先生は世界平和を実験している   作:飛鳥=R♯

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Chapter1.5 Disappearance
─Disappearance A─


 穏やかな日差しが小さな小屋に注がれる。街から数十キロほど離れ、人々の喧騒とは程遠いそこには風変わりな男がエンジン用のジールを販売する店を営んでいる。

 『JAZZ』、それが店の名だ。とにかく店主である男は無愛想で、口を開いたかと思えば『うるせぇ』『さっさと帰れ』とぶっきらぼうに言い放つ。物珍しさから訪れる客、旅のバイカーなどが立ち寄っては店主と軽い喧嘩を起こす事もあった。

 それでも一部のコアな人間には彼が確かなセンスを持つ、いわゆる違いのわかる男である事は知れ渡っており、愛想の無さも反転して愛嬌として捉えられている始末である。

 

 そういうわけで、今日も店主は小屋の前に商売道具を広げて雑誌を読みながら時間を潰していた。

 何も大きな事件はない。つい最近までは常に世界の終わりと向き合っていた世界も、今は穏やかな日々が続いている。

 平和、少なくともそう呼べる時なのだ。何に追われるわけでも、追いかけられるわけでもない無限の様な時間を、男は雑誌で潰していた。

 

「ねえ、また料理に挑戦してみたんだけどー?食べてみなーい?今回はキッシュっていうのよ」

 

 古屋の中から聞こえてくる同居人の楽しげな声に店主は心底ため息をついた。

 最近になって料理に対して興味を持ったのは良いのだが、いかんせんその腕前は上達する素振りを見せない。知識としては理解しているのだろうが、実践するとどうにもうまくいかない様だ。

 それでも良いと彼は思っている。何も最初から完璧に出来る存在などありはしない。大なり小なり、苦しんだり困る事があるものだ。

 とはいえ、あまり上達が見られない料理の試食を毎回任されると言うのは、ハッキリ言ってそろそろ限界である。

 

「料理?毒の間違いだ、訂正しろ」

「ちょっと、失礼じゃないかしら?その言い方は」

「だったらちったぁ食えるモンを作れ。刺激臭、舌を刺す様な痛み、見るに耐えないビジュアル、全部取り除いた上でな」

「ふぅん?シンに砂糖水をご馳走だと教え込んでいた貴方に言われたくはないかも」

「論点のすり替えか?人間が取るべき最低水準とそもそも料理と形容できないものを比較するのは土台から根本的に誤っている」

「……要するに、私の料理が食べたくないのねー!?」

「食えるモンを出せって言ってるのが聞こえねえのか!?ちっ……味見くらいならしてやる。だが最低レベルでもなけりゃあ、即刻焼却処分だぞ。あとな、オレが食わねえからと言ってそこらの犬に食わせたりするなよ。立派な動物虐待だからな」

 

 めんどくせえ奴だ、と店主は頭を振りながら雑誌を閉じ、長い間腰掛けていたおかげで鈍っていた体をほぐしながら小屋へと歩いて行こうとして、ぴたりと足を止める。

 背後から気配を感じた。敵意ではない、だが彼としては面倒な展開になりそうであると言う不吉な何かを感じずにはいられない。

 何故ならば後ろにいるのは、非常に面倒な人物だからだ。

 

「テメェも食うか?いや、食え。それから野郎のところにでも持って行け」

 

 ため息をついて振り返る。見慣れた顔が、憂鬱そうな表情を浮かべて立っている。少なくとも客ではないが、かと言って世間話をしにきたという表情でもなさそうだ。

 飛鳥=R♯。来客の名前はとりあえずそれで通っている。本体との差別化としてのものだが、当人は満足げな様子なので店主はそのまま変更するつもりはない。

 

「……いつもならご馳走になるところだけど、今日は世間話をしに来たわけじゃないんだ」

「だろうな。世間話をするんなら手土産の一つでも持ってくるのがマナーってもんだ。で?珍しく辛気臭え顔でやってきた理由はなんだ」

「僕が、消えた」

 

 ポツリと友人そっくりの青年は呟く。厳密に言えばそっくりというより青年そのものに限りなく近いのだが。

 店主は眉を吊り上げる。言葉の意味を計りかねるのだ。

 

「そりゃアレか、ある種のモラトリアムか?哲学的な話がしたけりゃあ酒を用意しろ。それなら聞いてやる」

「そうじゃないんだ。もう一人の僕が、オリジナルの飛鳥が消えたんだよ」

「……どういう意味だ?」

 

 冗談めかした口調もいよいよ空気にそぐわない。店主はギロリと飛鳥=R♯を睨みつける。

 少なくとも嘘は言っていない。含みのある言動というわけでもない、青年からは本心による焦りの色が滲んでいる。

 

「月にいる飛鳥との交信が途絶えた。昨日の事だ。可能な限り僕の方で交信を試みたけれど、一切反応がない」

「野郎に何かあったと?」

「それもわからない。何せ、彼は月面で暮らすただ一人の人間だからね」

「寂しい月での一人暮らしが寂しすぎてくたばったか?」

「その冗談、あまり今は笑えないよ。僕は最悪の可能性を考慮している」

 

 店主は口元に手をやりながら空を仰ぐ。地球から遠く離れた月面に独りで生きている友人からの音沙汰がないなど、普通の人生ならば全く想定する事のないシチュエーションだ。

 飛鳥=R♯は恐らく自分にできる事は全て試したはずだ。でなければああも焦燥に駆られるはずもない。

 

「考えられるケースは二つ。月で何かのトラブルが発生したか、誰かが襲撃したか」

「彼はティルナノーグの中だ。防衛機構も厳重で、潜入など到底不可能だよ」

「ふん、だとしたらトラブル発生か。しゃあねぇ、少し予定より早いが顔を拝みに行ってやる」

「……店の後ろにあるアレは、その為か」

 

 店主は首をゴキゴキと鳴らしながら小屋のドアを勢いよく開くと、外にいる飛鳥=R♯にもよく聞こえる大きな声で話し始めた。

 

「ジャック・オー!お料理教室は終わりだ!月面旅行といくぞ」

「えぇ!?今ちょうどお皿に盛ったところなんだけど」

「オイ、なんだこれは!?キッシュに中指立てやがって……」

「あ、味はちゃんとしてる、はずよ。多分!というか月ってどういう事なのよ?」

「飛鳥の野郎に何かあったらしい。裏のアレを飛ばすぞ、手伝え」

「えぇ!?」

 

 ドタバタと忙しなく動き回る音に続き、小屋から現れたのは飛鳥=R♯の知る限りで最もよく知る店主の姿だった。

 赤、炎を思わせる荒々しい服装に身を包んだという事はつまるところ彼は何かしらの荒事が発生さらに状況を想定しているのだ。ぶっきらぼうな口調だが、内心では友人を心配している証拠だ。

 

「こっちの準備は済んだ、行くぞ」

「……ありがとう。ええと、その服を着ている君はどう呼べばいいのかな」

「ん……今のオレはただの暇つぶしが好きな男だ。少なくともお前が呼ぼうとしている名前の奴はもう死んでる」

「わかった。なら、協力に感謝するよ──フレデリック=バルサラ」

 

 そうして奇妙な客を引き連れて、フレデリックは小屋の裏へと足を運ぶ。

 静かな田舎の一角には、友人を驚かせてやろうと考えて密かに建造していたスペースシャトルが天を突く様にそびえ立っている。思わぬ形で発射の時が訪れてしまったが、フレデリックの表情に変わりはない。

 

「さて──杞憂で済むと良いんだが」

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