話は聞かせてもらった…キヴォトスは滅亡する!!   作:ひな伯

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Vous êtes l'œil dans lequel je pleure,
La bouche où je trouve un sourire,
L'épaule qui me tient, le bras qui me rassure.

--Victor Hugo Votre amitié


11.ミレニアム学園は滅亡する!! 後編

 

 ぼうっと窓の外を眺めていた。

 

 今はちょうど、昼頃なのだろう。

 視線の先では、見慣れた制服を着た生徒たちが、各々食事を持ち寄ってはベンチに座り、けらけらとした笑い声を空に響かせている。

 

 そんな平和な光景を、病院のベッドに寝転がりながら、トキはどこか他人ごとのように眺めていた。

 

 (あれから……どうなったのでしょう……)

 

 自問するまでもなく、トキはその結末を悟っていた。

 

 夜の闇のなかで、都市の煌々ときらめく灯の下で、最後まで戦い抜いたはずのトキが、今こうして病院のベッドの上で陽の光を浴びている。

 

 最大の戦力であるトキが敗れたあの状況から、リオが打てる手はなにもない。それは、先生たちがアリスを奪還したことを意味している。

 

 きっと、アリスはゲーム部の彼女たちが、先生がなんとかしたのだろう。あれから先の出来事を、トキは知らない。

 

 あれからどれほど寝ていたのかはしらないが、廃墟のロボットたちが湧き出した様子もなく、生徒たちはいつもと変わらない平和な様子で過ごしている。

 

 “先生”たちはリオを下し、アリスは破壊されず、ミレニアムも滅びなかった。

 

 トキが察したのは、そんな結末だ。

 

 ぽすりと、枕に頭を沈み込ませる。

 

 (……疲れました)

 

 結末がわかったところで、トキの胸に喜びはなかった。それどころか、何も感じなかった。

 

 悲しいとか、悔しいとか、そういったことは、寝起きでぼうっとする頭には湧いてくれなかった。しいて言うのであれば、身体がずきずきと痛むことぐらいだ。けれどそれすらも、他人ごとのように思えた。

 

 投げやりになっているわけでもないのに、全部がどうでもよいことのように思えてしまう。

 

 トキはなんだか、心を無くしてしまったような気持ちだった。

 

 (夢でも見ていたのかもしれません)

 

 考えてみれば、そちらのほうがありそうな話ではないか。

 

 予言だの、滅亡だの、古代人だの、自律兵器だの、言葉にしてみればなんとうさんくさいことだろう。大真面目に取り合うほうが、きっとおかしいのだ。

 

 窓の外をみれば、世の中はこんなに平和に回っている。道行く誰かにこんなことがあったなどと話したとて、いったい誰が信じるだろうか。ばかばかしいと笑われるのがオチだ。

 

 トキはきっと、キバヤシがやってきたあの日から、夢でも見ていたのかもしれない。

 

 そんなことを考えてしまって、シーツを握る手に力が入る。

 

 (ばかなことを)

 

 夢なはずがない。

 

 夢であったなど、認めるはずもない。もしそうなら、リオの苦しみは、キバヤシの努力は、トキの決意は、いったいなんだったのだ。無意味なものだったとでも、思いたいのだろうか。

 

 リオがいつか言っていた言葉を思い出す。

 

 結果の伴わない労力がただの徒労だというのなら、それはまさしくトキたちのことではなかったのだろうか。何の報いも、そこにはなかったではないか。そこには何の意味もなかったとでもいうのだろうか。

 

 みじめな気持がトキの胸に広がっていく。

  

 そんなことばかり考えてしまって、なんだか疲れてしまったので、トキは考えるのをやめて力を抜いた。

 

 どうだっていい。

 

 リオが打ちのめされていないのなら、キバヤシが傷ついていないのなら、どうでもいい。結末がどうであれ、二人がいいなら、それでいい。

 

 そう思うのに、付き従い、寄り添っただけのトキですらこんなにもみじめだ。

 

 数多くの決断や努力を重ねてきたあの二人が今。いったいどんな気持ちなのかは、トキには推し量ることもできなかった。

 

 そんな結末にしてしまった自分が、他の選択肢をあげられなかった自分が、トキはひどくちっぽけに思えた。

 

 (何も……考えたくありません)

 

 そう思って瞼を閉じても、眠気はかけらもわいてこない。起きていても、こんなことを考えるばかりだというのに、難儀なものだ。病院が退屈な場所だといわれるのも頷ける。

 

 仕方がないので、トキは部屋を見回してみる。

 

 ベッドの傍に、造花が飾ってあった。

 誰かが備えたのだろうか、黄色と赤色の綺麗な造花だ。名前は知らない。意味も知らない。そもそもその色の花を飾っていいのかも知らない。

 

 けれどトキは、ただ奇麗だと思って、しばらくその花を見ていた。

 

 ただただぼうっとして、その花を見ていた。

 

 

 (ガラリ)と病室の扉が開いた音がして、トキはそちらに目を向けた。

 

 「君がこんなに寝坊助だったとは、知らなかったな」 

 

 視線の先には、すらりとした体躯の少女が立っていた。

 

 漆黒のヘイロー。切りそろえられた暗い髪。宝石のような藍い瞳をほのかに揺れさせて、トキのことを見つめている。

 

 身体の節々に包帯こそまかれているものの、しっかりと立って、こちらに歩み寄ってくる少女が、そこにはいた。

 

 「おはよう、トキくん」

 

 胸の内に、なにかが湧いていた。

 

 それが何なのかは、トキにはわからなかった。

 キバヤシに会えて嬉しいのか、こんな再会になったことが悲しいのか、あの時の出来事が思い返されて悔しいのか、そのどれでもないのか、トキにはわからなかった。 

 

 けれどその声を聴いてようやっと、トキは心が帰ってきた気がした。

 

 なんとか返事をしようと口を動かす。

 

 「…おふぁようごぁいます」

 

 ずっと寝ていたせいなのか、すこし変な発音になった。

 

 それでも自分の喉が震えて音が出た。

 自分が夢の中にいるわけではないと、トキは感じることができた。

 

 その言葉が伝わって、キバヤシが安心したように笑いかけてくれるのが、トキはたまらなく嬉しかった。

 

 「声が聞けてうれしいよ。一週間も眠るなんて、待たせすぎだ」

 

 キバヤシは苦笑して、トキの傍に座る。

 

 藍色の瞳が、トキのことを見つめていた。たったそれだけのことなのに、理由もわからず、トキは目頭が熱くなった。

 

 細い指がそっと、これが夢でないことを教えるように、トキの頬に触れた。

 

 「……よくがんばったね」

 

 トキはなぜだか、涙が出た。

 

 その一言で、こらえていたものが零れ落ちた。胸の底に沈んでいたものが、とめどなくあふれてきた。寄り添ってくれるあたたかさに、凍っていた心が溶かされていくようだった。

 

 なにかをしてしまったのだろうかと、キバヤシは慌てた様子でハンカチを取り出して、トキの涙を優しく拭った。トキはただ、その優しさが嬉しかった。

 

 キバヤシはそのまま、トキの傍にいた。

 

 トキがもう泣かなくてすむようになるまで、傍にいた。

 

 

 


 

 

 (しゃりしゃり)と規則的な音を立てながら、もくもくとキバヤシがリンゴを剥いている。

 

 料理が好きなのだろうか、慣れた手つきだ。

 加えて言えばどうも凝り性であるらしい。そんなに丁寧に整えたとして、どうせ食べるだけだというのに、キバヤシはリンゴを小さなかわいらしいウサギの形にしていく。

 

 トキは子供扱いをされているような気がしたが、その手間暇に込められた好意があたたかく感じられ、なにを言うわけでもなくその様子を眺めていた。

 

 「はい、できたよ」

 

 キバヤシがお皿を持ったまま、つまようじの刺さったうさぎリンゴを差し出してくる。ここから先は、どうやらセルフサービスらしい。しかしトキは、それがどうにもさみしかった。

 

 トキはキバヤシとリンゴの間で少し視線を彷徨わせると、ひな鳥のように口を開けた。

 

 不思議そうにこちらを見るキバヤシが、一向に意図を察してくれないので、トキはしょうがなく言葉にする。

 

 「うでがあがりません」

 

 もちろん、これは嘘だ。

 

 キヴォトス人は頑強だ。

 銃弾でぼろぼろにされたはずの身体は、順調に治りつつある。実を言えば、腕くらいならば余裕で動かせる。ちいさなリンゴを口に入れることぐらい、造作もない。それでもトキは嘘をついて、キバヤシに食べさせてもらおうとした。

 

 トキは今、とにかく甘えていたかったのだ。

 

 誰かに、何かをしてほしかった。それがリオか、キバヤシなら、トキは尚のこと嬉しかった。大事にされていることを、感じたかった。

 

 そんな気持ちを知ってか知らないでか、キバヤシは苦笑しながらトキの口にリンゴを運んだ。

 

 「はい、あーん」

 

 「あーん……」

 

 「口の中、痛くないかい?」

 

 「ひゃい」

 

 口元にリンゴの汁がついてしまっていたのか、キバヤシがそっと拭ってくれる。まるで赤ん坊か、それか壊れ物でも扱うような手つきだ。さらにいえば、拭い終えると、キバヤシはトキの頭を優しく撫でる。

 

 確かに世話を頼んだのは自分だが、きちんと食べられてえらいとでも言いたげなその様子に、トキはなんだか顔が赤くなりそうだった。

 

 「あの……」

 

 気恥ずかしさで言葉を探すトキに向かい、キバヤシは不思議そうに微笑んでいる。

 

 その笑顔にどうにもまいってしまって、恥ずかしいですとか、そこまで子供ではないです、という言葉をトキは呑み込むことにした。

 

 「……お水もほしいです」

 

 「ふふ、しかたないな。ゆっくり飲むんだよ」

 

 「はい」

 

 コップに水を移し替えると、キバヤシはトキの喉の動きに合わせて水を飲ませる。

 

 「他に何かしてほしいことはあるかい? 私にできることなら遠慮なく言ってくれ」

 

 トキはいいかげん、目の前の人物が大変に優しいというか、善意に訴えかければたいてい何でもしてくれる人間だと気づいていた。

 

 「…では、もう一切れ食べさせてください」

 

 「お安い御用で」

 

 そういうと、キバヤシはトキの口にリンゴを運ぶ。

  

 やっぱり、変な人間やダメな人間にひっかかりそうな人だ。あるいは、変な人間やダメな人間に好かれそうな人だ。トキもまた、そのうちの一人なのかもしれない。

 

 しゃくりと歯ごたえの良いリンゴをかじりながら、そんなことをトキは思った。

 

 そんなことを考えているとはつゆしらず、咀嚼するトキを眺めながら、キバヤシが話しかけてくる。

 

 「医者はとっくに目を覚ましてもいいはずだと言うのに、何日も寝てたから心配したよ」

 

 「……そういうキバヤシ様も、ずいぶんと心配になる有様だったと記憶していますが」

 

 キバヤシのその言葉が嬉しいやら、申し訳ないやらで、何やら言い返したようになってしまった。

 

 トキの脳裏には、ぼろぼろだったキバヤシの姿があった。無事でよかったと思う反面、心配したのはこちらのほうだと言いたくなる気持ちがあったのだ。

 

 キバヤシもそれをわかっているのか、どこか肩身が狭そうに答えた。

 

 「リオとトキくんのおかげで、こうして元気だよ。ま、少しばかり退院時期で揉めはしたが……」

 

 そう言うと、キバヤシは鞄から雑誌を取り出した。

 

 『月刊MMR』とかかれたその雑誌には、『ミレニアムサイエンススクール会長の突然の失踪!? その裏に隠された都市と、古代文明の陰謀とは――!?』などという見出しが躍っていた。

 

 「編集者急逝なんて理由でこれを廃刊にしなくて済んだし、こうして最新号も出せたわけだ。感謝してるよ」

 

 トキは少し、呆れたようにキバヤシを見た。

 

 身体が治ってからすぐにその記事を書いたというのなら、仕事中毒にもほどがある。オカルトにもゴシップにも興味がないトキとしては、その熱意の源がなんなのか、まるで理解ができなかった。

 

 とはいえ、見出しの中にある一文が、トキの興味を引きつけた。

 

 「リオ様が失踪……ですか?」

 

 おそるおそるトキが聞くと、キバヤシはすこし躊躇した後、頷いた。

 

 「書置きひとつのこして、なんの釈明もせずにね。おかげで私はこんな記事を書く羽目になった」

 

 そういってため息をはいて、キバヤシは言葉を続ける。

 

 「そもそも、事の顛末を伝えるのが先だったね。といっても、私もほとんどはヒマリくんからのまた聞きなんだが……」

 

 前置きを挟んでから、キバヤシはトキが眠っている間の出来事を話し始めた。

 

 トキが敗れた後、リオが“先生”ひきいるゲーム開発部の面々と対峙したこと。

 アリスのなかの“別人格”が暴走し、エリドゥの制御を奪って世界を滅亡させようとしたこと。

 “先生”とミレニアム学園の生徒たちが協力して、それに対抗する時間を稼いだこと。

 ゲーム開発部の彼女たちが、ヒマリのサポートを受けながら、キバヤシの残したプロトコルを利用して“別人格”からアリスを取り戻したこと。

 プロトコルにより、アリスは古代人や廃墟のロボットたちから秘匿され、人格を奪われることもないだろうこと。

 そうして事態は解決して、アリスはゲーム部の面々が待つ日常に帰っていったこと。

 

 ひとしきり説明し終えたあと、キバヤシは言う。

 

 「誰のおかげというわけでもないが、事態は無事に解決した。アリスは破壊されなかったし、滅亡の危機はひとまず去ったというわけだ」

 

 「では……私とリオ様の選択は、やはり間違っていたのですね」

 

 トキが俯いてそう言うと、キバヤシは困ったように笑いかけた。

 

 「そういう問題じゃない。そもそもリオがいなければ、私はアレを創ろうとなど思わなかった。トキくんがいなかったら、リオに届けることもできなかった。けれど“先生”が君たちを打ち破らなければ、アレが日の目を見ることはなかっただろう。だから、誰のおかげでもない。皆の選択が絡み合ってできた結果だよ」

 

 「そう、ですか……」

 

 「そんなに落ち込まないでくれ。“先生”もゲーム部もC&Cの彼女たちも……いつかきっと、許してくれるさ。今すぐかどうかはわからないが、いつかね」

 

 窓の外の平穏を眺めながら、どこか物憂げにキバヤシは呟く。

 

 「アリスのことも、ミレニアムの滅亡も……こうして丸く収まったんだ。気に病まなくていいと思うのは、私のひいき目かもな」

 

 そう言うと、キバヤシは顔を曇らせた。

 

 「本当に……リオもずいぶん薄情なやつだよ。“先生”も言っていたらしいが……全てを独りで抱え込むこともないだろうに……」

 

 すべてが終わったとき、独善が徒労に終わったリオは、セミナーの会長室に「ごめんなさい」とだけ書置きを残して失踪したらしい。

 

 トキは別段、不思議に思わなかった。

 

 リオが自らの独善を許容していたのは、それがいままで正しかったからだ。良い結果を生んできたからだ。周囲に嫌われようが、それが犯罪だろうが、とにかく善い結果を出し続けてきたからだ。

 

 結果の伴う努力で、自身と周囲を納得させてきたから、リオはミレニアム学園の頂点に君臨し、ビッグシスターと恐れられてきた。

 

 故にリオは、自分は正しいと妄信できていた。…今までは。

 

 しかし今回、結果だけ見れば、リオの選択は全て無駄なことに終わった。正義に反し、倫理に反し、トキを巻き込み、キバヤシを拒み、それでもかまわないと行った独善が裏目に出て、リオは失敗した。

 

 だというのに…世界はこうして平穏なままだ。

 

 自分のやってきたことはなんだったのか。あの苦渋に塗れた決断はすべて間違いだったのかと、リオが全てを投げ出して消えてしまいたいと思う気持ちが、トキには理解できた。

 

 けれど、それでもトキは思ってしまうことがあった。

 

 「私は…リオ様に捨てられてしまったのでしょうか」

 

 リオにもう会えないのは、さみしかった。

 

 キバヤシが目の前に居てくれたとしても、リオがここに居てくれないのが、トキはさみしかった。なぜ居なくなってしまうのだと言いたかった。どこかに行くなら、なぜ連れて行ってくれないのかと言いたかった。

 

 もっとトキが強ければ…あの戦いで勝てていれば、リオはまだここに居てくれただろうか。使えない道具を持ち歩く理由などないと、捨てられてしまったのだろうか。

 

 リオを失踪させてしまったことに、トキの心の奥深くがひどく傷ついていた。

 

 つらくて、トキの目からは涙がでていた。

 その原因がリオへの同情なのか、トキ自身への不甲斐なのか、あるいはやるせなさなのかは、わからない。

 

 トキはただ、さみしかったのかもしれない。

 

 キバヤシはふたたびハンカチで涙を拭い、トキの手をそっと握った。

 

 「そんなことないさ。大丈夫、大丈夫だよ」

 

 肌に触れるその感覚だけが、トキを独りでないと実感させてくれる。

 

 キバヤシは、トキを安心させるようにやさしく言った。

 

「リオは、働きづめで疲れてたんだ。きっとしばらくの休暇みたいなものだよ。いつかひょっこり帰ってくるさ」

 

 キバヤシは話しながら、すごく複雑そうな顔をしていた。キバヤシもまた、言いたいことを必死にこらえるような、そんな顔だった。

 

 自分でもそれに気がついたのか、キバヤシは無理やりに笑顔を作って話題を変えた。

 

 「気分転換とはいかないが、今後の話でもしよう。トキくん、特異現象捜査部に入部しないか?」

 

 「特異現象捜査部に…ですか」

 

 あまりぴんときていない様子のトキに、キバヤシが頷いて言う。

 

 「あそこなら、セミナー直属の部活だから何かに不自由することはない。私が外部指導員として参加しているから、今後も色々と融通できる。部長のヒマリくんも……まあ最終的には了承してくれた」

 

 最終的にはってなんだ。

 トキはそう言いたかったが、その裏にキバヤシの尽力が見えたのでそっとしておくことにした。

 

 キバヤシは言葉を続ける。

 

 「リオがいなくなって…君が独りになるんじゃないかと心配でね。厚かましいかもしれないが、見守っていたい」

 

 「お気持ちはありがたいのですが……あの奇妙な贈り物で喜べる人たちと、うまくやっていけるでしょうか……」

 

 「私が贈り主なんだが…目の前にいるのを忘れていないか…?」

 

 「恐縮です」

 

 「ふふ…その肝の太さなら大丈夫だよ」

 

 呆れたような、安心したような顔をして、キバヤシは笑った。

 

 それから椅子から立ち上がり、離れていこうとするので、トキはすそを掴んで引き留めた。

 

 とっさの行動で、腕が動かせないという設定は忘れていたが、こちらを不思議そうに見るキバヤシもまた忘れていたようで、特に何も言ってこなかった。

 

 「……すまないが、すこしだけ電話をしてきたいんだ」

 

 「そうですか。この部屋でおこなえばいいではありませんか」

 

 「ここは病室だろう……」

 

 「ですが個室です。どうか私の目の届くところにいてください」

 

 「う……」

 

 トキが上目遣いで頼み込むと、キバヤシは言葉に詰まった。

 

 「…じゃあ、モモトークだけ失礼するよ」

 

 観念したというように、キバヤシは座りなおして携帯を取り出した。迷いなく指を動かすキバヤシの様子は、どことなく切羽詰まっているようだった。

 

 どれだけの長文を書いているのか、フリック音が鳴り続ける。さすがに記者なだけはあるのだろう、送られた側はたまったものじゃない文量が、誰かに向けて飛ばされていた。

 

 しばらくそれを眺めていると、何度目かもわからない送信音を響かせて、キバヤシは指を止めた。

 

 「よし」

 

 どこか満足したようにキバヤシは言うと、トキに向き直る。

 

 「トキくん、退院したら私の家にこないか?」

 

 「よろしいのですか? もちろんです。行きます。すぐに退院の準備をします」

 

 いきなり同棲を申し込まれてしまったので、食い気味で返してしまう。

 

 もちろん、ただの冗談だ。単に遊びに来ないかという意味だろう。俗にいう退院祝いでもしてくれるのだろうと思って、トキは快く承諾した。

 

 その勢いに面食らいながらも、キバヤシは嬉しそうに笑っていた。

 

 「決まりだね。ああ、そうだ。ただし…この予定は誰にも言わないでくれよ」

 

 ずいぶんと奇妙なお願いに、トキは少し戸惑ってしまう。

 

 サプライズパーティーをやるのであれば、頼む相手が違うのではないだろうか。まさか本当に人に言えないいかがわしいことを企んでいるのだろうか。そんな邪な考えが頭をよぎる。

 

 だがトキとしてはそれでもよかった。

 そんなことがあれば、むしろこちらからやり返す。トキはもう、独りがいやだった。キバヤシの動機がなんであれ、少なくとも独りにならなくて済むのだから。

 

 こちとら、さみしがりなのだ。

 

 「では…その折はよろしくお願いいたします」

 

 その言葉にたっぷりと意味を込めて、トキは笑いかけた。

 

 目の前の人物が、どうしようもなくトキに優しいのはわかっている。たとえ図々しい願いであっても、キバヤシはトキを拒まないだろう。

 

 キバヤシの家を知ったが最後、ぞんぶんに優しさに付け込んで、入りびたることにしよう。

 

 トキはそんなことを考えながら、手始めにそれからたっぷり数時間、帰ろうとするキバヤシを引き留め続けた。

 

 そしてトキの人物評を裏付けるかのように、キバヤシはやはり、それを拒むことができていなかった。

 

 


 

 キヴォトスの中心部、D.U.にある住宅街。

 

 モモトークに記された住所を確認しながら、トキは目の前の、キバヤシの家であろう建物を眺めている。 

 

 (一人で住むには大きすぎると思うのですが……)

 

 不安になり、もう一度住所を確認する。やはり、間違いないらしい。表札も樹林だ。

 

 そこには、なかなかに立派な戸建ての家があった。二世帯位ならば入るだろう。生徒会長であるリオほどではないが、キバヤシの暮らしぶりはいいものらしい。

 

 実家住みというやつなのだろうか。それとも、連邦生徒会の所属ともなると稼ぎがいいのだろうか。どちらにせよ、どこか異国情緒のある門構えに、トキはなんだかワクワクしてきた。

 

 軽く身だしなみを整えてから、インターフォンを鳴らして応答を待つ。

 

 (ぽーん)と、なんだか間抜けな音が鳴ると、返事もなく、ロックが解除された音がする。

 

 これは果たしてどういう意図なのだろうか。入ってこいという意志表示なのだろうか。それとも、手を煩わせるなという意味なのだろうか。これがキバヤシ流の来客歓迎なのだろうか。お出迎えしてくれてもいいのではないだろうか。

 

 なんて、ただの冗談である。トキも気がついている。すこし敷地に近寄ってみれば、家の中からごちそうのいい匂いがする。普段の帰宅時にでも嗅いでいたら、どうしようもなくお腹がすくたぐいの、いい匂いだ。

 

 やはりこれはサプライズパーティーなのだ。

 きっと今頃キバヤシは、いそいそと最後の仕上げをしていて、手が離せないに違いない。扉を開けたその先には、飾りつけだとか、クラッカーだとか、美味しい料理だとか、プレゼントが待っているのだ。

 

 トキはなんだかワクワクしてきた。

 

 こうして人に盛大に祝われるなど、いつぶりだろうか。キバヤシも心憎いことをしてくれるものだ。しかし誘い方は下手なので、今度サプライズのやり方というものを教えてあげようと、トキは思った。

 

 それはさておきと、トキは玄関の扉に手をかける。

 

 (いくらでも。いくらでも祝ってくれて構いませんよ、キバヤシ様)

 

 そうしてトキは弾む心のままに、扉を開けた。

 

 しかしトキを待ち受けていたのは、クラッカーではなかった。豪華な飾りつけでもなかった。ましてや、満面の笑みのキバヤシでもなかった。

 

 トキの目に入ってきたのは――― 

 

 「――トキ?」

 

 失踪したはずのリオの、驚いている姿だった。

 

 トキもリオも、お互いに見つめあって硬直していた。なぜここにいるのかと、お互いが思っていた。二人ともが驚いてしまって、何を言うこともできなかった。

 

 かたまったリオの背後から、エプロン姿のキバヤシがひょっこりと顔を出す。その顔は、なんとも意地が悪そうにくつくつと笑っていた。

 

 「退院おめでとう、トキくん。私からのサプライズプレゼントだ」

 

 そう言うと、キバヤシはリオの背中を押して、トキの傍に近づけた。

 

 言いたいことは色々とあった。

 なぜいなくなったのかとか、見舞いに来てくれなかったとか、力になれなかったことを謝りたいとか、色々なことがトキの頭を駆け巡った。

 

 けれど今は、そんなことはどうでもよかった。

 

 リオが口を開くよりも早く、トキはリオの胸の中に飛び込んだ。

 

 よく知っている匂いがした。暖かな体温があった。いなくなったはずの人が、そこにいてくれた。

 

 トキはこれが夢ではないことを確かめるように、リオの身体に抱き着いた。

 

 すこしの戸惑いの後、リオもまた、やさしくトキの頭をなでた。

 

 そんな様子のリオに向かい、キバヤシは微笑みながらも、皮肉げにつぶやいた。 

 

 「結果が伴えば徒労じゃないんだろ、リオ。なら、私はこの結果で十分に報われたよ」

 

 オーブンから、小気味よい焼き上がりの音がひびく。

 

 それに釣られるまま、キバヤシはキッチンの奥へと消えていった。

 

 そうして場に残されたのは、そこらに漂うごちそうのいい匂い。

 

 あとは、トキを大事そうに抱えながらも、してやられたと固まるリオだけだった。

 

 

 


 

 キヴォトスの北東部。

 ミレニアム学園から遠く離れた日常のなか。

 

 オーブンからごちそうを取り出しながら、

 キバヤシはひとりつぶやいた。

 

 「ま、手のかかる友人がいるのも、悪くないさ」

 

 上手にやきあがったグラタンからは、

 なんともいい匂いが立ちのぼっていた――

 

 




ノストラダムスの予言が真実だったと、また一つ証明がなされた――!

だがキヴォトスに残された滅亡の予言はまだ残されている。
更なる真相を解明するべく、キバヤシはミレニアム学園を後にした――!
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