先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
「ラムレザル=ヴァレンタインさん。お話は飛鳥先生から聞いております。故あって他校から編入する事になったと……大変だったでしょう。私達トリニティは貴女を心から歓迎しますよ」
長い長い机を挟んで、トリニティ総合学園の生徒会長である桐藤ナギサは微笑む。もてなしの紅茶を口に運ぶ飛鳥の傍らで、ラムレザルは膝に手を置いてじっと観察していた。
登校までにちょっとしたトラブルはあったものの、無事に二人はトリニティへと到着、すぐに生徒会室にてナギサとの顔合わせとなった。飛鳥が頼み込んだ形での編入となる以上、この場でしっかりと感謝を述べながら好印象を植え付けておきたい。
「私を受け入れてくれて、とても嬉しい、です。トリニティの生徒として頑張ります」
「ふふふ、そんなに緊張しないでください。生徒会と言えども貴女と同じ学生なのですから。ああでも、飛鳥先生から聞いていると思いますが、こちら側から提示した条件だけは守ってくださいね」
「補修授業部でテストを受けて良い成績を出す。わかってる……ます」
緊張、というよりそれっぽい振る舞いを心がけようとするおかげでラムレザルの口調はなんとも言えない。不自然という言葉が相応しいだろう。平常時の彼女ならば相手が誰であろうと態度を崩す事はないのだが、今回は少しばかり丁寧であろうと努めている。
そんな緊張をハッキリと感じ取ってか、ナギサはクスリと微笑む。余裕に満ちたその様子で、ラムレザルは彼女がいかに優れた人間であるのかを察せられた。
「飛鳥先生はこれまで何度かトリニティの生徒を助けてくれました。その借りを返すべく、今回は少し無理をしてラムレザルさんを我が校へと誘致しました。そうなれば、ある程度の試練は避けられません。ティーパーティーのホストとしてある種の公平性は守らなくてはならないのです」
飛鳥が先生の立場を利用したにしても、何の条件もなくナギサが受け入れるはずもない。どんな言葉を交わしたのかまでは定かではないが少なくとも歓待されているとは言い難い状況なのだろう。編入の条件に対してラムレザルは不満を感じず、ゆっくりと首肯を返した。
「ただ、その間にこちらとして貴女の行動を制限したりはしません。図書館で勉強するも良いですし、学友と絆を深めても良いでしょう。後者は、合格できればの話になりますが」
「まずは合格する。それから、高校デビューする」
「前向きに捉えていただけて嬉しいです。さて……それでは、顔合わせはこの辺りで良いでしょう。飛鳥先生、少しお話がありますので残っていただけますか。ラムレザルさんには案内役をつけますので、トリニティを見てもらいましょう」
その言葉にラムレザルは飛鳥へと振り返る。てっきりもうしばらく同行してくれると思っていたのだが、入学早々に彼とは離れ離れになってしまう様だ。寂しいとまでは言わないが、もう少し交流がしたかった。
飛鳥はかぶりを振って応える。
「どの道補習授業部で会う事になるから、心配しなくても大丈夫。それにトリニティの生徒と仲良くなる良い機会だ。行ってくると良い」
「案内は我が校の治安維持組織、『正義実現委員会』の者が担当します。その名の通り、清らかで誠実な人間性である事はティーパーティーのホストである私が保証します」
飛鳥とナギサの二人にこう言われては頷く他にない。学園を案内してもらえるというのならば遠慮なく受けるべきだろう。コクリと頷き、ラムレザルは紅茶をぐいと飲み干して椅子から立ち上がる。
図書館、学友との交流。興味深い響きばかりだ。イリュリアでの体験とは異なる価値観に触れられる事は必至だろう。
「それじゃあ行ってきます。飛鳥先生」
「いってらっしゃい。気をつけて。終わったら連絡するよ」
飛鳥に見送られながら、ラムレザルは部屋を後にする。重い扉を開き、長い廊下に出る。
廊下には同じ純白色の制服を身に纏った生徒達が銃を手にずらりと並んでいる。トリニティという学校はイリュリアと同じく中世を意識した荘厳さを持っており、清廉な空気が漂っている。
だが廊下を進みながらラムレザルは名も知らぬ生徒からの強い視線を感じ取っていた。刺々しい、間違っても好意とは考え難いものを。
(彼女達にとって私は突然やってきた異物になる。ある程度予想してはいたけれど……でも、大した問題じゃない)
その程度はたった一人で編入する事が決まっていた時点でわかりきっていた。見慣れない存在が入ってくればそれを異物と認識するのは至極当たり前だ。だがそこで終わらずにコミュニケーションを取るからこそ、人は相互理解を果たせるのだとラムレザルは知っている。だから生徒の視線を嫌いはしない。いずれ自分自身の力で変えていけばよい。
「あっ、来た来た。こっち、こっちっすよ〜」
冷静そのものな面持ちで廊下を通り抜けていった先では、ナギサが言っていた案内役らしき生徒が手を振っている。正義実現委員会という組織の生徒は黒い制服を着ていて、少しばかり纏う雰囲気も異なる。治安維持組織の肩書きは伊達ではない。
「はーい、トリニティ案内ツアーの受付はこっちっす」
歩を進めると、生徒の全貌がはっきりとしてくる。黒く長い髪、身長はラムレザルより少し低い程度、糸目。朗らかな笑みを浮かべた生徒は見るからに人当たりがよさそうだ。
「初めまして! 正義実現委員会二年生、仲正イチカっす。ラムレザル=ヴァレンタインさんっすよね?」
イチカはニコニコで手を差し伸べてくる。これを握り返すと、激しく上下にぶんぶんと振られた。
「うん。一年生、編入したて」
「話は聞いてるっすよ。こんなタイミングでの編入が二人目だなんて珍しいっす」
「二人目? 私以外にもいるの、編入生」
ラムレザルは目を丸くする。自分以外にもトリニティへの編入生がいるなど飛鳥からは聞いていなかった。彼も知らない情報なのか、それとも黙っていたのか。どちらにせよ思わぬ情報に目を輝かせる。自分と同じ立場の生徒がいるのならばぜひ会ってみたい、話もしてみたい。
「いるっす。それがなんと同じ部活の生徒なんすよね、補習授業部の。だから自然と会えるっすよ」
「……そういえば、補修授業部っていうのが具体的にどんな部活なのか聞いてないかも」
飛鳥からの説明はテストで良い点を取れというそれだけであったので、思い返すと自分が所属する事になる部活動に対して詳しく知らない。名前から判断するに少なくとも健全とは言い難いだろう。
口ぶりからして詳細を知っているだろうイチカは苦笑いを浮かべ、
「歩きながら話すっす。まあ簡単に言うと、成績が悪い生徒達を集めて落第しない様に頑張ろうっていう部活っすね。ラムレザルさんはそこんところどうなんすか……?」
「勉強……学問と呼ばれる分野においては問題ない。テスト自体は簡単だと思う」
「なるほど。流石は飛鳥先生肝入りの生徒っすね!」
肝入り?ラムレザルは首を傾げた。飛鳥は一体編入前にトリニティの生徒達にどんな話をしたのか。
「飛鳥先生は私の事をなんて話していたの」
「無茶苦茶優秀な子って聞いてるっすよ〜。スーパーコンピューター並みの頭脳だ!とか」
本人のいない場所で一体何を話しているのやら、ラムレザルは目を細めてこの場にはいない先生に内心少し呆れるのだった。
※
ラムレザルを連れて、イチカはトリニティの内部を案内してくれた。図書館の場所、生徒が使う憩いの場、今後もしかしたら入部するかもしれない部活動の概要……初対面のラムレザル相手でも程よい距離感で話す彼女のコミュニケーション能力には目を見張るものがあった。
「いやぁ、歩いたっす歩いたっす……すみませんねラムレザルさん、結構早足だったかも」
一息つこうという事で学園の一角にあるカフェの席へと着いたところで、イチカは手を合わせてぺこりと謝ってくる。これにラムレザルはかぶりを振ってそんな事はないと答える。
「全然大丈夫。わかりやすい説明でとても助かった。正義実現委員会、素晴らしいところなのも感じられた」
「あははそんな、大袈裟っすよ〜。ええと、何飲みます? コーヒーっすか、紅茶っすか」
「任せる。貴女が勧めるものなら、きっとどっちも美味しいだろうから」
「は、ハードル爆上がりじゃないっすか?」
ラムレザルには選べない。曖昧な表現になるが、イチカの様な善良な人間が選んだ店のものならばきっと美味しいはずだと考えたのである。
少し無理を言ってしまったが、イチカはコーヒーを二杯頼んでくれた。ぺこりと会釈して感謝を示しつつ、ラムレザルはトリニティの案内がひと段落ついたところで個人的な話題に踏み込んだ。
「正義実現委員会は治安維持組織だと聞いてる。忙しくないの?」
「んー、まぁやる事はいっぱいっすね。何しろ、他の学区と問題が起きたりトリニティ内部でも色々あったりするので」
「それなのに時間を割いて私の案内をしてくれたんだね。ありがとう」
「いやいやそんな〜! 普通に仕事だったわけで……あ、いやこの言い方だとなんかアレっすね。シンプルに私がそうしたかったからやっただけっすよ」
「……でも、こちらから何かお礼をしたい」
初対面の人間に細かくわかりやすく説明してくれた事に何の例もないというのは少しばかり受け入れ難い。どんな事でも良いから彼女に対してお礼をしたいという気持ちに駆られる。トリニティではカズサに続く二人目の友達になり得る存在なのだ。
ラムレザルの純真そのものな眼差しにイチカは腕を組んで考え込み、
「うーん、そうっすね……あ、実は頼みたい事が一つあるんすよ」
周りのテーブルをぐるりと観察する。どうやらあまり聞かれたくない内容の様だ。一体何事かとラムレザルは顔を寄せ、耳をそばだてる。
「ラムレザルさん、勉強はイケるんすよね?」
「うん。学力については人並み以上にできる自信はあるよ」
「実は補習授業部に
「話は読めた。私が勉強を手伝えばいいんだね?」
「手伝うというか、本当にピンチのピンチだったら助けてあげてほしいんす。結構気難しい子で私達もどう声をかけようかと悩んでて……良い子なんすけど」
「……私はコミュニケーションに少し難がある。もしかしたら怒られてしまうかもしれない」
「あー……うーん……」
自慢ではないが、ラムレザルは言葉につい棘が出てしまいがちである。もちろん本人に悪気はない。ただ、少しばかり本音を包み隠さず口にしてしまうのだ。性格をよく知っている知人達ならいざ知らず、これから仲良くなるであろう人間にどう接してけば良いのかまでは、少し不安だった。
しかしそれで困っているイチカを助けないという理由にはならない。僅かな躊躇いを拭い去り、ラムレザルはきゅっと唇を真一文字に締めた。
「でも大丈夫。同じ部活の仲間になる子なら、助けない理由はない。任せてイチカ。案内とコーヒーのお礼はきっちり果たすから」
「な、なんかアレっすね、お礼としてちょっと釣り合わないっていうか申し訳ない気持ちが……あっ、そうだ、ここはケーキも奢るっすよ! 好きなの選んで!」
ラムレザルとしてはそこまでしてもらわなくても、という気持ちだったがイチカは収まらないだろう。不必要に拒絶するのではなくしっかり甘えておくべきであると理解し、ラムレザルは差し出されたメニュー表に目を通す。
ケーキは何度か食べた事があるものの、メニューに書かれているものは誰も見覚えのない名前ばかり。ラムレザルはどれにするべきかまるでわからず、意味不明な文字列をじっと眺めてしまう。
「あれ……どうしたっすか?」
「ええと、イチカ、おすすめは」
「おすすめはこのモンブランかな。美味しいよ、よく食べる」
聞いた事のある声に続いて細い指がメニューの一角を指す。さっと振り返る。いつの間にか後ろには今朝登校する際に出会ったパーカーを羽織った生徒の姿があった。名前は確かカズサだ。
「どうしてここに?」
「どうしても何も同じ学校じゃん? まぁこの店で会うとは思わなかったけど」
「もしかしてお友達っすか? もう友達できたんすかラムレザルさん!」
「いや、別に私達友達ってわけじゃないけど」
カズサがそっけなく答える。ラムレザルは衝撃を受けて、小動物の様に目を丸くしてしまった。
「私達、友達じゃなかった……?」
「は? だ、だって私達今日会ったばかりだし、そんな急に」
「貴女は私におすすめのケーキを教えてくれた。だからもう、友達みたいなものだと思う」
「そうはなら……ああわかったわかった、その目やめてってば!」
イチカが店員にモンブランを頼んでいる間に、カズサはかぶりを振り、ため息をつきながら他のテーブルから椅子を一つ持ってくるとラムレザルの隣に置いて腰掛ける。どうやらケーキをおすすめしてくれただけでなく、一緒にいてくれるらしい。
イチカは興味深そうにニコニコと笑いながら、ラムレザルとカズサを交互に見た。
「いやぁ、ラムレザルさん流石っす。登校初日から友達できるなんて。あっ、私は正義実現委員会の仲正イチカっす」
「……杏山カズサ、です。ラムレザルだっけ? 正義実現委員会の人と知り合いとかどういう経緯?」
「私を案内してくれた。そしてコーヒーとケーキもご馳走してくれている」
「飛鳥先生に頼まれたんすよ。ざーっとどんなところかお見せしただけなんで、足りないところもあるにはあるかもしれないっすけど」
「頼まれたって……そんなに仲良いんだ、先生と」
カズサはハッとした顔でラムレザルを観察してくる。今朝と同じ様子だ。あの時はちょっとした失言を原因に、しばらく飛鳥はカズサに詰められていた。妙に熱が籠った怒り方だったのをよく覚えている。
カズサは飛鳥に対して少しばかり異なる感情を抱いている事はラムレザルにも理解できたが、しかしそれが具体的にどんなものかまではわからない。
「あのさ、ちゃんと聞いてなかったんだけど先生とはどういう関係?」
「それ私も気になってたんすよねぇ。先生は生徒の為に頑張るものだとは聞いてるっすけど、トリニティへの編入を取り計らうなんてよっぽどっすよ」
トリニティへの編入がイレギュラーなものである事は薄々わかっていたが、普段の飛鳥らしからぬ行動だった様だ。カズサに対して頑張って弁明していた様子だったが、恐らく彼女はラムレザル本人の口からちゃんと説明してもらいたいのだろう。
二人からの熱視線を受けながら、ラムレザルは慎重に言葉を選ぶ。今朝の一件は説明不足によって余計な誤解を産んでしまった。異世界の存在はぼかしつつ、しっかりとした説明を行おう。
「飛鳥先生とはお互いに名前と顔は知っていた程度であまり詳しくはない。もしかしたらあの人についてはイチカとカズサの方が知っているかもしれないくらい」
「家族とかなんとか言っていたけど、それについては」
「私の保護者にあたる人と飛鳥先生は友人。ちょっと複雑になる」
「なんていうか絶妙な関係っすね。知り合いだけどそれ以上かと言われたらっていう」
店員が届けてくれたモンブラン───非常に美味しい───とコーヒー───これも美味しい───を口にしつつ、ラムレザルは飛鳥との関係性について語る。
イチカが納得して頷き、懐疑的な表情だったカズサも続く。恐らく角が立たない説明になっている事だろう。
ならば、とラムレザルは飛鳥の話題が出た事を利用し、逆に二人への質問を繰り出す。
「それじゃあ二人が飛鳥先生とはどういう関係なのか知りたい。それなりに付き合いは長いの?」
これにイチカとカズサは顔を見合わせる。今日が初対面のはずなのだが、あまりにも息のあった動きには何かあるのだとすぐに察せられる。
イチカは少し考えて、
「うーん、そうっすねぇ。そこまで深く関わってはいないんすよね。先生がトリニティに来てウチの仕事を手伝ってくれたりする時にかるーく話すくらいで。カズサさんはどうっすか?」
「いや、私は別に……ちょっと軽く知り合って、たまに話すくらいだよ。そんなに仲良くない。たまに向こうの頼みを聞くくらいかな」
頼み?ラムレザルとイチカはほぼ同時にカズサへと視線を集中させるら
「頼みって何?」
「含みのある発言っすね」
「な、なんでもないからっ。今のは忘れてってば。大した事じゃないし……」
「おっとそうはいかないっすよ。伊達に正義実現委員会やってないっすからね、この仲正イチカ、疑わしき人物にはしっかりお話聞くっす。先生からどんな事頼まれるんすかカズサさん〜? 大丈夫っすよ、誰にも言わないっすから」
「私達の友情は、揺るがない」
「なんで二人してそんなに距離詰めてくんの!? 仲良しか!」
イチカは思いのほかノリが良く、示し合わせるわけでもなくラムレザルに合わせてカズサへの鋭い追求を繰り出す。途端に彼女は顔を赤くし、口をモゴモゴとさせ始めていた。
興味がある。一体飛鳥はカズサにどんな頼み事をしているというのか。当人の反応が興味深いだけに尚更その感情は高まるのだ。
はぐらかす事などできない、逃げられないと観念したカズサは重苦しくため息をつくと髪の毛を弄りながら、ポツリと呟く。
「味見、お菓子の味見、頼まれてて」
「お菓子っすか? もしかして、先生が作ってる奴っすか……?」
カズサはコクリと頷き、イチカの様に周囲を窺う。また誰にも聞かれたくない話題の様だ。
「絶対に先生には言わないでよね? 私、放課後スイーツ部って部活に入ってるんだ。で、知識のある人間から意見が欲しいって言われてさ。それでいくつか食べてみたんだけど……」
モンブランを勧めてくれた理由に納得がついた。カズサは単にこの店に詳しいのではなく、この店のメニューを熟知しているのだ。放課後スイーツ部、なかなかに関心を惹く名前である。
加えて、飛鳥がお菓子を作っているという情報まで飛び込んできた。想像できるといえばできるが、やはり意外性が強い。お菓子やスイーツという言葉から連想されるのはエルフェルトやジャック・オーだ。
「味はどうなの。美味しい?」
「気になるポイントはそこっすね」
「うーーーーーーーん……わかんない」
カズサの返答は曖昧なものだった。わからない……少なくとも味を指して使うものではない。その時点であまり飛鳥の腕が良いものではないと判明していた。
「なんていえば良いんだろう、美味しい美味しくないとはまた違う。ちゃんとレシピ通りに作られていて、分量にも間違いとかないはずなのに……なんか、変」
「そんなに……?」
モンブランを口に運ぶ。しっかりと甘く、それでいてしつこくない。自然とフォークが進む。そうして、あっという間になくなってしまう。コーヒーもいつの間にか飲み終えていた。
お菓子作りのセオリー自体は知っている。分量が大切で、何よりも重要な事であると。それを守れば最低限の水準を確保できる事も。
しかしそれを踏まえた上で『よくわからない』『変』という感想が出てくるとは一体なんだというのか。飛鳥はどんな菓子を作っているというのか。
微妙な反応をせざるを得ない二人をよそに、カズサはこめかみに手を当てて、
「ていうかさ……絶対誰かに向けて作ってるよね、多分」
「言われてみればそうっすね。え、じゃあアレっすか、そういう事っすか?」
反応したのはイチカである。ハッとした様子で口を抑えて、何やら興味深そうに頷く。
ラムレザルはといえば話の筋がよくわからず、きょとんとしてしまう。誰かに向けて作る事は、果たして何か問題があるのだろうか。
カズサはぐったりとした様子で椅子の背もたれに体を預けると、残念そうに呻いている。その理由がはっきりとわからない。だが見るからに励ましが必要なので、激励する事にした。
「私の友達が言ってたよ。誰かの為に作るお菓子は絶対美味しくなるって。飛鳥先生はまだちゃんと美味しく作れていないみたいだけど、誰かの為に頑張ってるという事はとても良いと思う」
「あぁ、うん、そうだね、うん……」
「誰の為に作っているのか気になるなら、私が飛鳥先生に聞いてこようか?」
「ラムレザルさん、その辺でやめてあげて欲しいっす……」
どうやら失敗したらしい。カズサは上から重りでも乗せられているかの様にぐったりとし始め、イチカは大慌てである。早速コミュニケーションを誤ってしまったのだと気付いた時にはもう遅い。
「ごめんカズサ。貴女が辛そうだから、何か助けになれたらって。でもどうしたら正解なのかわからなくて」
「別に良いってそんな気を遣わなくても。大丈夫だよラムレザル」
心から申し訳ない声色で謝罪すると、カズサは手をひらひらとさせて応える。何か励ます事はできないかとラムレザルは考え、そして名案を思い付く。お菓子を巡ったこの話題の答えを。
「……いっそ、カズサがお菓子を作ってみたら良い」
「え? なんで私?」
「カズサが勧めてくれたモンブラン、とても美味しかった。何が美味しいかを貴女はよく知っている。ならカズサがお菓子を作ってみて、飛鳥先生に渡してみれば自然と話題が作れる」
「なるほど、名案っすね。いっそカズサさんがお手本を見せちゃえば距離感縮まるんじゃないすか? 最近飛鳥先生忙しいそうだし、労いになるっすよ!」
「い、一理ある? って、なんで二人が私の相談乗ってアドバイスしてんの! 別に良いからもう!」
困った様な呆れた様な声色でかぶりを振り、カズサは苦笑する。今度は失言ではないらしい。ホッとラムレザルは安堵していた。学友の相談に乗っただけでなく、それなりの助言を与えられたのなら幸いである。イチカもニコニコと楽しげだ。
これがいわゆるガールズトークという奴なのだろう。ちょっとした話題で盛り上がり、ああでもないこうでもないと話す。学校という場だからこその会話と言える。
「ラムレザル」
「うん? ごめん、何」
カズサに名前を呼ばれ、そちらを振り向く。彼女は頬を緩め、
「なんていうかさ、最初は変な子だなんて思ったけどよくわかった。嘘がつけないんだね、あんたは」
「……そうだね、私は嘘をつけない。ついても意味がないから」
「なにそれ、堅苦しい言い方」
「ラムレザルさんって、とにかく真面目なのが伝わってくるっすよ。いやぁ、良ければ正義実現委員会に来てほしいくらいっす。やる事いっぱいあって楽しいっすよ~?」
「ウチのとこも顔出していいよ。おすすめのカフェとか教えてあげる」
イチカもカズサも、良い人間だ。まだ会って間もないラムレザルに親しくしてくれるだけではない。友人として気兼ねなく話してくれる。それがどうにも嬉しくて、彼女は胸が高鳴るのを感じた。
「二人共ありがとう。両方ともきっと楽しいんだと思う。でも、今の私にはやらなきゃいけない事がある。それが終わってからでも良い?」
「もちろんすよ! むしろ後からでも全然いいっす。人手はいつでも足りてないっすから! あはは……ていうか、良いっすねスイーツ部……私も考えておきたいっすねぇ」
「部活っていうには好き勝手やってるから、全然いいよ。……正義実現委員会の前でこんな風に言うのもアレだけど」
いつの間にやら初対面であるはずのイチカとカズサも意気投合しつつあった。ガールズトークによって深まる絆、なんと素晴らしい事か、ラムレザルは達成感を込めてぐっと拳を握る。
と、飛鳥から渡されていた携帯端末が震えた。何かと覗いてみると、彼から伝言が届いている。
『ラムレザル、お待たせ。補習授業部の皆に会いに行こう』
「ん……先生の用事が終わったみたい。イチカ、カズサ、本当にありがとう。コーヒーもケーキも絶対に忘れない。カズサ、先生が誰の為にお菓子を作ってるのか聞いてみる?」
「その話はもういいってば! 絶対聞かないでよ、絶対だから!」
「わかった。絶対に聞かない。安心してほしい。ごちそうさまでした」
椅子から立ち上がり、ラムレザルはイチカとカズサにぺこりと頭を下げ、飛鳥と合流するべく踵を返し、再び二人へと顔を向ける。
「私の事はラムって呼んで。そっちの方が、好き」
「了解っすラムさん!」
「わかった、じゃあまた今度ね、ラム」
新しくできた友達に手を振られながら、ラムレザルはカフェを後にする。初日からどうなる事かと不安だったが、どうやら良いスタートを切れた様だ。
「高校デビュー、成功……」
ぽつりと、満足げにラムレザルは呟くのだった。
イチカ、カズサ、会わせたい二人だった……