シスターとタバコとゲマトリア   作:加賀崎 美咲

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友人たち

 一週間が終わり、迎えた日曜日。普段は学業や部活に勤しむ学生たちも、今日はお勤めから開放されて、各々羽を休めている。

 

 トリニティ総合学園にほど近いショッピングモールに遊びに来ているシエンもその一人だ。しかし、遊びに来ているというのに、シエンの表情は苦悶に満ちていた。

 

 その原因は共に出かけた二人、サクラコとマリーにあった。

 

 それぞれ、シエンの誕生月に由来する瑠璃をあしらったアクセサリーを抱えて。

 

「シエンくん? やはりこちらのシンプルなロケットのほうが良いですよね? 聖職者たるもの、目立ってしまうアクセサリーよりもこういった質素なものがぴったりですね?」

 

「シエン先輩はいつもカソックですから、こういうピンブローチでしたら、普段から着けていても自然ですよ!」

 

 手に持ったアクセサリーを勧めてくる二人。どちらを選ぶのかと、シエンに選択を迫って逃さない。

 

「どうして、こうなった……」

 

 苦悶の表情を深くするシエン。

 

 なんてことはない買い出しに付き合っただけだというのに、シエンはかつてない危機に見舞われていた。

 

 

 

 ●

 

 

 

 不良に拉致されたマリーを救出したのも、少し前のこと。迎えた日曜日。

 

 豪奢の形容すべき立派に作りをしたトリニティの正門の前。普段通りのカソックに袖を通したシエンは誰かを待っているようで、時々時計を見つめては約束の時間が来ていないことを確認している。

 

 外出する何人かの生徒を見送っているシエンに声をかける人物がいた。

 

「あら? もしかしてお待たせしてしまいましたか?」

 

「いえ、時間通りです。特にやることもなくて、なんとなく早めに寮を出ただけですから、お気になさらずサクラコさん」

 

 シエンと待ち合わせをしていたのはサクラコであった。以前、生徒たちの間で流行しているアクセサリーを見に行く約束をした二人。その日が今日だった。

 

 ショッピングモールは学園からそれほど遠くはない。散歩兼ねて、二人は歩いて向かうことにした。

 

 初夏に入り、日差しは少しずつ夏の暑さを見せ始めている。

 

「そういえば、シエンくんと初めて出会ったのも、こんなよく晴れた日曜日でしたね?」

 

 空高くにある太陽を見上げ、目を細めたサクラコ。その瞳は頭上の青空ではなく、どこか懐かしい場所を見つめている。

 

「そういえばあの日はよく晴れていた。でも、よくそんなこと覚えてますね」

 

「ええ、大切な友人と縁を結んだ、大事な日のことですから。忘れるはずがありません」

 

 嬉しそうに笑みを溢れさせるサクラコ。目を合わせていたシエンは思わず目を逸らす。それは太陽の眩しさのせいなのか。顔を赤く染めるのは暑さのせいなのか。

 

 シエンには分からなかったけれど、顔が熱いのは確かだった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 3年前。

 

 歌住サクラコは周りの部員と変わらないシスターフッドの一人だった。まだこの頃はシスターフッドの長になるような話もなく、とりわけ優秀な新入生でしかなく、 それ以上でもそれ以下でもなかった。

 

 日課である教会の掃除をしている時だった。

 

「あら? あれは……、人?」

 

 敷地の外側、並んだ鉄柵の向こう道端に倒れ込んでいる誰かがいた。

 

 もし怪我や体調不良で倒れているとしたら。そう考えたら見捨てるという選択肢はサクラコにはなかった。

 

 近くに掃除道具を立てかけ、急いで倒れている人影に近づく。

 

「大丈夫ですか? ……って、男の子?」

 

 近づいてみると、倒れているのはキヴォトスではほとんど見られない男子生徒だった。頭のヘイローが消失しており、気を失っているのは明らかだった。

 

 このまま路上に放置していく訳にもいかない。そう判断したサクラコは、少年を担いで教会内にある仮眠室に運んだ。

 

 本来ならば救護騎士団に身柄を預けるべきなのだろうが、気絶をした人間はあまり動かしてはいけないと知っているサクラコは、ひとまず近くの横になれる場所を選ぶ。

 

 仮眠室に運び、ベッドに寝かせる。しばらくすると少年の頭上のヘイローが展開されて、気絶から立ち直っていた。

 

 目を覚ました少年。目を開き、辺りを見回す。

 

「……どこだ、ここは?」

 

 不機嫌そうな声色。状況を掴もうと体を起こしたところ、それをサクラコは制止した。

 

「いけません。先程まで気絶していたのですよ? そのまま安静に……」

 

 サクラコと少年の目が合う。何かを憎んでしまって、もうそれを止められない。少年はそんな目をしていた。

 

 心配するサクラコに、少年は睨みつける。言外に、サクラコが手を差し伸べたことに腹を立てているようだった。

 

「どうして助けた? 人が人を助けるだなんて傲慢だと思わないか? 救えもしないくせして、よく助けようとする。その時君は何を考えていた?」

 

「えっと……。困っている人を見かけたら、手助けするほうが自然では?」

 

 少年の物言いにサクラコはどう対応したらいいか分からなかった。けれど、少年にはサクラコの返答は不満だったようで、視線が更に鋭く変わる。

 

「あなたは施しをする場合、右手のしていることを左手に知らせるな。それは、あなたのする施しが隠れているためである」

 

「……マタイの福音ですか? 私は決して、誰かに褒められるために、あなたを助けたわけではありません」

 

 少年が法典の言葉を引用する。それはサクラコを糾弾する言葉だった。福音において、人への施しは隠すべき、見返りを求めてはいけないとされる。

 

 本来、信仰心によってこそ人は救われるのだから、物質的に救いを求めるのは、あるべき姿から外れる。少年はサクラコの行いが自身の利益のための行いであると非難しているようだった。

 

「だったら尚の事、手を差し伸べる必要はなかった。人は人を助けられないのだから……。ならば、初めから何もしなければいい……」

 

 サクラコを強く非難しているというのに、少年は自身の言葉に傷ついているように、顔を暗くして伏せる。

 

 少年の事情はサクラコには分からない。けれど、それはとても寂しそうな表情で。サクラコには少年が憐れむべき人だと思えた。

 

「その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」

 

 少年がするように、サクラコもまた、聖典の言葉を引用する。聖典の旧約、その詩篇の言葉だ。

 

 怒りは試練の暗喩である。苦しみにのたうちまわることがあろうと、いづれ来る日には主の恵みとともに消えてなくなる。そのために人は祈ることをやめず、生きることやめなくていいのだ。

 

「私の苦しみや苦悩も限りあることで、いずれは救われると?」

 

「救われるかどうか、私には分かりません。それを決められるのは主の御心でありますから。それでも、あなたの苦しむ心に祈らせては頂けませんか?」

 

 それはサクラコなりの、少年への答えだった。例え、人は無力であろうと祈ることはできる。大切なのは物質的な救いや援助なのではなく、祈る心そのものであると。

 

 少年はサクラコが法典を正しく引用したこと、自身の事情も知らぬサクラコが口汚い自分にそれでも祈りと手を差し伸べたことに、ただ言葉を失う。

 

 手を差し伸べられたというのに、口汚くサクラコに罵った自分を恥じる。

 

「申し訳なかった。冷静ではなかったとはいえ、助けてもらった恩人にとんだ無礼をした。この通りだ」

 

 少年は頭を下げ、サクラコに謝罪する。

 

 それにサクラコは小さく笑ってる受け入れた。

 

「頭を上げてください。心無いことを言ってしまうほど傷つくことは、誰にでもあります。ですが……、貴方が赦しを乞うというのなら、その謝罪を受け入れます」

 

 サクラコの言葉に少年はもう一度深く頭を下げる。

 

 それから二人はもう少しだけ言葉を交わす。

 

 自分の名前、信仰のあり方、自分のこと。話したいことを少しずつ。あんな初対面を経たというのに、不思議と会話が弾む。

 

 こんな奇妙な出会い。それが那須シエンと歌住サクラコの邂逅であった。

 

 

 

 ●

 

 

 

「あの頃のシエンくんは何と言いますか……、尖っていましたね」

 

 過去を懐かしみつう、からかうような声色のサクラコに、シエンは照れ臭そうに笑う。

 

「よしてくださいサクラコさん。あの頃は……、そう、色々あったんです」

 

 シエンは過去の話をするとき、サクラコと出会う前の事ははぐらかす。

 

 それがサクラコには不満だったが、無理に聞き出すこともしなかった。言えない事情があるのだと、いつかシエンが話してくれるときが来たならば、そのときは友人として受け止めよう。そう、思うようにしていた。

 

『速報です! 連邦生徒会がエデン条約の調印式の日程を正式に発表しました!』

 

 街中の大型スクリーンに、クロノス広報部の速報が流れる。歩いていた人々は思わず目をそちらに向け、シエンとサクラコも例外ではない。

 

「エデン条約……。ついに、始まるのですね……」

 

 長年対立してきたトリニティ総合学園とゲヘナ学園との和平条約。誰もがありえないと思っていた和解への一歩が進んでいることに、その対立を知るサクラコは感慨深そうに流れるニュースを見上げている。

 

 見上げていたから、気が付かない。

 

 エデン条約の速報を見つめるシエンの表情が苦しそうに歪んでいたことを、サクラコは見逃してしまっていた。

 

 

 

 ●

 

 

 

 失敗した。頓挫した。つまるところ、実を結ばなかった。

 

 キヴォトスの何処かにあるゲマトリアの実験施設。他のゲマトリアからはジャラルと呼ばれる異形は、失敗した儀式の跡をつまらなさそうに見下ろしていた。

 

 聖別された油、正しく並べられた蝋燭。あるべき色に染められた聖骸布。

 

 すべての手順は踏まれている。ただ一つ、中央の祭壇に備えられるべきものが欠けていた。

 

 首から上が茨の絡まった一対の鳥の羽という、異形のカソックを着た大人であるジャラルは壁によりかかり、タバコに火をつけた。

 

「おや、ジャラルさん。実験をまだ始めていなかったのですか?」

 

 様子を見に来たらしい、黒服が儀式の様子を見て首を傾げた。予告していた時間を過ぎているというのに、ジャラルが何かをした様子がない。

 

「いや、黒服……。実験そのものは実行している……」

 

 タバコを大きくふかしたジャラルが気怠そうにつぶやく。

 

「では失敗ということですか? それにしては……」

 

 何も起きていない。成功にせよ、失敗にせよ、実験を行ったのならそのどちらかの結果を得られるはず。しかしながら黒服には、そもそも何も始まってないように見えた。

 

「実験は始まっている。けれど、あるべき要素が欠けてしまっている。だから目に見える結果は残っていない」

 

 大きく吸った煙を吐く。それはタバコの煙か、それともため息か。

 

「足りていないモノとは?」

 

「……贄だ」

 

 ジャラルはつまらなさそうに呟く。

 

 彼のやろうとしていた実験は、その結末を得るのに贄を必要としていた。神秘や恐怖、それを内包する崇高に至る道標となる生贄を。

 

「ならば捕まえたキヴォトスの生徒たちを使えばよろしいのでは?」

 

 なんてことはないように黒服は言った。今更キヴォトスにいる子供を搾取することに、抵抗はない。必要であれば使うだけのこと。

 

 しかしジャラルは首を振った。

 

「それではだめなのだ!」

 

 ジャラルが苛立ったように、握りこぶしを壁に叩きつける。

 

「祈りのためにあるべき神に、物質的な対価を支払ってしまったら、それは全能たる祈りの神にはなり得ない。人が成せることの延長線上、結局は足りない人の成すことに過ぎない」

 

 ジャラルは、神とは人を超えた存在であると定義する。人は物質に依存し、その消費を循環しているに過ぎず、神はその輪廻から解脱してなければならない。

 

 だからこそ、ジャラルの実験が成功したとしても、それはジャラルの望んだ結果には足り得ない。

 

「衆生の全てを救えなければ、神は神に足り得ない。だから贄を要求するなど、前提から破綻している。私の行動は最初から間違っていた」

 

 心底失望したような声色のジャラル。

 

 彼が望むのは人を救う神秘。人の想像も及ばぬ全知と全能を備え、祈りを捧げる人々に手を差し伸べる存在。

 

 それに手が届こうとしていた。けれど、ジャラルの神がジャラルに要求したのはその核となる生贄。

 

 全能の存在を生み出すために犠牲を伴う。その時点でジャラルからすれば、失敗もいいところだった。全能であるというのに対価を必要とする。それは現実の延長に過ぎず、彼の望みからはかけ離れていた。

 

 その他の成果も乏しいものだ。

 

 横目に映る大型容器には、いずれ那須シエンと呼ばれる器が浮いている。

 

「長年、神秘をこねくり回したところで、出来たのはキヴォトスの忘れられた神々の模造品。それも耐久年数の短い、神秘を補充しなければならない劣化コピーだとは……」

 

 得られたのは神秘を収斂する技術だけ。ジャラルとしては何も得られなかったと言うべきか。

 

「こんな成果のために、ベアトリーチェ如きに借りも作ってしまった。本当に、ろくな結果にならなかった」

 

「まあまあ、そう落ち込まずに……。どうです? 一杯お付き合い頂けませんか? ジャラル、あなたは思い詰める悪い癖がある」

 

 たまには肩の力を抜けと、励ますような黒服の言葉に、ジャラルは苦笑する。

 

「ずいぶんと、お前らしくもないことを言う。我々はそんな友好的な集まりでもないだろ……」

 

「クックックッ……。なに……、友人が気落ちしているのです。励ますのも友人の務めでしょう」

 

 どこからか取り出したグラスと封の開いてない上質なウィスキー。手渡されたグラスに琥珀色の液体が注がれる。

 

 それぞれの手に一杯のウィスキー。静かにぶつけ合い、ゆっくりとグラスを傾ける。

 

 スモーキーな香りの奥に、確かな果実の風味が鼻腔に残る。気落ちしていたジャラルも、これは、と喉を鳴らす。

 

「……美味いな。私はワインしか飲まないが、ウィスキーも素晴らしいものだ」

 

「そうでしょう? 皆さんと楽しもうと、こっそり収集していた逸品です。どうでしょう。この際、フランシスたちも呼んで私のコレクションを一つずつ品評するのも悪くない」

 

「まるで学生たちのお遊びサークルの様じゃないか」

 

 悪の大人の結社に似合わない黒服の提案に、ジャラルは少年のように苦笑する。

 

 つられた黒服も含み笑いを溢し。また一杯ウィスキーをジャラルのグラスに注ぐ。

 

「大人と言えど、いつも働いている訳にはいきません。思い悩むなら、時々こうして羽を休めることも必要でしょう。大人と言えど、我々もかつては男の子だったのですから」

 

 言い訳のような黒服の言葉。それはジャラルたちと遊ぶための大義名分であった。

 

「ふふふ、何だそれは。それが大人の言う台詞か?」

 

「友人の前なのですから、私だって大人の鎧を脱ぐこともあります」

 

「そうだな……。大人の鎧を脱ぐことも、たまには良いのかもしれないな」

 

 黒服がグラスを差し出し、ジャラルが手に持ったグラスを小さく当てて、友人からの心遣いを飲み干した。

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