先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
ティルナノーグ。
それは聖戦と呼ばれる血みどろの生存競争が繰り広げられていた中で、一部の政府高官が価値を失おうとしていた地球から、足を踏み入れて間もない月へと逃げる為に作り出した方舟。
聖戦が終結すると共に方舟の存在は忘れられ、歴史の闇に消えていくかと思われていた。
一人の男がその存在に目をつけ、己の目的の為に起動させるまでは。
「飛鳥ッ!何処にいる?」
手製のスペースシャトルで月面へと向かい、ティルナノーグへの着艦を果たしたフレデリックは開口一番、方舟全体に響き渡る程の大声で呼びかけた。
呼びかけに対する返答はなく、フレデリックは舌打ちする。
「なるほど、どうやら本当にいやがらねえようだ」
「今のでわかるの……?」
無理矢理連れてこられたジャック・オーはフレデリックが呼びかけた程度で方舟の主人が不在だと認識した事に困惑し、首を傾げた。
ティルナノーグは人間が数百人は居住できる広大なスペースを持っており、とてもではないがこれほどの広さを持つ敷地で人間一人を探すのは骨が折れる事だろう。側から見れば、フレデリックが適当に捜索を打ち切ろうとしているかに見える。
「考えてみろ。野郎がデケえ声を出す客を迎え入れないはずがねぇ。そういうところは無駄にしっかりしてるからな」
「……そうね。飛鳥君の性格なら、ティルナノーグ内のあらゆる出来事に目を光らせるはず。フレデリックの声を聞いて姿を現さないはずがないわ。じゃあ、本当に?」
「彼の研究室へと案内しよう」
二人の横を飛鳥=R♯が慣れた様子で通り過ぎていく。飛鳥本人が作り出した彼のコピーである為に知識の共有も行われているのだろう、慣れた様子だ。
フレデリックとジャックも続き、入口を抜けた辺りで大通りらしきエリアに辿り着く。人々が暮らせる様にと文明を模倣したコロニーである。少し古臭い建物が立ち並び、街路樹が等間隔で植え付けられている。
「以前はもう少しホコリが積もっていた。何しろ聖戦時に作られたものだからね。けれど僕が……君達の知る飛鳥がここを改築したんだ。彼は、きっとここを自分の墓にするつもりだったんじゃないかな」
「終活って体じゃねえとは思うがな。それより、さっきからそこら中にいるアレはなんだ?」
フレデリックが指差した先には、街路樹を整備している真っ白なマシーンがいる。電子音を鳴らしながら作業を行う姿は可愛らしく、ジャックが「ワオ」と声をあげる。
「飛鳥が作ったビットだよ。彼は肉体労働が向いていないからね、自分の代わりにティルナノーグを整備する要員を作り上げたんだ」
「ハッ……なんとまあ、一人でここまで仕上げやがったのか。最強の魔法使いってのは伊達じゃないと改めて理解した」
「僕が知っている限りだと、ルーブゴールドバーグマシンで蕎麦を打っていたりもしたよ」
「い、意外と楽しそうな事もしてるのね……」
「一人が好きな奴だからな。壁と喋ってろなんて冗談でも言ってみろ、本気で壁に向けて話し始める。そういう奴だ」
「わあ、想像できる……凄い」
「観光しているところ申し訳ないが、少し急いでも良いかな?」
R♯が眉をひそめて嗜めてくる。フレデリックは無言で頷き返すと、口を真一文字に結んだ。
観光に来ているわけではない。ティルナノーグの現在の持ち主である飛鳥が失踪したというのだ、早急に手がかりを見つけなければならない。
「時間が惜しい。一気に跳ぼう」
フレデリックとジャックが返答するよりも早く、R♯は法術による瞬間移動を行った。一瞬にして三人はティルナノーグ内を駆け回っていき、中心部に位置するエリアへと跳躍する。
移動を終えると、市街地とは雰囲気が一転して研究室と呼ぶに相応しい空間が現れた。
「ここが飛鳥の研究室。……やはり、彼の姿はないか」
研究室には誰の姿もない。うずたかく積まれた本の山、星の動きを観察できる巨大な天体望遠鏡、確かに誰かがこの空間を利用して研究を行っていた形跡が見られるのに、人の気配は一切無かった。
フレデリックはR♯が目に見えて動揺しているのを感じ取った。飛鳥の性格を完全にコピーしているそうだが、フレデリックからすれば兄弟を見ている感覚に近い。似ている様で似ていない、そんな存在がR♯だ。
「おい、最後に飛鳥と連絡を取り合ったのはいつだ?」
「……失踪する数時間前の事だ。僕と視覚情報を共有しているんだけど、その同調が少しズレたから調整しようという旨を話した。声色も話し方も、問題はなかったと思う」
「その同調のズレってのは?原因はハッキリしたのか?」
「──いや、しなかった。調整自体は問題なく行えたから、もう少し精度を上げようと飛鳥は言っていた。そうか、既に兆候は見えていたのか……!」
「つまり、その時点で飛鳥君達の間で行われていた同調に何かしらの干渉が起きていたという事になるのね。飛鳥君本人が失踪した原因はそこにある?」
「僕の方でもう少し手がかりを探してみよう。情報共有が突然打ち切られた瞬間に、何かあるかもしれない」
R♯が指を宙に滑らせると一瞬にして何もない空間に、多種多様なデータが法術を用いて視覚化される。拡張現実という奴だ。
黙々とR♯がデータに目を通す中、フレデリックはジャックと共に研究室で何か飛鳥の痕跡が無いかと探索を開始した。
何も言わずに飛鳥が失踪するとは考えられない。月面にたった一人生きていくと決意していた彼が忽然と姿を消すなど、何かしらの事件に巻き込まれた以外に無いだろう。ではそれは一体何なのか、確かめる必要がある。
「何か見つかったか?」
「いいえ、何も……飛鳥君は、何処へ行ってしまったというのかしら」
「……宇宙人にでも取っ捕まったのかもしれねえな」
「ちょっとフレデリック、冗談でも……」
「俺達の知らない世界にいる誰かがアイツを連れて行った、そういう可能性の話だ」
認知しえない世界からの襲撃、それ自体を既に『慈悲なき啓示』との戦いで経験しているフレデリックとしては、飛鳥の失踪に異なる次元の何者かによる攻撃という可能性を排除しきれなかった。
巨大な天体望遠鏡へと足を運び、星々を見るべく覗き込んだ。本当に宇宙人に飛鳥が拐われたなどとは思っていないが、もしも本当にそうだったら宇宙船の一つや二つでも漂っているかもしれない、などと冗談めかして。
「───おい、なんだありゃあ」
ところが、望遠鏡を覗き込んで数秒後にフレデリックは思わず声を荒げていた。R♯とジャックが何事かと目を向けると、彼は透明な天蓋の一点を指差した。
黒一色の宇宙に、穴が空いている。赤い光を放ちながらパックリと開かれ、不気味な光景がそこにはあった。
「ワームホール……?でもどうして、あんなところに」
「フレデリック。通信を繋げる、相手に今見えているものを伝えるんだ」
R♯が取ったのは恐らく月面にいる三人のみが見ているこの光景を他者に共有すると言うものだった。素早く自身を中継して、法術による通話をフレデリックへと送信する。
フレデリックはR♯が誰に対して通話を繋げたのかを聞くまでもなく、即座に耳に手を当てた。この状況下で連絡する人物など一人しか思い当たらない。
「カイか!」
『その声、フレデリックだな?』
イリュリア王国第一連王、カイ・キスク。フレデリックと何度も刃を交えたライバルであり、時に何度も助け合った唯一無二の友である。
宇宙にワームホールが開かれたなどと説明したところで理解してくれる人間はそうそういない。幾度となく世界の危機と対面しているカイならば、とR♯は踏んだのだ。
「手短に説明する。今月面にいるが、宇宙にワームホールができていやがる。何らかの干渉が起きている証拠だ」
『ワームホール……!?ならばこちらからも手短に説明する。シンと共に行動していたラムレザルが、失踪した!』
こめかみを殴り飛ばされる様な衝撃がフレデリックを襲う。
ラムレザル・ヴァレンタイン、彼女が姿を消した。それは今まさにフレデリック達が行方を追っている飛鳥と同じではないか。
月面と地上、全く異なる場所で失踪事件が起きるなど尋常ではないだろう。フレデリックを眉をひそめ、
「一体何があった?シンはそこにいるか?」
『いるぜオヤジッ!ラムがいなくなっちまったんだよ、ちょっと目を離した隙に、まるで……まるで最初からいなかったみたいにッ!!』
フレデリックはその瞬間に確信した。姿を消した飛鳥、出現したワームホール、そして続く失踪したラムレザル。
偶然の一致なはずがない。間違いなく何かによる攻撃だ。それも一般人ではない、ある種の特異性を持った存在に対しての攻撃である。新たな敵の襲来、平和というものはどうやら崩される為に存在している様だ。
「エルフェルトは無事か?」
『無事だ。だがラムレザルが消えた事に少し動揺している』
「ディズィーは?」
『問題ないが……なるほど、そうか!可能な限り情報を集めてみよう。そちらのワームホールに関してはお前に任せる、良いな?』
「ああ、通信を切るぞ」
カイとの通信を切り、フレデリックは改めてワームホールへと目を向ける。穴の向こうから何かが出てくる様子はないが、逆に言えば何が起きるかまるで予想ができない。
と、そこで得体の知れない現象に異変が起きた。ワームホールの形が歪み始めたかと思えば、みるみる内に縮小を始めたのだ。
「どうなっていやがる……!?」
あっという間に穴は閉じていき、数秒で完全に消失してしまう。何事も無かったかの様にまた黒一色に染まりきった宇宙を、フレデリックはじっと見つめた。
消されたのか、それとも消えたのか、どちらにせよワームホールは閉じている。何かがこの世界に対して干渉を図り、そして何らかの理由により中止した。フレデリックは一部始終を見た上でその様に判断する。
「フレデリック、閉じたの?」
「ああ、閉じちまった。だが、どうやら俺の予想は当たっちまった様だな」
「予想って……まさか」
「そういうこった。どうやら今度の敵はギアでもねぇ、バックヤードからの侵略でもねぇ、別の世界にある」
突如出現したワームホールと失踪した飛鳥とラムレザル。もしも真に別の世界からの攻撃が行われたのであれば、過去に類を見ない壮大な規模の戦いが始まる事を意味している。
ようやく平和がやってきたと思っていたのだが、ぬか喜びにも程がある。フレデリックはかぶりを振りながらジャックへと笑いかけた。
「こいつは、ヘビーだな」
「僕の方でワームホールと同調のブレについて解析しておく。一度君達は地球へ戻っておくべきだ」
R♯はそう言い出すなり、空中に映像を呼び出して黙々と作業を始める。全くクッションを挟まずに作業へと移る辺りが実にオリジナルそっくりだが、それを口にしたところで状況が良くなるわけではない。むしろ解析をするならば任せるべきだろう。
「こっちは任せたぞ。飛鳥の野郎が帰ってきたらすぐに連絡しろ」
「……フレデリック」
「あん?」
「僕は、飛鳥本人よりも少しおしゃべりになっている。つまりは前向きという事だ。だから、君に言っておかなければならない事がある」
「妙に改まりやがって、気色が悪ぃな。なんだ?」
「―――巻き込んでしまって、すまないと思っている。君もジャック・オーも、穏やかな世界にいるべきなのに」
フレデリックはそこで、思わずR♯へと歩み寄ってその背中を思い切り叩いていた。パァン、と小気味良い音が鳴り響き、細い体が吹き飛びそうにぐらぐらと揺れる。
「ゴホッ!?ちょっと、何を……」
「湿っぽい顔をしてる暇があるなら集中しろ。それに、俺が巻き込まれただと?馬鹿言うんじゃねぇ。俺は、あの野郎を助けに来たんだぜ」
友人を助ける為に月面までやってきたのだ。巻き込まれた、という言葉は表現として適切とは言い難い。フレデリックはニヤリと笑うとR♯に背を向けて歩き出した。
「行くぞジャック・オー。地上がどうなってんのか確かめる」
「ふふっ、はいはい。それじゃあ月の方はお願いね、飛鳥君!」
「……ああ、了解した。出口まで運ぶ様にビットを用意しておこう」
R♯の口には笑みが浮かんでいた。何故そうしているのか、彼本人もよくわからない。ただ、悪くないという気持ちがあった。