流れし血と狂気に空をも閉ざす
絶望の底で計画を壊す者が目覚め
黒き翼を荘厳な光に照らし出さん
ザイレムが急激に高度を上げる。
スキルミオンジェネレータを喪失したにもかかわらず、ザイレムは補助ジェネレータで強引に機関を生き永らえさせ、バスキュラープラントへのコースを確保しようとした。
しかし、足りなかった。エアの想定通りにことは進んだ。補助ジェネレータはそう長く機能しない。
ザイレムは所定の高度──熱圏まで到達して推力を落としたが、機関停止は時間の問題だった。
《ザイレムは降下しつつあります。あとは……ラムジェットエンジンを破壊するだけです》
整備を終えた自前の翼を羽ばたかせ、621はザイレム上層街区へ向かっていた。
《終わらせましょう、レイヴン》
その道中で、エアが言葉をかける。
《そして帰りましょう》
上空は漆黒の宇宙。星々が浮かんでいる。
《ルビコンへ……あなたの守った
そして眼下には、灼けた大地。しかしその燃え殻には再び火が点き、未来を取り戻そうと躍動している。
──必ず生き残れ。戦後には英雄が必要なのだ。
──必ず生還せよ。それ以外は許可できない。
──貴機の帰還をもって、今作戦の成功とする。
鴉は脳を焼かれる前、幾度となく戦いを終わらせ、生きて帰ってきた。
その羽ばたきは、たとえ記憶を焼かれようとも、失われることはなかった。
「必ず戻る」
鴉はつぶやく。
『メインシステム、戦闘モード起動』
621はザイレム上層街区へ到達。およそ2000m先、両舷の屋根を跨ぐように配置された目標を臨んでいた。
《……レイヴン。あれがラムジェットエンジンです。目標を……破壊してください》
「ウィルコ。始めるぞ」
アサルトブーストで飛ぶ。前の機体よりアサルトブースト中の燃費が悪いため、何度か分ける羽目になった。
それでも目標まではすぐだった。
縦置きに2基並んだチャンバが、両舷に1セットずつ設置されている。
621は左舷のものへ接近。蹴ることはせず──タービンが回っていた。危ない──プラズマミサイルを発射した。
命中を確認し、右舷に飛ぶ。
《左舷チャンバ、沈黙》
背後で青白い光が弾け、ずしんと重たい音が響く。それらを置き去りにして、621は右舷チャンバにもミサイルを発射。
上下のチャンバからエネルギーが噴き出した。
《右舷チャンバ、機能停止》
621は右舷側の街区を覆う屋根に飛び移り、後方を見ながら離脱する。
船の行く手にはバスキュラープラントが見えた。
621はその存在をすっかり忘れていたが、衛星砲はプラントを挟んだ反対側にある。日時が合わないため、エアはこれを使うことを諦めていた。
ラムジェットエンジンが爆発。火を噴く。タービンの欠片が舞った。
それを見て、621も船の進行方向へ向き直る。
視界に変化が生じる。宇宙の割合が減って、地表の割合が増えた。船が前に傾いている。
《ザイレムが落下軌道に入っていく……》
ザイレムは全ての推進力を失った。とりあえずの作戦はこれで完了。もはやコーラルが焼かれることはない。
あとはアーキバスのプラン次第だ。何を出してくる? 621は警戒を解かず、熱を帯びてきた周囲を見渡す。
《これでコーラルを守れる……ルビコンを守れ──》
ルビコンの分厚い大気が押しやられ、赤熱する視界の中で、一条の紅い光線が見えた。
ザイレムの屋根を焼きつつ、こちらへ向かってくる。621はクイックブーストで回避。
屋根の表面を焦がすに留まった光線が止む。その射点を621は見つめた。
これが
ラムジェットエンジンが収められたハウジングの上に立つ敵機の姿を確認すべく、カメラを拡大する──直前。無線が入った。
『……
死人の声。録音ではなく、本人の声帯から発せられた、リアルタイムの声。
死んでなどいない。飼い主は生きていた。
『そこにいるのは……お前……なのか?』
敵機が紅いブースタを吹かして、621の正面、やや離れたところに飛び降りた。
右腕に装備された、大柄で四爪のついたライフルが目に入る。
『奴ら……』
真紅のスパークが消え、爪が閉じる。銃身が延長され、杖のような外見に変形した。
それを支えに直立する、中量、あるいは重量二脚ACの姿を621は見つめる。間違いない。ACだ。
コーラルよりも紅い、禍々しいまでの真紅で塗装された機体。
前方はスリムながら、背中では翼のように広がったコア。安定板が並び、引き締まった脚部。
球状の肩から伸びる腕。手首の段差で、621は飼い主が好んで着ていたスーツを思い出した。
『621……俺はお前を……』
そして頭部。アーモンドのような形をしている。中央にトサカのような安定板がついていた。
『……消さなければならない』
荒い息。乗り手が明らかに消耗している中、前方に張り巡らされたカメラアイが
「……蝸牛め」
光学センサではない。コーラルそのものだ。あの頭部にはコーラルが詰まっていて、ウォルターはそれを通して外界を見ているのだ。
エアとは違う。おそらく制御されていない、暴力的なまでに紅い視界を感じていることだろう。
《ウォルター⁉ しかしこのAC……コーラル反応がある……危険です!》
目の前に立ちはだかるACは、C兵器の一種なのだろうと621は判断した。火を点ける機能がある。
ACがコーラルシールドに身を包んだ。
その瞬間、621は無意識のうちにターゲットアシストを起動、アサルトブーストで突撃している。
最後の戦いが、鴉となった元猟犬と、その飼い主との間で始まった。
突撃する鴉を、飼い主はコーラルライフルで迎え撃った。
彼我の距離は瞬く間に縮まり、621はプラズマミサイルとバーストライフルによる攻撃を開始。なおも詰め寄った。
『企業の、命令を……。いや……友人たちの、使命……』
621は発砲しながら蹴りを入れる。敵機が背部カバーを展開するのが見えた。
『全ての障害を……排除する……』
アサルトアーマー。コーラルによって引き起こされたそれを、621はもろにくらった。
スタッガーしたところに、敵機の右腕から太いビームが飛ぶ。
『リペアキット、残数2』
エアが一瞬、呆然としたようなため息をつくのが聞こえた。
《
「わかってる、エア」
ぼんやりしたまま戦いを始めた621だったが、先ほど死にかけたところで、完全に我を取り戻した。
「覚悟はしてたが……こんな形になるとは思わなかっただけだ。──レイヴン、交戦する」
『声が……。621……お前の隣に視えるのは……』
スタッガーを取る。離れていたため、ブレードではなく銃弾を撃ち込む。敵機も最初のリペアキットを使った。
『そうか……。それを火種に……』
敵機の攻撃タイミングが絶妙だった。癖を読まれている感覚。
621は太いコーラルビームを数度にわたって浴び、2個目のリペアキットを使用する。
《レイヴン……! ルビコン大気圏に再突入します! 時間がありません……急いで!》
「……捉えた」
至近距離で敵機のスタッガーを取れた。そのままブレードを切りつける。続いてアサルトアーマーを発動。
少し遅かった。敵機の硬直が先に解け、リペアキットを使われる。
『一度生まれたものは……そう簡単には、死なない……』
相変わらず自らの機動が役に立たない。着地を読まれ、そこにビームを連続でぶち込まれる。コーラルの甲高い声を621は聞いた。
『燃え残った全てを絶やさなければ!』
『リペアキット、残数なし』
『コーラルを焼けば……俺たちの仕事は終わる……』
621の手を次々と潰しながら、ウォルターはうわ言のようにつぶやき続けた。
『どれもお前が稼いだ金だ……』
荒い息のまま、ひどく疲れ、掠れた声で。
『再手術をして……普通の人生を……』
「……違う」
不意に斜め上へジャンプ。ミサイルを放ち、そのまま背後に回ってライフルを発砲。
敵機がスタッガー。
「もう、必要ないんだ。ハンドラー……。いや、
ブレードを直撃させる。代わりにミサイルの爆風で絡み取られた。
「おれは翔ぶ。終わりじゃない。始まりだ」
そのために戦ってきたんだ。
621はアサルトブーストからの蹴り。敵機は左腕から悲鳴のような音と共にビームを放ち、薙ぎ払う。
『AP、残り50%』
《レイヴン……! ウォルター! もう止めてください!》
エアの声にも悲痛なものが混じっていた。
しかし621には分かっていた。
「駄目だ。この戦いはどちらか死ぬまで終わらない」
犬が飼い主に似るというのは、どうやら本当らしいと、621はどこぞで聞いた話を思い浮かべる。
621はルビコニアンの先陣を切って灼けた空を羽ばたくために。
ウォルターは今度こそコーラルを完全に焼滅させるために。
今回の仕事は、最初から違う方向を見ながらこなしてきたのだ。そして、どこかで向かい合う時が来る。敵として。
それが今だというだけのこと。
空中に飛んだ敵機を621は下から狙い、ACS負荷限界まで追い込む。
ブレードを当てる。背中に次々とコーラルミサイルが突き刺さった。
『AP、残り30%』
HMD上部を見ながら、お互いに次で決まるだろうと621は判断した。
プラズマミサイルをばら撒き、右腕のみ発砲。弾倉を空にする。
「翔んでやる」
間髪入れずにパルスブレードを起動し、敵機の懐へ飛び込んだ。
『仕事を……終えるぞ』
敵機も左腕を振りかぶっていた。
パルスブレードがジェネレータに食い込むのと、コーラルビームが621の左肩から先を消し飛ばしたのは、ほぼ同時だった。
敵機のコアから次々とコーラルが噴き出す。悲鳴のような音が続いた。
『62……1……』
その勢いと慟哭が激しくなり、やがてコアを中心に紅い閃光が放たれた。
621の視界が暗転する。カメラがダウン。
HMDに通常モード移行の表示が出現してから更に数秒後。カメラが復旧したとき、621は自らが半ば敗北したことを悟った。
『使命を……』
全身から湯気をあげ、膝を屈し、火花を散らしながらも、敵機はまだ動いていた。
『友人たちの……願いを……』
チャージされた右腕の光が、621の方を向いていた。
避けられない。先ほどからジェネレータの警告が鳴り止まないのだ。普通に動けるかも怪しかった。
『よかった……621……』
鋭い輝きを放つ銃口が、下を向いた。安堵したような声と共に。
「……まて」
銃口から光が消える。
『お前にも……大勢の、友人ができた……』
爆発。複数回、続けて。船体が震えた。
ザイレムの限界が近い。戦闘中も高度を下げ続けていたザイレムは最も熱負荷がかかる領域まで落下していた。
周囲のビルからも爆炎が上がる。
その最中にあって、ウォルターの目が、閉じた。
「なぜ……」
撃たなかった?
疑問を口にする前に、エアが叫んだ。
《行かないと、レイヴン!》
「……仕事は終わりだ」
ゆっくりと、休んでくれ。621はつぶやき、180度反転。アサルトブーストに点火した瞬間、機体の態勢が崩れた。
ロールが止まらない。機内では警告の大合唱が続いていた。
「おい──それはないだろう……それは」
こんなところで死んでは、本当に洒落にならない。
地上の皆にも、エアにも、そしてウォルターにも申し訳が立たない。621は必死に機体を立て直そうともがく。ちょっと厳しいか?
「エア……夢をかなえろ」
《レイヴン⁉ ……ええ! ですからあなたも!》
ロールだけじゃない。ヨーイングが発生し、621はスピン状態に陥った。
「はあ……片羽もげただけで、このざまか。……ほぼ宇宙だというのに」
《レイヴン! いつの日か、人とコーラルは共に生きる! あなたも一緒に!》
「そう……だな……。その日まで、翔びたいものだ」
視界の回転が激しくなり、621は眩暈を感じた。三半規管は入念に強化されているはずだというのに。
《ウォルターの恐れた破綻だって、別の道を……!》
すぐそばで爆発音。621は熱を感じた。何も見えない。カメラは既に落ちていた。
「……もう推力がない」
ふざけた話だ。621は心の中でそう思うことしかできなくなっていた。
「鴉の翼に……正面から殴られてる気分だよ」
《レイヴン……!》
回転は更に激しさをます。このまま全身が分離してしまうのではないかと、621は思う。
耳が遠くなっていく。声が聞こえた。
《レイヴン……あなたは私の願いに応えてくれた……我儘な夢に》
「別に……我儘ではない」
《だから、今度はあなたが選ぶ未来を……見せてください》
嗚咽が混ざり、震えながら、それでも芯の通ったエアの声。
《何が待っていても……》
その声は、最後まで621の意識に届いていた。
《私が……あなたをサポートします!》
……
『登録番号Rb23、コールサイン、レイヴンによる認証を確認。
その言葉を聞いた621が最初に思い浮かべた言葉は、認められない、というものだった。
『傭兵支援システム「オールマインド」へようこそ。貴方の帰還を歓迎します、レイヴン』
実に不甲斐ない。お前がここまでやってきたものは無価値だ、そう言われた気分だった。
おれはハンドラーを手にかけた。違う未来を創るために。それがないものとして扱われている……。
『認証は通ったようだな。お前には十分な経験がある。ルビコンに何が待ち構えていても順応できるはずだ。早速だが仕事を取ってきた……待て、621』
621が手にかけたばかりの人物の声を聞いていると、その声音が変わった。
『何だこれは……水漏れ? そちらでも警告は出ているのか、621?』
その言葉で、621は太股へ何かが滴り落ちるのを感じた。位置からすると──パネルではないな……顔?
「ハンドラー、インテークフィルタを点検してくれないか」
HMDを外すと、流体が溢れ、布地を叩いた。
「杉のせいかな……涙がとまらない」
ガレージに焦ったような杖の音が響き渡るまで、それほど時間はかからなかった。
621の3度目の仕事は、そんな小波乱から始まった。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。
3周目ですが、3月下旬の投稿開始を見込んでいます。
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