先生は世界平和を実験している   作:飛鳥=R♯

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Malkovro-ハッカク

 本来、シロとクロの二体は凄まじい脅威になりうる存在である。かつてユートピアと呼ばれた地に眠っていた『喜び』の感情から産まれ、その感情に突き動かされるままに相手を『弄ぶ』、ある種の怪物だ。

 もしもラムレザル達が戦っていれば、さぞ翻弄されていただろう。もしも、という表現には理由がある。

 

「……一対一なら、脅威にはならない。悪いが貴様の与えてくれる痛みは、面白くないのだ」

 

 運動場に建てられたスコアボード、そこにクロが貼り付けになっている。四肢に何本もの針を撃ち込まれた痛々しい姿は、いかにワンサイドゲームであったのかを示していた。

 レイヴンにとってクロはさしたる相手ではなかった。カラスをモチーフにしている事へ多少なりとも共感こそあったが、実際はただ真っ向から殴り合っただけで押し切れてしまった。

 

「時間を食った。無駄な時間だ。そうは思わないか、侍」

「ああ? まぁ、そんなところか。こんなもんを斬るのは初めてだが」

 

 少し離れたところに立つ隻腕の侍、梅喧はレイヴンの呼びかけに対して鼻を鳴らす。

 背後には大玉ごと両断されたシロの姿があった。これもまた侍の相手としては不十分も良いところで、梅喧にとっては曲芸に等しかったのだ。

 ゆっくりと刀を鞘に戻し、梅喧は頭をボリボリと掻き、

 

「で、だ。伝言がある。ウチの総長からだ」

「総長?」

「会った事はあるだろ。髭のジジイだよ。『聖園ミカに危険が迫っている、戻れ』だそうだ」

「……危険、か」

「事情は知らねぇが、ここは任せろ。テメェ一人抜けたくらいでどうにかなる場じゃない」

「なら、お言葉に甘えるとしよう」

 

 レイヴンは多くを語らなかった。瞳をすっと細め、何か言いたげな表情こそ浮かべたがすぐに気持ちを切り替えて梅喧へと背中を向ける。

 

「ああ、その前に一つ聞きたい。侍、貴様のその剣……随分と鈍くなったな。かつての復讐心は何処へ消えた?」

 

 レイヴンの純粋な疑問に梅喧は肩をすくめる。その仕草は、彼が知る復讐鬼のものとは思えない。

 家族を奪った『あの男』への復讐を胸に戦い、殺意そのものの刃を振るっていた梅喧はいつの間にか腑抜けている。刃には殺意どころか、感情が一片たりとも宿していない。凪に等しいとさえ言える。

 たとえるなら、逆刃の刀か。

 

「―――『鏡』を見ちまってな。そうしたら、今度は刀が俺を映す様になっちまった。テメェを斬り殺す事はもう無理だよ。代わりと言っちゃなんだが、この刃にはテメェも映り込むぜ。今度試してみるか?」

「いいや、遠慮しておこう。私には無縁のものだ。ではな」

 

 レイヴンは見るからに不機嫌な表情を浮かべ、心底残念な声色で呟くと黒衣を翻し一羽のカラスとなって漆黒の夜空へと飛び立つ。

 シロとクロの残骸に囲まれる梅喧は「はっ」と吐き捨てる様に漏らし、

 

「なんでぇ、露骨に嫌な顔しやがる」

 

 夜空を仰ぎ、梅喧は腰の刀に手を添える。向かうは嫌な気配が立ち上り続けている、王城だ。

 

「もうすぐ夜が明ける。それまでに間に合うか……?」

 

 

「コハルちゃん、いません!」

「こっちにも!」

「となれば、後は頂上だけ。皆急ごう」

 

 城に突入してしまえば後は速い。ラムレザル達三人は城内をしらみつぶしに動き、いよいよ残すは頂上の塔を残すのみとなった。

 駆け上がり、駆け上がり、駆け上がる。相当な高さまで階段を超え続ける道中で幾度となく着ぐるみ達の奇襲はあったが、今の三人を止められはしない。出現の度に銃声が鳴り響いては排除されていった。

 

「そういえば、ハナコとの通話が切れている」

「通話が? どうして」

「わからない。何か、妨害電波でも出ているのかも」

 

 道中、ラムレザルは携帯端末を確認しながら首を傾げる。城内に入るまでは繋がっていたはずの通話が、今は切れているのだ。

 何かハナコ達に起きていなければよいが、かといって引き返す選択肢はない。コハルの救出を優先し、三人は前進していく。

 そうして走り続けた先の扉が見えてきたところで、ラムレザルはレイヴンを真似て飛び蹴りを仕掛ける事にした。コハルは間違いなくここにいる、その確信を持って。

 

「コハル!!!!」

 

 部屋に飛び込んでみれば、状況は最悪だった。薄暗い空間の中央でヴァレンタインがコハルの首を鷲掴みにして持ち上げている。細い手足がだらりと投げ出されている様はラムレザルの脳をジリリと熱く焦がし、自分自身でも驚く程の反応速度で二丁拳銃を全弾ヴァレンタインへと叩き込んでいた。

 ヴァレンタインの体勢が揺らぐ。その隙を逃さずにラムレザルが駆け出し、その後ろをアズサが続く。

 

「ラム、コハルを!」

 

 アズサが姿勢をガクッと落とし、ヴァレンタインへとタックルを繰り出す。激突と共に引き剥がされたコハルをすかさずラムレザルは抱き留め、彼女を守る様に体勢を整えた。

 

「ラ、ム」

 

 コハルが瞼を薄く開き呻いた。細く白い首にはぞっとする程赤い指の痕が残り、ラムレザルは沸々と沸き立つ怒りを抑え込もうと必死だった。

 

「コハル、喋らなくて良い。無理はしないで」

 

 即座に片手でマガジンをリロード。アズサのタックルで壁際にまで押しやられたヴァレンタインへとラムレザルは拳銃を突き付け、発砲の準備を整える。

 

「ラムちゃん、コハルちゃんは!?」

「大丈夫。意識はある。それよりも……」

 

 ぴくぴくと震えながら、ヴァレンタインがぬるりと立ち上がる。仮面を引き剥がされたその下には、やはり虚無が広がっている。

 追いかけてきたヒフミが息を飲む音が聞こえる。ただ見つめているだけで本能的な恐怖を引き起こす光景だ、無理もない。

 

「来たんだ、ラムレザル。ちょうどよかった。もう不適格な人形はいらない。私と一つになろう」

「それはできない。私は、私だから。ヒフミ、コハルをお願い」

「は、はい!」

 

 ぐったりとしているコハルをヒフミに託し、ラムレザルはもう一丁の銃を引き抜き二つの銃口をヴァレンタインへと据えた。アズサも無言でライフルを構える。

 いよいよ、この正体不明の敵と決着をつける時がやってきた。ラムレザルを襲い、コハルを攫ったヴァレンタインをここで打倒する。逃がしはしない、その決意が二人に凄まじい気迫をもたらす。

 ヴァレンタインは虚無を浮かべたまま、くすくすと笑う。

 

「……よく言うよ。不適格な存在の癖に」

「アズサ、行くよ」

「合わせる!」

 

 二人が同時に駆け出し、ヴァレンタインへと迫る。相手は銃器の類を持っていない徒手空拳。形勢は圧倒的にラムレザルとアズサにある。無論警戒は怠らない。何を仕掛けてくるのかまるで読めないのだ。

 アズサを後衛に、ラムレザルはヴァレンタインへと飛び込み回し蹴りを仕掛ける。これは驚くべき事にひょいと構えた腕に止められた。まるで壁を蹴ったかの様な感覚にラムレザルは息を飲むが、足を掴まれる前に後方へと飛び今度は二丁拳銃を乱射する。

 

「わっ」

 

 その全てがヴァレンタインに突き刺さるものの、ダメージを受けた様子はない。というより攻撃を受けた事に何か感じている様だが、彼女にとって脅威になりえないという事だ。

 

「ラム! 下がって!」

 

 勢いを殺すわけにはいかない。後方から金属の軽い音に続き、ラムレザルの頭上を小さな球状の物体が飛び越える。それが手榴弾と気付くや否や更に後方へと下がり、拳銃の狙いをヴァレンタインの目前へと向けた。

 アズサの狙いは上手いと言う他にない。手榴弾はヴァレンタインの顔面目掛けて向かっていき、ラムレザルの狙撃が見事に球体を射止めた。

 間近で手榴弾が炸裂。ヴァレンタインの頭部を中心に爆発が襲った。

 

「―――やった?」

「ううん。やってない」

 

 そんな事だろうとは思っていた。思っていたが、思いのほかその声が聞こえるのは速かった。

 爆発の煙を肩口で切り裂きながらヴァレンタインは顔面を多少焦げ付かせた程度で突撃してくる。ラムレザルが反応し、両腕を交差して防御の姿勢を取れば質量爆弾かと錯覚する程の衝撃が肉体を襲った。

 

「くっ―――!」

 

 ヴァレンタインの攻撃はそこで終わらない。ラムレザルの姿勢が崩れた一瞬をつき、ふわりと跳躍すると膝蹴りが顔面へと突き立てられる。頭部への強い衝撃に足が震え、体がのけ反った。

 異常なまでに身体能力が高い。幾らヴァレンタインと言えど異様だった。

 

「もう一人、ここにもいるぞ!」

 

 ヴァレンタインの背後からアズサが迫る。近距離での戦闘となればライフルは不要。片手にナイフ、片手に拳銃を携えている。

 

「見えてないと思う?」

 

 そこで、ヴァレンタインの首が文字通り『回転』した。真横ならまだしも、軸があるかの様にぐるりと回転したのだ。

 ギョッとしたアズサだが足は止めない。拳銃を発砲しながら向かっていく。

 ヴァレンタインは首を軸に今度は体を回転させ、その勢いで薙ぎ払うかの様に蹴りを放つ。まったく予想できない人外の動きであるが、

 

「考えていないと思う!?」

 

 アズサの姿勢が落ちる。体を寝そべるかという程に倒し、彼女はスライディングする。これにより蹴りを躱すと

共にがら空きになったヴァレンタイン目掛けて、弾丸を至近距離でこれでもかという程叩き込んでいった。

 ここで遅れて手榴弾のダメージがやってきたのか、ヴァレンタインは再び体勢を崩した。

 

「今だ!」

 

 アズサがヴァレンタインの肩越しに叫び、それに応じてラムレザルが跳ねた。コマの様に高速で回転し、先程とは比べ物にならない速度で繰り出した蹴りは美しい軌道を描いて、ヴァレンタインの首に真横から直撃した。

 

「ぐえっ……!」

 

 流石に頸部への衝撃を感じないはずはない。ヴァレンタインはロケット噴射の如く吹き飛び、地面を何度もバウンドした。

 ラムレザルとアズサの連携は完璧だ。示し合わせるまでもなく、二人は互いの考えを呼んで見事な連続攻撃を叩き込んでみせた。

 

「す、凄い! 二人共凄いですよ!? カッコいい!」

 

 ヒフミの歓声を受けながらも油断はしない。地面に転がるヴァレンタインは呻きながらも起き上がり、ワナワナと体を震わせている。

 

「……ヴァレンタイン、貴女の目的は一体何? どうして私を狙うの」

 

 形勢は僅かにラムレザル達へと傾いている。ならば、その問いかけを投げかけるのは当然と言えた。

 ヴァレンタインの全てが謎に満ちている。ケイオスが関わっている以上は、彼から何かしらの指示を受けているのだ。それを突き止める必要がある。

 

「私の、目的は、ラムレザルを捕まえる事。そして一つになる事。不適格なヴァレンタインを処分する」

「―――それは本当に貴女の望み? もしもハッピーケイオスがそうしろと言うのなら、それは間違っている」

「間違い……?」

「ラム……?」

 

 ラムレザルは問わずにはいられなかった。同じヴァレンタインだと言うのならば、かつての自分の様にただ与えられた事だけをこなす存在ではいけない。妹のエルフェルトがそうであった様に、自我を持つべきなのだ。

 銃を下ろしはしない。怒りもまだ煮えたぎっている。それでも、ラムレザルはヴァレンタインに手を差し伸べられないのかと歩み寄ろうとしていた。

 

「ケイオスはただ全てを無茶苦茶にしようとしている。そんな事を手伝ってはいけない。今すぐにやめよう」

「全てを……滅茶苦茶に」

 

 ヴァレンタインはゆっくりと立ち上がる。両腕はだらりと下がり、脱力している。敵意は見られない。

 ラムレザルはじりじりと距離を詰めていく。話し合えば、まだわかりあう余地があるかもしれない。希望的観測だとしても、万が一の可能性は捨てきれない。

 

「一緒に……ケイオスを止めよう?」

「止める……止める? どうして?」

 

 ぎょろりと、ヴァレンタインが首を傾げる。その瞬間、虚無の顔に双眸が芽生えた。

 眼球が生まれている。赤い瞳が突如として現れ、そしてラムレザルをねめつけている。

 

「ッ!?」

「お父さんはね、滅茶苦茶にするつもりはないと言ってる。ただ背中を押すだけだって」

「背中を、押す?」

「今頃、トリニティにはお父さんが仲間と一緒に向かってる。桐藤ナギサに会いに行ってる」

「―――ッ!?」

 

 その時、ラムレザルの脳裏に嫌な想像が駆け巡った。

 突然切れてしまったハナコとの通話。何が起きたのか、あの時は後回しにしてしまった。だがもし、敵の本命があちらだとすれば……?

 一瞬、確かに隙を晒してしまったラムレザルだが、ヴァレンタインは襲い掛かっては来なかった。それどころか何がおかしいのか、両目しかない顔を小刻みに震わせて笑い始めている。

 

「ふふふ、あははは。もしかして私の事をかわいそうだとか思ってるの?」

「……違う、私は」

「本当にかわいそうなのは、そこにいる子なのにね?」

 

 ヴァレンタインがゆっくりと指差した先、それはアズサだった。

 突然矛先を向けられ、アズサの表情に動揺が浮かぶ。口を真一文字にきゅっと結び、彼女は強い眼差しでヴァレンタインを睨んだ。

 

「ああ、やっぱり言ってないんだ。ラムレザル、教えてあげる。トリニティで起きている事は全て、その子のせいなんだよ」

「アズサちゃんが……?」

 

 突然の展開にヒフミも眉をひそめ、どういう事かと疑問の色を浮かべる。くつくつとヴァレンタインは笑いながら、

 

「始まりは百合園セイアから。彼女はヘイローを破壊されて、死んじゃった。その犯人は―――白洲アズサ、貴女なんだよね?」

「―――え?」

 

 時が止まったかの様だった。思わずラムレザルも、ヒフミもアズサへ振り返る。

 百合園セイアの失踪にはミカが関わっているかもしれない。それは飛鳥から告げられていた内容だ。まさか彼がそこまで嘘をつくとは思えない。

 では、今ヴァレンタインが口にした事は事実なのか? 意表を突く為のでまかせではないのか?

 だがアズサの表情は暗く、否定の言葉を一切口にしようとしない。

 

「本当の敵は私じゃない。アリウスから、外からやってきてエデン条約を崩壊させようとしているのは……アズサだよ?」

 

 

「―――なるほど、電波が遮断されている。用意周到にやってきた様ですね?」

 

 息をひそめながら、ハナコは端末をしまい込み嘆息する。何者かが旧館に入り込んできた直後に携帯端末が完全に『死んだ』。外部への連絡を封じる為だろう。

 それ程までに隠密行動を取るからには、今トリニティに侵入してきている者達はただ者ではない。今こうして隠れていても見つかるのは時間の問題だ。そして見つかってしまえば、ただでは済まない。

 

「ミカさん。動くしかありません。敵の目的がナギサさんなら、彼女の身に危険が迫っている。行きましょう」

 

 両手を口に当てて、物音を立てまいとしているミカは何度も頷いて応える。

 現状を打開するには息をひそめ、旧館から脱出しなければならない。意を決してハナコは戦闘に備えて銃器を手に動き出していた。

 

(もう、先生。早く来てください。このままでは全て崩壊しますよ?)

 

 既にハナコは状況を理解しつつあった。恐らくコハルの誘拐は囮で、本命は飛鳥の気が逸れている間にトリニティへと忍び込む事だ。

 ハッピーケイオス。まだ出会った事もないが、あの飛鳥が明確に危険視する存在。今回の一件を主導しているのならば、非常に厄介だ。

 

(とはいえ、この状況ならば今頃『皆さん』動いているはず。戦力を確保する事さえできれば侵入者の掃討は可能……)

 

 姿勢を低くし、廊下を窺う。どうやらまだここまで敵はやってきていない様だ。

 ミカに合図し、ゆっくりと廊下へ出る。目指すは入口、ではなく少し離れたところに位置する裏口だ。ハナコは合宿が決まった時点でもしもを想定し、館内の情報を完全に記憶しているのである。

 素早く移動していく。時折何処からか大きな声が聞こえるが、距離は十分に離れている。問題ない。

 

「ハナコちゃん凄い……ホントに凄い」

「静かにしていてください。ミカさんの声は無駄に大きいので」

「むぅ」

 

 ハナコの脳内では既に裏口到達後のルートは構築済みである。最悪の状況に備え、トリニティ内部の警備体制まで覚えている。たとえばナギサが八〇はあるセーフハウスをトリニティの至る場所に用意してある事、今最もいる可能性が高いのは何処かも、である。

 今はまずミカと共にそこへ向かわなければならない。皮肉にも裏切り者本人を連れて行かなければならないが、その時はその時である。

 

「見えてきました。さぁこっちです」

 

 明かりのない廊下を進んでいき、裏口へとようやく辿り着く。まだここにまで手が回っていない事を信じ、ハナコは足早に裏口のドアを開いて外の様子を窺う。

 静まり返っている。ひとまず想定しうる最初の難関は超えた。ゆっくりと外へと踏み出し、

 

「浦和さん、君かい?」

 

 その声に少し安堵してしまった。ちょうど同じ事を考えていたのかどうかわからないが、飛鳥が息を切らしながらこちら目掛けて走ってきている。無防備も良いところであるが、彼らしいと言えばらしい姿だ。どうやらスランピアから帰還したばかりの様である。

 

「飛鳥先生……! 良いタイミングです」

「やった、飛鳥先生っ。あっ、声大きかったかも」

 

 早い内に合流できた事は幸いである。ハナコはミカと飛鳥を連れ、すかさず近くの物陰へと飛び込む。

 まだ侵入者の姿は見えない。ここにはいないのか、別の場所を探っているのか。

 

(……何か、違和感が)

「浦和さん。状況はどうなっているのかな?」

 

 思わず意識が逸れてしまっていたところで、飛鳥の呼びかけにハナコは意識を引き戻す。もしもナギサ暗殺が実行されれば目も当てられない。今は一秒も惜しい。

 

「え? あ……既に何者かがトリニティ内部へ侵入。狙いは先生が言う様にナギサさんかと」

「となれば、早急に彼女を見つけないと。場所に心当たりはあるかい?」

「……校内に幾つも用意されているセーフハウスかとは思います。最近の事を踏まえれば、恐らく最も見つけづらい場所です」

「それは、何処だい?」

「―――体育倉庫付近。そこに不自然なスペースがある事はわかっています。ナギサさんはそこで間違いないかと」

 

 チラリとミカの様子を窺う。ハナコが導き出した答えに対して驚く様子もなく、コクリと頷いていた。どうやら彼女も同様にセーフルームの位置は把握していた様だ。裏切り者は伊達ではない。

 飛鳥はゆっくりと決意した表情で頷くと、

 

「よし。桐藤さんを救出する。エデン条約を前にして彼女を失うわけにはいかない。行こう」

 

 心なしか普段よりも勢いがある物言いだ。それだけ飛鳥も感情が昂っているのだろうが、ハナコにはまた何か違和感を抱かせた。

 何か……違う。

 違和感の答えは、すぐに飛鳥自身の口から漏れ出た。

 

「浦和さん、君なしではこうも上手くは行かなかったかもしれない。これが終わったら僕の方からティーパーティーでも何処でも口添えしよう。その能力を活かさないのは、『もったいない』」

「―――え?」

 

 その言葉に、ハナコは驚く程敏感に反応していた。

 始まりは、まだここまで事態が大きくなる前に行われたテスト直後の面談だ。飛鳥はハナコがわざと低い得点を取っている事をすぐに理解し、こう言った。

 

『だから僕にはわかるんだ。君が今回のテストをわざと間違えている事くらい。壊滅的な間違い方というものはね、2点なんてラッキーパンチは起こさないものだよ。その点、君はわざと間違える事にはまだ慣れていないらしい』

『君を咎めているんじゃない。むしろ興味深いとさえ思っている。何故、一年前はトリニティでも有数の頭脳を持ち『才女』とまで呼ばれていた君が、ある日を境に周囲を嘲る様に奇妙な行動へと突き動かされたのか』

『そう。君の取っている行為はそれそのものだよ。『自分はそうじゃない』、『自分は違うんだ』。そんなメッセージを込めている。何が君を駆り立てたのかな。周囲の期待への跳ね返り?』

 

 彼は理解していた。浦和ハナコがどんな人間で、何を考えて動いているのかを。

 何故、浦和ハナコが優れた頭脳を持ちながらも何処の組織にも所属していないのかを。

 

『僕だって続けたくない。人の心がわからないと揶揄された事はあるけれど、自分が人を傷つけているという自覚はある方なんだ。ただ先生という立場から君を諭している。今のままで、良いのかと』

 

 その上で飛鳥は身を案じてくれた。まだ知り合って間もない相手を、わざと馬鹿のフリをする自分を。

 そんな彼が、浦和ハナコという一人の生徒に対して……『もったいない』などと口にするのか?

 

「飛鳥先生」

 

 ナギサ救出の為に動き出そうかという飛鳥の背中に呼びかける。彼は真剣そのものな表情で振り返り、

 

「どうかしたのかい?」

「おかしな質問をしますが、良いですか?」

「? 構わないけれど手短にお願いするよ。時間は残されていないから」

「では……先生は、何者ですか?」

 

 そう問いかける。何かの間違いであれば良い、と念じながら。

 飛鳥は首を傾げ、

 

「何者って、君達の先生だろう?」

 

『僕は浦和さん達を守る先生だ。それだけは間違いないよ』

 

 脳裏に浮かんできたのは痛々しい傷痕と、何処か儚い飛鳥の微笑みである。

 自分でも驚く程冷静にハナコは銃口を飛鳥へと突き付けていた。今まで色々な事があったが、ここまで体が素直に動いたのは初めてである。

 

「え、え、ハナコちゃん!?」

「浦和さん、何を」

 

 突然銃を構えたとあってはミカも驚く。息を飲み、目の前の状況に目を泳がせる。

 飛鳥もまた困惑している。その表情に僅かではあるがハナコの決意も揺らぎかけたが、それでも自らが感じた違和感というものを拭いきれない。

 

「ミカさん、間違っていたらすみません」

「え?」

 

 パァン、と乾いた銃声と共にライフルから放たれた銃弾が、飛鳥の眉間を撃ち抜いた。

 

「―――へぇ?」

 

 眉間に風穴が空いているにも関わらず、飛鳥の口元には笑みが浮かんでいる。

 違和感がようやくその正体を現す。ハナコは自らの判断が遅れた事へ口中で「しまった」と毒づき、ミカの手を取って不気味な笑みを浮かべる飛鳥から距離を取る。

 

「な、なに? ハナコちゃん、なんで先生、頭に穴……」

「彼は先生ではありませんっ!」

「先生ではありませんって、それどういう」

 

「あーあー。君、そういうタイプなんだ。これは僕のリサーチ不足だったね。飛鳥君、相当ロマンティックな言葉を君に贈ったらしい。彼そういうところあるよね。ロマンを知らない割りには、ロマンを口にするんだから。まぁそういう人格だから嫌いじゃないんだけど」

 

 飛鳥のカタチが溶けた。ぐずぐずと姿を変え、瞬く間にそこには青肌の怪人が入れ替わるかの様に佇んでいる。

 脱色された様な白い髪、天を突く一対の角。人外という言葉がこれほど相応しい者はいない。

 

「貴方が……ハッピーケイオス」

「そっ。飛鳥君の大親友で、飛鳥君の宿敵。以後お見知りおきを、浦和ハナコ君?」

 

 現れた。

 この重要な局面で、遂に。

 

(先生……本当に、急いでくださいっ)




やってきました遂にこの時が

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