μὲν οὐδέν:ἐγὼ γὰρ οὐδὲν σοφὸν ἴσθι.
εἴπερ, ὦ φίλε, οἷός τ’ εἶ δίκαια καὶ πρᾶος καὶ πολλὰ παθὼν φροντίδων,
ἔτι δὲ παίζεις διαγιγνώσκων τε καὶ πείθων λόγον,
δεῖ δέ γε καὶ σὲ καὶ ἐμὲ πείθεσθαι,
τοιούτων λόγων τε καὶ ἔργων πείθειν καὶ ποιεῖν τὴν τύχην,
ὅπη βούληται, πείθεσθαι.
アビドス高校、旧生徒会室。
今となっては誰も使うことのない部屋のなかに、ホシノはいた。
もっと昔の『月刊MMR』はないのか。シロコたちにそうねだられたとき、ふとどこかで見たような気がしたのだ。後輩思いのホシノは、アビドス高校のなかを探しまわっていた。
そして、陽が差し込む部屋の中。今はもう居なくなってしまったホシノの唯一の先輩、ユメ先輩のキャビネットの中に、それらを見つけた。
「うへ~、いっぱいあるじゃん…。ユメ先輩ってこういうのが好きだったのかなぁ…」
そこには、ずらりと『月刊MMR』のバックナンバーが並べられていた。巻数を見れば、なんと創刊号から取り揃えてある。大好きだった先輩の知らなかった一面を発見して、ホシノは何とも言えない気持ちになった。
ホシノは低い身長に苦労しながら雑誌をひっぱりだすと、一通り表紙をながしみた。
ふと、その中の一冊に目が止まる。
「アビドス高校は滅亡する。砂漠に隠された太古の遺産と大企業の陰謀の影……」
表紙に書かれた大見出しを読みあげてみれば、あまりのばかばかしさに苦笑が漏れてくる。
雑誌の日付は2年も前のものだというのに、まるでかわりばえのしないくだらなさだった。
ホシノはそれを手に取り、埃をかぶったパイプ椅子に腰かけて、それを読み始めた。
くだらないと一蹴した雑誌。
疑い、嫌悪し、突き放した相手が創った雑誌。
読み進めていきながら、ホシノはぽつりとつぶやいた。
「なんであんなこと言っちゃったかなぁ…」
キバヤシはアビドス高校を大切に想っていたと、今さらになってホシノは気がついていた。
ホシノにとっては信じがたいことではあるが―――
すべてが終わってみれば、キバヤシの予言は真実だった。
“先生”が手紙を受け取りアビドス高校にやってきた日から事態は急激に動き出していき、対策委員会の面々は紆余曲折の困難と衝撃の真実を知ることになった。
アビドス高校の借金は、土地を狙った
カイザーコーポレーションは、アビドス高校の返済能力を大きく上回る金額を貸し付けて破産させ、アビドス自治区の主の座を奪いさるつもりだったのだ。
さらに、その裏には
ホシノに再三と怪しげな取引を持ち掛けてきていた“黒服”はゲマトリアの一員であり、ホシノの身に宿る強大な神秘を究明するため、カイザーコーポレーションと手を組んでいたのだ。
カイザーコーポレーションはアビドス高校を守ろうとするホシノが邪魔だった。
“黒服”は自らの研究のためにホシノを手に入れたかった。
利害を一致させた薄汚い“大人”たちは、あの手この手を使ってホシノを追い詰めた。
アビドス高校に課せられた過剰な利子も、暴力組織による襲撃も、全ては彼らの“陰謀”だった。
そして消耗しきってしまったホシノは、とうとう罠にはめられ攫われてしまった。
精神的な支柱だけでなく、法的な守護者でもあったホシノを失ってしまい、アビドス高校は“滅亡の危機”を迎えてしまう。
そんな危機を救ったのは、やはり
“先生”は対策委員会の後輩たちを率いて戦いぬき、薄汚い“大人”たちの陰謀を見事に払いのけ、囚われていたホシノを取り戻してくれた。
おかげで、ホシノはこうしてかわいい後輩たちと一緒に部室でくつろいでいる。
アビドス高校は滅亡の魔の手から逃れることができたというわけだ。もっとも、いまだに多額の借金が残っているし、課題も山積みではあるが、それでも即座の廃校は免れたのだ。今まで何も報われてこなかったホシノにとっては、それだけでも十分すぎる成果だった。
騒動がひと段落をつきみなで振り返ってみれば、キバヤシの予言は当たっていた。程度こそ違ったが、対策委員会の面々はキバヤシの得体の知れなさに絶句したものだ。
特に顕著だったのは、物事を信じやすい(というより騙されやすい)セリカだ。
セリカは今回の件でキバヤシのことを予言者だとか超能力者だとか…とにかく凄い人物だと信じ込んでしまったようで、最近では毎日のようにシロコと顔をつきあわせて『月刊MMR』を読みあさっている。
「シロコ先輩、この未確認生命体ペロロジラっていうのは、やっぱり実在するんですかね」
「ん。もちろん実在する…かもしれない。ヒフミに今度きいてみる」
「ふふっ、二人ともすっかり夢中ですね。アヤネちゃんは混ざらないんですか?」
「いえ…私も予言は凄かったと思いますけど、あそこまではのめりこめないです」
「うへ~、おじさんは悲しいよ~。かわいい後輩がまたひとり変な雑誌にどっぷりはまっちゃったよ~!」
口ではそんな風にいうものの、ホシノも『月刊MMR』を、キバヤシを嫌いきれなくなっていた。
というのも、この奇妙でばかばかしいオカルト雑誌は、ホシノたちの元へ大きな幸運をもたらしたからだ。
『アビドス高校は滅亡する!? 砂嵐に隠されたカイザーコーポレーションと謎の組織の密約――それを暴く先生の正体とは!?』
そんな大見出しをつけられた『月刊MMR』の最新号が突如として送りつけられてきたのは、ホシノたちと先生が事態を解決したすぐ後のことだ。
信じがたいことに、キバヤシは一日と経たないうちに雑誌まるごとぶんの特集記事を世に放っていた。
キバヤシの筆の速さについてはともかく、自分たちのことが書かれているとあっては目を通さざるを得ないと、ホシノたちはそれを読み始めた。
いかにもゴシップ誌といった語り口ではあるものの、記事の内容はキバヤシの確かな調査と熱意に裏打ちされた丁寧さが見て取れる、感嘆すべきものだった。
まず、アビドス高校の成立ちと衰退の歴史が、太古の遺産を狙う
おそらくだが、キバヤシは砂に埋もれた他のアビドス高校の校舎を探索して資料をかき集めていたのだ。砂に塗れていたキバヤシの姿を思い出して、ホシノは言葉を失った。
十分に背景を記したあと、キバヤシは“先生”を登場させて陰謀論を白熱させていく。
キヴォトス注目の的である“先生”が対策委員会の面々と共に、“大企業”と“謎の組織”の陰謀に立ち向かう
暴力組織による襲撃の背景にあった陰謀の影。
対策委員会メンバーの誘拐未遂。
ブラックマーケットの闇銀行に隠された真実。
突如として爆破された柴関ラーメン。
水面下で進行していた自治区の権利を奪う卑劣な陰謀。
対策委員会の委員長であるホシノの決断。
裏切られた取引と謎の組織の存在。
謎の組織に囚われたホシノにもたらされた、
先生と後輩たちによる救済という決着。
知られるべきではないこと(闇銀行への強盗やら、お騒がせな便利屋たちの存在やら)をうまい具合に隠しつつ、キバヤシは脚本をまとめ上げた。
おかげさまでというべきか、ホシノたちは、先生との足跡をひとつの物語として楽しく読むことができてしまった。
もっとも、先生やシロコにも別の陰謀やら予言やらを絡め始めたときには、さすがにばかげているとみんなで笑ったりもしていたが。
とにかく、今月の『月刊MMR』は“それらしく”仕上がったキバヤシ渾身の力作であることは疑いようもなかった。
キバヤシの熱意と労力は、反響となって世にあらわれた。信じがたいことに、それはもう大きな反響だった。なんならホシノは今に至っても信じられていない。自分たちの巻き起こした騒動とこの雑誌が、キヴォトス全土に放送されるニュースになったなどということが。
いったいどうしてここまで大事になったのか。その原因は“先生”にあった。
連邦生徒会長が失踪しキヴォトス中が大混乱しているさなか、その後釜としてやってきた“先生”の活動が詳細に記されているはじめての出版物が打ち出されたとあれば、キヴォトスの住人たちがとびつかないわけがなかった。
普段から購読している奇特な者にとどまらず、普段は月刊MMRに興味をもたない者もまた、先生の情報を求めて買い求めた。
というわけで、キバヤシの描いた『月刊MMR:アビドス高校特集号feat“先生”』は売れに売れまくった。
この事実のいったいなにが重要なのか?
それすなわち、“アビドス高校の砂漠化問題”や“借金の経緯”が、“キヴォトス全土に知れ渡った”ということだ。
『月刊MMR』によってもたられた“幸運”。それは、対策委員会の努力と境遇への“世間の認知”だった。
ホシノたちを取り巻く境遇は、特集号が世に放たれる前と後で大きく変化した。
人々からの見られ方が、扱われ方が、以前よりもずっと好意的になった。
ホシノが自治区の見回りをしている際、住民から声をかけられる機会が明らかに増えた。
対策委員会の部室には、他校や元アビドス高校生徒から励ましの手紙が送られてくるようになった。
なんとアビドス高校の復興支援のための募金活動まで行われている。
長らく孤立無援で戦い続けてきたホシノたちに、急に味方が生まれたのだ。
極めつけは、世論に押されて連邦生徒会が重い腰をあげたことだ。
連邦生徒会の財務室から、利子の過払い問題や借金に関する相談案内が届いた。
カイザーコーポレーションには、不当利得に関する立ち入り調査が入ることになった。
莫大な借金というそびえ立つ壁は、その土台を揺るがされようとしている。
これを幸運と言わずしてなんといえばいいのか。
ホシノにはわからなかったが、もしキバヤシがここにいたのなら、「それは“報い”だ」と言い放っただろう。
そんな経緯もあり、ホシノは『月刊MMR』に対して複雑な感情を抱いているのだ。
なんなら崇めたてまつるくらいがちょうどいいのかもしれないが、そうするにはあまりにも普段の内容がくだらなすぎた。
嫌うに嫌えず、かといってもろ手を挙げて受け入れたくもない。なんとも言いがたい存在に頭を悩ませつつ、ホシノは心中をこぼした。
「おじさんは複雑だよ~。まさかこんなことになるなんてさぁ、わかるわけないよ~…」
「ん。そんなに悩むことじゃない。まずはホシノ先輩もMMRの読者になるべき。そうすれば私みたいにいち早く“真実”に気がつける」
「そ、それはどうかと思いますが…でも、本当に助けられてしまいましたね。キバヤシさんには」
「…結局のところ、あの人って何者なのかしら。やっぱり本物の予言者…超能力者? いや、もしかしたらタイムトラベラーなのかも!?」
「どうでしょうね~。正体もですが、ここまで味方をしてくれる動機も目的もわかりませんし、本当に謎ばかりの方でしたね」
ああでもない、こうでもないと、対策委員会の面々はキバヤシについて話し始めた。荒唐無稽な話を楽しむだけの意味のないお喋り。
それを聞きながら、ホシノは頬を緩ませていた。
切羽詰まった借金のはなしでもなければ、アビドス高校の存続を憂うはなしでもない。大切なかわいい後輩たちが、くだらない話題ではしゃいでいる。苦難と戦う毎日を忘れ去るように。重荷を持たない子供のように。
その光景は、ホシノの心を打つには十分すぎるものだったから。
(……無駄じゃなかったんだね。頑張ってきたことは、耐えてきたことは、無駄じゃなかったんだ)
対策委員会の今までの努力がアビドス高校を延命した。
先生がホシノたちに手を差し伸べ、助けてくれた。
それが報われるようにと、キバヤシは記事を世に打ち出した。
(うへ、やば…おじさんちょっと泣きそうかも……)
ホシノは後輩たちに隠れるように部屋を出た。
アビドス高校がかつてのように立ち直るには、これからも多くの努力と時間が必要だろう。
その瞬間は、ホシノが卒業するまでには訪れないかもしれない。
それでもよかった。そこにホシノが居なかったとても、ホシノは構わなかった。かわいい後輩たちが、その後輩たちが、いつかその瞬間に、代わりに立ち会ってくれるだろうから。
そんな根拠のない確信が、ホシノを包み込んでいた。
「よかった…ほんとうに…よかったよぉ……」
誰もいない空き教室に座り込み、ホシノは声を押し殺して泣いた。
ホシノは2年前の月刊MMRアビドス特集を読み終わった。
(そっか。ずっと前からアビドス高校を調べてたんだ…)
過去の記事を読んでわかったのは、キバヤシはすでに一度、アビドス高校にまつわるカイザーコーポレーションの陰謀を告発していたということだ。
しかしホシノが察するに、試みはうまくいかなかったのだろう。単に売れなかったのか、それとももみ消されたのか定かではないが…世間は見向きもしなかったようだ。
キバヤシがどれほど訴えかけたとしても、『月刊MMR』はくだらない変なオカルト雑誌とみなされていて、“先生”という起爆剤もいなかった。当時のキバヤシには、真相を暴く力が無かったということだろう。
ホシノはなんだかやり切れない気持ちになり、雑誌を閉じた。
(キバヤシ、どんな気持ちで今回の記事を書いたんだろう)
ホシノは、無性にキバヤシに会いたくなった。
もう一度会って話がしたかった。
失礼な態度を謝り、手を尽くしてくれたことへのお礼を言いたかった。
そして何よりも、ホシノは聞きたいことがあった。
そう想えば想うほど、ホシノの顔は暗くなる。
(どんな顔をして連絡すればいいのさ……)
知らなかったとはいえずいぶんと酷いことを言った。
苛立ちにまかせて突き放すような態度をとってしまった。
八つ当たりのように拒絶し、そのまま追い出してしまった。
もしホシノが同じように拒まれたらと思うと身がすくんでしまう。
文化室に手紙を送ればいいだけだというのに、後ろめたさが肩にのしかかってしまい、ホシノはなにもできなかった。
臆病だと言われようと、それでも恐ろしかった。
また傷つけてしまったことが、何よりも恐ろしかった。
「ほんと、おじさんの人生は後悔にまみれてるなぁ~…」
「そうなのかい? しかし君はまだ若いじゃないか。いくらでも挽回はきくさ」
「いやいや、おじさんはもう年だってば…………ん? え!? あーっ!?」
ホシノは椅子から飛び上がって、声のしたほうへ振り返った。
―――旧生徒会室の扉の傍には、くつくつと笑うキバヤシが立っていた。
解明されたアビドス高校の真実! しかしまだ謎は残されていた…?
衝撃の真相を解明するべく、キバヤシはアビドス高校の奥地へと足を踏み入れた―――!