白くも見えるし、黒くも見える。
禍々しいと思えば、どこか神聖さを感じ、やはり底知れない恐ろしさが漂う空間。
果てはなく、しかし壁があり、天井があり、この場所を説明する言葉が出てこない。
あるとすれば、隙間なく満たされている『泥』だろうか。それは今も溢れ、流れ、侵食を続けていた。
「────うふふっ」
おぞましい色の泥の中に、一際目立つモノ……いや、人か。ソレは、泥と相まって白が目立ち、清廉さを感じさせる、見目麗しい少女の形をしていた。
あまりにもこの場に似合わない見た目の少女は、既にここの住民となっており、何かを感じたのか、面白おかしく笑いながら足を漕いでぱしゃぱしゃと音を鳴らす。
「お客様なんて初めてよ? 歓迎はしないけれど、お話くらいなら付き合ってあげてもいいわ」
「……ここに出るのか」
音を立てず、予兆もなく、気づけばそこに男が立っていた。
女は突如現れた男に驚くことなく、大した感情を見せないながら、その男を避けるような動きを見せ男に触れる様子の無い泥を見て、わざとらしく驚いたように口を開く。
「『泥』が避ける存在なんて、見たことがないわ。凄いのねあなた。私、今日初めてがいっぱいでドキドキしてしまうかも」
「そう思ってるのならもう少し感情を込めて話せよ」
「あら、お気に召さなかったかしら?」
「いいや、お前らしくて安心したまである」
「私とあなた、初対面だと思うのだけど? あなたは私を知っているのね」
「対面はしてないが、お前は俺の事を『視た』んだろ? なら、全部知ってるはずだ」
物珍しそうに周りを見渡しながら歩き回る男にはやはり泥は寄り付かず、その男の言動にポカンとした表情を浮かべた女は「ああ」と思い出したように声を漏らす。
「私、あなたの事は視えないみたいなの。案外不便よね、この力。だから私、あなたの事ちっとも知らないわ」
「コレを不便とか言うのはお前くらいだろうな。今の発言、魔術師が聞いたらどうなるやら……しかし、なるほどな」
「何か分かったの?」
「大体はな」
「なら、あなたの事聞かせてくださる? ここ、何にもないから退屈なの」
暇つぶしを要求してくる女は笑顔で男を向くものの、貼り付けたようでいて、しかし自然にも見える笑みに薄気味悪さを覚えながら男は自身の見解を述べる。
「前の世界で死んだ俺は、確かに根源に触れた。ただ、俺に許されたのは無尽蔵の魔力の供給のみ。おかしいとは思ってた。その程度で済むはずがない。俺はこの世界の全てを観測できなかったし、知識も学ばなければならなかった」
「勘違いしていた。俺が触れたのは、『この世界の根源』じゃなくて、『前の世界の根源』だったんだ。完全に異なる、交わることの無い世界。そんな、お前からすれば歪とも取れる接続をした俺には、前の世界の根源から供給される魔力しか来なかったんだ。世界を視る力なんかは、この世界の全てが内包されてる、その世界の根源に触れないと得られるはずがないからな」
頭を掻きながら女の方へと近づき、3メートル程の間隔を開けたところで立ち止まり、ドカりと腰を下ろし楽な体勢をとる。泥に浮かぶ女は位置関係的に見下ろす形を取り、頬杖しながら話を噛み砕いていた。
「ああ、だから今、あなたの事が視えるというわけね。あなたの言う、『この世界の根源』に繋がっている私が観測できるのは、『この世界の全て』。『前の世界の根源』に繋がっているあなたは、この世界にとって異物であり、別対象として判断された。だから、『この世界』に含まれなかったあなたの事を見ることはできなくて、『この世界の根源』に触れた今のあなたは視ることができるんだわっ」
「あ〜……この世界で死んで、『この世界の根源』に触れたことで、ようやくこの世界の一員として認識されることになったってことか」
「うふふっ、凄いわあなたっ。久しぶりに人と会話をしたということもあるのかしら。私、あなたに少し興味が湧いてきたの。私が他人に興味を持つなんて、あなたで二人目よ?」
「嬉しくない」
「あら、釣れないのね」
お互いが、この世界の唯一の共有者とも言える存在で、取り繕わずに素で会話をする様子は昔馴染みのように見えてしまう。
「素敵ね、あなた。まあ彼には劣るけれど」
「知ってるよ、狂愛者」
「む……すこし、狡いわ」
「何が」
「私、あなたの事なんにも知らないのに。あなた、私の事知ってるんでしょう? それって凄くずるいことだと思うの」
「あそう」
「軽薄なのね。今のあなたしか私は知らないのだし、少しくらい語ってくれてもいいんじゃない?」
「過去は振り返らないタイプなんだよ」
「そういうことを言っているのではないんだけれど……あなた、もしかしてモテないタイプでしょ?」
「ほっとけ」
友人のように、他愛もない話を続ける。珍しくヒトのような仕草を見せる女は、自分でも気づかないうちに気分が上がっていた。
「────で、最初に来てくれたのがアルトリアだったんだよ!」
「あなた、過去は振り返らないとか言ってなかった?」
「いやあ、なんで来てくれたのか未だに謎なんだが、ほんとアルトリアしゅき、ラブ、まじ相棒!」
「あなたのキャラがよく分からないのだけど」
「ノアのやつもいいキャラしてるし────」
未練は見せず、しかし楽しかった思い出を語り始める彼を止められるものは女しかいなかったが、話を止める気もやる気も出ず、ただただ聞きに徹する。
「ていうか、俺初めの一回しか呼び出そうとしてなかったのに、なんでみんな来てくれたのやら」
「さあ? あなたを殺しに来たんじゃない?」
「物騒だな。それだったら泣くぞ、まじで」
「ありえない話ではないわ。だって、グランドクラスも召喚されているのでしょう?」
「おん……え、どゆこと」
「初めに見た時から既視感を覚えていたのだけど、あなた────あら、時間ね」
「うわっ、まじか」
不意に、光も差し込まないこの空間に淡い白が浮かび上がり、その白に引っ張られるようにして男の体が浮かび上がる。男が座っていた場所は、すぐに泥が侵食し、元通りの空間へと戻っている。
「思いのほか楽しんでしまったわ。思わず会いに行ってしまうかもっ」
「マジで来んなよ、カオスになるから」
「ふふっ、知っているわ、それ。『フリ』というやつでしょう?」
「来んな」
浮かび上がった男の体が発光し始め、輪郭が掴むことが困難になっていく。その様子を見あげる女は、僅かな微笑みを向けながら楽しそうに手を振る。
「それじゃあ、また会いましょう。もう一度死んだら会えるんじゃないかしら?」
「死ぬの確定かよ……まあそれ以外でここ来れねえしな」
次第に声も判別できず、聞こえるが、頭に残らないという不思議な現象が起こりつつあり、もう時間は無いのだと理解する。
「そういえば……私、あなたの名前を聞いていなかったわ」
焦りも見せず、普段通りの口調で話す女に「そういえばそうか」と納得の様子を見せると、自己紹介を互いに行うことを今更に決め、少し笑いながら名前を交換しあった。
「天野怜……まあ、機会があればまた話してくれ」
「沙条愛歌よ……そうね、待ちくたびれたら会いに行くから、待っていてね」