先生は世界平和を実験している   作:飛鳥=R♯

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kuketo-クッキー

空崎ヒナと飛鳥の関係は一言で言えばビジネスライクである。キヴォトスでもぶっちぎりの不良生徒数を誇るゲヘナ学園、その治安維持を担う風紀委員会の委員長を務めるヒナとキヴォトスの何でも屋である飛鳥はアビドス高等学校の一件にて知り合い、それから時折互いの利害が一致した時に限り会うという事を繰り返している。

 最後に共同で仕事をしたのは温泉開発部なる破壊活動ばかり行う生徒達がゲヘナの学区内を穴だらけにした時である。ヒナ主導、飛鳥が補佐をする下で風紀委員はなんとか彼女達を鎮圧せしめている。

 そして今日は……珍しく飛鳥が呼ばれるわけでもなく自らの足でヒナを訪ねていた。

 

「どうぞコーヒーです。ご ゆ っ く り」

 

 とてもではないが歓迎している様子ではない声色でアコは飛鳥の前にコーヒーを置いて去っていく。今のゲヘナが外からの人間を歓待する状況下でない事はわかっていたが、明らかな敵意を示されては気まずい。

 委員長という地位を示すかの様に質の良さそうな木材を使って仕立てられたデスクについているヒナはアコのコーヒーを一口だけ飲み、そして何も言わずに載せていた皿ごと遠ざける。彼女からしてもあまり美味しくはないらしい。飛鳥は少し安心した。

 

「それで、今日はどういった要件なのかしら」

「連絡事項があるんだ。当分君の仕事を手伝えなくなると思う。恐らく一、二週間は缶詰になるだろう」

 

 補修授業部の件である。ティーパーティーのナギサから部が発足された際に提示された条件として『三回のテストを実施し、一回でも合格点を全員が超えれば部を解散する』との事なのだが、数日後に行われる第一回のテストを無事に突破する予想を飛鳥は既に捨てていた。

 ラムレザルを部に投入したのは彼女の存在で学力の水準が上昇するのではないかと目論んでのものだが、入部して即座に結果が出るはずなどない。

 致命的なのはコハルである。小テストの結果を見るに彼女はまず勉強の基本がわかっていない。自習中にテスト範囲と全く違う部分に目を通していたり、小テスト中にも何が何だかという表情でいた事からもとてもではないが第一回目は無理だろう。

 続いて、ハナコである。あまりにも点数が低い。が、現時点で飛鳥は低得点の理由を既に把握している。問題としてはコハルより下である。

 こういった理由から、第一回テストはまず突破できない。そしてナギサから提示された更なる条件として『一回目のテストで失敗した場合は勉強合宿を行う』というものが出された。

 つまるところ、テストを間違いなく落として合宿になり飛鳥も同行せざるを得なくなるわけである。

 

「トリニティでの要件が長引きそうなのかしら?」

 

 ヒナはすんなりと言い当ててみせた。壁に耳あり障子に目あり、ということわざがジャパニーズにある。どこで誰が何を聞いているかわかったものではないというニュアンスだが、まさにそれである。飛鳥は少し驚いて眉をひそめる。

 ゲヘナの諜報部が優れている事はよく知っていたが、まさかそんな事まで把握しているとは思いもよらない。

 

「よく知っているね」

「先生はキヴォトスでも要注意人物なの。もしかして自覚がないのかしら」

「要注意だなんて……」

「ブラックマーケットでの大暴れ、百鬼夜行学院での大騒動、オデュッセイア海洋高等学校の管理する船舶での狐坂ワカモによるシージャック事件、ここ数ヶ月キヴォトスで引き起こっている大小様々な騒動の中心にはいつも貴方がいる。誰が見ても要注意でしょう。言うならば、先生は台風の目ね。ウチの生徒会長はいつもぶつぶつ言ってるわ。貴方を味方に引き入れたいって」

「力を貸してほしいというのなら喜んで引き受けよう。でも傘下に入れならばお断りしておく。僕は君達生徒に平等でありたいから」

「……私ではなくて、マコトに言って」

「苦手なんだ、僕」

「ええ、知ってるわ」

 

 しばしの沈黙。ゲヘナの生徒会長である羽沼マコトは堅実な策士であるが、その性格は一言で言うならば『騒がしい』だ。口を開けばいかに自分が偉大な人間かを語り、周囲の人間は自分より劣っていると嘯く。無論最初に述べた通り、口だけではない。厄介な問題児ばかりが集まるゲヘナを束ね先導するからにはそれ相応の実力を持っていなければ成立し得ない。

 しかしながらそんなマコトの豪胆すぎる気性が飛鳥は苦手で苦手で仕方ない。ペースをかき乱され、まともに対話ができない。恐らくそれがマコトのやり方である事は察せられる。NOと伝えようとするだけでも相当な手間がかかるだろう。

 

「話が逸れてしまったわね、ごめんなさい。連絡事項は他に何があるのかしら。わざわざ足を運んできたからには、顔を合わせてでないと伝えられない情報でもあるの?」

「一つは、しばらく僕が動けない事により何かしらのトラブルにすぐ対応できないかもしれないという点。とはいっても連絡があれば多少無理をしてでも助けに行く。もう一つは」

 

 そこで飛鳥はヒナの顔を恐る恐る窺う。彼にしては珍しい挙動不審さで、何か言いたくてもさっと口から出てこずにモゴモゴとする様子はまるで母親に失敗を報告する子供である。

 ヒナとしても普段ならばハキハキと述べる飛鳥の様子がおかしい事に首を傾げ、

 

「何か言いづらい事でもあるの?」

「いや、そうじゃないんだ。ただ少し勇気がいるわけで……うん、よし、実は渡したいものがあって。しばらく会えなくなるからその前にと思ったんだ」

 

 意を決して飛鳥は座っていたソファから立ち上がると、懐から小袋を取り出した。中に入っているものは薄茶色で円盤状のものが何枚か……つまりはクッキーである。

 これにヒナは目を丸くした。突然の展開を予想できず、椅子に座ったままでまじまじとクッキーの小袋を観察する。

 

「それは?」

「実は、お菓子を作ってみたんだ。空崎さんがいつも忙しそうにしているから何か労いができないかって……本当なら君の仕事をすべて僕が請け負うべきなんだろうけども」

「……それで、手作りのお菓子を?」

「高級菓子の詰め合わせと迷って、それでその……こういうのも良いかと思ったんだ。でも冷静に考えると、あまり良い考えとは言えなかったかもしれない。どうしよう」

 

 飛鳥はほんのり頬を赤くする。

 最初は名案だと思ったのだ。手作りのお菓子を差し入れとして持っていけば菓子を買うよりも労いの意思は伝わるのではないかと。ここ最近、ヒナは風紀委員長としてこれまでよりも膨大な仕事に追われていた。それを手伝うのはもちろんだが、他にもできる事があるはずだと踏んだのだ。しかしながら冷静に振り返ってみれば名案かと言われれば少し疑問が残ってしまう。

 だが今日まで飛鳥は真剣にお菓子作りへと取り組んでいた。この手のものに詳しい『放課後スイーツ部』のカズサに味見やアドバイスを受けながらヒナに喜んでもらえるものを作るべく努力していたのだ。それを間違った努力と一言で切り捨てられてしまう事に今ようやく気付いてしまったのである。

 そんな飛鳥に、ヒナは困った顔で微笑む。彼女にしては珍しい表情だった。

 椅子から立ってヒナは飛鳥の下へと歩み寄ると、クッキーの小袋をさっと受け取る。針金で縛っておいた口を開けてクッキーを一枚つまむと口に入れた。

 

「あっ」

 

 飛鳥は驚いてその場で固まってしまう。ヒナの思いがけない行動に呆然としてしまい、次に美味しいかそうでないかという不安が頭をよぎり始める。

 美味しいか美味しくないかと言われたら難しい。既にカズサからはあまりにも具体性にかけるフワッとしたコメントをもらってしまっている。もしもヒナにも同じ評価を受けたら、飛鳥は間違いなくショックを受ける自信があった。

 ヒナは黙々とクッキーを咀嚼し、食べ終える。

 

「美味しい。初めて作ったのによくできていると思う」

「えっ、ほ、本当かい?」

「ええ。でも、強いていうなら少し砂糖の量が少ないかも。もしかして少なめにしていたりしない?」

「……レシピ通りに作っているつもりだけれど」

「先生はどうしても控えめにしがちなところがあるから、無意識に量を減らしていると思う。ほら、自分でも食べてみて」

 

 ヒナの言われた通りにクッキーを齧る。言われてみれば、少し薄味に感じられる。カズサからも色々な指摘を受けていたが、そもそもの根本から誤っていたのか。

 

「よく気付いたね、空崎さん。もしかして君もお菓子作りを嗜んでいたり……?」

「そういうわけではないけれど、最近知り合いとそういうものを食べる機会があるの。それで、少しだけね」

「そうなのかい? それは、良い事だ。空崎さんはいつも忙しそうにしていてプライベートはどうなっているのかと心配だったから……」

「アコ達には内緒にしておいてもらえると、助かる」

 

 心からの安堵によって飛鳥は微笑んでいた。アビドスで初めて顔を合わせてからというもの、いつ会ってもヒナは委員長としての仕事に身を尽くしてばかりで、年頃の少女らしい姿など全く見ていなかった。だが友人の様な存在がいるというのならば、それは大変素晴らしい。

 そうして何度も喜びに頷きながら、ふと甘味を食べる事を最近の趣味としているのならば自分のクッキーは随分と粗末なものなのではないかという新たな不安に飛鳥は駆られた。

 

「そ、空崎さん。そのクッキーなんだけど」

「折角作ってくれたんだもの。全部食べる。ちょうどコーヒーもある事だし」

「む、無理に食べなくてもいいからね……?」

「美味しいと言ってるのに。変な人」

 

 ポリポリとクッキーを食べるヒナをじっと観察する飛鳥。この様な珍妙極まる絵面をもしも彼女を敬愛するアコが目撃したら、果たしてどんな感想を抱くのだろうか。否、他のどの風紀委員が目にしたとしても想像がつかない。

 と、クッキーを片手にヒナは、

 

「そういえば少し真面目な話をするけれど、エデン条約の調印式は予定通りに行われそうよ。私の言いたい事、わかる?」

 

 ゆったりとした声色が流れる様に風紀委員としてのヒナへと変貌する。これには飛鳥も表情を引き締め、会話の内容に合わせて声色を低く取る。

 エデン条約。近くトリニティとゲヘナの間で取り交わされる協定である。それこそが飛鳥の来訪に対してアコが苛立っている原因であり、そしてゲヘナの生徒会長であるマコトが飛鳥を味方につけようとする理由だ。

 

「……僕の方から以前トリニティとゲヘナの双方に襲撃の可能性は伝えた。それでも変えないというのならば、最悪の事態を回避する方向性で行くしかないと思う」

「ケイオスによる襲撃の可能性を真面目に考えているのは先生と私くらい……なんていうのが冗談ではなくなってきてるわね」

 

 二大校の間で執り行われる調印式の場にケイオスが介入しないなどありえない。それはG4に介入してきた事からも明らかだ。考えるまでもなく破壊と混沌がまき散らされるだろう。

 しかしそれをキヴォトスの人間達が真剣に受け止めていないのは無理もない事だと飛鳥はかぶりを振る。ここ最近、どれだけハッピーケイオスという人物の危険性を訴えたとしても、まず第一に飛んでくるのが「見た事がない」というものだ。

 ケイオスは完璧に自らの痕跡を消している。何かを隠れ蓑にしているのか、あるいは完全に気配を消しているのか、いずれにせよ飛鳥は手がかりを掴もうにも足がかりさえ見つけられない。はっきりと脅威を抱けないモノを恐れろと言われても、実感など湧かないのだ。

 

「けれど彼はきっとどこかで僕の前に姿を現す。恐らくは調印式の前に一度は必ず」

「目は光らせておく。有事の際には先生にも連絡する」

 

 ケイオスに対して受け身であるしかない。それでいて彼は必ず隙を作る様にしているときている。言葉にしがたい、不可解な存在だ。だがもたらす実害は尋常なものではない。看過できない、まさに敵だ。

 今のうちにできる事がないか、今一度考える時間を作らねばならない。飛鳥はおもむろに席を立つ。

 

「シャーレに戻るよ。連絡事項はこれで全部だ。ええと、クッキーなんだけど」

「次に期待してる」

「あ、う、うん。わかった、それじゃあ」

 

 そっけなく答えたヒナに見送られ、風紀委員会部室を後にする。クッキーの味を褒められた喜びが歩みにでない様に気を付けながら、努めてゆったりと。

 努力の成果を他人に褒められるとは悪くないものである。ヒナの言葉だけで努力の甲斐があったのだという喜びに胸がドキドキとする。飛鳥は間違いなく、これまでに感じた事のない喜びに包まれていた。

 

―――もちろん数日後、無事に補習授業部の合宿は確定した。

 

 

「―――うん、美味しい」

 

 夜も更け始めたゲヘナ、ヒナは飛鳥のクッキーをつまみながらぽつりと呟く。手作りの味は時には良いものである。最近食べたものが随分と豪華なものばかりだったので、素朴な味わいにコクリコクリと頷いてしまう。

 ヒナにとって飛鳥はビジネスをとっくのとうに超えており、信頼できる相手である。アビドスでの一件から信頼のできる大人である事は気付いていたが、何度か肩を並べる内に彼に対する気持ちは紛れもないものとなりつつあった。

 風紀委員長という立場が故に命じる事はあれど、雑談をする機会など滅多にない。甘いものを時折食べている、などという話題を部下達に投げかけたとしてもまず最初にアコが驚きに続いて興奮を始め、どこから持ってきたのかわからない砂糖菓子の詰め合わせを持ってくるのは間違いないのだ。

 ゆっくりとしたい。時間を浪費してでも、些細な事を話していたい。そんな気持ちを満たしてくれる飛鳥の存在は、心安らいだ。

 

「できる事なら」

 

 飛鳥を誘って、カフェにでも行ってみたいものである。なんでもいい、甘いものを味わいながら彼と言葉を交わしていたい。だが、果たして自分にそんな贅沢が許されるのだろうか。いつも忙しそうな先生に、自分の様な人間が甘えるなど……

 

 

「ふむ? 甘えれば良いと思うがね、私は。人間というものは大小関係なく他人に寄りかかるものだよ」

 

 部屋にはヒナ以外の人間はいないはずなのだが、男の声が響く。それにヒナは驚きもせずにじっと一角にある窓へと視線を投げかけた。

 窓際に蝙蝠が止まっている。ヒナの視線に気付くとパタパタと羽音を鳴らして飛び立ち、やがてその体は巨大化していく。一枚の布へと姿を変え、そして翻ったかと思えばスーツを着た男が入れ替わる様に現れていた。

 

「いいじゃないか、手作りの菓子など好意の表れだ。私が思うに彼は君がどんな駄々をこねたとしても精一杯応えてくれるだろう」

「……そうかしら。嫌われたりしない?」

「しないしない。あまり卑屈になるものではないよ。誰もが君の努力を評価し、君の人格を信頼し、君の可愛げに微笑む。私が保証しよう」

 

 ヒナと男は顔見知りの様だった。突然部屋に現れても驚く様子もなく、むしろ相談事を投げかけている程である。

 男の存在は異質だった。蝙蝠から変身した事だけではない、薄暗い部屋の中にいるにも関わらず深く昏い影として強い存在感を持つ。まさに異物とでも呼ぶべき雰囲気を全身から放っている。

 

「さて、それでは今夜も散歩と行こうかね」

「……今日も?」

「君に必要な技術があるとすれば適度に力を抜く事だろう。あまり力みすぎない方が良い。美味しいパンケーキの店があってね」

 

 男は微笑み、ヒナへと手を差し伸べる。それを嫌がるわけでもなく、彼女は興味深そうにまじまじと見つめる。

 

「今宵も一曲いかがかな? ナイチンゲール」

「……ええ。ご一緒するわ」

 

 躊躇する事もなくヒナが手を取ると、男のスーツが翼の様に翻り広がる。そして二人を包んだかと思えば、一羽の蝙蝠へと姿を変えていた。

 蝙蝠は羽ばたきながら窓の外、夜の闇へと消えていく。ヒナが最近になって甘味を好む様になった理由とはこういったものである。

 男は一体何者なのか。それはヒナ自身も詳しくは知らない。

 

「不思議な人ね、貴方は」

「ただの隠居老人だよ。若人の世話をするのが嫌いではない……ね」

 

 ただ一つわかっている事は、名前だけ。

 

「パンケーキにかけるソースの事でも考えていたまえ」

「考えておくわ。スレイヤー」

 

 蝙蝠が夜空を行く。

 キヴォトスに、異種の翼が舞う。




まぁ端的に言うとエデン条約編は人外魔境編です。せっかくなのでインフレマシマシ規模でかでかでやっていきたいと思います。
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