先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
朝になった。小鳥のさえずる声にラムレザルは目を開けて、ベッドから起き上がる。
先生である飛鳥が住むシャーレ内部には居住区が設けられており、ラムレザルはそこで一夜を過ごした。と言ってもする事などあまりなく、部屋に備え付けられたテレビで情報収集をした後に眠った程度である。
あれから飛鳥の弁護を受け、何より拘留する理由が足りないという事でヴァルキューレから解放された。責任者であるカンナ曰く「もっと悪辣な連中の世話で忙しい」だそうだ。そういうわけで釈放され、ラムレザルはひとまずシャーレの預かりとなった。
(……一日で編入手続きが終わるとは思わなかった)
制服に着替えながら、ラムレザルはぽつりと呟く。
釈放と同時に飛鳥はトリニティへと出向き、トリニティがラムレザルをトリニティの生徒として扱う約束を取り付けたらしい。先生とは一体どれほどの権限があるというのか定かではないが、けれど学校に行けると考えればあまり気にはならない。
(うん、良し)
鏡の前に立ち、リボンは曲がっていないか、襟元に歪みはないか、服装を確認する。問題がないと判断すると、ラムレザルはカバンを手に部屋を出てシャーレのオフィスへと向かう。
学校。学び舎。教育機関。ラムレザルは、ヴァレンタインはそんな場所へ行った事がない。飛鳥が言う様に世界の裏側ともいえるバックヤードで生み出された生命体である彼女には生まれたその時点で膨大な知識が埋め込まれており、学習は一切不要だった。だから本来ならば、というより過去のラムレザルであれば飛鳥の提案など一瞬で却下していた事だろう。
けれどラムレザルは良き友人と理解者に恵まれた。無機質だった人格に感情を宿し、不必要を愛せる様になった。それ故にトリニティ学園への編入を受けたのだ。本心を言うならば自分一人ではなく、姉妹であるエルフェルト=ヴァレンタインや親友であるシン=キスクと一緒に制服を着たかったところだが。
(初日に遅刻したら大変。新顔が舐めた態度を取ったら不良に狙われる)
シャーレに帰る途中に寄った店に置かれていた雑誌にはそんな事が書かれていた。この世界の文化について詳しく知らないラムレザルにとって、雑誌や広告といった情報媒体は生活に溶け込む上で参考にできる素晴らしいものばかりである。
特に学生服を着た少女達が戦う物語は素晴らしかった。制服のデザインのみならず、ストーリーにも引き込まれた。
「……確か、こんなポーズを取ってた」
鏡の前でそれらしい構えを取る。親指でコインを弾くというポーズなのだが、法力を操るラムレザルから見ても興味深い。フィクションだとしてもエキセントリックな構えである。シンが見たらさぞかし喜んだ事だろう。
などと一人黙々とポーズを取っていたところでドアがノックされる。ラムレザルはハッとして思わず両手を腰に当てて一本の棒の様になった。
「ラムレザル、おはよう。準備はできたかな?」
飛鳥だ。朝の挨拶にやってきたのだ。もしも先程までの行動を見られていたら、果たしてどんな反応を取った事だろうか。いそいそとカバンを持ってラムレザルは応答すべくドアへと向かった。
「準備はできてる。いつでも行ける」
「良かった。少し早いけどここを出て朝食を食べに行こうか」
ドアを開けると飛鳥はにこやかな表情で佇んでいた。朝食、というと脳裏をよぎるのは巨大なハンバーガーである。ラムレザルのお気に入りでありいつまでも食べていられる大好物であるが、まさか飛鳥がそれを知るはずはない。
「ええと、何か食べたいものはあるかな」
「……ビッグサイズのハンバーガー?」
とりあえずそう要求してみると、飛鳥は面食らった顔で黙り込んだ。まさか朝食にヘビーそのものな食事を要求されるとは思ってもいなかっただろう。ラムレザルとしても、予想以上に驚愕している顔を見ては少しばかり直球で聞いてしまったかもしれないと表情を曇らせた。
が、飛鳥はすぐに元の表情を取り戻し、何やら感心した様子で頷き始める。
「朝から高カロリーの食事を求める……君達ヴァレンタインは肉体は僕達人間に近いけれど消化器系に違いがあるのかな。それとも肉体を維持する為に人間よりもカロリーが高いものを欲しているとか?」
学者肌であるとは知っていたが、予想外の返答だ。どうも飛鳥はラムレザルのジャンキー好きを何かしらの事情があると勘違いしたらしい。思っていたよりも人間として堅苦しいところがあるのだと気付くと、目の前の青年が『あの男』と呼ぶには人間味に溢れて見える。
『慈悲なき啓示』との壮絶な戦いは、この青年から人間としての人生を奪っていた。それはかつて尖兵として戦っていたラムレザルにとって他人事ではない。
「ハンバーガーが好きなのは、シンが私に食べさせてくれたから。だから必要とか必要じゃないという話ではなくて、単純に私の好物だから」
「好物……ああ、そうか。そう難しくない話か。すまない、僕はどうも君という個人をしっかりと認識できていなかった。失礼だよね」
「ううん。好きなもの、嫌いなものは話していく内にわかっていくものだと思う。それが『違う』なんだから」
不思議な話である。およそ一〇〇年以上を生きてきた男に対してラムレザルは人生を説いている。本来ならば先生と生徒という関係を込みでもこうした言葉は飛鳥の口から出るものだ。
ホワイトハウスを巡った事件を終え、フレデリック=バルサラという名前を取り戻した男は、飛鳥についてラムレザルに一度こう話した事がある。
―――あいつはな、なんでもできるみたいな顔しときながらその実まともにできやしない。だからもしも会う事があったら、お前との相性は最悪かもな。
もしかしなくとも彼の言葉は正解なのかもしれない。苦笑いする飛鳥を見ながら、ラムレザルはだんだんとこの青年に対する姿勢が柔らかなものになりつつあった。
※
「今日は編入日だけれど、授業については気にしなくていい。キヴォトスの学校というものは授業という概念こそあれど、さほどしっかりとしたものではないんだ。だからこそ僕の様な先生は多くの生徒から色々相談されたりする」
「……若干目の下にクマが見えるのはそのせい?」
「それもある。君がその身で体験した様に、キヴォトスでは争い事が絶えないからね。僕も毎日右へ左への過重労働だ」
テイクアウトしたハンバーガーを頬張りながら飛鳥は困った顔で微笑む。一口はとても小さく、バンズとパティの端を齧った程度である。見た目通りの小食さにラムレザルは少しばかり彼の身を案じてしまう。
トリニティ総合学園へと向かう道中に荒事は今のところ起きていない。ラムレザルが転移してきた際には匂いを嗅ぎつけたかの様に突然現れたものだが、今日は運よく平穏の様だ。
「私が行くトリニティはどんな学校なの? 一応調べ物はしたけれど」
懐から携帯端末を取り出す。編入を決めると同時に飛鳥が支給したものである。初めて使うアイテムであるが、ラムレザルは特に苦戦する事もなく既に操作方法を熟知していた。
「お嬢様学校、と言うべきかな。事件が起きたりはしないし、学園を取り仕切る生徒会……『ティーパーティー』の統治によって抗争が起きたりもしない。キヴォトス三大校に数えられるだけはあるよ」
「私は生徒として編入されるけれど、まずは部活に所属しなきゃいけない。『補習授業部』に」
「そう。君を生徒として認めるという特例を通す為にちょっとした条件を課せられたんだ。テストで良い点を出して補習を終わらせれば、晴れて正式な生徒になるのさ」
飛び入り入学からの部活への入部。それも特例を理由として。
これにラムレザルの胸中にわずかな昂りが生じる。漫画に出てくるシチュエーションにそっくりなのだ。これではまるで自分が漫画の主人公になったかの様である。
「……高校、デビュー?」
「え? 何か言ったかい」
「なんでもない」
少しずつ、エルフェルトが何故ときめきを抑えられずに鼻血を噴き出すのかがわかってきた。今まで感じる事のなかった喜びが、こんなシチュエーションでラムレザルを満たしつつある。
学校に通う。こんなにも、胸が鼓動を打つものだろうか。
「おーい! 誰かそいつを止めてくれー! 強盗だー!!」
と、背後から怒号が響く。振り返れば、後方から何者かが走ってきていた。ヘルメットを被った生徒……手には随分と膨らんだ小汚い袋が握られている。声はその生徒の後ろを走る、顔面に液晶画面が取り付けられたロボットのものだった。
見たところ、生徒は何処かの店で強盗を働いて逃げているのだろう。即座に状況を理解し、ラムレザルは持っていたハンバーガーを飛鳥に押し付けると、生徒目掛けて跳躍していた。
「ラムレザルっ」
飛鳥の声を背に受けながら、ラムレザルは加速して生徒へと向かっていく。正面から急速接近してくる人影にヘルメットを震わせ、生徒はもう片方の手で握っていた拳銃を発砲した。
これをラムレザルは首を横にひねるだけで容易に回避してみせる。これには生徒もギョッとし、思わず足を止めてしまう。その隙を逃す事なく素早い手刀を首へと叩きつけた。
「んぎゃっ!!」
一撃で意識を刈り取り、強盗は袋を握ったままで倒れ伏す。耳を澄ませると呼吸音は聞こえるので、しばらくすれば目覚めるだろう。
拳を握っては開き、調子を窺う。バックヤードがなく、法術を操れない世界であってもヴァレンタインとしての超人的な身体能力は健在だ。加えてキヴォトスの人間は元の世界ならば間違いなく致死に至る衝撃を受けても、意識を失う程度で済む。手加減の必要もない。
「ラムレザル、怪我はないかい?」
「平気だよ。このくらいは問題ない。それよりハンバーガーを預かってくれてありがとう」
強盗の手から落ちていた拳銃を回収し、弾が込められているマガジンを引き抜く。一時的だが使い物にならなくしたところでラムレザルは飛鳥からハンバーガーを返してもらうとガブリと齧りつき、満足げに頷いた。
「うん、高校デビュー」
「??」
「気にしないで、こっちの話」
「おお!? 止めてくれたんですか!? ありがとうございます!!」
遅れて駆けつけてきたロボットはいそいそと強盗から袋を取り上げると中身を確認し、ホッとため息をつく。その様子にラムレザルも頬を緩める。人を助けると良い気持ちになれる。
ロボットは強盗を鎮圧したラムレザルにぴかぴかと液晶画面を光らせながら走り寄り、祈る様に手を合わせて何度も頭を下げた。
「ありがとうございます、本当にありがとうございます! 何かお礼をしなければ……」
「お礼なんていらない。私はやるべき事をしただけ。でも強いて言うならば私の名前はラムレザル=ヴァレンタイン。今日からトリニティ総合学園の一年生として編入するから覚えておいてほしい」
「??? わ、わかりましたラムレザルさん。このご恩は忘れません!!」
飛鳥を連れ、ラムレザルは颯爽と現場を立ち去る。ロボットはその背中に手を振り続けるのだった。
「……僕の知っている君と少し違うかもしれない。何か、良い事でもあったのかい」
「わからない。私自身、どうしてこんなにも自分の意識が高揚しているのか言葉では説明できなくて困っている。でもきっとこれは、ワクワクしている……のかもしれない」
「それはつまり、僕の提案に対して君は強く興味関心を抱いているという事だ。それならよかったよ。その調子なら、きっと他の生徒とも仲良くなれる」
飛鳥は微笑みながらハンバーガーを齧るが、やはり食べ進んでいる様には見えない。小動物でももう少しペースが速いだろう。
「わからない事がある。どうして飛鳥先生はそこまで私の面倒を見てくれるのか」
「簡単さ。僕は先生として生徒の助けになりたい、そう話したと思う。ヴァレンタインである君にも、色々な体験をしてみて欲しいんだ。ここにいるのがエルフェルトだったとしても、僕は同じ選択をしただろう。無論シン=キスクでも」
「貴方はこの世界から抜け出す事を目的としているはず。それでも先生として、生徒を助けるんだね」
「そうだね……元の世界に戻らなきゃいけないのはもちろんだけど、まずは人としてやるべき事を果たしたい。飛鳥=R=クロイツとしてね」
ラムレザルはペロリとハンバーガーを平らげて、飲み込む。それで、飛鳥に対する感情はひとまず完結する。
悪い人間ではないと知っていたが、はっきりと彼が善人であると断定した。『あの男』、『ギアメーカー』と呼ばれた男をそうみなした理由はシンプルで、信じていいと思ったが故である。ラムレザルの澄んだ心は飛鳥が善良な人間であり、信用に値すると結論付けた。
「なら、飛鳥=R=クロイツ先生。私は生徒として、同じ世界の住人として貴方と共に戦う。これからもよろしく。ところで、口にソースがついている。それでは先生として示しがつかない。取ってあげるから動かないで」
「え? い、いや、いいよそんな……」
「大丈夫。よくシンにも同じ事をしているから私のソース拭き取りの精度はディズィーにも負けない」
「いやそういう事では……」
「お、先生じゃん。どしたのこんなところで」
そこで、初めて聞く声。声色からして強盗騒ぎではないだろう。ラムレザルが紙ナプキンを片手にゆっくりと振り返ると、黒いパーカーを着た少女がひらひらと手を振りながら飛鳥の後ろから近づいてきていた。口ぶりからして知り合いなのだろう。
「杏山さん。おはよう」
「おはよ~……うん? 誰その子」
杏山、と呼ばれた少女に飛鳥が振り返り、その体で隠されていたラムレザルの姿が露になる。そこでようやく少女は飛鳥が一人ではないと気付いたのか、目を丸くした。
「ウチの制服着てる、けど見た事ない……まぁ生徒沢山いるからそれも仕方ないか」
少女はラムレザルの元まで歩いてくると、じっと顔を見てくる。パーカーを着ているが胸元にはラムレザルが来ているものと同じくトリニティの校章が取り付けられている。つまりは学生としての先輩にあたるのだ。
「私は杏山カズサ。そっちは?」
「ラムレザル=ヴァレンタイン。今日からトリニティの一年生。きゃぴきゃぴの一年生」
「きゃぴきゃぴ……? ま、いっか。先生と何してたの?」
「先生の口にソースがついていたから、取ってあげていた」
カズサと名乗った少女はまた目を丸くした後に飛鳥へと顔を向ける。ラムレザルもそれを追うと、まだ彼の口元にソースがついている事に気付き再び紙ナプキンでごしごしと拭き始める。
「ちょっと、ラムレザル。そこまでしなくてもいいよ。杏山さんに見られているし……」
「ダメ。そんな汚い顔で歩いていたら大変だから」
「えっ、何この子。なんか距離感近くない? どういう関係?」
一心不乱に飛鳥の口元を拭うのに対し、カズサはほんの少しばかり困惑の表情を浮かべながらぽつりと呟く。それに対してラムレザルはふと考え込んだ。
飛鳥とラムレザルの関係がなんであるかと問われると答えるのが難しい。まったくの他人というには様々な関係性で結ばれており、かといって友人関係がこれまであったわけでもない。一番これだと言えるものがあるとすれば彼女とエルフェルトを作り出した『慈悲なき啓示』との繋がりだ。
ラムレザルの母親にあたる『慈悲なき啓示』はハッピーケイオスこと第一の男が作り出した。つまりケイオスは祖父にあたる。そんなケイオスの弟子である飛鳥はどう言い表せばよいのだろうか……?
「―――家族?」
「え?」
「なんて?」
思わず口走ってしまった言葉にカズサは硬直し、続いて飛鳥に対して凄まじい懐疑的な視線を向ける。
「どういう事、家族って何……?」
「ええと、今のは何かの間違いだと思う。だね、ラムレザル」
「うん。最適な表現は大叔父さんにあたる」
「え??」
「なんて!?」
ラムレザルに悪気はない。カズサからの質問に対して真面目に考え込み、わかりやすく説明しようとしただけなのだ。問題はあまりにもその口調が断定的すぎて、誤解を与えてしまいそうな点にある。
みるみる内にカズサの顔が紅潮していく。体調でも悪いのかとラムレザルは不安に駆られた。
「大丈夫……?」
「大丈夫、大丈夫だけど説明してくれない先生……!?」
「これは誤解だ。彼女は僕の家族でもないし、僕は大叔父でもなくて」
「間違いないのは、私の、お、お父さんと知り合い」
「ラムレザル……! ちょっと待ってほしい……!!」
恐ろしい剣幕で睨みつけてくるカズサに対し、ラムレザルが誤解を与えてしまった事を謝罪するまでに、ここからもう五分程かかった。
編入初日。まだ校舎にも辿り着いていないが、波乱の一日が始まろうとしている事は明らかだった。
この調子だともしかしなくても話数めっちゃ膨らみそうなので、可能な限りテンポよく進めていきたい所存。