先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
最初のうちはちょっと話の筋的に飛鳥がぐにゃぐにゃしますが、すぐにこれまでの話に出てきた様ないつもの飛鳥的な感じになります。それまで少しだけご容赦ください。
僕は先生じゃない
『先生、先生?聞こえていますか先生?』
「……ああ、聞こえているよ。そういえば僕はそう呼ばれているんだったね」
携帯端末、『シッテムの箱』からの声に飛鳥=R=クロイツが返答したのは一〇秒ほどの間隔を置いてからだった。
シャーレの執務室は静寂に包まれ、飛鳥以外の姿は見られない。だからこそ思案するにはもってこいの時間と言えるのだ。おかげで声に反応するのが遅れてしまっていては元も子もないが。
『シャーレが活動を開始してから、生徒の反響はまずまずと言ったところです。仕事を依頼されるのもそう遠くはないでしょう』
「自信がないな。上手くできると良いんだけど」
『飛鳥先生なら大丈夫です!この前だって生徒をカッコよく指揮していたじゃないですか!』
「……ごめん、ちょっとトイレに」
会話を打ち切り、飛鳥は椅子から立ち上がると端末をテーブルの上に置き、執務室を出てすぐのトイレへと逃げるように足を運ぶ。
トイレに入るなり飛鳥は洗面台へと向かい、蛇口を捻ってこれでもかというほど水を出し、手で掬い取って顔へとかける。何度も何度も、自らの頬をぶつかの様に。
顔をあげれば、ポタポタと水滴を滴らせながらスーツ姿の自分が映り込む。ネクタイをキュッと締め上げた姿は、まさに大人という言葉が似合う。
「……先生、僕が?」
目が覚めた時、飛鳥はキヴォトスにいた。
無数の学園が寄り集まった大規模な学園都市、それを統括する連邦生徒会の本部、そこで飛鳥は唐突に自身が『先生』になったと告げられたのだ。
そこからトラブルが発生し、事態をうまく把握出来ないまま解決したものの周囲の人々に『自分は先生ではない』と説明してもまったく信じてはもらえなかった。
『飛鳥=R=クロイツ先生、動揺するお気持ちはわかります。連邦生徒会長が貴方を推薦した際には、我々も同様の感情を抱きましたから。ですが今、貴方は正式に先生として着任しているのです』
挙げ句の果てにこうも窘められてしまえば、飛鳥がどれだけ訴えたところで意味はない。手渡された職員証にしっかりと飛鳥の写真まで貼り付けられていたと知った時には言葉も出なかった。
兎にも角にも状況を把握し、その上で諸々を判断するべきだとその時は己に言い聞かせたが、今なおも飛鳥は得体の知れない世界に囚われている実感に、心がざわつかずにはいられなかった。
何より、
「───僕は、先生と呼ばれる様な人間じゃない」
ため息と共に呟きが漏れる。狭い室内には水音だけが途切れる事なく続き、飛鳥の声はすぐにかき消された。
「フレデリック、君ならどうする?」
鏡に映る自分と向かい合いながら、飛鳥は旧友の名を呼ぶ。答えが返ってくるはずがないと知っていても嘆きを形にしたかった。
最優先事項を頭の中で整理する。今、最もやらなくてはならない仕事は何か。
「僕は、『先生』だ。それを放棄してしまえばどうなるかなんて、考えるまでもない」
与えられた任を全うすれば、少なくとも地位は確立できる。信用できる存在になってから元の世界へと戻る手段を模索していこう。
飛鳥=R=クロイツはキヴォトスの異物だ。異物なりに馴染んでいく必要がある。
蛇口を捻り、水を止める。息を整えると飛鳥はネクタイを締め直し、トイレを後にした。
『あっ、先生!ちょうど良いところに戻ってきましたね!今ちょうど初依頼が届いたところですよ』
「どんな依頼だい、激しい労働は出来れば遠慮したいのだけれど」
『ええと……依頼は『アビドス高等学校』からです。学校の復興を手伝ってほしいと」
知らない地名だ。飛鳥は端末を手に取り椅子に腰掛けると、聞き覚えがあるかどうかを思い出そうとするもののやはり候補は出てこない。キヴォトスの何処に何があるのか、自分なりに調べてみたがどうやらまだまだらしい。
具体的な内容を確認するべく端末を操作すると、先生──飛鳥に当てられた手紙の様なものが添付されていた。
「……アビドスは廃校の危機にあって、暴力組織が学校を占拠しようとしている。僕の助けが必要、か」
『アビドスはかつてキヴォトスでも有名な学園だったんです。在籍する生徒は数千人も及んでいたほどでしたが……災害に襲われてからというものほとんどが転校してしまったと聞きます』
「僕の様な、怪しい人物に助けを求めるレベルでアビドスは困窮しているんだね」
『先生、どうしますか?』
「勿論受けるよ。先生という仕事は生徒の為にある、そうだったね?」
『はい!では出張の準備をしましょう。アビドスはちょっとした迷宮の様になっていると言いますから、しっかり備えを!』
事前にもらっていたキヴォトスの地図を広げ、飛鳥はアビドス高等学校の位置を確認する。砂漠地帯に隣接する様に設立されたのが件の学校なのだが、問題はその交通手段である。
電車、では着いてからに焦点が当たる。駅から学校まで歩いて行くにもその距離によっては途中で体力が尽きるだろう。
「自転車に乗りたいところだけれど、少なくともシャーレ内で自転車の貸し出しはされていない。新しく買うにしても僕に手持ちはない。つまりは……徒歩しかないのか」
重いため息が出た。肉体労働は苦手なのだ、やりたくないというよりも先にそこまで体が強くないという根本的な問題が飛鳥には立ち塞がっている。
けれど助けを求めている生徒がいる事実から目は背けられない。意を決して飛鳥は集められるだけの情報を執務室で集めた後、アビドスへの出発を決意した。
─ ─Chapter1 『welcome to chaos』
※
飛鳥は早々にキヴォトスが自分の知る世界ではない事に気付いていた。その理由は科学技術の発展から見れば一目瞭然なのだ。
携帯端末、街頭ビジョン、いわゆる電子機器と呼ばれるものがキヴォトスでは当たり前として存在している。飛鳥の知る世界の技術は百年以上前にそれらを捨てて、一部の国だけが科学技術を利用しているのだ。
それを踏まえればキヴォトスという巨大な都市の存在と、そこで電子機器が使われている事を飛鳥が知らないなどありえない。
そこから導き出された結論は『キヴォトスとは並行世界である』というもので、少なくともそれはある程度の信憑性を持っている。
アクセル=ロウ、そしてイノ。
二人は時間移動を行う能力を持ち、そして事実様々な時代で存在を確認されていた。
何もかもが終わった今、アクセルの傍らには一人の女性がいる事を飛鳥は観測している。つまりイノは……並行世界へとアクセスを果たしたのだ。
(並行世界が存在している事はわかっている。ならこのキヴォトスも、僕がいた世界とはまた違う発展を遂げた世界と解釈する事は可能だ。『再起の日』が存在しない世界線……けれどそれだけでは説明できない事もある)
キヴォトスには基本的に人間の男
が存在しない。アビドスへ向かいながらも飛鳥はこの事実を確かなものとして認識しつつあった。
すれ違う人物はその頭に光輪、ヘイローを頂く『生徒』か服を着て人語を解する犬猫、もしくはロボットの『それ以外』に分かれている。そして飛鳥はその二つともまた違う『大人』というカテゴリーに分類される様で、街をゆく人々はヘイローを持たずそれでいて機械でもない人型の飛鳥に、時折奇異の目を投げかけてきた。
得体の知れない世界に自分一人。そこまで孤独を厳しいものとは感じない飛鳥でも、不可解な状況に投げ込まれれば疑問が湯水の如く溢れ出てくる。
(本来ならばもっとキヴォトスについて調べていきたい。僕がもう一人いればよかったんだけど……『彼』は僕からの通信が途絶えているはずだ。今頃何をしているのやら)
そこまで考えたところで、ぴたりと飛鳥は足を止める。
アビドス駅は砂によって線路が埋まり、とてもではないが電車は辿り着けなかった。一つ前の駅で降りてアビドスへと入り学校へ向かうつもりだったのが、今のところ校舎らしきものは一切見当たらない。
それどころか、住宅地らしい地帯はあっても商店街や飲食店というものもまったく見当たらない。
(砂漠地帯に隣接しているアビドスは数年ほど前から凄まじい砂嵐に襲われ、ライフラインにまで損害が及んだ。
かつては砂祭りと呼ばれる祭典も開かれ、キヴォトスでも名の知れた街……だった、というのが調べた上での結論。自然災害によってダメージを受けたアビドスから住民は撤退していき、商業施設も数を減らしていった)
「……ゴーストタウン、か」
重い足を動かし、人のいなくなった街を歩く。ところどころに砂が積もっているのを見るにこの辺りまで砂嵐が吹くのだろう。
アビドス高等学校が廃校の危機なのも頷ける。このままではやがて砂嵐によってこの街は覆い尽くされてしまう。
いつまで経っても校舎の姿は見えない。ただ目印があるとすれば市街地でも砂嵐の被害を受けていない区画だ、砂嵐によって生活圏が狭まっているのだとすれば、校舎も自然とそちらへと移っていくはずだ。
(と言っても時間はかかる。校舎に辿り着けるか、僕の体力が尽きるか……)
道を聞きたくとも、困った事に誰ともすれ違わない。目印もなければ看板もない。やがて飛鳥にも限界が迎え始め、猫背になってフラフラと歩く様になってしまう。
ようやく市街地から居住区らしき区画へと移ったものの、それでも果ては見えない。高台のガードレールから周囲を見渡してみても、それらしいものは見当たらない。
「参ったな、街の中で遭難だなんて。地形が変わっているところまであるし、土地勘のない状態で行くものではなかったかもしれない」
ガードレールに腰掛け、シャーレオフィス一階の売店『エンジェル24』で買っておいた栄養ドリンクのキャップを開ける。一口飲めば元気が噴き出す、というそうだがあまり実感は湧かない。何よりまずい。
ラベルを見てみれば、そこには『新感覚!なまこソーダ味!!』という狂気に溢れた字面がある。泣きっ面に蜂とはこの事である。
「……法力を使えない僕は、ただの飛鳥か」
いつもならば手を広げるだけで世界の全てを掌握できるほどの法力を扱う事が出来た。それ故に飛鳥は『魔王』と呼ばれ、恐れられたのだ。
けれど今この世界では法力は扱えない。恐らくこの世界ではバックヤードが発見されていないのだ。もしくはバックヤードという概念そのものが存在していないのか。
今はただ手を広げても、虚空を掴むだけ。飛鳥はガードレールに腰掛けたままでため息をつく。
「そこでボーッとしているけど、どうかしたの?」
「少しだけ自分が進むべき方向に迷っているんだよ。いつの間にか見知らぬ場所にいて、今まで出来ていた事が失われて……突然色々な事を任されて……メンタル面ではそれなりに強い方だとは思っていたんだけどね」
「ん……夢破れて、このガードレールから落ちるつもりなの?」
「え?」
そこまで話したところで飛鳥は咄嗟に顔を上げる。いつからそこにいたのか、一台の自転車が彼の目の前に停められていて、一人の少女がまたがっていた。
青い空の下でよく映える銀色の髪が揺れる。少女は不安げな顔で飛鳥を覗き込んでいる。
「このあたりに人がいるなんて珍しい。だから……声をかけてみれば思い悩んでいる様子だった」
「……そう、見えるかな」
「見える。良かったら話くらいなら聞けるけど」
少女は自転車をガードレールに寄りかからせて、飛鳥の隣へと腰掛けてくる。彼女は飛鳥の手に握られたエナジードリンクの銘柄を見て、「わ……」と声を漏らしていた。
「その味、飲む人いるんだ」
「適当に選んだのがこれだったんだよ。だから、好んで買ったわけじゃない」
「ん……どうしてそんなに暗い顔しているのか、教えて」
「物事が思う様にうまくいかないと、こういう顔になってしまう。たとえば今僕はある学校へ行きたいのに、何処にあるのかもわからないしヘトヘトになる始末だ。なんていうか……僕という男は、あまり大した人間じゃないんだろう」
「学校……?それってアビドスの事?」
「うん、そうだけど……」
そこで飛鳥は少女が学校の制服を着ている事に気付き、じっと観察してようやく、
「もしかして君は、アビドスの生徒?」
「ん……二年生。良かったら案内するね」
「是非ともそうしてくれたら嬉しいんだけど……ちょっとだけ待ってほしい。もう少し休憩したいんだ」
少女は飛鳥の額に滲む汗を見て、口をごにょごにょとしながらガードレールに座り直す。
しばらくの間、静寂だけが続く。少ないものの樹木が風に揺られてざぁざぁと声を上げる中で、飛鳥と少女は無言で時を過ごしていた。
「そろそろ、行こう」
「待ってくれて、ありがとう。学校まではどれくらいになるのかな、ええと……」
「シロコ、砂狼シロコ。貴方は?」
「僕は飛鳥=R=クロイツ」
「ん……?もしかしてシャーレの先生?」
どうやら名前は知れ渡っている様だ。飛鳥が頷き返すと砂狼シロコは何か考え込んだ後に自転車へと跨り、振り返った。
「学校まであと五キロくらいある。頑張ろう、先生」
「……五キロ?」
飛鳥が聞き返すよりも先に、シロコは自転車を漕ぎ出す。段々と遠くなっていくその背中を見つめながら、飛鳥はようやく彼女は自分が走ってくる事を期待しているのだと気付いた。
「ま、待ってほしい砂狼さん!待って……!!」
飛鳥の悲鳴に応えるものはいない。それだけアビドスは閑散とした街だった。
ぜぇぜぇと息を切らして走りながら、飛鳥は苦しさのあまり胸に手を当てる。と、そこで脈打つものに彼は足を止める。
(……法力を引き出す手段、まだ僕の中に残っているぞ)
飛鳥という肉体と融合した一冊の本。不可能を可能にする、全知全能の書。
もしも、あの本を開けば……。