としてはおおよそ2つ。どちらをやるかは他馬の動向次第。
ゲート裏でマカナを宥めながらくるくると周る。
係員に引かれてゲート入りを済ませる。
ガコンと音がして、ゲートが開いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
"さぁゲートが開いて各馬飛び出した。圧倒的人気7番フェルテマカナはいいスタート。おっとフェルテマカナ前に行きます控えません三宅統也。大方の予想に反して2番手につけていますフェルテマカナ"
スタートの後下げることなく逃げ宣言の馬の直後につけたフェルテマカナ。ハイペースを作らなければならない三宅にとって、人気を背負っていることは逆にあり難いことだった。変に下げて後ろでマークされ続けて前が止まらないなんて事は避けたいので、あえて逃げ馬をつつく位置にポジションを取る。強い馬の後ろというものは他馬からしてみれば絶好のポジションであるので、前をつつくフェルテマカナの真後ろは位置取り争いが激しくなる。逃げ宣言の馬は気性難気味の大逃げ型なのはあらかじめリサーチ済み。
逃げ馬は差を広げて逃げたいのでガンガンペースを上げる。途中で息を入れようにもピッタリと追走してつつき続けている三宅がそれを許さない。そして後続はフェルテマカナの真後ろを巡って激しい位置取り争い中。逃げ馬はもうペースを下げる事は不可能。
その結果。
"さぁ前はかなり固まって前と後ろの馬群には大きな差がついているが…1000M通過はなんと58.2秒!超ハイペースで先頭を行きますボルテージラン。直後追走フェルテマカナ3番手にはムーンライトその横………"
前を押し出し続ける三宅と三宅を押し続ける後続。両者によって前へ前へと押され続ける先頭。その結果出来上がったのは超ハイペース。
当然2歳馬が耐え切れるペースなわけもなく、3コーナー中間で逃げ馬は脱落。後続各馬も4コーナーに入るところで既に手が動いている。
そんな中、先行馬の中で唯一持ったままで先頭に立ち、直線に入ってくる漆黒の馬体。
"さぁ4コーナー回って直線コース!先頭フェルテマカナまだ持ったままだ余裕があるリード5馬身6馬身!2番手後ろからペカニロが上がってくる!フェルテマカナ強い強い突き放す!さぁ今鞭入ってさらに加速!フェルテマカナ先頭!"
地獄の前傾ハイペースを2番手で追走していたにも関わらず、フェルテマカナのペースは衰えない。どころか、追い出しがかかってさらに速度が上がる。後方で控えていた馬が追い込んでくるが、さらに突き放されないようにするのが精一杯。
"なんという強さだ!フェルテマカナリード7馬身!フェルテマカナ先頭ゴールイン!怪物が今そのベールを脱ぎました!2歳戦線の主役に今名乗りを上げてフェルテマカナと三宅統也です!2着にはブラックライト3着ペカニロ。さぁ勝ちタイムですが…1分44秒1!なんと驚きましたレコードです!"
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「なにしてんだお前は!」
レース後に引き上げてきた三宅を迎えたのは萩谷の怒声だった。
「叩き仕上げだっつってんのに要らん着差つけてレコード出す奴があるか!」
「いや数字がいいって言ったの萩谷さんの方じゃないですか」
「わけわからん事聞いといてなに言ってんだ!誰がレコード出してこいっつった!この馬鹿野郎が…」
萩谷の怒りは尋常ではない。
「無茶なペースで追走させて一杯に追って…。馬が壊れるだろうが!」
「壊れると思ってたら追ってませんよ。壊れない自信あったからあそこまで追ってるわけで」
「壊れなくても疲労が相当あるはずだ。本当に余計な事しやがって…」
萩谷が見たところ、脚元は問題なさそう。既に息も入っている。とてつもない心肺能力だ。とんでもない馬だな、と萩谷は改めて思った。
「おい、あいつはどこいった」
三宅がいつのまにか消えていた。まだ説教は終わっていない。
「三宅なら勝利騎手インタビュー行きましたけど」
フェルテマカナの担当厩務員が答える。お立ち台をみれば確かに三宅がインタビューを受けていた。
「…………はぁ」
寒風が吹いた。レース前よりも頭部が寒く感じるのは気のせいだろうか。
帰りに育毛剤を買おう。そう萩谷は決意した。
フェルテマカナ
2戦2勝2レコード