先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
「―――ん」
丸一日を勉強に費やし、テストまで残り数日の夜。
何か、物音を耳にしてラムレザルは目を開ける。
極論を言えばヒトならざる生命体であるヴァレンタインにとって睡眠は絶対に必要なものではない。故に自らの意思で意識をシャットダウンする事はできるが、逆に言えば覚醒もそう望めば容易い。
そうして意識を取り戻した彼女がベッドから顔を上げると、仲間達五人が眠っているはずのベッドが二つ空いている事に気付いた。物音の出所はそこからだろう。
(アズサと、ハナコ……)
ハナコが何処に行ったのかはすぐに推察できた。恐らく飛鳥の部屋で、何か作戦会議でもしているに違いない。
ではアズサは何処へ? ラムレザルはそっとベッドから降りると冷たい床に足音を鳴らしながら部屋の外へと向かう。
「ん~……私は、エリート……」
コハルがぶつぶつと寝言を言っている。起こさない様に注意しつつ、ラムレザルはそっと廊下へと出た。
深夜の別館は気味が悪い程静まり返っていて、時たま窓越しに鳥の鳴く声が聞こえる程度である。
ラムレザルは無音の中を進み、そして玄関までやってきたところで今まさに外出しようかという様子のアズサを見つけた。
「アズサ。そこで何をしているの?」
躊躇いなく声をかけ、それからラムレザルはアズサの異様な出で立ちに気が付いた。
ライフル、幾つかの爆薬らしき長方形の容器。まるで今から戦争に出掛けようかという雰囲気である。そんな格好のアズサ本人は呼び止められた事に驚く風でもなく、そっけない表情で振り返ると、
「これからパトロールに行ってくる。ラムを襲った何者かがいつここに来るかわからないから」
「……一人で?」
「私は夜戦も経験しているから、私達のいる別館にどれだけの構造的欠陥があるか把握している。巡回にも意味があるはず」
アズサの考えている事はヒフミ達と比較すると少し違う。何処か殺伐としていて、常に疑心を胸に抱いている。
だからなのだろう。ラムレザルは彼女に対し強い興味を抱き、そしてほのかな違和感をも覚えていた。
「私も一緒に行っても良い?」
「それはいけない。ラムはここにいて欲しい。何かあったら大変だから」
アズサはきゅっと口を結び、ラムレザルの同行を断固として拒否する。これまで見た事がない、少し強い口調だ。
そこでラムレザルは思い切った行動を取る事にした。アズサが反応せざるを得ない質問を投げかけるのだ。
「……アズサがパトロールに行く事と、昨夜私達の会話を聞いていた事は関係しているの?」
「っ」
初めてアズサの表情に動揺が走り、その手応えにラムレザルはこくりと頷き返す。
飛鳥の口から補習授業部の現状が明らかになった昨夜の会合、ラムレザルはアズサが部屋の外から内容を盗み聞きしていた事に、優れた感覚で察知していた。飛鳥達はまだ気づいていないだろう。
何故、アズサがわざわざ外から会話を盗み聞きしていたのか。『裏切り者』などというワードが飛び交っていた会合である以上、内容を知りながら口を閉ざしている理由を確認する必要がある。
「アズサは知っていたの? 裏切り者が誰なのか」
我ながら尋問の様な声色である、と自嘲しながらもラムレザルはアズサへと歩み寄った。多少強引であろうとも今問いたださなければ、このまま有耶無耶にされかねない。何より二人きりで話し合える場などそうそうないのだ。
「―――少し、話そう」
アズサはライフルをゆっくりと肩から下ろし、対話の姿勢を取った。裏切り者という単語を出した事はそれだけ彼女の足を止めるには十分な威力を持っている様だ。
「まず、ラムの質問に対して。私は昨夜初めて桐藤ナギサが補習授業部を作った理由と、聖園ミカが裏切り者だという事実を知った。そして飛鳥先生が最近ずっと何かしている理由が、私達を庇ってくれているからだという事も。その上で……」
「その上で?」
「……驚かないで、聞いて欲しい。『裏切り者』というのは本来私のはずだった」
しばしの静寂。
アズサの言葉にラムは首を傾げ、発言の意味を思案する。
本来の裏切り者とはアズサ。それは一体、どういう意味なのか。彼女がこんな夜に一人で何処かへ出掛けようとする事と関連している事は間違いなかった。
「まだちゃんと話していなかったと思う。私はラムと同じ様に、トリニティに途中から編入した生徒。そして元いた学校の名前は、『アリウス』と言うんだ」
「アリウス……?」
「かつてトリニティの一部で、今は打ち捨てられたいわば残党の様な学校。私はそこから、ある任務を課せられてこの学校にやってきた」
「任務?」
「―――桐藤ナギサの、暗殺」
思わぬ言葉にラムレザルは思わず周囲に誰かいないか、耳をそばだててしまう。アズサの発言は暴露などというものではない。あまりにも危険極まる、誰が聞いても己の耳を疑いかねない。
だが本人の目は嘘を言っていない。何より、口にすれば自分が不利になって当然の事をここで打ち明けてくる事から真実としか考えられない。
「暗殺?」
「アリウスはかつてトリニティに追放され、復讐の時を窺っていた。そしてエデン条約という大きなイベントを前に遂に動き出し……ティーパーティーの長であるナギサの暗殺を私に命じた」
「……」
復讐、暗殺。あまりにも殺伐極まる発言にラムレザルは昨夜飛鳥が話していた内容を改めて振り返った。
―――
『聖園さんはトリニティ内で暗躍している。恐らく、ティーパーティーのメンバーだった百合園セイアさんが姿を見せていない事にも関係があるんだろう。あとは本人から事実確認できさえすればいいんだけど、果たしてその機会があるのかどうか』
―――
「聖園ミカが裏切り者だとアズサは知らなかった。そして暗殺を命じたのはアリウス。つまり……彼女はアリウスと繋がっていて、トリニティを内側から崩そうとしている。それなら合点がいく。でも理解できないのは、何故それを私に教えてくれたのかだね」
「……それは、私にも少しわからないんだ。どうしてかラムを見ていると舌がよく回る。誰にも言ってはいけない事ばかり漏れ出てしまう」
それはきっと、似通っているところがあるのだろう。いつか二人で話し合った時と同じ様に、アズサとラムレザルは何処かシンパシーを感じる時がある。それがどんなものなのかをハッキリと言語化できないだけで。
だがそのシンパシーは一度頭の隅に押しやり、ラムレザルは改めてアズサへと問いかける。
「改めて確認したい。アズサ、貴女の目的は何? 本当にナギサの暗殺を狙っているのなら私に打ち明けなんてしないはず」
「安心して。最初からそんなつもりは毛頭ない。私は彼女を守る為にここにいるから……」
「それなら飛鳥先生に伝えよう。私達の為にあの人は精一杯頑張っている」
一番の疑問があるとすればそこだった。アズサの事情を知れば、きっと飛鳥を含めた仲間達は手を貸してくれる。全員が退学の状況を知っているとあれば猶更だ。だと言うのに彼女は何故一人で動こうとしているのか。
アズサの目に迷いが生じる。何をどう打ち明ければ良いものか、そう悩んでいるのは明白だった。
「……一つだけ、不確定要素がある。今から出掛けようとしていた理由はそこにある」
「不確定要素?」
「ラムを襲った、あの生徒が何者なのか。そこがずっと気になっている。十中八九、私と同じアリウスの生徒だ。だからこそ、仲間に会って問いただすつもりだった」
突然ラムレザルを襲撃した仮面の少女。恐らく正体は、消滅したはずの初代ヴァレンタイン。
そんな彼女がもしもアリウスの人間だとすれば、ラムレザルの中で次第にトリニティを取り巻く事件の黒幕が鮮明になりつつあった。
飛鳥がまだ生徒達に伝えていないハッピーケイオスの存在。そして蘇り、アリウスに身を置いているであろうヴァレンタイン。
「一人で行ってはダメ。危険なのは私だけじゃないよアズサ。私達が思っている以上に、今トリニティは危険な状態にある」
「……? ラム、それは一体どういう」
「ひゃあああああああ!?!?!?!?」
二人の会話を遮ったのはヒフミの悲痛な叫び声だった。寝室からである。
脳裏によぎったのは最悪の可能性だ。こんな時間に、ピンポイントでこの別館に襲撃してくる者などそう多くはない。その上で、ラムレザルを狙ってのものが既に起きてしまっている。
アズサとラムレザルは全速力で引き返し、仲間達の元へと向かう。今何処にいるかわからない飛鳥とハナコも同じ事を考えていると信じながら。
「だ、誰なんですか貴女は!?」
ヒフミが誰かと言い争っている声が近付いてくる。そこで二人は更に足を速め、勢いそのままに寝室へと到着するなり無意識にタイミングを合わせドアを蹴り破っていた。
部屋の窓が割れ、ガラスの破片がそこら中に散らばっている。そして、入ってすぐの場所でヒフミが壁に寄り掛かっていた。怪我をしているわけではないが、突き飛ばされたのだ。
「うぅ……」
「ヒフミ!」
アズサがヒフミに駆け寄る一方、ラムレザルはガラスの破片が散らばる床を踏みしめながら佇む襲撃者の存在に目を鋭く尖らせた。
不気味な黒い仮面を被った少女……ヴァレンタイン。
「こんばんは、ラムレザル。今日のお使いは貴女じゃないんだよね、こっち」
月の光を背にしているヴァレンタインは片腕で何かを抱えている。ぐったりとしているそれが何であるかを理解した瞬間、ラムレザルは溢れんばかりの敵意を全身から解き放っていた。
「コハル……!!!」
気を失っているのか、それとも眠っているのか。コハルはヴァレンタインに捕らえられながら言葉を発する様子はない。だが何よりも身の安否を通り越して、敵が彼女を狙ったという事実にラムレザルは言葉にしがたい感情から声を荒げてしまう。
「どうしてコハルを狙うの。彼女は何も関係がない」
「関係はあるよ。だって貴女の友達なんでしょう? くすくすくすくす、だから連れて行くんだよ」
「コハルを離せ!」
アズサの叫びに続き、銃声が室内に響き渡る。仲間を助けるべく彼女のライフルが火を噴き、更に銃弾は的確にヴァレンタインの仮面へと叩きつけられる。小気味良い音と共に砕け散った仮面が床に散らばるが、それによって体勢が崩れるわけでもなく着弾の衝撃に揺れた程度である。
「……痛い」
ヴァレンタインがぽつりと呟き、緩慢な動きで自分を撃った銃口へと振り向く。そこで仮面の下がハッキリと見え、そしてラムレザルとアズサは驚きのあまり言葉を失っていた。
本来そこにあるはずの、顔がないのだ。目、鼻、口、何もない。虚空だけが広がっている。
ではどうやって彼女はモノを見て、言葉を発していると言うのか?
得体の知れない異形を目の当たりにしては意表を突かれるのも無理はない。二人は一瞬だけ動きを止めてしまい、顔のないヴァレンタインはその隙を見逃がさずに踵を返し、割れている窓へと飛び込んでいた。
「じゃあねラムレザル。遊園地で……『スランピア』にいるから」
「待って!」
少し遅れて追いかける頃には既に遅く、コハルを連れたヴァレンタインは窓の外に広がる闇へと姿を消していた。
思わず拳を握り締め、ラムレザルは自分が生まれて初めて激怒という感情に苛まれている事を自覚していた。自分以外の者を狙う卑劣な戦法に憤りを感じずにはいられない。
すぐに冷静である様に自らに言い聞かせ、アズサへと振り返る。状況を把握する為に一度話し合う必要がある。
「アズサ、ヒフミは無事?」
「少し頭を打った程度だから無事だ。それより、コハルが……」
「『スランピア』、知っている?」
「いや私には―――」
「都市伝説に出てくる遊園地ですよ。閉園したにも関わらず時折アトラクションが動き出す、なんて噂の」
その声に二人が振り返れば、蹴り飛ばされたドアを跨いでハナコが部屋に入ってきているところだった。それに続き、飛鳥も姿を現す。室内の状況に彼は驚き、目を細めた。
「これは……別館周辺にはセキュリティを張り巡らせていたはずなのに」
「飛鳥先生、ヴァレンタインがコハルを連れて行った。『スランピア』にいると言っている」
飛鳥にとっても怖れていた事態である。口をきゅっと結び、しばらく思案した後に、
「浦和さん、詳しい様子だけど場所が何処か知っているんだね?」
「ええ……そう離れてはいません。救出に向かうにはそう時間はかからないでしょう」
「よし。ラムレザル、アズサ。僕は今から下江さんを助けに行く、君達は……」
そこまで口にしたところで飛鳥は二人から放たれる視線に気付き、言葉に詰まる。大方全員別館に残る様にとでも言うつもりだったのだろうが、生活を共にしていた仲間を攫われて馬鹿正直に待機する者などいない。ハナコでさえ、若干飛鳥の発言に咎める様に目を細めていた程だ。
観念した様子で飛鳥は頷き、
「わかった。全員で行こう。ちょうど手助けしてくれそうな人物と話していたところだ」
飛鳥を一瞬で説得する事に成功したものの、何やら含みのある言動にラムレザルは眉をひそめた。少しバツが悪そうな表情を浮かべながら、飛鳥は廊下へと振り返る。
「実はつい先程までちょっとした会談をしていたところなんだ。誤解の無い様に今の内に紹介しておこう。二人共、こっちに」
飛鳥の呼びかけに応じて部屋に入ってきたのは黒いマントを羽織った怪人と、怪人に守られる様に佇む一人の少女である。
怪人をラムレザルは知っている。飛鳥の従者にして、不死身の肉体を持つ黒い鴉……レイヴンだ。
だがもう一人の少女は何者か?
「彼はレイヴン、僕の友人だ。そして隣の彼女は……聖園ミカ。そう、つまるところ本来僕達の敵である生徒だ」
「え?」
それはラムレザルとアズサ、両方の声だった。驚きのあまり非常事態にも関わらず驚きの声が口から漏れ出てしまう。それだけ飛鳥が連れてきた人物は衝撃的にも程があり、何より理解しがたいものであった。
紹介された聖園ミカは、明らかに目を泳がせている。その仕草が既に彼女が本物であるという証明になっている。
「ミカ、挨拶の一つでもしたらどうなんだ」
「あっ、えっと、その……トリニティの本当の裏切り者、聖園ミカ、でーす……」
レイヴンに促され、ミカは目を泳がせながらラムレザル達に手を振って挨拶する。トリニティの裏で暗躍しているはずの『裏切り者』とは思えない。というより本当に状況が理解できない。
一体飛鳥は何をどうしたら今の状況を作り出せると言うのか。コハルが攫われたという状況なのだが、ラムレザルは困惑のあまり呆然とする他になかった。