再教育
「さて、レイヴンだが……。まあ、変わらんか」
「相変わらず、起きませんね。仕方ありませんよ。こちらが何をやっても、梨の礫でしたから」
今日も巡回の担当が来て、レイヴンの様子に変化がないことを確かめ、去っていく。
私には視覚が無いから、彼が入れられた部屋の監視カメラを間借りして、去っていく彼らを見送った。
私たちがV.Ⅱ スネイルの狙撃を受け、アーキバスに捕らわれて以降、レイヴンはずっと眠ったままだ。
その間に情勢がまた変わった──というよりも、ほぼ勝者が決まった。アーキバスに。それ自体は前から変わらないが、ルビコンは変わりつつあった。
流れてくる情報によると、あの後技研都市全域がアーキバス進駐部隊の管理下におかれた。
彼らは隅々まで調査を行ったみたいだ。「アイビス」シリーズ──正確にはコーラル集中管理システムと名付けられたらしいC兵器群を始め、人の手には余るとされた秘匿実験兵器にまで手を付けたようなのだ。
その冒涜的調査の最中、都市の一角に再教育センターの支所が設けられた。私たちはベリウスまでたらい回しにされた挙句、再び私と、そして同胞たちの故郷まで戻ってきた。
あの欲にまみれた人たちの所業は墓荒らしだけに留まらなかった。「バスキュラープラント」の修繕と大気圏外延伸に着手したのだ。コーラルを星外に持ち出すために。
そして、それを阻む力は解放戦線にない。
同胞たちは今もなお、彼らに踏みにじられている。そしてレイヴンも。
最初に行われたのは機体と本人の解析だった。彼らは心底驚いていたが、レイヴンの機体は何の変哲もない探査ACだ。
素人目に見ると低い防御力や、ブースタに第1世代のモデルを未だに使用しているのが気になる。でもレイヴンは、扱いやすさを優先しているので変えないと言っていた。
結局機体の方はすぐに飽きられ、どこかに持っていかれてしまった。
レイヴン本人の方は……私が触らせなかった。脳深部コーラル管理デバイスのロックを強引に解除しようとしてきて、私はそれを妨害した。
直接どうこうすることを諦めた彼らは、今度は通常の医療行為に細工を施してきた。明らかに休眠しているのに食事を摂らせようとしたり、おかしな脳波干渉装置を持ってきたり。彼らはできる範囲でデータ採取と「再教育」を試みた。
惨いものだった。彼がそもそも流動食しか食べないと分かると、何を勘違いしたのか、光学異性体でできた流動食を持ってきた。やらせなかったけど。
そのうち制限時間がきた。強制休眠モードは通常の休眠と違い、外部の保安装置なしでも起動する。
しかし、そのまま野ざらしにしておくと、当然だが死んでしまう。だから彼はその保安装置に入れられた。
とはいえ、この保安装置は機能していない。外部には分からないだろうけど、本当は私単独でレイヴンを生き永らえさせ、逆に装置から電気系統を辿り、色々なところを探っているわけだった。
彼を渡すわけにはいかない以上、私は絶対にアーキバスを信用しない。
幸いにも、私はいつまでこの日々が続くのか、分かっていた。
彼はあと数時間もすれば、目覚める。
最後の任務前にデータリンク経由で入力された、いくつもの状況パターンをデバイスが照合した結果、レイヴンは休眠開始から100日と8時間後に覚醒することになっていた。
彼の脳にはウォルターからのメッセージと、1枚のマーカー付き屋内図面が入っていた。メッセージはレイヴンと見たいから、開けてない。
一方で図面はじっくりと読み込んだ。私はこれから彼をサポートして、そこまで連れていく。たぶん、何かがあるはずだ。ウォルターが用意した、何かが。
《それではレイヴン。仕事を始めましょう?》
私はまず、再教育センター内部のセンサ全てにジャミングをかける。故郷に戻って以降、私自身の活動範囲が相当広がった。存分に活用する。
これで、傍目からは異常なし。例えば監視カメラの映像は全く変化が生じないだろう。違和感に気づいたときには、もう手遅れ、というわけだ。
続いて私は、レイヴンの身体を物理的に移動させる必要があった。彼の脳を焼いたコーラルに干渉し、電気信号に変換することで、肉体を動かす。
むやみにやると意識が散逸してしまうから、慎重に操作する。彼を失いたくない。絶対にここから出るのだ、生きて。
私は間借りした視界とおぼつかない足どりでレイヴンを空調ダクトに押し込み、這いつくばって進む。人間とはこうも動きにくいのだろうか?
上ったり下ったりを経て、いつしか人工的な建物から、ヘドロ混じりの水路へ出た。下水だった。
《座標によれば、この辺りのはず……あの光でしょうか? あっ⁉》
私はレイヴンのバランスを崩し、水面めがけて転倒した。突然制御に横やりが入った感覚だった。まさか。
《レイヴン……そろそろじゃないですか? 起きてください》
反応はなかった。また彼が動こうとすると危ない。私は結局、匍匐前進することになった。
先の光に照らされた、ACの姿を目標に這っていく。けれど、金網の歪んだところをすり抜けたところで、私はついに集中力を失ってしまった。
やはりレイヴンの覚醒は近そうだ。こちらの操作を上書きされる頻度が増えつつある。
《レイヴン、目覚めてください。さあ……起きて》
私は声をかけ続ける。ちょうど、彼と初めて「交信」したときのように。
暗闇の中で点滅する、紅い光が見えた。コーラル──エアだ。懐かしい。視界を逆流するように広がって、消える。
何だろうこれは? 映像だ。夢なのだろうか。
今見えているのは、夜空の向こう、無数に広がるグリッドの奥に立ちのぼった、真紅の火柱。まるで恒星のプロミネンスみたいだ。
炎と暴風が全てを飲み込み、吹き飛ばす。何を見せられているんだ、自分は?
再び映像が変わる。自分も知っている映像だった。惑星から噴き出す紅い炎が、渦をつくって宇宙に広がっていく。
「アイビスの火」。だけど、自分の知っているそれよりも、ずっと鮮明だった。こんなに解像度が高いのは初めて見る。
しかし、本当になんだろう、これは?
【火を点けろ】
声なき声がした、気がする。頭の中に疑問符が増えていく。
目の前に広がるのは見慣れたルビコンの光景。多くのグリッドが傾き、地に落ち、空は寒々と、そしてどこか灼けている。
【燃え残った全てに】
再び声なき声。エアのような音声ではない。意志そのもの、といった感覚だ。
次の映像は、瓦礫だった。雪を被った瓦礫が持ち上げられる。カメラが引いて、というのもおかしな表現だが、拾い主が映った。
RaD「C-2000」。しかしそれが見慣れたACであるとは、理解できなかった。背中の大荷物に目が行く。そして、奥のグリッドで爆発が起きた。
次の瞬間、景色が切り替わって。
爆炎の中からパルスアーマーを張った四脚の人型機動兵器が飛び込んでくる。
それを見た瞬間、全てがどうでもよくなった。
ベイラムの四脚ACが着地、ブースタを吹かして急ブレーキ。赤いカメラアイを爛々と輝かせて炸裂弾を投射する。
機体を囲う爆炎が、MTをまとめてなぎ倒した。
次いで分裂ミサイルが飛んできた。四脚ACはパルスシールドを展開して防ぐ。
クイックブースト。攻撃してきた不届き者に詰め寄る。屋内構造が崩れ、差し込んだ光が相手を照らした。
これは……おれが拾ったライセンスの機体。レイヴンの機体だ。
探査ACの背部カバーが展開。青のような、緑のようなスパークと共に、パルスエネルギーが増幅していく。
アサルトアーマーが四脚ACに直撃。レイヴンは真っ赤なカメラアイを輝かせ、セーフティを解除。パイルバンカーを引き絞っている。小気味良い音が鳴り、火花が散った。
レイヴンが消える。ブースタからこぼれた火の粉が残像になって、チャージされたパイルバンカーの一撃が四脚ACに襲い掛かった。
ああ……これは。
飛び出してくる重装機動砲台。
人型のコア付き連装戦車。やはり赤いカメラアイが光る。
大型武装ヘリの大編隊。真っ赤なフレアが飛んだ。
赤熱し咆哮を上げるガトリング砲台に、前進する機体。奥のコンクリート構造にグレネードがぶち込まれ、盛大に炸裂する。
シャッターが開くと同時に、目を覚ます機動兵器。次々と点灯していく赤いカメラアイ。
そうだ。戦場だ。これこそが……おれの求めていた……世界。
獲物を喰らったパイルバンカーが引き抜かれる。排熱ルーバーからガスが噴き出し、杭の先端から血のかわりにオイルが滴り落ちた。
レイヴンの左しかないカメラアイが焦点を調整する。どこかで爆炎が上がり、その顔を照らした。
そして次の獲物を見つけたのだろう。レイヴンは右肩ハンガーからライフルを取り出し、アサルトブーストに点火。バイザーを下ろしてどこかへ飛び去った。
それを見たおれは、昂ぶりを抑えられない。
戦いたい。飛びたい。撃ちたい。喰らいたい……生きたい。
この戦場が……おれの……!
「魂の……場所」
《気が付きましたか、レイヴン》
目覚めたばかりの621は、興奮も相まって目の前の光景に理解が追いつかなかった。
「なぜ……下水道に?」
《レイヴン……落ち着いて聞いてください。あなた宛てのメッセージがあります》
エアが暗号化を解除し、再生する。621も、まずはそれを聞くことにした。
『621、これはある友人からの……。いや──この俺からのごく私的な依頼だ』
聞こえてきたのはウォルター、己の飼い主の声。エアの言っていた「友人」なる人物がいないという話は本当だったのだと、621は理解した。
『お前はコーラルの潜在的な危険性に気付いているな』
事実だ。コーラルは自己増殖し、扱いによっては制御不能になる。
『アイビスの火でコーラルは一掃されるはずだった──しかし生き残り。集まり。それ以降着実に自己増殖している』
コーラルの増殖速度は個体群密度から決定される──。
『今や集積したコーラルは指数関数的に増殖を速める。やがては、ルビコンから溢れ……宇宙そのものに蔓延する汚染となるだろう』
ここまでの流れから、621にもそんな予感はあった。
『その前にコーラルを焼き払う必要がある、621。たとえそれが、かつて星系を飲み込んだ大火を再現することになったとしてもだ』
出撃前、ウォルターの言った言葉が思い浮かんだ。一度生まれたものは、そう簡単には死なない。
『これは命令ではない──
猟犬は飼い主の声を聞き続ける。再び自分の名が呼ばれるのも聞いた。
『621──火を点けろ、燃え残った全てに』
ああ! 621は心の中で大きく頷き、実際には電子声帯特有の平坦な声を出す。
「ああ……やるよ……」
そのために、おれは戦う。全てを焼き尽くすために。
『最後の仕事だ……、自由を見つけろ』
再生が完了する。
621は寂しさなど感じなかった。むしろ、道が開け、何かに突き動かされるような感覚。火を点けろ、火を点けろ、火を点けろ……。
《……レイヴン。ウォルターの考えていたことが今ようやく分かりました》
エアも、内に何かを秘めたように言葉を発した。
《このACも……こうなる可能性を予期して彼が手配していたのでしょう》
そこで初めて、621は傍らに佇むACの存在に気が付いた。
《……脱出する時が来たようです》
中量二脚機。BAWS製「バショー」フレーム一式だ。全身錆びだらけで、パネルもいくつか剥がれ、状態はお世辞にも良いとは言えない。
武装は軽量マシンガン、ジャミング弾ランチャー、左肩に拡散バズーカ。右肩は空だ。
通常は使われない、機体左側のタラップを展開してコアによじ登る。
びしょ濡れで少々寒い。機内なら気にせずに済むから、621はそそくさとハッチを開けた。
「バショー」フレームのハッチが段ボールを開けたように開く。浮上してきたコアユニットの中には装具がしっかりと用意されていた。621はそれらを着用し、身支度を整える。
シートに着席。ベルト、ハーネス、そして神経接続コネクタを繋ぐ。
内燃ジェネレータに火を入れ──普段よりかなり時間がかった。しばらくすると機体の準備が整う。
『メインシステム、戦闘モード起動』
大脱走の第2幕が上がった。