先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
白一色。その部屋を一言で表すならば最も相応しい表現である。
世界から隔絶されているが如きその色合いにただ一点、黒点が存在する。天井から何本もの鎖に繋げられた、棺だ。
それはまるで磔刑の様で、玉座の様に見える。
ぽっかりと開かれた棺の中央部には女が一人、収められている。名はアリエルス。世界の全てを取り仕切っていると言って良い聖皇庁のトップであり、そして人類を滅ぼさんと画策していた『慈悲なき啓示』と呼ばれた存在だ。
「あ、あの、アリエルス様」
白一色の空間に光が差し込む。有事以外は開いてはならない入口の扉が開き、甲冑姿の兵士が広大な牢獄を覗き込んでいた。
「何か欲しいものがありましたら、私が用立てますが」
「━━━いいえ、必要ありません。それに私に施しなど与えるものではありませんよ。罪人なのですから」
アリエルスの声は、よく響く。淑やかなその声色は気味が悪い程通り、離れた兵士の耳にも染み込む様だった。
兵士は口ごもりながらも、
「しかし、今の貴女は我々人類に力を貸してくれている。であれば……私からできる事はないかと」
「その想いは私ではなく民に向けなさい。イリュリアを守護する騎士が人類絶滅を画策した悪人に肩入れするなど、立場がありませんよ。自分自身の職務に背いてはいけません」
「━━━貴女が、そうおっしゃるなら」
兵士は何か言いたげであったが、アリエルスの言葉に対して返す言葉もなかったのだろう。残念そうであったが、どこか自信ありげな様子で扉を閉めた。
純白の空間を静寂が埋め尽くす。アリエルスは棺の中でゆっくりと瞼を閉じ、それから虚空を仰ぐ。
「貴方の方から会いに来る、という事は何かしらの手がかりを得たのですね? アクセル=ロウ」
一瞬にして、棺の前に男が現れた。あたかも最初からそこにいた様な、一切の違和感がない異質そのものな登場である。
アクセルの顔色は優れない。つい先程まで夢の中に落ち、そしてその先で思わぬ未来を見せられたのだ。無理もない。
「……アンタは、『慈悲なき啓示』で良いんだな?」
「間違いありません。人間を『人形』と謗り、『聖戦』を起こし、そして全人類に宣戦布告した、大罪人です」
「アンタに聞きたい事が、いや、頼みたい事がある」
アリエルスはアクセルの瞳をじっと見つめ返す。焦燥、何やり無力感に唇を噛み締める彼の表情に、かつて聖皇と呼ばれた女は目を細めた。
「見えたのですね、『あちら側』が」
「ああ、見えたさ。しかもデッカいオマケ付きで。向こうの名前は『キヴォトス』」
「……具体的に何を見たのですか?」
「色んな人の叫びと、涙。そしてそこには飛鳥=R=クロイツもいた」
アリエルスの表情には変化はない。眼差しだけは強い光を放ち、アクセルに続きを促す。
「俺は夢の中からそれを見た。そんで、夢の中にはセイアって女の子もいたんだよ。なんで俺がアンタに会いに来たのか、わかる?」
「―――夢から現実に干渉する方法を知りたいのですね?」
アリエルスが話の流れを先読みすると、アクセルは驚きもせずに頷き返した。
「アンタはベッドマンに教えたんだろう? なら、俺にも頼む」
「確かに私は夢の中でしか生きられない彼に、現実へ干渉する為の手ほどきを行いました。しかし貴方が置かれている状況とあの時では大きく勝手が違います」
ベッドマン。かつて『慈悲なき啓示』と共に全世界に宣戦布告した男。眠りの中にありながら多くの者が一太刀を浴びせる事すら叶わなかった、恐るべき敵である。
アクセルは考えた。夢の中で出会ったセイアを助ける為に、何より夢を通じて別世界に向かう為に彼と同じ手段を用いようと。
「良いですか、アクセル。前提としてベッドマンの肉体と精神は同じ世界に存在していた。あくまでも彼は自分自身の肉体と意識の紐づけを希薄なものとしていたからこそ、精神のみで独立した活動を行っていたのです。今回の場合、貴方の意識が別世界の夢に混ざり込んだとして……現実に干渉する為の肉体を持っていない」
「っ……」
アリエルスはスラスラとアクセルの案を切り捨てていく。アクセルとて、薄々そんな予感はしていた。いくらなんでも意識だけの繋がりで別世界の事象に介入する事などできない。
だが、と彼は拳を握り締める。こうなれば誰もアクセル=ロウを止められはしない。一度そうと決めたら曲げないのが信条なのだ。
「そこまで言えるってんなら、もう一度聞きたい。どうすれば良いのかアンタは知っているのか?」
「……あくまで理論です。頭の中で組み立てた、机上の空論に過ぎない。しかも、貴方の能力を前提としてしまっている」
「だったら話してみろ。ソイツは多少無理をさせてもくたばりはしねぇ」
二人の会話に割って入ったのは、牢獄の扉を勢い任せに蹴り飛ばして踏み込んできたフレデリックである。邪魔をすると謝るわけでもなく、そのまま彼はアクセルの元まで歩み寄ると、アリエルスをギロリと睨みつける。
「テメェが何を何処まで知っているのかはこの際良い。こちらの質問に答えろ」
「だ、旦那」
「必要なモノがありゃ言え。さっさと揃える。そら、吐け」
それは言外に『でなきゃ殴る』という強い意思を込めていた。
牢獄にやってくる直前、アクセルは別世界で見た光景をフレデリック達に伝えている。
飛鳥が死ぬところを見た。それを聞いたフレデリックは目の色を変え、そして今に至っている。無理もない話であるが、それにしても久方ぶりに見る『キレている』顔だ。
アリエルスは割れんばかりに握られた拳を見つめながら、
「まずは、貴方達の頭脳が必要です」
〇
「さて、情報分析に当たっていたばかりに会議へ遅れてしまった事を詫びよう。そして今回もアドバイザーを務める、Dr.パラダイムだ。よもや『慈悲なき啓示』と共に喧々諤々となろうとは思いもしなかったが」
咳払いと共に、一匹の竜が声をあげる。
『バプテスマ13』事件においてフレデリックやカイと共に戦い、人類を救った英雄。そしてギアにして研究者であるDr.パラダイムは司令室の机をぐるりと囲む面々の顔を窺う。全員が緊迫した面持ちで、何よりアリエルスの口から語られた思わぬ情報を聞き逃すものかとこれまで以上に集中している。
フレデリック、カイ、レオ、アクセル、そしてアリエルス。パラダイム本人が言う様に、とてもではないが想像のしようがない状況である。
「とはいえ、だ。失踪事件を追う上で情報は多い方が良い。何より、アリエルス本人が言うには『別世界への道を見つけられるかもしれない』、と」
「あくまでも、仮定であるという事だけは前もって理解してください。実際に証明可能なのかも含めて、今皆さんに集まっていただいている次第です」
「余計な御託は良い。さっさと始めろ」
「フレデリック……っ」
気が立っている様子のフレデリックをカイが視線で咎める。殺気に近いものが立ち始めており、いつ爆発するかわかったものではない様子だ。
アリエルスはコクリと頷くと、机に備え付けられたキーボードを叩き、法術による映像を頭上に投射した。
地球を模した球体が二つ。一方には『こちら側』、もう一方には『あちら側』という表記がされている。
「まず、現状を改めて説明します。
飛鳥=R=クロイツを含めた複数名の失踪にはハッピーケイオスが関わっており、彼らは別世界へと転移した可能性がある。別世界の名は、『キヴォトス』」
『あちら側』の表記が『キヴォトス』へと切り替わる。これに、レオが唸った。
「聞いた事もない地名だ。調べさせたが、過去のどの文献にも載っていない。もしも、の可能性は否定できないが……別世界では俺達が辿ってきたものとは異なる歴史になっているんだろうな」
「文化、時代、人種、いずれも我々が考えるよりも別物だとみなしていいでしょう。アクセルさん、もう一度貴方が見た内容を教えてください」
もう一つの世界を横目に、アクセルは自身に向けて注がれる視線にゴクリと唾を飲んだ。
「俺はまず、どっか城みたいなところにいた。そしてセイアって女の子がいて、その子は燃える建物とか、無茶苦茶になった街とか、色んなものを俺に見せてきた。ほら、こんなの」
アクセルは何枚かの紙を机の上に置き、指差す。それにはセイアと出会ったという部屋と、燃える街が描かれている。会議前にフレデリックが指示し、おおまかに見たものを覚えている限りで残させたのだ。
イリュリアに残っているデータベースと参照したところ、建築様式自体は『こちら側』とさほど違いはないらしい。手掛かりとなるものは見つからないという事だ。
「それで、セイアちゃんは自分が夢の中にいて、未来を見たって言うんだよ。その未来には……飛鳥とラムレザルの姿があった。どっちも尋常ない、ヤバい状況なのはわかった。そして、多分ケイオスが関わっている」
「未来、というのは具体的にどれほど先のものかを少女は教えてくれたかね?」
パラダイムの問いにアクセルはかぶりを振り、
「詳しく聞く前に夢から追い出されちまったよ。でも、アレはイメージとかそんなんじゃなかった。俺にはわかる」
「彼は因果律干渉体です。時間を行き来する能力を持つ人間の言葉以上に、説得力はありません」
アリエルスが補足すると、会議室を重苦しい空気が漂う。
近い未来にとてもつもない事態が別世界で置き、飛鳥とラムレザルに危険が及ぶ。それは実質タイムリミットが定められている事を意味し、少なからず焦燥感を煽った。
と、その空気を破るかの様にアクセルが再び口を開く。
「でも、だ。セイアちゃんは言ってた。飛鳥やケイオスがやってきてから、色々変わったって。確か皆が消えてから数日かそこらだろ? 絶対とまでは言わないけどさ、もしかして時間のズレとかあったりしないか?」
「……ありえない話じゃねぇ。キヴォトスでの数日が、こっちでの数時間、そう捉えられる」
フレデリックが低い声で続き、カイは納得した顔で頷く。
「まだ我々が観測している限りではその未来までは猶予がある、と言う事ですね?」
「とはいえ、だ。猶予があると言っても悠長にはしていられない。本題に入ろうではないか、アリエルス」
逸れかけていた話の本題へとパラダイムが舵を切ると、改めて一同の視線はアリエルスへと注がれる。
またアリエルスがキーボードを操作し、映像が変化する。
「これまで、別世界へと繋がる道は見つけられませんでした。当然です、文字通り『別』なのですから。ですがアクセルが夢を通じてキヴォトスの住人と繋がった事から、糸口が掴めるやもしれません。何より彼がベッドマンの名を出してくれたおかげで、私の考える理論もにわかに現実味を帯びてきている」
「え、俺? 俺のおかげ?」
映像に『BEDMAN』という文字列が表示される。思わぬ人物の登場に、アクセルを除いた皆が目を細める。
「ベッドマン……アサシン組織のヴェノムと相討ちになったという報告は上がっているな」
「彼は端的に言えば、異能力者です。優れた演算能力を持ちそれ故に眠り続けなければならなかった。そんなベッドマンと、私は以前この様な会話を交わしました。『人が見る夢とは、バックヤードに繋がっている』と」
この世の森羅万象に繋がっている空間、バックヤード。物理法則のみに留まらず、フレデリック達が生きる世界の全てがそこに記されているという。
そして夢とは、時に人類全体の集合的無意識が集まる場ともされる。
世界を構成するバックヤード、人の意識を内包する夢。
「……待て。それはまさか!」
「あのワームホールは、そういう事か」
「証明できるかもしれない。別世界への道を……」
誰よりも先にパラダイムが声をあげる。続いてフレデリックとカイが顔を見合わせながら頷き、アリエルスに信じがたいという視線を向けた。
「おい、おいおいおい。何か理解した顔をしているが、少し万人向けに説明できんのか!?」
「あの、俺も、アクセルも同じ気持ちでーす」
唯二人、レオとアクセルは場の空気に負けじと手を挙げて状況説明を訴える。うんうんと唸りながらパラダイムはアリエルスの隣まで近付くと、彼女に一言言ってキーボードへと立ち、素早く入力を始める。
映像が二つの世界を維持したまま、一気にその規模を拡大する。どうやら立体映像をそのまま黒板にするつもりらしい。
「事の始まりは月で発生したワームホールだ。誰によって引き起こされたのか、何を目的としたのか一切不明。地球に落下物があったわけでもない、何かがあの宙域に漂っているという報告もない。まさに謎そのものだった。しかしだ、別世界が存在し、そしてそこに『ギアメーカー』……飛鳥=R=クロイツが転移したとなれば話は別だ」
二つの世界を線が繋ぐ。まるで橋の様なそれに『ワームホール』という注釈が入った。
「恐らく、あのワームホールを開けたのは飛鳥だ。どうやって開けたのか? それは彼が持つ一冊の本が成せる業だろう」
「……え? おい待て、俺の認識が正しければ確かそれは」
「『始まりの書』。バックヤードの全てが記され、世界の法則を書き換えてしまえる全知全能の一冊だ。別世界でその力を行使できるのか、これの立証は今は置いておくとしよう。重要なのは、ワームホールが『本』と、そこから行使される法力によって開かれて別世界キヴォトスと我々の世界との橋渡しになったという部分にある」
「―――それって、何かこう、ものすごく危険な事をしていないか?」
レオの率直な感想にパラダイムは頷き、
「もしも『始まりの書』が別世界であろうと全知全能の力を振るえると言うのならば、飛鳥は既にこの世界に帰還しているだろう。だがそうではないという事は……『ギアメーカー』と呼ばれるだけの男だ。何かしらのリスクを予見し、あちら側に留まっているのだろう」
パラダイムの説明にゆっくりと頷いたのはフレデリックである。ちっと舌打ちを飛ばし、
「考えつく可能性は、情報圧壊だ。キヴォトスとかいう世界は恐らく法力が存在しねぇ、何よりバックヤードの存在もねぇ……理解できるか? 物理法則の成り立ちからしてまったく異なる体系で構成されているわけだ」
「そんな世界で法力を発生させれば果たしてどんなデメリットがあるか、という話だな。そして……恐らくそんな飛鳥の取った行動が、我々に道を示してくれた。アクセル、君が見た夢だ」
二つの世界が浮かぶ空間の横に、新しいスペースが作られる。そこには『夢』という文字があった。
「仮定だが、人の見る夢とバックヤードが密接な関係を持っているとしよう。キヴォトスにはバックヤードという概念などないはずだったが、飛鳥の手でワームホールが開かれた」
「つまり……極めて短時間ですが、私達の世界と『キヴォトス』は法力を……より正確に言えばバックヤードを通して繋がったのです」
パラダイムとアリエルスの解説は、それまであまりにも不明瞭だった二つの世界が思わぬ形で繋がった事を示していた。
法力、法術、バックヤード、そして夢。本来交わる事は愚か、互いに認識する事さえ不可能であるはずの並行世界が連結したというわけである。
「……じゃあ、俺とセイアちゃんが会えたのは」
「恐らく、ワームホールの影響で二つの世界はうっすらとだがまだ繋がっている。つまりはバックヤードの影響下にあるわけだ。君達が出会ったのは偶然ではない、必然という事だよ」
「つまり、つまりだ! なんとかすれば、キヴォトスにこっちから行けるって事なんだよな! な!? 鳥のおっさん!」
結論から言えば、そうなる。二つの世界が繋がりを持ち、わずかではあるもののその糸がまだ残っているというのならば伝っていけば別の世界へと渡れる。
パラダイムへと駆け寄ったアクセルは小柄な体に掴みかかり、前後にぶんぶんと揺さぶる。「おおお」と悲鳴をあげながらパラダイムは振り回され、
「ま、まず私は竜だ。そして、世界間の行き来は『理論上』可能だ!」
「理論上? 理論上ってのは、なんだよ」
「端的に言えば、バックヤードそのものはあまりにも広すぎるのです」
アクセルがその言葉に手を止めた隙にサッとパラダイムは距離を置き、衣服の乱れを直し始める。その代わりにアリエルスは咳払いの後に、映像に更なる情報を打ち込む。
二つの世界を、そして夢を飲み込み巨大な『バックヤード』と記された円が描き出される。それはまさに膨大の一言に尽きる光景だ。
「理論上、バックヤードを中継すれば私達はキヴォトスに渡れます。ですがご存じですか? あの場所は高密度な情報が蓄積された空間。ひとたび足を踏み入れば、自我が圧壊してこの世から消滅しかねない。それでいて、そんなバックヤードの何処にキヴォトスへ通じる道があるのか、我々はそれを知らない」
「―――ですが、目的はハッキリとしました。バックヤード内部の何処かにある、キヴォトスへの道。それを見つければよいと。」
カイが結論づけ、アリエルスもそれに応える。
「そして、その為に必要な存在が二人。バックヤード内部に精通する者、そしてもう一人は……夢とバックヤードの関連性を紐解ける者」
アリエルスの発言に、先程まで思案していたのか口を閉ざしていたフレデリックが眉をひそめた。
「おい、一人目はまさかとは思うが」
「そのまさかです。イズナを解放します」
「やはりテメェが隠していやがったのか。何処にいる?」
「封印しました。黄泉平坂……彼自身の居城に封じ込めていますが、私ならば解除できる」
「うむ……無事でいてくれて何よりだ。彼の協力があれば、バックヤード内部の更なる検索が可能だろう」
イズナとは、『バプテスマ13』の際にバックヤードから現実世界に『慈悲なき啓示』からの攻撃を警告するべくやってきた『バックヤードの住人』である。
常人ならば一瞬でその存在が崩れ去る情報密度の世界で生まれた為に特異な能力を持ち、それ故に『慈悲なき啓示』……アリエルスの手で消息不明となっていた。
必要な存在は残り一人。だがそれが何者なのか、見当がつかずにしばらく一同は顔を見合わせる。アクセルを除いて、
「……あのさ、その夢とバックヤードに詳しい人間ってベッドマンの妹の事?」
「その通りです。名はディライラ。兄に似て、人の身で持つにはあまりにも強大な力を有しています。彼女の力もあれば、そのセイアという少女に対してのコンタクトは更に容易なものにな―――」
「か、か、カイ様!!!!!!」
その時である。二階に分かれた司令室の一階部分から絶叫があがった。議論を一時中断し、カイとレオを筆頭に、全員が絶叫の理由を明らかにするべく足早に一階へと向かう。
いくつものモニターと法術用のオペレーティングシステムが並ぶ階には緊急事態を意味する警報がひたすらに鳴り続けている。
「カイ、この警報は何処と繋がっていて、何に対してだ」
「月面のティルナノーグとリアルタイムで通信している。そして異常事態の際に対してだ」
「……つまりは」
「―――そう、つまりはワームホールが再び発生しているという事」
フレデリックの言葉を引き継いだのは、黙々と分析を行っていたオペレーターのザトー=ONEである。
「月面の観測者より『空間に歪曲を確認。録画、録音、宙域観測開始』との連絡がありました。まもなく月付近にワームホールが出現するものと予測されています」
「もう一人の飛鳥さんは既にそんな対策を……」
「曰く、『以前より更に大きい可能性がある。関係各所との連携強化』。そして……『次の誘拐に備えろ』とも」
縁起でもない言葉だが、最初の失踪にもワームホールは少なからず関わっていた。今回は起きないという保証は何処にもない。
誰もが固唾を飲んで映像を見守る中、遂にその時が来た。
宇宙の深淵に、穴が開いたのだ。まるで内側から食い破るかの様に穴は広がり、事前の予測通り前回よりも遥かに広い。
「……ギアメーカーの手で、また二つの世界が繋げられた」
レオがぽつりと呟く。反応する者は誰もいなかったが、今現実に世界の壁が砕けようとしている事に誰もが畏怖の感情を抱いているのは確かである。
これこそが『全知全能』。常人の想定を遥かに上回る、神の御業とでも言えよう。
「ワームホール、出現から一分経過。前回の出現は三〇秒程でしたが、現時点で二倍。何か妙です」
ザトーの声色が僅かに揺らぐ。一度死んで蘇った際に感情というものが薄れたというが、明らかにその声色には焦りが混じっていた。
まるで、小さな地震が次第に大地震へと繋がっていくかの様な感覚がその場にいる全員を襲った。
―――まさか、まだ大きくなるのか?と。
そんな不安を更に搔き立てる様に、別のオペレーターが叫んだ。額に汗をにじませ、喉が裂けんばかりの声で。
「ふぃ、フィンランド観測所のザッパより報告! ザッパスケール5! 情報体フレアを観測し、そ、その数は……以前の事件とは比べものになりません!」
「情報体フレア……しまった! そうか!!」
それは世界が軋んでいる事を意味している。地面、水、空気、空、生命。それらを構成する情報が基準値を大幅に上回り、溢れかえっている証拠だ。
パラダイムが何かに気付き必死の形相で叫んだオペレーターの元へ向かうと、通信先である知人へと彼は焦りをにじませた声色で、
「ザッパ殿! 情報体フレアの原因が何か、そちらで判断できるか!? できない? 君、プログラムを走らせてくれ!」
「おい、これはどういう状況だ!? ドクター、何故情報体フレアが起きている!」
レオの問いかけに対してパラダイムは振り返る。今まで見た事がない、半ば恐怖を感じてさえいる表情である。
「あのワームホールをなんとかして閉じねばならん! 以前のものとは比べものにならない規模だ!」
「それが何故、情報体フレアを誘発している!?」
「手短に言おう! 二つの世界が繋がるどころではない! 一つになろうとしているのだよ!! 情報体フレアは異なる世界が惹かれ合い、よりにもよってバックヤードを中継しているせいで情報素子量が急上昇しているんだッ!!!」
つまるところ、このままでは世界が破裂するというわけである。
誰もが息を飲む。アリエルスでさえ、その言葉に耳を疑うかの様な表情を浮かべていた。
「まずい! このままではまずいぞ!! ギアメーカーは一体何をしようと―――!?」
「いえ、待ってください。ワームホール、縮小を開始。凄まじいスピードで……消えていく」
突如襲い掛かってきた絶望的状況は、ザトーの困惑気味な声と共に唐突な終わりを告げた。
ブラックホールの如き大きさにまで拡大しつつあった穴は突如縮み、そして内側から閉じていく。たった数秒で宇宙に開かれた大穴は何事もなかったかの様に、消え去った。
「まただ。また、一瞬で消えやがった」
「私達は当事者な様で、ここまで無力だとは……」
苦虫を噛み潰した顔でフレデリックが吐き捨てる。その傍らに立つカイも、目まぐるしく変わっていく世界の危機に顔をしかめた。
「あ、ありえん……あれだけの規模のものが数秒で消え去るなど。い、いや今はとにかく分析が第一か!?」
「お前達、次いつアレが出てくるかわからん! 警戒を怠るな! 月面との交信を絶やすな! 各国首脳にも情報を共有しろ!」
パラダイムは混乱しながらも状況を把握するべくオペレーターに情報を求め、レオは動揺を見せずにすぐさま部下達への指示を飛ばす。異常事態だからこそ、その判断力は冴え渡り対応に動いている。
その模様を見ながら、アクセルは自分がやるべき事に気付いた。フレデリックが言っていた様に、次また失踪者が出た際に即座に現場へ直行。キヴォトスに関わるどんな情報でも回収してくるのだ。
だが、そう都合よくまた別世界への誘拐など起こるものだろうか―――?
「れ、レオ様! 東チップ王国からです。大統領、チップ=ザナフが失踪したと!!」
〇
「……え? 誰か、今」
ディライラはその時、確かに少女の声を聞いた。悲し気で、助けを求める様な声を。
「あなたは―――セイアって言うの?」
「ディライラ。起きろ」
夢の中で誰かに会った。そんな気がした。だがその思考はすぐに遮られる。
寝ぼけ眼をこすりながらディライラが大切な家族―――梅喧の方を見ると、彼女は刀を手に背中を向けている。
森がざわめいている。記憶が正しければ足を踏み入れた時はここまで騒がしくはなく、むしろ静寂そのものと言えた。
「なに、一体、どうしたの」
「俺自身にもわからない。だが、何か来る。気をつけろ、狙いは―――」
ぱちりと。ディライラはまばたきをした。もしも敵がいるのだとしたら、何処にいるのかを自分が見つけられるのではないかと思ったからだ。梅喧に伝えて、手助けできれば良いと。
「あれ……? お姉ちゃん?」
ざわめきが、消えた。
梅喧も、消えた。
何故ワームホールがクソデカになったのか。
そこんところはギルティギア側、より正確に言うと飛鳥のせいではなくて、ブルアカ側のとあるアイテムのせいです。