先生は世界平和を実験している   作:飛鳥=R♯

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kredu-シンジル

 完全に、何もかもがその時終わったと思われた。

 信じるものすべてに裏切られ、心が崩壊したナギサ。そして大切な存在に否定され、己を失ったミカ。

 二人の少女がケイオスの手に落ち、今まさにトリニティが内側から崩れ去ろうかというその時に、ようやく彼はその舞台へと上がり込んだ。

 

「やめるんだ!」

 

 ハナコへと向けられていた銃弾が空中で何かに掴まれ、速度を失うと同時に地面へと落ちる。

 手遅れという他にない現状に、ようやく飛鳥は光と共に乱入してきたのである。手始めにナギサが放った弾丸を無力化した彼は次にレイヴンを襲うミカへと視線を移し、

 

「彼女ごと私を飛ばしてくださいッ!!」

 

 首の骨をへしおられかけているレイヴンの叫びに応じすぐに空気を薙ぐ様に腕を振るうと、風の法術がレイヴンとミカをまとめて浮き上がらせ、そのまま勢いよく壁を突き破って屋外へと放出する。

 レイヴンの願い、それはこの場から離れてミカとの一対一の構図を作る事にあると飛鳥は即座に反応していた。これで室内に残っているのはケイオスと、その洗脳状態にあるナギサのみというわけである。

 

「飛鳥先生……!」

「すまない浦和さん。時間がかかった。電波障害はこちらで解決してある。シスターフッドも間もなくやってくるだろう」

 

 ハナコは飛鳥の報告にホッと胸を撫で下ろし、わずかに口元を緩ませる。

 彼が助けに来てくれたおかげで一気に形勢が変わろうとしている。ケイオスを前にしてのしかかってきた気味の悪いプレッシャーも、今だけは薄まっている様に感じられた。

 ハナコからナギサへ、そしてナギサからケイオスへと視線を移していき、飛鳥は搾り出す様な声を漏らす。

 

「これが貴方の目的ですか。桐藤さんの暗殺ではなく、桐藤さんと聖園さんを自分の手の内に収める事が目的?」

「ちょっと違うかな。そこまでなんでもコントロールしたいわけじゃないよ僕は。簡単な話でさ、内側からトリニティが崩れれば『わかりやすい』かなって」

 

 拳銃を構えたまま微動にしないナギサへ歩み寄り、ケイオスは気さくな仕草で彼女の肩に手を置く。友人と触れ合うかの様な笑みを浮かべているが、実際はまるで異なっている。

 飛鳥はケイオスの言わんとする事が理解できる。混沌を、白と透明が混ざり合う事を求める彼にとってトリニティをおかしくするなど容易いのだ。

 

「さて、賢い飛鳥君はここで何が起きたのかわかるよね? ナギサ君は真実に気付いてしまった。本当の敵は君じゃなくて、ずっとそばにいた幼馴染のミカ君だって」

「……ですがそれを煽ったのは貴方だ。いるかどうかもわからない敵の存在を桐藤さんへと囁いて、彼女を混乱させた」

「そうだね、僕は酷い事をしたよ。でも一番酷い事をしたのは誰かな? 僕が思うにそれは……自分がちょっとムカついたってだけで百合園セイアを襲撃したミカ君だと思うな」

 

 ケイオスが笑いながら語りかけるのはすぐ傍らに立つナギサである。

 洗脳状態ではあるが、完全な人形ではなくある程度の自我を保っている。ケイオスの命令を聞く様に優先順位が切り替わっているだけで、彼女がミカに『裏切られた』という意識はそのままなのだ。

 顔をしかめる飛鳥の肩に手が置かれる。チラリとそちらを向けば、ハナコが距離を詰めて彼を守る様に佇んでいた。

 

「私はそうは思いません、ハッピーケイオス。事態を悪化させたのは貴方です。私達はミカさんにすべてを明らかにする様にと促していた。今日貴方が襲撃など起こさなければ、こんな惨事には至っていませんでした」

「そうかなあ。浦和ハナコ君、よーく知ってるよ君がとっても頭の良い子だって。それならトリニティがどんなところかよく知ってるよね?」

 

 ケイオスは微笑みながらナギサの両肩に手を置き、彼女に囁きかける様に低い声で呟く。

 

「陰口くらいならまだ良い。でも政治や謀、策略……清廉な空気こそ装ってるけどこの学校は淀みきってる。誰よりもそれを知ってるのはハナコ君じゃないかなあ。僕が思うに、遅かれ早かれトリニティはこうなっていたよ」

「……っ」

 

 ハナコの援護に対するケイオスの返答は彼女を押し黙らせる。

 彼女の過去に何があったのかを飛鳥は聞き出してはいない。だが口をつぐむからには、それだけハナコはトリニティが持つ負の面をいやという程見たのだろう。そうでなければ、奇行に走りすべてを振り切ろうなどという発想には至らない。

 ケイオスはハナコをけん制しつつ、ナギサに手を置きながらなおも続ける。

 

「飛鳥君は知ってるかな? ティーパーティーが結成された理由。昔トリニティには沢山の派閥があって、いがみあってた。それをなんとか取りまとめて出来上がったのがティーパーティー……でもそんなの本当に仲良くなったわけじゃない。利権、思想、信条、混ざり合う事のない強烈な自我はずっと眠ってた。飛鳥君はそれがどんなものなのか、よーく知ってるはず」

「ええ、僕が最も嫌った世界のあり方です。GEAR細胞を巡った利権争いは、僕に一度は研究を放棄させる意欲さえ沸かせた」

「ならわかるはずだよ飛鳥君。僕やゲマトリアはあくまで後から干渉した存在でしかない。すべては『気に入らない』『好きではない』なんてありふれた感情から始まったお話だって」

 

 ケイオスの言葉は限りなく無責任に聞こえるがしかし的を射ている。というより、否定しきれない。

 エデン条約を起点に始まった今回の事件は、確かに聖園ミカの軽はずみな行動により爆発した。だが裏を返せばそれはトリニティという花園がちょっとの刺激で疑心に苛まれる土壌を持っていた事も意味している。

 ヒフミ達は『トリニティ』によって苦しめられた被害者であり、そして加害者であるナギサもまた誰を信じる事もできない状況へと追い込まれてしまっていた。

 だが、それでも状況の悪化を望んだのはケイオスだ。文字通り無茶苦茶にかき回したおかげで生徒達は混乱の坩堝に叩き落されているのだから。それ故に飛鳥はこれっぽっちも言い負かされた気持ちなどなく、むしろ責任から逃れる様な物言いに苛立ちさえあった。

 

「ご存知の通り僕には勝ち負けなんてない。存在する為に存在するだけ。でもそんな僕が今ここにいるのはつまるところ……トリニティというミルピコは味が少し濃すぎる。これだけじゃあ胸焼けしちゃうんだ。わかる?」

「だから撹拌したというのですか? 彼女達の心を揺さぶって……ヴァレンタインなどというものまで連れて来て!」

「ああ、マエストロ君から聞いたのかな。よくできているだろう? 自信作だよ。僕も彼女も今回は群像劇の登場人物AとBでしかない。ストーリー通りに動いただけさ」

「貴方は……!!」

 

 自然と飛鳥の声は荒々しいものに転じつつあった。ケイオスの物言いすべてが、彼からすれば許せるものではない。いよいよもってかつての師匠に対して明確な怒りを感じつつあった。

 拳を握り締めれば、感情に呼応する様に飛鳥の背後に法術が描く幾何学模様が浮かび上がり、大出力な魔法の発射準備を整える。ハナコが眼前で凄まじい破壊が引き起こされると理解し息を飲むのに対して、ケイオスは笑みと共に人差し指を立て、

 

「駄目だよ。僕達の対決はもう少し先だ。今飛鳥君の相手をするのは、ナギサ君」

「何を……」

「物事には順番というものがある。そして僕の出番はもう少し先。多少の引き延ばしはカタルシスに重要なんだ……首を長くして、こうご期待」

 

 その時、飛鳥はようやくケイオスがナギサのそばにいる事を理解した。ただ語り掛けていたのではない。すぐ近くに置いておく事で盾として、人質としていたのだと。

 ケイオスはおもむろにナギサを飛鳥へと突き飛ばすと、背を向けてレイヴンとミカが飛び出していった壁の穴へと駆け出す。逃がすものかと飛鳥がその背中目掛け、魔法を叩きつけようかというところで、頬を弾丸が掠める。

 

「先生、危ない!」

 

 ハナコが咄嗟に飛鳥を押し倒すと、つい先程までいた場所を弾丸が通過する。誰が撃ったかなど確かめるまでもない。ケイオスに操られているナギサによるものだ。

 法術が制限時間を迎え、法力の流れが打ち切られる。つまり飛鳥の身を守る術は残すところ『シッテムの箱』の中にいるアロナによる簡易的なバリアのみだ。だがそれよりも壁の穴に目を向けてもそこにはケイオスの姿はなく、飛鳥はまたも逃がしてしまった自分の落ち度に唇を噛んでいた。

 

(いや、違う。今悔いるのは違う)

 

 それよりも今すぐに解決しなければならないのはあろう事かケイオスが洗脳状態にしたままで置いていったナギサである。未だ拳銃を手にしたまま、彼女は人形の様に虚ろな動きで飛鳥へと銃口を向けていた。

 このままでは飛鳥は射殺される。それをすぐに理解したのはハナコで、彼を守る様にナギサとの銃撃戦を身構えている。押し倒された姿勢から身を起こし、飛鳥は手で制した。

 

「浦和さん待って。話してみる」

「話すとは、一体何を話すんですか……?」

「ケイオスへの答えだ」

 

 ハナコの手を借りながら立ち上がった飛鳥の顔面を狙って銃口が突き付けられる。即座に発砲されるかと思いきや、ナギサはそれ以上動こうとしない。撃つ事を躊躇っているのかと飛鳥が目を細めると、

 

「……私は、何の為にここまでやってきたのでしょうか?」

 

 そのか細い声はナギサのものだった。飛鳥のよく知るものとは違う、悲痛で悲し気な、一人の少女の声だ。

 敵意はない。ケイオスに操られ、彼が命じるままに動くはずのナギサは自らの意思で動きを止めている。それがヘイローを持つ生徒の特異性なのか、それとも彼女自身が何かしら特別なのか、どちらにしても飛鳥からすれば洗脳から解放できる可能性を秘めている。

 ハナコは無言で飛鳥の手を掴んだ。撃たれるかもしれない、危険だ、と。やんわりと手を離す様に視線で訴え、彼は無防備そのものでナギサへと歩み寄る。

 

「私は、私はただ……これ以上の争いなど避けたくて。エデン条約をただ、無事に終わらせたくて」

「桐藤さん。僕の声は聞こえるね?」

 

 飛鳥の声にナギサは手に持つ拳銃を構えなおそうとする。心中で一体どんな感情が駆け巡っているのか読み取る事はできない。

 

「飛鳥……飛鳥=R=クロイツ……貴方は何者なのですか? ハッピーケイオスは貴方が戦争を引き起こしたと言っていました。多くの人を、不幸に陥れたと」

「そうか、彼は君にそう言ったのか」

 

 少し呆れた声色を漏らしながら飛鳥は更にナギサへと歩み寄り、銃を持つ手に指を添わせていた。

 

「……そうだ。僕の行動が原因で戦争が起きた。この手で国を滅ぼした事さえある。ケイオスは真実を言っている」

「ッ……それ、なら」

「同時に僕は自分が引き起こした争いをただ見ている事しかできなかった。止めようとしても上手くいかない、ずっと『何故だ』『こんなはずじゃなかった』と嘆いていた。だから僕は幸せになれない。まともに死ぬ事なんてないだろう。ずっと、いつまでもあの時何も成せなかった罪を背負って生きるだろう。史上最悪の大罪人として、『魔王』として」

 

 キヴォトスにやってきてからというもの、飛鳥は感情の吐露がうまくなっていた。今までならば言葉にできなかった事が今なら自分が思うよりも滑らかに口から出てくる。

 そしてその成長は、同時に自らの罪を告白する際に最適と言えた。

 

「でも僕が『先生』なのはそんな罪悪感からじゃない。心から、一人の人間として君達を助けたいと思っているからだよ。聖園さんもその中にいる」

「ミカさん……どうして、彼女は」

「聖園さんは自分自身の罪を受け止めている。受け止めているからこそ、どうすれば償えるのかずっと苦しんでいた。だから僕は彼女を許す事にしたよ」

 

 飛鳥の言葉にナギサは驚き、言葉を失っている様だった。ウサギの覆面の奥で言葉にならない呻きが漏れ聞こえる。

 

「安っぽい言い方になるけれど罪を犯した事と悪人である事は別だ。聖園さんは確かに百合園さんに危害を加えた。それは許されない行為で、僕も擁護したりしない。でも……それ以上を責めようとは思わない。何故なら誰よりも彼女自身が苦しんでいるからだ」

 

 銃を持つ手を握り、飛鳥はナギサをじっと見つめる。どんな表情をしているのかはわからない。理解が追い付いていないかもしれないが、それでも続けるほかにない。

 

「何が言いたいかと聞かれたらつまり……桐藤さん、君がしてきた事を僕は悪いと思わない。誰かを信じられなくなって、誰かの言葉を疑いたくなってしまう。そんな心を責めないよ」

「貴方を疑った。ヒフミさんを疑った。色んな人を、敵だと信じて疑わなかった」

「でもそうじゃなかった。それでこの話は終わりだ。間違っていたなら間違いを認めて正して、それで終わろう」

「―――」

 

 無論、そんな単純な話でない事くらいは飛鳥とて知っている。ナギサが孤独の中で必死に戦おうと足掻いていたのだとこの僅かな時間でよく理解できた。そしてそんな状況に彼女を置いていた自分の未熟さにため息が出た。

 だがまだ手遅れではない。過ちも行き違いも、まだ完全に過ぎ去ったわけではない。

 

「桐藤さんは人を信じられないと言った。でも一方で聖園さんを信じようとしていた様に、大切で揺るがないモノはあったんだ。信じる事ができなくなっていただけなんだよ」

「揺るがないモノ……」

「信じられないのは当然だ。君を一人にしてしまっていたんだから。でも今は違う。僕はここにいる。飛鳥=R=クロイツはここにいる」

 

 思わずナギサの手をギュッと握る。飛鳥の虚弱な体におかしな熱が灯り、彼女へ訴えかけようという強い意欲に満ち満ちていた。

 

「だから改めて、信じてくれ。先生としての僕を……君を守りたいと願う僕を……君自身を」

 

 虫の良い言葉である。自らを罪人と呼びながら、それでいて信じてくれなどと宣う。とてもではないが首を縦に振るのは困難な話だ。

 だとしても何もかもを失いかけている桐藤ナギサにはこう言ってでも絶望して欲しくはない。間違っていたとしても、その罪を背負い込んで潰れて欲しくなどない。『こんなはずじゃなかった』と苦しんで欲しくはない。

 たとえ罪を犯したとしても……それで全てを失って良いはずがない。

 

 と、飛鳥の手に熱が重なる。ナギサが力を込め、強く握り返してくれていた。

 同時にあのウサギの覆面が音を立てて砕け散る。それがどんな作用によるものなのかなど、考える余地はない。だが確かなのは……ケイオスが長い時間をかけて起こした作戦は今、無事に失敗していたのだ。

 覆面の下にはナギサが、どこか憑き物の取れた表情で飛鳥を見つめていた。ほのかな熱の籠った眼差しは彼女がどれだけの情動に動かされたのかを感じさせる。

 

「貴方は不思議な人です。冷静で、情熱的……それがどうしても不安で、どんな人間なのかまるで読めなかった。考えている事はむしろとても簡単だったんですね」

「桐藤さん……!」

「私が正しかったのか、間違っていたのか。今は一度忘れます。でもこんな私を許してくれた飛鳥先生を……今は信じましょう」

 

 少し時間がかかってしまったが、ようやく飛鳥はティーパーティーの長ではない一人の少女としてのナギサに出会えた。

 握った手から伝わってくる温かみに口元が緩む。飛鳥はやっと何かが通じ合えた感覚に目を細め、喜びを露わにしていた。

 

「―――あの、飛鳥先生、ナギサさん。そんなに長い間見つめ合っているだなんてそんな……見ているこちらが恥ずかしいというか」

「え!? あ……いや……」

「これは、これは違います。そう全然違いますから、ええ!!!!」

 

 蚊帳の外だったハナコが顔を赤くしながら恐る恐る声を上げると、飛鳥とナギサは弾ける様な勢いで離れるのだった。

現時点での投稿頻度に関してどのように感じていますか?

  • 区切っても良いから投稿頻度を上げて欲しい
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