先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
「―――既に、正義実現委員会から大まかにですがお話は聞いています。トリニティの敷地内での迷惑行為を取り締まっていただいた、と」
再び、絢爛な部屋に招かれた飛鳥をナギサが迎える。長大なテーブルにつき、紅茶が注がれたティーカップを手に。前回と異なる点があるとすれば、隠しきれない敵意の様な感情である。
飛鳥は素知らぬ顔で椅子に腰かけ、サッと横から現れた生徒に注いでもらった紅茶のカップを手に取る。胃を鷲掴みにされる様な圧迫感は凄まじいが、かといって気圧されるまでは至らない。
「飛鳥先生と二人でお話しします。皆さん、一度ここから出てください」
ナギサがそう促せば、室内に佇んでいる護衛含めた生徒達はぞろぞろと廊下へと出ていく。あっという間に机を挟んで座る二人以外には誰もいなくなっていた。
紅茶で唇を湿らせ、飛鳥は冷静に一言目を発する。
「状況が状況だったとは言え、取り決めを破って別館の外に出てしまった事は謝罪する。監督者として不適切だった」
「それはさしたる問題ではありません。今のゲヘナとの関係性を保つ為にも先生が間に立ってくれて感謝しています。私は、その後についてお聞きしたいのです」
「……」
わかってはいたが、単刀直入とはこの事である。飛鳥は気圧される事なくナギサを見据える。
投げかけられた問題はやはり、ラムレザルを襲った謎の生徒である。むしろ触れられないわけがないと言えよう。
「何処の生徒かもわからず、ラムレザルさん一人を狙ったと聞いています。犯人は彼女の知り合いなのですか?」
「わからない」
「ラムレザルさんをトリニティへ誘致したのは飛鳥先生です。彼女の事を知る貴方が、心当たりもないと」
「……心当たりはある。だが、確証が持てない」
実際のところ、飛鳥は仮面をつけたあの少女が何者なのか、答えをうっすらとではあるが見つけ出していた。
問題は『本当に彼女なのか?』、という点にある。思い当たる節はあるが、もしもそうだとしても何故なのか、その説明がつかないのだ。
曖昧な回答にナギサは目を細めた。彼女の中で飛鳥に対する疑念が湧き上がっている事は明白だ。
「確証とは?」
「おかしな物言いをするかもしれないが聞いて欲しい。僕の認識が正しければ、ラムレザルを襲った人物は……既にこの世にいない」
「死人が蘇ったとでも?」
「もちろんそんな事はあり得ない。だから僕は確証が持てないんだ」
我ながらこんなふざけた物言いをするとは思わず、飛鳥は嘆息を堪えながら続ける。
「けれどその常識を覆せる者はいる。道理や法則と言うものに真っ向から対立する存在が」
「……ハッピーケイオス、ですか」
「エデン条約という大きな出来事を前にして、彼が何もしないはずはない。今回の襲撃事件も何か考えがあってのものだろう」
「―――神出鬼没、姿を変え、他者の精神を操る事ができるだけでなく、混沌を好む危険人物。それが以前いただいた資料に記載されていた内容でしたね。確かにこの情報が真実であるとすれば、十分に首謀者候補にあがります……そう、真実ならば」
含みのある言葉だった。
プールサイドでレイヴンと交わした会話を思い出す。ナギサが一番怪しんでいるのは、飛鳥であると。
「ですが、私はこう思うのです。正体不明の危険人物は彼だけではないと」
そう言ってナギサが懐から取り出したのは一枚の写真である。彼女は机の上から飛鳥の手が届く距離まで滑らせる。何が映されているのかを即座に理解し、彼は眉をひそめた。
背景はアビドス砂漠、そして熱砂と青空の境目に立つかの様に、浮遊する飛鳥の姿がそこにはあった。
「トリニティ諜報部はシャーレが活動を開始してからというもの、常にその動向を見守っていました。まさかこんなものを目にするとは思いませんでしたが」
ナギサは、飛鳥の持つ力の存在を知っていた。
にわかに飛鳥の中で不安が募る。単なる疑念で済んでいればよかったが、法術の存在を知った上でのものとなれば話は変わる。
飛鳥が最も危惧していた事態、それは彼自身の存在がキヴォトスにとって異物と判断される事だ。可能な限り隠してはきたが……よりにもよってトリニティの長に目をつけられてしまっていた。
「飛鳥先生。私はこう思うのです。得体の知れない力を用いる『シャーレの先生』という存在が、また得体の知れない生徒をトリニティへと招き入れた。そしてそんな生徒を何者かが狙っていて、背景には彼の言う危険人物が絡んでいる可能性があると。それは少しばかり、都合が良すぎませんか?」
「……つまり僕が一連の出来事を操っていると、君はそう疑うわけだね」
「あくまでも、私はこう思うというだけです。もしもそうでないというならば、是非お話してください」
やはり、飛鳥の予想は正しかった。ナギサはシャーレの先生という存在を敵対視している。しかも明確に外敵と見なしている。
だがそれにしては、ナギサの行動は不可解だ。完全に敵として認識しているならば、先程の生徒達に飛鳥を取り押さえる様に命じればそれで済むはずだ。だが実際は全員に外へ出る様に命じ、危険人物との一対一での対面を自ら作り出した。
つまり、まだナギサは飛鳥の話に耳を傾けてくれる余地がある。
「君は僕を敵だと?」
「敵、というのはいささか刺々しい表現ですね。私はただ知りたいのです、貴方が何者なのか」
「僕は飛鳥=R=クロイツ。シャーレの先生だ」
「クロノススクールの取材にもそう対応していました。私が望む答えからは乖離しています。私は、いえ、トリニティは改めて問いかけます。先生、貴方は……何者ですか?」
「―――」
はぐらかす事は決してできない言葉である。
真実を述べるべきか、それとも無言を貫くか。正解を選ばなければ、待ち受ける結果は凄惨なものになりうる。
少なくとも、自分は生徒の味方であるから信じろなどという生易しい言葉では逆効果だろう。飛鳥は言葉に詰まったが、しかし意を決した。
「……僕がキヴォトスの外から来た事は知っていると思う。僕は気が付いたらここにいて、先生になっていた。最初は困惑したとも。でも先生としてやるべき事があると理解した。生徒達を支え、キヴォトスの治安を守る……その為に僕は時に力を行使している」
「その力をキヴォトスに向けないという保証は?」
「もし僕が君達に危害を与えるつもりなら、既にそうしている」
たとえ飛鳥が危険人物だったとしても、現実に何も起きていないのならばただの杞憂に過ぎない。何より彼自身、キヴォトスに一切の被害をもたらしてはいない。
だが飛鳥の言葉をナギサはまるで信用していない様子だった。目を鋭く尖らせ、未だ敵意を漲らせている。
百合園セイアがいなくなった事、トリニティ内部への不信感、それに加えて腹の底が見えない――彼女はそう思っている――飛鳥の存在。桐藤ナギサは今、かつてない程に他者を信用できなくなっている。
「……ええ、知っています。貴方が先生としてキヴォトスに生きる生徒達に対して少なからず貢献している事は、とてもよく。だからこそ私は信用する事ができないのです。補習授業部がそうである様に」
「何故信用できないと言うんだ。あそこにいる生徒達が、君に害を与えると何故思うんだい?」
「強いて言うならば、そう……他人だからです」
ナギサが発した『他人』という言葉はひどく冷たく、耳にした飛鳥に心臓を鷲掴みにされたかの様な威圧を与えた。十代の少女が口にするにはあまりにも、あまりにも人間味が薄すぎる。
「たとえばそう、ヒフミさんがそうです。私は彼女と友人関係にあって、とても大切に思っています。心が通じ合っていると思う時さえありました」
ティーカップを持つ細い指が微かに震え、
「ですが、それは私の思い込みでしかありません。ヒフミさんが真に何を考えているのか、理解する事はできない。本音を聞かせて欲しいと懇願したところで、そこから聞き出せるものが真実とは限らない。彼女だけではありません。ハナコさんも、アズサさんも、コハルさんも、ラムレザルさんも、飛鳥先生も……私には理解しきれません。何故か? それは他人だからです」
「それが、補習授業部を全員退学にする理由なんだね」
「では他に何がありますか。どんな方法があるのですか? エデン条約を無事に成功させる為にどんな事をすればよいのですか? このトリニティで、誰が味方かもわからない状況で……!」
それは怒りの様で、同時に嘆きの様だった。ティーパーティーの長と言えば聞こえが良いが、あくまでも一人の学生の悲痛な声があった。
「……君の気持ちはよくわかる」
「それは同情の言葉ですか。それとも懇願?」
「いや、心からの同意だ。人の心は読めない。僕は科学者だ。当然、人の心について自主的に探究した事がある」
「は……?」
ティーカップを傾け、紅茶を口に運ぶ。思わぬ返答にナギサは眉をひそめ、飛鳥は困った顔で微笑んだ。
「君が言う人の内面とは、つまるところ哲学のそれに近い。僕の場合は数字の話でね。感情の数値化だとか、感情の制御と言った話になる。以前自分なりに人の感情、喜怒哀楽を科学的に捉えて文章にまとめてみたんだけど、友人には『時間の無駄』とはねのけられた」
「……時間の無駄、ですか」
「何故かと言われれば、君の意見に近い。数値にしたところでそれは心そのものを分析しているわけではない。いや……そもそも、人間の情動とは分析できないものだ。感情は時に正解を否定し、不正解を肯定する。主観によってね。だから僕はどれだけ研究をしても、結論には辿り着けなかった」
橙色の水面には飛鳥の苦笑が映っている。困った事にこんな状況下で、彼の舌は回り始めていた。
「そこで僕は考えた。ではせめて、絶対的な正解くらいは探そうと。感情が不規則で、不定形で、制御不可能なものであるとするなら……向かう先を見つけようと。有り体に言えばそう、『理想』と呼べるものだ」
「理想、ですか」
「現時点で僕達人間の情動が成せる理想は何か。善悪の観念を持ち、罪悪感を持ち、利己的であり利他的である僕らが真に願うもの……つまり、『世界平和』だ」
「……?」
そこでようやく、ナギサの表情に年相応の動揺が浮かんだ。一体この男は何を言っているのか、そう言いたげだった。
これを話すのは何度目だったか、限られた生徒にしか話していない重要機密だ。下手をすれば法術よりも大切と言って良い。
「僕が何者なのか、君は知りたいと言っていたね。端的に言うと、僕は今このキヴォトスで世界平和を実験している」
「世界平和、ですか?」
「そう。僕が放送しているラジオは実験なのさ」
ナギサは明らかに困惑している。当然である。キヴォトスの敵になろうかと思われていた男が、よもや世界平和などというロマンチックな言葉を発しただけでなく、実験していると言い出すなど予想できようはずもない。
ただ飛鳥はこれが最適だと感じていた。自分が誰か、それを語るに最も相応しい内容はこれしかないと。
「僕が発する数字は、ただの数字でしかない。何の思想も持たない数字だ。けれどそこに記されている内容は紛れもない真実、動かざる現実。この学園都市群キヴォトスで実際に生まれている数字だ」
「それが、一体どう世界平和に繋がると言うのですか。まさかいずれその数字が人を動かすと?」
「ズバリ、その通りだ」
「戯言です、そんなものは。人は正義感では動かない、キヴォトスでそんなものは……」
「もちろん、僕も実現すると断言はしない。だから実験するんだ」
飛鳥はそこで、椅子から立ち上がる。ティーカップの中身を完全に飲み干し、長いテーブルを横切ってナギサの下へと歩み寄っていく。
「人の心は理解できない、と言ったね。それは当然だ。でも人は何が正しくて、何が間違っているのかという事くらいはある程度共通認識がある。必要なのは、現実を知覚する事だ。そうしてそこから産まれるものがいつか……誰かの心を動かすはずだ」
「……どうして、どんな馬鹿げた実験を?」
「どうして、と言われると難しい。研究者として成すべき事であると思っているし、随分と昔に人間の定義というものを巡って争った名残でもあるし……ああ、でも純然たる動機は一つある」
飛鳥はナギサの目の前に立つ。彼女の目には敵意の視線がなく、眼前の男の発言に心から戸惑っている様だった。
「感情的な物言いになってしまうけれど、信じているんだ。皆を」
「……」
「信じる事が難しいのは知っている。でも、心が見えないからこそでもあるんだ。だから桐藤さん、まずは僕を……信じてくれないかな」
結論から言えばナギサからの問いかけを相変わらず煙に巻いてしまっているが、それでも一人の人間としての意思は伝えられたと感じている。
手ごたえと言える程のものではないが、少なからずナギサとの距離を詰められたら幸いである。
「……飛鳥先生がどの様なお考えをお持ちなのか、それはわかりました」
「僕はまだ疑いの対象になるのかな」
「それは当然です。貴方は私の質問に……ラムレザルを襲った何者かについて答えていないのですから」
これには飛鳥も頬を掻き、どうしたものかと考え込んでしまう。
ナギサの背後にケイオスの影が見え隠れしているのはわかっている。そんな彼女に、今自分が知っている知識を公開したとしてそれが良い方向に向く保証はどこにもない。
ただ、飛鳥はつい先程自分が口にした『信じる』という言葉をかなぐり捨てて良いものかと考え、しばらく葛藤した。信じろと言った手前、またはぐらかすなどもってのほかだ。ただでさえ補習授業部で大変、加えてラムレザルの騒動まで込みの状況でこれ以上ナギサから不信感を得るわけにはいかない。
「……わかった。トリニティで起きた事件だ。協力しないという理由はないね」
まさか、ありえない。
少女の姿や言葉遣いを目にした時に感じてはいたが、それでも思い返せばにわかに実感が湧いてくる。
ラムレザルを狙った人物を、飛鳥は知っている。元いた世界で彼女は敵だった。
「彼女は、『ヴァレンタイン』。ラムレザルの……姉にあたる存在だ」
ここでお知らせです。
今回の章は次回で一度区切ります。というのも、三か月くらい更新が空いた理由として『今の章クッソ長いのに話進まんやんちぢめたろ』と試みたらくちゃくちゃになっちゃって『いやでも話数多いとグダつくしなぁ』という自分との争いが終わるのに三か月の月日を要しました。
結論としては縮めすぎて駆け足になっても仕方ないのでちびちびやるのですが、その中で間延びしちゃいそうだなと思った部分を短編にして出す事にしたのです。
で、次回で一度区切り、前半戦終了として何話か幕間を投げる事にします。
努力して週二回更新は心がけたいと思います、今後ともよろしくお願いいたします