先生は世界平和を実験している   作:飛鳥=R♯

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抵抗と説教と償い

 ゴールデンフリース号、カジノエリアは狐坂ワカモを筆頭とする襲撃者達によって陥落した。奇襲によって相手が身構えるよりも早く攻め込み、一気に制圧する事に成功したのだ。抵抗こそあれど、混乱したホール内では統率の取れたヘルメット団の方が素早く動く事ができ、バニーガール達は本来は庭同然の空間での敗北を喫した。

 武装解除された船員と乗客は全員がホール中央にかき集められる。ヘルメットの生徒達は円陣を作り、敵が逃げられない様に銃口を突きつけながらぐるりと囲んでいた。

 その模様をオーナールームに備え付けられた監視カメラで確認しながら、ワカモは手を縛られた状態のオーナー……ハッピーケイオスへと振り返る。

 

「では金庫の暗号についてお聞きしましょうか、オーナー?」

「あぁ、どうやって開けるんだったかなぁ。思い出せないなぁ」

 

 マリナの妨害を受け、飛鳥を取り逃したワカモは勢いに任せて彼の後を追わず、オーナールームへと向かった。豪華客船がこれまで乗客達から搾り取ってきた金や金品が詰め込まれた金庫へとターゲットを変えたのだ。

 ヘルメット団の生徒は言うならば傭兵である。金を積まれればその分働き、逆に金払いが悪ければ掌を返して退散する、わかりやすい存在だ。それ故にワカモも今回のシージャックを画策した段階で彼女達にしっかりと前金を払い、更に膨大な報酬を提示した。それこそが金庫内の品々というわけである。

 しかし、オーナーである男は頑なに金庫の開け方を明かそうとはしない。仮にも災厄の狐と呼ばれ恐れられているワカモを前にしながらも飄々とした態度を崩さない姿に、待機しているワカモの部下達は戦々恐々である。

 

「……もう一度お聞きしましょう。ハッピーケイオス、金庫にかけられた電子ロックを解くパスワードを教えていただけますか?」

「それがわからないんだ。何せ目隠しをしながら適当にパパパッと押したからね、ホントに覚えてない。ごめんね?」

 

 返答としてあまりにも軽薄極まるこの発言に、その場にいる誰もがケイオスの死を確信していた。あのワカモに対してまともに取り合わず、それどころか明らかな挑発を仕掛けるなど命知らずという意外に適切な言葉は見つからない。

 事実、ニヤリと笑っていたケイオスめがけてワカモは横薙ぎに蹴りを放っていた。三日月の美しい軌道を描いた一撃が炸裂し、ケイオスは残像を残して壁へと叩きつけられ、ぐにゃりと首から床に落ちた。あまりの速さに部下達は一拍遅れて短く悲鳴をあげた。

 

「パスワードは?」

「ちょっと、僕の話を最後まで聞いてよ。君が思い切り蹴り飛ばさなきゃ言えたんだから」

 

 キヴォトスに生きる人間であっても戦慄する程の一撃を浴びせられながら、ケイオスの軽々しい声色は崩れていない。常人ならば意識を失うか、頸椎への衝撃により言葉を発する事もできないはずである。

 ワカモは仮面の奥で目を細め、ケイオスへと近付く。首を抑えながらくつくつと笑う彼の背中を思い切り踏みつけると、カエルの様な鈍い声をあげながら、

 

「僕は知らないよ、僕はね? でも解ける子は知ってる。名前は黒崎コユキ。彼女なら暗号の答えを知ってるはず」

「本当ですか?」

「嘘を言うメリットがない。君に嘘をついたらもっと酷い目に遭うだろうし」

「黒崎コユキの特徴は?」

「体が細くて、ピンクの髪。高い声」

 

 ワカモはその外見に見覚えがある。遂に飛鳥と再会したところで邪魔をしてきた小娘が、そんな特徴を持っていた。もしも彼女がコユキなのだとしたら、みすみす金庫を開ける手がかりを逃してしまった事になる。

 表情には出さないものの、ワカモは誰が見ても不機嫌になっていた。計画が思う様に進まないだけでなく、挽回のチャンスも気付かずに手の中からすり抜けていた。苛立たずにはいられない。

 

「……あの脳筋をここに連れて来なさい」

「の、脳筋?」

「早く」

「は、はい!」

 

 ギリギリと砕けんばかりに拳を握りしめながらワカモが命じると、部下達は足音を響かせながら慌ただしくオーナールームを飛び出していく。

 飛鳥とコユキ、両方を捕まえる事はできなかったが、裏を返せばこれから動き出せば二人共取り押さえられる。まだ船外へは出ていないと考えて、仲間らしき生徒達と行動しているはずだ。それならば、まだ居場所を突き止める手段は残っている。

 

「一体どうするつもりなのかな、厄災の狐さん。この船は広い、とてもじゃないけど虱潰しに探すなんてできないと思うよ」

「操舵室は抑えてあります。救命ボートの類も同じく。誰であろうともこの船からの脱出は不可能です。必ず見つけてみせますとも」

「リ、リーダー! 連れてきました!」

「なんだなんだ!? 処刑か! 見せしめの処刑をするつもりか!? む、ハッピーケイオスまでいる!?」

 

 戻ってきた部下達が連れてきたのは、両手を縛られ身動きの取れない状態のマリナだった。飛鳥とコユキの逃走を手助けし、邪魔をしてきた罪は重い。本人が言う様に処刑してやってもいいところだが、ワカモは怨嗟の言葉を飲み込む。

 

「飛鳥先生は何処です? 仲間だというのなら、行き先くらいは教えられているでしょう」

「ふっ、なんだそんな事か。私が知るわけないだろう、聞かされていないしそもそも聞いていないからな!」

「銃殺の準備を」

「待て! 本当に知らんのだ本当に!! 本当に聞いていなかったんだ!!!」

「自分がいかに馬鹿なのかを大声で言うのもなかなかですが……」

 

 身をよじって叫ぶ様子を見るに本当に飛鳥達の居場所は知らないらしい。身を挺して仲間の為に時間を稼ぎ、無事に合流する事など考えていなかった……と捉えれば高い忠誠心だと感じるが、実際のところは何も考えずに突撃していただけなのだろう。

 何か情報が得られればと考えてマリナを呼び出したものの、むしろ時間の無駄でしかない。ワカモは唇を噛みながら、無線機を取り出した。

 

「飛鳥=R=クロイツ先生とピンク髪の生徒を見つけ次第確保してください。取り逃そうものなら私自ら海へと突き落としますので」

『あ、あのリーダー! それが、船員の連中がどうも勢いを増してきているんです』

「? 何故このタイミングで」

 

 操舵室、そして最も人員が割かれていたカジノを制圧している状況で残存している船員達が動き出す理由がわからない。ヤケになったとは考え難い。それならば形勢逆転する何かしらを手に入れたと考えるべきだ。

 

『異様に強い連中が突っ込んできて、それに釣られて他の奴らも調子づいてきてるんです。パニクっていたのまで治ってきていて……』

「……なるほど。そのまま持ち堪えなさい」

 

 そこからワカモは無線を一度切り、監視カメラや船内のシステムを統括しているセキュリティルームに待機している部下へと繋げた。

 

「私です。船内の様子を教えていただけますか?」

 

 返答はない。誰も答えない、否、答えられないのだろう。つまりはセキュリティルームは今ワカモの制御から離れている。何があったのかは推察するまでもない、船員達か、他の有象無象達に奪われたのだ。勢いが増している理由はあそこから司令塔となって指示を飛ばしているのだろう。

 ワカモの動きは早かった。制服を翻し、ライフルを手にオーナールームから出るべく歩き出す。

 ケイオスは目的を理解したのか、「ああ」と声を上げた。

 

「判断が早いね。軍団を引き連れてきただけの事はある……で、僕はもしかしてここに閉じ込められたままだったりする? 情報提供したから自由くらいは保証してもらえると嬉しい」

「当然ここに幽閉です。私は部下には人質が不穏な動きを見せれば問答無用で撃つ様に、と教育しておりますのでそのつもりで」

「ワァ……」

「おい待て! 貴様何処へ行くつもりなんだ!?」

 

 今度はマリナが問いかけてくる。振り返りもせずにワカモはうんざりした口調で、

 

「何者かがセキュリティルームを占拠し、愚かにも反抗の意思を見せています。私と飛鳥先生のハネムーンに必要なこの船を、不必要な争いで傷つけられるわけにはいきませんので始末しにいきます」

「貴様、本気で結婚するつもりなのか!? 先生の承諾もなしに!?」

 

 まだその話をするのかと、ワカモは露骨にため息をつく。愛しい飛鳥との結婚は初めて会った時から運命づけられたものであり、他人以上の何者でもないマリナにとやかく言う筋合いはない。人の恋路を邪魔し続ける厄介な人物だ。

 

「何度言えばわかるのです。私と飛鳥先生は結ばれる仲にあるのです。そこに疑う余地はありません」

「このイカれ女め……加えて言わせてもらうと、そこにいるハッピーケイオスは貴様の愛しの飛鳥先生が探している危険人物だ!」

「あっ、バレた。参ったなぁ」

 

 マリナに釣られ、ケイオスへと振り返った。カジノのオーナーにしては様子がおかしいとは思っていたが、どうやら訳ありらしい。何者であるかはさておき、ワカモはその情報から彼を野放しにしてはおけないと判断した。すぐに部下達に命じ、何処かに閉じ込めておくべきだろう。

 

 

「僕も同じ意見かなぁ。ちょっと不安になるかも」

 

 と、ワカモが一瞬だけ思案したその隙を突くかの様に蹴り飛ばされた首を抑えながら、いつ銃口を突き付けられてもおかしくない立場にも関わらずケイオスは訳知り顔でそう言いだした。ここにも恋の邪魔者がいたかと歯ぎしりをしそうな程の苛つきを彼女は隠さない。

 マリナもケイオスも、一体自分の何を知っていると言うのか。誰も彼もワカモの飛鳥へと抱く想いを理解しようとしない。

 

「……貴方にはわからないでしょう。私のあの方への恋心がどれだけ深いのか」

「誰にもわからないと思うよ、なんなら飛鳥先生だってわからない。だって君は、誰かを好きになる事はあっても添い遂げるなんて到底無理な話なんだから」

 

 銃声が弾けた。怒りの込められた弾丸はケイオスの頬を掠め、豪華な装飾があしらわれた壁に弾痕を開けた。

 黙れ。そんな感情が滲み出る威嚇の銃撃に対して青肌の怪人は肩をすくめた。

 

「まぁそういう答えを出すなら僕からは何とも。でもね、一つだけ言わせてもらうけど……人を好きになるっていうのは、好きになる側からすれば楽しいかもしれない。でも……される方からすればそうでもない時があるって事は忘れないでね」

「……この男の拘束を増やしておく様に」

 

 これ以上の対話に価値はないと断じて、ワカモは今度こそオーナールームのドアへと向かう。背後からマリナが「貴様ー! 後悔するなよー!」「飛鳥先生は貴様なんぞの夫になどならないからなー!」と叫んでいるが無視し、カジノへと出る。ホール中央には人質となった船員達が多数おり、抵抗の様子は見られない。

 ほぼ詰みだ。完全制圧まであと数時間もかからないだろう。セキュリティルームにいるであろう賊を捕らえ、それから残存戦力を叩き潰せば、後は飛鳥とのめくるめく船旅だ。

 バクバクと心臓が早鐘を打つ。幸せな未来を想像するだけで、胸が沸きあがる。

 まだその時ではないと自分に言い聞かせて、ワカモは無線機で部下へと呼びかける。

 

「私はこれからセキュリティルームへ向かいます。全員その場を維持する様に」

『は、はいぃ!』

 

 部下達は全員がワカモの恐ろしさを知っている。怯えた調子ながらも元気な返事が一斉に返ってくる。

 

『……こちらは今、セキュリティルーム近くにいる。リーダーが合流するまで待機しよう』

 

 と、思わぬ連絡がやってきた。一部の部下達が運良く目的地近くにいたらしい。この報せにワカモは笑みを浮かべる。

 

「私が向かうまで、セキュリティルームからネズミ一匹逃がさない様に」

『了解した』

 

 思わぬ展開となったが問題にはならない。ワカモは笑みを浮かべながらセキュリティルームめがけて駆け出す。

 もうすぐ飛鳥との新婚旅行が始まる。心ゆくまで愛を語らい、永久の幸福をこの手に掴める。やりたい事が、話したい事が沢山ある。

 愛する人に手料理を振舞いたい、着飾ってデートにも行きたい。そしていずれは……。

 

「あなた様……!」

 

 期待と興奮が入り混じったワカモの足は彼女の限界を上回り、一陣の風となり恐ろしい速度でセキュリティルームへと向かっていた。

 

(見えた……!)

 

 そして遂にセキュリティルーム近くの廊下へと辿り着く。待機していたヘルメット姿の四人組はワカモの姿を認めると、手を振って室内を指差している。中に誰かがいるのだ。

 急ブレーキをかけて停止し、息を整える事もせずにワカモはライフルを構える。四人組もそれに続いた。

 

「よくやりました。制圧は私がします、貴方達は外を見張りなさい」

「わかった」

「お、お願いしますリーダー。や、やっちゃってください」

 

 部下の声を受けながら、ワカモは流れる様にセキュリティルームのドアを蹴り破る。凄まじい音を立てながら金属製のドアは倒れ、無数のモニターが並ぶ室内が露わになる。

 ライフルの銃口を向けながら進んでいくと、最奥に椅子の背中が見えた。何者かが座っているのは明らかで、この部屋を奪った犯人だろう。

 

「そこの貴方。今の私は大変機嫌が良いので、すぐには撃ちません。手を挙げてゆっくりと振り返りなさい。そうすれば……一度二度殴る程度で許してあげます」

 

 普段のワカモと比較すると、本当に寛大な声掛けである。大体はまず部屋に踏み込んだ時点で発砲するか、問答無用で背後から殴りかかっている。本人が言う様に、今は非常に機嫌が良いのだ。何せこの後は飛鳥との蜜月の時が待っているのだから。

 椅子に座っている何者かはワカモの声に両手を挙げた。そしてゆっくりと振り返り―――

 

「やあ、流石狐坂さんだ。速かったね」

「え……!?」

 

 そこにいたのは、ワカモが愛してやまず、何処かへと逃げてしまった飛鳥=R=クロイツだった。降参の姿勢を取り、彼はどういうわけか椅子に腰かけている。

 探していた人物と思いもよらぬ形で遭遇し、ワカモは思わず銃口を下ろしてしまう。

 

「せ、んせい? ど、どうして……あなた様が」

「うん。こうすれば君は真っ先にここへ来てくれると思ったからね……僕と、話をしようか」

 

 動揺から目を丸くし、声を上ずらせるワカモに、飛鳥は諭すかの様に微笑みかけるのだった。

 

 

―――時は遡り、飛鳥達がセキュリティルームにて合流した時の事。

 現状を打開するべく飛鳥が考え付いた作戦とは、

 

「狐坂さんと、話そうと思う」

「……話す? それはどういう」

 

 簡潔な飛鳥からの説明に対してアカネは首を傾げた。てっきり戦闘する類の作戦についてを告げられると思っていただけに、その反応は緊張が緩みきっている。それは他の生徒達も同様で、ネルに至っては拍子抜けだといわんばかりに眉を吊り上げている。

 飛鳥は怪訝な目を向けられながらも頷き返して、

 

「皆が困惑する理由はよくわかる。一体何の話をしているのか、と。でも僕は話し合いこそが事態を解決する方法だと思うんだ」

「話し合いって、何についてだよ。まさかとは思うがあの厄災の狐に『お願いだからもうやめて』とでも頼み込むつもりかよ?」

「ズバリその通りだよ。もうやめて欲しい、そう彼女にお願いする」

「はぁ!? 何言ってんだてめぇは? 奴が聞き入れると思うのかよ」

 

 言っている意味がわからない、そんなネルの苛立った声色に飛鳥はまた頷き、

 

「ダクト内で僕は、狐坂さんは僕と結婚したがっているという話をしたね」

「聞いた聞いた。そういえば、まだその話ちゃんとご主人様から聞いてなーい!」

 

 アスナが頬を膨らませ、コユキを含めた仲間達も首肯で続く。少し離れた位置にいるサオリ達四人だけは何の話をしているのかと目を細めている。

 非常に気が重いものの、説明をしなければ作戦は実行できない。覚悟を決めた飛鳥はほんの少しだけ声を大きくして、

 

「狐坂さんは僕に一目惚れしているんだ。このシージャックにしても、僕との新婚旅行の為に実行したらしい」

「一目惚れ……? じゃあアレか、奴がモヤシを追いかけているのは」

「ご主人様を、旦那様にするって事!? えー!!」

「な、なんというべきか、流石ご主人様と言うべきなのでしょうか?」

「……いや、どっちかというと流石ワカモというべきかも。まったく予想できない動機だった」

「え、え、え! じゃあ先生はどうするんですか、結婚しちゃうんですか!?」

 

 コユキは大興奮である。手を千切れそうなくらい左右に振っての質問を手で制し、飛鳥はかぶりを振った。

 

「そのつもりはないよ。でも、彼女の僕に対する感情は敵意ではない。それならなんとかして矛を収める様に説得できるかもしれないんだ」

「……では私達は何をすれば良い」

 

 続いて質問を投げかけてきたのはサオリだ。一目惚れや結婚といった話には口を挟まなかったが、作戦内容についての問いかけである。

 

「狐坂さんをこの部屋におびき寄せたい。皆には大暴れしてほしいんだ」

「大暴れ……陽動か」

「そう。僕はここから指示をする。わざと『敵はセキュリティルームにいる』と思わせるわけだ」

「ですが、それでワカモが来なかった場合はどうするのですか。たとえば部下を送り込んだ場合は?」

「サオリさん達にここに留まって僕を守ってもらいたい。もしも狐坂さんが来なかった場合は彼女達四人が敵を蹴散らすんだ。ただ、僕としては狐坂さんはやってくると思う」

「あ? なんでだよ?」

「彼女にとっては、惚れている相手との大切な新婚旅行だ。邪魔者は自分の手で始末したい、そう思うんじゃないかな」

 

 飛鳥の作戦はこうである。わざとセキュリティルームに敵がいるとワカモに気付かせ、誘導する。やってきた彼女を待ち受けているのは飛鳥で、なんとか説得して戦いを止めてもらおうというわけだ。

 

「作戦はわかった。けどよモヤシ、あの女はてめぇの言う事を聞いてくれるのか? 一目惚れして勝手に新婚旅行だの言い張ってシージャックする様な奴だぜ。下手な話をして逆ギレでもしようものなら、何をしだすかわからねぇじゃねぇか」

 

 誰よりも最初に、ネルは一番の問題点に触れた。これには飛鳥も困った顔を浮かべてしまう。まったくもってその通りである。

 ワカモが現時点で話を聞き入れてくれる人間ではないとわかっている。たとえ惚れ込んでいる飛鳥であっても、何かミスがあればそれまでの気持ちが反転して怒り狂う可能性もあるのだ。

 だとしても、飛鳥はこの作戦を実行に移したかった。

 

「美甘さんの言う通り、そうなってしまうかもしれない。でも僕は狐坂さんと話さなければならない」

「……そりゃアレか? 先生だからか」

 

 飛鳥はコユキを見つめる。大好きな先生が身を挺した作戦に挑む事に不安げな表情を浮かべている。

 コユキとワカモは似ている。飛鳥はこの事件を通して、そう感じていた。

 コユキは飛鳥に恩返しをしたかった。ワカモは飛鳥を愛おしく想っていた。

 動機は異なるものの、両者共に致命的な誤りがある。それを、先生として飛鳥は見過ごすわけにはいかない。取り返しがつかなくなってしまう前に、なんとかしてやりたい。

 

「そう、だね。僕は先生として、大人として―――彼女を叱りたいんだ」

 

 ハッキリと飛鳥がそう言い切った時、ネルはキラリと目を輝かせていた。面白い、やってやろうじゃねぇか、と。

 

 

「あなた様!!!」

 

 ワカモはライフルを投げ捨てると、飛鳥の胸へと飛び込んでくる。これを飛鳥は敢えて受け入れ、勢いのついた突撃に軽く呻く。

 

「探しておりました。申し訳ございません、遅くなってしまいました」

「いや、いいんだ。僕も君に会いたかったから」

 

 椅子に座ったままの飛鳥にしがみつき、ワカモは愛おしそうに顔を埋める。彼女の中で自分がどれだけ大きい存在なのかがありありと感じられる行動だ。

 じっと飛鳥はワカモを見つめ、唇を軽く噛んだ。これから自分は彼女の感情を利用して、最終的には心を深く傷つける事になってしまう。それは、たまらなく恐ろしい。

 

(けれど、僕以外に伝えられる人間はいないんだ)

 

 部屋の外にはヘルメット姿のサオリ達が見張っている。ワカモと話す時間も確保できており、後は伝えるだけである。

 

「狐坂さん」

「はい! なんでしょう、飛鳥先生!」

 

 声をかけると、ワカモはパァッと顔を輝かせた。幸福に包まれた明るい表情だ。

 

「私、今日この日の為に長い時間をかけました。あなた様に喜んでほしくて、あなた様に幸せでいて欲しくて……」

「僕の為に、ここまでやってくれたのかい」

「そうです。シャーレの先生はお忙しいとお聞きしておりました。なので、羽を伸ばしてほしくて……」

「それで、シージャックを?」

「ここには沢山のお金があります。後程、我々の邂逅を邪魔したコユキという少女を捕まえて金庫を開けさせれば、それは私達の物……輝かしい未来に必要な軍資金、そして新婚旅行、それらが一度に手に入るのです!」

「……そう、だね」

 

 ワカモは楽しげに語る。犯行の理由を。犯行の目的を。それを聞いているだけで飛鳥は心苦しくなり、次第に言葉の歯切れが悪くなっていく。

 

「先生、もう少し、もうしばらくお待ちください。このワカモ、全力で邪魔者を排除します。その後は……」

「もう、やめよう」

「え?」

 

 それでも、どれだけ苦しくとも、飛鳥はそう言わざるを得なかった。ワカモの言葉を遮り、ハッキリと制止をかける。これに少女は目を丸くした。

 

「狐坂さん、お願いだからこんな事やめて欲しい」

「やめる……? 何故?」

「僕はこんな事を望んでいない。今すぐに仲間達を引き上げて欲しいんだ」

「え……?」

 

 ワカモの表情に亀裂が入る。突然の拒絶に対して絶句し、じっと飛鳥を見つめてくる。小動物が救いを求めるそれに近いまなざしだった。

 狐坂ワカモという少女にブレーキはないのだ。飛鳥を想い、飛鳥の為にと彼女は奪い、傷つける選択肢を取った。その選択が間違っているという考えそのものがないのだ。

 

「あ、あなた様? どういう事でしょう、やめる? どうして……私はただ喜んでもらいたくて」

「これを見て欲しい」

 

 飛鳥はモニターへと振り返り、そこに映っている無数の争いをワカモへと見せつける。

 銃撃戦に次ぐ銃撃戦、繰り返される争い。そこにはどうしようもなく悲惨な光景が広がっている。

 

「……これは君が起こした事だ。傷つかなくても良い人たちまで傷ついている。僕は君にこんな事を望んだかい?」

「……っ」

「いや、そもそも、君は僕がこれで喜ぶと思ったのかい? 他人を不幸にして得た幸せを、僕が望むと?」

 

 ワカモを責め立てる。叱りつける。それらすべてが自分自身に返ってくる諸刃の刃だと気付きながらも、飛鳥は手を緩めない。

 

「狐坂さんは僕に言ったね。喜んでほしい、幸せになってほしいと。君は一つ大きな勘違いをしている。君は……僕の事をまるで知らない。自分の思い込みを相手に押し付けてしまっている」

「っ……!」

「勝手に思い込んだプレゼントなんて……喜んでもらえるはずがないじゃないか」

 

 つくづく、コユキといいワカモといい、今回の騒動は飛鳥の胸をえぐり飛ばしていく。自分の過ちを、勘違いを見せつけてくる。違いがあるとすれば、まだ彼女達は引き返せるという事だ。後戻りができなくなってしまう前に、正しい道を見つけられるはずだ。

 ワカモは唇をワナワナと震わせる。それが怒りなのか、悲しみなのか、まだ判断はつかない。しかしその背後ではサオリ達がいつでも銃撃できる様に構えているのが見えた。飛鳥はまだだと手で制しつつ、ワカモの様子を窺う。

 

「狐坂さん……」

「う、う、う」

 

 飛鳥の言葉によほどのショックを受けたのか、ワカモはうつむき、肩をプルプルと震わせる。ネルが予想していた逆上か、それともしっかりと聞き入れ心を入れ替えてくれるのか。恐る恐る飛鳥は声をかけようとした、その時です。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」

 

 ワカモは、爆発した。滝の様に涙を流し、淑やかな雰囲気など投げ捨てて大声で泣き始めたのだ。

 これには飛鳥も予想外で、目を剥いて驚いてしまう。サオリ達も同様で、ライフルを構えたまま何事かと指示を仰いでくる。もちろんどうすればよいのかなどわからず、彼は慌てた。

 

「こ、狐坂さん?」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃぃぃぃ!! わ、わた、私、あなた様に喜んでもらいたくて、それで……えぐっ、でも、でもぉっ……!」

「お、落ち着いて聞いてほしい。確かに間違っていたけど……!」

「本当にごめんなさい、ごめんなさい……! 償いは、私の命にて!!」

「え?」

「メインデッキに、ひぐっ、救命ボートがございますっ。それを使ってお逃げくだざい……それでは!」

 

 何かものすごく聞き流すには物騒な言葉が聞こえ、問いただそうかと飛鳥が口を開くよりも先に、ワカモは身を翻して走り出していた。何の迷いもない動きで彼女は駆け出すと、部屋から出る唯一の道へと突撃を仕掛ける。逃げられない様にと待ち構えていたサオリ達が止めようとするが、次の瞬間一瞬にして蹴散らされ、ワカモは廊下へと飛び出してしまう。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんさいごめんなさいぃぃぃぃぃ!!!!」

 

 何かがまずい。飛鳥はワカモの後を追いかけて廊下へと出る。蹴散らされたサオリ達は既に体勢を立て直している。

 ワカモの姿はもう何処にもない。凄まじいスピードで消え去ってしまったのだ。

 

「奴は一体何処へ行った……!?」

「も、ものすごい速さで、止められませんでしたぁ!」

「いや、僕にもわか―――」

 

 わからない、そう言おうとした飛鳥はワカモが漏らした不穏な言葉を振り返る。

 命で償う、そう彼女は言って救命ボートの位置について教えてくれた。つまりそれは、この船が沈む様な何かをしでかそうとしているという事だ。考えうる方法は……

 

「皆、僕は後で追いつく。操舵室に向かってほしい。狐坂さんはきっと、この船を沈めるつもりだ」

「……今、なんと言った?」

「彼女は自分ごとこの船を沈めるつもりなんだ! 急いで追いかけて欲しい、美甘さん達にも伝える様に!」

「わ、わかった……!!」

 

 飛鳥の鬼気迫る表情にサオリはハッとしながらワカモを追いかけるべく仲間達と走り出す。その背中を見送りながら、彼は歯噛みした。

 ワカモは飛鳥に叱られ、そして自分を罰するべく動き出してしまったのだ。そしてその方法は考えうる限りは二つ。船のエンジンを爆発させて吹き飛ぶか、もしくは船を操って何処かへ突っ込むか。

 間違いなく今のワカモは自暴自棄になっている。となれば選ばれるのは、後者である。

 

「―――あーあ、僕の言う通りになっちゃったよ。飛鳥君、このままじゃまずいよ」

「ッ!」

 

 その声は今の状況では最も聞きたくない人物のものである。飛鳥が苦虫を嚙み潰した顔で振り返れば、そこにはケイオスが笑みを浮かべながら佇んでいた。

 

「ね、言ったでしょ飛鳥君。『船がどうにかなる前に』なんとかしなきゃって。アプローチは間違っていなかったけど、まずい事になっちゃったね」

「狐坂さんをけしかけたんですか」

「まさか。僕は何もしてない。君の悪い癖は考えが固まりがちなところ。何も僕が全ての黒幕ってわけじゃない。あくまで狐坂ワカモは失恋して、そしてあまりの悲しみに押しつぶされそうってだけさ」

「くっ……」

「まぁ、僕としてはどう転んでも面白いんだよね。で、もちろん僕が自由になってるって事は君を妨害する気満々って意味。どうする飛鳥君、僕と遊ぶ? それともワカモ君を止める?」

 

 ケイオスは微笑みながら腰のベルトから拳銃を引き抜く。対抗しようにも飛鳥は武器など持ち合わせていない。頼みの綱である法術にしてもケイオスを前にしてはまともに太刀打ちできはしない。では逃げるとして、彼が一対一の状況でそれを許すはずがない。

 絶体絶命、かと思いきや、飛鳥は焦りの色を見せずにケイオスを凝視する。

 

「今、僕には貴方の相手をしている暇はない。だから……僕の友人に頼むとします」

「え」

 

「―――承知しました」

 

 飛鳥の味方は生徒だけではない。音もなく背後から忍び寄った黒衣の男、レイヴンの鋭い刺突がケイオスの体を背後から貫く。赤黒い血に彩られ、レイヴンの得物である二本の針が妖しく光る。

 もちろん、それでケイオスが倒れるなどと思っていない。重要なのは、ケイオスの相手がいるという事だ。

 

「なる、ほど。君が僕と遊んでくれるの?」

「遊び、か。そうだな、遊びだ。どちらが先に痛みのあまり絶叫するか、競うとしよう」

 

 体を串刺しにされながらも、ケイオスは顔色一つ変えない。レイヴンはそれに驚きもせずに針を引き抜くと素早く蹴りを食らわせ、地面へと押さえつける。飛鳥では到底できない流れる様な動きだ。

 

「この男は私が。貴方は先を急いでください。案内人も来ています」

「ありがとう、レイヴン。でも、案内人って……?」

「……五月蠅いウサギです」

 

 レイヴンは、本当に煩わしそうに顔をしかめる。その反応に飛鳥はなんとなく『ウサギ』が誰であるかすぐに気付き、そして背後から走ってくる何者かへと顔を向ける。全力疾走で近付いてくる少女が一人、楽しげな笑みを浮かべて。

 

「わぁい、ご主人様はっけーん!」

「ええ、嘘でしょ? またあの子ぉ?」

 

 アスナ、登場。これにはレイヴンに押さえつけられたままながら余裕そうだったケイオスも顔をしかめ、ため息をつく。彼からすれば予定外のSランクを始めとして、アスナは邪魔ばかりをする問題の塊である。その反応は当然である。

 飛鳥はと言えばこのタイミングで彼女が助けに来るなど思っておらず、つい微笑んでしまっていた。

 

「ほらカラスさん! 私の言う通りだったでしょ。悪い予感、当たるんだよー! ねっ、ねっ!?」

「ああ、わかった、本当にわかった。だから早く彼を連れていけ」

「イェーイ! ご主人様大丈夫? ケガしてない?」

「う、うん、大丈夫」

「やったぁ! ええと、状況よくわからないんだけどとにかくむっちゃ急げばいいんでしょ? お姫様抱っこで行くね!」

 

 本当に、本当にマイペースなアスナは相変わらず目をキラキラとさせながら、了承も得ずに飛鳥をひょいと抱え上げる。レイヴンが割と呆れた声色で対応しているあたり、彼にも同じテンションでハチャメチャに対応したに違いない。そう確信するに至る判断材料は飛鳥本人である。

 

「え、ええと一之瀬さん、操舵室を目指してほしい」

「はーい! じゃあアスナタクシー、発車あっ!」

 

 次の瞬間、首の骨が折れるのではないかというスピードでアスナは走り出していた。待って、もう少し遅くして、と声を出していたつもりが飛鳥の唇からは「ああ」「うう」「おお」といった呻きだけがこぼれる。

 

「行くよご主人様~! ゴーゴー!!」

 

 一度くらいは、僕の様子を確認してもらえると嬉しいな。

 それが、意識が吹き飛びそうになりながら飛鳥が思う唯一の事であった。

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