シスターとタバコとゲマトリア   作:加賀崎 美咲

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那須シエン

 朝の静謐な空気が流れる大聖堂の中、ステンドグラスを通して鮮やかな光がいくつもこぼれる。

 

 箒を持ったカソックの少年が掃き掃除をしながら口を開いた。

 

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう」

 

「あら……、マタイの福音ですね」

 

 同じように箒を持った少女が答える。

 

 少女、歌住サクラコは手を止め、考える素振りを見せた。

 

「塩はお料理にも、私達の健康にも必須なもの。それが塩気を失ってしまったら、代わりになるモノはありませんね」

 

「主は暗に、お前たちに代わりはいない、だから課せられた使命を全うせよ。と、言いたいのが主流な解釈だそうです」

 

 世間話をするつもりが説教のような形になってしまい、自分の不器用さに少年は誤魔化すようにはにかむ。

 

 少年、那須シエンはトリニティ総合学園、シスターフッドに所属する生徒だ。主な仕事はシスターフッドの象徴でもある大聖堂そのものの管理・運営。

 

 朝の掃除もその仕事の一つだ。眼の前にいるサクラコはそんな彼の上司に当たるシスターフッドの部長である。

 

 いつもは朝早くにシエンが一人で済ませているが、通りがかかったサクラコが手伝いを申し出た。せっかくだからと手伝う部長に、少しでも暇をさせまいと口を開いたシエンだったが、あいにくのところ、彼には軽快なトークというものは苦手科目に該当していた。

 

 そんなことはサクラコにも分かっている。だから彼の心遣いを好ましく思い、彼女なりに話に付き合っている。

 

「本日の、シエンくんの予定は?」

 

「ティーパーティーの皆さまにシスターフッドの運営状況の報告を。その後は細々とした事務仕事です。……そういえば裏庭の草が伸びてきてますから、明るいうちに狩ってしまいましょう」

 

 淡々と答えるシエン。トリニティ総合学園のシスターフッドとは、主流の派閥と比較すれば1段落ちるものの、それなりの規模を誇る派閥。それの管理を一手に引き受けている彼もそれなりに忙しい。

 

「いつも、ありがとうございます。シエンくんがいてくれるから、私たちも祈りや炊き出しといった活動に専念できます」

 

「それが僕の役割ですから」

 

 何でもないことのように謙遜するシエンにサクラコは笑う。少しでも褒める言葉を、伝えると少年は恥ずかしそうな素振りを見せる。

 

 もっと自信を持てばいいのに。そう、心のうちに秘めてサクラコは集めていた埃をシエンが取り出した塵取りに掃いて掃除が終わる。

 

 時計を見れば、登校する時間にはまだ早い。

 

 ―まだ時間がありますし、せっかくだからもう少しだけお話を続けたいですね

 

 掃除道具を片付け、長椅子の一つに座ったサクラコはシエンに隣に座るよう促すため、小さく椅子を叩く。

 

 意図に察したシエンは一礼をしてから、音を立てないように気をつけて座る。

 

「その……、私のとても個人的な、些細な悩みなのですが、お話を聞いていただいても?」

 

 躊いがちに、少し頬を染めてサクラコは横目でシエンを見た。

 

「僕でよろしければ喜んで。歌住さんの悩みにいい解決方法が思いつくかは分かりませんが」

 

「最近ですね、シスターの子たちの間で髪飾りを新調することが流行っているようなのですが。私にはどう違うのかがいまいちよく分からくて……。直接流行りの細部を聞くのもなんだか……」

 

 些細な悩みのようにも聞こえるが、サクラコはシスターフッドの長である立場上、あまり聖堂の外に出かけることは少ない。その為か、世間の流行に疎くなりがちで、直接流行りを聞くことも年頃の少女には難易度が高い。

 

 更にサクラコには立場のせいもあって、そういった世俗的な話題を自分からは振りにくいのだ。

 

 シエンは少し考える素振りを見せ、2日前ほどの同僚の会話を思い出した。

 

「……ああ、そういえば伊落さんが話していましたね。何でも誕生月に関連した石をあしらったアクセサリーをみんな購入しているとか」

 

「―! なるほど、誕生石というやつですね。そういえば皆さんの持っていたものも、綺麗な石を使ったアクセサリーばかりだったような……」

 

「学園近くのモールに出来たお店が取り扱っているとか」

 

「―! でしたらすぐにでも……。いえ、そんな暇があるわけでも……」

 

 天啓を受けたように顔を輝かせるサクラコであったが、自身の予定を思い出して目を伏せる。

 

 コロコロと表情を変えるサクラコにシエンは小さく苦笑する。

 

「そういうことでしたら、午後に事務用品の買い出しに行きますから、そのとき一緒に買ってきましょう」

 

「いや、そこまで迷惑をかけるわけには……」 

 

「いえいえ、ついでですから……。でも、よく考えたらアクセサリーを買うのに本人がいないのも変ですね」

 

「……それでしたら、今度の日曜日にい、一緒に買い物に行きませんか?」

 

 少し上擦った声のサクラコ。旧知の仲と言えど、異性を買い物に誘うには少なくない勇気が必要なのだ。

 

 まさか外出に誘われるとは思っておらず、シエンも目を丸くする。

 

 少しの沈黙。

 

「そうですね。安息日に仕事をするわけにも行きませんから……。ぜひ、ご一緒させてください」

 

「―っ! ふふふ、日曜日は安息日……。安息日まで働いてしまったら怠惰、でしたわね」

 

 本来、怠惰の罪とは休むべきに休まずにいることも含む『放棄』を悪とする観念であり、そんな雑学を挟まないと素直になれないシエンだった。

 

 平日の朝、二人がのんびりと世話話に興じていると、慌てた足音が平穏の終わりを告げた。

 

「た、大変です! ゲヘナにマリーさんを攫われました!」

 

 乱暴に教会の扉を開けたシスターフッドの一生徒は、入室するなり叫んだ。叫んだ後で、眼の前にいるのが部長とその側近であることに気が付き、今更ながら姿勢を正した。

 

 途端、掃除をしていた二人の間に緊張した空気が流れる。

 

「下手人は何と?」

 

「そ、それが、マリーさんを誘拐したゲヘナ生から、身代金の要求が……」

 

 どうしたものかと、報告に来た生徒は途方にくれる。

 

 いつの間にか、どこかに連絡をしていたシエンは携帯をしまい、マリー救出に向かい出した。

 

「お待ちなさいシエンくん。一人で行くつもりですか?」

 

 眉をひそめたサクラコが呼び止める。木っ端であろうと、誘拐をしでかす生徒相手に一人で行くのは危険だと引き止めるサクラコに、シエンはやんわりと断りを入れる。

 

「サクラコさん、今はトリニティとゲヘナの平和条約の調停式に向けて、学園が動き出しています。だからシスターフッドを動員して動くのは、どちらにとっても都合が悪い。あなただって分かっているでしょう?」

 

 問題を起こしたのがゲヘナ側だとしても、それを大規模な組織で鎮圧したとして、解決はしたとしても、それはゲヘナの醜聞につながる。

 

 平和条約を結ぶにあたって、中立を保ちたいシスターフッドとしては、双方どちらにも貸しは作りたくないのだ。

 

 それでも、サクラコは二人の友人への心配を止められない。

 

「だからってシエンくん一人で……。やはり、私も―」

 

「任せてください。門限までには、マリーさんを連れて帰ってきますから」

 

 いたずらっぽく笑うシエン。そんな彼の所作にサクラコは何も言えないでいた。

 

 

 

 ●

 

 

 

 夕焼けも沈み、闇夜との境界が曖昧となる蒼い空。そんな陽の動きとは関係なく、ブラックマーケットの住人は活発さを増していく。

 

 トリニティからそう遠くないここは、無秩序、非合法、悪辣をテクスチャに貼り付けたような場所だった。

 

 道のあちこちに武器を携帯した者たちが練り歩き、時々裏道の方からは銃声や悲鳴が聞こえている。

 

 そんなブラックマーケットの一角、かつては雑貨屋であった廃墟の2階に伊落マリーはいた。

 

「う、うう……。どうしてこんなことに……」

 

 建付けの悪いパイプ椅子に縄でくくりつけられ、身動き一つ取れずにいる。そろそろ攫われてから半日も経ち、お腹も空いて来る頃だ。

 

「いやー、しっかし、うまく行ったなぁ!」

 

「こいつトリニティのオジョウサマだろ? 身代金もたんまりガッポガッポだぜ!」

 

 座らされるマリーを取り囲むように数人がたむろしている。品の良い連中とは、間違っても言えないような口調と、崩したゲヘナ制服。

 

 攫ってきたマリーを戦利品に、引き換えに得られる金品に今から何に使おうかと興奮しているようだった。

 

「しっかし、なんか暇だよな。こいつの身代金、昼前には要求したんだろ? 全然、届けに来ねぇじゃん」

 

「んなこと、私に文句合うなよ。もしかして、こいつ見捨てられたんじゃね? ああいうオジョウサマって性格悪そうだもんな」

 

 しかしいつまで経っても、トリニティ側から返答がなく、訝しむ。唐突に友人たちを蔑まされたマリーが眉をひそめた。

 

「し、トリニティの皆さんはそんな人じゃありません! 第一、人を攫ってお金を要求するなんて、どうしてそんな酷いことを……」

 

「なあ、こいつ攫っててもお金にならないし、ボコって遊ぶ?」

 

「いいな! いつまで捕まえてても暇だし、いい暇つぶしだな!」

 

「ヒッ! いや、来ないで!」

 

 手持ち無沙汰となった不良たちは、手に銃を持ってマリーに近づいてくる。怖くなり、思わず目を閉じて俯くマリー。

 

「心配して来てみれば、随分と手荒い真似をしている」

 

 静かな声が廃墟に響いた。穏やかな声色に、微かな怒気が混ざっている。

 

 驚いた不良たちが声の方に振り返ると、カソックを着た少年が立っていた。ブラックマーケットの中だというのに、まるで散歩の途中のようにシエンは手ぶらのまま歩いていた。

 

「て、テメェ! どっから入ってきた! 外の見張りのやつらは!」

 

「ああ、外を見回っていた彼女らか? 邪魔だったから眠ってもらったよ」

 

「んだと! こいつを連れ戻しに来たのか!」

 

 これを荒げる不良の片割れが手に持った銃をマリーの頬に突きつける。

 

 それを見たシエンの目が鋭くなる。

 

「そうだとも、もうすぐ寮の門限だからね。門限を破ると彼女はとても困るんだ。君たちに思うところが無いわけでないが、急いでてね。素直にマリーくんを返してくれるなら、ことを荒げるつもりはない」

 

「ナメやがって!」

 

 あくまでも穏便に済まそうとするシエンに対し、逆上する不良がマリーに突きつけた銃の引き金を弾いた。けれど、銃声が響くことはなかった。

 

 代わりに響いたのは破壊音。

 

 いつの間にか不良の前に移動していたシエンは拳を振るい、不良の手にした銃を半分に叩き折りながら不良を殴り飛ばしていた。

 

 ゴムボールのように吹っ飛んでいく不良。

 

 それはマリーには不思議な光景だった。不良たちの前に立っていたシエンは、殴り飛ばした不良に向かって進んだ。しかしそれは戦闘が苦手なマリーでも目で追えるような速さで、現に隣りにいた不良も反応していた。

 

 しかし当の殴られた本人だけは吹き飛ばされるまで、眼の前にシエンがいることに気がついていないようだった。

 

 轟音とともに壁の向こうに飛んでいった不良。

 

「―っ! テメェ! ……って、あれ? どこに行った?」

 

 相方も慌てて応戦しようとするが、シエンはどこにもいない。マリーの視界では、シエンはただ歩いて不良の後ろに立っている。小さな静電気弾ける音とともにシエンを探していた不良が倒れた。

 

 倒れた不良の背後、シエンが立っている。

 

 人差し指を伸ばし、ちょうど不良の首筋があったところで止まっている。

 

「し、シエンくん?」

 

 何が起きたのか、マリーには分からなかった。どうして触れただけで、銃弾でもそれほど傷つかないキヴォトスの住人が触れただけで倒れてるのか。どうしてただ歩いているだけのシエンに不良たちは反応できなかったのか。マリーには説明ができなかった。

 

 混乱するマリーをよそに、シエンは倒した二人の不良の状態を確認していた。どうやら命に別状はなく、気を失っているだけだった。

 

 マリーを縛っていた縄を解きつつ、シエンは時計を確認する。

 

「良かった。なんとか門限には間に合いそうだ。マリーくんも災難だったね。体に異常はない?」

 

「はい……、私は特には……」

 

「なら良し。トリニティまでは走れる?」

 

「それが、縛られていた手足がまだ痺れていて、直ぐには走れそうにないです……」

 

 恥ずかしそうに動きの悪い指先を見せる。縛られて血が止まっていたからか、全快とはいかないようだ。

 

「なら、仕方ない。ちょっと乱暴だが、失礼するよ」

 

 言うや否や、シエンはマリーを抱きかかえる。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。

 

「え、ちょっ、ちょっと! 待ってください。こればかりは少し恥ずかし―」

 

「喋らない方がいい。舌、噛むよ?」

 

 マリーの言葉を聞き終わる前に、シエンが走り出す。割れていた建物の窓を器用に走り抜け、ブラックマーケットのビルの屋上を飛び越え、走り抜けていく。

 

「し、シエンさん! は、速いです!」

 

 周囲の景色が次の瞬間には後ろに流されていく光景。マリーは何かを言おうとしても、風切り音にかき消されていくようで、シエンには聞こえていない。

 

 抵抗しても仕方ないと、諦めがついたマリーはせめて襲い掛かる風を受け流そうと、体をシエンに密着させる。

 

 そうしていると、シエンの香りがマリーの鼻腔をくすぐった。いつもシエンがつけている甘い百合の花の香水。それに混じって汗の匂いもする。

 

「わ、私ったら」

 

 不慮のことであろうと、異性に密着してその匂いを嗅いでしまったことにマリーは少なくない羞恥を覚える。

 

「サクラコ様になんて言い訳したら……」

 

 思考がいっぱいいっぱいのマリー。自分でも何を口走っているか分からないくらい。でも、いい匂いだなどと考えて、また違う匂いがする。

 

「―?」

 

 それが何の匂いなのか、マリーには分からなかった。式典に使うお香に近いが、それとは明らかに違う。どこか好きになれない。そんな匂いだった。

 

 けれど、それはすぐになくなる。鼻腔をくすぐるのは普段通りの百合の香り。

 

 先程の匂いは気の所為だったのだとマリーは思った。治安の悪いブラックマーケットにいるのだ。変な匂いがしても不思議ではない。マリーはそう思った。

 

 

 

 ●

 

 

 

 マリーを学生寮に送り届け、それなりに走り疲れたシエンは夜中の教会で休んでいた。

 

 管理業務のあるシエンは特別に夜間の見回りのため、門限に縛られない権限をもっていた。

 

 誰もいない教会の一室。普段は式典用のワインを保管している倉庫の中、シエンは一人佇んでいる。

 

「全く、本当に。キヴォトスは平和に終わる日はないのか」

 

 零れ出た愚痴。普段の優しい声色はどこにもなく、イラつきを隠さない声だった。

 

 カソックの内に手を入れ、何かを探す。

 

 見つけて、取り出した。

 

 それは紙の箱と金属の箱。紙の箱から細い紙の筒を取り出し、金属の箱を開いて火をつける。

 

 タバコだ。

 

 学生ばかりのキヴォトスで、滅多に見ることのないタバコを、シエンは手慣れた動作で火をつける。

 

 口に加えたタバコをふかし、煙を肺に流し、そして吐く。独特の香りを放つ煙が登り、そして薄くなって消える。

 

 神聖な教会の中で、少年が、喫煙をしている。那須シエンを知っているつもりの人達からすれば、信じられない光景がそこにあった。

 

 少しずつ短くなっていくタバコ。

 

 半分ほど吸い終わって、タバコの燃える以外の音のない部屋の中で、シエンのではない声がした。

 

「おや……。クックックッ……。お呼びしようと思って来てみれば、こんなところで喫煙とは……。学園に潜伏している人の行動とは思えませんね。『生徒』は喫煙をしないのですよ?」

 

 部屋の一角。空間が揺らぐと、人影が現れた。

 

 黒い人だった。仕立てのいいスーツを黒い人影が来ている。マネキンのように体の凹凸はなく、目と思わしき位置からは霧のように黒い煙が浅く吹き出している。

 

 突然現れた不審者。けれどシエンに驚いた様子はなく。

 

「黒服。いつも言っているだろう。ここには来るなと」

 

「おや、他の生徒に私と一緒のところを見られるのが困ると? それでしたら何時も言っているように、連絡手段をお持ちになってくれれば直接伺う必要も……」

 

「違う」

 

 強い拒絶が黒服の言葉を遮って、シエンが彼を睨みつける。睨みつけたまま、改めてタバコを吸って、吐いて。

 

「人が一服しているときに騒がしくするなと言いたい」

 

 一瞬、呆けたように固まる黒服。そして噛み殺すような忍び笑いをして、

 

「クックックッ……。それは、大変失礼をいたしました。あなたにとっては喫煙も、信仰の一部でしたね『ジャラル』」

 

「その名前で呼ぶなといつも言っている。今の僕はトリニティの那須シエンだ。ゲマトリアのジャラルではない」

 

「と、言われましても。……友人を偽名で呼ぶなど、それこそ礼を欠くというもの。あなたがゲマトリアの同胞、私の友人であるならば、やはり、それに相応しい名で呼ぶべき。そうは思いませんか?」

 

「半ば脱退しているような奴によく言う。……それで? また集会か?」

 

「ええ、その通り。ベアトリーチェの例の計画に進展があるようで、一度全員を集めてほしいと。マエストロたちも、あなたに久しぶりにあることを楽しみにしていましたよ?」

 

「全く、面倒だ」

 

 シエンが立ち上がると、黒服が現れたときのように空間が揺らぐ。空間の波紋はシエンと黒服を包み込み。二人の姿を隠した。

 

 揺らぎが凪ぐと、そこに二人の姿はどこにもない。

 

 あとに残ったのは、タバコの残り香。

 

 学園という世界にはあるはずのない、あるべきでない『大人』の残滓だけだった。

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