先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
『シャーレ』、学園都市キヴォトスにおける完全独立機関。キヴォトスに生きる全ての生徒はシャーレに助力を仰ぎ、また助力する事も出来る。端的に言うならば生徒限定の何でも屋である。
そしてシャーレを統括する指導者こそが───
「先生?お話があると聞きましたが、何かご用ですか?」
早瀬ユウカがシャーレのオフィスに到着したのは昼を過ぎた頃の事。突然先生から『話があるのでオフィスに来る様に』という連絡が飛んできたのだ。
シャーレ統括者の立場となってからと言うもの、あまり連絡をよこさずこちらから連絡をしても淡白な返信のみに留めていた先生からの個人的なメッセージとなれば、相当の有事なのだろう。となれば動かざるを得ないわけだ。
「……メッセージを送ってから一時間。反応が早くて助かるよ、早瀬さん。君が勤勉で、何より業務というものに真面目なのはよく知っているからね」
「いえ、シャーレからの呼び出し連絡が来たのなら応えるのは義務の様なものです。これと言って、褒められる様な事では」
先生、飛鳥=R=クロイツは腰掛けていた椅子から立ち上がるとユウカを迎え入れる。その手にある端末を見る限り、先程まで何かしらの作業を行っていた様だ。
飛鳥の眉間には僅かに皺が寄り、彼が焦っているのだと如実に示している。これは珍しい事であり、ユウカも思わず口元をキュッと引き締める。
まだこの青年が先生の役職についてから数週間ほどしか経過していないが、ユウカの中で飛鳥とは極めて機械的な人間という印象がある。あまり笑わず、怒りも悲しみもしない、多忙極まりないが決してその事に関して愚痴も言わない。人間味というものは希薄であると。
だが今は違う。呼び出された内容は、もしや非常に危険なものなのではないだろうか?
「先生、一体何事なんですか?生徒に助力を乞うにしても、私以外にも沢山……」
「事態は一刻を争っている。そして僕は今回の状況下においては君の方が最適だと、そう判断したんだ」
「私が、最適……」
別段、ユウカが他者からの承認欲求に飢えているわけではない。所属するミレニアムサイエンススクールでは常に誰かから声をかけられて問題を片付けて、とむしろ過干渉だと感じるほどである。
だが同世代の生徒ではなく、『大人』という全く別種の存在からの声掛けとなれば湧き上がる感情は全く別物だ。彼女は思わず装いを正すべく背筋をピシリと伸ばしていた。
「が、頑張ります。はい」
「よし、それじゃあ今起きている問題について説明しよう。つい数時間前、僕はゲヘナ学園の生徒からある依頼を受けた。指定した場所に指定した食品を運んでくる様に、と」
「なるほど」
ゲヘナ学園、キヴォトスでも強い力を持つ大きな派閥の一つである。とにかく暴力的で常に学園内は世紀末状態だと呼ばれるほどで、ユウカは名前を聞いた時点でなんとも嫌な予感を抱いた。
飛鳥は端末を操作し、マップを表示する。依頼に記されていた配達地点というのは、どうも悪名高きゲヘナのブラックマーケットの様だ。
「先生、これはどう考えても先生を誘き出す為の罠です!のこのことここへ行けば、ゲヘナの生徒が待ち構えていて……というパターンですよ!」
「僕もそう予測した。配達する内容物もコッペパン一個だからね」
「露骨過ぎです!!!」
「この話には続きがあるんだ。確かに僕は身の危険を感じ取った。けれどここで生徒からの依頼を無視するわけにもいかない。一応、先生とはそういう存在だと説明されたからね……そういうわけで僕はドローンを使って、安全に配達しようと考えた」
飛鳥は肉体労働というものが非常に苦手だ。少し走っただけで息を切らすし肉体強度に至ってはスカスカであり、そこらの生徒にパンチされるだけで脊椎がへし折れて死に至る。
『僕は痛みで死ねる自信がある』というのは飛鳥本人の口から放たれた信じがたい発言だ。
そういうわけで基本的に飛鳥はよほどな事でない限り、改造したドローンに作業を任せる事がある。生徒を直接指揮しなければならない時以外はもしもの場合に備えているのだ。
「ただ、それで円滑に進んでいれば僕は君に相談をしていない。問題が発生した。……ごめん、問題ばかりなんだからこの言葉はもう意味を成していないかもしれない」
「大丈夫です。キヴォトスでは日常茶飯事ですから」
飛鳥は心底困った顔でため息をつくユウカを横目に、何かの映像を再生する。
そこにはビルが立ち並ぶ光景が映っていて、どうやら高度から撮影されているものの様だ。恐らく前述したドローンが撮っているのだろう。
と、突然耳障りなノイズと共に映像がぐるぐると乱れる。しばらくして何かが砕ける音に続いて、映像はブツリと途切れてしまった。
「これは───」
「撃墜されたんだ。いや、正直なところゲヘナの生徒達を侮っていたよ。まさか誰のものかわからないけどとりあえず飛来してきたドローンを撃ち落とすだなんてね。キヴォトスへやってきてからというもの、僕が予想していた展開が全て軽く斜め上に裏切られていく……何故ここでドローンによる無人配達が主流でないのか、よく理解したよ」
「この事は依頼人の生徒には伝えたんですか?」
「伝えたんだけど、かなりお怒りだ。シャーレの『先生』は荷物運び一つまともにこなせないのか、とね。再配達すると伝えたらドローンではなく生身で来る様にとまで言い渡されたよ」
「そんなの……」
「カモネギ、だね。だから僕は君に相談しているわけだ」
自分がターゲットに定められているというのに、何故こんなに平然としていられるのかユウカには全く理解できず思わず飛鳥へと鋭い視線を向ける。
当の飛鳥は口元に手をやりながら、どうしたものかと思案していた。
「君の言いたい事はわかる、こんな依頼は無視してしまえばいい。もしくは危害を及ぼされる前に芽を摘んでおくか。けれど僕はこうも考えている。たとえ相手にどんな真意があろうとも、依頼という形式を取られている以上は真っ向から向かい合わなければならないんじゃないかな」
「そんなの無茶苦茶です!もしもゲヘナの生徒と偽ってもっと危ない相手だったらどうするんですか!?というか先生自分で言ってたじゃないですか、自分は弱いって……」
「……そうだね、自分でそう言った。単身ゲヘナに向かおうものなら、境界線を踏み越えた瞬間に僕はミンチになっているかもしれない」
飛鳥という男は、自分の事についてを話しているのにどうにも他人事の様に考えている事がある。話にならない、とはまさにこの事である。ユウカはこめかみに手を当てて、聞き分けのない子供に諭すかの様にゆっくりと語りかけた。
「絶対にダメです。どんな理由があろうとも自分から火事場に飛び込むなんて……」
「早瀬さん、僕が君を呼んだ理由はそこにあるんだ。何も自殺に行くと伝える為に連絡したわけじゃない。ゲヘナへ向かい、依頼を果たす。ではどうすれば僕の安全性は保証されると思う?」
「もちろん戦闘を行える人員を引き連れる事です。有事の際に先生を守ってくれる……私達生徒の様な」
「その通り。けれど誰にそれを頼むべきか、それが問題になる。トリニティかミレニアムか……僕は、ゲヘナの人間に頼みたいと思っている」
飛鳥はそう言って、端末を手に取って何やら調べ始める。ゲヘナの生徒に助力を仰ぎ、事態の解決を手伝ってもらう。と言っても一体誰に……?
「早瀬さん。僕は外からキヴォトスにやってきた、いわば異物だ。そんな僕はどうすれば信頼を得られる?」
「……」
「実績だ。『シャーレの飛鳥=R=クロイツは絶対に依頼を遂行する』、そう証明しなければ僕はずっと異物のままになってしまうからね。危なそうだったから無視しました、それでは生徒の為に存在するシャーレの意義が薄れてしまう」
「私を呼んだ理由は、その宣言をしたいからですか?」
「宣言、というより僕のスタンスを打ち明けたかった」
「どうして私なんですか。先生がご自分がどうしたいか伝える相手なんて、生徒なら誰でも……」
ぴたりと飛鳥は手を止めた。端末から目を離し、薄い茶色の瞳がユウカへと真っ直ぐに向けられる。
ドキリとした。これまで飛鳥が見せた事のない迷いのある目がそこにあったのだ。
「君は僕が先生になった日に一緒に戦ってくれた内の一人で、そしてわざわざ毎週オフィスにやってきて僕を手伝ってくれる。そんな君だから、僕はこうして色々話している。言うならば君は僕の友達だ。友達なら……本心とかを打ち明けるものだろう?」
そこで飛鳥は、恐らくユウカが知る中で初めて口元をそっと緩めた。今にも吹き飛んでしまいそうな弱々しい笑みだけど、それでも彼がどんな感情を向けてきているのかは確かに感じられたのだ。
不思議な性格だ。感情を表に出さず淡々としているかと思えば、不意に人恋しさの様なものをちらつかせる。あまり人付き合いが苦手ではないと以前本人が言っていたのは、こういうところなのだろう。
となれば、そんな男をみすみすゲヘナの餌食にするわけにはいかない。気を引き締めてユウカは飛鳥に協力するべく顔を近づけた。
「うん、誰かと話すと思考が少しまとまる。まとめよう早瀬さん。見るからに危険な依頼。だが僕にはこれを受けないという選択肢はない。どんな依頼でも真っ向から挑むのがシャーレであると、誰でもいいから見せなければならないんだ」
「けれど先生単体では、とてもではないけれどゲヘナには単身では踏み込めない。生徒に協力を仰ぐ」
「協力してもらうのはゲヘナの生徒にしたい。よその学園では少し侵略じみた絵面に見えてしまうからね。出来ることならゲヘナ内での様々な事案を取り扱う風紀委員に手伝ってもらいたかったけれど、ここは敢えてそうした組織を避けていきたい。『あんな生徒でも飛鳥=R=クロイツは味方に出来る』と見せなければならない」
「なら、そこから導き出されるのは……」
端末をスクロールし続け、そして飛鳥はこれだと言わんばかりに指を押し当てる。彼が選び出した信頼できる生徒達、それは──
「そう、陸八魔アルが率いる『便利屋68』しかない!」
もしかしてこの男は真面目そうな顔をして実はそうでもないのかもしれない、ユウカはつい先程までの感傷的な気持ちがすっかり失せていた。