美浦の厩舎内で辰野慎平は頭を悩ませていた。
馬を預かり厩務員らを雇う厩舎経営者たる調教師として日々大小さまざまな悩みはあるのだが、目下の問題は厩舎の看板馬タケルホノオのローテーション。
春にNHKマイルを勝った後夏休みを挟んで秋初戦は毎日王冠。富士Sとも悩んだが、純マイラーとして育てていくよりは中距離も視野に入れたかったこと、またオーナーの強い意向もあって毎日王冠になった。
NHKマイル以降すっかり三宅に入れ込んで、三宅が乗れるようにローテを組むとまで言っていたオーナー。毎日王冠を推していたのも春に三宅が言っていたからという理由で、当然今回もご指名は三宅だった。スーパーGⅡとも称される毎日王冠は他の有力馬も始動戦にしていてその中には三宅に依頼が行っているであろう大手クラブの馬もいたが、三宅を背にG1を勝った馬であることを必死にアピールしてどうにか三宅のエージェントを説き伏せて鞍上に確保。
迎えた毎日王冠では他馬を1馬身半抑えて完勝し、さて次はどうするとなったのが1ヶ月ほど前。
ここでオーナーと辰野とで意見が食い違った。オーナーの意見は鞍上に三宅を確保できるレースを最優先するというもので、特定のレースにこだわる姿勢はなかった。対して辰野は天皇賞かマイルチャンピオンシップかの2択を提示。2000はタケルホノオには少し長いので辰野としてはマイルチャンピオンシップを推していたのだが、マイルチャンピオンシップは三宅のお手馬にマイル路線のトップホースであるオーバーライドがいて三宅の確保が不可能だったので却下された。タケルホノオの戦績ならば短期免許で来日中の外国人を確保できると伝えたが、三宅でなければダメだというオーナーの姿勢は変わらず。
この時点で辰野は天皇賞に向かうことを確実視していた。タケルホノオは潤沢な資金力を持ち合わせていない中小馬主のオーナーが安馬から豪運で引き当てた当たりくじだ。G1に出れるのに出ないわけがない、そう思っていた。そもそも毎日王冠は天皇賞のプレップレースである。このレース選択は極めて妥当な判断だと言える。
天皇賞で考えていると伝えた時のオーナーの第一声は「うん、三宅くんは確保できる?」だった。その時点ではなんとも言えないというのが正直なところ。確保できなくはないだろうが、そもそもタケルホノオにマイル路線を勧めてきたのが三宅だったので2000の天皇賞で乗ってくれるかは疑問符がついた。
確実ではない、と返事をしたところオーナーは露骨に渋り始めた。そして、今現在辰野を悩ませている理由の素となる発言が飛び出した。
曰く、みやこSじゃダメなのか。
みやこSなら距離も問題ないしGⅡの裏のGⅢとはいえG1馬のタケルホノオの依頼なら三宅くんも確実に乗ってくれるだろう、というのがオーナーの主張だった。血統的にはダートもいけるとも。
看板馬をいきなり砂路線に迷走はさせるまいと辰野も精一杯の説得を試みたが、馬の所有主であるオーナーに過度な抵抗は出来ず、厩舎の貴重なG1馬の砂転向を許す結果となった。
ただでさえ歯がゆいローテなのに、みやこSの依頼をした際に事の端末を話したら三宅が天皇賞で半ばタケルホノオの依頼を待つ形で騎乗馬未定だったことが発覚し、辰野は確認の連絡を怠った自分を呪った。結局三宅はボルテージランに乗って天皇賞を勝ったのだが、本来ならば三宅を確保して天皇賞にいけたところを確認不行き届きで逃してしまったことで辰野はオーナーに悪印象を与えてしまうことに。
やってしまったことは仕方ないので、短時間でできるなりにタケルホノオに砂向けのチューニングを載せてみやこSを迎えた。
辰野はどうせ負けるだろうとレースを眺めていた。本職の砂馬たちと比べたら初ダートじゃ懸念点なんていくら挙げても足りない。適性も果たしてあるのかどうか。血統的にダートと言ったって、そんなことを言ったら父系にはSS系が蔓延り母系には輸入された米国牝系が跋扈する日本競馬は大概の馬がダート馬である。プロの牧場すら良血種牡馬に期待を寄せて爆散することもよくあるこの世界で素人目線の血統理論など当てにならない。三宅にも無理に勝ちに行かなくて良いと伝えてある。なんなら凡走してもらったほうが暴走気味のオーナーの目を覚ますことができそうで、そっちの方が嬉しい。
ゲートが開いて、2分後。
中段から鋭く伸びて後続を5馬身チギり圧勝。2着には今年のかしわ記念勝ち馬。
誤解を恐れずに表現すれば、ほぼクロフネ。
なんなら芝よりも向いていそうなあまりの圧勝に唖然とするほかなかった。
そしてみやこSから1週間後、今現在。
タケルホノオの圧勝劇は衝撃そのものであり、みやこS1着により優先出走権を付与されたチャンピオンズCでも本命視されるだろうというのが新聞各社の見立てであった。そこに次走から芝に戻るという発想はない。
辰野を悩ませている原因はここ。
前哨戦でjpn1馬相手に5馬身差つけた以上、チャンピオンズCに出ないわけには行かないのだ。たとえ前哨戦として出したわけではなくても。
辰野としては、一刻も早く芝に戻したい。このままダートを走らせ続けるとなんだかんだで好走して引くに引けなくなりズルズルと引退までダートを走ることになる予感がする。かといって前哨戦圧勝で本番勝ち負けを期待される馬を出さないのもいかがなものか。しかし、勝ったらもれなく来春の中東旅行券がついてくる。無論、行き先はダート。
どうせ負けるだろうと思っていたので、みやこS前に香港マイルの登録は済ませてある。可能ならこちらに出したいが、マイルCS後のオーバーライドの動向次第では三宅が乗れない。素直に引退種牡馬入りならいいのだが、香港に出るとなると三宅はオーバーライドを選ぶ。それはつまり鞍上三宅縛りのタケルホノオが出走できないことを意味する。中堅や若手に入れ込むのはオーナーの自由にすればいいが、トップ騎手に入れ込まれてしまうと露骨にローテに影響が出る。やはり、すぐとはいかずともオーナーには三宅至上主義を治してもらわなければならない。
机の上に置いていたスマホが震える。ちょうどよくタケルホノオのオーナーから着信だ。
「もしもし」
「もしもし。先生、タケルホノオのローテーションはどうなりそうです?」
「今ちょうど考えていたんですが、チャンピオンズカップか香港マイルのどちらかで考えています。チャンピオンズの方なら三宅は確実に乗ってくれます」
「ほう。香港の方は確実じゃないと?」
「オーバーライドの動向が現時点で不明瞭です。マイルCS後に引退ならいいですが、ラストランを香港で、となると三宅はそちらに流れます。ウチが同じレースで先約を入れていたとしても後からお断りが来ます」
「うーん、じゃあチャンピオンズですかね。芝ダートの二刀流、たしかクロフネとか数頭くらいじゃなかったかな、両方G1勝ってるのは」
「オーナーがその意向であれば、チャンピオンズの方向で進めます」
「はい、じゃあそれで頼みます」
「わかりました。ただ、私はタケルホノオは芝馬だと思っています。ダートでもやれるというのはわかりましたが、それでも芝をメインで走らせたい。チャンピオンズの後、オーナーが望むのであれば来春のサウジドバイまではダート路線でいいですが、それ以降は芝を最優先にさせてください」
「ええ、構わないですが」
「今回みたいに、三宅が確保できないからG1回避してダートの方に、なんてことは今回がラストです。来年以降は三宅が確保できなくても芝G1を使います」
「えぇ?それはちょっと」
「厳しいことを言いますが、三宅を最優先にすればそのうち走れるレースがなくなります。中堅までの騎手ならともかく、三宅はトップ中のトップ騎手です。毎年大手クラブの有力馬が回って来ます。その中には三宅にとってタケルホノオより魅力的な馬がいることも十分考えられる。乗鞍が微妙だったり都合のいい時には乗ってもらえても、いい馬が回っていたりタケルホノオが衰えてくれば捨てられる。そんな都合のいい女みたいなポジションで遊ばせておくにはタケルホノオという馬は惜しい。三宅じゃなくてもG1は出れるし三宅じゃなくてもG1は勝てます」
「うーん……」
「オーナーがやっていることは有名アイドルに貢いでいるのと同じことです。あまり人気のないアイドルなら金を使えばやがて親密な関係に至ることもあるかもしれませんが、三宅はそうではない。三宅というトップクラスの人気のアイドル相手ではいくら貢いだとしても金払いのいいファン以上にはなりえません。本命の座はすでに大手牧場が抑えています。使えるところは三宅で行くのには賛成ですが、三宅に固執するのは考え直してください。短期免許の外国人だって三宅に勝るとも劣らない腕があります。他の日本人ジョッキーも上手いのはいます」
「………わ、かりました。いろいろ考えておきます」
「よろしくお願いします。チャンピオンズの時、中京には来られますか?」
「スケジュール次第ですが、行けそうなら行こうと思ってます」
「わかりました。では」
ふう、とひとつ息を吐く。言いたいことは言えた。あとはオーナー次第だが、わかってくれることを祈る他ない。
ウマの件ですが、こっちみたいに書けたら更新する感じでポツポツあげていくかある程度書いてからまとまって更新するかで悩んでます。二次はやったことないのでポツポツだと埋もれそうで怖い。