先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
あの風紀委員長空埼ヒナが急遽227号温泉郷へとやってくる事になった経緯を、アコはメッセージでこう語る。
『自分のコーヒーを美味しいと言い出したので休ませなければいけないと判断した。しかしヒナ不在の情報が広がればゲヘナの生徒達は犯罪行為へと動き出す。なので公務という扱いで温泉郷に向かわせる事にした』。
まぁ、納得の理由である。アコが淹れるコーヒーの筆舌に尽くしがたい味は飛鳥もよく知っているが、それを美味しいと感じるのは危険信号そのものに違いない。
「……とはいえ、だ。下手すれば今の僕でも美味しく感じる自信がある」
浴衣姿で館内をうろつきつつ、自嘲気味な声色で飛鳥は呟いてしまう。アコの有無を言わさぬ圧に押し切られてヒナの休暇をサポートする事にはなったが、かくいう彼自身も一度休暇モードに入ってしまったばかりに少々体は重い。むしろヒナを見つけ次第公務など放棄させても良いのではないか、という考えさえよぎっている。
(む、いた)
そこまで温泉郷が広いわけではない。すぐに飛鳥はヒナを発見した。場所は温泉、ではなく客が利用できるリラクゼーションフロアに設けられているマッサージチェアのコーナーである。
入浴以外にも体を休める方法はいくらでもある。その内の一つが、全身を指圧する事で体をほぐしていくマッサージなのだ。一体どうやって227号の生徒達がこの様な機材を揃えたと言うのか、疑問は尽きない。
「あ あ あ あ あ」
どういう経緯なのか不明だが、ヒナはそんなマッサージチェアに体を預けてぶるぶると震えている。その隣にはお供としてやってきたらしい、同じく風紀委員のチナツもおり、二人揃って浴衣姿だ。
あまり見る事のない少し緩んだ姿を目にし、飛鳥は新鮮味のあまり数秒程呆気に取られて二人を眺めていた。
「……興味深いな」
「え? せ、せっんっせっ……!?」
「ふわっ、えっ、なんです?」
先に気付いたのはヒナである。目を瞑って指圧に体を預けていたところに飛鳥の呟きが聞こえたのだろう。さっと瞼を開けるや否や、ギョッとして体を起こしてしまう。続いてチナツも目を細めてうつらうつらしていた状態から覚醒し、何事かとヒナに目を向け、次に飛鳥の存在に気付いた。
どうやら二人共ゆっくりしていたのに邪魔をしてしまった様だ。タイミングを誤ったな、と口中でぼやきつつ、
「やぁ空崎さん、それに火宮さんも。偶然だね?」
「ど、どうしてっここにっ先生がっ」
「ヒナ委員長、一度電源を切ってください。変な喋り方です」
ブルブルと震えながら喋るおかげでヒナの声はぶつ切りで上ずっており、変声器でもかけている様だった。その微笑ましい姿に口を緩ませつつ、飛鳥は手をひらひらと振って「落ち着いて」と語り掛ける。
「少し働き過ぎてね。ちょっとした休暇で来たんだ」
ちらりとチナツに視線を合わせる。少なくともアコが何も彼女に伝えていないわけではあるまい。
予想通りチナツは飛鳥にコクリと頷き返す。ヒナと一緒にいるという事は状況を把握していると考えて良いだろう。
「休暇……そう、なの」
ようやくマッサージチェアの電源を切ったヒナはぼんやりとした口調で一人ごちる。心なしか普段と比べて全身から放つオーラが弱い。いつもならば鋭い視線でどんな生徒でも威圧してしまえそうなのだが、今や萎びていた。
アコが淹れる苦みを越えてエグみしかないコーヒーを取り込んだというのに苦しまない理由が、外見から容易に判断できてしまっていた。確かに由々しき事態である。
となれば先生として、一時でも彼女にゆったりとした時間を与えるべきなのは確かだ。
「二人はどうしてここに? 見たところ、随分とリラックスしていた様だけど」
「……ええと、チナツ?」
「先生であれば、目的を明かしても良いと思います。それにお話したところで影響はないでしょうし」
「それもそうか……あのね先生。私とチナツは『監査』をしにきたの」
「監査?」
「ええ、温泉開発部がここを作ったらしいの。ゲヘナの生徒が関わっているのならば『万魔殿』にも利益を受け取る権利がある……そんな風にマコトが言い出したらしくてね。それに、もしも鬼怒川カスミが一枚噛んでいるとしたら大変だから」
アコから聞いている通りだ。ゲヘナの生徒が温泉郷の開発に携わっている為にヒナが出張ってきた、という名目だ。
しかし温泉開発部が関わっていたというのは確かに不安材料である。一度巨大なドリル戦車でゲヘナ都市部に大穴を開けてみせた悪名高い組織によるものだとすれば、このままのんびりと終わる保証はどこにもない。
「ふぅむ。それで、何か怪しい兆候は?」
「特には何も。支配人らしいレッドウィンターの子に聞いてみても、建てるだけ建ててどこかに行ってしまったとか。つまりまぁ……もぬけの殻ってところ」
「かといってこのまま帰るには、という事で委員長と一緒にここで休んでいる次第です」
「なるほど……それは良かった」
不幸中の幸いと言うべきか、どうやら温泉開発部は既にここを発った様である。温泉郷は単なる温浴施設という事で決着はついていた。
となればそこでまだヒナがとどまっているのは恐らくチナツが滞在しようと言い出したに違いない。ただでさえ疲れているのにここからゲヘナへとんぼ返りなど、下手すれば更に疲れが溜まる事だろう。
どんな説得をするべきかなどと頭の中で作戦を練っていたが、その必要はなくなりそうだ。飛鳥はほっとしてヒナの隣にあるマッサージチェアに腰かけ、
「火宮さんの言う通り、もう少しここで休んでいくと良いよ。そうだな……温泉開発部の姿はなかったけれど建物の耐久性だとかを確認するという名目はどうだろう? それなら筋は通る。僕が言える立場ではないけど、ちゃんと休まないと」
「先生……」
「それにしても、僕の知る二人とは思えないくらい随分と気が緩んでいたね。このマッサージ、そんなに効くのか……僕も試してみようかな。ええと、どのモードかな?」
ヒナをもっとリラックスさせるべく、にこやかな表情を浮かべたままで飛鳥はマッサージチェアのひじ掛けに取り付けられたリモコンを手にする。あまり触った事がない機械である為にまじまじと見つめていたが、起動ボタンらしきものを見つけた。
弱 中 強。全三種類だが果たしてどれくらいのパワーなのか……と思いながら眺めていると、『お疲れの貴方には強!』という一文が目に入った。
「よし、それじゃ強でやってみよう」
「先生、大丈夫?」
「もう少し下げても良いんじゃ……」
「え? どうして」
飛鳥が強を押そうかというところでヒナとチナツは慌てて制止してくる。ただマッサージしてもらうだけだというのに、何を恐れる必要があるのか。
まさか、と飛鳥は眉をひそめ、
「ふふふ、いくら僕の体が虚弱と言ってもマッサージで音を上げはしないよ。心配しないで」
「でもその強モード……」
「私達でも結構痛かったんですが」
「え」
この返答に飛鳥は背筋が凍りついた。弾丸を浴びても多少の痛みで済ませ、ホローポイント弾が直撃しても痕が残るとぼやく程度のキヴォトス生徒達が『結構痛い』とコメントするパワーがどんなものなのか、想像もつかない。
じゃあやめるなどと言う前に、飛鳥の指は強のボタンをポチッと押してしまっていた。
「しまっ―――」
時すでに遅し。ボタンが押し込まれると同時に飛鳥の全身はチェアにガッチリと拘束され、身動きができない。というよりもはや電気椅子のそれである。逃がすつもりが一切ない。
「せ、先生力抜いて、その方が絶対に良いからっ」
「飛鳥先生、私の目を見てください。そしてリラックスして肩の力を……」
「マッサージのはずなのにどうしてそこまでの覚悟がひつよ―――ん? ん? 何かこう体の上から下まで圧力がかかり始め……ぐああああああああ!?!?!?!?!?」
「先生……!?!?」
人生初めてのマッサージチェアというものは、疲れ切った飛鳥の体には少々毒だった。
まさか生徒の気持ちを和らげるついでに自分の凝った体もほぐしてみようかな、などと甘い考えで動いた結果がこうだとは予想もできず、飛鳥は数秒後に失神してしまうのだった。
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