白を基調としたシンプルな施設。無駄を省いたその空間には収まってきたと言えども未だに忙しなく職員が廊下を行き来する。
書類を持ち、台車を押し、立ち止まり話し合う彼ら彼女ら。
「あ、おはよう藤丸さん」
外界の音は入り込んでこない。完璧な空調が廊下の温度を適切に調整している。コツコツと音を鳴らしながら廊下を歩く。広大な施設と言えどもすれ違う職員達は多い。短くも濃密な時間を過ごした彼等との関係は深い。
すれ違う人達は私の姿を認識すると笑顔で挨拶をしてくれる。
「おはようございます、マスター」
それはカルデアの職員に留まる話ではなく。
過去、現在、未来。あらゆる時代に偉業を残した英霊達もまた、カルデアに多く滞在していた。
レイシフトによる出会いで縁を結び、私の呼び声に応じてくれた彼らは厨房に、書類作業に、あらゆる場面で手を貸してくれている。
「うんっ、おはよう!」
私はいつも通り、笑顔で返事を返す。その度に私は思う。今の笑顔は不自然ではなかっただろうか。声はいつものトーンだっただろうか。彼らは不安に思っていないだろうかと。
一部ガラス張りとなっているところから外を見れば、今は吹雪いておらず。しかし一面の銀世界が寒さを感じさせる。
「先輩」
いつの間にか無意識に足を進めていた。後ろから呼びかけてくる声に肩を揺らす。どれだけ進んだのか分からないし、今どこに向かっているのかも分からない。不意打ちを受けた私は不自然な対応にならないように大袈裟に驚いた風を装い振り向いて頼れる相棒を見やる。
「うわっ、ビックリしたぁ。おはようマシュ」
「……はい。おはようございます」
彼女の表情が歪む。それを見て、やはりマシュには分かってしまうのだなと思うのと同時に、彼女の表情の変化に気づいていないように振る舞う。
二人で廊下を歩く。会話の内容はなんてことない世間話。エミヤに生活リズムについて小言を受けたとか、ドクターが徹夜して黒いクマができていたとか。
いつも通りの会話。私が話し、マシュが相槌を打って、マシュが新しい話題を提供する。立場が変わって会話が続いての繰り返し。
明るい話ばかりで自然とお互いから笑い声は生まれる。楽しい、それは間違いなかった。それでも、心のどこかに凝りは残っていて。
最近、私とマシュは本気で笑うことがなくなってきた。
「それで────あ」
目的地も定めずに、ゆっくりと歩き続ける。最終的に食堂にでも出れたらいいななんて思いながら二人で話していると、不意に通り過ぎたドアが開いた。近くを歩きすぎていたのか、自動ドアのセンサーが作動したようで中から人が出てくる気配はない。
その部屋の中は薄暗い。ダンボールが何箱も積み重なり、私の目からはよく分からない鉄の塊など、言ってしまえばガラクタが多く置かれており、使用形跡が見られずホコリが溜まっている。
その部屋はただの物置部屋。もう長く誰も立ち入らなかったであろう多数ある部屋のひとつに過ぎない。それでも、その部屋が開いた時、私はそこから目が離せなくなり、脳裏に濁流のように思い出が蘇る。
『立香』
忘れはしない。彼の声。隣にいるマシュもその部屋を見て息を呑んでいる。
自然と溢れ出そうになる涙。自分の弱さを突きつけられたあの日。
「……行こう」
膝が震えて崩れ落ちそうになる。瞳は揺れて息も定まらない。それでも私は拳を強く握りしめ、震えながら深呼吸をして強引に息を整える。そしてマシュの手を取り、自分の顔を見せないように下を見ながら歩き出す。
顔を見ていないけれど、マシュも私と同じなんだと分かる。握った手が震えていた。もう私の手の震えかマシュのものかも分からない。
──時間神殿にてゲーティアを倒し、そして現れた四つの特異点を修復した。
人類史の存続を掛けた激戦。にも関わらずカルデアからは犠牲者がただの1人も出ることなく、数多のサーヴァントを率いて世界を救った英雄……藤丸立香。
「……なんでっ」
みんなの認識はそうなっている。そう、
カルデアには、彼が生活していた形跡も、データも残っておらず。
まるで、元々この世界に彼が存在していなかったかのように。
……私とマシュ以外の全ての人間から、天野怜の記憶が失われていた。
時刻は日を跨ぐ直前。
眠りにつく者も少なくはないだろう時間帯。既に労働時間は過ぎているものの、薄暗い部屋にはパソコンから発生している光が点在し、キーボードを叩く音がカタカタと静かに響く。
膨大な書類。人理焼却に関する報告書や、召喚したサーヴァントについての情報。被害、レイシフトの旅路などなど。とても一人で捌ける量ではないそれらをエナジードリンクをあおり眠た気な眼を閉じることなくひたすらに手を動かす。
人理修復の旅。その終局地点となったゲーティアとの戦い。人類最後のマスターである藤丸立香と彼女に従うサーヴァント達の激戦について事前にある程度まとめられている資料に目を通す。
「数多の魔神柱の対処に殆どのサーヴァントが割り当てられ、ゲーティアと対峙したのは藤丸立香、マシュ・キリエライトを始めとした数騎のサーヴァントのみ。絶望的な状況の中、突如としてゲーティアの魔力が約95%減少。また、右半身が吹き飛び状況が一変。人類悪、ゲーティアを無事討伐。人理は存続された……か」
報告書の漸くに目を通し、キーボードから手を離してけのびをする。何時間も同じ姿勢を保っていたことから骨がバキバキと鳴り響き、不思議と身体が軽くなったように感じた。
「んぅ〜!」と口を閉じながら自然と音が喉で響き、息を吐く。周りには誰もおらず、残業を何時間も自主的にこなしている自分を咎める存在は誰もいない。その事に、不自然に何かを忘れているような感覚に襲われた。
思い返す。自分が死ぬはずだった戦況を。
彼……ロマニ・アーキマンは、ゲーティアとの最終戦闘時に意識を失っていた。
死ぬはずだった。死のうとした。ケジメをつけるために戦場に立とうともした。その記憶は全て彼にある。ただ、その先が全く思い出せなかった。
なぜ気絶したのかも、何が起こったのかも、謎の暖かさも全て。
「魔術協会の視察かあ……」
問題は多い。魔術協会の視察がカルデアに入る日が近くなっている。恐らく、というか確実に彼等はカルデアを自分たちのものにしようとしているのだろう。
非常事態とはいえ、サーヴァントの大量召喚に、無許可のレイシフト。これらを都合のいいように罰則として使う気なのだ。
カルデア職員達も、ただ彼らの言いなりになる訳では無い。
伝える事実は最小限に、資料を改竄。最大限の抵抗を見せる為に、ゲーティアによる人理焼却を阻止した後も労働量はむしろ増すばかり。
「はぁ……」
疲れを全面に出して息を吐く。一度休憩すればもはや瞼を開けることは難しく、気力で意識を保つのも限界は近い。
ロマニの仕事は多い。所長代理として全体の指示、ドクターとしてのメンタルケア等。その仕事量は一般職員の倍ではきかない。ダ・ヴィンチが補佐として付いているものの、また新しい仕事を見つけてくるのだから彼は根からの社畜なのであろう。
「『天野怜』、か……」
それは人理修復後。ゲーティアを打倒し、積み重なった疲労からか立香とマシュが眠り、一週間起きることは無かった。サーヴァント達も心配する中で、漸く目覚めた彼女達の一言目は、両者違わずに「怜さんは何処だ」という切羽詰まった声。
汗で衣服が濡れ、一週間寝たきりだったことで筋肉量は落ちろくに歩けない中、彼女達はベットから落ちて這いずるように外へ出た。部屋を出た時点で立香は体力が著しく低下し、過呼吸寸前で倒れているところをロマニが発見。ロマニの姿を捉えた立香は縋るような瞳でロマニに尋ねた。
「誰なんだ……君は」
分からない。職員達の名前は一通り頭に入れている。それでも、立香が言っていた人物の名前はロマニの知らないものだった。困ったように首を傾げるロマニ。それを見て、立香は激しく動揺するように瞳を揺らし、遂には涙を流し気絶した。
マシュに関してもそうだ。彼女は気絶するとまではいかなかったが、立香同様に天野怜という存在を尋ね、誰も知らない事実に恐怖した。
サーヴァント達も、その名前を知るものは誰も居なかった。
いや、それは違うのかもしれない。
不自然な点は多い。それは世界を救った後。立香とマシュが帰還した時、カルデアに居たサーヴァントが数騎、姿を消したのだ。
彼等ならば、天野怜という存在についても知っていたのかもしれない。これはロマニの憶測だった。
眠気が強まり、体に力が入らなくなる。ふと、無意識にロマニは頭に手をかざした。
『立香を頼みます』
聞いたことの無い声。しかし酷く穏やかで、ずっと心に染み渡る暖かさ。
何かが足りないと感じた。重要な何かが。なくてはならないものが無いにもかかわらず、日常を過ごしているという異常。
違和感を覚え、しかしそれは直ぐに頭から消える。説明不能の現象がロマニを悩ませた。
ゆっくりと机に突っ伏す。パソコンの画面は開かれたまま、光がロマニを照らすが、そんなものは関係ないと気絶するように眠りにつく。それでも早起きの癖が着いているロマニは数時間もすれば目が覚めるだろう。
遂に空間から音が消える。存在するのはパソコンから出る光と一定のリズムでの寝息のみ。そのパソコンの右下には12/30の文字。
数分が経ち、パソコンの光が自然と消え、暗闇が部屋を包み込んだ。
「レイ」
薄らと覚醒し始めたところに聞き馴染んだ相棒の声が響く。彼女の澄んだ声は何度聴いても飽きることはなく、耳が喜んでいるという表現を正しく使える場面であろう。
「カルデアが北欧に到達したようです」
「……ああ、今視た」
全てを見通す力。普段は意識して封印しているソレを相棒からの報告を受けて一時的に解放する。あれがシャドウボーダーか。実物は初めて見たな。そんな場違いに感慨深い気分になると共に、その内部にまで目を凝らす。
「立香、マシュ……」
目に映るのは二人の少女。オレンジの明るい髪を持つ、偶然そこに居ただけなのに世界の命運を握らされてしまったただの女の子。そして擬似サーヴァントという研究の素体になり、力を得ただけの、こちらもただの女の子だった。
自然と思い出される。カルデアでの思い出。思い出の中での笑顔の少女達はそこにはおらず、切羽詰まった彼女達の姿は見ていて痛々しい。力を封印し、瞼を閉じた。
「ベリル・ガットは手筈通りモルガンが殺害しました」
「影響は?」
「妖精国は依然健在。予定通りです」
「分かった。数日したら、アルトリアには北欧に行ってもらう。大令呪のサンプルが欲しい。オフェリアを五体満足で確保してくれ」
「蘆屋道満についてはどのように?」
「あいつはまだ放置でいい。インドにはイシュタルを向かわせる。その時次第だ」
「では、そのように」
そして議題は別のものへと変わる。
「アラヤが抑止力のサーヴァントを多数派遣してきていますが、全て彼女が食べ尽くしたようです」
「あぁ……うん、視てたよ。グロかったな」
遠い目を浮かべる俺に同情の視線を向ける我が相棒。今あいつは何をしてるのかと気になりあいつに限定して視界を開く。
「……あいつこっち向かってきてるんだけど」
「彼女も貴方に相手をして欲しい年頃なのでは無いですか」
絶対違うと思うし、あいつに性別なんて言う概念存在しないだろ、というツッコミを心の奥にしまう。良くも悪くも純粋な奴だから責めるに責められないが。目覚めてから数年しか経ってないだろうけど純粋な年齢は数えられないだろうし。
まあ、たまには相手してやるか、と腰掛けていた玉座からゆっくりと立ち上がる。
「──じゃあ、気取られないように頼む」
「お任せを。この身は貴方の剣です」
お互いに見つめ合い、可笑しくなって二人共に笑い合う。そして今度こそ解散となりアルトリアが静かに姿を消す。そして俺は窓へと身を乗り出し、呆れた顔を浮かべて超スピードでこちらに向かう少女の形をした存在を捉える。
「だから……来た道水晶にすんなって何回言ったら分かるんだ、あいつは」
幸いアレが通っている道にサーヴァントも住民も居ないからよかったものの、テンションが上がっているのか水晶に変えていることに気づいていない様子。
苦笑しながら俺は外へと身を投げ出し、空中に浮遊しながら、もうすぐ100kmを切る距離となるあいつに向かって手をかざして純粋な魔力を放出して迎え撃った。