先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
ある夜、黒舘ハルナはSNSで話題沸騰のカフェに赴いた。彼女が愛してやまない『美食』を求めて。
そして残念な事にカフェはハルナを満足させられなかった。完璧足り得ない美食は存在するべきではない、それを信条とするハルナは店を爆破しようと考えたのだが、偶然そこで立派な髭を蓄えたダンディな紳士とでくわし、ほんのわずかではあるが有意義な交流となった。
基本的に存在してはいけないと感じた店は跡形もなく吹き飛ばすものだが、紳士との出会いを提供してくれたという点でハルナは一度だけ見逃す事にした。そして……改めて今日になり爆破した次第である。
「私としてはポリシーを曲げる形になってしまいましたが、しかし正しい事であったと思います。貴女はどう思いますか? 謎のトリニティ生徒さん」
「さっきから貴女の言っている事が何もわからない。まず、美味しくないとか気に入らないという理由で店を爆破するものじゃない」
「ラ、ラムレザル、早くやっつけてよ!」
ビルの屋上までハルナを追い詰めたのはラムレザルだった。その傍らに無理やり連れてきたコハルを立たせ、彼女はトリニティ学区内で爆破テロを引き起こした犯人である『美食研究会』を飛鳥の指示の下で追跡、遂に逃げ場がなくなるまで至ったのだが、抵抗の代わりに繰り出されたのはよくわからない持論である。
第一印象としては爆破テロを起こす様な人物には見えない。上品で礼儀正しく、動作一つ一つが滑らかで高貴という言葉がよく似合う。まるでカイ=キスクだ。それでも口を開いて出てきたのは、理解しがたい主観的な思想である。
「……そうですね、万人に理解してもらえるとは私も考えてはいません。ですが主義主張とはそういうものではないでしょうか」
「破壊を伴わなければ、きっと同意する」
「果たしてそうでしょうか。主義主張を通すのに、破壊はつきものです。たとえばそう、そこにいる正義実現委員会の方」
「え、私!?」
ハルナはライフルを片手にコハルを指差す。矛先を変えた、というよりは引きずり込んだとでも言うべき話題の転換だ。
「貴女方、正義実現委員会の在り方と私の在り方は非常に近しいものです。秩序を乱す者を野放しにはできない、それが委員会の掲げる信念。それに対して私は、秩序を乱す飲食店を野放しにはできないのです。ただ存在するだけで害を与えかねない、その様なものを看過できるでしょうか」
「え、え……?」
「そう……我々の根底は同じなのです。悪を許せない、それは至ってプリミティブで否定しがたい衝動!」
「お、お店を爆発しなくたっていいじゃない! 何人に迷惑かけるつもりよ!」
「……そちらの委員長も、まあまあ破壊を起こしているのではなくて? これでわかるでしょう。主義主張と破壊はセットなのです」
「―――貴女の言いたい事はよくわかった」
ハルナがどんな人物かは大まかにではあるが理解できた。ラムレザルは言葉を遮り、しかと地面を踏みしめる。全身から放つ威圧に大気が揺らぐ。
「それなら私も理論に従って、破壊で主義主張を通す」
そこで、初めてラムレザルは武器を抜く。スカートに隠れる様にして装着していた両足の付け根に巻かれたガンベルトから、二丁の拳銃が牙を剥く。
一丁は白、一丁は黒、ツートンカラーの大型拳銃は本来ラムレザルが使用する大振りの大剣をイメージして彼女自身が選んだものである。極厚な銃口から放たれる50口径の弾丸は、触れるものを削り取り大穴を開けるだろう。
得物を構え、臨戦態勢を取るラムレザル。これに続いてコハルも自身のライフルを不慣れな動きでハルナへと突き付けた。
「……フッ。なんと良い眼差し。あの夜に見たおじ様を思い出します。ですがごめんなさい、迎えが来ましたので失礼いたします」
どちらかが動けば、銃声が鳴る。そんな状況下においてハルナが選んだのは逃走だった。それもラムレザルとコハルから背を向けて、屋上の端目掛けて全力で駆けていくという自殺行為に等しい形である。
「ッ!?」
「ごきげんよう! また会いましょう!」
思い切りの良い跳躍により、ハルナは地上へと飛び降りる。一瞬反応が遅れたラムレザルが追いかけ、下を覗き込んだ瞬間に暴風が襲い掛かった。視界が風に煽られて左右に揺れる。何事かと原因を探せば、それはすぐ頭上にあった。
ハルナが浮いている。否、浮遊するヘリコプターから下げられている縄梯子に掴まっている。彼女はサムズアップをすると、優雅に飛び去って行く。
「ヘリなんてどこから手に入れたのよ!?」
「さっきまでの会話は、時間稼ぎだった」
ラムレザルは唇をきゅっと一文字に結ぶ。答えが出ない不自然な問答であったが、その理由は接近するヘリを気付かせまいとするものだったのだ。まんまと乗せられてしまった事を口惜しく思いながら、すぐに思考を切り替えてコハルへと、
「コハル。爆弾か何か持っていたりすると嬉しい」
コハルは大きなカバンを背中に背負っている。弾薬やらなにやらを詰め込んでいる様で、それならば爆発物の一つや二つは入っている事だろう。本人もラムレザルの言葉に目を輝かせた。
「ふ、ふっふーんだ。こういう事もあろうかとちゃんと持ってきてるわよ、えーっと、ほら!!」
自信ありげにカバンを下ろし、コハルは満面の笑みでサッと中から取り出したモノを見せつけてくる。
ところが、ラムレザルはコハルが持っているモノに目を丸くする。それはとてもではないが爆発物に見えないからだ。
「何、それ」
「え?」
遅れてコハルは視線を手元に移し、そして自分が誤って一冊の本を取り出している事に気付いた。
タイトルは『禁断恋愛! 教師と生徒の七日間!』(R-18)』。もしかしたら爆弾なのかもしれない、とラムレザルが一縷の望みを託して凝視していると、コハルの表情はみるみる内に赤くなっていく。
「違う違う! これじゃない、これじゃない!! こっちの方だってばああ!!!!」
本をサッとカバンに隠し、無我夢中でゴソゴソと探った果てにコハルはようやく小ぶりだが手榴弾を見つけた。まず怪しげなタイトルの本ではない、見るからに爆弾である。
先程の本がなんであったかをさておき、ラムレザルは手榴弾を受け取ると既にかなりの距離まで離れているハルナを乗せたヘリコプターを見やる。ライフルでも狙い撃つ事はできないだろう。
(でも、まだ間に合う)
事前に渡されていた無線機を繋ぎ、仲間達全員に連絡を送る。これから行うアクションに対して果たして彼女達が対応してくれるのか、試してみなければわからない。
「こちらラムレザル。黒舘ハルナがヘリに乗って逃げた。今アーケード街の近くを飛んでいる」
『こちらアズサ、追跡中。撃ち落としたいところだけど手持ちの爆発物がない』
「ちょうどよかった。これからそっちに届けに行く」
アズサならば追いついているはず。そんな確信を胸に抱いていたが、予想通りの展開にラムレザルは意を決してコハルの手を掴んだ。
「コハル。飛ぼう」
「飛ぶ? 飛ぶってどうするの」
「口を閉じておいた方が良い。舌を噛む」
そこからしっかりとコハルを抱え上げ、ラムレザルはハルナの後を追ってビルの縁を目掛けて走り出す。そこでようやく何をしようとしているのかに気付き、「嘘、嘘嘘嘘嘘!!!」と悲痛な声があがる。しかし止まる理由にはならない。美しいフォームでラムレザルは飛び降りる。
「いやああっっっ」
「口は閉じておいた方が良いよ、あと目も」
落下しつつ、その両足はガリガリとビルを削り速度を減衰させていく。そうしてラムレザルは体勢を整え、壁面に対して完全に垂直に立った。
これにはもうコハルも言葉を失っている。口を大きく開けたまま、自分がラムレザルのおかげで落下していない現状にただ驚嘆している。
「目と口を閉じて、行くよ」
そうして、次に何が起きるのかを悟ってコハルが目を閉じて口を塞いだ瞬間、ラムレザルは勢いよく壁を蹴った。
ヴァレンタインとは、情報世界『バックヤード』で生まれたヒト型の生命体。つまり外見こそ少女だが、筋力を始めとした身体能力は常人を遥かに上回っている。たとえ異常なまでに頑強で、時には優れた運動能力を見せるキヴォトスの住人達と比較しても見劣りしない程に。
それ故に彼女は壁を踏み台に跳んだ。あまりの力に壁面が陥没し、二つのクレーターを作り出す程の力で。
一瞬にして二人はヘリのすぐそばのビル屋上に到着する。地面を削り飛ばしながら急制動をかけ、ラムレザルはコハルを下ろしてやり、大事そうに抱えていたカバンから手榴弾を更に取り出す。
「アズサ、準備ができた。三つ数えたら手榴弾を投げる。狙い撃ってほしい」
『もう着いたの……? でも、了解。待機する』
「よし」
手始めに手榴弾を一つ、ヘリの付近へと放り投げる。 ラムレザルは冷静に拳銃を構え、そして引き金を引いた。
発砲音、続いて爆発。大口径の銃弾は手榴弾を撃ち抜き、ちょうどその爆風が機体を大きく揺るがす。それを見逃さずにラムレザルは更に二つの手榴弾を構える。
「行くよアズサ。1、2、3」
手榴弾、投擲。即座に地上から銃声が二発響き、連続で爆発が起きてヘリを襲う。合図通りにアズサが手榴弾を狙撃してくれた様だ。
三度に渡る爆発の衝撃、そして爆風にヘリはひとたまりもない。左右にグラグラと動きながらきりもみ回転を始め、そして見事に墜落するのだった。
〇
「ふふふ、やりますわね。勇ましい貴女。よろしければお名前を聞かせていただいても?」
「ラムレザル=ヴァレンタイン」
「素敵なお名前ですわね。よろしければ今度、私と一緒に美食を追い求めて山海経にでも……」
「早く罪を償ってほしい」
墜落現場。規制線が張られた内側で正義実現委員会の元、美食研究会が続々と車両に連行されていく。
補習授業部の生徒達を駆り出したのは正解であったと、飛鳥は手錠をかけられているにも関わらずまったく懲りない悪びれない様子のハルナを観察しながら思う。その隣には美食委員会のメンバー達も同じく捕らえられており、そして全員が反省していない。
「ざんね~ん★ 今度はヘリじゃなくジェット機にしましょうか!」
「ジェット機用意する暇あったら美味しいもの買えば良いでしょ!? もー!!」
「ふええ~ん、私のハンバーガー真っ黒こげ~!」
どうしてこう、問題児達が綺麗に集まるのだろう。飛鳥は腕を組み、ぼんやりと考えてしまう。ゲヘナの生徒というだけで思い当たるトラブルの種がそれはもう多い。環境の問題なのか、それとも教育が原因なのか。間違いないのはどれだけ説得をしたところで彼女達が考えを改める事はまずないという点である。
とはいえ一件落着である。ゲヘナの生徒がトリニティ学区内で暴れるなど、エデン条約を前にして起こって良い時間ではない。ハルナ達を咎めたところでダメージを与えられるはずもないので、飛鳥はため息をついてしまった。
「飛鳥先生、ご協力ありがとうございました。お忙しい中で申し訳ありません」
羽川ハスミはひと段落した事で安堵のため息をつくと、ぺこりと飛鳥に会釈する。そんなに堅苦しくならなくても良いと飛鳥は手を振って、
「二大校の間は少しピリピリとしているんだ、仕方ない。これも僕の仕事なのは間違いないよ。ゲヘナの方に連絡は済ませたかい?」
「ゲヘナとの境界線で引き渡すとの事です。一応、風紀委員長である空崎ヒナも同行すると」
一応、とつけるからにはヒナは表向きは引き渡しの場にはいないという意味だろう。風紀委員長という立場で右へ左へと動けば、あらぬ騒動の種となってしまう。
であるならば、と飛鳥はハスミから向けられている視線を汲み取り、
「それなら黒舘さん達は僕の手で引き渡す、それで良いね?」
「……ありがとうございます」
ゲヘナの生徒をトリニティの生徒が拘束し、引き渡す。
字面の時点で少し危なっかしい。加えてゲヘナの生徒会長が羽沼マコトなのだから尚更だ。付け入る隙を与えればどんな難癖をつけられるのかわかったものではない。
不要な争い事を避けつつ調印式を目指す。両校の重要ポジションに当たる生徒達は同じ考えのはずである。
ハスミと示し合わせると、飛鳥は勉強中にも関わらず協力してくれた補習授業部の面々へと振り返る。
突然の戦闘に巻き込まれた形になるが、誰一人大きな怪我は負っていない。それどころか、肩を並べて戦ったおかげか少し連帯感が増している様にも見える。
「ラムレザル、どうやったのかは知らないけれどありがとう。仕留められた」
「お礼はコハルに。爆弾を持っていたのは彼女だから」
「べ、別に普通だし……ちゃんとそれくらい持っておきなさいよ」
特にラムレザルとアズサは顕著だ。飛鳥が心配せずとも二人は親しくなり始めているらしい。余計なお世話とはまさにこの事だった様だ。
(……僕が人間関係に関してアドバイスできる立場ではないとハッキリしてしまったな)
胸中で自分自身に対して呆れの言葉を呟きつつ、戦闘要員ではないというのに協力してくれた生徒達の為にしっかりと礼をしなければならない。気を取り直し、達成感に満ち満ちている様子のヒフミに手招きする。
「阿慈谷さん、こっちへ」
「え? は、はい」
飛鳥は懐から財布を取り出すと、十分な枚数の紙幣をヒフミへと手渡す。ヒフミは目を丸くし、一体何事かとまじまじと見つめてくる。
「これはなんです……?」
「黒舘さん達は僕の方で移送する。だから少し時間がかかると思うから、皆は先に別館へ戻っていて欲しいんだけど……お使いを頼みたい。皆が使うであろう筆記用具をこれで買って帰るんだ」
「で、でもこんなに要りますか?」
「少しだけ多いかもしれないね。でも皆は頑張ってくれたから僕なりのお礼だよ。今日はもうすぐ夜になるから勉強はまた明日からになってしまう。だからその分の埋め合わせも含めてかな。もしも誰かに見られたら、先生の指示と言っておいて。あんまりはしゃぎ過ぎない様に」
勉強合宿は一週間しかない。その内の二日間が掃除と美食研究会の鎮圧に費やしてしまっている。それならばいっそこの二日間は勉強ではなく、それ以外に注力してしまうべきだ。残りの五日間に集中していくほかにない。
ヒフミは紙幣を両手で受け取り、ぎゅっと握りしめる。なんと言うべきか迷っているのかあたふたしていたが、飛鳥はゆっくりと頷き返した。
「それじゃあ、また後で……ペロロのグッズを買うのはできれば避けてもらえると嬉しい」
「はい! わかりました!! 皆さーん!!!」
ヒフミは踵を返して仲間の下へと走っていく。と、ハナコが何か言いたげな様子で視線を投げかけてくる。彼女の言いたい事はよくわかる。勉強しなければ全員退学となってしまうのだ。
けれど飛鳥はここで根を詰めたところで何も意味がないと知っている。というより、飛鳥だからこそ知っている。
飛鳥は天才である。研究も、論文も、基本的に苦労した事がない。一方で他人との違いもそれなりに感じており、ひたすら探求に没頭するのではなく娯楽やストレス解消が大切であるという事実は受け止めている。それ故にこの場は、まだ思春期真っ盛りの少女達を優先させた。
ハナコは飛鳥が穏やかな表情を浮かべると、少し困った顔をした後にまたいつもの様に笑顔へと移りヒフミ達と話し始めた。彼女は聡い。退学の事実も隠しているのだろう。
飛鳥は生徒達に手を振り、そのままハスミに案内されるまま護送車へと乗り込む。向かうはゲヘナとの境界線だ。
〇
「……ああ、先生。やっぱりいると思った」
夕陽も沈み、暗くなり始めた橋の上。ヒナは『救急医学部』と記されたトラックの前で仁王立ちで待ち構えていた。表情が少し険しいところを見るに、ハルナ達のしでかしが相当堪えているのだろう。胃痛の一つや二つ起きかねない。
護送車の助手席から降り、飛鳥は後部のドアを開けて手錠を着けられたハルナ達に向こうへ行けと促す。
「ありがとうございます先生。ラムレザルさんや可愛い生徒の方々によろしく伝えてください。次は是非とも素晴らしい体験を……」
「その時には君が何も事件を起こしていない事を祈るよ」
罪を犯し捕らえられた身とは思えない程に優雅な振舞いでハルナはヒナの下へと歩いていく。何やら言葉を交わし、すぐに彼女達はトラックの荷台に乗り込んだ。
困った表情を浮かべながらヒナは飛鳥へと歩み寄ってくる。ひらひらと手を振ると、少し額の険が和らいだのが見えた。
「やぁ空崎さん。悪いね、わざわざ」
「謝るのはこちらよ。ゲヘナの生徒が迷惑をかけてしまったから。忙しいのに手伝ってくれたのね」
「助けてと言われたら、そうするのは先生としての義務だよ。そこにはゲヘナもトリニティも関係ない」
「……そう。先生はいつも頑張っているのね」
それは誉め言葉と言うより、呆れに近い声色だった。何か思うところがあっての発言であると感じ取り、飛鳥はどうしたのかと眉をひそめる。ヒナはハッとした様子で目をそらし、口をモゴモゴとさせる。
「空崎さん……?」
「いいえ、なんでもない。ハルナ達は私の方で―――」
「ストップだ。二人揃って、一体何をしているのやら。見ているこちらがむずがゆくなってくるよ」
『!?』
突然の声は飛鳥とヒナの間の空間から突然聞こえた。ただのコンクリートの床、そこからゆったりと影が伸び、やがて人の形を作り上げていく。
長身にスーツをまとい、立派な髭を蓄えた男……夜の王、スレイヤー。思わぬ登場に飛鳥とヒナは思わず顔を見合わせてしまった。何故このタイミングで姿を現すのか、飛鳥が怪訝な視線を投げかけるとスレイヤーは人差し指を左右に振り、
「いずれわかる―――などと言ってみたものの、君は私の予想以上に朴念仁な様だ。これには傍観者でいたかった私も少しばかり強引な手段を取らざるを得ないな」
「スレイヤー……?」
「ヒナ君。老人の勝手な介入を許して欲しい。だがまさかこれほどの思いを受ける事があるなどとは思いもよらなかったよ……」
スレイヤーは心底困った顔で髭を撫で、飛鳥に眉をひそめた。
「飛鳥=R=クロイツ。時間はあるかね?」
「え、それは……」
突然現れたスレイヤーからの詰問に慌てて飛鳥が返答をしようかという時、懐の端末が勢いよく通知音を響かせる。メッセージではなく誰かからの電話だ。
出ても良いか、と声に出さずに伺うと、スレイヤーは肩をすくめて「どうぞ」と答えてくれる。すぐに端末を取り出すと、相手はコハルからだ。
何か、嫌な予感がする。恐る恐る通話に出ると、
『先生!! 先生!!!』
耳をつんざく程の大声に思わず耳に当てていた端末を落としかける。尋常ではない悲痛な声色に、飛鳥は先程までの一件落着の空気がみるみる内に凍り付いていくのを感じていた。
ヒナもスレイヤーも悲鳴が聞こえていたのだろう。続きを聞く様に促してくる。
「下江さん、どうしたんだい?」
『早く来て! 早く! ラムレザルが、ラムレザルが危ないんだってば!!!』
〇
「あっ、わ、私用事思い出した! 皆先に帰ってて!!」
筆記用具を買って帰る、という話の流れから自然と補習授業部の面々はコンビニへと寄りお菓子などを調達していたのだが、その最中唐突にコハルが声をあげてコンビニを飛び出した。
兆候はあった。あまり口を開かず考え事をしていたり、声をかけても生返事であったりと心ここにあらずという様子だったのだ。
そんなわけで急に一人で別行動を始めようとするコハルなのだが、もちろんその後ろをついていくのはラムレザルだった。
「コハル、一人で何処に行くの」
「ど、何処でもいいでしょ! あ、べ、勉強、そうよ勉強しに行くの。アンタ達とさっさとおさらばするから!」
「……あの本の事なら、誰にも話してないよ」
並走して走るラムレザルがぽつりと呟くと、コハルはみるみる内に顔を赤くし、足を止めた。そしてカッと口が開き、これは怒鳴ると両耳を塞いだ直後に、
「違うから! あ、アレは違うんだから! 私、押収品保管庫の担当だから、それで間違えて押収品がカバンに入っちゃってて、それに気付かなかったってだけだから! ホントに! ホントに、違うもん!!」
「落ち着いてコハル。私は一度も貴女に怒っていないし、何かを咎めてもいないよ」
「じゃあなんでついてきたのよ!? ほっといてよ!!」
「あの本が何かはよく知らないけれど、コハルが気にしているのはわかってる。だからどうかしたのかと思ってついてきてる。押収品が間違って入っていたのなら、元の場所に戻さないと」
「だ、だからこれから戻しに行くの……」
コハルはどんどんと萎びていく。先程までの大きな態度は瞬く間に弱々しくなっていき、遂には小声にまで落ち込んだ。
「一人だといけない。私も一緒に行くよ」
「別に、そんなの」
「一緒に行こう。でないと、もしも貴女に何かあったらとても悲しい」
「……わかった」
実際のところ、仮にも補習授業部の生徒が一人でトリニティ校内をうろついていては何を言われるかわからない。二人で行けば、声をかけられるとしても多少なりとも説明しやすいと考えての行動だ。
そしてラムレザルは先導して歩き出そうとし、ふとコハルへと振り返った。
「ごめんコハル。トリニティまでの道をよく知らないから、教えて欲しい」
「偉そうに言っておいて何よもう……」
非常に面目ない。ラムレザルはガックリと肩を落とし、コハルに道を譲ってその後についていく事にした。
二人でトリニティへの道を歩く傍ら同じ制服を着た少女達とすれ違う。食べ歩きながら楽し気に話す様子についつい後ろ髪を引かれてしまう。
「何、どうかしたの」
「ううん、なんでもない。ちょっとだけ、気になった」
「そんなに珍しいものじゃないわよ。あんなの」
「私にはとっても珍しいものだよ。今日も、正義実現委員会の人達を見て思った」
コハルが、学園を案内してくれたイチカが籍を置くトリニティの重要な組織。
ラムレザルはその名前に、その在り方に強い憧れを抱きつつあった。
「珍しいって?」
「今日、美食研究会のリーダーは主義主張の話をしていた。あれが時間稼ぎである事はわかっているけれど、でも非常に哲学的なものだったと思う。皆、正義という言葉を信じて戦っている。それはとても凄い」
「……今日、ラムレザルだって戦ったじゃない」
「私は、私の仲間達を守る為に戦った。だから正義だとか平和だとか、そういう大きな意識をまだ持てていない」
ヴァレンタインに感情はない。自我はない。そう生まれて、命じられ、そしていつか消える。
ただそれだけの存在だったはずが、その目には光が宿ってしまった。そうなれば今まで感じる事のなかったもの、見える事のなかったものまで視界に写り込む様になる。それはやがて価値観の違いという形でラムレザルにのしかかっていた。
「コハルはあそこでハッキリと彼女に破壊行為を弾劾した。正義という意識を持って。私はそこまでの事はできない。だから……コハルは凄いね」
「―――別に、全然凄くない」
また足を止め、吐き捨てる様にコハルが呟く。苛立った様子は、これまでとは少し異なる姿だ。
もしかしたらまた何か間違えてしまったかもしれない。不安がよぎる。
「もう気付いてるでしょ、私が馬鹿な事くらい」
「……」
「エリートだとか、それっぽく言ってるけど全然そんなじゃない。補習授業部に入ったのだって、ただ頭が悪かったから。それに今日だって結局ラムレザルとアズサでヘリコプターを撃墜した。私なんていてもいなくても変わらない」
「それは違う」
「違わない! やめてよ、その目! そんな、そんな目で見ないでってば……」
コハルはラムレザルから逃げる様に背中を向けて俯いてしまう。不用意な発言で傷つけてしまったのか、とラムレザルは謝罪をするべく肩に手を置く。振り払われるかと思ったが、コハルは微動だにせずじっとしていた。
「私はコハルを否定しない。何故なら貴女は貴女なんだから」
「なにそれ……」
「私とコハルは同じじゃない。でもそれは当たり前の事。他人と同じ人なんていない……コハルだからできる事、きっとある。今日も私を助けてくれた。もし、今日の事を『そうするもの』だとか『当たり前』だと思えているなら、それは誇っていい」
「―――」
「あと、私はトリニティまでの道を知らない。コハルは知ってる。ほら、ね?」
ゆっくりとコハルはラムレザルの目を見つめ返してくる。少しだけ涙目になっているが、それでもしっかりと彼女の目は逸れる事なくそこにある。
少しだけコハルとの距離感が縮まった、感覚がある。
「……ふん! 変な事言ってる暇あったらさっさと押収品倉庫に戻るわよ! 道知ってるの私だけだし」
「うん。お願い」
やれやれと大袈裟に振舞い、再び歩き出したコハルの後を追う。喧嘩寸前という空気になってしまったが、思っている事を真剣に伝えたおかげでほんの僅かではあるが気持ちを通じ合えた様に感じられる。
自分のコミュニケーション能力がレベルアップする感覚にラムレザルはぎゅっと拳を握り、口の端をそっと緩めるのだった。
「―――うん、見つけた」
その声は、不気味な程ハッキリと聞こえた。
まるで何かに引っ張られるかの様にラムレザルは体を反転させる。言葉にしがたい、得体の知れないものを背後から感じ取っていた。
少女が一人。佇んでいる。行き交う人々の中にありながらその姿は不気味なまでに浮いている。その顔には、黒く塗りつぶされた仮面。
いる、ではない。在る。ラムレザルの全身、肉体を構成するあらゆる物質が目の前に在る存在に対して並々ならぬ敵意を示していた。
思わず銃を引き抜く。往来である事など構いもせずに。
(……私は、恐れている?)」
「ラムレザル、どうしたの?」
「コハル。来てはダメ……!」
「貴女を連れていく。それが『お父さん』の指示」
近付いてくるコハルを咄嗟に突き飛ばす。その時には視界が一瞬にして光に包まれ、次の瞬間ラムレザルを爆発が襲っていた。
爆音、爆風、衝撃、続いて巻き起こる悲鳴。一体何をされたのか分析する間もなく、地面を転がる。だが攻撃自体は予測できた。片方の拳銃を何処かに落としてしまったが、もう一丁はまだ残っている。体勢を立て直すと共に引き抜き、すかさず前方へと構えた。
だがそこにいるはずの少女は姿がない。一瞬にして消えた。
「いない―――?」
「ここだよ」
頭上。反応が遅れる。硬い感触が頭蓋に叩き込まれ、ラムレザルは地面に倒れ伏していた。
頭を踏みつけられている。もがいて脱出しようにも、相手の膂力はラムレザルを遥かに上回っているらしい。
「『お父さん』は貴女を欲しがっている」
「……貴女は誰」
地面に押し付けられたまま、逆転の方法を探ろうと時間稼ぎを試みる。何か情報を聞き出せればなおよい。
最悪なのは耳を貸す事なく畳みかけられる事だが……。
「私? 私は誰でもないよ。『お父さん』の言う事を聞くのが仕事」
「ッ……」
まるでコミュニケーションが取れない。意を決してラムレザルは地面を殴りつけ、その衝撃で拘束から逃れようとした。だが見抜かれており、ハイヒールが掌に深く突き刺さった。
「ぐうっ……!」
「私は貴女が何を考えているのかわかるよ。だから何をしても無駄」
少女の声は耳ではなく脳にしみこんでくる不可思議なものだった。耳を塞いだとしても決して拒む事はできないだろう。
姿も、声も、何もかもがラムレザルを刺激する。何もかもが、頭をざらつかせる……!
「うぁ……!」
「さぁ、私と―――」
視界が歪む。感覚が溶ける。歯を食い縛り耐えなければならない。だが意識は混濁していく。
(このままじゃ……)
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
だがそれを止める者がいた。叫び声をあげ、ライフルを構えて走ってくる小さな影が一つ。
(コハル……!?)
銃声が鳴った。たった一発の銃声。けれどそれはラムレザルの崩れかけていた意識を復活させるには十分で、少女に一瞬の隙を与えてくれた。
地面を思い切り叩き、ラムレザルは一瞬だけ宙を浮く。そのまま体の向きを変えて少女に蹴りを浴びせ、勢いで距離を離してみせる。しかし頭のざらつきが収まらず、脱出したは良いものの平衡感覚が定まらず、その場で片膝をついてしまう。
それを守る様に、コハルが躍り出た。銃口を少女に向け、彼女は体をプルプルと震えさせながらも確かにラムレザルの為に立っていた。
(それができるのなら、コハル……やっぱり貴女は『違う』んだよ)
「だ、誰だか知らないけどこんな事をするのなら私が許さない! わ、私は……正義実現委員会なんだから!!」
少女は一体何者なのか。恐らくギルティギアファンの方々ならばもうわかっちゃってるかと思います。