いい歳して娘を深夜に迎えに来させるとは何事か。
それが、とっくに日付を超えた時間に父親から電話がかかってきた萩谷美咲の最初の思考だった。
フェルテマカナが菊花賞を制して無敗で三冠を達成したその夜。関係者とその家族友人一同は喜びのままに京都市内の高級ホテルに入っているレストランへ向かい祝勝会をした。18時に始まったこの会には美咲も参加していた。全員程よく酔いも回り、いい時間だということで解散したのが20時過ぎ。調教師や主戦騎手、クラブ代表や牧場関係者など二次会で飲み直す一部の人間を除いたほとんどの参加者はここで帰宅。美咲も母親とともに帰宅した。周りに住んでいる人間もほとんどが競馬関係の人間なので、帰宅後もお祝いがあってだいぶ酒が進んだ。夜も更けてさすがにお開き、となったのが24時少し前。風呂やらなんやらと寝支度を整えてさて寝るかとなったその時、父からの着信が入った。
曰く、潰れたから迎えに来てくれ。
タクシーで勝手に帰って来いと主張したが認められず、再び身支度を整えて田舎滋賀栗東で深夜にどうにかタクシーを捕まえて京都へと舞い戻ったのがさっき。
教えられていた店の戸を開けば、奥から赤らんだ顔の父親が手を挙げて呼んでいる。
かなり酔ってはいそうだが、別に潰れているわけではない。よくよく思い返せば、声は酔っていたが呂律は回っていたし会話も普通にできていた。潰れている人間が電話をかけて、いる店を教えられるとは考えにくい。
席に近づけば、さらに数人の参加者がアルコール臭を漂わせて笑っていた。
二次会出席者よりも人数が減っているところを見るに、三次会か四次会か。
ただ、全員潰れてはいない。そもそも全員五十路ほどの年齢。職業柄祝いの酒の席などいくらでもあったろうし自分の許容量も飲み方もわかっているだろう。馬の職業はザルも多い。
「誰も潰れてないじゃん」
「いや、奥のほら、そこに」
席の奥まった隅、父が指さしたところには1人の青年、もとい主戦騎手、もとい三宅統也が完全に酔い潰れて寝入っていた。この人たしかもう30近くなかったか?
「なにこれ」
「ベロベロなのにまだ飲むから面白がって見てたらバタンキューよ」
二次会終わり、既にだいぶ出来上がっていた三宅だが三次会に誘われて即応。三次会でも浴びるように酒を飲み、浮かれ気分そのままに自分からイッキコールを要求したりなんかもしちゃったらしく、参加者全員出来上がっていたため誰もストッパーがおらずキャパオーバーを起こして潰れた、というのがことの顛末らしい。
「この店の次は四次会で三宅人生初のキャバクラだ!ってみんな盛り上がってたんだけどなあ」
「キャバクラって…。完全に寝ちゃってるじゃんどうすんの」
「こいつの家送ってってあげて。住所は送っとく」
「はあ?えなに、わざわざド深夜にどうにかタクシー捕まえて京都まで戻ってきたのに、家まで送ってかなきゃいけないの?」
「うん」
「お父さんが連れて行けばいいじゃん」
「いや俺らはほら、四次会行くんだって」
まだ行くのか。
「もう勘定済ませちゃったから店出るよ」
わいわいと店の外へ出ていく一団。
酔っ払い数人相手に説得が通じるわけもなく、酔っ払い集団は三宅を残して繁華街へと歩いて行った。アプリで呼んだタクシーがあと数分で着くのはせめてもの幸いか。
5分ほどで到着したタクシーの後部座席になんとか三宅を放り込んで、三宅の住所を告げる。若くして億プレーヤーの三宅は京都内でもそれなりに高級な住宅地に住んでいるらしい。年収に比べれば少し安い場所な気もするが、東京出身の三宅に京都の住宅事情はわからなかったのだろうか。京都は御所からの距離で家柄を測る特殊地域なので、その辺のごたごたを嫌った可能性もある。
10分ほどでタクシーが停まった。降りたところにあったのは周囲と比較してかなり高いマンョン。おそらく景観条例ギリギリ。
引きずるわけにもいかないので、気合を入れて三宅を肩で支える。騎手という職業柄成人男性としてはかなり軽量な部類なので、ふつうの女性の自分の力でもなんとか運べる。170くらいの体躯で、腕などにも筋肉がしっかりついているのに体重としては50キロ程度。見た目よりも遥かに軽く、不思議な感覚になる。
三宅の手荷物から漁り出した電磁キーで居住区への扉を開けて、エレベーターにのり、三宅の部屋のある階へ。同じく電磁キーで鍵を開けて、なんとか玄関に辿り着いた。
1足の靴が放り出されている他は傘立てくらいしかない地面と、玄関脇の小棚に無造作に積み置かれたトロフィーの山に、ひどくアンバランスな印象を受ける。飾るどころか並べられてすらおらず放り投げられたかのように積み上げられているトロフィー、その中に重賞のトロフィーが含まれているのを見つけて思わず眉を顰める。普段のインタビューなどからでもテキトー加減とガサツさが伝わってくるこの男のことだ、飾るスペースが足りないとかそういう理由なんだろうが、流石に適当すぎやしないだろうか。帰ってくるなり適当に置いてそのまま放置しているんじゃないか?
「ちょっと、いくらなんでもトロフィー適当すぎるんじゃないの?」
注意すると、三宅から「おぇ」と返事があった。おぇとはまた随分と適当な。
………おぇ?
嫌な予感が脳を駆け巡る。いや、まさか。流石にそんなことはないだろういくらなんでも。
恐る恐る自分の服を見る。支えている三宅の口から垂直方向にべったりと黄色がかった液体が垂れている。
あまりの事態に止まった思考が再び動き出すまでたっぷり3秒はかかった。理解が及んだ瞬間、クソ酔っ払いを玄関に放り投げ、ヒールを脱ぎ散らかして一目散に洗濯機を探す。お行儀など構っていられるか。
玄関から進んだ左の扉から入れる部屋に設置された洗濯機を見つけて、途中脱ぎ捨てた服と下着を放り込む。近くにあった手頃なタオルで服が濡れていた部分の体を擦る。酒ばかり飲んでいたようで吐瀉物というよりほぼ液体だったのはまだよかった。浴室が隣接していてシャワーを浴びるか迷ったが、疲れていてそんな気力はなかった。明日の朝シャワーを借りればいいだろう。
玄関から進んだ先、ダイニングの扉から繋がった部屋が寝室のようだった。1人で寝るにはやや広いセミダブルのベットが置かれている。
寝室に置かれている衣装ケースから服を拝借。オーバーサイズのTシャツがちょうどワンピースのようになる。色々と疲れた。もうTシャツだけ着ればいいや。
いまだに玄関で潰れている酔っ払いの服を脱がせて洗濯機に放り込む。転がっている洗剤をろくに計量もせずに突っ込んで、稼働ボタンを押す。洗濯を始めます、という機械音声を確認。服はとりあえずこれでよし。
酔っ払いを寝室まで運んでセミダブルのベッドに放り込む。服を着せるのはめんどくさいからしなかった。風邪を引いたとてそれは今さっきの行いを考えれば自業自得だろう。
1人ではやや広いベッドの空いているスペースに自分も潜り込んで目を閉じる。もう疲れた。後のことは明日の私に任せよう。
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目を覚ました途端、二日酔い特有の頭痛に襲われる。いくら三冠達成だからと言って、流石に昨日は呑みすぎた。2軒目後半くらいからの記憶が完全に飛んでいる。すうすうと訳のわからない寝息の幻聴が聴こえるほどだ、よっぽど呑んだんだろう。
自分しかいないはずのベッドに人気を感じて、横を見る。
「は?」
どういうわけか、萩谷美咲が寝息を立てて眠っている。なぜだ。昨日何が起こった。
起こさないようにそっと布団を剥がせば、美咲は自分のTシャツを着ている。オーバーサイズで裾が腰くらいまできているが、下ははいていない。裾が捲れているところから覗く肌の感じからして、下着も身につけていないらしい。よくよく考えれば、自分も服を着ていないしなんならパンイチだ。
思い当たるフシはない。ただ、状況証拠が強すぎる。
「マージでやらかした」
男女がろくすっぽ服も着ずに同じベッドで朝チュン。酔っていて記憶はないが、まあそういうことだろう。流石にこの状況で何もなかったというのは無理がある。
さて、どうしようか。美咲本人はともかく、美咲の父親、つまり萩谷にことが知れたら面倒くさいどころでは済まない。まず間違いなく結婚を迫ってくるだろうし、周りにあることないこと吹聴して半ば既成事実化されるなんてこともあるかもしれない。結婚する気も付き合う気もない以上、どうにかして萩谷を納得させねばならない。結婚拒否は通じないだろうから、作戦としては前向き感を出しつつなあなあに誤魔化す方向性しかない。寝起きでイマイチ頭が回っていないが、とりあえず一つ作戦は思いついた。悪くない気はする。
んん、と声がして隣の美咲が起きた。きょろきょろと周りを見渡している。
「俺記憶飛んでて覚えてないんだけど、昨日何起きた?」
「はぁ?覚えてないの?ほんとにありえない」
反応的にも、まあたぶんやらかしたことは間違いないだろう。
「てか良い家住んでるね。広いし、場所も。京都の収録スタジオから結構近いよここ。いつも1時間はかかるから朝めちゃくちゃ早くなるんだよね。ここだと10分くらいかな」
「まーとくに意味もなく広い部屋借りたしそら広いよ。スタジオ云々は知らんけど」
「お父さんに連絡してないや。なんて言われるんだろ」
背中を冷や汗が流れる。後手に回ったら詰みだ、勝負は今ここで決める。
「どう考えてもめんどくさいことにはなるだろ。ぎゃーぎゃーと騒ぐのはまず間違いない」
「だよねえ…。色々と聞かれそうだし、帰るのちょっと億劫」
「なら、ウチくるか?」
「は?」
結婚拒否は通らない、結婚する気はない。ならとりあえず結婚前の試運転で同居ということにして、相性でも性格でもなんでも適当に理由をつけて後から解消してしまえばいい。同居なら萩谷も文句ないだろう。我ながらなかなか良い作戦ではないか。
「広さは余裕だし部屋は余ってるし。仕事場も近いんだろ?俺は1人増えても別にいいけど」
「え?同居、ってこと?いやそんな急に言われても」
「通勤時間はQOLに直結するってアメリカの俺の大学の同期が研究してたぞ。早起きして1時間かけるよか10分で着くほうがいいんじゃないのか」
「まあそれはそうなんだけど、急に実家出るってなると親も煩そうだし」
「あー、萩谷さんは俺の方で話つけとくから。とりあえず家帰って親に話通して、事情は俺に電話しろって言っといて。ほら、帰った帰った」
これでいいはずだ。萩谷は口でどうとでも丸め込める。こういう言い方はアレだが、生きてきた環境が違うのだ。口で自分に勝てる人間は少なくとも栗東の競馬関係者には居ない。
3時間後、萩谷から着信がきた。
「もしもし」
「おー三宅。今朝美咲が朝帰りしてきたんだが、お前のとこにいたって言うんだよ。確かに俺はお前の送ってやれって美咲に伝えたけど、泊まってこいとは言ってないんだわ。男と女が一晩一緒にいたなんてどう考えてもやってんだからお前は責任を取って、美咲と「あーはいその件ですね。俺の方でもいろいろ考えて、まあ責任、という言い方はあれですけど、美咲さんをウチに呼ぶというかまあ一緒に住む感じで考えてます。仕事場から近いらしいんで、悪くないと思いますが。本人に聞いたら親がどうかわかんないってたんで、どうですか?」え?同居?いや別にいいけどそれより結婚を「いきなり結婚したとして、お互い合わなくてすぐ離婚とか考えられるわけで、それじゃお互いにいいことがないじゃないですか。それなら結婚前に準備期間というかお試し期間みたいな感じで同居して相性をたしかめる時間があってもいいんじゃないですか?そこでなんもないならその時にまた結婚するなり考えればいい」うーん……、まあ確かにな。すぐ離婚してお互いにバツがつくっていうのも良くないし、確かにそういう時間があってもいいな。わかった。一応もう一回美咲にも話を聞いて、良いようなら行かせるわ。まあまた細かい話は明日か明後日でええやろ、電話より会って話した方がいいわ」
一方的に電話がきれる。説得は成功したと言って差し支えないだろう。とりあえず喫緊の問題は先送りにできた。
それはそれとして。
「なんで覚えてねえんだ………」
童卒だったのに。
数日前に騎手と調教師の娘さんの結婚のニュースがありましたが、たまたまです。
この回は半分くらい書いてから忙しくて1ヶ月放置してたので。
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