「────ふぅん。貴方が怜の言っていたカルデアのマスター、ねぇ」
その姿は正しく『美』という他なく。
「可哀想な子……貴女の望みは決して叶うことなんてないのに。アルトリアから聞かなかったのかしら」
話しかけられている内容なんて聞こえてこないほどに魅了され、瞬きなんて不要な行為は脳が許すはずもなくて。
もっと貴女の声を聞かせて欲しいと、瞳が震えて頬が赤く染まりながら。
「──彼は貴女を望んでない」
現実に引き戻された少女は、激しい動悸と吐き気を感じながら後退した。
◇◇◇
「何を調べているんだいロマニ」
シャドウボーダー内の資料室。
エナジードリンクを片手に皆が寝静まった時間帯に当たり前のように起きながら調べ物をするロマニ・アーキマンの元へとランドセルが似合いそうな幼女が声を掛ける。
「レオナルドか。いや、ちょっとね」
ロマニにレオナルドと呼ばれた幼女……もとい、レオナルド・ダ・ヴィンチは薄い隈が目下に出来上がっている同僚の姿に苦笑しながらホットミルクを片方手渡し隣に椅子を運んで座る。
「これは……人理焼却の特異点の記録か」
「ああ。ホームズとも話してはいたけど、やっぱりキャメロットと北欧異聞帯で出会った騎士王の姿が不自然すぎる」
卓上に広げられた各特異点の記録の中心に置かれた騎士王の記録を手に取る。
「冠位のサーヴァント。人類悪の出現時にのみ召喚される、各クラスの英霊の中での頂点。キャメロットでは初代山の翁が居たし、グランドが召喚される環境は整っていた……のかもしれない。可能性は低いけれど、あの時はそうであると仮定して断言するしか無かったし、問題という程のものでもなかった。なかったんだ、けど────」
「けど、今回は違う」
ロマニの言葉を繋げたダ・ヴィンチにロマニは首を振って肯定を示す。
「スルトという存在はビーストに該当しない。それ以外に人類悪とされるような存在は観測されなかった。グランドが召喚される条件は何一つ整っていなかったんだ」
「だけど、私達が観測した騎士王のクラスは間違いなく冠位のセイバークラスだった。冠位に匹敵だとか、そういうことじゃなく。彼女は、冠位だったんだ」
「気になる点は幾つもある。まず、前触れも無く瞬間的にあの場所に出現した点。転移系統の魔術によるものだろうけど、アーサー王がそんな魔術を使えるような伝承は無い」
「加えて、彼女は汎人類史の英霊にも関わらず私達に加勢することなく、オフェリアの回収を目的として現れた。彼女の言動から察するに、『王』や『彼』は同一人物であり、彼女のマスターである可能性が限りなく大きい」
「けど、それは有り得ない。グランドクラスのサーヴァントが一個人に召喚されることは不可能で、必ず通常霊基に格を下げないといけないはずだ。というか、そんなことがあったら抑止力が黙ってない」
「ビーストに引き寄せられ召喚された先で出会ったマスターと契約を結んでいるのか……それとも──」
言葉に詰まり、「いや、有り得ないな」と自身の考えを唾棄して笑い飛ばし、目下の問題を再確認する。
「クリプターでも無い、異星の神の使徒と呼ばれる存在でもない……第三の敵勢力の可能性」
「そして、アーサー王のバックにいるとされる可能性が最も高い人物が……」
無数に散在する資料の中から、『unknown』と書かれた紙を取り出し、存在しない顔写真の横に書かれた名前を指で指し示す。
「「──天野怜」」
二人の表情はここに来て歪み、最も頭を悩ませる事案へと直面したことにより深く息を吐く。
「藤丸くんとマシュだけが知っている存在……彼女達曰く、憶えている、だが」
「私達が忘れた……忘却させられた? ん〜、そんな実感なんて微塵もないんだけどなぁ。実際、喪失感も違和感も何も無い。むしろ彼を知っている二人の存在が異質とさえ思えてしまうほどだ」
「けれど、終局特異点でゲーティアの魔力量が95%減少し、半身が消し飛ぶダメージを突然負ったということだけは今でも説明が付かない。そこに何かがあるはずなんだ」
「私も一点だけ不審な点はある。あの時、ロマニを私は戦場に向かわせないために気絶させたと記憶してるんだけど……今思えば、私はその選択を取るとは思えない」
違和感は無い。けれど違和感がある。
まるでその答えに辿り着かせないかのような思考の誘導。無くなったピースを埋めるかのように修正された事象の改編。
意識しなければ感じない違和感。異常だと思ってはいるものの小さなものだと否定してしまう脳が恐ろしい。
「……立香ちゃんは?」
「北欧の一件から、一人になると決まって塞ぎ込んでいる。嗚咽も聞こえてくるし、隠してはいるけどかなりやつれてる……自傷が無いだけまだマシと思うべきか。マシュは藤丸くんのことを心配しているけれど、あの子も相当堪えているよ。けど、藤丸くんに弱ってる姿を見せないように仮面を被ってるように見えるね」
ロマニの見解はダ・ヴィンチも知るところで、分かりきった問いかけは一向に問題の答えの片鱗も見えてこないことに対するいらだちと疲労を紛らわせるためのもの。
「僕じゃダメなんだ」
記載の無い顔写真の欄を指でなぞり、『天野怜』という名前を見ても既視感が湧き出てこないロマニはそれでも感じる何かを言語化していく。
「ロマニ?」
「藤丸くんに寄り添えるのは僕じゃないんだ。彼女の心の支えになれるのはここには誰も居ない……と思う」
曖昧な感想だけど断言出来て。
カウンセラーという立場に居ながら藤丸立香という一人の少女の心の拠り所になれるのは自分ではなくて、知らない誰かだということだけは分かっていて。
けれどそれが誰なのかが分からないこと。けれど確かにいる存在を求めてやまないロマニは軽い頭痛を感じながら資料を漁る。
「僕らが抱える問題は異聞帯や空想樹だけじゃなくなってきている。騎士王が第三勢力に与してると確定した今、その勢力は前者よりも強大な敵になり得る」
第七特異点バビロニアの記録。
「バビロニアで共闘した山の翁は間違いなく藤丸くんに呼び寄せられた存在だ。けど、彼は違う」
「──ヘラクレス、だね」
「カルデアに登録されてるバーサーカーの霊基であるヘラクレスじゃない。アーチャークラス、そして騎士王と同じく冠位のヘラクレスだ。彼も結局なぜ来たのか、どうやって現れたのか分からなかったけど、この共通点を疑わない道理は無いよ」
「末恐ろしいな、天野怜という男は。2騎のグランドクラスだけでもオーバーだと感じるのに、まだまだ居ると思わせる不気味さがある」
「まあ、本当に彼女達の背後にいるのが天野怜と確定している訳じゃない。それに彼らは僕たちに大して敵対している姿勢は見せていないしね。今の優先事項は空想樹の切除だ」
「オフェリアを回収した目的が不明なのは少し不気味ではあるけど……そうだね。今は空想樹の切除を考えよう。自信なさげだけど、立香ちゃんのメンタルケアを頼むよロマニ」
「うっ……」
苦虫を噛み潰したように表情を崩し、そして弱々しく、自信なさげに「はい……」とか細く呟きロマニは資料を整理しひとつの封筒へと纏める。
(天野怜……)
その名前を聞いて、見て、知って。それでもなんの感情も湧いてくることなく、ただ名前の羅列が並んでいるとだけ感じるなんの関係もなかったはずの他人の名前。
思い出すことも無く、懐かしいと思うこともない。
それでも。
モヤモヤとする感情、何かが足りないとは感じないが、何かを知らなければいけないという焦燥感に駆られる。
それは使命にも似たなにかであり、それを知ることがゲーティアと共に死ぬはずだった己のすべきことで、その真相を知ることが出来るという探究心を満たすことの出来る唯一の方法なのだと知る。
顔のひとつでも見れば考えも変わるのかな、と。
皆が寝静まりしんとした個室で僅かな肌寒さを感じながら、ロマニは漠然とそう思った。
インド異聞帯へと進んだシャドウボーダー一行は……終わりを迎えようとしていた。
『おい、おい、おいっっ! ああ……ほ、本当か? 本当に、誰一人、動けんのか?』
『藤丸くんっ! マシュ!』
突如としてやって来た、異聞帯の王であるアルジュナ。
彼一人にカルデアは手も足も出ず敗北し、アルジュナは興味を失いその場を後にした。
満身創痍のカルデアへ死体蹴りのようにトドメを刺しに来たアスクレピオスにより、彼女達は死を待つだけの人形となってしまう。
「──────は?」
アスクレピオスの操るアンデッドが進行を止める。
彼の命令に絶対服従の死者達は殺害という命令を受け、立香達を殺すために剣を、槍を、杖を持ち近づいていたにもかかわらず突如彼らの動きが止まる。
それだけなら誤作動か、接続が不安定なのかとアスクレピオスを思うかもしれない。彼が素っ頓狂な声を漏らしたのは、操っているはずの死者達が一様に自らの四肢へと武器を突き刺したから。
片腕を切り落とし、両脚を切り飛ばしたことでどサリと前のめりに倒れ、最後に残った片腕で失った心臓付近を差し込み、捻じる。
魔力の粒子となって霧散していく私兵に理解不能とばかりに丸い目を向けるアスクレピオスは不意に天を見上げ──脱力した。
「態々命令しないといけないの?」
────跪きなさい。
たった一言の呟き。
遥か上空から世界へと発せられた小さな言葉。
聞こえるかどうか怪しいほどの声量の其れは、聞こえていようがいまいが関係無く、細胞の一つ一つに語りかけてくる濃密な
脳が考えるまでもなく、脊髄が直接全神経に命令を下し膝を砂で汚し頭を垂れる。
それが自然であるかのように、当たり前の動作だと認識し、なぜなんていう考えは存在しない。
「女神様────」
太陽を背に、静かに地上へと降りてくる存在は、紛うことなき神だった。
絹のように滑らかに靡き、穢れを知らない純白の髪。
シワのひとつすら存在しない滑らかで白い肌に、整えられた爪。指先の一本一本ですら魅了されるその美貌。
鮮血の様に紅い瞳は向けられたものを呑み込むような錯覚に陥り、歓喜に震え涙を流す。
彼女の息ひとつが世界の宝だと。
身に纏う白き羽衣が彼女の神聖性を際立たせる。
美の女神とは彼女のためにある言葉なのだと思った。
想像の中にいる美の化身よりも遥かに神々しく美しき存在。
誰もが魅了された。
権能を使わずとも、彼女の姿を見るだけで全員が虜になった。
血液が、細胞の一つ一つが、彼女のために動こうと命令を待つ。
「面白いわね、貴女」
跪くアスクレピオスに目もくれず、いつの間にか地上へと降り立った女神が立香の前へと移動すると顎へと手を添え軽く持ち上げる。
その鮮血のような瞳に双眼を射抜かれ、自然と紅くなる頬と動悸に呆然としながら呼吸が止まる少女を見て女神は口角を僅かばかりに動かす。
「私の美を理解して、魅了されているのに。深層心理では覚めている。ふふふっ。狂ってるわね、貴女」
息、してもいいわよ、と。ソプラノ音を響かせ耳元で呟かれた言葉に反応し、思い出したかのように立香は噎せ返り、肺に残ってない空気を取り戻すように激しく小刻みに呼吸を続ける。
貴方達もよ、と一瞥すればカルデア達とペペロンチーノが同時に息を吹き返し汗が滝のように流れる。
「なん……まさか、魅了ッ!?」
「ちょっと、ちょっとちょっとちょっとっ! ヤダヤダ! 私の異聞帯ヤバい奴多くない!?」
「むっ、失礼ね。私はヤバい奴でも無ければこの異聞帯の存在でもないのだけれど」
「きゃわわわわわ〜!!」
「ペペロンチーノさん、語彙力喪失しました!」
『そんなこと冷静に分析しなくていいよマシュ!!』
単独で魅了から逃れたアスクレピオスは不利を感じ取り即時撤退を行う。
逃げる姿を横目で見ながら特に何か反応するでもなく女神は立香達へと体を向けた。
「本当はね? 監視だけのつもりだったの」
世界が彼女を祝福するように、全ては彼女を彩る要素であるかのように。
風が、太陽の光が、全てが彼女の魅力を引き立てるように動いているかのように錯覚する。
美とは彼女であり、彼女とは美である。
「けど、貴方達が呆気なくやられちゃって死にそうになってたから……まあ、気まぐれよ」
「監視……?」
「そ……蘆屋道満────あなた達で言うリンボね。アレの様子を見に来ただけよ」
「蘆屋……!?」
思いもよらぬところから飛び出てきたリンボの真名に驚きを顕にしながらもすぐに冷静さを取り戻し女神から情報を抜き出すべく思考を巡らせる。
「にしても……ふぅん。貴女が怜の言っていたカルデアのマスター、ねぇ」
助けて貰ったお礼も、好奇心からの質問も全てが吹き飛び掠れた声が喉を震わせる。
「ぇ」と自分でも声に出したのか分からない震えから生まれた音が生まれては消えていく。
「可哀想な子……貴女の望みは決して叶うことなんてないのに。アルトリアから聞かなかったのかしら」
聞きたくないと耳を塞ぎたくなった。もう辞めてとその存在を遠のけようと立ち上がろうとしても身体は動かない。
はくはくと空いては閉じて音を奏でない口に嫌気がさす。
嫌だ、お願い。何度も声に出そうと試みては空気が漏れ出るだけで何も伝えることは出来なくて。
瞳孔が震え、息が荒ぶる。それでも女神は躊躇うことなく口にするのはある種の死刑宣告。
「彼は貴女を望んでない」
「────ぇ、ぁ……」
そこにいるのは人理修復を成し遂げた偉大なるマスターではなく、どこにでも居る弱々しい一人の少女で。
涙がこぼれ落ちても来ても身体は動かず、顔は悲壮ではなく恐怖に包み込まれて北欧から考えてきたことの全てが絶望へと還っていく。
今まで勇敢に、果敢に、そして決してマイナスの表情を浮かべてこなかった戦友の姿にラクシュミーは戸惑いを見せる。
「ちゃんと言わないと分からない?」
「いや……いやっ、イヤイヤッ!!!」
麗しき美の女神が今や悪魔の形相にしか見えず、自身を両腕で抱きしめ縮こまり涙を流しながら叫ぶ。
最悪の吐き気を催し動悸は激しくチカチカと視界が点滅し始めぼやけ、歪み、廻る。
「マスター!?」
「いやッ、いや! イヤ!!!!」
『藤丸の心拍数急上昇! ヤバいですッ、こんな数値見た事ない!!』
『藤丸くんっ! 落ち着くんだ藤丸くんッ!!』
唾液と胃液が混ざり口から垂れる。汗が吹き出しカタカタと体が震え、頭が真っ白になり思考が停止。
世界にただ一人残されてしまったような喪失感。女神の断罪を待つ罪人が如く、頭を下げて断罪の剣を待ち続ける。
聞きたくない。もう終わらせて欲しい。何もしたくない。今まで押さえ込んでいた負の感情が解放され、日本の女子高生という側面が表に出てくる。
けれど、そんな立香の姿を見ても女神は慈悲を与えることはなく。むしろこの宣告こそが慈悲なのだと止まる様子を見せない。
「彼は────フギュッ!?」
汚らしい声が吹き出す。それが美の化身たる女神から発せられたものだと認識するのにその場に居た全員が数秒を要した。
「なん、で────」
マシュの呟きが空気に紛れて消えていく。美の女神の魅了を受けたかのように息を止めて目を見開きそこに現れた存在を目に焼きつける。
後頭部を叩かれ地に膝をつき「いったぁーい!!」と頭に手を添える女神は涙ぐみながらキリッ、と振り返り元凶へと非難を浴びせる。
「叩くこと無いんじゃない!? 私女神よ!!」
「蘆屋道満の様子見だけって言っただろ。誰が立香の心へし折れって言ったよ」
「だってだって! 貴方の意識を少しでも向けられてるあの子が羨ましいんだもの!! 嫉妬よ嫉妬!!」
「そういうのって自分で言わない方がいいぞ? てか、何その嫉妬内容? まるで俺がお前に無関心みたいな言い方だね?」
「そっ……う言うことじゃないけど! とにかく嫉妬したの!! 後で頭撫でて!!」
「さっき撫でただろ」
「あれは叩いたって言うの!!」
「冗談。後でな、イシュタル」
ただ一人、殻に籠った少女が居た。
周りの音の何もかもを遮断するように丸く体を寄せ、体液が身体を汚し世界に絶望したような姿を見せる弱き少女がそこに居た。
『魔力反応が無い……なんだっ、みんなどうした!? 何があったんだ!!』
世界を取り戻すために世界を消した罪悪感が今になって蘇る。
大義名分を掲げて少しでもと和らげてきた罪の意識が押し寄せ、溜め込んだ負の感情だけでなく周りからの悪感情でさえも全て自分のせいなのだと誤認して身体を蝕んでいく。
「悪い。これは俺のミスだ」
「
「
何も感じなかった身体が突如として温もりを感じる。
次いで抱き寄せられたという結果が脳へと伝達され、意識が僅かに現実世界に呼び寄せられる。
五感が徐々に蘇る。
嗅ぎなれた匂いがした。太陽のように暖かい、安心する匂いが。
筋肉質な身体だった。少しだけ好奇心から触らせてもらったことがあったことを思い出し、その時よりも硬い身体だった。
ぼやける視界が焦点が合わさり始める。同じ日本人という特徴が分かりやすく、見上げる身長差のある男がそこにはいた。
どれほど恋焦がれただろうか。
気持ちを伝える機会は無くて。その前に彼は消えてしまって、存在が世界から削除されたようにみんなの記憶からも消えてしまっていた。
それでも彼女は憶えてしまっていて。きっと忘れていた方が幸せだったのだと思ったこともある彼女はそれでもその思い出を大切にして。
「インドの神を取り込んだだけはある。うちの神々じゃ勝てるやつは居ないな」
その声は決して消えない思い出。
「────れい、さんッ」