先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
「ラムレザルが敵になる? どうして……だって彼女は」
「わかっている。君の知人でありトリニティの為に戦ってくれた。そんなラムレザルが我々に刃を向ける理由などありはしないはずだ。私自身、にわかには信じがたいというのが正直な感想だ」
突然セイアから告げられた予知の内容。それは飛鳥と同じ世界からやってきたラムレザルが近い内に敵になるというあまりにも荒唐無稽なものだ。
ありえない。飛鳥は言葉にせずとも眼差しでハッキリとそう伝えていた。
元の世界においてラムレザルは確かに慈悲なき啓示……アリエルスの命令に従い全人類に宣戦布告を行い、フレデリックやカイ=キスクとも刃を交えた事がある。だがそれは過去の話であり、母親と決別した彼女は善性の存在となったはずである。
「……実はね先生。断片的といった理由は簡単なんだ。何故ラムレザルが敵となるのか、その経緯まで読めないんだよ」
セイアは困り果てた表情でかぶりを振り、
「今まで私の予知は完璧な精度を誇っていた。先に起きる事を現実の様に錯覚できてしまう程に、だ。しかしエデン条約を巡る事象は一部が歯抜けの様になっているんだ。恐らく……アクセル=ロウなどという異次元の存在を見てしまったせいかもしれないが……未来が確定していないのではないだろうか」
「断片的にしか見えない理由は、もしかしたらラムレザルが敵になる可能性を回避できる。そういう事かい?」
「……憶測でしかないがね。あまりにもあやふやだ。君が撃たれて死ぬという予知は回避されたのではなく、まだここから先に何かが待ち受けているとも受け取れてしまう」
セイアの面持ちは不安でならない、といった様子だ。それだけ彼女が持つ予知能力は確かなものであり、そしてその予知が正確なものにならない現状は焦燥感を抱かせるには十分すぎる。
そこで飛鳥はセイアの肩にそっと手を置くとなだめる様に、
「そこまで悩まなくても大丈夫だよ百合園さん。気負い過ぎても良い事はない。体調が万全でないのは君も同じだろう?」
「……気を遣わせてしまっているな。すまない先生。協力者として君にできる限りの手を尽くしたいというのに」
セイアは自分自身に対して強い責任感を背負わせている様だった。誰の目から見ても憔悴した様子は明らかであるし、それで休めといって聞いてくれる状態でないと理解できる程に。
未来を視ただけでなく夢の中でアクセルと言葉を交わしたが故にセイアはなんとかして明日を変えたいと心から願っている。だが飛鳥としてはそれは看過できるものではない。何故ならばそんな重荷を少女一人になど背負わせる事など許してはいけない。
かぶりを振り、飛鳥は語り掛ける。
「まずはトリニティに戻ってゆっくり休むといい。それから桐藤さんや歌住さんと方針を話し合うべきだ。その為に君は夢から戻ってきたはずだろう」
「それも、そうか。ああ、今回は君のいう通りだ。また私は一人で抱え込むところだったか……よし、それなら戻るとしよう。調印式会場の警護体制について話が動き出している。先生が閲覧できる様に手を回しておくよ」
まだ表情からは苦悩が拭い去れないものの、セイアは少し振り切った顔で椅子から立ちあがる。飛鳥に一礼だけすると彼女は帰路へ着くべく踵を返し病室のドアへと歩いていく。
と、ドアに手をかけたところで振り返り、
「さっき話した予知の内容だが、本人に伝えるかどうかは任せる。忘れないで欲しいのは……まだ未確定かもしれない、という事だ」
ラムレザルに予知を伝えるべきか、否か。それは飛鳥に任せる。
そういい残すとセイアは静かに病室を去っていった。すると外で待っていたミネが少しばかり不満そうな表情を浮かべながら入れ替わる様に入室し、
「先生。お見舞いの方がいらっしゃっていますよ。できれば休んで欲しいのですが……『補習授業部』の皆さんです」
「通して欲しい。積もる話があるから」
「わかりました。が……もしも体調が悪くなったらすぐにいってくださいね、お引き取り願いますから」
ミネという少女は威圧的な言動と躊躇いなく振るわれるであろう鉄拳のあまり凶暴な印象を感じさせるが、だんだんと飛鳥はその本質を読み取り始めていた。
あくまでも医療。それが彼女の根幹らしい。僅かにアクセルとブレーキが破綻しているものの『患者に治ってもらいたい』一心なのだろう。その極みが本人のいう『看護』というわけだ。
気のせいかキヴォトスでの生活は飛鳥にごくわずかなレベルだが人を見る能力を与えていた。人生経験、とでも呼ぶべきものだろう。
「ありがとう蒼森さん。その時はよろしく」
「ええ……ではお通ししますよ」
そうしてミネは飛鳥にコクリと頭を下げた後、見慣れた顔ぶれを病室に連れてきた。ハナコを先頭にヒフミ、コハル、アズサ……そしてラムレザルだ。心なしかヒフミとアズサは浅黒い。
(そういえば、海へ行くとかなんとか話していたっけ)
トリニティ襲撃事件からしばらくし、アズサへの監視の目が解かれた事を機にヒフミはラムレザルも誘って三人で海へ行ったそうだ。コハルは正義実現委員会の仕事に追われ不参加、ハナコは飛鳥のサポートをする為に辞退していた。
どこか曖昧な認識でいるのは百鬼夜行の一件以来、飛鳥が生徒達との距離感を意識する様になってしまったからであり、いうならば不干渉であったが故である。
「先生! 大丈夫なんですか!? 撃たれたって」
「浦和さんから聞いていると思うけど、今は落ち着いているから安心して。ちょっと痛いけどね」
無論虚偽である。脇腹にはケイオスに撃たれた穴がまだ開いている。出血は抑えているものの激しい運動などしようものならすぐに大出血により飛鳥は死に至る。
その為にミネは目を光らせているのだ。馬鹿な事などするな、と。
だがその不安を生徒に伝えてどうしようというのか。飛鳥は堪えに堪え、はにかんで答えていた。
「ご無事ならいいんです……あの、今日は本当にお顔だけ見たくてきたんです。長居はしません。ね、アズサちゃん」
「……一つだけ確認したい事がある、飛鳥先生」
ヒフミは言外にアズサに駄目だ、と訴えかけていたのだろうがそれを飲み込む性格でない事くらい飛鳥でも察せられる。アズサも無礼だと承知の上という表情を浮かべながら手を上げ、
「先生を撃ったのはアリウスの生徒?」
「―――いいや、違う。僕を撃ったのはケイオスさ」
「……そう、なんだ」
トリニティの未来を守るべくアズサは単身でアリウスに反旗を翻したのみならず、ナギサを守ろうと動いてさえいた。アリウスの生徒『だった』といってもよいわけだが、それでも質問を投げたいと思う理由は理解できる。
アリウススクワッドのリーダーであるサオリはアズサの知り合いどころか友人だったと聞いている。彼女からすれば袂を分かった生徒が凶行に及んだのでは、そう感じるのも無理はない。
だが事実はそうではなく、サオリは恐怖の中にありながらも飛鳥を庇った。
今どこにいるのだろうか? 逃走に成功したならば隠れているのだろうが……ケイオスの手に落ちていない事を祈るしかない。モモトークで連絡を取りたいのだが状況が状況な為に端末もシッテムの箱も取り上げられてしまっているのだ。
「白洲さん、心配してくれるのは嬉しいけど一人で動かない様に気をつけて。多分僕が思うに君、あまり相談事とかせずに動くだろうから……聞いているよ、海水浴で大変な事になったって。正義実現委員会の戦車を奪ったとか」
「それは私じゃない、ヒフミがやった」
「……えぇ?」
「い、色々あったんです色々! ね!? ラムちゃん!」
「本当に怖いのはヒフミだよ、先生」
「ちょっと!?」
病室がにわかに騒がしくなる。辛い勉強期間を共にし、死線まで潜り抜けた仲だ。自然と友人関係も深いものになるのは当然といえる。事実ラムレザルも今までより自然と仲間達と話しているし、軽く冗談もいい合える様だ。
と、不満そうなその輪に入れないコハルである。頬をムッと膨らませる様子から見るに海に行けなかった事がだいぶ悔しい様だ。
「うふふ、コハルちゃん。今度海に行きましょうよ海。私と一緒に……ヌーディストビーチに行きましょうよ」
「はぁ!? 何いってんのバカじゃないの死んでも行かないからそんなトコ!」
「え~! でもぉ、この前コハルちゃんが読んでた本にもそんなのが」
「うるさーい! うるさいうるさい! 死ねばか!」
「お静かに! 先生は怪我人ですよ、あまり大きな声を出すと『救護』しますよ、『救護』!」
コハルを慰めてやろうとふざけ倒すハナコ、そしてそれに怒るコハルと割って入ってくるミネ。瞬く間に病室はセイアがいた時よりずっと騒々しくなってしまっていた。
不思議な事に腹に穴が開いているというのに飛鳥はその光景を前にしながら、わずかばかり安らかな気持ちに駆られていた。死にかけて病院に運び込まれてから外界との繋がりを断ち切られていたのだ、心に何かしら影響はあってしかるべきだろう。
(研究員の時はこんな気持ちそうそう感じなかったな)
端的にいえば居心地がよくて、もうしばらくだけここにいたいという気持ちが強くなる。
そうして次に、拭いきれない罪の意識がまた押し寄せてくる。自分のすべてをラムレザルを除いた生徒達は知らないのだ、と。
決して表情には出さずに飛鳥は生徒達の交流を眺めていた。ただ一人ラムレザルだけは何かいいたげな表情を浮かべ、彼は予知の内容を伝えるべきかそうでないかを一瞬だけ思案したが諦めた。
「ラムレザル、後で連絡する。いいね?」
あまり長居するものではないという事でヒフミ達が帰る時、そう伝言を残すのがやっとだ。不穏な事をいっても意味はないのだから仕方がない。皆のいる前で「君は僕の敵か?」など聞けるはずもないのだ。
だがラムレザルは何か察した顔でコクリと小さく頷いていた。彼女は彼女で何か話したい事があるのだと視線で訴えかけていた。
「それじゃあ先生、早くよくなってくださいね! 次は果物とか買ってきます!」
「念の為院内に罠をセットして―――」
「ダメに決まってるでしょーが! もうっ、皆馬鹿じゃないの!」
「コハルちゃ~ん……ホントはナースさんの足じっと見てたりしてたのにぃ~」
「うっさい!!」
「―――じゃあ、また」
補習授業部の面々はいつも通りの騒がしさを保ったまま、飛鳥の心をわずかに温めて帰っていった。
さて、ではこれで見舞いは終わりか……そう思い込み飛鳥がベッドに寄り掛かっていた時、呆れ果てた様子のミネが、
「まだいらっしゃいますよ、お見舞いにきている生徒が。また騒がしい方達が」
「え……?」
やれやれ、とミネが口に出しながらも「どうぞ」と廊下に呼びかけるとゆっくりとドアが開き、そこには予想もしていなかった人物達の姿があった。
「うへ~、先生元気してた?」
「―――ああ、久しぶり」
〇
アビドス高等学校の生徒達と最後に会ったのは数週間程前。トリニティからの依頼を受ける少し前の事だ。
砂嵐の影響で積もってしまった砂の山を線路からどかす仕事を手伝い―――無論飛鳥は死にかけたが―――全員でラーメンを食べたのを覚えている。
壮絶な戦いを経た飛鳥にはもう何年も前な様に思えてしまい、つい口を綻ばせていた。
「砂狼さん、元気そうだね。サイクリングの調子は?」
「ん……この前ね、遂に完璧な銀行強盗ルートを発見した」
「おかしいな、これサイクリングについての話でいいんだよね?」
「ん……そうだよ、うん」
砂狼シロコは相変わらず銀行強盗にご執心だ。カイザーコーポレーションを陥れたおかげで世間的にアビドスの地位は向上し、馬鹿げた数字の借金も緩和されたとは聞いていたが返済にはまだまだ足りないのだろう。それでも逞しく、何の躊躇いもなく犯罪予告を打ち明ける姿勢は流石としかいえない。
ラムレザルと話してみたら案外面白いかもしれない。そんなふざけた考えが飛鳥の脳裏をよぎっていた。
「先生、お元気……そうじゃないですよね、あははは」
「心配してくれてありがとう奥空さん。でもどうしてここに? 確か入れる人間は制限されてるはず」
「皆さん会いに行くといって聞かなくて病院まで来たんです。そうしたらヒフミさんの姿があったので、その、後をつけて中に入れてもらった次第です。すみません……」
「いいや、来てくれて嬉しいよ。気のせいか前より大人びて見えるね。よかった」
「そ、そうでしょうか? 眼鏡を新しいのに変えたからでしょうか?」
奥空アヤネは最初に会った時よりずっと頼もしく見えた。個性的な先輩達に振り回されて右往左往していたのがずっと前に感じられてしまう程に。
何故か少し安堵している自分に気付き、飛鳥はつい大人っぽい話し方で彼女に接していた。
「―――はー、生きててよかった。もう死んだんじゃないかと」
「あはは、ご挨拶だね黒見さん。変わりないようでよかったよ」
「ふんっ、そういう先生も相変わらずとぼけた顔してる。会いに来てやったんだから感謝してよね~!」
「ん……セリカ、嘘はよくない。ここに来るまでずっとハラハラしてた」
「う、うっさいての!」
「『意識不明って本当かな!? 先生大丈夫なの!?』とかいってましたもんね~」
「ノノミ先輩! やめてってば!」
黒見セリカが口を尖らせて刺々しい物言いをしてきた時、飛鳥は思わず喜んでしまった。そういえば大人は信じない、と噛みついてきたのは彼女だったな……あの頃は誰にでも敬語で話していたが最初に崩れたのはセリカと話す時だった。
シロコ達の横槍は真実だろう。口こそ悪いが心の底ではとても心配してくれていたに違いない。
「えへへ、先生、お見舞いに来ましたよ。こういう時メロンがいいと聞いたんですけど生憎今日はなくて」
「気持ちだけ受け取るよ。それにまだ怪我のせいで物は食べにくい。また次の機会で大丈夫」
「体調は大丈夫なんですか? 運動とか……ダンベルとかご入用じゃありませんか?」
「だ、ダンベルはいいかな……うん、怪我が増えそうだから」
十六夜ノノミのペースは病院でも変わりない。おっとりとしていながらハキハキと話し、自然とノノミが会話の主導権を握っている。少しばかり前のめりであるが、だからこそ彼女はアビドスの面々をまとめ上げる役割でもあるのだ。
なんとなく、アヤネがいっていたヒフミ達の尾行を主導したのはノノミと『もう一人』なのだろうなという確信が飛鳥にはあった。聞いてみたい気持ちはあったが藪蛇なので口は閉ざしておく事にした。
「うへ、も~先生びっくりさせないでよね。おじさんもう年だから心臓が弱いんだよ? あ~胸が苦しいよ~、先生のせいだよ~」
「僕は今脇腹が痛いよ、撃たれたから……」
「そういうのやめてよ……重いよ先生」
「ご、ごめん」
「うへ~! でも本当によかったよ。撃たれたとか意識不明の重体だとか凄いニュースだったからさ? 無理して忍び込んだ甲斐があったよ、ね、ノノミちゃん」
「はい!」
小鳥遊ホシノがさりげなくいった内容から飛鳥の疑惑は確信に変わった。病院への潜入など提案する生徒などアビドスの暴れん坊であるホシノとその相方であるノノミくらいしか思いつかない。血の気の多いシロコであれば、躊躇いなく正面から突撃するだろう。
思えばアビドスを、ひいてはホシノを巡ってカイザーコーポレーションと戦ったあの日からシャーレの飛鳥=R=クロイツは活動開始したのだった。感慨深い気持ちと、随分遠くに来てしまった気持ちが押し寄せてくる。
「……皆ありがとう。君達に会えてとても嬉しいよ。何せ、近い内にエデン条約だからね」
「え、もしかして先生、調印式に出席するつもりなんですか?」
「まぁ、なんとかして」
「無理しない方が絶対いいって! お、お腹に穴開いてるんでしょ!?」
気が緩んだせいか、つい飛鳥は隠し通そうとしていた事を口にしてしまう。するとまず一年生の二人組が反対の意思を隠さずに身を乗り出してくる。特にセリカの言葉にうまい返しが思いつかず、飛鳥は口をモゴモゴとさせた。
「でもほら、僕がゲヘナとトリニティの間を取り持たないと」
「ん……それで無理したらいい事はないと思う。真面目な話、やめた方がいい」
「砂狼さんに本気のトーンでいわれると、何も返せないな」
次にシロコだが、やはり反対だった。それどころかあの、飛鳥に一〇キロランニングを強制したのみならず自転車で追いかけてきたあのシロコから叱られるというのが中々衝撃的な事態である。
では残るノノミとホシノなのだが……
「先生、無理はダメですからね♪」
「ね~~~~~」
まったくもって反論する気力さえ湧かない圧力である。飛鳥は流石に何か返さなければならないと試み、すぐに萎びてベッドの上で縮こまってしまった。
わかっている、わかっているのだ。朦朧とする意識の中でレイヴンとスレイヤーも話していた。戦わせる状況ではない、と。それでも気持ちではケイオスを迎え撃たなければならない……その一心なのだ。
「おほん。先生、何やらよからぬお話が聞こえましたがまさか本気じゃありませんよね?」
「あ、蒼森さん心配しないで欲しい。じょ、冗談だから、うん」
更に話を聞いていたミネに睨まれたとあってはもう打つ手なしだ。久しぶりに囲んで棒で叩かれたな、と思いつつ飛鳥は親に叱られた子供の様にすっかり意気消沈だ。
けれど同時に、飛鳥は確信もあった。もしもケイオスともう一度戦う時があるとして……今度こそ自分は死ぬ、と。
〇
「それじゃあ先生。私達はこれで失礼します。お大事になさってくださいね」
「今度はラーメン食べに来てよね! 大盛にするから」
「私も、銀行強盗楽しみにしてる」
口々に……一名明らかに怪しい事を口走っていたが……アビドスの生徒達は見舞いを終えて帰っていく。飛鳥は手を振って見送り、何故かまだ残っているノノミとホシノに眉をひそめた。
「それで、どうして君達は残ってるんだい?」
「あんまり大所帯じゃよくないでしょ。シロコちゃん達には戻ってもらってさ、私達の方で色々話しておこうかなって」
「色々?」
「うへ、先生撃ったのケイオスなんでしょ」
なるほど、その話題をストレートに投げかけられるとは予想しておらず思わず面食らいながらも飛鳥は首肯で返す。ホシノとノノミは沈痛な面持ちで顔を見合わせた。
ひとまず、ミネに視線で訴えかける。少し外して欲しい、と。心の底から不服そうな顔をしつつもミネはまた病室から出てくれた。
「……やっぱりまだ動いているんですね、ケイオス」
「既に僕の知っている限り、彼は二度事件を起こしている。エデン条約は間違いなくその標的だ」
「でもだよ、それでも無理しちゃダメだよ先生」
「―――それでも僕には、そうしなきゃいけない理由がある。ケイオスは僕の師匠だ。それなら弟子である僕が、彼を止めなきゃいけない」
思えばケイオスは異世界キヴォトスで初めて会った時から、飛鳥を試す様な事ばかりしていた。法術を使う様に仕向け、それでいながらカイザーの目論見をわざわざ教えていた。敵でも味方でもない、いうならば導き手とでも呼ぶべき行動だった様に今なら考えられる。
だがトリニティに対するケイオスの動きは明確に破壊を目的にしている。内紛を起こすのみならず、アリウスまで味方につけていた。完全に飛鳥への敵対姿勢を見せているのだ。
そうなればケイオスの目的はただ一つ……キヴォトスを混沌の坩堝に叩き落とす、それだけなのだ。
「……きっと僕は、ケイオスを止める為にここにいる」
ぽつりと飛鳥は呟く。心からの吐露を、絞り出す様に。
「まだ先生は、ご自分の事がお嫌いですか?」
そしてそれを遮らんとノノミがいい放った。ゆったりとしたいつもの調子ではない、芯の通った声色に飛鳥は俯きがちだった視線を彼女に合わせてしまう。
―――私にはほんの少しだけ、先生が自分を追い込んでいる様に見えるんです。こうしなくてはいけない、みたいな。
―――そう見えたのなら否定はしないよ。多分、君が感じたモノをそっくりそのまま僕は胸の内に抱いている。
―――……先生は、先生自身の事が嫌いなんですか?
そういえば以前、ノノミとそんな話をした。あの時はすぐにカイザーの計画が明らかになった為に有耶無耶になってしまったが、飛鳥の回答はあまりよいものではなかった。
ノノミの双眸はじっと飛鳥を見つめる。ホシノの二色に分かれた瞳は何かいいたげにそれに続いていた。
「……嫌いだとも。僕は僕自身の存在を許せないからね」
「それは先生が話してた友達の事があるから?」
「もっと、もっと大きな問題だよ」
飛鳥が最初に自分というものを曝け出した相手、それがホシノだった。
自分自身を嫌い、自暴自棄に近い状態だった彼女に飛鳥は自分自身を重ね合わせ、己の過去を打ち明ける事で説得した。
だが飛鳥=R=クロイツは未だに過去と折り合いをつけたわけではない。むしろ自分のすべてを見せずに今日までシャーレで活動し続けている事に、にわかにだが恐れさえ抱いている。
「僕は沢山の人を不幸にした。沢山の人に迷惑をかけた。そして今も……僕は僕自身の無力さに呆れ果てている」
掌をギュッと握り、飛鳥は己に訴えかける。なんてザマだ、と。
「ケイオスは僕が止める。それがやるべき事なんだ」
力強く飛鳥は覚悟を胸にハッキリとノノミとホシノに意思を伝え、
『ふーん』
驚く程冷たい反応を返されていた。あまりの冷たさに「えっ」と思わず声が漏れてしまった程である。
飛鳥が呆然とするのに対してノノミは困った顔をしながらおもむろに手を差し伸べる。
「先生、思い切り私の手を握って、力を込めてください」
「え? え、うん」
いわれた通りに手を握り、今しがたそうした様に力を込めてみる。するとノノミがニコッと微笑みお返しといわんばかりに力を込めると、次の瞬間飛鳥の手にまるで万力で締め付けられるかの様な痛みが走った。
「っ~~~~~!?!?!?!?」
視界が白黒に点滅する。絶叫する寸前でノノミがサッと手を離すが、飛鳥はジーンと痛みが残る片手から視線が離せなかった。
「どうして急に僕の手を握り潰そうとするんだ」
「ん~、先生がとっても弱っちい事を知って欲しいからです」
「うんうん、そだね」
「よ、弱っちい?」
突然の鋭い言葉にドキリとし、馬鹿正直にオウム返し。ノノミの表情はニコニコと綻んでいるが、しかし声色は真剣そのものだ。
「飛鳥先生、なんだか自分を映画のヒーローか何かだと思ってませんか」
「い、いやそんな」
「思ってますよ。自分のやるべき事、なんていっちゃって……ハッキリいってお話になりません」
「十六夜さん、それはどういう」
「先生、ノノミちゃんの話聞いたげな」
何かいおうとするより先にホシノに遮られる。彼女も本気の声色だ。
「先生は全力で何メートル走れますか?」
「じゅ、一〇メートル」
「先生は書類の山を運べますか?」
「運べない……」
「先生はスコップ片手に作業できますか?」
「で、できません」
「先生は私達の代わりにアルバイトできますか?」
「で……できません」
次々にノノミは飛鳥が苦手とする分野をこれでもかという程ぶちまけていく。最初こそ戸惑いながらの返答だったものの、次第に自信を失っていき視線を逸らしてバツが悪そうに答える始末だ。
この質問に何の意味があるというのか、もしかしてノノミは自分の事を嫌っているのではないか、飛鳥が本気でそんな気持ちになり始めたところで、
「―――じゃあどうして、私達は皆そんな弱っちい先生の事が大好きなのでしょうか?」
「それは」
答えられなかった。面と向かってハッキリとノノミからの感情を伝えられるなど不意打ちに近く、どういう意図の質問なのか、どう返すのが正解なのかがわからない飛鳥は言葉に詰まった。
助けを求めてホシノに視線を投げると、彼女は何が楽しいのかニヤニヤと微笑んでいる。
「わかんないかな先生、うへへ」
「……わ、わからない。そもそも、そんな、大好きだなんて」
「それじゃあ答え合わせです。運動は苦手で、話が長くて、たまに何を話しているのかわかりづらい……それでも、必死に私達の事を助けてくれるからです」
「……」
飛鳥はそこで、完全に言葉を失くしていた。
「先生はご自分の事が嫌いといいました。それがどうしてなのか、全部を聞こうとは思いません。でも間違いないのは……そんな気持ちを抱えながらも先生は私達に手を差し伸べてくれました。無茶苦茶な借金を背負って、騙されているのにも気付かなかった私達を」
「あとついでに、先生と同じく自分の事を好きになれなかったおじさんもね」
「―――」
「だからアビドス廃校対策委員会は飛鳥=R=クロイツ先生が大好きです」
「先生がおじさんにいってくれたんだよ。『気にかけてくれる人が、大切に思ってくれる人が一人でもいるなら、その人達を悲しませない事には、十分すぎる価値がある』って」
「っ、それ、は」
そんな事を確かにいった。自分自身から贈られた言葉をそのままホシノに伝えた。
胸の奥から何かが湧き上がってくる。燃え盛る炎の様に熱い、情動とでも呼ぶべきものが。
「先生が凄く強いからとか、魔法使いだからとか、昔どんな事があったのかとか、そんなの関係ないです。いつも皆の為に頑張ろうとする先生だから、そんな飛鳥先生だから応援するんです」
「先生さ、おじさんがいう事じゃないけど……もっと私達の事信じていいよ。一人で頑張ろうと思ってもいい事なんてないって」
「―――でも僕は守りたいんだ。君達の世界を」
「あれ、私いいましたよね先生。先生も、私達の世界にいるんですよ?」
―――飛鳥先生!先生も、私達の『世界』にいるんですよ!
―――あ、いや、そんな……僕はそんな。
―――何バカな事言ってんのよ!先生のおかげで、私達こうして揃ってるんじゃない。
―――私は先生の事を信じてる。だって、信頼できる大人だから!昔がどうだったとか、私にとってはどうでも良いの!
ああ、そういえば結論はずっと昔に出ていたんだ。
どこで間違えたのだろう。ケイオスがトリニティを崩壊させるべく、ナギサの心を壊そうとした時だろうか。
飛鳥だけを狙うならいい。だがなんの罪もないナギサをそそのかし、苦しめたあの一件は心に影を落としていた。
そうして思い違いをする様になった。ケイオスは自分が止める。キヴォトスにいる一番の理由はそれだ、と。
「ありがとう、十六夜さん。僕は随分と思い違いをしていたんだね。小鳥遊さんもありがとう」
「ささやかな恩返しです。私達を助けてくれた先生に、今度は私達が何かする番だと思って」
「うへ~、頼むね先生。これからもさ……元気でいてよ」
か細い声で、けれど確かに飛鳥は二人の生徒に礼をいった。大切な事をまた取りこぼしかけていた自分を救ってくれたのだ。
そしてそれに追い打ちをかける様に、病室のドアをノックしてミネが突然入室してくる。その手には飛鳥の携帯端末が握られていた。
「先生。重傷を負っている方に渡すべきではないと思っていたのですが、あまりにも通知が鳴り止まないので一度お渡しします。内容を確認してください」
「通知?」
いわれるがままに端末を受け取り、飛鳥は画面に視線を落とす。ノノミとホシノも画面を覗き込み、そして三人揃って驚愕のあまり目を見開いていた。
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何人もの生徒からのメッセージが、山の様に飛鳥の端末に届いていた。どれもこれも身を案じる連絡ばかりで、そのあまりの量に端末はひたすら着信を繰り返していた。
それはどれだけの人間が飛鳥を心配してくれているか、どれだけの人間と飛鳥が親交を深めたのかを何よりも証明していた。
飛鳥=R=クロイツは確かにこの世界に存在していた。
「―――ああ、そうか。僕は幸せ者だ」
くすりと微笑み、そして飛鳥は迷いのない目でミネへと、
「蒼森さん。『救護』を頼みたい。外に出ずに僕が元気である事を伝える一番の方法を思いついた。シャーレから機材を運んできて欲しい」
「機材、ですか。それは一体……」
「まだしていないんだ。今日の『放送』」
〇
飛鳥=R=クロイツが撃たれた。そんなニュースが駆け巡り、キヴォトスに僅かではあるが不穏な空気が漂い始めていたタイミングで、『放送』は始まった。当たり前の様に、いつも通りの様に。
「本日の放送を、開始します。キヴォトス全体の暴行事件件数は―――」
それは飛鳥=R=クロイツが無事である事を知らせる放送だった。
現時点での投稿頻度に関してどのように感じていますか?
-
区切っても良いから投稿頻度を上げて欲しい
-
このままもう少し早く出して欲しい