先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
具体的に言うとどんどん更新ペースを以前に戻せそうなくらいには!
カチカチと時計の針が鳴る音、空き教室は静寂に包まれている。
答案用紙を眺める飛鳥と、無言のラムレザル。二人の放つ空気は気まずく淀んでいる。
たとえるならばそう、尋問である。答案用紙の上から下までをじっと眺めていく飛鳥に対してラムレザルはずっと床に視線を落としたままピクリとも動こうとしない。わかる生徒にはわかる、ある種の防御姿勢である。
「ラムレザル」
「……」
「別に僕は怒っているわけではないんだ。君を完全無欠だと思っているつもりもない。ただ、疑問で仕方がないだけ」
そう言って飛鳥が彼女に見せた答案用紙には、61点という点数が記されている。
補習授業部解散の為に重要な第一回のテスト。合格の条件は全員の点数が基準点である60を越していれば良いというもの。ボーダーラインそのものはかなり緩い。だがラムレザルはかなりギリギリの点数だった。
「テストの合格ラインは100点満点中60点。だから、まさに及第点ではある。でもテストの内容そのものは君ならば100点は間違いないものだったはず……何か、テストに集中できない事でもあったのかな?」
「……それは、その」
ラムレザルは言い淀む。冷静に淡々と、それが彼女であるはずなのだが、今は少しばかり様子がおかしい。飛鳥は口元に手をやりながらその理由を探ろうと考えた。
解答用紙に書き込まれた答えはどれも精彩を欠いていた。減点対象であったり、そもそも書く場所がズレていたりと、とてもではないがラムレザルが解いたものとは思えない。小テストで満点を取っていたからこその根拠である。
「もしかして、補習授業部内で人間関係のトラブルでもあったのかい? もしそうなら相談に乗ろう。元はと言えば君をあそこに誘ったのは僕だから」
「違う。人間関係が原因じゃない。もっと別のところ」
「別……? じゃあ一体それは」
「……目?」
「目?」
飛鳥はラムレザルが放った不可解な単語に首を傾げた。何かの暗号なのだろうか、それとも周りと少し違っている事から視線を受けているという意味なのか?
「飛鳥先生の片目がどうして覆われているのか、その事が気になっていた。そうしたら手が止まっちゃって」
「僕の片目?」
これはまた思いがけない答えだった。はて、と飛鳥は自分の右目を撫でる。
若返りの際に精神だけでなく肉体にもちょっとしたダメージが発生する。その際に起きてしまった『跡』が少し残っているので、それを隠す為のものである。幸い視力には問題はない。
「これかい? これは……色々あって着けているものなんだ。眼帯みたいなものだと思ってほしい。でも、どうしてそれでテストに影響が?」
「……」
また、ラムレザルは沈黙する。どうやら相当根が深い問題らしい。どう心を開いたものか、飛鳥が再び思案していると、
「……子供」
「え?」
「先生が眼帯を着けているのは、その眼帯から子供が生まれたからなんじゃないかとハナコ達と話していた」
「―――え?」
不可解。極めて不可解。疑問が増殖する。一体全体何を指して何の事を言っているのか飛鳥には少しわからなかった。
目?目から子供?何故子供?そもそも誰と誰の子供?自分?
ラムレザルの様な頭脳明晰極まる存在から放たれた奇想天外な問いかけに飛鳥は思わず思考回路をショートさせかけ、驚きの表情を浮かべながら硬直した。
「ええと、順を追って聞かせてもらうよ。何がどうしてそうなったのかな」
「皆で勉強会を開いて……」
ラムレザルの話した内容を、飛鳥は途中から聞き流しかけながら努力して答えた。
まず、目から子供が産まれると彼女に教えたシン=キスク。これは少々ややこしい話題である。事情は知っているが、説明すると長くなるので割愛する。
次に、飛鳥が作り出した飛鳥―――ソル達は『♯』と呼んでいる―――は子供ではない。飛鳥がラムレザルやエルフェルトを模倣して作り出した人工生命体である。子供ではない。子供ではない。大事な事なので二度強調した。
そして子供の作り方、そう子供の作り方は……目玉からではない。
「わかってもらえたかな……?」
「つまり、目玉から子供はできないの」
「シンはギアと人間の間から産まれた特異な存在だ。だから彼は目玉から産まれたのかもしれないけれど、皆がそうというわけじゃないんだ」
「……それも、違うという事なんだね」
「そう、違う。さて……思っていたよりも斜め上だったけれど、これで次のテストは問題なさそうかな」
思い切りため息をつきつつ、飛鳥は苦笑いで問いかける。ラムレザルは納得した様子でコクリと頷いて、
「うん。ハナコ達にしっかり伝えておく」
「浦和さんの発言は、本当に真に受けないでくれると助かる……」
〇
「という事があったんだけど、どう思うかな下江さん」
「なんで私に聞くわけ! そんなのあのヘンタイに言ってよね!?」
コハルの反応は、黒崎コユキを反転させたものに近い。彼女は喜びという感情をオーバーフローさせているが、コハルは感情そのものを一気に倍増させて爆発させる。さながらスピーカーだ。
テストを終え、飛鳥はラムレザルを一番手に個人面談を行った。点数の発表は一通り終えて、各生徒達にどの部分が大変だったか、どういった部分を重点的に勉強するべきかを相談しようと考えていたのだ。
しかしラムレザルから既にかなりの疲労を感じている。果たして残りの四人を耐えきれるのか、不安で仕方ないので二番手にコハルを置いた次第である。
飛鳥は爆発する様に叫ぶコハルを手で制しながら、ゆっくりと答案用紙を机に置いた。11点、悲惨である。それを視界に入れるなり彼女は途端に元気をなくし、もじもじとし始めた。
「……下江さん」
「違うから。ちょっと、難しかっただけで」
「このテストは一年生である君にも答えられる範囲で出題している。つまり、純粋に君の勉強不足だ」
「あう……」
コハルは真正面からハッキリと物を言うと目に見えて落ち込んだ。怒るのではなくむしろヘコんでしまうあたり、自覚はあるのだろう。言うならば感情的になるのは彼女が如何に自分という者に自信がないかをアリアリと見せつけている。
「君は言ったね。自分はエリートだと。二年生用のテストを受けたから凄惨な成績になったのだと。それはハッキリ言って身の丈に合っていなかったと思う」
「うう……」
「僕はそれを咎めているわけじゃない。誰しも背伸びをしたいと思う事はある。下江さんの場合は今回がそうだったというだけで」
飛鳥は新たに一枚のファイルを机に置いた。ぎっしりと何枚もの用紙が挟み込まれ、ちょっとした辞典と化しているそれを、コハルは何事かと凝視する。
「えっ、何これ、急に何?」
「僕は君を否定しない。けれど肯定もできない。でも、君を手伝いたい。これは僕の方で編集した勉強法ファイルだよ。勉学のイロハというものについて、そして簡単な問題から難しい問題まで網羅している。すべて解き終えた頃には、下江さんは立派に成長していると思う」
「えっ、えっ、えっ」
「ちなみに僕はこれを師にあやかって『始まりの書』と呼んでいる。さぁ、面談の時間はまだ残っているから数ページだけやってみようか」
「ちょ、ちょっと待って、話が飛びすぎて何が何だか……!」
ギチギチ、ギチギチ、ガチャンと音を立ててファイルが開かれる。天才として生まれ止まる事なく今日まで駆け抜けて続けている頭脳が生み出した知識の結晶が、コハルへと襲い掛かろうとしていた。
〇
「あの、コハルちゃんが凄い顔で戻ってきたんですが何かあったんですか? というかあの鈍器みたいなファイルは一体」
「僕の方から特製の品を与えておいた。皆にも役立つものだと思うから、後で共有してほしい。さて……阿慈谷さん、君の点数は合格ラインに達しているね」
次に呼んだのはヒフミである。トリニティの生徒にして、飛鳥とはアビドス高等学校の一件で知り合っている平凡な様で、やはりキヴォトスの人間な少女だ。
敬愛するモモフレンズ―――奇怪なキャラクター群である―――のゲリラライブを見るべくテストを放棄するという、少々信じられない動機で成績を落としてしまった彼女だが、補習授業部においては部長の様な立ち位置で他の部員達をサポートしている。しっかり者な彼女らしく、成績も悪くはなかった。
問題は彼女とラムレザル以外の生徒達である。単なる成績不審者達に紛れて、事情を抱えた者も見受けられる。個性豊かと言えば聞こえはよいが、成績無法地帯とでも称するべきか。
「あの、飛鳥先生……今回不合格という事は」
「面談が終わり次第、桐藤さんに報告する。そうなると、早ければ明後日には出発になるかな」
「はぁ~……やっぱり、そうですよね。これから一体どうなるのか、私もう不安でいっぱいです。コハルちゃんはエリートと言ってましたけどあんな事になってるし、ハナコちゃんも……アズサちゃんも……ラムちゃんも『目……赤ちゃん』なんて上の空でしたし」
「そんなに……?」
「これから私達は、どうなってしまうんでしょうか! 最後まで合格できなかったらもう、大変なのに……」
誰かひとり成績が良いからと言って部から抜ける事はできない。あくまでも補習授業部の目的は生徒全員が好成績を修めるという点にあり、学力を一定基準まで押し上げていく他にない。
飛鳥はヒフミに頷きつつ、
「合宿が始まるまでに過去のテストを探せるだけ探してみようと思う。阿慈谷さんには申し訳ないのだけれど、部の皆を頑張ってまとめ上げて欲しい」
「は、はいぃ……頑張ります。特にラムレザルちゃんとアズサちゃんには、早く楽しく学校生活を送ってもらいたいので!」
〇
「先生。今回の成績は紙一重だった。コーホー……」
「32点は紙一重どころか袈裟に斬られて致命傷だと、前もって言っておくよ」
「……コーホー」
四人目、二年生のアズサは何を考えてかガスマスク姿でやってきた。恐らく表情を飛鳥に見せない為なのだろうが、マスクの下でどの様な顔をしているのかまでは想像がつかない。
答案用紙を眺めながら飛鳥はアズサに微笑みかける。
「白洲さんはすぐに学力が上がると思うよ。見たところ、まだ勉強法が身についていないだけだ。しっかりと習慣づけていけば自然と正答率も上昇していくはず」
「コーホー……それは本当?」
おもむろにアズサはマスクを外した。なるほど、顔を隠す理由は成績が低かった事への後ろめたさが混じっていた様だ。一対一の面談となれば彼女もそういった気持ちに駆られるのだろう。良い点を示された事ですぐに前向きな姿勢へ移ってくれて大変ありがたい。
飛鳥は答案用紙を戻しつつ、また頷いた。
「うん。何より、白洲さんが勉強に真面目なのはわかっている。きっと皆気付いているよ」
「ありがとう。先生にそう言われたからには、次回のテストでは良い点が取れる様に頑張りたい」
素直な少女だ。感情を発露させる事は少ないが、それでも確かな意思が込められた目でいつも見据えてくる。やはりその姿にはラムレザルがよく重なる。
「白洲さん、ラムレザルについてなんだけど……彼女は君と同じ転校生だ。良ければ仲良くしてほしい」
「? この部活は基本的に成績を上げてテストに合格する事を目的にしているのだから、仲良くする必要はあるの?」
「えっ」
そのフラットな人格は、少し前のラムレザルによく似てもいた。
「ところで先生。ラムレザルから先生は片目がないから子供を産んでいるという話を聞いた。どうやって子供を産むのか具体的に教えて欲しい。ハナコが興味津々だったから、できればすぐに答えが欲しい」
「……」
〇
「という事があったので、浦和さんには厳重注意を今の内に言い渡しておくよ」
「そんなぁ。私はあくまでもラムちゃんとアズサちゃんの言葉を信じただけです……世界は広いのですから、何処かに目玉から産まれる人もいるに違いません。ある神話の神は目から産まれたと言いますし」
「少なくとも、神話とは関係がないと思うな……」
浦和ハナコ。トリニティの二年生。その言動は雲の如く、その言動は嵐の如く。トリニティ校内を水着で歩き回り拘束された問題児だ。
「さて、浦和さん。君の点数だけれど」
答案用紙には×ばかり。なんとその点数は2。たった2点である。
ハナコはにっこり笑顔を浮かべ、
「はい♪ 私、とても勉強ができないものでして、この様な点数を取ってしまいました……」
「自習中の君がどんな科目の質問でもスラスラと答えているのを見ているよ。そんな浦和さんがこの点数を取るとは思えない」
「……よくある事じゃありませんか。見た目よりも、予想よりも、思っていたよりも、なんて事。私もその内の一人というだけですよ、飛鳥先生? それよりも教えていただけませんか。飛鳥先生の子供……ではなくて、飛鳥先生にそっくりな人について」
「悪いけれど、今はそれよりも大切な話があるんだ。これを見て欲しい」
ハナコという人間を飛鳥は厄介だと思いつつ、同時にわかりやすいとさえ感じている。その理由は至極簡単で、彼女は自分が『勉強ができない人間』だとアピールしていると既に気付いているからだ。
飛鳥とハナコを挟むテーブルに、何枚かの答案用紙が置かれる。いずれも一〇〇点、そして記名欄には『浦和ハナコ』の名前があった。
「あら、これは」
「僕は補習授業部の顧問になるまでに、部員達の素性はあらかた調べておいた。無論君もだ。つまりこれは、僕にとって浦和さんの履歴書と言っても良い。二年生や三年生が学習する範囲のテストだけど、君がこれを解いたのは一年生の頃だと言うじゃないか」
これが多少なりとも相手の領域に入る不躾な行為である事は承知であるが、飛鳥はハナコという人間に今一度対話を図ってみたかった。もしも予想通りの人間だとすれば、彼女はすぐにテストへと向き直ってくれる事だろう。
ハナコの目が一度答案用紙に向けられ、すぐに飛鳥へと戻る。表情は笑みを浮かべたままだ。
「これは偶然ですよ飛鳥先生。こういう話をお聞きした事はありませんか? 一年生まではテストなんて簡単でも、級が上がった途端にわからなくなってしまう。それと同じです。頭が良く見えただけで、私は先生が思っているよりもずっと、おバカな子なんですよ?」
「……」
間違いない。彼女は優れた頭脳を有している。ミレニアム所属、特異現象捜査部の明星ヒマリに限りなく近い存在、それがハナコだ。
では何故そんなハナコがテストで低い点を取るのか、そもそも補修授業にいるのか?
飛鳥は机に肘をつき、ハナコを正面から見据える。
「―――少し僕の話をしよう。あれは僕が大学に入る少し前、ある人に師事していた時の事だよ。僕はいわゆる『天才』という奴で、学問において僕は誰かに負けるなんて一度もなかった。隣にいる誰かが血眼になって解く問題の答えなんて最初から知っていたくらいにね」
「……」
「だから僕にはわかるんだ。君が今回のテストをわざと間違えている事くらい。壊滅的な間違い方というものはね、2点なんてラッキーパンチは起こさないものだよ。その点、君はわざと間違える事にはまだ慣れていないらしい」
「どういう事でしょう、まるで私が」
「君を咎めているんじゃない。むしろ興味深いとさえ思っている。何故、一年前はトリニティでも有数の頭脳を持ち『才女』とまで呼ばれていた君が、ある日を境に周囲を嘲る様に奇妙な行動へと突き動かされたのか」
ハナコの表情に初めて変化が訪れる。明らかな不快。内に入り込んでくる部外者への敵意を感じる。
「もう一度お聞きします、どういう事でしょう」
「簡単な話だよ。僕もそうなんだけど、考えが働きすぎると人間は突発的にも程がある動きを始める。あの方法なら痩せられるらしい、あの方法なら相手に好きになってもらえるらしい、と。僕にはあまり関係のない話だったけど……とても頭の良い人間が、唐突に奇行に走る理由を導き出す例としては良いものだ」
間違いなく筆ならぬ口が乗っている。ハナコという人間を分析し始めている。良くない事だと思いつつ、飛鳥は止められない。それがこのままハナコにテストをボイコットさせるよりマシだという結論を出している以上は。
「長々と話して申し訳ない。つまり……僕はこう言いたいんだ。そうまでして、何故皆を幻滅させたがるのかとね」
明確にハナコが敵意を見せる。久方ぶりに見た、知恵を持つ者の敵意だ。
それは空崎ヒナでも、美甘ネルでも、狐坂ワカモでもない……第三連王ダレルのソレに近い。
つまりは、言葉で人を破滅させられる者の持つモノだ。
「幻滅、ですか」
「そう。君の取っている行為はそれそのものだよ。『自分はそうじゃない』、『自分は違うんだ』。そんなメッセージを込めている。何が君を駆り立てたのかな。周囲の期待への跳ね返り? それとも……『百合園セイア』が体調を崩した事と何か関係が?」
そこで、初めてハナコは飛鳥を『視た』。敵として。今すぐにでも目の前から消すべき相手として。
当然である。恐らく飛鳥はタブー中のタブーに踏み込んだ。
「先生、そこからは」
「僕だって続けたくない。人の心がわからないと揶揄された事はあるけれど、自分が人を傷つけているという自覚はある方なんだ。ただ先生という立場から君を諭している。今のままで、良いのかと」
「それはどういう」
「多分、君は気付いていないんだろうね。補習授業部の本当の目的を―――耳を貸して欲しい。恐らくこの学園で密談を行える人間など君くらいだろうから」
〇
「それじゃあ面談は終わったね。今回のテスト結果を改めて、皆に教えておく。
・阿慈谷ヒフミ 62点
・白洲アズサ 32点
・下江コハル 11点
・浦和ハナコ 2点
・ラムレザル・ヴァレンタイン 61点
第二回のテストで、皆が今回よりも良い結果になる様、僕も最大限助力していこうと思う。頑張ろう。それと第一回のテストが不合格となったので、一週間の勉強合宿を始める。一日程猶予があるだろうから各自準備を済ませておく様に」
飛鳥の説明を終えると、生徒達は各々帰る準備を始める。
ヒフミは青ざめた顔でカバンを背負い、しかし何か思いついた様子で顔を明るくすると足早に教室を出ていった。
アズサは真顔のまま、ライフルを肩から下げたまま無言で出ていく。
コハルは『始まりの書(勉強用)』をどうやってカバンに入れたものか、涙目になって考え込んでいる。
ハナコの姿は既にない。
そしてラムレザルは、おもむろにコハルの元へと歩み寄ると『始まりの書』をカバンへ入れる手伝いをし始めていた。
〇
「そうですか。第一回のテストは不合格、と。では以前お話しした通り、勉強合宿に移っていただきます。場所は校舎から離れた場所にありますので、ご安心を。島流しではありませんので」
「場所を用意してもらってとても嬉しい。きっと第二回は無事合格できると思うよ」
陽が沈み、生徒達の姿も消えたトリニティ校内。
飛鳥はティーパーティーのホストであるナギサの元へ足を運び、補習授業部の経過を報告していた。
ティーカップを傾け、紅茶で唇を湿らせるとナギサは微笑む。淑やかであるが芯のある、トリニティを統べるに相応しい堅実さを持っている。
「……それではもう一つの報告をお聞きしても?」
「同じ内容になると思うけれど、あの中に『裏切り者』はいないよ」
ところが、問いかけに飛鳥がそう答えると、ナギサの目は途端に細く研ぎ澄まされる。彼女もまた、ハナコに近いモノを持っているのだ。
「先生はトリニティの情報網を甘く見ていられる様ですね? 『裏切り者』は絶対にあの中にいます。エデン条約調印を阻む存在は、彼女達四人の内の誰かなのです。私は先生に依頼をした際に、こう言いましたね。我らが花園の調和と秩序を乱す裏切り者を見つけて欲しいと。そして貴方はそれに承諾した。だというのに何故、その様な返答をするのでしょうか」
「断言しよう。あそこにはそんな生徒はいない。皆個性的なだけだよ」
「では何故ラムレザル・ヴァレンタインを『密偵』として送り込もうなどと提案したのですか。『彼女は僕の代わりに目と耳になって裏切り者を見つけ出す』と言うから、私は権限を行使して彼女をトリニティに受け入れたのですよ」
「心配しなくていい。彼女は今後、絶対に有用な存在となる。この件については僕に任せると既に君は承諾している。それとも反故にするかい」
端的に言うならば、飛鳥という男にトリニティは性に合っていた。
ナギサは飛鳥に『裏切り者』なる存在を探せと言った。要するにホストである彼女では動けない案件を外部に委託して、責任を半ば押し付けているのだ。何かあっても知らぬ存ぜぬの一点張りをしようというわけである。
当然と言えば当然である。外面からは窺い知れないが、トリニティはあくなき政治闘争が続けられている。ゲヘナが暴力を至上とする混沌であるとすれば、トリニティは銃よりもペンを取る花園なのだ。
だからこそ嫌いではない。暴力ではなく約束事と陰謀が取り巻く場所は、かつていた軍部にとても近い。弁舌を唸らせるに適していた。
「勘違いしないで欲しい。裏切り者は部内にはいないけれど、誰かまでは把握している」
「!? それは……」
「よく考えてみるんだ。君の言う裏切り者がどれだけ無茶をしているのか。補習授業部の生徒達では到底行えない事ばかり……敵はもっと上にいる。すべてを裏から操れる上層に」
ガチャリ。力強くティーカップが皿に置かれる音だった。砕けかねない勢いであったが、ナギサはギリギリで堪えたのだろう。
「お引き取りください。合宿場所については明日改めてご連絡しますので」
「ありがとう、桐藤さん。美味しいお茶をどうもありがとう」
座っていた椅子から立ち上がり、背を向けて飛鳥は立ち去る。コツコツと靴音を鳴らしながら扉へと歩いていき、
「ああ、それと……僕も裏切り者ではないとだけ伝えておくよ。僕は少し数字に詳しいだけの、ただの男」
ナギサからの返答はなかった。ただただ昏い闇の如き粘り気のある敵意だけが向けられるのみである。
それを恐ろしいと感じるわけでもなく、無言で飛鳥はその場を後にする。
〇
一人残されたナギサはティーカップへと注がれた紅茶に反射する自分の険しい顔を、ギロリと睨みつける。
昔はもう少し穏やかだったはずだ。この紅茶にしても、『彼女』と共に楽しんでいたはずだ。
今は何もかも崩れ落ちている。一体、何故……!
感情がかき乱される。それもこれも、生徒の為と謳いながら不可解な動きを繰り返すあの大人のせいだ。
「聞いていた通りですね―――『あの男』」
「そうだよ。飛鳥君は昔、そう呼ばれてた。名前のない存在、誰もその正体を知らない。わかりきっているのは……戦争を起こした大罪人であるという事」
いつの間にかナギサの向かい側、つい先程まで飛鳥が腰かけていた椅子に彼はいた。紅茶を口に運び、「苦い苦い」と呟いて。
「前も話したでしょ? 飛鳥君がこれまで何をしてきたのか。友人を裏切り、世界を陥れ……そして今も、君と君の大切な人達を危険に晒している」
「……私はまだ、貴方を信じ切っているわけではありません」
「別に信じてもらいたいとは思ってないさ。でもさ、知りたいんでしょ? 飛鳥=R=クロイツとは何者なのかを」
彼の手には最初からそこにあったかの様に乳酸菌飲料が注がれたグラス。手品か、それとも……。
ナギサは決して注意を逸らさない。決して信用しない。策謀が交錯するトリニティの長として、決して個人の思惑に飲み込まれたりなどはしない。
その、はずなのだ。
「僕という人間は信じなくていい。でも、僕の情報は信じるべきだ。だって僕は嘘はつかないから。そう……事実だけを、僕は君に教える。僕は、楽しい楽しい歴史の教科書なのさ」
ハッピーケイオスは、ナギサを嘲笑う様にニヤリと笑った。
さぁボルテージが上がってまいりました。だいぶ役者が出揃ってきております。
これまで断片的だったケイオスの出番が本格的に増えております。もう私自身、これ完走出来たら自分をほめほめのほめにするわよってくらい膨らんできております。
なんとですね、これから先更にギルティギアからのキャラクターがあと二人追加されます。もれなく人外です。というより人の理を超えちゃってる系です。
そしてエデン条約編のテーマは『飛鳥=R=クロイツとは何者なのか』です。一章でノノミと交わした会話はまだ解決していません。うやむやになってしまっている事を、今回の章で解かしていきたいと思います。
次回『ekskurso-エンソク』!