先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
――――空崎ヒナが飛鳥の前に姿を現わす、一〇分ほど前の事。
ハッピーケイオスの愛車は飛鳥を下ろして、のんびりとドライブへと洒落込んでいた。今するべき事は全てこなし、後は飛鳥がアドバイスに対して期待する通りの働きをしてくれれば文句は無い。
そういうわけでケイオスは呑気にハンドルへ手を置いて、お昼は何処にしようかななどとぼんやり考えていた。
(あの柴関ラーメンってお店、結構美味しかったなぁ。あそこにしようかな……じゃ、Uターンか)
柴関ラーメンは進行方向とは反対に位置している。ケイオスはゆっくりと車体をUターンさせると、気持ち強めにアクセルを踏み込んだ。
キヴォトスという街を、ケイオスは心の底から愛している。そこら中で爆発が起きるし、爆発を起こすのは年端もいかない少女達と来ている。混沌としながら、それでいて知覚できない秩序が敷かれている、ある種の楽園だ。
(だから飛鳥君には頑張ってもらわないとなぁ……)
と、ケイオスがしばらく車を走らせていると、記憶が正しければ柴関ラーメンが位置する方角から黒煙が立ち上っているのを目視した。どうやら何かが爆発した様だ。思わぬトラブルに彼はサングラスの奥で眉をひそめた。
「ちょっとちょっと~、まさかとは思うけどラーメン屋吹っ飛んでたりしないよね?」
常に不穏な言葉を発し、不敵な笑みを浮かべるケイオスであるが、シンプルに何かを好く事もある。柴関ラーメンはその最たるものであり、程よい価格帯である事もあいまって彼としては今後とも贔屓にしたいと意気込んでいたほどなのだ。
もしも店に何かあったら、恐らく一〇分ほどは落ち込むであろうとケイオスは見込んでいる。移り気な彼からすれば一〇分も気を落とすなど、相当な衝撃だと言えよう。
アクセルを踏み込み、ケイオスは柴関ラーメンへと急ぐ。五八〇円という低価格帯よ、願う事ならば健在であって欲しいと願って。
「―――――ん、アレもしかして空崎ヒナ?」
ケイオスは移り気な存在である。好きなものも嫌いなものも、その時の気分によって変動するのだ。不安な事も同様で、彼は前方の道を横切ろうとする少女が、風紀委員会を統べる最強の存在だと気付くや否や、先程までの柴関ラーメンへの興味を完全に失っていた。
空崎ヒナ。キヴォトスに生きる生徒達の肉体強度はケイオスや飛鳥がいた世界とは大きく異なっているが、彼女はそんな生徒から見て太刀打ちできないとされる強さを持っている。たとえるならば背徳の炎、ソル・バッドガイが近しい立ち位置だろう。
「うーん、折角だ。少しちょっかいをかけてみようかな?」
ケイオスはヒナを車で撥ね飛ばしてみる事にした。銃弾くらいで傷がつかないのは知っている。ならば全速力での追突はどうか、確かめてみたい気持ちがあるのだ。
そういうわけでアクセルをめいっぱいに踏み込もうかというところで、ケイオスはわざとらしく空いている手を口の様にぱくぱくと動かしながら裏声で、
「駄目だよケイオス君!人を車で撥ねちゃいけないってお母さんに言われなかったの?」
「あ、君は善のケイオスじゃないか。どうしたんだい急に」
「君があの子を車で吹き飛ばそうなんて考えてるから、怒りに来たんだ!やっちゃ駄目だよケイオス君!」
「うーん、でもなぁ」
「おい、やめろよ善のケイオス。こいつの好きな様にさせれば良いじゃないか」
「ああ、今度は悪のケイオスまで来たぞ?困ったなぁ、でもさぁ二人とも。言っておくけど、僕に善も悪もないの忘れてない?」
「あ!」
「あ……」
「はい、じゃあアクセル全開ね」
茶番も良いところであるが、ケイオスの行動に理由を求めるなどナンセンスと言う他に無い。そういうのもアリと笑い飛ばすのがハッピーケイオスという存在なのだから。
一気に踏みしめられたアクセルにより、車は最高速度でヒナへと向かっていく。直撃すればたとえ頑丈な生徒と言えど、ひとたまりも無いだろう。
ところが、ケイオスの予想は誤っていた。ヒナは車に背を向けたままで、その場から舞上がったのだ。腰の辺りから生えている一対の羽が翻ったかと思えば、次の瞬間には地面を蹴り、ケイオスの頭上へとヒナは跳躍、そこから車へとミサイルの様な速度で突き刺さった。
「わァっ!?」
思い切り上空からの突撃を喰らい、車のボンネット部分が派手に陥没する。シートベルトをつけない主義のケイオスはその衝撃から逃れる術などなく、運転席から前方に射出され顔面をコンクリートの道路に思い切り叩き込まれる。
予想外の展開ながら、ケイオスは紅葉下ろしになる寸前の顔を抑えながら愛車へと振り返る。そこにはヒナの手でバラバラに分解された無残なパーツ群だけが残されており、これには流石に言葉を失った。
「……誰かわからないけど、人を車で撥ねようだなんて良い性格ね」
「サプライズが好きなんだ。いたたた」
ヒナの威圧は、ケイオスが知る中でも群を抜いて異質だ。敵意というよりは嫌悪感や不快感が近いだろう。彼女からすればケイオスは敵ではなく、排除すべきゴミか何かなのである。
であるならば、そのゴミとしては視界に入り込んでほどほどに邪魔をしてやりたいものだ。ケイオスはわざとらしく腰から下げる二丁の拳銃をちらつかせ、ヒナの注意を惹こうとする。
「僕はハッピーケイオス、ケイオスって気軽に呼んでくれていいよ。空崎ヒナ君、君の方から会いに来てくれるなんて嬉しいね」
「私としては、そういう手合いはうんざりしているのよ。悪いんだけど手早く終わらせていい?急ぎの用事だから」
「釣れないなあ」
言い終わると同時にケイオスは拳銃を引き抜き、一切の迷いなくヒナ目掛けて発砲していた。外見が少女であるからと言って判断や動きが鈍くなる事などはない。早撃ち勝負であれば負ける気がしない、とケイオス本人も自負するほどだ。
が、弾丸はヒナの頬を掠めるどころか思い切りその真横を通り過ぎていき、悲しく風を切った。これにはケイオスも不敵な笑みが消し飛び、気まずい表情で煙が立ち上る銃口をチラリと窺う。
「……今の何?」
「えっと、早撃ち?のつもりだったんだけど……もう一発いい?」
ヒナの返答を待たずにケイオスはもう一発撃ち込むが、これもまた命中せずにあらぬ方向へと飛んでいく。これには張り詰めた緊張もわずかに緩み、言葉にしがたい空気がじわじわと場を侵食する。
「ねぇ」
「待って、待ってね。今のはちょっと調子が悪かったんだ。三度目の正直ってあるでしょ」
「二度ある事は三度ある、とも言うけど」
「うん、そうとも言うね。でも……」
「銃の扱いが下手みたいだから、アドバイスをしてあげる。下手な鉄砲もなんとやら、ね」
ヒナは呆れた様子ながらも慣れた手つきで己の得物を構える。少女と言うには少し幼すぎる小柄な体格にはあまりにも不釣り合いな、重機関銃である。人間に対して発砲すれば、原型も留めず肉塊と成り果てるが、キヴォトスの住人からすれば大したダメージにはならないのが恐ろしい。
だがケイオスはそうではない。銃弾を食らえば相応に傷つくし、しかも痛いのだ。
(あ、でも避けられないなこれ)
直後に機関銃が火を噴き、いくつもの銃弾がケイオスへと撃ち込まれる。下手な鉄砲もなんとやら、とヒナは言ったが彼女はしっかりと狙いを定めて発砲し、全弾が命中し彼の肉体を勢いよく削り取っていった。片腕、脇腹、そして腹に大穴がぽっかりと空き、みるみる内に赤黒い血が路上に流れる。
ヒナは眉をひそめ、銃口をケイオスから逸らさず身構えた。肉体の半分以上が吹き飛んだと言うのに、彼女はより一層警戒心を強める。
「……びっくりした?僕は君達と違って頑丈じゃないんだけど、ちょっと変わった体なんだ。よかったね人殺しにならなくて」
常人ならば絶命しているはずの状態ながらも、ケイオスは微笑む。そして瞬きの内に銃弾によって抉り飛ばされていた部分が、最初から何もなかったかの様に再生するのを目にしたヒナもいよいよその目に敵意を宿らせる。
ようやく注意を向けられた。となれば、後は好きな様にやるだけである。ケイオスは再生させた腕を振りながら、
「僕はちょっと特別なカラダなんだ。安っぽい言い方になるけどつまりは、『化け物』」
「その化け物が、私に何の用?」
「遊びたいんだよ。君とね?キヴォトスでも最強と呼ばれる存在が、果たしてどれくらいの力を持っているのかとかね?」
ケイオスは銃撃の際に手から取り落としていた拳銃を拾い上げながら、ヒナの細い目を凝視する。敵意、どちらかといえば得体の知れないモノに対する危機感によるものだ。
「どこの誰かとか、何を目的にしているのかとか……確かめる必要がありそうね」
「お、いいねいいね。ノってくれると僕も嬉しいよ。でも僕としては、今言った様に君と遊びたい気分なんだ。だから、鬼ごっこといこっか」
ためらいもなくケイオスはヒナに背を向けると、一目散に走り出した。敵前逃亡、ではなく本人が言う様に鬼ごっこを――――追いかけてこいと挑発しているのだ。
攻撃を受けたのは『化け物』であると示す為であり、一度目撃してしまえばヒナは追いかける以外に選択肢はないはずだ。
手近な建物と建物の隙間に入る。ケイオスはドタドタと走りながら、端末を取り出して通話を始めた。
『――――なんだ』
「サオリ君?今アビドス学区内にいるんだけどさ、迎えに来てもらえないかな。もしかしたら僕、捕まっちゃうかもしれなくて」
『捕まるとは、誰にだ?』
「空﨑ヒナだよ、風紀委員会の。今彼女と追いかけっこしているところでさ」
『――――自分でなんとかしろ』
ぶつり、と通話が切れる。ケイオスはギョッとしたが、すぐにかぶりを振る。
「まぁ、名教師っていうのは最初こそ生徒に嫌われるものだしね?コミュニケーションなんてそんなもんだよ、うんうん……まさか秒で切られるとは思わなかったけどね?」
路地裏を駆け、適当に角を曲がり、また曲がる。可能な限りヒナを翻弄させられないかとケイオスは試み、路地を出られるあたりまでやってきたところで足を止めた。
差し込む日光を背負う様にして、ヒナが立ちふさがっている。薄暗がりの中でらんらんと双眸が妖しく光っていた。
「鬼ごっこ、上手くない?君はプロかな?」
「ここはよその学区だからこうするしかないの。面倒くさいけど私の立場上、仕方ない。出来る事ならビルを粉砕して、貴方を生き埋めにしてもいいのよ」
「それは怖いな。でも、僕はそれを知ってるからこうして鬼ごっこしてる。たまには邪魔なものを壊さずに駆け回るのも、良い運動になると思わない?」
「ならないわ。だって、これっぽっちも楽しくないから」
「じゃあ、もっと面白くしようか」
再び拳銃を引き抜き、今度は両手でしっかりと握りしめてケイオスは銃口をヒナへと突きつける。
「鬼ごっこは鬼が逃げる側を捕まえないと意味がない。来なよ、今度は外さないから」
「――――じゃあ、さっさと終わらせる」
ヒナが地面を蹴り、高速で突撃する。狭い路地ではケイオスに向けて一直線。回避はできず、迎え撃つ以外に道はない。
ケイオスは笑みを浮かべたまま、両手でしっかりと狙いを定めた。
「……ふふ、三度目の正直。僕の方が正しかった」
銃声。続いて銃口から飛び出した弾丸は、迫り来るヒナへと進んでいく。距離と場所、どちらも満たされていればいくらケイオスに射撃のセンスがなくとも狙い通りに当てる事は難しくない。
狙い澄まして放たれた弾丸は見事ヒナの頭部へと着弾――――したが、驚くべき事に突撃の速度は全く緩まない。額に当たった弾丸は、小石の様に弾かれてしまったのだ。
「ん?あれ、えっと、君もしかして化け物?」
「よく言われるわ。言われ過ぎて、まぁ『安っぽい』」
最強、その言葉に何の間違いはなかった。思わず素っ頓狂な声をあげたケイオスの首をヒナの細い指が鷲掴みにしたかと思えば、即座に超人的な跳躍能力で一気に飛び上がる。その瞬間に襲いかかる衝撃たるや、拘束されたままのケイオスは「んんん!!!」と悲痛な呻き声を漏らした。
一瞬でビルよりも高く跳び上がり、ヒナは一度屋上に着地すると再び地面を蹴る。先程よりも高く、まるで空を飛んでいるかのごとく。
「わああああああああああ、君、悪魔的な発想だね。まさかとは思うけど」
「多少の負傷は治るのなら、気絶くらいはするんでしょう。アビドスは砂に覆われている部分もあるから、被害が出なくて済むのは助かるわ」
「これは参ったな。君のその体格から、こんな事をしでかそうだなんて。折角だからこの技に名前をつけてあげよう。そうだね、ヒナムキンバスターっていうのはどうだろう。今度からは技名を宣言してから――――」
「舌を噛むだろうけど、自分のせいなんだから文句は言わないでね」
跳躍の先、市街地のわずかに飲み込んでいる砂漠部分に目をつけたヒナは迷いなくそこへと落下、否、墜落を始めた。もちろん、ケイオスが着地時に全ての衝撃を受ける形で。
「ハッピーケイオス、だったかしら貴方の名前」
「お、覚えていてくれると嬉しいな。飛鳥君の友達だから」
「飛鳥……?」
「そう、シャーレのあす―――」
そこで想像を絶するほどの衝撃が襲いかかり、ケイオスの意識は完全に途切れる。たとえ砂漠が多少勢いを殺すと言っても、高高度から落とされたとあっては一溜まりもない。キヴォトスの生徒であればもう少し軽く済んだだろうが、耐久性に関しては自己申告した通りだったのだ。
ケイオスが身動き一つ取らない事を確認して、ヒナはだらしなく着崩したスーツの襟を掴んでズルズルと引きずっていく。砂がまとわりつく事などお構いなしなその姿は、処刑人という言葉がふさわしい。
「アコは勝手に生徒を動かすし、よくわからない人に絡まれる、挙げ句に砂まみれ……本当に、めんどくさい。シャーレの先生まで厄介事を引き起こすタイプだとしたら……はぁ」
ぶつぶつと呟き、心の底から億劫そうにため息をつきながら、ヒナは市街地へと足を運ぶのだった。
ヒナ 強い めんどくさがってる
ソル 強い めんどくさがってる
一緒!!!!