戦禍で故郷を追われた少年ダットが旅をする

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探求者ダット

 燃え盛る炎。真っ黒な空。立ち上る黒い白い煙。黒く焼け焦げた人肉。

 

 これは夢だ。かつての光景がそのままボクの前に現れているだけ。

 

 鼻をつく刺激臭。高らかに鳴り響く軍靴の音。銃声。空を裂くように劈く金切声。煤に鉄の混じった味が口いっぱいに広がる。吹き抜ける風が炎を煽って、焼け付くように熱い。

 

 夢だというのに、ボクはその悪夢を五感全部で味あわされていた。

 

 足首にひんやりとした感覚があった。

 

 普通なら心地いいと感じるのに、どうしてか悪寒が走る。どうして、どうしてなんてわかっているはずなのに。その正体がわかっているはずなのに。

 

 足元を見下ろす。そこには人の形をした肉と骨の混合物がボクの足首を掴んでいた。

 

 指は二本残して骨だけになっている。その二本ももはや第二関節までしか皮膚がなく、それもただへばりついているだけだった。腕もところどころに肉片が付いているだけで骨がすべて露出している。胸部は服を着ているかと思えば、それはカラカラに乾いて焦げた黒い皮膚だった。なのに血管が奇妙な模様を描いていた。顔は目玉がごろりと抜け落ちていて、眼窩がぽっくりと空いている。それなのにないはずの眼がボクを姿を捉えていた。それを人間とはどうしたって思えなかった。いや思いたくなかった。例え元をつけるとしても

 

 半分ほどしか肉を残していない口が動く。

 

「──────」

 

 亡者の如き呻き声が漏れ出した。

 

「ヒッ!」

 

 ボクは驚き慄いてしりもちをついた。音が鳴る。それはこの夢において異質な音だった。だから横を逃げ惑う足音や悲鳴のただなかにあっても、それは搔き消されなかった。

 

 その音を聞きつけてぞろぞろと亡者が湧き出る。そしてボクの体に群がって口々に言葉を吐き捨てるのだ。それらはすべて上き声だからどんな言葉か分からない。けれどそれは呪いの言葉に違いなかった。

 

「うわああ──────────!!!!!」

 

 深い森に絶叫が吸い込まれる。静寂を保ちたい森が少年ダットの声で鳥や獣を起こさぬように音を飲み込んだのだ。絶叫でさえなのだから、少年の荒い息遣いなどは湿気に捕らわれて自身の耳にも満足に届かない。

 

 

 

 彼の朝がいつもこのように始まるわけでは決してないが、戦禍から逃れ未だに生き延びる少年を恨む亡者との闘いから始まることがほとんどだった。

 

 夢の景色も一つと定まることはない。今朝のように始まりの村だったこともあれば、これまで超えてきた7つの峰と谷とを、枝垂れかかる死体を引きずって再び歩かされたこともある。騙し討ちにした旅人がその実初めから死人で、身包みを剥いで立ち去るときにしがみつかれたというのもあった。

 

 けれど一人生き延びた苦役から、彼はもうすぐ解放されようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ダットがその身に張り付いた不快感を川の水で洗い流そうというとき、小鳥が高い声で歌い始めた。やにわに風が吹き抜けて木の葉をざわざわと揺らし、獣が一つ低い声で遠吠えをした。

 

 いまやその名前を忘れ去られた吟遊詩人の神がその技を盗み出して人々の間に広めたというが、まだまだ元の技には遠く及ばないらしい。ダットは精神だけでなく音によって身体までも洗い流されるような気分になった。

 

 昨晩の焚火の跡でもう一度火を起こして、洗った服と体を乾かす。残り僅かな干し肉と硬く黒いパンの外側を削いで火にかけた。ぱちぱちと木片の燃える音が森の音と混じる。

 

 燃える焚火は不思議で、夢のそれとは異なって安心感を与えてくれる。けれどふと油断して炎に引き込まれようものなら、すぐさま炎の中から焼け焦げた骨が伸びてくる。

 

 ダットは引きずられないように、つかず離れずの位置を保ちながら身支度を整えた。そして亡者どもを覆い隠すように土を被せて炎を踏みつぶして後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 今は亡き故郷の村からこれまでの道中を思い返しながら、日の光がわずかしか届かない鬱蒼とした森を歩く。けれどどうしたことだろうか、これまで確かに超えてきたであろう7つの峰と谷とをはっきりと思い返すことができないでいた。景色は蘇るには蘇るのだが、そこにあった苦痛や徒労などは、掬い上げた水のように零れていく。

 

 忘れられたものをそこかしこから集める神がいるというが、ダットのそれらもその神が保管しているのだろう。

 

 勇猛果敢な戦を歌にして残した古き王の歌があるが、それと比べればひどく矮小なダットの旅は詩にしても彼のもとに残らなかっただろうか、いや必ず残ったはずである。しかし彼がそれをいつまでも持ち続けるはずがない。

 

 

 

 しばらく歩くうちになにやらおどろおどろしい音楽が届いてきた。それは森の中にあって夕闇の森が奏でる音とよく混じりあい、スイラインにある戻らじの洞窟から伝わるという異音もかくやというような不気味な音となって森に広がる。

 

 常人ならその音を聞いただけで身が震えあがり、引き返してしまうかその場に屈みこんでしまうだろう。しかしダットは音の中心に向かってさらに足を速めた。

 

 何故なら永らく探し求めていた安寧がそこにはあるからだ。

 

 

 

 夕暮れが黄金と黒とを森に運ぶとき、ダットは音の中心である村に辿り着いた。その村では中心部に巨大な焚火を置いて、それを囲うように村人が様々な楽器を持ち音楽を奏でていた。

 

 けれどダットは音を頼りにしてきたというのに、村人には近寄らず村の近くにある塔に向かった。

 

 

 

 その塔というのが、ほとんど森に飲み込まれていた。ダットも初めはとても大きな幹の木だと思ったものだ。塔は石材でできているのだが、それが蔦に絡まれて石の色がほとんど見えない。代わりに蔦の茶色や葉の緑だけがあった。だからダットがこれほど大きな樹はないと違和感を持たなければ、彼は永久に塔を見失っていただろう。

 

「おや、こんな時間にここに近寄るなんて珍しいお方だ。村の人間ではないね、旅のお方かい」

 

 塔を見上げるダットに話しかける声があった。同時にぼうっと森の闇に小さな明りが生まれて、ランタンを持った老婆が現れた。

 

「よく見ればこれまたお若い方だ。いったいどこでここの噂を聞きつけたのやら。お前さんも不死を求めてやってきたのかい」

 

 老婆はダットのそばまでやってくると、ずいと顔を近づけた。老いたもの特有のにおいが鼻について、ダットは少しばかり顔をしかめた。そして漂ってくるのは嫌な臭いだけではなかった。

 

「そうだ。俺は不死を求めてここまでやってきた。この塔には不死になったものが住まうと聞く。さあ俺を早くその御方に合わせるのだ。そして不死の術を授けてもらうのだ」

 

 老婆から発せられる死の気配を振り払うように、わざと虚勢を張った。

 

「ほほほ、まだまだ育ち盛りというほどに若いのに不死を求めるとは。それほどまでに死が恐ろしいか。まあよい、ワシは心優しいからな。その御方というのに合わせてやろうて」

 

 老婆は塔に近づいて蔦を払いのけると、塔の扉を目いっぱい押し開けた。蔦が這っているところを見るとしばらく人は訪れていないのだろう。

 

 

 

 塔の中は明りがなく暗かった。とても老婆の持つランタンがなければ歩けないほどだ。

 

 外壁を覆い尽くしていた蔦は内部にまで侵入しているようで、ほんの少し漏れる夕暮れを求めて懸命に蔦を伸ばしている。僅かな光しか届かないほどだからか、不気味な村の音楽は塔の内部までは届いてこなかった。

 

「ワシの後ろをしっかりついてくるのだぞ。不死になる前に足を踏み外して死んでしまっては元も子もないからの」

 

 ごくりと唾を飲み込む音が塔に響く。それは間違いなくダットのものだった。ふいに下を覗こうものなら、亡者の腕が伸びてきそうだった。ダットはわざとらしく視線を外して老婆の背中を見た。

 

 死が恐ろしいか。ダットは老婆の言葉を思い返した。

 

 

 

 塔の最上階からは今まさに沈みゆく琥珀色の太陽が見えた。時折風が吹き抜けては塔の構造がそうさせるのか高い音が鳴る。

 

「ここにおわす御方が不死者だ。あろうことか愚かにも死神に呪いの言葉を吐き続けて、ついには死神を遠ざけた御方だ」

 

 老婆はランタンを壁際にあった骨の塊に差し向けた。その時風が高い悲鳴にも似た音を鳴らした。

 

「これがか。この亡者が不死者だとお前はそういうのか」

 

 ダットは怒りに任せて叫んでいた。しかし何に対して怒りを向けているのかまでは、冷静ではないから考えが及ばなかった。だから頭の片隅で自分を馬鹿にした老婆に対してだということにした。

 

 これまでの道中の徒労はどこか吹き飛んでいた。

 

「ああ」

 

 老婆がこつんとランタンで骨を叩くと、塔全部が一層高い金切声を上げた。

 

「いかに不死とはいえ、ハゲワシのように襲い掛かってくる時を退けることはできん。ワシの体に時が忍び寄って心身を啄んでいくように、死を遠ざけたとしても時ばかりは遠ざけられないのだ」

 

 老婆は被っていた布を一部捲って腕を見せた。ほとんど肉のない骨と皮だけのしわがれた、小枝のような腕だ。

 

「これがか」

 

 ダットは膝をついて一塊の骨から一本持ち上げた。さするたびに金切声が風となって塔を吹き抜ける。

 

「村の者どもは、いまでは死神に賛歌をささげておる。その神の名も忘れてしまったというのにだ。ワシにとっても村の者どもにとっても、かの死神は救いの神なのだ。分かるかねお若い旅のお方よ。死は途方もない苦痛を与えるが、その途方もない苦痛を癒せるのもまた死なのだ」

 

「ならば、ならば俺はどうすればいい。どうすればこの苦役から逃れられる」

 

 ダットは叫びながら骨を投げ捨てた。未だ途方もない苦痛に苛まされている骨塊が絶叫を放った。

 

「なにもせんでいいだろう。旅のお方も今や死を恐れてはいないのではないか。死の神がお主のそばにやってくるとき、その苦役からも解放されるのだから。また時や命も同じこと。時でしか癒せん苦痛もあれば、お主の背負う苦役も命が運んできたものなのだから」

 

 老婆の言葉を聞いたダットは、しばらくうなだれていた。そして太陽がこれまで何度も見てきたそのやり取りにも飽き飽きして顔を沈めたころ、ようやくダットは塔を降りた。もう老婆も何もいう事はなかった。

 

 

 

 

 

 ダットは再び旅を始めた。これまで踏破してきた7つの峰と谷とを再び超えて、故郷に戻ろうとしているのだ。時が癒したかつての徒労と苦痛とを再びその身に刻み付けながら。

 

 彼はもう亡者の幻影に追われることはなくなった。


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