先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
尾刃カンナ。キヴォトスにおいて警察の役割についているヴァルキューレ警察学校に所属する三年生。狂犬の名で通っている強面の生徒であるが、外見に違わず自他共に厳しい。
飛鳥はそんなカンナが嫌いではない。判断が速く、こちらが何かを聞く前にさらさらと答えを先読みしてくれる彼女は、決して誤った道に進む事はないだろうという確信さえある。
「わざわざお越しいただきありがとうございます。時たま自分は飛鳥先生の身内だから見逃せ、などと宣う連中はいるのですが、今回は少しばかり特異なケースなもので……」
「というと?」
「なんというか、幽霊か何かなのかと錯覚してしまうんですよ」
廊下を歩きながら、疲れた様子でカンナはやれやれとかぶりを振る。激務に晒されている事は細かな仕草からひしひしと感じられ、飛鳥は眉をひそめた。
生徒が警察機構を担うという異常極まる環境に対して飛鳥が何かを言うという事はない。それがキヴォトスのルールであり、ヴァルキューレの仕事をすべて自分が担当できるとも思っていない。受け入れる他にないというわけである。
「幽霊、ですか。何処の学校の生徒か証明するものを持っていない、とか?」
飛鳥に付き添ってヴァルキューレまでやってきたアコは訝しげな様子でカンナへと尋ねる。これに対して返答はノーだった。
「それどころか、本人はこう主張するんです。『学校なんて知らない。行った事もない』と。そしてデータベースに照らし合わせても、ラムレザル=ヴァレンタインという生徒は存在しないと来ている。まさに幽霊でしょう?」
「不良相手に暴れ回った、と聞いたけど、具体的には何が?」
そこでカンナは重苦しくため息をつく。口にするのも憚られる事態が起きたのかと飛鳥は身構えたが、
「騒ぎとしては可愛いものです。何人かの不良がそこらを歩いていたラムレザルにカツアゲしたんです。彼女は銃を持っていなかったので、格好の獲物だと思われたんでしょうね」
「銃を持っていなかったんですか? それはまた……不思議な話ですね」
キヴォトスでは銃の携行は義務と言って良い。法律として定められているだとかそういう問題ではなく、持っていないだけで危険性が劇的に上昇する。銃を持たないのは服を着ていないと同義、というのは以前不良生徒が高らかに叫んでいた言葉である。
チラリと飛鳥はアコを伺う。彼女の衣服が裸よりも酷いものである事であると気付きながら、決して口にできない。服を着ていないとはまた別のベクトル、なんらかの常識改変をかけられているのではないかという疑いを自分にかけたくなる。
「そこから不良達はヒートアップし、ラムレザルに暴行を加えようとし……返り討ちにあった。まあ、キヴォトスではありきたりの事件です。ところが現場に急行した生活安全課の生徒に対し彼女はこう言ったんです。『自分は暴行を働いた。逮捕してほしい』と……なんとも不思議な話だとは思いませんか? なんというか、我々ヴァルキューレの日常と明らかな乖離がある。さながら、別世界からやってきたかの様だ。誰も彼もがこれくらい従順だと嬉しいのですが」
狂犬というあだ名に相応しい洞察力である。その通りだよ、と返したくなる衝動を堪えながら、飛鳥はゆっくりと頷き、
「ありがとう尾刃さん。あとは僕が話すよ」
「ラムレザルとはどういった関係なのでしょう? 貴方は彼女を知っている様ですが」
「知り合い……ではない。僕達が顔を合わせる事はほとんどなかったからね。互いに名前と顔は知っている程度だよ」
「流石はシャーレの先生と言うべきでしょうか。幽霊についても詳しいとは……では、この件については貴方の方が適任で間違いありませんか。さぁ、着きましたよ」
ラムレザルが勾留されている取り調べ室の前に到着する。警備担当らしき生徒が二人、防弾シールドを手に門番の如く佇んでいたが、カンナの顔を見るや否やすぐさま敬礼の姿勢を取った。治安が壊滅的な学園都市において、彼女達の様に自ら警察機構へ身を投じる人間もまた存在する。尊重しなければならない人材だ。
「お疲れ様です。異常ありません!」
「よし。では先生、中へ。私も同行しますのでご安心を」
「ああ、申し訳ないんだけど……僕とラムレザルの二人にしてもらえないかな。込み入った話になると思うから」
「は……?」
「はいぃ? 正気ですか先生」
眉をひそめたのはカンナで、信じられないものを見るかの様に顔を歪めたのはアコである。彼女達の驚きはまったくその通りである。仮にも警察で拘留している犯人に、虚弱な飛鳥が一人で相対するなど危険極まる。何か問題が起きた時、カンナが責任を追求されかねない。
だが飛鳥は、部屋の中にいるラムレザルと話す内容を誰かに聞かれたくはない。彼女はロボカイやレイヴンと同じ様に異世界へと連れてこられた人物である。となれば、そんな相手にはまず現状の説明をする必要がある。そんな会話をカンナの目の前でできるだろうか。
「大丈夫。ラムレザルはむやみに誰かを傷つけたりはしないから」
「本気なんですか先生? もしも何かあったら……」
「その時は僕が自分で責任を取る。皆は外で待っていてほしい」
飛鳥がここまで言えば、カンナもアコもそれ以上は出られない。本来ならば顔を合わせる事など滅多にない二人であるが、完璧なタイミングで同時にため息をついて渋々承諾する。
「わかりました……ですが、何かあったらすぐに助けを呼んでくださいね」
「無理を言って申し訳ない。今度、できる事なら埋め合わせをするから。天雨さん、僕が戻るまでに尾刃さんと仲良くしてほしい」
「なんですか、まるで私が誰にだって噛みつく狂犬みたいじゃないですか? あ、違いますよ、尾刃さんの事ではありません。あのですね、貴方の様な頼りない方にも献身的に接するこの私の事をなんだと―――」
カンナが部下に命じて取調べ室の扉を開ける。不満げなアコを程よくやり過ごし、飛鳥は部屋へと入っていく。
室内は中央に椅子と机のみがある。取調べ室の名前通り、ここには犯人である生徒に対する尋問以外には何もないのだ。
そして彼女は、ラムレザル=ヴァレンタインはぽつりと椅子に腰かけていた。
「飛鳥=R=クロイツ、もしくはギアメーカー。こんなところに会うだなんて思っていなかった」
「ギアメーカー……しばらく聞いていなかった呼び名だ。その言葉をここで聞くとは僕も予想していなかった」
ラムレザルの瞳は無垢な子供の様でありながら、達観した老人にも見える。挙動も人間というよりは機械じみていて、椅子に座りながらその姿勢はぴたりと硬直している。
この世の森羅万象を司るバックヤード、ラムレザルはそこで作り出された人間とは似て非なる生命体である。かつては世界を滅ぼさんとする存在、『慈悲なき啓示』の尖兵であり、今は人類を守護する戦士だ。
「こうして僕達が顔を合わせるのは初めてだね。互いに存在を認識してはいたが、出会う機会に恵まれなかった。こんな形での対面で少し驚いているよ」
「月に向かった貴方とこうして取調べ室で話すだなんて誰にも想像できなかった。だから私も同じ気持ち」
机を挟んで向かい合う形で飛鳥は椅子へと腰かけ、ラムレザルと対面する。微動だにしない少女の瞳には果たしてどんな感情があるのか、読み取れない。
そして飛鳥は部屋に入り、ラムレザルの姿を目にしてから内心では凄まじい衝撃を覚えていた。それは彼女の頭上に浮かぶ、光輪である。
「……何故、君にヘイローが?」
「ヘイロー。それがこの物体の名前? 私にもよくわからない。気付いたらあって……ちょっとびっくりしている」
そこでようやくラムレザルの表情が変化する。不安と、少しの驚き。機械的で冷徹だった彼女は、今は自分の身に起きたほんの少しの異常に対して反応していた。
興味深い、と感心する。ヴァレンタイン、という名を持つ生命体はラムレザルを含めてこれまで三人確認されている。そのどれもが人間の形を持ちながら優れた身体能力と法術を持ち、同時に強敵でもあった。そんなヴァレンタインを作り上げた『慈悲なき啓示』に対して、飛鳥は強い関心を寄せているのだ。模倣し、生命を一つ作り上げてしまう程にまで。
「ラムレザル、まずは今僕達が何処にいるのか、それについて話したいと思う。ここはキヴォトス、簡潔に言うと異世界だ」
「なんとなく、それは理解していた。私の知る世界と文明レベルが大きく異なっていたし、犬が二本足で歩いていたからびっくりした。皆が銃を持っていて、誰も怖がる様子もない。何もかもが違っている」
「この世界にはいつやってきたんだい?」
「シンと一緒に調査任務をしていて、誰かの声が聞こえた。振り返った時にはここにいた。いつ、と言われると今日としか言いようがない」
「なるほど……」
そこから飛鳥はラムレザルに、異世界の詳細についてを説明した。
異世界にはバックヤードがなく、飛鳥は先生という仕事につきながら元の世界へ戻る方法を探していて、自分達以外にもこの世界に転移した者が何人かいる。
ラムレザルはそんな話を聞きながら、特に驚いた様子もなくじっとしていた。どうにも感情がうまく読み取れない。飛鳥は普通の人間相手でもイマイチ顔色をうかがう力が弱いというのに、ラムレザルの様に感情をはっきりと露出しない相手ではどうにも不安に駆られてしまう。
「……僕の説明が悪かったかな? 何かわからない事があったら、質問してほしい」
「いいえ、貴方の説明はとてもわかりやすかった。先生という役職を任された事も納得できる。でも一つわからない事がある。私や貴方をこの世界に連れてきたのは、何者なのか」
それはロボカイが証明してくれた。彼は突然、ある人物の手で異世界キヴォトスへと誘拐されてきたのだ。その人物の名は、
「ハッピーケイオス。君達が『母さん』と呼んだ『慈悲なき啓示』を作り出し、僕達の世界に法術を広めた『第一の男』。君は既に知っていると思う」
「……イノと一緒に、消えたと聞いた。でも実際はまだ生きている、いいえ、存在している」
「どうやって、というのは少し話が長くなる。けれど彼の手で僕達はこの世界へと連れてこられた。それは間違いない」
ハッピーケイオスという存在は、その身に神の半身を保有している。言い換えれば時空さえも超越しうる力を彼はその気になればいつでも振るえて、実際に飛鳥達は異なる世界へと運ばれた。
ならばラムレザルからの次なる質問は容易に想像できる。
「何故私なの。ううん、それを言うならば何故貴方なの」
「それに関しては、まったくわからない。ケイオスが何を考えているのか、読み取るのは困難だ。彼も曖昧な解答ばかりでまともに応じてはくれない」
「この世界にやってきている、私達側の存在は誰?」
「終戦管理局が作り出した機械人形、そして僕の仲間であるレイヴンだ」
「レイヴン、彼も……?」
レイヴンの名を聞き、ラムレザルが僅かに反応する。飛鳥のあずかり知らぬところで二人の間でちょっとした交流があった事は認知していたが、どうやら親交を深めたらしい。
「僕達を含めれば全部で四人。これまで深い関係性にあったわけではない四人が何故……それとも、関係性ではない?」
転移してきた人物達を振り返りながら、飛鳥はある種の共通点が存在している事に気付いた。
機械であるロボカイ。
原因は不明だが不老不死となり、人間でありながら理の外へと外れたレイヴン。
そして、人ならざる生命体、ラムレザル。
「……もしかして、なんだけど。ケイオスは厳密に言えば『人間』に分類されない存在を選んで連れて来ているんじゃないかな」
「『人間』に、分類されない?」
「断定はできない。でも、そう考えれば納得ができる。フレデリック=バルサラでもなければカイ=キスクでもない、何かを完全に逸脱しているか元より人間の枠組みに当てはまらない存在を狙っているとしか考えられないんだ」
そこで飛鳥は、シャーレでアコが話していた、最近突然現れた『個人のインフルエンサー』の話題を思い出した。SNSのアカウント名を、彼は以前に元いた世界で覚えがあるのだ。
咄嗟に携帯端末を取り出すと、件のアカウントについて調べ始める。そのアカウント名は何処かで聞き覚えのあるもので、もしも推測が正しければケイオスの狙いが特異な存在を狙っている事であるという証明になりうる。
「それは何……?」
「情報端末だよ。図書館を小型化した様なアイテムで、キヴォトスの人間は皆これを持っている。とても便利だ」
ラムレザルはまじまじと端末を見つめる中でアカウント名を検索し、そして一件ヒットする。
『エリ=プ=マーヴス キヴォトス紀行』。最近になって突然現れた正体不明のアカウントだった。
「ラムレザル。もしかしたら、君以外にもこの世界にやってきている人物がいるかもしれない」
飛鳥が見せた端末の画面を凝視し、ラムレザルはアカウント名に眉をひそめた。バックヤードで生まれた彼女ならば、恐らくその名について多少は知識があるはずだ。
「―――なるほど。あの人もここにいるんだね」
「ケイオスの狙いは少しだが読めてきた。人とは異なる存在をこの世界へと連れて来ているんだ。その意図までは読み取れないが、傾向はわかった」
「待って。私達が呼ばれた理由はわかった。でも貴方は? 貴方は少なくともただの人間なのに何故?」
「……僕は先生としての役割を課せられた。ケイオスは僕が必要になる、とも。やはり、完全に意図は読み取れないか」
となれば、次に考えるのは今後である。ケイオスが飛鳥やラムレザル達を選んで連れてきたのならば、それ相応の理由があって当然だ。それが一体なんであるかを突き止めていかなければならない。
が、その前には飛鳥はラムレザルに一つ確認を取る事にした。彼女のこれからについて、である。
「ラムレザル。今後について考えていく上で、確認したい事があるんだ」
「確認……?」
「君はこれからどうしていくつもりだい。寝場所や、食事とかを」
「……そこは自分でなんとかする。貴方に頼りすぎるのも良くないから」
「僕に良い案があるんだ。衣食住を上手く補える、最高の案が」
飛鳥は椅子から立ち上がると、ラムレザルの頭上に浮かぶヘイローを指差し、
「君の頭に浮かぶヘイローは、君がこの世界の住人であるという証拠だ。それならば……君にはある権利が生まれる。学校に行く事だ」
「学校に、行く?」
「学園都市群であるキヴォトスは学生が人口の大半を占めている事はさっき説明したね。学生は誰もがヘイローを持ち、そして自分の学校を持っている。君はヘイローを持つ者として、何処かの学校に所属する事ができる、と思うんだ」
ラムレザルは飛鳥からの突然の説明に目を丸くした。一体何の事やらと言いたげなその表情に応え、
「学生という身分を持っていた方がこれからキヴォトスで生活していく上で便利になる。ケイオスを追う上でもだ。それに、君はバックヤードで生まれた存在であるから多くの知識は既にインプットされているかもしれないけれど……学校に行くという事はしていないんじゃないかな」
「……それは、厳密に言えば必要ない事だと思う。衣食住にしても、学生にならなくても自分でなんとかできる」
「うん、きっとそう言うと思った。でもヘイローを持つ君は、先生である僕にとっては一人の生徒でもある。だから先生として提案してみるんだ。学校に、興味はないかなと」
ラムレザルが言う様に、彼女が何処かの学校へ通う事は必ずしも必要な事ではない。だがヘイローを持っているのならば飛鳥は生徒として扱いたい気持ちがあった。先生という役職がもたらした、不要ながらも必要だと感じる姿勢によるものである。
ラムレザルの反応は芳しくない。悩んでいる様に見えるが、単にそこまで興味を持っていないだけなのかもしれない。口元に手をやり、じっと考え、それからぽつりと呟く。
「興味は、ある。学校という場所は知っているけれど、行った事なんて一度もない。そうする意味はないと思っていたから。でも……」
「でも?」
「行って良いなら、行ってみたい」
答えはイエスだった。ほんの少し口の端を緩めて、ラムレザルは飛鳥へと応えた。ならばと彼は頷き返し、
「それなら候補が一つあるんだ。キヴォトスでもトップクラスに大きい学校……トリニティ学園。あそこなら規模も大きいから、多少の無理は効くはず。僕から頼み込んでみよう」
「頼み込んでなんとかなるものなの……? 私はヘイローを持っているとしても部外者で、入りたいと言って学校に入れるものなのか疑問に思う」
「大丈夫。実は今、ある部活の顧問をしているんだ。トリニティそのものから少し外れた部活で……色々込み入っている。でも、やれるだけやってみよう」
飛鳥はラムレザルへと歩み寄ると、手を差し伸べて微笑んだ。新しい仲間、新しい生徒を歓迎して。
ラムレザルも満更ではない表情で飛鳥の手を握り返す。彼女の手は小さく指も細いが、そこからは確かな熱が感じられた。
「ようこそラムレザル。キヴォトスに、トリニティに……『補習授業部』に」
最初はシンを出すつもりでした。
でもあまりにもバカすぎてシャレにならないのでやめました。