先生は世界平和を実験している   作:飛鳥=R♯

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bono-ゼンリョウ

「さぁ皆さん、張り切って勉強しますよ! 目指せ二回目のテストで合格です!」

 

 張り切った様子でヒフミが号令を取り、合宿が始まった。初日の大掃除はプールを完璧に洗い終えて無事に終了し、遂に二日目から勉強を始めるわけである。期間は一週間、それまでに学力を伸ばして二度目の全体テストに挑むのだ。

 活動を先導するヒフミは昨日の海のくだりが相当モチベーションに繋がったのか、随分とテンションが高くなっている。その証拠は目立つところである教壇に置かれた何体かのぬいぐるみからも明らかだった。

 

「ペロロ様も見ています! きっと点数も上がります!」

 

 モモフレンズなるマスコットキャラクター郡の一体、ペロロと呼ばれる鳥は教壇の上からラムレザルにじっと視線を送ってくる。と言っても両目とも焦点が合っておらず、挙句クチバシから舌が溢れている様は控えめに言って不気味だ。

 テストで高得点を取れれば、ヒフミが所有するペロロコレクションを譲ってもらえるそうなのだが……ハナコとコハルの二人は別段興味を持っている様子はない。というより明らかに嫌がっている。ラムレザル自身も評価に困っているのが現状だった。

 

(……一人を除いて)

 

 ところが、ラムレザルの隣で熱心にテキストを読み込んでいるアズサは違う。彼女だけはモモフレンズに食いつき、テストの結果次第で手に入るという話題に凄まじいレベルのモチベーションを湧き上がらせていた。

 それがラムレザルには、少し意外だった。というのも今のところ彼女の中ではアズサは少しばかり無機質で、多くの事柄にフラットなだけという印象があったからだ。

 

(でもそうじゃない。アズサは、『違う』)

 

 プール掃除の件からも、ラムレザルはアズサに強い関心を寄せていた。冷静沈着な性格であるならば校舎内の掃除はまだしも、合宿ではまず利用されないであろう施設の清掃など拒否するはずだ。

 だがそうではなかった。だから、きっとアズサと話していた時最初に感じた印象はまったくの勘違いなのだろう。

 

「……ん? あ、皆、良いかな」

 

 教壇の上のペロロが声を発した、様に見えてぬいぐるみに隠れてしまっているだけの飛鳥が声をあげた。ひょっこりとペロロの頭上から顔を覗かせ、

 

「今連絡が入って、客がここに来るらしい。僕が対応するから、皆はここで自習を続けて欲しい。気を緩めない様にね。特に浦和さんは、おかしな話題を出して下江さんを困らせないで」

「名指しだなんて……そんなに私の事が気になるんですか先生っ」

「うん。問題を起こさないで欲しいという意味で……」

 

 ハナコとちょっとした漫才じみた会話をした後に、飛鳥はそそくさと教室を出ていく。それをしっかりと見送ってからラムレザルは椅子に座ったままで体の向きを真横のアズサへと向け、相手も同じ様な姿勢を取っている事に気付き目を丸くした。

 

「ラムレザル、聞きたい事がある」

「ちょうどよかった。私も聞きたい事がある」

 

 思わぬ展開であったが、会話がスムーズに行えるのならばありがたい話である。しかし、アズサの方から話しかけてくるというのは意外だ。

 アズサはちらりと仲間達の様子を窺うと、廊下の外に出ようと視線で促す。彼女としてはあまり聞かれたくない会話らしい。その意を汲んで頷き返し、ラムレザルは一緒にテクテクと廊下へと出ていった。

 

「ちょっとトイレに行ってくる」

「私も」

 

 少しばかり白々しいと感じたものの、一応ヒフミ達に声をかけておく。

 そうして教室の前に立ち二人は見合う。そうすると、思いのほか言葉に詰まってしまいさっきまでの勢いはどこかに消えてしまっていた。

 恐る恐るアズサは視線を左右に動かし、

 

「……どっちから話をすればいいのか」

「最初に話しかけたのは貴女だから、私は後からでもいいよ」

「なら……『vanitas vanitatum, et omnia vanitas』、この言葉に聞き覚えは?」

 

 その問いかけはまるで何かを確かめるかの様だった。

 内容に関して言えば、知っている。

 

「『全ては虚しい。どこまで行こうとも全ては虚しいものだ』……だったと思う」

 

 遥か昔からある言葉だとラムレザルは記憶している。神という存在を崇め、畏れた人々が記した書物の一文だった。

 アズサの表情が僅かに曇る。あまり良くない答えだったらしい。

 

「ラムレザルはその言葉をどう思う?」

 

 まるで尋問じみた会話だが、アズサの表情は真剣そのものだった。ラムレザルも質問の内容を問うのではなく、しっかりと答えなければならないのだと姿勢を正してしまう。

 

「昔の私だったらきっとその通りだと思っていた。物事に価値なんてない、全ては虚しいと。でも今は違うよ。今は……全てのものに価値があると断言できる」

 

 以前の自分ならば、きっとその言葉を飲み込んでいただろう。全ての生命に価値があるという話などまるで興味を示さなかった。

 だが出会いを経て、それは誤りだと気付いた。誰もが価値を持ち、そして誰もが違っているのだと気付けた。

 

「……なるほど。ありがとう、ラムレザル」

 

 アズサは一転して、口元を綻ばせていた。話の流れはまるで読めないのだが、しかし彼女が見せた安心の色が新鮮で、ラムレザルは目を丸くしていた。

 綺麗な笑顔だ。まだ自分にはできない、可憐で、花の様な笑みである。

 

「それじゃあ、今度はラムレザルの番。私に話したい事って?」

「どうして貴女は、プールを掃除しようと思ったの。あれは結果的に見れば不必要な事だった。やらなくても良い事だった」

 

 問いかけに今度はアズサが目を丸くした後に、

 

「確かに不要なものだった。でも、あのプールを放っておく理由にはならなかった。ラムレザルがさっき言った事と同じ……どんなものにも価値があると、私は信じてる」

 

 意外でもあり、そしてやっぱりと思わせる答えだった。

 ラムレザルは初めてアズサを見た時、かつての自分を重ねていた。どんなものにも価値などないと信じていた自分を。

 だが実際は異なっている。アズサは、思っているよりもずっと感情が豊かだ。

 

「よかった。その答えを聞けて、私はとても嬉しい」

「私も……嬉しい」

 

 不思議と二人の間には、たった一度の会話でおかしな親近感が生まれていた。互いに質問を投げ合っただけだというのに、その答えは期待していた通りのものだったのだ。

 二人はこう感じたのである。『自分達は似ている』、と。

 要領を得ないわずかな時間であったが、十分に有意義であった。満足した様子で教室に戻るべく扉に振り返る。と、そこにはヒフミ達三人が顔を覗かせている。

 

「あらあら……お二人で何やら話していると思ったら随分仲が良さそうですねぇ」

「ふんだ……点数下がっても知らないんだから!」

「ラムちゃんもアズサちゃんも、いつの間にかこんなに仲良くなってるんですね!? 私とっても嬉しいです!」

 

 あからさまだとはわかっていたが、どうやら話は盗み聞きされていたらしい。それに気付くや否やラムレザルとアズサは顔を見合わせ、

 

「ᓀ‸ᓂ」(アズサ)

「ᓀ‸ᓂ」(ラムレザル)

 

 頬を膨らませているような、そうでないような不思議な表情を浮かべるのだった。

 

 

 多分、ハナコあたりが既に騒いでいるだろう。一応の協力関係を築いているはずだが彼女の事だ、間違いなく飛鳥の言いつけは守らない。

 仕方あるまいとかぶりを振りながら、校舎から離れて向かう先はつい昨日掃除されたばかりのプールだ。

 誰もいない場所で話がしたい。来客が提示した理由はそれだけである。その要求を飲み、わざわざ足を運ぶだけの相手なのだ。

 

「……良いのかい、君の様な人物が護衛も引き連れずに来るだなんて。もしもバレたら怒られてしまうんじゃないかな」

 

 階段を上り、プールサイドへと出ると一人の少女が水の張られたプールをじっと見つめていた。声をかけると振り返り、淑やかにはにかむ。

 

「別にティーパーティーのメンバーだからってそこまで厳しくはないよ? むしろ何しても怒られないし」

 

 少女の名前は聖園ミカという。ナギサと同じくティーパーティーを構成する生徒であり、言うならばトリニティの代表でもある。少なくとも落ちこぼれ達しかいないこの別館にまで足を運ぶ人物ではない、まさに重要人物だ。そんな彼女がこの場にいるという事は、つまるところお忍びである。

 

「それにしても綺麗になったねーこのプール。前は誰も使ってなくてホントに汚かったのに。皆で掃除したの?」

「昨日は大掃除をしていたからね。この部分は特に念入りだったよ」

「え~、じゃあなに、皆で泳いだりしたの? 先生も?」

「僕は運動が苦手だからね、こんな風にプールサイドから皆を見ていた」

 

 ミカという少女は、あまりトリニティを統べる組織の構成員には見えない。お姫様の様にふんわりとしたたたずまいも、丸い目も、腹芸や謀りには縁遠く感じられる。今こうして会話をしながらも改めてそんな感想を抱いてしまう。

 会うのはこれで二度目だ。最初に顔を会わせたのはナギサに召集され、補習授業部を監督する様に命じられた時になる。その際にも彼女は今と同じ様に明るい声色で話していた。

 

「あはっ、そうなんだ。見たかったなぁ先生の水着」

「前置きはもう良いだろう。わざわざ一人でやってきたのなら、あまり聞かれたくない話をしにきたんだ。君も桐藤さんに睨まれたくはないはず」

「……ぶぅ。まぁいっか、先生の方が正しいし」

 

 ミカは笑顔のままで、

 

「先生さ。ナギちゃんに言われたでしょ、裏切り者を探せって」

 

 まるで今週の予定を確かめるかの様な、そんな声色だった。

 飛鳥は投げかけられた言葉に対しゆっくりと首肯し、

 

「言われたよ。見つからなければ全員退学、ともね」

「うはぁ。ナギちゃんそこまでするんだ……怖い怖い」

 

 ミカの視線がプールに落ちる。目を合わせまいとしてるのだと気付いていたが、飛鳥は敢えて真似をした。

 

「先生さ、裏切り者は見つかった?」

「……あそこにはいないと思う。良い子達ばかりだからね。それに、僕は先生だ。探偵じゃない。正直な気持ちを言うと今一番不安なのは無事にテストに合格できるかという部分だよ」

「気にならないの?」

「疑って、それですべては解決しない。何より生徒を疑うだなんて、先生として失格だ。だから僕は桐藤さんからの依頼を、ほぼ無視してる」

「えっ、じゃあさじゃあさ、私もそこに入ってるの?」

「もちろん。僕は君も善良で、清廉な人間だと思っているよ」

「うっわぁ、先生すっご。ズバッと言っちゃったよ」

 

 ミカは呆れた様子でクスクスと笑う。感情豊かな少女だ。それでも、先程と少し空気が変わっている程度は感じ取れる。

 

「裏切り者ね、アズサちゃんだよ」

 

 あっさりと彼女はそう言ってのけた。飛鳥は僅かに視線を動かし、横顔を見つめる。

 

「あっ、ごめんっ、ちょっと言い方が直球過ぎた。今のナシ、順を追って説明するから。アズサちゃんはね……アリウスっていうトリニティの分派の子なんだ」

 

 曰く、かつてトリニティには多くの派閥が存在していた。今のトリニティはそれらが手を取り合って生まれ、一応のまとまりを得たのだと。

 アリウスとは派閥が連合を組む事となった際に反抗し、そして争いの果てに追放された分派なのだという。今も人知れず活動を続け、トリニティへと強い恨みを抱いていると。

 そしてアズサは、そのアリウスからミカの手で編入してきた。和平の橋渡しとなる様に。

 

「私はさ、アリウスと仲直りがしたいんだよね。昔みたいに皆一緒に……って考えるの、非現実的かな?」

「僕はトリニティのすべてを知っているわけじゃない。でも、その願い自体は誤りではないんじゃないかな」

「そっか、ありがと先生……それじゃ、次はナギちゃんについて話しておこうかな」

 

 ミカは飛鳥が少し淡白な反応を取った事に戸惑いこそすれど、更なる話題を投入する。

 

「今のナギちゃん、ちょっと変なんだ。セイアちゃんがいなくなってから、特に」

「百合園セイアさんは体調不良だと聞いているよ。ティーパーティーに所属しているそうだけど、聖園さんは何か知っているのかな」

「……飛鳥先生なら、話しても良いかな」

 

 初めてそこでミカは言い淀む。話して良いものかという躊躇が見て取れた。

 飛鳥は穏やかな表情を浮かべたままで、

 

「どんな内容かは理解できるよ。百合園さんは、もういないんだろう」

「……わお。なんで知ってるの」

「去年突然入院した、その先の話はいくら調べても出てこなかった。先生として学校の事は詳しく知っておきたかったから、隅々まで調査していた。不自然さに気付くのはそう難しくなかったよ」

 

 百合園セイア。

 飛鳥はまだ会った事がない。写真の一枚か二枚は見つかるかと思ったが、あまり人間関係は豊かではなかったらしく、人柄に関しても伝聞で知る事が殆どだった。

 浦和ハナコを除いて。

 

「流石だなぁ先生。うん、そうだよ、セイアちゃんはもういない。誰かに『ヘイローを壊された』……そこからだよ、ナギちゃんがおかしくなったの」

 

 ヘイローを壊される。それが、死と同義である事は直感的に理解できる。

 そこで、ミカはおもむろにプールサイドにしゃがみこむと、履いていた靴を放り投げて水面につま先を入れた。

 

「誰がやったのか、まだわかってない。でもあそこからナギちゃんはトリニティに裏切り者がいると言い出した」

「そうして集められたのが、補習授業部だと」

 

 パシャパシャとつま先で水を蹴る音が続く。ミカの表情はいつの間にか、暗いものへと変わっていた。

 

「皆、ナギちゃんがそうに違いないと思い込んだ子達。

 ヒフミちゃんは犯罪組織に繋がりがあるとか噂が出てきた。

 ハナコちゃんは成績優秀だったのに、急におバカさんになっちゃった。

 コハルちゃんは正義実現委員会の中にも裏切り者がいるんじゃないかと疑って選ばれた可哀そうな人質。

 そしてアズサちゃん。まだバレてはいないけど、どうにも素行が怪しい子」

 

 パシャ、と水音が止まる。ミカが振り返り、困った様に眉をひそめる。

 

「私あんまり頭良くないからさ、こうして先生に話すしかないんだよね。私の知ってる事、わかってる事を全部教えてあげるくらい」

「わざわざ自分も疑われるかもしれないのにここにいるんだ。ありがとう聖園さん。やっぱり君は善良な人間だ」

「良してってば、なんかくすぐったいそれ……」

 

 ため息を一つついて、ミカは水面から足をあげる。濡れた足でプールサイドに立ち、

 

「今の私にはナギちゃんが何を考えてるのか全然わからない。エデン条約締結の為に頑張ってるけど、今のナギちゃんがどんな事をしたいのかまったく想像できない。トリニティとゲヘナが仲良くなると言えば聞こえは良いけどさ、その主導権を握るのがナギちゃんなのは怖いよ」

「……」

「あ、あはは、ごめんね。私どうしたんだろ。こんなにおしゃべりしちゃって」

 

 頬を赤く染めながら、ミカは飛鳥に背を向ける。小さな背中だ。この身一つに背負うには今のトリニティに秘められた策謀はあまりにも大きすぎる。

 

「僕の仕事は補習授業部が無事テストを合格できる様に監督する事。そして、生徒の頼みを聞く事だ。だから聖園さんの味方でもあるよ。もしも、話したい事があれば聞くよ。今日の様に場所も設ける」

「ちょ、ちょっと安請け合いし過ぎだよ先生。今だって私が一方的に話したわけだし」

「……人を頼るとは、そういうものだよ。僕は、先生はそんな風に誰かから頼られるのなら本望だ」

 

 心からの言葉だった。これにミカは無言を貫き、数秒経ってからクスクスと笑いだす。

 

「なぁに、それ。ホントに先生ってば面白い。皆にも同じ事言ってるの?」

「それは、もちろん」

「うわぁ~。先生ってば、悪い人だ」

「????」

「あははは、なんでもない。じゃあ私そろそろ帰るから……アズサちゃんを守ってあげてね!」

 

 困惑する飛鳥をよそに、心底楽し気な様子でミカは手を振りながらプールサイドを去っていく。その背中は心なしか、先程よりも大きく見えていた。

 ミカがいなくなってから、飛鳥はプールの水面に再び視線を落とす。彼女から与えられた情報を整理する為だ。

 

(やはり、百合園さんからすべてが始まっている。彼女が何者かに襲われ、そして身内から死者が出た事で桐藤さんは裏切り者を探す様になった。そしてそのタイミングで、聖園さんの手で入学してきた白洲さん……)

 

「うん、それでも……やっぱり」

 

 整理を終えても、結論は変わらない。飛鳥は理解している。すべての元凶である裏切り者とは何者なのかを。

 

「……貴方は、やはり知っているのですね」

「疑いようもなく、確定しているよ」

 

 傍らに立つレイヴンに、飛鳥は肯定する。

 白いプールサイドに立つ黒衣は、異質を通り越している。何にも染まらず、何も染めない。ただそこに『在る』。

 

「それで君はどうやってこの世界に」

「気付けばここにいました。あてもなく彷徨いながら、自分にできる事を探して今に至ります」

「君が言っていた『阿呆』とは聖園さんなのかい」

 

 フードの内側は窺い知れない。それでも明らかに自虐を込めたため息が聞こえた。

 

「ええ、阿呆も良いところです。夢見がちで、理想主義で、そして」

 

 言葉を切る。言い淀んでいるのではなく、何かを確かめる様に飛鳥へと視線を向けてくる。

 

「―――罪人ですから」

 

 言葉の意味を飛鳥は追及しない。ただレイヴンがハッキリと言い切った、その事実をゆっくりと飲み込む。

 その様子に彼は困惑し、そして目を細める。

 

「気付いているのでしょう。トリニティの裏切り者、それが聖園ミカである事に」

「ああ、気付いているとも。彼女以外に百合園セイアを襲撃できる人間はいない」

「何故そう思うのです? 桐藤ナギサの可能性も十二分にあるはず」

「……桐藤さんには百合園さんを襲う理由がない。襲ってもメリットがない。事実、襲撃事件の影響で桐藤さんが疑心暗鬼に駆られ、混乱した状態に陥ってしまっている」

「―――」

 

 淡々と、飛鳥はスレイヤーとハナコの時と同じくレイヴンに行う。聖園ミカが裏切り者である事を論ずる。

 

「たとえば桐藤さんがすべての元凶だと仮定しても辻褄が合わない。百合園さんを始末し、その後に裏切り者がいると仕立て上げるのはわかる。だがその為に補習授業部なんていうものを作り出すのは少し遠回しすぎる。何より、裏切り者をわざわざ四人に絞るのも変だ」

「桐藤ナギサは、疑心暗鬼に囚われているだけだと」

「そうなるとトリニティ内部を熟知していて、誰にも見つからずに百合園さんを襲えるのは聖園さんだけになる。消去法と言っても良い」

 

 レイヴンは飛鳥の言葉に、ただ目を細める。肯定もしない、否定もしない、この後に何が待ち受けているのか、それを考えている。

 

「では、では何故桐藤ナギサに打ち明けないのです。裏切り者は聖園ミカであると何故伝えないのです。それだけで補習授業部は無罪になる」

「今の彼女には聞き入れてもらえないよ。ただ疑り深いだけじゃない、少し妙なんだ」

 

 飛鳥はプールサイドにしゃがみこみ、水面に指をつけ、そして離す。途端に大きな波紋が浮かび上がった。

 

「補習授業部の存在を僕なりに考えていてね。何故、先生が必要なのかと。多分桐藤さんはエデン条約を締結する為に僕を見張っておきたいんだろう。不確定要素である僕を可能な限り自分の目が届く範囲にいさせたいんだ」

「……」

「でもそれは何故だろう。僕をそこまで疑う動機は、なんだろう」

 

 再び、波紋が浮かび上がる。今度は二本の指で二つの波紋が浮かぶ。

 

「ハッピーケイオスは姿を見せない。エデン条約というとびきりのイベントを前にして、だ。一体どこで何をしているのか」

「―――つまり貴方はこう言いたいのですね。桐藤ナギサの猜疑心を煽る何者かが背後にいる。そしてそれは、ケイオスだと」

「だから今の桐藤さんに真実は告げない。もしも本当にケイオスがバックにいるのだとしたら、彼は事態を混乱させようとしているんだ。聖園さんについてはまだ隠しておく。まずはどこかゆっくり話せるタイミングで彼女から、動機を聞かないと」

 

 飛鳥は立ち上がり、確かな意思を宿した目でレイヴンに振り返る。

 動機、その言葉に黒衣の中で動揺が湧き上がる。

 

「動機、ですか」

「何故百合園さんを襲ったのかを聞いていない。でないと、彼女を守れない」

「……守る? 裏切り者を、ですか」

「彼女は善良な人間だ。何より生徒だ。だから、守るよ」

「話に繋がりが見えません。その口ぶりではまるでミカが悪ではない、と断言しています。貴方はたとえ悪人でも生徒を守るのですか」

 

 そこで飛鳥は首を傾げた。心から不思議そうに、何故そんな事を言うのかと戸惑いながら。

 

「だって、君がそばにいるのならば彼女は善い人間だろう?」

「は―――?」

 

 レイヴンは面喰った。まるで予想していなかった答えだったに違いない。フードの奥で、呆然としているのがよく見える。

 飛鳥は困った顔で微笑み、

 

「レイヴン、君は善い人間だ。僕はそれを知っている。だから……そんな君が肩入れする聖園さんは決して悪い人間ではない。何か深い事情があるんだろうね」

「貴方は―――」

 

 何かを言おうとして黒衣が揺らぐ。呻き声の様な音が何度か漏れて、それからくつくつと笑い声が響いた。

 

「なるほど、なるほど。私は貴方を見誤っていた。貴方はそういう、お方でした」

「?」

 

 ミカもレイヴンも、言葉にせず勝手に納得していく。

 二度目になるこの流れには流石に不満を抱き、飛鳥は眉をひそめた。

 

「いえ、なんでもありません。やはり貴方は良き友人だ。安心しています……では、私はこれでお暇しましょう」

「それが良い。君達がどれほどの関係かは知らないけれど、親しいのは今の会話からも感じられた。聖園さんによろしくと伝えておいて欲しい」

「……それは、どこまでですか」

「僕は君の味方だ、と」

 

 レイヴンは答えなかった。というのも、いつの間にか水面に映る人影は飛鳥一人だけ。彼の姿はどこにもない。

 なんとも締まらないな、などと思いながら最後に残ってしまった飛鳥は別館へと戻るべくプールに踵を返す。今頃教室で皆真面目に勉強している事を祈りたいのだが。

 と、そこで携帯端末がぶるりと震える。何か補習授業部でも事件が起きたのかと取り出してみると、そこには羽川ハスミの名前があった。

 

「もしもし?」

『飛鳥先生、お忙しいところ失礼します』

 

 通話ボタンを押すと、何やら焦りを感じる声色が聞こえてくる。不穏な雰囲気であるが飛鳥は冷静な声色に努めた。

 

「どうかしたのかい」

「高度に政治的な問題が発生しています。今トリニティ学区内でゲヘナの生徒による破壊行動が確認されたのです」

「……トリニティがそれを鎮圧すれば外交問題になりかねない、と」

「その通りです。先生が補習授業部の監督をされている上で、どうにかお力を借りられないものかと」

「―――わかった。なんとかしてみよう」

 

 通話を閉じ、飛鳥はしばし思案した後に確信を持って頷いた。

 

「よし、ここは補習授業部のアピールポイントとしよう」

 

 

 飛鳥の足音が遠ざかっていくのを、ミカは階段の影から聞いていた。

 帰ったフリをして、彼女は飛鳥とレイヴンの会話を聞いていた。

 

「……」

「聞いていたのか?」

 

 レイヴンは闇の中から、じっと縮こまっているミカを見下ろし呟く。

 

「……飛鳥先生、私の味方になってくれるんだね」

「ああ。お前を善良な人間だと、信じている」

「そっかぁ。そっかぁ……」

 

 顔をくしゃくしゃにしてミカは笑う。嬉しいのか、悲しいのかわからない、そんな表情だ。

 

「でもねレイヴン、止まれないよ……ナギちゃんがおかしくなっているのなら、私がやらないといけないんだから」

「……その重荷を、彼に預けてみようとは思わないのか」

「思わないよぉ。だって……だって、全部私のせいなんだもん」

 

 少女の声が低く反響する。やがてその声色はすすり泣きに変わり、そして黒衣はゆっくりと彼女を包んでやるのだった。

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