アビドス高校、対策委員会室。
液晶画面に映るモモトークをみながら、ホシノはにやにやと笑っていた。
今となっては緩やかな空気が流れるようになった部屋のなかで、ホシノは机に身をまかせるように身体をまげながら足を投げ出し、それはもうにやにやと笑っていた。
「へへへ……」
映し出されているのは、上部に樹林ルリとかかれたトーク画面だ。
キバヤシがアビドス高校から去る際に交わした連絡先は、なんでもプライベート用だとのことで、ごく限られた人間しか知らないらしい。
ホシノがだらしなく頬を緩めている理由は、なにもその優越感からではない。無論それもあったが、直接の原因は、懐かしいものが出てきたとキバヤシが送信したユメ先輩とキバヤシのツーショット写真だ。
ノリノリで自撮りしようとするユメ先輩と、どこか恥ずかしそうに笑うキバヤシ。
ホシノにとっては、たまらない写真であった。
(ほんとに二人とも楽しそうだねぇ~。というかキバヤシって昔は髪長かったんだ。うへ~、おじさんも直で見たかったな~)
じつはこの写真は、もう幾分か前の日付に送られてきたものだ。
しかしホシノは、手が空くごとにこの写真を眺めている。対策委員会室でくつろぐときに、自治区の見回りのちょっとした合間に、なかなか寝付けない一人の夜に。暇さえあれば、ホシノはこの写真を眺めていた。
キバヤシはそれをとった際の動画も送ってくれていたが、そちらを見返すことはあまりしない。刺激が強すぎるからだ。もう聞けないと思っていたユメ先輩の声を聴くと、日常生活どころではなくなってしまうからだ。
さておき、アビドス高校の事態が好転していく現状と、先生やキバヤシとのモモトークが相まって、ここ最近のホシノは明らかに浮かれていた。
よくわからない鼻歌を上機嫌に歌っては、昼寝をする時間も惜しいと携帯を触ってにやにやとする。返信の通知に飛びついては、いそいそとそれを確認し、あれやこれやと話題をつなごうと頭をひねっている。そんなホシノを見るのは、誰にとっても初めてのことだった。
それはまさしく、異常事態だった。
故に――
「――ホシノ先輩のようすがおかしい」
「何言ってるんですか、シロコ先輩」
アビドスの砂狼、動く―――!
対策委員会の後輩たち。
ノノミ、シロコ、セリカ、アヤネの4名は、部室の隅でこそこそと集まって話をしていた。
「ん。間違いなく、これはなんらかの“陰謀”のせい」
「ま、また“陰謀”!? も、もしかしてあの記事の――」
「セリカちゃーん? 関係ないですからねーそれとこれとは」
「ふつうに機嫌がいいだけだと思いますよ…」
『月刊MMR』の遺した爪痕は大きい。
先日の衝撃的な体験と、なまじっか発生してしまった恩義により、シロコとセリカはすっかりMMRにはまってしまった。
それはまだいい。誰しも好きなことの一つや二つあるものだ。
趣味は銀行強盗ですなどと言い出さない限り、人の好みについてどうこう言うものはこの場にいない。
事実として、客観的に物事をみれるノノミとアヤネはこの雑誌とうまく距離を置いていた。
著者と特集号に恩はある。だが、それはそれ、これはこれだと言わんばかりに、キバヤシの発するたわごと、それはさすがに嘘と見切りをつけて受け流すことができる。
だが他二人に関しては、最初から信者に片足を突っ込んでいたシロコと、疑う気持ちが反転してどっぷりと浸かってしまったセリカに関しては、ひとこと言いたくなるありさまだった。
シロコは言葉を覚えたての子供がそれを使いたがるように、隙あらば陰謀を持ち出してくる。
お前はいったい何を言っているんだ。
そう言いたくなるのが普通なのだが、セリカはそれを真に受け、ああではないかこうではないかと話を続けてしまう。
そしてシロコは謎にやわらかい発想力で、斜め上へと結論をたどり着かせる。そしてノノミとアヤネは顔を引きつらせながらそれを否定する…。
ここ最近、そんな事態が頻発するせいで、ノノミとアヤネは月刊MMRが少し憎たらしくなっていた。
ため息をひとつつきながら、アヤネは言う。
「肩の重荷がおりただけですよ。ずっと張りつめてたんですから、少しくらい変でも仕方ないじゃないですか」
「ん、でも普通はそれだけであんな風にでれでれとはしない。その裏には間違いなく“何か”がある」
「!! ま、まさかやっぱり――“マイクロ波”!?」
「セリカちゃーん? 関係ないですからねー」
「ん-? どしたのみんな。そんな部屋の隅で」
なにやら後輩たちが騒がしい。
部屋の隅でひそひそと言い争いをする後輩たちに、不思議そうにホシノが声をかけた。最近は余裕が出てきたのも相まって、部室に皆がそろうことも多い。楽しそうな話をしているなら、ホシノとしても混ぜてほしいところだ。
「な、なんでもありませんよホシノ先輩。あはは…」
「そう? 困りごとがあるなら、ちゃんとおじさんにも教えてね~」
「ホシノ先輩……マイクロ」
「セリカちゃーん、ちょっとあっちにいこうねー」
セリカはノノミに連行された。
なにがなにやらとホシノは首をかしげたが、心の余裕からか気にしていないようだった。
その様子にアヤネは安堵する。ホシノがようやく持てるようになった心の穏やかさを、わけのわからない妄言で邪魔するなどもってのほかだ。
ホシノの追及する気のない態度に、アヤネは安心して息を漏らした。
だがその油断が命取りだった。
「ん。ホシノ先輩が最近おかしいって、皆で話してた」
「シ、シロコ先輩…!」
「うへ、おじさんのはなしだったの? なになに~気になるよぉ」
ホシノが興味をとりもどし、ぐいと身を乗り出す。
アヤネは決意した。
これ以上シロコに口を開かせてはならないと、この純朴なホシノの平穏を守らねばならぬと決意した。
アヤネはホシノの前に躍りでると、てきとうにごまかすべく口を開いた。
「じ、実はホシノ先輩がとても機嫌よかったので、先生とデートにでもいくんじゃないかみんなで噂していたんですよ!」
「うへ、おじさんが先生とデートぉ? な、ないよ~、ないない」
どこからそんな話がわいてきたのか、ホシノは不思議だった。
確かにホシノは先生にとても恩義を感じている。好意を抱いていると言い換えてもいい。だがそれは、窮地を救ってくれた頼れる“大人”に対しての憧れというか、信頼というか…とにかくそういう類のものだ。
ホシノはこの感情を信頼であると自覚していた。少なくとも、今はまだ。
その視界の端で、アヤネはなんとかごまかすことができたと安堵した。
だが、シロコの顔は険しかった。
「聞き捨てならない…ホシノ先輩、モモトークを見せて」
「シ、シロコ先輩ッ…!」
アヤネは激怒した。
何を言ってくれてやがるんだとこの先輩と激怒した。アヤネがどんな思いででたらめを言ったか、シロコは当然に理解していなかった。当然の権利のように事態をひっかきまわすシロコに、アヤネは激怒した。
しかしそんな怒りを忘れ去るほどに、ホシノの反応はアヤネの予想を裏切った
「そ、それはちょっと…」
顔を赤らめながら、ホシノは断った。
シロコとアヤネは絶句した。
その反応は、あきらかにやましいことのある人間のものだった。恥ずかしそうにぽりぽりと頬を指で撫でながら、目をそらして携帯をポケットにしまう。見られたくないものがあるのは明白だった。
ホシノは、キバヤシの連絡先を教えたくなかったのだ。
シロコはスタンプ爆撃の常習犯であり、迷惑をかけそうだからダメ。
アヤネは教えても問題がないのだが、もうすこしキバヤシの連絡先を独占したいからダメ。
そんな内心がすけてしまったが故の、いじらしい表情だった。
あのホシノがそんな表情をするとはさすがのアヤネも予想外であり、一瞬意識がそれた。
――それてしまった。
「ん。隙あり…!」
「うわーっ! なにするのシロコちゃん!」
携帯を奪うべくシロコがホシノに襲い掛かり、アビドスの砂狼と暁のホルスの対決が突然に始まった。
シロコはその身体能力をいかして縦横無尽に距離を詰める。
ホシノはなにがなんだかわからないがマズいと携帯片手に逃げ回る。
せまい部室を舞台にどったんばったんと、二人は攻防を繰り返す。銃こそ持ち出さないものの、そのめまぐるしい戦いはアヤネが手を出せる代物ではなかった。
舞い散るほこり。
響く騒音。
散らかっていく部室。
差し込む太陽。
機を伺うシロコの唸り声。
恐怖に怯えるホシノの声。
駆け込んでくるノノミ。
何故か参戦するセリカ。
アヤネは遠い目をしながら、その光景をながめていた。
(まあ……これも平和ということで)
心の中でそうつぶやいて、
携帯を奪われたホシノの悲鳴をききながら、
アヤネはすべてを諦めて笑った。
キバヤシのモモトークにホシノから一枚の写真が届く。
何事かとキバヤシが眺めた画面には、
対策委員会の面々の楽しそうな集合写真が送られていた。
それを見た時のキバヤシの表情を語るのは、
やはり、蛇足というものだろう