先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
「こ、ここに入ったのか?」
「間違いありません。かなりご機嫌な様子でした」
「……えっ、中に入るのまさか」
飛鳥とアスナ、二人が入っていった店の前でそわそわする少女が三人。C&Cの残る面々である。
アスナがデートに行くなどと大声で宣言し、真実か否か確かめるべく現地までやってきたネル、アカネ、カリンであるがその足は店の前で止まってしまっている。
いつものネルならば切り込み隊長が如く店内に踏み込んでいるだろうが、今は店のドアに手をかける事を怖がっている。
「あ、開けるぞ? 開けるからな??」
「……前から思ってたんだけど、リーダーはどうしてそんなに怖がっている? アスナ先輩と先生がデートする事が嫌なのか?」
ドアノブをゆっっっくりと握って押すか押さないか自分自身と一進一退の攻防を繰り広げているネルの背中にカリンが純粋な疑問を投げかけると、鬼の形相が振り返った。
「馬鹿野郎カリン! お前、お前な考えてみろよ生徒と先生がそういう関係になるとか……そんな……なぁ!?」
「ああ、理解した。リーダーは最近飛鳥先生とまあまあ話す様になっているから、アスナ先輩に掻っ攫われてしまう事を不安に思っているんだ」
「飛鳥先生とお話している時の部長はいつもより楽しそうにしていますからね……」
「おっ前っらっ、うるっせ───」
一体いつになったら店内に入るというのか、店前で悶々とするネルとそれをにこやかに見守るアカネとカリンは漫才じみた雰囲気を纏い始め……しかし、おもむろに内側から開かれてドアによって破られた。
「あ、リーダー」
キィと音を立てて、開かれたドアから顔を覗かせたのはアスナである。顔を真っ赤にしてアカネに噛みつこうかという勢いだったネルは開閉の音に振り返り、そしてそこにいたアスナに目を剥いて驚いた。
「あ、アスナ!? よ、よぉ奇遇だな、えぇ!? ちょっと服でも見ようかと思ってな!」
「部長、いくらなんでも無理がある……!」
尾行の対象に見つかってしまうなどエージェントとしては任務失敗極まりない。慌てて取り繕うネルだが、まさかアカネとカリンの二人揃っている姿など見られて奇遇も何もない。
実際アスナも目を丸くしていたものの、あたふたするネルにニッコリと満面の笑みを浮かべた。
「私を尾行してたでしょー。知ってるもんねー」
「うぐっ……」
一体いつから気付いていたのか、と問いかけたい気持ちをぐっと飲み込む。アスナに『何故』や『どうやって』などという言葉は無意味だ。
なんとなく、そう感じたから、そんな直感で彼女はいとも簡単に物事を解決する。今回も同様に、なんとなくネルの気配か何かを嗅ぎ取っていたに違いない。
「でもいいよ! せっかくだから皆にも見せてあげるね、先生のニュースタイル!」
「ニュ、ニュースタイルだ?」
「うん! ほら、先生!」
溢れんばかりの笑みと共にアスナはひょこっとドアから飛び出し、そしてネル達の視線を一点に向けさせた。
ドアが全開で開け放たれ、洋服がずらりと並ぶ小綺麗な店内が広がり……そして、見慣れない服装に身を包んだ飛鳥の姿があった。
「……えっ? 美甘さんっ? ど、どうしてここに」
「おま、なんだそのカッコ!!」
「まぁ! ご主人様らしからぬ服装で……大変お似合いです」
端的に言えば、ポップだった。普段よく見る飛鳥らしからぬ、パステルカラーに白の差し色が特徴的なパーカー、ぴっちりとしたスキニージーンズ。似合っていると言えば似合っているが……若々しい、という表現がよく似合う。
ネル達のよく見る彼の出で立ちは大抵がジャケットを羽織った程度のものが殆どだったが、目の前にいるそれは大きく印象が異なっている。
飛鳥本人はネル達三人にまじまじと見つめられていると気付くや否や腰の辺りで手をもじもじとさせて、視線を彷徨わせた。
「い、一之瀬さんっ。どうして皆がここにいるんだい……?」
「んー? なんかいる気がしたんだよね。で、おニューの服を見せる最高のタイミングだったからさ! あははっ。結構反応良いみたい。ね、リーダー!」
「む、むぅ~」
事実、ネルの目から見ても悪くはない着こなしだった。線の細い青年であるからこそ、パーカーとジーンズは良い具合に飛鳥の体に馴染んで見えた。見たところ、ネルがいつも羽織っているスカジャンでも似合うだろう。
と、じっくりと飛鳥の新たなるコスチュームを観察したところでアスナは突然彼の背後に回り、
「そんじゃね、リーダー! これから先生とデート行ってくる!」
ひょいと飛鳥の足に手を伸ばしたかと思えば、次の瞬間細い体をお姫様抱っこの姿勢で固定。じりりと地面を踏みしめ、アスナの目にはキラキラと嫌な輝きがあった。
デート、という単語に驚く。そして次に何故飛鳥をお姫様抱っこするのかに困惑する。
「……おい、まさか」
「行くよ先生! 舌噛まないでね!」
「一之瀬さん待ってほしい。本当に待っ」
ネルが呼び止めるよりも早く、アスナは地面を跳ねた。ウサギの如く、否、バネの如く勢いよく。
「アスナァ!?」
ネルの頭上を飛び越え、飛鳥を抱えたままでアスナは行き交う人々の中に飛び込んだかと思えば、そのまま後姿は見えなくなってしまった。
本当に僅か一瞬の展開に呆然とするほかない。ネルは数分の間に繰り広げられた無茶苦茶な流れを理解しきれず、アカネとカリンに助けを求める様に振り返ってしまう。
「……追いかけますか?」
「なんかだんだん、アホらしくなってきやがった。もう知らん! アスナに付き合ってたらこっちの方が疲れちまう!」
「先生、くしゃくしゃになるんじゃないかな……」
どの道尾行はバレてしまっているのだ。加えて今から追跡したところで追いつけるわけもない。
嘆息と共に肩をすくめ、そこでネルは尾行を諦めるのだった。
「では、今度は我らがリーダーの為に新しいお召し物でも探してみますか。子供用サイズのモノになるかもしれませんが」
「ぜってぇいらねぇ!!!」
〇
デートに誘われ、そしてそれを拒否する暇もなかった。
より正確に言うと、更衣室に突入してきたアスナは飛鳥にこう訴えかけたのである。
「新しい服に着替えたなら、いつもと違う飛鳥先生が見たいなー! アスナちゃんからのシャーレへの依頼でーす!」
生徒からの頼みとあれば先生は断れない。普段から飛鳥が口にする事をそのまま投げ返されたわけで、拒絶などできない。
飛鳥はアスナの勢いに根負けし、彼女と一緒に何処かへ出かける流れになった。よもや、抱きかかえられて街中を移動する羽目になるとは思わなかったが。
さて人力タクシーに運ばれるまま辿り着いた場所は、至って普通なゲームセンターである。賑わいを見せ、頻繁に客が出入りしているこの場を最初に選んだ理由は何か。
「先生はゲーム好き? 遊んだりする?」
「ゲーム開発部の試作品なんかを遊ばせてもらっているけれど、最近は手をつけられていないというのが正直な感想になるかな」
「ふふっ、予想通りの答えだね。先生最近忙しそうだったもん、だから連れてきちゃいました!」
アスナらしいと言えばらしい動機である。が、飛鳥としては強引ながらもそのアプローチには少し嬉しい気持ちもある。
ゲームという娯楽を最近ようやく嗜む様になり、それなりに色々なジャンルに手を出し始めた。特にパズルゲームは飛鳥の好奇心をくすぐり、一度始めてしまうと数時間が過ぎてしまっていた事さえある。ユウカにとても怒られた。
「……しかし、何故僕をここへ? こういうのは一ノ瀬さんが行きたい場所を選ぶべきなんじゃないかい?」
「いーのっ。今日は先生が好きな場所に行くデートだから! それにこういう特に何か決めてるわけでもない方がデートっぽくない?」
アスナの考える事はいつも予想できないが、少なくとも善意からの行動である事は間違いない。共に行動をした関係性であるからこそ、飛鳥にも今回彼女が何かしら気を遣ってくれていると感じられた。
であれば、今回は自分自身への息抜きと考えて今この瞬間を有効利用するべきなのだろう。すぐに思考を切り替え、飛鳥はこくりと頷いた。
「わかった、君がそういうのならお言葉に甘える事にするよ」
「やったやった! それならさ、デートだし先生の事名前で呼んでいい? 飛鳥君って!」
「えっ……? あ、ええと」
腰の後ろで手を組み、こちらを覗き込みながらアスナが発した君付けでの呼び方に、飛鳥は戸惑った。
その呼び方を馴れ馴れしいと感じたわけではない。ただ純粋に、少なからず衝撃を受けていた。名前を呼ばれるだけでよもやドキリとするなど、初めての体験だ。
「ほら、行こっ。私おすすめのゲームあるからっ」
アスナに手を握られ、そのままゲームセンターへと足を踏み入れる。路上の喧騒とは少し異なり、電子音やゲームに熱中する人々の熱狂が飛鳥の耳をガンガンと叩いた。
騒がしい。まるで祭りか、はたまた戦場だ。こういう場での判断力に乏しい飛鳥には、先導してくれるアスナの存在は頼りがいがある。
「ふふふ、アスナちゃんが最近ハマっているのは……じゃーんっ、パズルゲームです!」
店内の奥まったところまで進むと、音がより一層大きくなる。長方形の筐体には何色ものカラーブロックが積み重なっては消えていく映像が流れている。
パズルゲーム。古くは1900年代後半から普及した人気ジャンルである。世俗に疎い飛鳥でも多少なりとも知っているが、アスナがそれを好んでいるというのは意外だった。
「パズルゲームが好きなのかい? 僕はてっきりシューティングゲームとかそっちの方かと」
「えーだってそっちはいつでもできるじゃん?」
「……ああ、うん。それはそうか」
「ほらほら飛鳥君もこっち来て!」
まだ名前で呼ばれるのにはムズムズとするが、それを毎度口に出すわけにもいかない。ぐっと堪えながら筐体へと向き合うと、アスナは既に二人用モードを選択して対戦の準備を整えていた。
ルールは簡単。画面内を箱に見立てて、上部より落ちてくるカラフルなブロックを積み重ねていく。同じ色で一列揃えばその列が消えていき、点数が加算。これを制限時間内に繰り返し、相手より高得点を狙うというわけだ。
「よーっし、じゃあスタートねっ」
STARTの文字が画面を走り、対戦が始まった。
自慢ではないが、飛鳥はパズルゲームが得意である。多種多様なジャンルに触れてみたが、最も手ごたえがあったのはパズルだった。計算と予測、彼が最も得意とする二つを制するものがパズルゲームの勝者なのだ。
(一之瀬さんには悪いけれど、ここは僕も全力で遊ばせてもらおう……)
珍しく飛鳥は強気でゲームに向き合い、次々にブロックを消していく。実際のところ、その腕前は紛れもなく上位プレイヤーのものと言えた。上から落ちていくブロックのサイズ、色を見た段階でテンポよく二手三手先を読み、まるでこれからやってくるブロックが何かまでを知っているかの様に操作していく。
熱中する飛鳥のスコア表は瞬く間に増えていき、やがて周囲のプレイヤー達からの称賛の声が聞こえ始めた。
「ねぇ見てよあそこ!」
「あんなスコア見た事ない!」
「誰あれー!」
ゲームの腕前を褒められるのは存外悪い気持ちではなく、普段ならば顔を赤くしたり謙遜してしまう飛鳥もほんの少し喜びで背筋が伸びかけ、
「わーい! また消えたー! ハイスコア―!」
「えっ……?」
真横のアスナが稼いでいるスコアが自分より遥かに上のものであると気付いて思わず手を止めてしまっていた。
考えられる限りで飛鳥は最高率の動きでゲームを解いていた。速度でそれを上回れるはずがない。だのにアスナときたら、彼の予想を斜め上で上回る遊び方をしている。
アスナは画面を見てはいるが、操作そのものは適当極まっている。初心者か幼い子供の遊び方だ。だというのにブロックは適当に組み上げられているはずなのに続々と、しかもまとまって消えているではないか。
「そ、そんな……っ」
「ねーっ、これが楽しいんだよ飛鳥君!」
常々普通ではないと理解していたが、よもやこんな形でまた思い知らされるとは恐るべしと言うべきか。飛鳥は心底驚いていたが、それでも負けじとその手は操作を止めない。
(それならば……僕なりに君に挑戦しよう)
飛鳥は操作のスピードを上げた。ブロックが上から下まで落ちる際の速度は一定なのだが、プレイヤー側で速度を速める事ができる。速攻で積み上げられるのだが、判断を誤れば取り返しがつかなくなる危険な選択である。だがいわゆる天才と呼ばれる人種の飛鳥ならば、どうという事はない。
(倍速!)
ブロックが続々と落ちてくるが、さしたる問題ではない。てきぱきと飛鳥は倍速状態で列を組み上げては消して行く。いくらアスナと言えども更なる速度をあげればついてこられない……はずである。
「あっ、飛鳥君のそれ面白そー! 私もやろっ」
甘い予測であった。アスナは倍速の存在を初めて知った様子ですぐに実行したかと思えば、またも適当な操作でスコアをぶち上げていく。これには飛鳥も呆然とするほかになく、流石に手が止まってしまっていた。
見ている限りではアスナが特に細かい動きをしているわけではない。本当に、ただ適当に遊んでいる。だがそれがどういうわけかプレイングを成立させ、そして結果を出してしまっている。
「一之瀬さん、君は一体……」
「んっ! 飛鳥君手止まってるよ! ほら!」
愕然とアスナの横顔を見つめてしまっていた飛鳥がそこで視線を画面に戻すと、倍速にしているおかげでブロックが箱中に敷き詰められ、リカバーが不可能になってしまっていた。
〇
「前々から思っていたんだけど、君はどうしてこう……色々上手くいくんだい?」
「上手くって何が?」
「その、やる事なす事」
困惑でいっぱいの飛鳥、ストローを咥えながら首を傾げるアスナ。
『スーパープレイヤーがいる!』とゲームセンターでちょっとした騒ぎが起きた為に慌てて飛び出し、近くのカフェに転がり込んだ。腰を落ち着けられる場所で、飛鳥は思わず疑問を口にした次第だ。
アスナは何かおかしな事があったのかと不思議そうな眼差しを浮かべている。
「何か変かな……? いつも通りだよ?」
「ゴールデンフリース号の一件から思っていたけれど、どういうわけか君は色々な動きが速い。さっきのゲームもそうだ」
「そうかなぁ? あ、でもあのゲーム遊ぶのは初めてだったかも……」
「―――初めて? でもパズルゲームが好きだって」
「うん好きだよ! あのゲームは初めてってだけー!」
やはり、アスナは何かが違う。ただ掴みどころのない性格をしているだとか、予測不可能と言った言葉では表せない特異さがある。
それは彼女がキヴォトスの人間だから、なのだろうか。
「一之瀬さんは前からずっとそうなのかい?」
興味本位で飛鳥が尋ねると、
「『そう』っていうのがどの事かはわからないけど、勘は良いよ私。こうしたら良いかも、みたいなのがわかる?みたいな」
「勘が良い、か。その一言で表すには一之瀬さんはあまりにも例外的すぎるな」
「む、また難しい言い方してる。折角のデートなんだから楽しもうよー!」
「ああ、ごめん。どうして君がそんなにも勘が良いのか、そこがどうしても気になってね。急にデートする事を決めたのも、何かピンと来たのかな」
飛鳥としては純粋な疑問を投げかけたつもりだった。
唐突に予測不可能な行動を取る、それがアスナの言う勘に突き動かされてのものであるとしたら、彼女の意思決定にも大きく関わっているのではないかと。
理屈っぽい考え方ではあったが、アスナを分析したいという気持ちの方がどうしても強くなっていた。
するとアスナは驚いた表情でストローから口を離し、
「もうっ、鈍いんだ。女の子の気持ちわかんないの?」
「えっ……? き、気持ちって」
「私は、飛鳥君と、デートに、行きたかったのっ。そういうのに難しい理由なんている?」
「っ……それは、まったくもって、君の言う通りかな」
やはり、飛鳥=R=クロイツは一之瀬アスナに弱い。
感情的で、直感的で、だからこそわからない。そういった心を押しやっては考えてばかりの人間には、彼女の存在は暴力に等しい。好意をハッキリと言葉にする、実行するのに飛鳥は並々ならぬ覚悟が必要だというのに。
「僕の知らない君を見たい、と言ったけれど、それは誤りだったね。一之瀬さんは何があっても一之瀬さんで、僕が自分を見せていないだけだったんだ」
「そうだよ! だって、さっきゲームやってる時少しムキになってたでしょ、アレ凄く新鮮だった! まさに知らない飛鳥君だった! もっと見せて~!」
もっと、と言われても飛鳥にはもう引き出しがない。困った事にアスナ程感情豊かになる機会もなく、計算を解く事くらいが取り柄なのだ。
どう答えたら良いものか、飛鳥はこめかみを指で掻きながら、
「そ、そうだな。実は蕎麦が打つのが好きなんだけど、その方法が特殊で―――」
「―――え? 何?」
突然、アスナの声色が変化した。少し低く、若干の敵意をにじませて。
何か気に障ったのかと飛鳥が驚いて謝ろうとしたところで、彼女の眼差しが揺らいでいる事に気付く。左右に、上下に、アスナの視線が動いている。
「……一之瀬さん?」
尋常ではない様子だった。つい先程までの笑顔が完全に消え、機械的で能面の様な表情が凍り付いている。
流石に何かがおかしいと判断した飛鳥が恐る恐る声をかけようと手を差し伸べた、その時。
「見つけた!!!!」
バンッ、とアスナの手がテーブルに叩きつけられる。人々の楽し気な会話で賑やかだった店内がその音に気付いた途端に静まり返り、何事かと視線が一点に集まる。
「一之瀬さん、一体―――」
「飛鳥君はここにいて!!!!」
飛鳥の声を完全に無視し、アスナは椅子から弾ける様に立ち上がると全速力で店内を駆け出す。追いかけようにも彼女の足は速い。
飛鳥が追いかけようと判断した時には遅く、力任せに開かれたドアを開いたかと思えばアスナは店外へと飛び出してしまった。
「すみません、ちょっと……!」
従業員に申し訳程度に頭を下げながら飛鳥もカフェの入口へと向かい、路上へと出た。
人が多すぎる。アスナの姿を探そうにも、雑踏の中に立っては何も見る事ができない。唇を噛み、飛鳥は何処か一目のつかないところを探し、路地裏へと駆け込む。
アスナを追いかける力はないが、かといって追跡を行わない理由にはならない。飛鳥は路地裏に向かい、周囲に誰もいない事を確認してから『本』を開くのだった。
〇
アスナにとって、直感とは理屈に勝る絶対とも言えるものだった。
裏付けがされているわけではない。しかし、直感に従わないという選択肢など最初からない程度には、彼女は自分自身の『こうするべき』を信じている。
そしてその直感が、今回は異様に具体的だった。あれをしよう、これをしようではない。
―――『彼はそこにいる』
行き交う人々の間をすり抜けながらその足は全速力で確かに感じた反応を目指す。間違いなくまだそこにいると確信して。
彼は、飛鳥に害を与える。彼が何か罪を犯せば、そのたびに飛鳥は沈痛な顔をした。
それがどうにも許せなくて、我慢できなくて、アスナはこの手で悲しみの元を絶ってやろうと考えていた。
「―――そろそろだ」
街には必ず隙間がある。誰かが辿り着いてしまう場所、誰かがはぐれてしまう場所。普通ならば誰にも気付かれずに在る狭間。
そこにアスナが足を踏み入れると、一人の男が行き止まりの壁の前で佇んでいる。その顔は、彼ではない。だがアスナの中にある『何か』は間違いないと断定していた。
「動かないでッ!」
携行していたアサルトライフルの銃口を迷いなく男に突き付け、しかも威嚇射撃を足元に放つ。撃ち込まれた銃弾がコンクリートへと叩きつけられ、コンと小気味の良い音が響いた。
男は驚いた様子で、
「……急に銃を向けて撃ってくるとは、どういうつもりなのかな。私はこの道に迷い込んでしまっただけだよ」
「私、貴方が誰か知ってる。顔は違うけど間違いない! 貴方……ハッピーケイオスでしょ!!」
一度その姿を見ているからこそ、飛鳥と談笑している最中にアスナは『感じた』。ハッピーケイオスが近くにいる、と。
だからたまらず店を飛び出した。確かめる為に。
男はまた驚いた表情を浮かべ、それからニッコリと微笑んだかと思えば、瞬きの間にその姿を見慣れた怪人へと変化させていた。
「凄い。僕の変装に気付いたのは多分君が初めてだよ。あー、今日はバニーガールじゃないんだね。そっちが普段の格好なのかな?」
再びの射撃。だが今度はケイオスの肩口を射抜いていた。
アスナとて威嚇が通じる相手だとは思っていない。故に『それ以上喋るなら撃つ』、と明確な敵意を示す。
ケイオスは肩口に空いた穴をちらりと見てから、微笑んだ。やがて銃痕から弾丸が吐き出され、穴はみるみる内に塞がった。
「それで、なんで僕がここにいるってわかったの。もしかして……勘? 鋭すぎない? 君で二人目だよ、そういうの」
一対一で向かい合い、初めてアスナはケイオスという男の持つ不気味さを感じ取っていた。
人の形をした、何か。どれだけ言葉を探してもそれ以上の表現が見つからない。極めて異常で、歪な存在だ。
だがそんな疑問を今は捨て置く。最も重要なのはこの場で取り押さえ、そしてこれ以上の悪事を止める事にある。
「……言っておくけど、それ以上動いたらもっと撃つ」
「怖いなぁ。無抵抗の人間に発砲するだなんて、なんて……あー、ここじゃ通用しない常識か。良いよ撃っても。でも効かない事くらい知ってるでしょ。それよりさ、悪い事はしないから僕とお話しようよ」
「話すって何を」
「君の事だよ、一之瀬アスナ君。君が『特別』な事はこの前の一件で知ってる。でも僕はもう少し詳しく知りたいんだ」
「貴方と話す事なんて私には何もないから!」
「……だよね、じゃあ、君自身に聞こうかな」
銃口はケイオスの脳天に据え、いつでも発砲できる姿勢は取っていた。距離もさほど離れておらず、たとえ彼が銃を抜いたとしてもその前に撃ってみせる自信がアスナにもあった。
問題は、ケイオスが常識を逸脱した存在であるという事。
ほんの数秒、瞬きをするよりも早く、ケイオスは姿を消し、そして次の瞬間にはアスナの目の前に立っていた。
「ッ……!」
「君も知りたいでしょ。なんで僕が『特別』なのかを」
トン、とケイオスの指がアスナの額に押し当てられたか
なんということだ全人類の想いが世界に取り憑いたこんな少女がそれを背負うというのか世界は自ら原因を取り除いた神になってしまう!!!!!ERRRRRRRROOOOORRRRRRRRRRR許してくれ許してくれ許してくれ許してくれ人としての欲望を奪うしかない人類の未来を望む想いがこの子から願いを奪うせめて名前を〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇イ〇〇〇〇〇〇〇ノ
「ああ、なるほど。君にとっては世界の順番が逆なんだ」
やめろ!考え直せ!!我々は生命定義に危機感がない?敵対するつもりか
「ああ、うん、わかった。つまるところ君は答えに辿り着くのが早いんじゃない。答えを手繰り寄せてるんだ」
ERROR
ERRRROR
おい、お前。見えてるだろ、私の事が。
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤
こっち側が見えているのか? それともアイツに無理やり突っ込まれたのか?
「でも気を付けた方が良い。それだけ君は大変な事になる……今の内に飛鳥君に連絡した方が良いよ」
聞こえているのか? 見えているのか? どうなんだ?
ちっ。ラリっただけのガキか。さっさと帰れ、ぶっ壊れるぞ。
「あ……?」
目が覚めた時、アスナはコンクリートの硬く冷たい感覚を背中で感じていた。
すぐそばにライフルも放り投げられていて、少し前の記憶を遡ろうにも少し頭がぼやけてしまう。
だが、ケイオスという四文字が頭をよぎった瞬間に彼女は意識を覚醒させ、体勢を立て直すと武器を構えて周囲をぐるりと観察していた。
「いない……っ」
逃げられたのだとすぐに理解した。でなければわざわざこんなところに一人寝かされてなどいない。
唇をギュッと噛み締める。折角捕まえられるチャンスだったかもしれないというのに、みすみす逃してしまうなどエージェント集団に所属する人間として恥ずべき事である。
「追いかけないと……!」
再び追跡を試みるが、既に直感はケイオスの存在を見失っている。
いつもならば何か感じ取れているはずなのだが、頭に靄がかかっている様でまるで働かない。
闇雲に探しても意味がないとわかりつつも、アスナは突き動かされるままに路地裏を抜けた。
「何処に行っちゃったんだろう」
最初は走っていた。
けれどだんだんと歩いていた。上手く腕が振れなかったのだ。
街の中心から離れ、とりあえず高いところを目指して丘にある公園を目指した。
何度か躓いた。足がうまく上がらないのだ。
階段を登ろうとして、登り方が思い出せない。気付けば四つん這いだ。
息が続かない。息をするにも気を張る必要があった。
息苦しい、制服のリボンを取り、ベンチまで向かう。座らなければ休めないのだが、座るとは
「……………あっ、先生」
随分と遅れてしまったが、先生に連絡をしなければならない。見つけたのだ。そう、見つけたのだ。
「……………………なにをだっけ」
ぼう、とスマホの画面を見つめる。スマホとはなんだったか。
なんとなく開いて、何をするのかが思い出せなくなりそうで、とにかく先生の顔を思い浮かべながらモモトークを起動させる。
『せんせい! みつけたよ!』
『一之瀬さん? 今何処にいるんだい? 見つけたって何を?』
「……これ、なんてよむの」
さん にいるんだい?
何かの暗号だろうか。よく読めない。先生はいつも難しい事を言うから、きっと変な文字でからかっているのだろう。
「……あっそうだ、みつけたんだっけ」
『せんせい! みつけたよ!』
『君の位置はわかった。すぐに行くから、動かないで!』
難しい文字が増えている。先生は意地悪をしている。
「そういえばなんでせんせい、いないんだっけ?」
先生はきっと、勝手に何処かに行ってしまったんだろう。困ってしまう。
「……あっ、うん? そうだ、見つけたんだっけ」
『せんせい! みつけたよ!』
今度は返事がない。やっぱり意地悪だ。
「……みつけたって、なにを?」
なんだったか……。なにかをみつけて、それをせんせいに伝えたくて……
だれか、あかいひとを
〇
「はあっ……はあっ……はあっ……!!」
アスナの携帯端末が発する電波を拾う事はさほど難しくはなかった。問題はよりにもよって瞬間移動の途中で法術が時間切れとなり、信号が出ていた公園から少し離れた位置に出現せざるを得なかった事である。
丘の上まで続く階段を一段一段踏みしめる。心臓が破裂しそうな程に高鳴り、足の筋肉という筋肉が裂けそうだと悲鳴をあげる。どれだけ運動をしようが、この痩躯はいつまで経っても成長を見せない。それが歯がゆくて、悔しい気持ちで、飛鳥は階段を登り続けた。
「いちのせ、さんっ」
そうして頂上に辿り着いてすぐのベンチに、アスナの姿があった。慌てて駆け寄ろうとして、飛鳥は思い切り躓き、顔面を地面に叩きつけていた。
「あぐっ……」
鼻がずきずきと痛む。鈍痛に顔をしかめながらベンチへとやっとの思いでしがみつき、
「一之瀬さん、心配したんだよ。一体どうして急に……」
だが呼びかけても、アスナはぐったりと俯いたままでまるで返事がない。眠っているわけではない事くらい、誰の目から見ても明らかだった。
恐る恐る肩を掴み、顔を覗き込む。そうしてそこに広がっているものを見て、飛鳥は言葉を失った。
「一之瀬さん……!?」
「――――――」
無、とでも表現するべきだろう。一切の感情というものがない虚無の如き顔で、アスナは呆然としている。
意識を失っているわけではない。ただただ、無に浸っている。
「これ、は」
肩をゆすってみても反応がないどころかそのままベンチから転がり落ちかけ、飛鳥は必死に抑えた。
続いて瞳孔を確認するが、異常はない。
アスナは完全に思考が止まっている状態の様だった。植物状態に近く、自発的呼吸をするのも精一杯と見える。
「一体何故、こんな……」
カフェを飛び出す直前の異変、そして現在の異常。この間に一体何があったというのか、考えたくても眼前のアスナをどうすればよいのかばかりが頭をよぎってまともに考えが組み立てられない。
とにかく何処か安静にできる場所に連れて行かなければならない。飛鳥はぐったりとしているアスナに肩を貸し、ベンチから立ち上がろうとする。が、ただでさえ貧弱な肉体に疲労が蓄積していればできるはずもなく、バランスを崩して倒れ込んでしまった。咄嗟に自分を下にし、アスナと地面の間でクッションになったものの、ぐえっと肺から空気が絞り出された。
「ううっ……」
「……あっ、先生?」
すると、何の前触れもなく飛鳥に覆いかぶさっているアスナが声をあげた。胸と胸をぴったりと密着させたゼロ距離でまじまじと彼女は間の抜けた顔で何度か瞬きをして、
「……あれ、どうして先生がここに?」
「一之瀬さん……? 意識が戻ったのかい?」
「ていうか、さっきからずっと先生、じゃなかった飛鳥君の声が聞こえてきて、あれーなんて思ってたら目の前に本人が出てきたんだよ!えーどうして!」
つい数秒前までの状態から突如復帰し、アスナはガバッと身を起こすと、またあのニッコリ笑顔を浮かべた。
「わーい! なんかわかんないけどさっきより頭が透明な感じー! それになんだか、凄く胸がドキドキする!!ありがとー飛鳥君!」
「ど、どういたしまして……? 元気そうで何よりなんだけど、でもできれば降りてくれると嬉しいかな」
「え? あ、ごめんごめん」
サッと飛鳥から離れたアスナはぴょんぴょんとその場で嬉しそうに跳ね、そして近くに放り投げられていた制服のリボンを拾い上げる。その表情は何かを決意した様子で、少し怪しい。
何か嫌な予感がする、などと思っていた時には既に遅い。飛鳥が立ち上がって体の埃を落としている間にアスナはさっと目の前にやってきたかと思えば、リボンを首に巻き付けた。
「もうっ、飛鳥君ってば! どっか行っちゃ駄目だからね! こうやって首に巻いて……はい! アスナちゃんと飛鳥君、繋がっちゃいました~!」
何がどうしてそうなったのか、飛鳥の首には犬の首輪じみた形でリボンが巻かれた。
話の流れがまったく理解できない飛鳥が目を丸くするのをよそに、アスナは心からご機嫌な様子で、
「あーよかった! ケイオスには逃げられちゃったけど、飛鳥君に会えた!」
「ケ、ケイオス? 一体、それは―――」
「後で話す! でも今は……デートの続きをしよ、ね!」
「え、いや、一之瀬さん、まだリボンが解けてな、ぐええぇっ!?」
完全復活した様子のアスナを飛鳥が止められるはずもない。首輪をつけられ、彼は引っ張られるままにデートを再会させられるのだった。
後日、シャーレに『飛鳥先生が生徒と特殊なプレイを行っている』という苦情が相次ぎ、ゲヘナ学園より天雨アコが烈火の如く怒り狂いながら突撃するという珍事が起きたが、それはまた別の話である。
〇
「いやーごめんね皆、ちょっとトラブルが起きちゃって。安心してね解決したから」
「……遠足、だとか言っていたな。一体これに何の意味がある?」
「意味はあるさ。皆で敵情視察してたわけだからね? えーっと、それで皆渡したお小遣いはちゃんと使ったかな?」
「はいぃ! 雑誌とご飯に消えちゃいましたあ!!」