先生は世界平和を実験している 作:飛鳥=R♯
『ユートピア』。スランピアと呼ばれる土地は当初そう呼ばれていた。
モモグループが湯水の様に予算を注ぎ込み、キヴォトスの中心部に建設した、まさに理想郷だったわけである。困った事にその所在地はトリニティとゲヘナの自治区に挟まれる、いわば緩衝地帯にあった。
封鎖されて数年は経過している正門前は錆びつき、そして閉じられた門には何本もの鎖が縛り付けられている。キヴォトスにしては珍しく剣呑な、封鎖と言うよりかは封印と呼ぶのが相応しいとさえ思える。
そんなスランピア入口に、一瞬にして飛鳥達一同は転移する。座標さえ掴めれば『本』による空間転移で長距離移動は楽なものである。一度発動したからには再使用まで時間がかかってしまう点を除けば、であるが。
「……ここにコハルと、ヴァレンタインがいる」
正門を前にして、最初にそう呟いたのはラムレザルだ。両手には既に白と黒の二丁拳銃が握られており、彼女は臨戦態勢を既に整えている。今すぐにでも中へ飛び込んでいきそうな勢いだ。
「ラム、周囲の警戒を怠らない様に。恐らく待ち伏せされている」
それに続くのはアズサである。携行しているライフルの銃口を正門ではなく背後へ向け、彼女は奇襲に備えている様子だ。彼女達の目をかいくぐり肉薄する事は相当な難易度であろう。
頼もしい二人組に前後を任せつつ、飛鳥は不安げな顔で傍らに立つヒフミへと、
「阿慈谷さん、無理はしない方が良い。敵の情報は不透明極まる。できれば危険な目に遭ってほしくはない」
「い、いえ! 大丈夫です。私は補習授業部の部長ですし、何よりコハルちゃんが心配ですから!」
身を案じての言葉に対し、ヒフミは口元をきゅっと結んで気丈な態度で返す。心から仲間を案じるその姿勢に飛鳥もこれ以上は説得の言葉も思いつかず、ただ頷くのみである。
「……今のところ、襲撃の気配はありません。奴らは完全に中で我々を待ち伏せている様です」
一方で黒衣の怪人、レイヴンはフードを目深に被ったまま、ぽつりと囁いた。彼の目は夜の闇に潜む様々な気配を読み取っているのだろう。であるならば信用に値する意見だ。飛鳥はコクリと頷き返すと、携帯端末を起動し、ハナコへと通話を繋いだ。
「浦和さん。聞こえているかい?」
端末にそなつけられているカメラを起動すると、通話のみならず画面に映像が映りハナコの顔が飛鳥を覗き込んでくる。
『はい♪ 聞こえていますよ。 感度は良好です。うふふ、感度……♡ 素敵な言葉』
「少し音量を下げたいところだけど……まぁ良いか。聖園さんもいるね?」
『いるよ先生~。お留守番なのは少し残念だけど、あはは。大丈夫なのかな私ここに残して。何するかわかんないよ?』
「わざわざそう言うならば、何もしないと受け取るよ」
『むぅ……』
まさか、当初の目的では最大の敵であったはずの聖園ミカとこうして会話をしているなど思いもよらなかっただろう。しかしこれには紆余曲折あり、そしてラムレザル達にも説明できない複雑な事情がある。
思うところがあるのだろう、ヒフミ達の視線が端末越しにミカへと注がれる。それに気付くと彼女は、
『んー? 言いたい事があるなら言っちゃっていいよ? 言っとくけど別にお友達になりにきたわけじゃないからまともに対応しないけど』
「聖園さん」
『あはは~、先生怒んないでよもー。わかってる、わかってる。えーっと、一応先生と協力関係にあるから皆の敵じゃないから安心してねー、期間限定ねー』
『ですが先生。どうして私とミカさんを別館に待機させているのでしょうか?』
「夜明けまでには下江さんを救い出さなきゃいけない。が、もしも何かあった時の為にと思ってね。浦和さんはその時に適当に煙に巻いて欲しいし、聖園さんにはティーパーティーの権力を行使して強引に収めて欲しい」
『うっわ。生徒へのハラスメント~? 先生、何かイメージと違うかも……でもいいよ、やってあげる!』
信用できない、それが言葉に出さずとも感じられるヒフミ達の心情である。特にアズサに至っては半ば敵意を滲ませている。彼女をアリウスからトリニティへ編入させたミカが『裏切り者』で、しかもどういうわけか味方になっている。
そんな現状を飲み下せるはずなどない。だが、それでも飛鳥には今無理をしてでも飲み下してもらわなければならない理由があるのだ。
「皆、順を追って説明する。だからまずは下江さんの救出を優先する様に」
『―――こほん、ではコハルちゃんを助け出す為に状況を整理します。謎の生徒、名前はヴァレンタインだそうですね。彼女はコハルちゃんを連れてこのスランピアに逃げ込んだ。これは先生がデータベースにハッキングし、位置情報を掴んだ事で明らかです。コハルちゃんってば、寝る時にでもスマホを持っているなんて。今回は助かりましたが……というのはさておき、問題は何故ここなのか?』
「……僕達をここに連れてきたかったんだろう。でなければ、わざわざご丁寧に場所を教えたりはしない」
全員の視線が、打ち捨てられた遊園地の立派な外観に注がれる。悪趣味の一言で済ませるには、少し異質な場所である。何故ヴァレンタインがこんな場所へコハルを連れていったのかなど、罠を仕掛ける以外に理由など見つからない。つまるところ飛鳥達は今から大口を開けた敵の陣地へ向かって突撃しなければならないわけである。
「……それで、なんだけど。今僕の方で下江さんの位置情報は確認している。それはいい、問題は彼女が本当にそこにいるかどうかにある」
「反応を目印に向かってみれば囲まれる、可能性としては十分あり得る話だ。先生、どうするつもり?」
「僕に良い案がある。皆、聞いて欲しい」
飛鳥は真剣そのものな口調で仲間達へと振り返ると、『本』を手にした。堂々とした姿勢からは見るからに名案を思い付いたという様子である。何が待ち受けているかわからない迷宮を前に、一体何を思い付いたのか。
「まず、これから僕は下江さんの端末が発している位置情報へと飛んでみる事にする。それでもしも僕が戻ってこなかったら、皆で突撃する様に」
「……え、それはどういう事ですか先生」
あっさりと言い切った飛鳥に首を傾げたのはヒフミである。困惑、というより半ば『本気ですか?』と疑問に満ちた表情だ。無論彼女だけでなく、ラムレザルもアズサも眉をひそめてしまっている。唯一レイヴンだけは、そうだろうと思ったと言わんばかりの苦笑だ。
飛鳥は口元に手をやり、やはり真剣な顔で、
「推測だけれど、下江さん誘拐の裏には僕の顔見知りが関わっている。彼はきっと僕に危害を加える為にではなく、何かしらの挑戦として仕掛けてきているはずだ。古い知り合いだから考えている事はなんとなくわかる。なので……『危険だけど危険ではない』と判断して、これから僕は一人で罠に踏み込んでみようと思う」
「―――わかりました。そして突入した貴方から一切の連絡が途絶えた場合は、何かしらの理由で囚われた可能性が大きいと。まぁ、全員で罠にはまるよりかは良いかもしれません。貴方が司令塔であるという部分に目を瞑れば」
生徒達の困惑を丸ごと飲み込んだ上で、レイヴンが呆れた声色で作戦を説明してくれる。飛鳥はその通りだと指を立てながら頷き、ラムレザルへと視線を投げかける。そこには信頼の色があり、そして若干の罪悪感があった。
「端的に言うと、この広い遊園地内で僕の存在は足手まといになりかねない。本来なら後方待機が必須だ。けれど生徒達に任せてというのも大人として性に合わない。だから、敢えて一番前に出て捕まる事にするよ。その後は皆に任せる」
『無責任と言いますか、名案と言いますか……先生が大丈夫だとおっしゃるからには、私達もそれを信じる他にありませんね』
『先生本気……? あーいや、本気だからこうなってるんだった。すっごいホントに』
「じゃあ、良いかい皆。特に阿慈谷さん。僕がいなくなったとしても、あまり気負わずにね」
「ほ、本当に気を付けてくださいね……!? 何かあったら連絡してください!」
「大丈夫。多分地面の下とか、壁の中に飛ぶ事はないだろうから」
「冗談じゃ済まないですってば~~!!!」
大パニックのヒフミをなだめつつ、飛鳥はいつの間にやらコンビを結成しているラムレザルとアズサの二人をちらりと窺う。当初は無謀な提案に驚いた様子だったが、今はこれ以上何も言うまいと言った顔だ。
アズサは初めて法力を目にしたが、あまり追及してこない。以前から知っていたというよりかは、そういうものとして受け入れてくれているのだろう。近い内にちゃんとした説明はするべきかもしれない。
「それじゃあラムレザル、白洲さん。無理だけはしないで欲しい。そしてレイヴンも、何かあったら彼女達を」
「……わかっている」
「問題がなければ何かしら報告して、先生。でなければ最悪建物ごと爆破する」
「―――お気をつけて」
さて、自ら提案したものであるが実際不安ではある。飛鳥は再使用までの時間がゼロになっている事を『シッテムの箱』で確認しつつ、『本』を開く。
もしも転移した先に無数の銃口が並んでいれば一巻の終わりである。だがその可能性はあまり高くない。もしもケイオスが全てを操っているとして、彼がこんなこじんまりとした規模で事を起こすとは考えづらい。あくまでも目的はエデン条約調印式だ。
(であれば、ここで彼の目論見を突き止める。ヴァレンタインを捕えて)
何故この異世界で消滅したはずのヴァレンタインが復活しているのか。それを確かめなければならない。
混沌とするトリニティを治める為にはまず、具体的なケイオスの犯行を証拠にナギサを説得するのだ。
「それじゃあ、行ってくる」
『本』を開き、飛鳥はコハルの端末から発信されている位置目掛けて転移を試みる。
場所はスランピア中心部、遊園地の目玉である大観覧車の根本付近という事だが……さて。
そして飛鳥は、跳躍する。空間を歪曲させ、A地点からB地点までを目指して移動した。その気になれば星間さえ容易く飛び越える、まさに理を揺るがす力を短距離移動の為に用いると言うのだから、並み居る法力学者が震えるのも当然である。飛鳥にとっては、当たり前の技に過ぎないのだが。
跳躍時間は体感としてはおよそ数秒。一瞬だけ世界が歪み、そして気付けば飛鳥は目的地へと移動を終えていた。
(……罠、ではなさそうだ)
飛鳥を迎えたのは、大きな円卓である。椅子が三人分置かれ、そして中央には淹れられたばかりらしい紅茶がティーポットより白い湯気を立ち昇らせている。何者かがここにいる、ないしはいた事を示していた。
周囲をぐるりと見渡すと、どうやら来場客用のカフェスペースの様だった。今や朽ち果て、ギリギリで体裁を保っている状態だ。それがまた、何者かが淹れた紅茶を不気味に引き立たせる。
待ち構えているのはケイオスか、それともヴァレンタインか。警戒し、意識を周囲に張り巡らす。何が起きても良いように飛鳥は懐に手を入れ、端末にあるメッセージを打ち込みつつハナコとの通話を維持し、簡易的な盗聴器を準備した。
「―――よく、来てくれた。飛鳥=R=クロイツ。招待状を用意する手間を省いた非礼を、ここで詫びよう」
ギィ、ギィ。木材が揺れ、軋む不快な音。そして男の、低い声。
本来賑わいを見せるはずのカフェに、ゆっくりとその身を軋ませながら、一体の人形が足を踏み入れようとしていた。
異質。そう、異質である。少なくともキヴォトスでは見るはずのない、異物。人語を介する人形ときている。
そして飛鳥はそう言った異常を有する者達を何と呼ぶのか、即座に理解していた。
「『ゲマトリア』……」
「名を覚えてくれていたか。然り。私はマエストロ。そなたもよく知る黒服の、いわば同志である」
「そうか。ケイオス単独とは動けない不可解な動き、そしてあのヴァレンタイン……君達が関わっているのか」
「ヴァレンタイン。ああ、あの美しきも醜き肉人形か。アレは好ましくない。真理など、かの者にとって手段に過ぎんのだ」
かの者、ケイオスだろう。マエストロと名乗ったゲマトリアのメンバーは、どうやら彼と反りが合わない様だ。
しかし、よもやヴァレンタインの正体にこうも早く辿り着けようとは思いもしなかった。具体的な方法は不明だが、ケイオスとゲマトリア、超常と超常を重ね合わせた結果が彼女の復活なのだ。
「失敬。そなたとの初対面だと言うのに、少し感情を昂らせた。さて……では本題に入るとしよう。座りたまえ」
マエストロが椅子を指し示す。まさか、と言いたいところではあるがこの寂れた遊園地のど真ん中で彼は茶会を開こうと言うのだ。
「何が目的なんだ」
「対話を。私も、そして黒服も闘争は好まない。意義を持った争いでさえ、私達にとっては不利益。ただ探究の果てを目指す事が『ゲマトリア』だ」
「僕の生徒を誘拐しておきながら、どの口で言うんだ」
「……その非礼もまた、詫びよう。だが私はどうしてもそなたと会い、そして言葉を交わしたいと願っていた。案ずるな、あの少女はこちらで保護している」
ギィ、とマエストロは椅子に腰かける。が、飛鳥は応じない。相手のペースに乗ってはいけない、こちらの要求、ないしは発言を相手が許容するまで決して頷く事は許されないのだ。
事実、感情など見えないはずのマエストロの木材でできた顔に少し不満げな色が浮かんで見えた。痺れを切らした時が狙い目だ。
「信じて欲しい、とまでは言いませんが対話の場を設けた意図を読み取っていただけませんか、飛鳥=R=クロイツ」
また新たな声。背後からの声に振り返ると、今度は絵画を手に持ったコート姿の男がカフェに入ってきていた。
夜の闇で輪郭がハッキリと見えていなかったが、近付いてきた男には首がない。代わりだとでも言うかの様に、その手には背中を向けた何者かの絵が収められた額縁を持っている。
ゲマトリア、三人目だ。
「自己紹介を。私はゴルコンダと申します。そして彼は、デカルコマニー」
(……声は、額縁から聞こえている?)
首のない男は言葉を発さず、絵から声が聞こえてくる。黒服、マエストロに引き続き異質な外見の存在だ。
果たして彼らは戦闘能力を持っているのか否か、そこを判断する事ができず飛鳥は二対一の状況に顔には出さずとも驚いていた。
まさかゲマトリアから二人もやってくるなど予想していないのだ。
「どうぞ飛鳥先生。お茶でもいかがですか? 立ったままでは話しにくいでしょう」
「……対話、と言ったね。それは何か、意義を持っているのかい?」
拒絶しても良い。現時点でゲマトリアという組織にはそれだけの疑いをかける余地があるのだ。
だが飛鳥は対話などという言葉を使った、その理由を確認したいという興味が僅かに駆られてしまっていた。
ゆっくりと椅子に腰かけ、木製人形と首無し男に相対する。彼らには敵意は感じられず、むしろ感情の昂りが窺えた。
「素晴らしい。この時を待っていた。福音を鳴らす者よ、そなたの思う『世界平和』。私に聞かせてもらおう。そしてお見せしよう、我が……芸術を」
「貴方には問わなければならない事が山ほどあるのです。真理の探究者、マスターオブソーサリー、いえ……『あの男』である先生に」
戦いではない。彼らは、本当に対話を目的にここにいる。それがまた薄気味悪いドロリとした感情を伴っている。飛鳥は背中に嫌な汗が滲む感覚に気付くと、即座に端末を操作してメッセージをとあるアカウントへと送信した。
(これなら、何かあった時の保険になる)
終着点の見えない歓談が、始まろうとしていた。
〇
「―――ほぉ。なかなか、若者らしい方法でコンタクトを取ってくるじゃないか」
今日も何処かへぶらりと出かけ、カフェの情報でも投稿しようか。
彼がそんな風に考えながら端末を起動し、そして自分のアカウントを開いた時、一通のコメントが最新の記事に投稿されていた。
『貴種殿。助力願う。スランピア』
貴種。男がかつて用いていた、上品ぶった呼び名である。
「その名を使われたからには、私としても君を咎めねばなるまいよ。足を使ってね」
よもやあの青年から助けを求められるとは、興味深い。先生という立場は存外彼を弱くしている様だ。
「まぁ構わんよ。私が君に求めているのはその弱さだ」
吸血鬼はそうして、蝙蝠へと姿を変える。夜空に飛び上がった彼の目的地は廃墟の遊園地。
貴種が舞う。異種が翔ぶ。喧嘩の為に。
多分次回こそ戦闘づくめになると思います