先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
これからもよろしくお願いします
時が、来た。遂に飛鳥=R=クロイツを手中に収める、その時が。
「ふっふっふ、ふっふっふ」
「うわ、アコちゃんが変な笑い方してる……」
風紀委員会の執務室。
机の上に広げた幾つもの『懐柔』用アイテムを前にくつくつと笑うアコをジト目でねめつけながら、銀鏡イオリはまた何やら変な策を練っている事に呆れた声を漏らす。風紀委員の上司部下の関係性にある二人だが、おかげで彼女は行政官であるアコが悪だくみをしているとロクな事にならないとよく理解していた。
「行政官、果たして今回は何をするつもりなのでしょうね……」
アコが怪しい笑みを浮かべて準備をする様を遠くから見つめるイオリに声をかけたのは火宮チナツだ。共に上司の命令でアビドスへ侵攻する羽目になった身としては、誰かを巻き込んで面倒な事態にならないかと不安でならないわけである。
イオリは肩をすくめ、
「どうも、飛鳥先生の弱みを握りたいんだって。ヒナ委員長を楽にしたいからっていうけど……むしろ負担にならないかなぁ」
「まぁ、委員長の横にあの人がいれば業務効率は良くなると思いますが……飛鳥先生は飛鳥先生でトラブルの元になりますからなんとも」
イオリはアコに続き、いかにも訳知り顔なチナツへと怪訝な目を向ける。シャーレ誕生の場に居合わせたとは言え彼女の飛鳥に対する距離感はいささか怪しげであると以前から感じていた。
「チナツはチナツで、飛鳥先生とどういう関係なワケ……? そんなに仲良かった?」
「……まぁ、まぁ。人間色々ありますからね。イオリもすぐにわかりますよ」
「????」
「準備完了! イオリ、チナツ。シャーレに行ってきます。良い知らせを持って帰りますからね!!」
ひそひそと話し合っていた二人へと快活に笑い、アコはご機嫌で執務室を飛び出していく。幸いにも仕事量がさほど多くはない日であったから良いものの、職務放棄じみたそのスピード感にはため息をつかざるを得ない。
「チナツ、私ちょっとアコちゃん追いかける。凄い嫌な予感するから……」
「そうしてください。行政官がああいう元気を出す時は危険です」
「やれやれ……」
※
「こんにちは先生! お邪魔いたします」
「……今日の当番はもう来ているんだけれど」
シャーレ執務室へと殴り込み―――もといやってきたアコを出迎えたのは、突然大声で挨拶をされて驚きのあまり挙動不審な飛鳥である。お昼らしき蕎麦をすすりながら今度は何事かと彼女を見つめる視線は少々不安の色が濃い。
そんな事をお構いなしにアコは飛鳥のデスクまで歩いていくと、持ってきた小さな小包を勢いよく突き出した。
「本日は飛鳥先生にお話があって参りました。当番の方はどちらに?」
「ちょっとお使いをお願いして今はいないよ。どうして?」
「話が早く進みますので。こちらをご覧ください」
戸惑う飛鳥をよそにアコは小包の中身を取り出し、彼がよく見える様にデスクの上へ叩きつけんばかりに勢いで置く。そこまでの勢いをつけるとは一体何かとどんぶりを手にしたままの飛鳥は視線を落とし、不思議そうに首を傾げた。
「これは、首輪?」
ペットの首に巻くシンプルなデザインの首輪―――それもリード付き―――だ。紙の切れ端が一枚添えられており、そこには『シャーレの犬め!!』という敵意溢れる一文が書き殴られている。これには当初の困った顔を収め、飛鳥はどんぶりを置くと首輪を手に取る。
「……風紀委員会に向けて送られたもの、という認識で良いのかな」
「ええ、数日程前に匿名で。我々への侮辱行為である事は間違いありません。まぁ、ゲヘナではこうした犯行は珍しいものではありません。問題は、その内容です」
「シャーレの犬、か」
首輪を見つめる飛鳥の表情が曇る。それを確認し、アコは内心でほくそ笑みそうになるのを必死にこらえる。予想通りの反応はある種の手応えさせ感じさせ、更なる追撃を彼女自身へと促す。
以前当番でやってきた時と同じ様に飛鳥の真向かいへ腰かけると、懐に忍ばせている携帯端末の録音をオンにする。予定通りに進めばアコの野望は完遂だ。
「これまで我々風紀委員会を含めたゲヘナ学園内での事件に対し、シャーレは何度も協力していただきました。私としましても感謝してはおります。ですが……我々の関係性は同時に学園内外を問わず明確な上下関係を表しています。それによりこの首輪の様に、治安の向上に努める風紀委員会へと中傷が飛んでいるのです」
「―――ふむ」
眉をひそめこそすれど、飛鳥は反論をしない。むしろアコの言葉を真摯に受け止めている。これもまた良い反応である。感情を顔に出さぬ様に務め、彼女は更なる追及へと打って出た。
「無論、先生が私達に―――何よりヒナ委員長を支えていただいている事は紛れもない事実です。しかし……ご存知かと思いますがゲヘナの生徒達は風紀委員を目の敵にし、更に本来は味方である『万魔殿』からの圧力を加えられえる板挟み状態。これでは全体の士気に関わります」
事実である。ゲヘナ学園の治安維持を担う立場でありながら風紀委員の立場は著しく低い。万魔殿に至っては本来支援を行う上層部でありながら、不適当と言わざるを得ない業務を課して陰湿な攻撃を仕掛けてくる始末だ。
その上で……シャーレという外部組織に協力を要請するという行動がどの様に見られるのかなどわかりきっている。
「……なるほど。確かにそれは問題ではある。風紀委員のモチベーションに関わるね」
「そうです、その通りなのです!!」
(よし……! ここまでは順調……後は、言質を取れば!!!)
アコの思惑はこうである。
風紀委員の現状を飛鳥へと説明し納得してもらう事で、『シャーレが正式に風紀委員会との協力関係を結ぶ』という旨の発言を本人の口から言わせようという魂胆である。その際の会話を録音として残していけば物的証拠にもなる。
あまりにも強引と言えば強引だが筋そのものは通る。何よりも飛鳥本人が生徒の押しに対して強く出る性格ではない事も既に判明している。であれば、本人がその気であろうとなかろうと事実上の関係を結ぶ事は可能なのだ。
「今一度、ゲヘナの治安を安定させる為にも……何より多忙に追われるヒナ会長の為にも……先生!」
最後の一押しを飛鳥へと迫る。飛鳥ならば断わるはずはない。アビドス学区の半ば脅迫じみた会話よりも理路整然とした、断る事ができない提案のはずなのだ。
アコの想像通りに飛鳥は視線を伏せるとモゴモゴと口を動かす。もう少し、あともう少しだ……。
「……空崎さんの為、か。確かに彼女がいかに多忙かは僕も理解しているよ」
「それなら!」
「―――けれど、頷くわけにはいかないかな」
思わぬ返答にアコは思わず目を剥いて驚愕を露わにする。まさか拒絶の意思が出るなど思いもよらず、一瞬だけ敵意を込めた視線さえ投げかけてしまっていた。
飛鳥はゆっくりとかぶりを振り、
「まずシャーレは大前提として全ての生徒にとって平等な存在である様に努めている。だから……どの様な理由があろうとも特定の組織との関係を結ぶわけにはいかない。協力する事と肩入れする事は、また別なんだ」
「……ですが」
「加えてこれは個人的な話なんだけど、ハッキリ言って天雨さんからの提案は素直に飲めない。因縁じみた話をするけれどアビドスの一件で僕達は一度敵対していたわけだしね」
よもや忘れているはずがない。アコとしてもそこを引き合いに出されると、唇をギュッと嚙み締めざるを得なかった。水に流されているはずもないと承知していたが、飛鳥本人の口から触れられれば言い返す事もできない。
「それはっ……それは」
「大方、この会話も録音しているんだろう? 生憎だけどそういったやり方はそれなりに詳しい方だ。やめておいた方が良い」
「あうっ……」
反論をしようにも言葉が出てこず、声色さえ萎びていく。それ以上を口にする事ができずに今度はアコが俯き目線を伏せる番だった。
その気になり、調子に乗って乗り込んだ結果が真っ向から言い返されるとは情けない話である。失意に沈むとはまさにこの事だ。これ以上ない程の後悔の念に呻く事もできない。
「……でも、君の言う事が正しいのは事実だ」
ところが、飛鳥は続けてそう言った。これにアコが顔を上げると、
「ゲヘナにおいて風紀委員の立場が厳しいものであるとは理解している。君が持ってきたこの首輪にしてもそうだ」
罵倒を込めて送られた首輪を手に、飛鳥はぽつりぽつりと呟く。その声色には心からの罪悪感が滲んでいる。
「できる事なら僕も寄り添っていきたい。空崎さんがとても忙しいのも、僕が代わってあげたいとさえ思う。でも……飛鳥=R=クロイツはそこまで万能ではない。なのにどういうわけか、中途半端に発言力だけは持ってしまっている状況だ」
「それならば、それならばいっそ発言力を利用してしまえば良いじゃないですか。貴方は生徒の為と言って、中立を謳い続けている。ですがそれがどれだけ厄介なのかわからないんですか……!? 半端も良いところですよ!」
思わず飛鳥が弱々しい姿を見せた事にアコは噛みついていた。
本音を言うとこの大人を彼女はあまり好いていない。得体が知れないだとかそういう問題ではなく、優柔不断に見えて即決なその姿勢が個人として気に入らないのだ。ゲヘナという殺伐とした世界で生きているからこそ、権限を持ちながらそれを振るわぬ彼の性格に何故と問わずにはいられない。
「―――天雨さんは手厳しいな。けど、僕としては半端どころか皆無なくらいで良いとさえ思っているんだ。自分の発言で人々が右往左往した心苦しい経験があるからね」
飛鳥は苦笑いを浮かべた。今にも泣き出しそうな困った顔で、お手上げだと言わんばかりに。
大人と言うにはあまりにも幼く、かと言って子供と言うにもあまりにも熟れている。そんな表情に、アコは内心で凄まじい腹立たしさを感じた。
自分というものがあるのかないのか、あやふやにも程がある。それは以前目にした冷静な一面と、そこから打って変わって抜けているとさえ思う穏やかな一面からも明らかだった。
「ともかく天雨さん、君の望む答えは出せない。でも僕は僕なりに今後も君達風紀委員に協力していくつもりだ。中傷が飛ぶ様なら僕の方から言って聞かせる。それくらいの塩梅では……ダメかな」
「……ダメに決まっていますよ」
ぴしゃりとアコは言い切る。我ながら、不思議なまでにハッキリとした声色だと感じる程に。
サッと立ち上がると、苦虫を噛み潰した表情で飛鳥をギンと睨みつける。
「やはりそんな中途半端な存在を野放しにしてはおけません。我々風紀委員で管理するべきです……!!」
「え、いやでも」
「半端にモノを言う様な大人を放置するくらいならば、風紀委員会行政官であるこの私が先生を徹底的に管理してあげようと言うんですよ!!」
「え、ええ……?」
「理解しました。やはり私は先生が嫌いです。アビドスの時もそうでしたが、なんだかそれっぽい顔をして相手を丸め込もうとするその大人らしく嫌らしい姿勢……! キヴォトスの毒です!」
「そ、そこまで言わなくても」
「いいえ! 今ハッキリと理解しました! 貴方を矯正します!」
そこでアコは何を思ったのか、飛鳥の手から件の首輪を取り上げると覚悟を持って強く握り締めた。
「どうです飛鳥先生。アビドス学区での因縁にケリをつけましょう。あの時の様に『賭け』をしませんか?」
「賭け……?」
「ええそうです。そんなにもご自分でお決めになる事ができないと言うのでしたら天運に身を任せましょう。賭けをして勝った方が相手の言う事を聞く……どうです、実にシンプル!」
ゲヘナの傘下に加わって欲しい、そう迫ったアコに対し飛鳥は一度『賭け』と称して揺さぶりをかけてきた。あの時は答えを出すよりも先にヒナの介入があり有耶無耶になっていたが、アコ本人は大人の手玉に取られて判断が遅れた事を未だに夢の中で後悔している。故に再戦なのだ。
あまりにも分の悪い賭けだが、それでも目の前の大人に喝を入れてやりたい気持ちに駆られているアコには何の障害にもならない。むしろ勝利した場合の理想図が既に頭の中で描かれ始めていた。
「私が勝ったら先生にはゲヘナの協力者として風紀委員の傘下に入っていただきましょうか! ついでのこの首輪を巻いて『シャーレの飛鳥=R=クロイツは風紀委員会の犬』にしてあげます!」」
「もしも僕が勝ったら……?」
「その時は私が先生の言う事を聞いてあげますよ。雑用だろうとなんだろうとこなしてみせます!」」
突然勝負を投げかけられた飛鳥は目を丸くして困惑し、どう返答したら良いものかとこめかみに手を当てて考え込む。その挙動さえもじれったく、アコの中で沸々と苛立ちが湧き上がる。
この男には自我というものはないのか。少しくらい『じゃあ仕事を任せて自分は遊びに行く』の一言くらい言えないのか、消極的極まる姿勢を見続ける中でやがて彼女の中で首輪をつけた飛鳥にどんなポーズをさせようかという不思議な妄想に舵を切らせていた。
が、
「……わかった。それじゃあ、僕が勝ったら首輪をつけて犬になって欲しい」
「良いでしょう―――え?」
予想外の言葉が飛鳥の口を突いて出た。
首輪をつけて犬になって欲しい。
あまりにも直球で、あまりにも変態的な提案である。だがそれを口にした飛鳥はと言えば至極真面目な表情だ。
「い、犬ですか?」
「そう、犬だ。この首輪と一緒に、ね」
戸惑いのあまりアコはまじまじと飛鳥を見つめる。そこには先程までの優柔不断な姿はなく、最初に出会った時と同じ感情を読み取れない冷静沈着な表情がぽつんとある。まるで人格が入れ替わったかの様だった。
「天雨さんが真剣なのはよく感じ取れた。だから僕もこの場では曖昧な返答はしない」
飛鳥はゆっくりと立ち上がると、アコへと歩み寄ってくる。自分より少し身長は高い青年が目と鼻の先まで近付いてきたかと思えば、彼女が手に持つ首輪をそっと取り上げ、
「あの時、僕は天雨さんを煙に巻いて状況を乗り切ろうとした。つまりは『悪い大人』を演じたわけだ。申し訳ないと思っていたし、いつか謝らないといけないとも感じていた。けれど君がそこまで真剣に僕という人間に喝を飛ばしてくるというのなら……」
飛鳥の琥珀色の瞳が、じっとアコを見据える。吸い込まれそうな妖しい輝きがその奥から覗いている様に見え、アコはごくりと唾を飲んだ。
「先生として、謀りを仕掛けてきた生徒に罰を与えないと」
心臓がバクバクと鼓動を鳴らしている。あの時踏み出せなかった後悔を果たす時が間近だというのに、緊張が全身を強張らせる。
「賭けはコイントスで良いかな。一番わかりやすい方法だ」
「……い、良いですよ。ただし私の所持しているものを使いますからね、良いですね」
「良いとも」
サッと飛鳥から距離を取り、慌てて硬貨を一枚取り出す。表と裏、どちらかに賭けて宣言した面が出れば勝利。わかりやすい、実にわかりやすいルールだ。それ故にまさに運がものを言う。
勝てば、飛鳥を手中に収められる。
負ければ、飛鳥の前で首輪をつけて彼の犬になる。
勝率は1/2。早鐘の様に鳴る心臓は鳴り止まない。アコは飛鳥がじっと見つめる中で、コインをゆっくりと構えた。
「はっ……」
じりじりと背筋が焼ける様な緊迫感に襲われながら、アコは意を決してコインを空中へと弾いた。
甲高い音に続いて空中でくるくると踊りながら落ちてくるコインを手の甲へと押し付ける様に捉える。
掌が降りかかる瞬間、うっすらとだが表の柄が見えた、気がする。
「準備は良いですか先生。どちらに賭けますか?」
「じゃあ僕は裏だ。さぁ見せて欲しい」
「表なら私の勝ちです。行きますよ、行きますからね……!?」
緊迫の瞬間である。意を決してアコはコインを覆い隠す手を離し、賭けの結果を覗き込む。
「あ……?」
そこにあるのは、裏を天井へと向けたコインだった。
賭けはアコの負け、という事である。
「うん、どうやら賭けは僕の勝ちみたいだ」
「え、えっ、ええ……!?」
動揺などという生易しい言葉では済まない。アコは驚きのあまりその場で凍り付き、まじまじとコインの裏側をじっと見下ろす。今そこにある現実を否定しようにも、シンプル極まる賭けの何処に否定する要素があるというのか。ましてや自分で用意した物である。
敗北したという事はつまり、本当に首輪をつけねばならないという事。それを理解したアコがハッと気づけば、飛鳥は首輪を手に能面の様な冷たい表情で佇んでいた。
「それじゃあ罰ゲームだ。天雨さんにはこの首輪を装着して、僕の犬になってもらうよ」
「あ、あわわわわ……待ってください、ここでやるんですか? こ、ここはシャーレですよ? 他の生徒が来るかもしれませんし、何かあったら大変ですよ……!?」
「大丈夫、すぐに終わるよ。ほんの少しだけだからね」
「い、いやでもぉ……」
我ながらみっともないとわかりつつ、アコは何とか逃げる口実はないかと視線を彷徨わせる。
と、そこで飛鳥の手が肩に置かれる。釣られて目線を真正面に向けてしまったアコは驚く程真剣そのものな眼差しに射抜かれていた。
「ここで僕の言う事を聞けば……風紀委員の行政官ともあろう生徒が独断でシャーレを傘下に取り入れようとした、なんて政治的に危険極まる行いは不問に処す。波風は立たない」
「あ、あう」
抵抗ができない。というよりゆったりとした飛鳥の声色は抵抗の意思を削いでしまう程にゾッとする程優しげだった。
「―――空崎さんに、迷惑をかけたくはないだろう?」
ヒナ。アコが誰よりも敬愛する、憧れの存在。
もしも飛鳥の口から行いがバレたらどうなってしまうだろうか。アビドスの件では反省文を書かされるだけで済んだが、今回はどの様な処罰を下されるだろうか。
スルスルと手足の力が抜ける。ギュッと唇を噛み、耐える事を選んだアコに対して飛鳥は口の端を緩めた。
丁寧な動きで首輪が巻きつけられ、そして留め金が……留められなかった。それどころか、巻きつけるところまで言ったというのにサッと彼はアコの首から取り外してみせた。
「はい、終わり」
「へ……?」
これから一体どんな仕打ちを受けるのか、と身を震わせていたところで突然梯子を外されたとあってはアコも間の抜けた声を出してしまう。数秒前まで纏っていた妖しげな雰囲気を何処かへと投げ捨て、飛鳥は首輪を持ったまま微笑んだ。
「人に何かを強いる時はこういう風に話すものだよ。これでチャラだ」
「へ……??」
もう一度、間の抜けた声を漏らす。呆然とするアコに対して首輪に視線をやりながら飛鳥は、
「君は二度も僕を狙い、個人的な攻撃を仕掛けてきた。その事については大人として公平に叱らなければいけない。かといって天雨さんの事だ。注意をしたところであまり聞いてくれないと思ってね。敢えて誘いに乗らせてもらったよ」
「じゃ、じゃあ首輪をつけろっていうのは」
「生徒にそんな事はさせないよ。僕は先生だからね」
つまりその気になっていたのはアコだけで、飛鳥は最初から首輪を使ってからかってみせただけというわけである。
「……よ、よくあんなに強気に出られましたね。負けるかもしれなかったのに」
「ああ、そこは心配していなかったよ。数字には強いからね。コインが弾かれる動きから表と裏のどちらになるかは少し考えるだけでわかった」
「―――じゃ、じゃあコイントスを誘った時点で」
「うん。僕は君に勝つつもりだった」
絶対に勝てる条件を自分で選びながら、その意図を相手には読ませない。
完全にアコは飛鳥の術中に嵌まっていた。何食わぬ顔で、最初から相手を痛い目に遭わせようという魂胆だったのだ。
「ぬ、ぬぬぬぬぬぬ……」
「そんなに怒らないで欲しい。何故なら僕のやった事は君の作戦と本質的には何ら変わらないんだから。だから痛み分け……じゃダメかな。この件に関しては僕の方でも内緒にしておくよ」
どの道負い目があるのはアコである以上、何を言おうが負け犬のなんとやらである。これ以上の醜態を晒すわけにもいかず、口を突いて出そうになる言葉を必死に飲み込んだ。
心の底から納得いかない表情を浮かべ、頬を膨らませながらアコは不貞腐れた顔でデスクまで戻ると椅子に腰かける。ゲヘナへと逃げ帰っても良かったが、敢えて居直りを選んでいた。
飛鳥は自分の椅子に座ると首輪をデスクの端に置いてから、神妙な面持ちを浮かべた。
「―――実際のところ、シャーレとして君達に力を貸しながら抜本的な解決に至れていない事は申し訳ないと思っている。だからと言って僕と言う個人が権利を行使すれば、多大な影響を与えかねないという点も理解して欲しい」
「……」
「天雨さんの頼みは受け入れられない。でも、天雨さんが誰にも打ち明けられない悩みや苦しみがあるとしたら僕に話して欲しい。それなら幾らでも僕は、シャーレは応えるよ」
「……」
「そうだな、たとえば万魔殿の話をしよう。実は羽沼さんに賄賂という名目でプリンを一ダースくらい渡されそうになったんだ」
「はあ……? あのタヌキそんな事していたんですか?」
飛鳥が唐突に出した話題にアコはつい反応していた。飛鳥はコクリと頷いて、
「もちろん受け取らなかったから安心して欲しい。そうしたら、次会う時にはケーキを賄賂の材料にしようとしてね……」
「本当に何やっているんでしょうか、まったく……私なんて以前『風紀委員達の靴のサイズと一〇年後の降水量との関係性を論文にしてまとめろ』だなんて言われましたからね。むしろ懐柔の対象として見られているだけ幸せですね先生は」
「―――靴のサイズと一〇年後の関係性、か」
「なんです? もしかして真面目に考えています?」
「いや、できなくもないかも……しれない」
「できなくて結構です……!!!!」
それから、飛鳥の他愛もない話をきっかけにしばらくの間二人は『ゲヘナでの困り事』という話題に花を咲かせた。
あんなに飛鳥の弱みを握ると躍起だったアコは肩の力が抜けたのか、体裁を保つ事も忘れて凄まじい量の愚痴を相手に浴びせ始めていた。
「大体ですね、シャーレの犬ってなんですか犬って。こちらからも生徒をたまに当番として送り出して先生の『お世話』をさせているんですからね」
「その事については本当に助かっているよ……以前も火宮さんにお世話になった。時間が空いていたら次は僕の方が天雨さんの手伝いをするよ、書類仕事なら任せて欲しい。これなら僕が君の指示に従って色々命じられている関係性に見えたりしないかな?」
「良いですよ~。三回くらい三途の川が見えるくらい酷使してあげますから~?」
「お、お手柔らかに……」
※
「あ、チナツ? 今シャーレの外にいる」
『アコ行政官は何かしでかしていましたか?』
「うーん……なんか、先生と仲良く話してた」
『……明日は雪が降るかもしれませんね』
無茶苦茶アコの絆読みまくって自分なりに嚙み砕いて再構成した絆ストーリーです。
本来の予定は首輪巻いてはい罰ゲーム終わりってところでイオリに目撃、ドン引きされて噂が広まるというオチでしたがやめておきました。