先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
ゴールデンフリース号のメインホールは、まさに豪華絢爛という言葉が似合う様相を呈していた。レッドカーペットが敷かれ、壁には古めかしい絵画、そのそばには鮮やかな色彩の花がエングレービングの施された高価な花瓶に生けられている。
二〇〇〇年代を目前としていた時期に公開された、豪華客船を舞台としたラブストーリーが飛鳥の脳裏をよぎる。結末は氷山に激突したせいで船体に穴が空き、海底に沈んでいくという儚いものである。そういった類いの映画に一切興味を示さない彼でも、事の顛末を知っている程度には人気作だったと記憶していた。
ホール内をバニーガール姿の少女達が入り乱れる。ドレスコードというのは事実らしく、船員には見えない恐らく乗客らしい者ともすれ違った。つまるところ、船員である事を証明する胸元のタグがなければ誰が誰であるか、このゴールデンフリース号では明確な区別がつきづらいという事だ。
飛鳥を先頭にして一同はメインホールを歩きながら、ゴールデンフリース号のメインであるカジノへと向かっていた。生徒達は全員用意されていたバニー衣装に身を包んでいる。
「ケイオスがここに逃げ込んだ理由がよくわかったよ。彼の息がかかっている生徒が隠れていたとしても、これでは気付けない」
「事前に読んだ資料だと、人の精神と姿形を自由に弄くれるなんて書いてあったな。マジでできんのかよそんな事」
「間違いない。だから皆、もしもケイオスらしき人物に遭遇しても必ず深入りはしない様に。何をされるかわかったものじゃない、僕を呼ぶんだ」
「ケイオスの対応はご主人様が魔法で行う、という事ですね?」
「そうなる。だから皆、無理だけはしない様に」
船に向かうまでの間に飛鳥は法術の説明を一通り済ませておいた。既に知っているネルも含めて今回の作戦に参加する全員に『飛鳥=R=クロイツでないとケイオスに太刀打ちできない可能性がある』と教えておかなければ、ケイオスが生徒と接触し思わぬ事態に発展しかねない。あくまでも彼の対応は飛鳥が担当する、という打ち合わせというわけである。
「カジノまでは全員で動こう。どの程度までケイオスの目が行き届いているか、まだわかっていない。下手に分散してそれぞれ罠を張られてはまずい。自由に動ける、もしくは猶予があるとわかり次第、室笠さんと角楯さん、それと一之瀬さんの三人で監視システムのハッキングをお願いしたい。カジノ内は僕と美甘さん、池倉さんで黒崎さんとケイオスを探すから」
「承知しました。くれぐれもご無理はなさらない様に」
「え、ご主人様、一緒じゃないのぉ? なんでぇ?」
ぶー、と口を膨らませるのはアスナである。バニー衣装に着替えてからの彼女に飛鳥は一度たりとも視線を合わせようとしていなかった。間違いなく目が合おうものなら組み付き勢いで近付いてくると予想できてしまうが故である。
飛鳥はこほんと咳払いしつつ、恐る恐るアスナの方へ首を動かす。キラキラと光る目には『バニーガール姿どう?』という意思が見え隠れしていた。
「……君達C&Cは一応隠密部隊に属している。息を潜めて行動する事が基本、そうだね? なら監視システムや諸々が隠されているであろう部分には一之瀬さんを始めとした三人で向かってもらいたいんだ」
「え、じゃあなんでリーダーもご主人様と一緒なの」
「C&Cは隠密部隊なのに、美甘さんが暴れて損害を引き起こすと言っていたのは一之瀬さんじゃないか。そうした点を踏まえて、大手を振って歩く側にいてもらう事にしたんだ」
「ちっ。このモヤシの言う事に従うのは癪だが、一理あるっちゃある。セミナーの会計、あの野郎にぐちぐち言われるのも嫌だしよ」
「リーダーずるい! 私もご主人様と任務したーい! リーダーだけ飛鳥先生と戦ったのもずるーい!」
「馬鹿! 声でけぇよ、音量下げろっての」
幸いな事にメインホールは人の往来が激しい為に多少の騒がしさなら簡単に飲み込まれてしまう。飛鳥達の会話も殆どが聞き取れずに流されている事だろう。とはいえケイオスが潜伏するカジノは目と鼻の先まで来ている。自然と飛鳥の背筋は、アカネが仕立てたスーツのおかげかびしりと正されていた。場の雰囲気と緊張が上手く噛み合っている。
「皆、そろそろカジノだ」
『カジノ・ケイオス』と金色と銀色の悪趣味な装飾に彩られた看板が掲げられた両開きドアの前までやってくると、門番らしき二人のバニーガールが佇んでいる。双方とも星形のサングラスをかけ―――ケイオスのものによく似ている―――飛鳥達を品定めする様に見つめてくる。
もしや何か入室に必要なものでもあるのだろうか、としばらく飛鳥は考えたものの、それらしい説明は受けていない。もしも何か要求された場合のケースまでは想定していなかった。とりあえず招待チケットを懐から取り出し、門番へと見せる。
「あの、これを」
「……招待客の方も『Dランク』からになります。どうぞお楽しみください」
それだけ言うと、門番は扉に手をかけてゆっくりと開く。ランク、とはまた不安な気持ちに駆られる単語である。カジノへと入る事ができるのならば今はその不安も頭の隅に追いやり、飛鳥達は開かれた扉の先へと歩いて行く。
「おい、なんだかズンズンズンと妙な音が聞こえてくるぞ」
扉の先に続く長い廊下を進みながら、ポツリとマリナが言った。これには全員が頷き返す。廊下に足を踏み入れてからというもの、腹の底に響く重低音が聞こえてくるのだ。間違いなくその源はカジノからのものであろう。
そうして進み続けた先には、予想以上の凄まじい光景が広がっていた。
―――メインホール以上の人だかり。
―――際限なく流れ続けるけたたましいメロディ。
―――入り交じる歓喜と絶叫。
まさしく、喧噪と言う他になかった。街のゲームセンターでも、百鬼夜行学園の祭りでもこれ程の熱狂を作り出す事は叶わないであろう。広大な空間一面に広がる無数のゲーム機やカードゲーム用のテーブル、そして天井から下げられているミラーボール……娯楽というもの突き詰めた、まさに異界である。
これには流石のC&Cも呆気に取られ、ネルでさえも「なんだよこりゃ……」と吐き捨ててしまう。
「ぐあああ!? なんだこの音は! 目が、目がチカチカするぅ!?」
マリナだけは平常運転だ。人工的に作り出された重低音のメロディは彼女にとって新鮮さよりも苦しさの方が強い様で、頭を抱えてうぎゃあと悲鳴を上げてしまっている。
「これは、非常に良くないな」
飛鳥はこめかみを押さえて、ため息交じりにそう呟いてしまっていた。船に乗り込んで早々に学生が運営しているにしては異常な豪華さであるとは感じていたものの、ここまでのものを見せつけられたとあっては大人としての是正の意思が大きくなり始める。
「ケイオスによるものであれば彼の確保で収まるだろうが、もしもゴールデンフリース号が元からこうなのだとしたら、シャーレとして何かしらの対抗措置を講じなければならない気がする……」
「こ、ここから白兎を見つけるの?」
「参りましたね……」
「うおおおお!! 耳が、耳がぁ!!」
「うるっせぇよ馬鹿! てめぇ今んところ何もしてねぇぞ!!」
予想外の規模と大音量、果たしてこの中にいるであろうコユキとケイオスを見つける事はできるのだろうか。嫌な汗がじわりと飛鳥の背筋を伝うのだった。
※
「……さて、飛鳥君達も船に乗り込んだし、いよいよ楽しい航海の始まりだ」
からりと、グラスの中で氷が音を鳴らす。カジノのオーナールームは喧噪にまみれたカジノそのものとは異なり、不気味な程の静寂が支配している。耳を塞ぎたくなる程の騒音も届かない一室で、ケイオスはおもむろに白濁色の清涼飲料が注がれたグラスを、壁際に立つ四人のバニーガールへと向ける。飛鳥達の部屋にバニー衣装を運んできた、あの少女達である。
「ずっとそこに立ってるつもり? それとも僕も立った方が良い感じ?」
黒髪の少女はジロリとケイオスを睨み付ける。他の三人は一様に口を閉ざすのに対して、彼女だけは明確な敵意と呼べるものを向けていた。
「貴様の誘いに乗ってこの始末だ。これ以上話は聞かん」
「あー……バニーの事はごめんね。ここのルールだって言うから僕も変えられなくてさ。お詫びに僕もバニー着た方が良い?」
「その時は貴様の脳天を撃つ。貴様が『マダム』の知人であるとしてもだ」
ケイオスは僅かに縮まったと感じていた距離感が再び離れている事に肩を落とす。一度は話を聞いてくれただけでなく、船まで共についてきてくれる程度には信頼を築いたと思っていたのだが、よもやバニー衣装を着せたおかげで殺意を抱かれる事になろうとは予想していなかったのだ。
「まぁそう怒らないで。これも経験だよ、経験。この船を降りる頃にはきっと君達は一皮剥けているだろうからさ。ケイオス先生を信じて?」
「あ、あのぅ、私達はここで何をすれば良いのでしょうか。ケイオス、先生」
「ヒヨリ」
「あう、でも……マダムから先生と呼ぶ様にと言われてしまったからには従わなければ何をされるやら」
オドオドとした少女が声を震わせながら訴えかけると、黒髪の少女も口を閉ざしてしまう。マダム、四人の少女達を部下として扱う存在であり、ケイオスとも見知った仲である。彼女達はマダムの指示で謎の男、ハッピーケイオスと動向を共にする事を強いられている現状だ。
決してケイオスに対する反抗心だけが全てではない。興味深いと思う者もいれば、そもそも何も感じない者もいる。唯一明確に敵対の意思を見せるのは黒髪の少女くらいであろう。
「実はね、今回ここに君達を連れてきたのは飛鳥君の顔を見て欲しかったからなんだ。飛鳥=R=クロイツ、シャーレの先生を。どうだった? 生で、目の前で見た感想は」
「……まるで枯れ木だった」
それまで一言も言葉を発していなかった短髪の少女がポツリと呟く。バニー衣装の上から上着を着て、上半身の露出を徹底的に抑えている。感情の籠もっていない低い声色で、
「本当にアレが先生だとは思えない。何かの間違いかと思った」
「でも、飛鳥君は先生なんだ。もう何個か大きな事件も解決しているし、キヴォトスの住民達からもそれなりの信頼を得られている。だから……君達にとってはどっちかと言えばゆくゆくは敵になるわけ」
そこで、最後の少女がゆっくりと手を動かす。手話である。彼女はケイオスに対してこう言っている。
―――私達は彼をどうすれば良いの?
「うん、良い質問だね。君達四人がここにいる理由は二つある。まずは社会科見学と職業体験。学生の内にやっておいて損はないと思うんだ。それでもう一つは、見学と体験をしながらの課題ね」
「課題……?」
「ルールは簡単。飛鳥君がこのゴールデンフリース号を降りるまでに……彼を殺すんだ」
その言葉に少女達の表情は一変する。先程までとは明らかに異なる雰囲気を纏い、ケイオスへの視線が別物に対するものへと切り替わる。少女達はそうする様に育てられている。幼き頃から、何かを壊す為に鍛え上げられている。
「話が早くて助かるよ。やり方は問わない。上手くやればきっとマダムも君達の事を褒めてくれると思う」
「……失敗した時は」
「どうもしない。今回はあくまで課題だからね、任務じゃない。だから色々試行錯誤してみてよ。でもちょっと、邪魔が入るかもね」
「それって、飛鳥先生の近くにいる生徒達の事ですか……?」
「いや、生徒じゃない。大人だよ」
そこでケイオスは椅子から立ち上がるとグラスを揺らしながら、
「説明するの難しいんだけどさ。僕と飛鳥君の知り合いって言うの? とにかく君達生徒とは違う存在がこの船に入ってきてるみたいなんだ。名前は……別に良いかな。一目見ればそうだとわかると思うよ」
「ターゲットを排除する上での障害になり得る人物の情報が少なすぎる。どういうつもりだ」
「うーん……ネタバレは嫌いなんだよね。ここで話したら、ちょっと驚いてそれで終わりになっちゃうからさ。あぁでも……顔の特徴なら教えてあげられるかも」
首を傾げる少女達に対してケイオスは人差し指を立てて、自身の額をぴたりと指差した。
「角が生えてるんだよ、彼」